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中村メイコさん

『毎日グラフ』1957年6月9日号 昨年末に中村メイコさんが亡くなった。その 追悼番組 の「徹子の部屋」を見た。 メイコさんの話はいつも面白いので好きだ。2歳から子役をしており、実体験より先に演技でしてしまうので、初めてのことがなんか二度目のような感じで新鮮味がないとぼやいていた。また、2歳から芸能界にいるのでほとんど一緒に仕事をしているので、その知人が亡くなると葬儀に出かけるので、マスコミからよく取材をうけて、コメント場面がワイドショーなどで流れる。最近はテレビの仕事をあまりしていないからテレビに顔が出るのはそういうインタビューばかりで「葬式女優」と言われる…など。家内に聞いたところによると、メイコさんはスゴく話が上手(感情表現、声の抑揚、間のとり方)なので、子供を寝かしつけようと子供たちに怖い話をすると本当に怖くて眠れなくなったそうだ。わたしも聞いてみたかった。 戦時中は慰問に目隠しをされて南方の島に母親と一緒に小さい子のタレントとしていったそうだ。その時は軍歌も知らないし、普通の子供の生活をしていなかったので童謡も知らない。特攻隊員の前で自分の持ち歌?を歌ったそうだ。 長じた後に、なぜ小さな子供の自分が慰問に招かれのか聞いたところ、特攻隊員は、虚無になっていて、流行歌やおいしいもの、きれいな女優さんにも反応しない。小さな子供だと、この小さな子供の未来の為に日本の国土、故郷を護ろうと士気が上がると聞かされた。メイコさんはもちろん当時はそんなことは知らずに一所懸命に舞台に立って自分ができることをしていただけだったと涙ながらに語っていたのが印象的だった。 そういう時代で厳しい現実があった。徹子さんもその方々のお陰様で今の日本があることを忘れてはいけないと涙ながらに語っていた。往時の方々の命をかけた戦いに敬意と感謝を忘れてはいけない。 中村メイコさんのご冥福をお祈りいたします。