原発事故で避難、死亡率2.7倍 南相馬、施設の高齢者(朝日新聞)
東京電力福島第一原発事故直後の2011年3月、福島県南相馬市の介護施設にいて長距離の避難を余儀なくされた高齢者は、1年の死亡率がそれ以前の2・7倍になっていた。東京大などが分析した結果で、避難方法や避難先のケア状態が悪い場合、死亡率が高かった。
東大の渋谷健司教授(国際保健政策学)、大学院生の野村周平さんらのチームが26日付米科学誌プロスワンに発表した。
原発から20~30キロ圏内の南相馬市にある特別養護老人ホームなど5施設の協力で、事故前5年間と事故後の死亡率を比較した。事故時の入所者は合計328人いて、事故後1年間で75人が亡くなった。
入所者はバスなどで神奈川県や新潟県などへ避難し移動が300キロ以上になる場合もあったが、移動距離と死亡の間には関係はなかった。一方で、施設別にみると差が大きくて死亡率が4倍になる場合もあり、ケアを十分しながら計画的に避難した場合は死亡率が上がっていなかった。チームは「高齢者の避難では医療や食事などのきめ細かい対応が必要」としている。
この調査結果については複数紙が報じており、web上で公開されている範囲ではこの朝日報道が割と詳細な部類に入りますが、少しばかり欠けている部分もあるでしょうか。それは時事通信のいつもながらに素っ気ない記事に載っている部分です。
原発避難で死亡2.7倍=施設の高齢者、介護や食事不足―東京大(時事通信)
東京電力福島第1原発事故で避難した老人介護施設の入居者の死亡率は、事故前の約2.7倍に上ったと、渋谷健司東京大教授らが27日、米科学誌プロスワンに発表した。
渋谷教授は、避難の際に介護や食事、暖房が不足すると死亡率が高まると分析。「残る場合のリスクと比較し、避難するかどうか判断する必要がある」としている。
新聞によっては「見たくない」「見せたくない」ものがあるのかな、という気がします。他紙に比して多めに紙面を割いたはずの朝日新聞ですが、「残る場合のリスクと比較し、避難するかどうか判断する必要がある」との調査班のコメントを掲載対象から外しているわけです。「今後」を考える上では、最も重要な指摘であろうと私には思われるのですが、人によっては違うのでしょう。「第一に責任があるのは行政と東電」云々と責任の何もかもを「悪者」に転嫁しては満足してしまうような人々にとっては、単純に死亡率が上がったと、そういう結果さえあれば十分なのかも知れません。しかし、なんであれ被害を最小限にするためには何が必要なのか、それを前向きに考えるのであれば「残る場合のリスクと比較」することに焦点を当てた検証が求められます。
「無計画な避難はあなたの健康を損なうおそれがあります」と、少なくとも拙速な避難を抑制するような動きがあっても良さそうに思うのですが、実態はどれほどのものだったでしょう。1年間の死亡率がそれ以前の2.7倍では、放射線被曝によって考え得る健康被害など足下にも及びません。避難「しなければ」負の影響は大きく抑えられたと、結果を見れば明らかにそう言えるわけです。本当に避難を急がなければならなかったのか、むしろ避難を急ぐ方が被害は深刻化するのではないかと、そうした面から検討、熟慮が求められるところ、せめてこの教訓を今後に活かして欲しいと願います。
参考、As Low As _________ Achievable
ところが、特定のリスクだけを騒ぎ立てる一方で、別のリスクからは頑なに目を背ける人もいるわけです。Aというリスク(冒頭の例で言えば被曝)を避けるために、Bという新たなリスク(避難による負担増)を高めてしまう、この場合にA>Bであるならば避難は正しいと言えますけれど、A<Bであれば避難は誤りだったと言えます。結果がどうなるかすぐには分からないとしても、最低限AとBのどちらのリスクが高いのか、それを慎重に検討した上で実際に行動することが求められるのですが――ロクに考えもせずリスクAだけに狂奔してリスクBの危険に人々を晒してしまったとあらば、それは大いに反省が求めらるべきであり、このような意思決定のプロセスやリスクというものの考え方は将来に向けて検証されなければならないはずです。