不安と欠乏に苦しめられながらも休むと死ぬという強迫観念で新鮮な創作ではなく、ないところから無理に絞り出して創作したのだ。それで李箱文学賞を受賞するようになったという電話を受けた日の朝8時頃に、僕を捕らえたものは喜びではなく、強烈な絶筆への欲求だった。内面から突き上がってくる厳しい叫び声は僕の作家生活の1時期が終わったことを、そうして新しい時期を準備するために直ちに筆を断てという叱責に他ならなかった。空っぽにしろ、いっぱいにしろ、そうしてもう一度始めろ。<o:p></o:p>
1999年から2008年まで僕は10年間作家として出直すために充電の生活をおくった。僕の絶筆について誰にも説明せず、欠乏と出直しに集中した。無知のまま残っていた分野について勉強をして、文学と自分との関係を再整理し、作家としての自分の存在に対しても新たな認識に至った。しかし10年の歳月を耐えるということは決してたやすいことではなかった。それで意欲に溢れる自我を眠らせるためにカメラを一つ肩にかけ山へ島へ海へと狂ったように歩き回った。そのすべての過程が僕には余すところなく生まれ変わる過程になった。<o:p></o:p>
若い日の僕は文学が僕のすべてだと信じた。それが僕の宗教だと信じ、それが僕の救いだと信じた。作家になった後でも長い間その考えに変化はなかった。死ぬ覚悟で懸命に文だけを書き、文を通して心の問題すべてを解決すべきだと思っていた歳月が流れた。その歳月を通していくつか悟ったことがあった。僕から抜け出して独立した存在になった作家の肩書と僕の小説が世間に与える影響や、また世間から与えられる評価など、世間との間の様々な交流や関係に気が付き始めたのだ。<o:p></o:p>
小説は一人で始めて一人で終わらせなければならない苦しいマラソンだ。その過程で作家は人間と人生に対して探究し苦心する。この世のすべての小説がそれを扱うのだ。人間と人生を扱わない小説はない。それを扱わなければ小説ではなく、それがなければ初めから小説にはならない。それが小説の特徴であると同時にこの世のすべての分野とコミュニケーションできる通路である。作家の意識がこれぐらいにまでなっていれば自分を虜にしていた狭い自我から抜け出さないわけがない。文学に対して持っていた盲信と過度な情熱が恥ずかしくなり始めるのだ。それで毎日酒を飲んで恥ずかしいな、恥ずかしいなと生きてきた日々を反芻するようになる。<o:p></o:p>
今では僕は文学が僕の人生の全部だと考えない。文学は人間と人生を探る1本の鍬にすぎない。それは道具であり手段であってそれ自体が絶対的な価値ではないのだ。文学に対する信仰心で使い果たした数多くの不眠の夜、文学に対する過度の情熱で行った数多くの論争、文学の名で作り出した数多くの免罪符が今は古ぼけた雑誌の表紙のように擦り減ってしまった。しかしこんな代償を支払わなければ、今こんな言葉も口にすることができないのだ。捨てなければならないことを通して人間は学ぶ存在ではないのか。<o:p></o:p>
僕は今では小説に追われていない。若い時代にはそれに追われて戦いながら生きていた。<o:p></o:p>