若いではなく 諾 意外に思うかもしれないが、漢和辞典で「若」を調べると、巫女、神意に従う、諾という意味が語られる。若(わか)い、若=弱(ジャク)というのは、「国語」のようだ。 「若」の字義は、象形。髪をふり乱し、両手を前にさし出した巫女(みこ)の形にかたどり、のち、口(お告げ)が加えられた。神託を受けた者、転じて、かみ(神)、「したがう」の意を表し、借りて、助字に用いる。出典『角川新字源 改訂新版』(KADOKAWA) さらに、若は若い巫女が両手をかざし、歌舞してエクスタシーの状態に入り、神意を承ける意。神の応諾するところを諾という。甲骨文に若を諾の意に用いる。応諾はいずれも神意を問い、確かめる行為をいう。〔礼記、玉藻〕に「父命じて呼ぶときは、唯して諾せず」とあり唯という返事は速やかにして恭、諾は緩やかにして慢。すべて逆らわずに意のままに従うことを「唯々諾々」という。 出典『字通』(平凡社) 草冠は髪の毛を表し、右は手と口( : さい )を示す。巫女さんが髪を振り乱して神託を得る形象のようだ。その神託には「諾」しかない。疑いは死を意味する。 神功皇后の神託を疑い 崩御された仲哀天皇 『古事記』によると息長帯日売命(おきながたらしひめのみこと:神功皇后)が神がかったとき、天皇は琴を弾き建内宿禰(たけしうちのすくね)は神の言葉を受けた。皇后は西海の宝の国(新羅のこと)を授けるという神託を告げた。 しかし天皇はこれを疑い琴を弾くのをやめてしまった。神はとても怒り天皇へ死を宣告した。 建内宿禰は恐れおののき琴を弾き続けるように奏上した。 天皇は渋々従った(那摩那摩邇( なまなまに )琴を弾いた)ものの、そのうちに琴の音が聞こえなくなった。灯りをつけると天皇は崩御していた。 急遽、穴門豊浦宮で殯(もがり)が行われた。『日本書紀』では密かに行われたものであるが『古事記』によると大祓(おおはらえ)という大々的なものだった。( Wikipedia ) 神意には、只、「諾」従うのみ。