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非国民通信

ノーモア・コイズミ

ある最高裁判事に「×」を投じたかった理由

2024-10-27 21:05:56 | 社会

 これも選挙の恒例と言いますか、「選挙カーがうるさい」と言って一定の共感を集める人も定期的に出てくるわけです。ただ私は、選挙カーごときをうるさいとは感じません。もっとうるさいものが、他に色々とありますから。選挙カー程度でうるさいと思える人は、単に住環境に恵まれているだけでしょう。羨ましい限りです。

 世の中は多数派に最適化されている、とも言われます。そうして「配慮」される少数派もいれば、一方で無視され続けている少数派もいるのが実態でしょうか。典型的なのは「夜勤」の人々ですね。例えば夜間の騒音については控えるべきという社会的合意がないでもない一方、昼間に関しては実質的に野放し状態にあります。昼間に会社に出勤して夜に家で寝る人はこれでも問題ないかも知れませんが、夜間に働き昼間に家で寝る人はどうしたらいいのでしょう。

 ちなみに電動キックボードが危ない云々と宣い、これまた世間の共感を集める人もいるわけです。それもやはり恵まれた都会の贅沢な悩みと感じないでもありません。私の住む地域では絶えざる道路工事で地面はガタガタ、車輪の小さな電動キックボードなど絶対に走れないですし、そもそも自家用車での移動を前提にした街作りが行われていますので、電動キックボードに乗る人など全く見かけません。電動キックボードを見て危ういと感じるのは、恵まれた都会の住人ならではでしょうね。

 自宅から最寄りのスーパーまでの道中に、保育園は5軒あります。商業施設は国道沿いか沿岸部に集約するのが我が町の都市計画のようで住宅エリアと商業エリアの距離は大きく開くばかりなのですが、「買い物は自家用車で行くのが当たり前」というのが郊外住民の感覚なのか、特に問題になることもなく市の人口は転入超過が続いています。一方で不思議なことに保育園だけは住宅地の中の徒歩圏に乱立していたりして、これがよく分かりません。

 自家用車での移動を前提に商業エリアを国道沿いと沿岸部へ集約させる、これは(賛同はしませんが)郊外の都市計画として普通かと思います。しかし保育園は例外で住宅地のど真ん中に存在していたりするわけです。児童が徒歩で通うことを想定した小中学校が住宅地の中の徒歩圏に位置しているのは理解できますが、送迎が前提の保育園であればスーパーマーケットやショッピングモールと同じように住宅地から離れた場所に集中させた方が良いのでは、と思わないでもありません。日用品を買える店が徒歩圏にないのに、保育園だけは近所にある、それは都市計画としてどうなのでしょう?

 

「園児の声がうるさい」保育園を訴えた住民の敗訴確定 一審「受忍限度超えていない」…最高裁が上告棄却(東京新聞)

 東京都練馬区の住民が隣にできた保育園の園児の声がうるさく平穏に生活する権利を侵害されたとして、園の運営会社「日本保育サービス」(名古屋市)などに損害賠償を求めた訴訟で、最高裁第3小法廷(渡辺恵理子裁判長)は、住民側の上告を棄却する決定をした。23日付。住民側敗訴の一、二審判決が確定した。

 2020年6月の一審東京地裁判決は、07年4月の開園から2年ほどは国基準を上回る騒音レベルが散見されたが、園庭の使用を控えるなどして抑制され「受忍限度を超えていたとは認められない」とし、住民側の請求を棄却。21年3月の二審東京高裁判決も一審判決を支持した。(加藤益丈)

 

 私の住む街でも一時は保育園の建設ラッシュがあり、自宅の隣に保育園が建つ可能性も決して皆無ではありませんでした。それだけに、こうした記事は全く他人事とは思えないところです。過去の判例に倣い、騒音に苦しめられる被害者をクレーマー扱いして裁判は終了したわけですが、人道面からするといかがなものでしょうか。

 米軍基地と保育園は似ている、と私は思います。いずれも被害を被るのは近隣住民に限られ、これを泣き寝入りさせることで社会的な解決としてきました。限度を超える騒音があったとしても施設の公益性が主張され、被害を訴える近隣住民はパブリックエネミーとして謂れなき誹謗中傷に晒されてきたわけです。騒音施設から離れた場所に住む多数派のために、近隣住民は我慢してください、というのが我が国の司法であり社会的合意であると言えます。

・・・・・

 その昔、私は「子供好き」の大人から非常に好まれる容姿を持っていました。何か用件があって大人に話しかけると、「キャー可愛い!」と声を上げて大人達は興奮したものです。そこで私が子供らしく「キョエェェェエッ!」と嬌声の一つもあげれば大人達は絶頂を迎えたことでしょうけれど、残念ながら私は用件を伝えるばかりで、お互いに全く噛み合わなかったことを覚えています。そうこうするうちに私から見れば「自分を人間扱いしてくれない大人」、相手からすれば「なつかないペット」みたいな間柄となり、自分は学校の先生などから疎んじられるようになりました。

 よく「子供は騒がしいのが当然、誰もがそうだった」と居丈高に語る人がいます。でもそれは、「子供好き」の大人の頭の中の理想像であって、実際には大人しい子供もいるわけです。「子供好き」の大人は自分たちの理想像を子供に投影して、「子供らしく」時と場所を顧みず絶叫することを期待しているのかも知れません。でも私は、そんな「子供らしさ」の押しつけが本当に嫌でした。騒ぐばかりが子供らしさではない、子供だって大人しくしても良い、そんな寛容な世の中になって欲しいと思います。

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政権だけが変わっても意味はなく

2024-10-20 21:32:55 | 政治・国際

 選択的夫婦別姓の是非も今回の選挙の争点であると、幾つかのメディアで伝えられています。そして自民党以外の政党は概ね、選択的夫婦別姓に肯定的な候補が多数派なのだそうです。ではやはり自民党が問題なのだと、そういう方向に話を持って行きたがる人もまた多いところでしょうか。しかし私は、かつて選択的夫婦別姓の法制化を公約に掲げていた政党が与党の座に君臨していた頃を覚えています。当時の政府与党の名は──民主党です。

 かつて民主党は、選択的夫婦別姓を認める法案を何度か国会に提出し、与党=自民党によって否決されてきました。そんな自民党も一時は支持率が低迷し民主党による政権交代を許したわけですが、この政権交代前の選挙に先だって民主党は選択的夫婦別姓の導入を公約集から外しています。そしてめでたく与党の座に就いた民主党は幾つかの強行採決で自民党からの批判を浴びたりもしましたが、選択的夫婦別姓については俎上に挙げるそぶりもなく、再び自民党に敗れて下野するまで黙殺を続けて今に至ります。

 そんな民主党政権の残党は大きく二つの派閥に分かれて存続しているところですが、与党時代に封印していた選択的夫婦別姓を再び持論であるかのように掲げていたりします。かつて公約集から夫婦別姓を外した当時とは、自らが与党であった当時とは、何かが変わったと言うことなのでしょうか? 与党時代に「なかったこと」にしてきた選択的夫婦別姓を恥ずかしげもなく掲げる民主の残党に比べると、まだしも公然と反対している自民党の方が誠実と感じられないこともありません。

 この手の発言は一部で喝采を浴びるものですが、与党(自民党)以外の目立ったところに票が集まった結果として現れたのは、何よりもまず維新の躍進でしょうか。自民党政治は糞であるとして、では自民党以外の政党や政治家に力を持たせれば世の中が良くなるかと言えば、「下には下がある」ことを証明しているケースが少なくありません。そもそも大阪近辺が維新の支配下に入って政治が良くなったと思い込んでいる人が「自民党に勝てそうな候補」への投票を呼びかけるのであれば理解はしますが、そういう人ばかりでもないはずです。

 むしろ民主党政治に比べれば自民党政治の方がマシ、立憲民主と自民が争う選挙区であれば、立憲候補の当選を防ぐために妥協して自民党に票を投じる、という判断もあるように思います。今の自民党政治に肯定的な人は相当に限られることでしょうけれど、だからといって自民党以外の有力政党すなわち立憲や維新が議席を増やすことで事態が好転すると考えている人もまた限定的で、故に一部の支持層が期待するほど野党第一党への期待は高まっていない、というのが現状と私は判断します。

 少なくとも民主党政権時代に「総理大臣」などの要職を務めたメンバーは今も立憲民主党の実権を握り続けており、実際に政権を取った場合に何をするような人々であるかは明らかです。そして維新もまた地域限定ですが、与党としてどのように振る舞ってきたかは十分に判断できます。安易に現政権への審判に持ち込んで自民党政治の○×を問い、そこで「×」ならば野党第一党に投票……みたいな意図が透けて見える主張を繰り返す人もいるところですが、ちょっと卑劣だな、と感じないでもありません。

 以前にも書きましたけれど、政策が変わることで世の中も変わります。逆に政策が変わらなければ、世の中が良くなることはありません。同じ政党が与党のままでも政策が変われば世の中は変わりますが、別の政党が与党に成り代わっても政策が同路線であれば世の中は変わらないわけです。そして2009年の政権交代は、まさにそういうものでした。政権交代が、単なるガス抜きに終わってしまうようでは何の意味もありません。たとえ当選の可能性が低くとも政策の異なる候補に投票した方が、単に「自民党でないだけ」の候補に入れるよりはマシでしょうね。

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選挙の結果は分からないが、その後の政治が変わらないであろうことは分かる

2024-10-13 21:07:54 | 政治・国際

 自民党総裁選を争っていた当時は早期解散に否定的な態度を示していた石破総理ですが、総裁就任後は早々に解散総選挙を表明、今月の末には投票が行われる運びとなりました。選挙期間中の主張と当選後の行動が一致しないのは石破以前にも常であり、ある意味で従来路線を継続する姿勢の現れと言えるでしょうか。なにしろ選挙前の公約を当選後に無視したところで責任を問われることはない、辞職を迫られるのは金銭や女性問題ぐらいというのが日本政治ですから。

 もっとも、今回は金銭問題の重みが違います。これまでは金銭問題の追及は特定の議員が一人で背負い込むことが多かった、それ故に辞職まで追い込まれることも普通だったわけです。ところが今回は金銭問題を抱えている議員が圧倒的に多く、結果として責任追及は皆で分散して受け止める形になっています。一人では耐えられなかった責任追及を、今回は皆で支え合って耐え凌ぐ格好になっているのが昨今の政治資金問題なのかも知れません。

 もし裏金議員が軒並み政治生命を保つことがあれば、「政策的や誤りは問われないが金銭問題には厳しい」我が国の政治文化が変わることになります。主立った野党は裏金問題への追及に余念がありませんが、政治資金問題の追及を看板に掲げる従来のスタンスが有効かどうかが今回の選挙で問われることになるとも言えそうです。そして金銭問題で与党を攻撃する路線が奏功しないようであれば、野党側はスタイルを変える必要がある、政治と金の問題ではなく政策の誤りを問う必要性が高まってきます。

 ここで問題になるのが日本では政治的な対立が少ないことです。自民党だけではなく立憲も維新も親米・緊縮のいわゆる中道右派で固まっており根本的な違いがない、方向性を同じくする政党が勢力争いを繰り広げているだけというのが実態であり、ゆえに政策論議が意味を持たない、仮に民主党が自民党から与党の座を奪ったとしても日本の政治は変わらないわけです。一応の野党第一党である立憲民主党などは尖閣国有化で中国との対立路線に大きく舵を切り消費税増税を決めた野田が返り咲きを果たす有様で、これは本当に「日本の政治は変わりません」というメッセージと言えるでしょう。

参考:各国の選挙を振り返って

 「中道」とは一つの極であり、「左」と「右」の中間ではないと以前に書きました。政治の世界において中道と呼ばれるのはネオリベ・ネオコンの先鋭化された勢力であり、決して「中庸」の立場を取る人々ではありません。そして「中道右派」もまた然りで、中道と右派の中間的な立場と誤って解釈されがちですが、実際は中道と右派の悪いところを兼ね備えた立場と理解すべきでしょう。すなわちネオリベ・ネオコンでありつつも差別主義を兼ね備えたのが中道右派である、と。

 ところがヨーロッパでは中道派の持つネオリベ・ネオコン思想と右派の「自国第一主義」が相容れないものとなり始めており、これが「極右勢力の伸張」として報じられる結果に繋がっています。つまりネオリベ路線では一部の資本家が肥えるばかりで自国民の多数派は貧しくなる、ネオコン路線ではアメリカ陣営の覇権のために自国の支出が増大する、これを右派が許容できなくなっているわけです。政治は資本家のためではなく自国民の多数派のためであるべき、アメリカの覇権のために自国が何かを負担する必要はない──そんな思想を持った「極右」が近年のヨーロッパでは台頭し始めています。

 しかるに日本では中道と右派の蜜月が続いているのが現状ではないでしょうか。中道派は右派の唱える差別主義には目をつぶる、右派はアメリカの覇権こそが日本の国益であると信じて疑わない、資本家が豊かになることが国が豊かになることだと勘違いしたままでいる、そうして中道と右派が堅く手を握り合っているのが日本政治であると言えます。もしヨーロッパのように中道と右派が分裂して争うようになれば日本の政治も変わるのかも知れませんが、今のところその兆しは皆無ですね。

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おまけ:未来を占う

2024-10-10 21:37:54 | 非国民通信社社説

序文はこちら

第一章:キエフ・ルーシの時代からソヴィエト連邦の時代まで

第二章:ロシア帝国、及びソヴィエト連邦の支配者達

第三章:ロシア・ウクライナを取り巻く往年の連邦構成国

第四章:ウクライナ、崩壊への歩み

 ここまでの4章では「過去に起こった事実」を振り返ってきましたが、最後に「これから先」のことを考えてみたいと思います。もっとも未来のことは誰も分からない、皆が上がると確信していた株価も時には急落するように、何が起こるかを予知することは出来ません。ただ「今」ある情報から、可能性の高いものを探っていくことは出来るでしょう。

 まず、このウクライナを舞台にした戦争はいつ終わるのか。ロシア軍の前進は続いていますが、そのペースが加速したところでウクライナ全域を開放する目処が付くには遠く及ばないのが現状です。一方で劣勢のウクライナ軍も「負けない程度に」欧米諸国からの兵器や傭兵が送り込まれており、NATO側の継戦姿勢は変わる様子がありません。ロシア側には状況の良いところで停戦する意思が見えるものの、NATO側にはロシアが消耗しきるまで戦争を続ける意欲がある、そして傀儡国家であるウクライナには主権がない、というのが現状でしょうか。

 ただ、NATO側の支援も中道派と右派のパワーバランス次第で変わる可能性があります。中道派はアメリカ陣営の敗北を絶対に受け入れることはできず、どれほど自国の負担になろうともNATOの勝利のために尽くしてきました。しかし「自国第一主義」を掲げる新しい右派はNATOの勝利のために自国が犠牲を払うことを厭う、自国の負担が増えるくらいならばウクライナなど切り捨ててしまいたい、そういう発想が強いわけです。

 現在はまだヨーロッパでもアメリカでも中道派が主流であるものの、時に右派が得票率でトップに立つ場面も出てきています。アメリカ第一主義ではなく自国第一主義が影響力を強めていけば、NATOという「陣営」の勝利のための支出は減らされていく、ウクライナを操るための糸も少なくなっていくことでしょう。そうなったときに漸く停戦合意が現実的になる、ロシアとウクライナの間での戦闘停止までは進められるようになると考えられます。

 ただ恐らくは、合意できても朝鮮戦争のように無期限の休戦であって、戦争の完全な終結とまではならない可能性は高そうです。結局のところウクライナとは舞台であって、根本的にはロシアとNATOとの対立がある、それが変わらない限り恒久的平和は望めません。ウクライナのNATO入りは既定路線となっていますが、そうなればウクライナはNATOの前線基地として再び自国を差し出すことになるでしょう。逆にウクライナが自国の意思で中立であろうとしても、ヤヌコヴィチ政権のようにクーデターで潰される虞も恐れもあるわけです。

 前章で書いたように、クーデター後のウクライナでは2度の大統領選挙が行われましたが、いずれも相対的には穏健派の候補が勝利しています。ウクライナの国民自体は必ずしも争いを望んでいない、隣国に反感はあっても決定的な対立までは避けたがっているのでしょう。しかし、いずれの大統領も当選後はナショナリズムに訴える道を選んだ、選挙時の対立候補に負けず劣らず反ロシアを掲げ、国内の反対派(ロシア系住民)を弾圧してきました。これが繰り返される限り、ウクライナ人はNATOの傭兵として使い潰される運命から逃れられないといえます。

 そもそもソ連が白旗を揚げ崩壊した後のNATOの歴史は、裏切りと侵攻の歴史でした。東方へは拡張しないとの口約束は容易く無視され、NATOは昔年の「東側」諸国を次々と傘下に組み入れていきます。それがウクライナまで到達したところで今回の衝突に至ったわけですが、仮にロシアとウクライナの二国間で停戦が成立したところで、ロシアとNATOの間の勢力争いが続いている以上、NATO側は必ずや「次の手」を打ってくることでしょう。対立の火種は、決して絶やされることはありません。

 ウクライナがどのような結果に終わったとしても、NATOの東方進出は終わらない、次なるターゲットとしてモルドヴァは既に自ら挙手していますし、州じゃない方のジョージアやカザフスタンなどで親米政権が樹立され、対ロシアの前線基地が築かれる可能性は否定できないです。そして現在でこそロシアの同盟国として知られるベラルーシも、反政府活動家が当たり前のように国外からの支援を受けていたりします。ウクライナで起こったようなクーデターがベラルーシで起こらないとも限らない、そして誕生した親米政権がNATO入りを宣言してロシアに銃を向ける未来もあり得るわけです。

 一方のロシア側に目を向けると、むしろ開戦してから経済が堅調に推移していることは注目に値します。考えられる理由としては①資源輸出先となる国には困っていないこと、②欧米資本の撤退によって脆弱だったロシア国内の企業にチャンスが生まれたこと、③軍需産業を中心に政府支出が大きく増えており、その結果が労働者への分配にまで繋がっていること、でしょうか。

 上記①の資源輸出に関しては今後も継続して需要があり、戦争終結に関わらずロシア経済の柱の一つであり続けることと予想されます。そして②は結果として保護主義の導入と同じ意味をもたらしている、国内事業者に機会を与えているわけです。もちろん保護主義は長期的な解決にならず、閉鎖市場はソ連時代と同じような頭打ちに繋がる可能性がありますが、それでも市場開放の結果として欧米企業に蹂躙されて来たロシア国内企業に立ち直りの時間を与えるものとしては、良い効果をもたらしているようです。

 そして③ですが、緊縮財政を国是とする日本の経済が低迷しているとのは真逆で、軍事であろうとも政府が支出を増やせばそれだけ市場は豊かになることが証明されています。日本では空想上の概念に過ぎなかったトリクルダウンがロシアでは現実に発生していると伝える向きもあるなど、何はともあれ結果は上々です。ただ戦争終結後にロシア政府が引き締めに走ると危ない、戦時から平時に戻ったからと日本的な財政再建論が優先されてしまうと、むしろ戦争終結後にこそロシア経済に危機が生じるものと予想されます。

 また戦前はウクライナを巡る問題を何とか外交的に解決しようとしてきたロシアですが、NATOの頑なな姿勢が続いたことで「吹っ切れた」と言いますか、かつては欧米諸国との関係を意識して距離を置いてきた国──イランや北朝鮮など──との国交を深めるようにもなりました。元より極東地域の開発やアジア・アフリカ地域との外交に力を入れてきたこともありロシアの東方シフトは続く、今後は日米欧の排他的仲良しグループとBRICSなど新興国の寄り合い所帯との間では、後者の方に軸足が移されていくことでしょう。

 ただ現状でこそ旧ソ連時代からの遺産と潤沢な輸出資源のおかげで新興国の中の大国として地位を築いているロシアですけれど、懸念点として「人口」の問題は避けて通れません。ロシア経済の好調ぶりを反映して失業率も非常に低い状態が続いているのですが、それは人手不足の現れでもあります。元より人口規模で中国やインドには全く及ばず、これから伸びてくるアフリカ諸国にも人口規模の面で後塵を拝することになるでしょう。人口流出こそ限定的であるものの、他のヨーロッパ諸国と同様に出生率は低く自然減の局面に入っており、このためにロシアの経済規模は頭打ちになる、存在感が相対的に小さくなっていく可能性は無視できません。

 人口減少を補えるのは中央アジアなど諸外国からの移民ですが、ソ連時代の多民族友好の精神で移民を自国に取り込めるのか、あるいはウクライナのように政治がナショナリズムに阿り多数派住民「以外」の存在を排除してしまうのか、ロシアが大国で居続けるための分岐点はそこにあると言えます。ソ連時代にはアフリカからの留学生を積極的に受け入れ、ここから多数のアフリカの指導者が育ちました。一方で現代はアメリカで教育を受けた政治家が東欧の政界を牛耳っている等々、文化的発信力の面でもソ連時代からの後退が見られます。新興国の出身者を自国の力に変えられるか、それとも厄介者として排除しようとするのか、大国であろうとするならば困難でも前者を目指す以外に道はありません。

 もっとも人口減少については日本やヨーロッパ諸国も同様であり、移民を自国に取り込むことが出来ない国は相対的に小国と化していくことが確実です。元よりNATOやG7といった枠組みは地球人口からすれば少数派グループに過ぎません。これまでは軍事力や経済力において先行していたからこそ大きな顔を出来ていたわけですが、そんな先行者の優位もいずれは縮小して行きます。今回の戦争を機会にヨーロッパ各国は旧世代の兵器をウクライナに送って一斉処分、新しい兵器に置き換えることで軍事力の強化に励んでいるところですが、それも永遠には続かないでしょう。

 冷戦時代には、「COCOM」という共産主義陣営への輸出を規制する仕組みがありました。昨今は専ら中国に対する輸出規制が大きく目立つ状況ですが、これもまた人口規模で上回る中国に対して日米欧が優位を保つための悪あがきと言えます。今後は伸張する非NATO諸国に対して、アメリカの宗主権を受け入れない国への輸出を規制するCOCOM"2"的なものも出てくるかも知れません。それでもNATO諸国が少数派である運命は変えられない、いずれは力関係が逆転する日が来ます。そこに至るまでに新たな衝突が生まれる可能性も濃厚ですが、NATOの覇権が失われれば世界は一つ平和に近づくことでしょう。

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ゼレンスキーに抗う人々

2024-10-09 21:05:17 | 編集雑記・小ネタ

ザポロジエ原発職員爆死 ウクライナ裏切り報復か(共同通信)

 【モスクワ、キーウ共同】ロシアが占拠するウクライナ南部ザポロジエ原発のロシア側管理組織は4日、車両が爆発し、乗っていた原発職員が死亡したと発表した。ウクライナ国防省情報総局も爆発を発表、原因には触れず「戦争犯罪者は報いを受ける」と警告し、関与を示唆した。

 ウクライナ側によると職員は原発の警備責任者。「ロシアの協力者」としてウクライナ側の原発従業員やウクライナを支持する市民のリストをロシア側に渡したとされる。裏切り行為だとみたウクライナが報復した可能性がある。

 職員は原発があるエネルゴダール市の住宅近くで4日朝、乗り込んだ車に仕掛けられた爆発物が爆発し、搬送先の病院で死亡した。

 

 暗殺はイスラエルの得意技ですが、ウクライナもこの分野では結構な成果を上げていることが分かります。まぁ戦争に非道はつきものです。暗殺それ自体を非難しても根本的な解決には至らない、戦争に至る背景を解消していかないことには終わりは見えないことでしょう。

 ここで注目すべきは、ロシア側に協力するウクライナ人も普通に存在していること、そうした人がいることをウクライナ側も認めていることです。開戦当初、日本の報道ではゼレンスキー大統領(当時)の支持率は90%以上などと一部で伝えられていました。金正恩総書記のライバル登場かと思わされたものですが、実際にはゼレンスキーの支配に与さずロシア側に協力するウクライナ人は後を絶たないわけで、90%超の支持率は捏造と脅迫によって作られたと判断するほかありません。

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体は元気な人々

2024-10-06 22:00:46 | 社会

 以前に書きましたが近所の子供達の間では、ひたすら「パイナツプル」と絶叫し続ける遊びが流行っています。元はじゃんけんとも組み合わされ「グリコ」「チヨコレイト」等も含まれていたようですが、色々な要素がそぎ落とされていった結果、これが残ったと言うことなのでしょう。一方で流行っているのはこの遊びだけではなく、力の限りに叫びながらも激しく咳き込む子供の姿も散見されます。止まらぬ咳など気にもせず大声を張り上げ続ける子供達は、本当に元気ですね。

 私が子供の頃は「○○菌」と言って特定の子供をターゲットにして、その子を全員で除け者にする、その人に触られたら次のターゲットになる、という遊びが最も人気がありました。人気がありすぎて学校で禁止令も出たものですけれど、誰も決まりなんて気にしていなかったことを覚えています。この「○○菌」に触れることについては全力で避けようとするのが当時の子供達の常識だったわけですが、今時の子供達を見るに激しく咳き込む子を遠巻きにするような様子は全く見られなかったり等々、本物のウィルスや細菌については特に忌避感をもたれていないと推測されます。

 一方、激しい夜泣きで私の目を覚ましてくれた頃から早数年、隣の家の子供は立派に体が成長しているようです。ゴッ、ゴッ、ゴッ、ゴゴゴゴゴ……と窓を隔てた隣の家にまで振動を響かせる勢いで飽くことなく床を踏み鳴らし、着実に自分の体が大きくなっていることを伝えてくれます。そんな隣の家の子も一時期は激しく咳き込んでおりまして、まぁ今の時代なら避けられないことかというところですが、激しく咳き込みながらも床を踏み鳴らす勢いは変わることがありませんでした。感染症に罹患しても子供というのは元気なものですね。ただ体は元気でも、どこか別のところが悪くなっていないか少しだけ心配しています。

 「マスク着用は任意」という政府方針は完全に定着し、電車の中でも飲食店でもオフィスでも、力強く咳き込みつつもノーマスクでいることが今や当たり前になりました。昔は咳が出るようであればマスクを付ける程度のマナーは存在していたように記憶していますが、その辺も時代と共に変わっていくものなのでしょう。咳をしても外出を控える必要はなし、咳をしてもマスクは任意、それがコロナ禍を経た現代の常識というものです。たぶん食品業界など過去にはマスク着用が必須であった事業者でも、今はマスクを外すようにした職場が一定数あるのでは、と思います。

 咳が止まらない以外は元気いっぱい、アクティブに外出を楽しんでいる人も多く、そうした人の「コロナはただの風邪、大したことはない」論も本人の自覚としては矛盾していないのかも知れません。ただ体の方は元気でも、体とは別の場所が悪くなっているのでは、と私は思います。新型コロナを別にしても溶連菌やマイコプラズマ肺炎の感染者が急増したり等々、その結果として休業や学級閉鎖なども起こってはいますが、会社や学校が対策を取る様子も見られず、まぁ体が弱った人は切り捨ててしまえば良い、体以外のどこかが悪くなっていてもとにかく体が元気な人が世の中の標準である、我々の社会はそんなものなのでしょう。

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第四章:ウクライナ、崩壊への歩み

2024-10-03 00:43:15 | 非国民通信社社説

序文はこちら

第一章:キエフ・ルーシの時代からソヴィエト連邦の時代まで

第二章:ロシア帝国、及びソヴィエト連邦の支配者達

第三章:ロシア・ウクライナを取り巻く往年の連邦構成国

 本章ではソ連崩壊後のウクライナと、そのロシアとの関係を中心に振り返っていきます。まず前提として第一章で述べたようにウクライナはソ連時代に領土を大きく拡張しており、①古のキエフ・ルーシでありコサック国家でもあったキエフなどの中央部、②ロシアがタタールやオスマン帝国を斥けて植民していった東南部「ノヴォロシア」地域、③第二次大戦の結果としてポーランドなどの国境をスライドさせる形で版図に組み込まれた西部地域、④フルシチョフの独断でロシアから移管されたクリミア半島と、大まかに4つの異なる歴史を持つ地域で構成されているわけです。

 この中でもウクライナ独立の最初期から問題になったのがクリミアで、早くも1992年にはクリミア州議会がウクライナからの独立を宣言するなど、キエフ政権とは最初から距離がありました。この時点ではロシア側も事態を荒立てることは望まず、最終的にはクリミアに自治共和国としての地位を認めることで一応の決着が付きます。当時はロシアとウクライナの関係も悪いものばかりではなく、このクリミアを除けば決定的な対立には至らない状態がしばらくは続きました。

 しかるにソ連時代は重工業の中心地帯であったはずのウクライナは人口の流出と経済の衰退に歯止めがかからず、プーチンやルカシェンコの元で安定を取り戻したロシアやベラルーシとは裏腹に希望の見えない状況が続きます。こうなると台頭するのが「ナショナリズムによって政治の失敗から国民の目をそらそうとする人々」です。そして徐々に選挙は反ロシアの中部・西部と、中立の東部・南部とで投票結果が二分されるようになっていきます。

 2004年のウクライナ大統領選挙は疑義の絶えないものでしたが、紆余曲折の末に中部・西部を地盤とするユシチェンコの当選が認定されます。この頃になると選挙は政策よりも地域対立の方が重要となり、中央から西では一応の勝者ユシチェンコが、東部と南部では対立候補のヤヌコヴィチがそれぞれ票を集め、国の東西を綺麗に分割する結果が露になりました。言うまでもなくユシチェンコもウクライナの置かれた状況を改善することは出来ず、最後にはナチス協力者として知られるステパン・バンデラに「ウクライナ英雄」の称号を授与するなど例によってナショナリズムに訴えるものの、結局は国民の信を失い2010年の選挙でヤヌコヴィチに敗れます。


画像出典:2004年ウクライナ大統領選挙 - Wikipedia

 ここで少し時代を遡りますと、第二次大戦期のウクライナにはソ連の一翼としてナチスと戦った人だけではなく、ナチスに協力してソ連と戦った人もまた少なくありませんでした。後者の代表がウクライナ政府から公式に英雄と認定されている前述のステパン・バンデラで、こうしたナチス協力者の称賛については2010年の時点では批判的な評価も少なからずあったようです。しかし2014年以降のクーデター以降、ロシアとの敵対を何よりも優先する西側諸国ではバンデラの評価も次第にホワイトウォッシュされ、ナチズムとの関わりについては目をつぶる傾向が見られます。当然ながらロシアとしてはナチス協力者を英雄と讃えるキエフ政権を道徳面から非難するわけですが、欧米からすればロシアと戦う方こそが正義の味方なのでしょう。

 いずれにせよ2010年の時点ではまだウクライナの政治も救いの余地はあった、結果を残せなかったユシチェンコは前回の大統領選から大きく得票を減らし、反ロシアを掲げる候補から中立路線の候補へと票が動く健全さは見られました。2010年の選挙も2004年の選挙と同様に投票傾向は反ロシアの中央・西部と中立の東部・南部で完全に色分けされてしまってはいるものの、それでも政治の軌道修正を促す自浄能力は僅かに残っていたわけです。

 ユシチェンコに代わって大統領に就任したヤヌコヴィチはEU諸国とロシアとの間でのバランス調整に腐心し、またロシア語を実質的な第二公用語として使用することを認めるなど、東部・南部のロシア系住民との融和を図りました。続いてセヴァストポリ港(クリミア半島)へのロシア艦隊の駐留期限を延長、これはロシアからのガス代の割引とのバーターでもあったのですが、黒海沿岸に勢力圏を伸ばそうとしていたNATO側からは、ヤヌコヴィチが「親ロシア派」と認定される契機になってしまったとも言えます。

 そして2013年末、ヤヌコヴィチ政権がEU側との協定調印を延伸すると、反政府勢力による大規模なデモが発生しました。当初は平和的であったとも伝えられるところですが、これにアメリカのヌーランド国務次官補やかつてはネオナチ組織として認定されていた反ロシア派武装勢力も合流、ヤヌコヴィチが煮え切らない態度を続けている間に首都キエフは占拠され、議会も包囲されるに至ります。反政府勢力に政治的な譲渡を提案するも武装解除を拒否されたヤヌコヴィチはキエフを脱出してロシアに亡命、選挙で選ばれた大統領が暴力によって追放される形となってしまいました。

 この「マイダン革命」などと西側諸国から呼ばれるクーデターは、アメリカ政府高官も関与していたことから速やかに欧米諸国からの信任を得てウクライナの新政権がスタートします。ただロシア語を公用語の地位から外し公共の場での使用にも制限を設けるなど、反ロシアを看板に掲げたクーデター政権の正当性に疑義を呈する人はウクライナ国内にこそ多く、とりわけロシア系住民が多数を占める東部・南部ではクーデターの反対者と支持者の間で衝突が相次ぐことになりました。

 東部ハリコフでは抗議者によって一時は州庁舎が占拠されるも、ここは新政権側の治安機関が強く、比較的短期間で鎮圧されてしまいます。一方、南部オデッサでは反クーデター側の市民が新政権側の武装勢力に襲撃され、逃げ込んだ建造物ごと焼き殺されるという事態に至りました。これはロシアからはジェノサイドとも呼ばれ、殺人犯の調査を要求されているところでもあるのですが、ウクライナ政府は沈黙を続けており10年後の今日も深い遺恨を残す結果となっています。

 一方で元よりウクライナからの独立志向の強かったクリミアは地元議会が住民投票を決定、その結果を受けてウクライナ新政府からの離脱を宣言、しかる後にロシアへの編入を要求します。当初はロシア側にも躊躇が見られたものの、ウクライナの元首相で大統領候補でもあったティモシェンコがセヴァストポリ港の租借に関するロシアとの合意を反故にすると豪語するのを聞くに至り、最終的にはクリミアの編入要望を受け入れることになりました。これを我が国では「ロシアによる一方的な併合」と慣例的に呼んでいるわけですが、いくら何でも実態と違いすぎる政治的なフレーズと言わざるを得ません。

 そして最後まで争点化してしまったのがドネツクとルガンスクの2州で、当初は中立派が支配的でありロシアとしても中立派勢力の巻き返しを期待するところがあったのですが、そのリーダーであったヤヌコヴィチが早々に国外脱出してしまった後は体勢を立て直すことが出来ず、クーデター政権に対して何ら有効な手段を打つことが出来ないまま時間が経過してしまいました。こうした中それまでは主流派になりきれなかった親ロシア派が決起、議会を占拠してそれぞれ「ドネツク人民共和国」「ルガンスク人民共和国」の建国を宣言し両州で主導権を握るなど、事態はロシア側の思惑を超えた方向に進みます。

 軍港として確保が必須であったクリミアとは異なり両州の保有はロシア側のメリットに乏しく、両共和国は当初ロシアからも冷淡な扱いを受けていました。しかし両共和国はキエフ政権の差し向ける軍勢を何度となく斥け自力で地盤を固めていきます。そうなるとロシア側も期待外れの中立勢力に見切りを付け、親ロシア派勢力の後ろ盾として振る舞うようになっていくわけです。ただ2022年までロシアの支援はあくまで軍事的な圧力ではなく外交の範囲に止まっていました。ドネツクとルガンスクの住民にインフラや年金を支給してこそいたものの、ロシア軍が直接の介入を始めるまでには8年の月日を要した、この点は認識されるべきでしょう。

 一方、2014年4月には当時のアメリカ副大統領であったジョー・バイデンの息子であるハンター・バイデンがウクライナのエネルギー企業であるブリスマ・ホールディングスの取締役に就任します。しかるにブリスマ・ホールディングスには脱税などの不正疑惑が多々あり、取締役であるハンター・バイデンも当然ながら検察の捜査対象となりました。そこで父ジョー・バイデンはウクライナを訪問して検事総長の罷免を指示、息子ハンターの捜査を終了させます。

 この後アメリカで政権交代が起こるとトランプはウクライナ政府へ秘密裏にバイデン親子の不正の捜査を要請、これが明るみに出たことで逆にトランプが弾劾の対象になったりもしました(世に言う「ウクライナ・ゲート」疑惑)。宗主国として傀儡国家の人事に介入することは当然の権利として問題視されるものではありませんが、それを政敵の追い落としのために利用する、というのはアメリカの倫理としては許されないことであったようです。

 そしてクーデター後のウクライナでは二度の大統領選挙が行われました。2014年は反ロシア強硬派のティモシェンコを、相対的に穏健派と見なされていたポロシェンコが破って当選します。しかし「ナショナリズムに訴えることで内政の失敗から国民の目をそらす」流れは変わっておらず、当選後のポロシェンコは反ロシアに傾倒、ついにはNATO加盟を目指すと憲法で定めるに至りました。一度は停戦合意が結ばれたはずのドネツク・ルガンスクの独立派との内戦も継続するなど、ウクライナ政治は引き続き絶望的な状況であったと言えます。

 そんな状況を国民も危惧したのか、2019年の大統領選挙ではドネツク・ルガンスクとの内戦を終わらせると融和を説いたゼレンスキーが当選を果たしました。ただ、このゼレンスキーもまた当たり前のように「ナショナリズムに訴えることで内政の失敗から国民の目をそらす」路線へ突き進み、今に至ります。2014年も2019年も、いずれの大統領選挙でもウクライナ国民の支持を得たのは反ロシア派なりに穏健に見える方の候補でした。しかしポロシェンコもゼレンスキーも国民の期待を裏切り、ロシアへの憎しみを煽り立てることで支持を繋ぎ止めようとする結果に陥ったわけです。

 2014年のクーデターとドネツク・ルガンスクの独立宣言から8年間、ロシアは「NATO加盟せず中立でいること」「ドネツク・ルガンスクの自治を認めて、恩赦を出すこと」をウクライナに要求し続けてきました。しかるに停戦合意が結ばれてもキエフ政権の両地域への攻撃は止むことがなく、ロシア側の要求は一顧だにされないまま年月だけが過ぎていきます。そして2022年、ドネツク・ルガンスク地域に滞在していた欧米の監視団が退去するとキエフ政権からの攻勢が激化、ここに至ってようやくロシア軍は直接介入を開始、国境を渡ってキエフなど主要都市を包囲します。

 国内主要メディアでは一般に、このロシア軍が国境を越えたタイミングから全てが始まったかのように伝えられているのですが、それは実態としてどうなのでしょうか? 最低でも2014年のクーデターとそれに続く内戦は前史として考慮すべきですし、そもそもクーデターに至るまでのNATOとロシアの勢力争いもまた無視すべきものではないと言えます。また実のところ開戦当初のキエフ包囲の時点では侵攻ではなく「強訴」のごときもの、あくまで交渉に応じることを強要するためのものであったとも解釈できます。

 キエフ包囲の時点ではロシア軍による攻撃も、その後に起こったことから比べれば当初は威嚇レベルのものであり、ウクライナ軍もまた主要都市への接近を許すなど、本格的な戦闘にはまだ距離がありました。そしてトルコの仲介で和平合意案が話し合われると、停戦合意の一環としてロシア軍は包囲を解いてキエフから撤退します。ところがイギリスのジョンソン首相が急遽ウクライナに訪問すると事態は一転、ウクライナ側は和平交渉を拒絶し、西側諸国のメディアでは徹底抗戦論が説かれるようになりました。それを受けてロシア軍は東部地域の制圧を開始、本物の戦争が始まったわけです。

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 これまで4章に分けて、ロシアとウクライナを中心に2022年までの史実を概観してきました。序章で述べたように何事にも現在に至るまでの経緯があるのですが、一方でその背景を意図的に「なかったこと」にしようとしている政府やメディア、大学教員も存在するのが実態と言えます。戦争は決して急に起こったりはしない、少なからぬ段階を追ってエスカレートするものであり、それを止める意思さえあれば必ず回避できるものです。しかし開戦に至るまでの経緯を黙殺することで、あたかも戦争は急に起こるものであり、どうしても逃れることは出来ない、だからアメリカとの関係を密にして軍備を拡張しなければならないと、そうした方向へ世論誘導が行われているのが日本の今ではないでしょうか。

 もし事実に基づいての意見であれば、相違があっても異論として尊重されるべきと言えます。しかし事実ではなく虚構に基づいた主張であったならば、それは異論でも何でもなくプロパガンダに過ぎません。ロシアとウクライナを巡る我が国の報道は事実に基づいているのか、それともアメリカ陣営に都合の良く修正されたものなのかは冷静に見極められる必要があります。ウクライナの全面勝利以外はありえない、停戦に応じることは降伏であり国が滅びると叫ぶ大学教員、平和な日本を謳歌するウクライナ避難民に「勝利!勝利!勝利!」と連呼させるマスメディア、ロシアに勝つまで戦争を続けなければならないのだと、それが我が国の官民双方のスタンスですが……

 前述の通りウクライナの制限された選挙の中でも、2回の大統領選で選ばれたのはいずれも相対的には穏健派と見なされる方でした。日本の主要メディア報道を見ると、あたかもウクライナ人が自ら戦争の継続を望んでいる、勝つまで戦うと決意しているかのように見えてしまいます。故に我々は軍事支援を続けなければならない、と。しかし戦場から遠く離れた日本でメディアの取材を受けるウクライナ人と、現地で自国の政府から自由を奪われているウクライナ人とでは考えていることも違うわけです。我々が尊重しようとしているのは本当にウクライナ人の意思なのか、あるいはゼレンスキーの背後にいる誰かの意思なのか、そこは問われるべきものがあります。

 

おまけ(未来の話)はこちら

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