カラ兄を読み始めようかと思う。
読了するのにいかほどかかるだろうか。
こういった読むのに気合いを必要としそうな小説などはおっくうになっちゃうんだよね。そう、これは先入観ですよ。兎に角読むことだよ、と。
某DVDのダンスは良かった。ただのフリークがノリで踊るのとは違って、やっぱりある程度訓練を受けたプロは見応えがあるねえ。
センター試験でいいよ。
センターだったら高卒レベルだもんな。センターじゃなくて中学生のうける模試でもいいよ。
勉強しなくてもそれなりにはとれるだろうし。
もちろん一般的な学力がなくても優れた人はいるから、重要視するべきではないかもしれないけど、
その代わりその議員には立法については期待はできない。
社会100点だけど、理科10点とか、そういう人に投票するかどうかは有権者がきめればいい。
相変わらずやりたいほうだいな人いるな。
教育について熱心に語ってたマック 赤坂。なんか意味がわからない。
http://www.senkyo.janjan.jp/bin/candidate/profile/profile.php?id=144009
検索してたら、こんなのがあった。
JANJANなかなかやるね。
何かに依存するのが怖い、と言いながら
自分は何かに依存しなければ生きていけない人間だ、とも言っているように見える。
依存しなくても生きていけるようになれば
依存することが怖くなくなるんじゃないかなぁ
母親を亡くした友人と二人きりで帰る事になった。
二人きりだから、自分がなんか、面白い話しないとって思って、沈黙が流れちゃだめだって思って、必死になっていろいろ考えた。そんで自分がポカした馬鹿話とか、そういうの必死に思い出してずっとペラペラ喋ってた。それでも途中でふっとネタがつきちゃって、慌ててなんでもいいからお笑い話を!って思って、口をついてでてきた話が、うちの母親とのバカ話だった。うちのおかんがこんなことやっちゃってさ、的な。言った瞬間に気付いて、しまった!と思った。でも、かといって、「ゴメンね、お母さんなくなったのに、こんな話して」的な事をいうのも、それはそれで逆によくないのではないか?言うべきなのか?いやでも……ど、どうしよう……
結局、その話は早々に切り上げ、違う話をした。
彼女は表面上は何も傷ついた様子もなかったけど、でもそんなのどうだかわからない。
どうすればよかったのか、ぐじゃぐじゃ考えながら家に帰った。なんだかごめんなさいと世界中に謝りたい気持ちになった。そんな高校生のワンシーン。今ふと思い出した。
めちゃめちゃできるよ。
向こうは生活必需品は安く手に入れようと思えばいくらでも安く手に入るから、生活費がそもそも掛からない。
アメリカの小説とかで「まだ月初なのに今月残り5ドルしかない。」みたいな記述をよく見るけれどあれはマジ。800ドルなんていったら大金だよ。
100ドル札を持ってるだけで偽札じゃないかってじっくり鑑定されるんだぜ?
あと、信用の生活だから一ヶ月分は金がほとんどなくてもなんとかなる。
税金を納めるのも各自なので最悪なんとでもなる。
(というか日本みたいに天引きな国って他にあるのかな?)
ついでに基本貧乏人は住宅をルームメイトとシェアするので住宅費もそもそもあまり必要ない。
一人で一軒屋借りても知れてる額だよ。
http://anond.hatelabo.jp/20070722231000
アメリカはそんなに賃金高かった?
ま、金払ってるだけマトモかな。
学校やめさせて
仕事やめさせて
布教させて
宗教の方の方が怖いよ。
気をつけたい。
男性はマンション住人で、3階自宅から妻と子ども2人の遺体が見つかった。男性のものとみられる携帯電話には「ご飯が食べていけない」などと記したメールが残されていた事などから、府警は男性が無理心中を図り、飛び降り自殺したとみている。
Σ(゜д゜) ごはんが・・・たべていけない・・・・・・。
なんか、泣けてきた。
泣けてくる。
世界中から飢餓がなくなればいいと思っている。自分が成功したときに報いるのはその方向だと決めている。
だが、日本からその活動をスタートさせる必要があるとは思っていなかった。
くっていけるだろう・・・
くえるだろう・・・
金貸しからの恫喝に屈したのかな。
なんか最近、「大切な人」というのを作れない自分に気付いた。友人でも、仲よい異性でも、なんとなく一線を引いてしまう。それ以上親しくなって、親友になるとか、恋人になるとか、そういう事が出来ない。自分から、そういうことを、意図的に避けている事に気付いた。
「何か」に、依存するのが、おそらく怖いのだ。時たま恋人の事ばかりな人間がいたりするが、そういう人は怖くないのだろうかといつもある種感心して見ている。だって、そんなに大切な相手になってしまったら、その人がいなくなったらどうするのか。そんなに依存していたら、それがなくなったときどうするのか。その人が、実は悪い人だったらどうするのか。そういう事が怖くて、おそらく自分は他と一線を、どうしても引いてしまう。物であっても同じで、何かに執着する、依存する、ということが怖くて仕方が無い。それがなくなったときの事を考えると、そんなことはとてもできない。思想でも同じ。その思想が否定された時自分がどうなるのか怖く、どの思想もいまいち支持しきれず、いまいち信用できない。
結婚なんて一番怖い。生涯ともにする伴侶を選び間違えたらどうすればいいのだ。そう気付いたときには時も金も精神的なものもなにもかもの莫大なダメージが自分を待っている。そんな恐ろしい賭け、できるわけが無い。だからおそらく生涯結婚することは無いだろう。少なくとも、その莫大なダメージというリスクを背負ってまでの、メリットが今のところない。寧ろ、皆、あるというのだろうか?本当に?
基本的に恋というものを信じていないが、反面だからこそ、恋愛作品は好きであったりもする。自分から見れば、それは完全なるファンタジーだからだ。逆に割り切って夢だと思って楽しめる。
マスタースパークと似ている。
逆に、
「欲しい欲しい欲しいそのためには何でもする」
といった感じの煩悩というか執着というかそういうのを追い求める人のほうが、そこそこの成功を手にいれてる気がするぞ。
まぁ根元増田見ると、
最初の段落で「みんな思考停止してるし、まぁ生きるためには実際しょうがないよね」
次の段落で「思考停止するためのツールとしては、歴史より宗教のが優秀かなー。」
って言ってる。
参照:http://anond.hatelabo.jp/20070723011850
で、元増田はそれに対して
「それは思考停止じゃないのか?」
って言い続けてるように私には見える。
(ここでいう思考停止ってのはいわゆるエポケーね。)
いやー、私も元増田の言ってることは間違ってないと思うね。
主客一致問題とかっていう問題でしょ?根元増田のひとつ下のレイヤーだよね。
でも根元増田は、そもそも主客不一致とかを最初から前提にしているのでは?
元増田が気にしてる部分については現象学の本をかじれば載ってると思う。
追記:
下のほうでも本を薦めてる人が居た。
なぜ理不尽というオチになるのか分からない
煮物の制御がしにくくなってしまった
ここで言うゲームってのはPCゲームではなくて家庭用ゲーム機の事を指すわけで、
王者ってことで調子乗ってたPS3が惨敗しているとか、負け組みだった任天堂がWIIでがんばってるってことで語るのもちょっと違う。
いや、違いはないんだけど、じゃ、ゲームってどうなの?って話。
そもそもの始まりはファミコンからまあ、他にもいろいろあったが、まあ、とりあえず家庭用ゲーム機という語り部としてふさわしいのはこいつだ。
当時ファミコンが店頭に並んでいた時代、ゲーム製作は金山堀りとおんなじだった、
ちっともうだつのあがらなかったどうしようもない大学生や専門学校生がはじき出されるように社会に出て、「どうする?俺就職できね、ゲームでも作る?」って具合にはじめることが出来たのが当時のファミコンゲームのソフト会社の製作環境。
マンション借りて、ちょっとした機材そろえて、全く初期投資がほとんどかかんなかった、で見返りはでかい、
制作費300万円くらいの今だったら誰も手をつけないような糞ゲーでも売れた、売れた、もう馬鹿みたいに売れた。
ファミコンソフトってだけでこんな馬鹿な話があるかってぐらい売れたんだから、そりゃ同業他社もどんどん参入してくることになるんだが。
んで、ファミコンソフトがいくらで売られていたか、大体7000千円??多くて10000円越えがふつーだった、もちろんこれは暴君任天堂のロイヤリティーが絡んでいたわけだけど、それでもユーザーはなけなしのお年玉で、いや、そのころは景気がよかったからか、まあ、とにかく売れたんだ、あの糞ゲーも、この糞ゲーも誰もそのソフトの価値がわからなかったし、そもそもゲーム自体ほとんどやったことかったから批評のやり様もない、また、買い比べをするにはいささか高すぎる。
だがそんな地上の楽園のような状態も長くは続かなかった、
そもそも、ゲーム会社とはゲームを作って売る商売である、幾数ヶ月かけてゲームを作り、それを売ってその利益でどうする?
そりゃ、ゲームを作るしかない。じゃまた作った、で、また次だ。
こんな感じで回っているのだから一本売れなかったらどうなる?
アウト・その会社は一気に資金難に陥ることになる。
でその会社の末路はどうなるのか、現在製作中の完成率70%のソフトを売りに出すのである、なぜか?
それしか売るものがないからだ、で完成率70%のソフトが売れるのか?
売れるわけがない、じゃあ次だ、次は45%だが仕方がない、スタッフには申し訳ないが死ぬ気で働いてもらうしかない。
このソフトが売れなければ、我が社は。。。。
会社ってものはそうそう現金を溜め込んでおけるわけもなく、他に事業でもしていない限り資金は次にまわされる、ゲーム会社は作ってはぼろ儲け、また作ってはぼろ儲けの連続だった黎明期と時代がうって変わったことに気づかなかった、そしていきなり訪れる、不作。
ネットゲームなんてなかったころの話だ。
こればっかりは天に雨乞いをしようともどうしようもない、多すぎるソフト会社の山は大量の売れ残りを生み、負債を抱え込んだ企業は次々にその命を絶っていった。
あれだけの作品があったのに、といわれたゲーム会社が1本や2本そこらの不作で潰れる、そんなことがざらにあった。
だが、まだゲーム業界の生命は絶たれていなかった、そのころは新規参入企業は死兵よりもはるかに多かったのである、
それもスーパーファミコンの中期になってくるとちょっと事情が変わってくる、どうやらユーザーは3日間徹夜で作ったようなゲームには見向きもしなくなった、それこそ指一本触れなくなったのだ、ユーザーもゲームの価値がわかってきた、面白いものとそうでないものがあって、面白いものだけ買えばいいと気がついたのだ。
じゃあ、そのころ何が売れていたのか?
開発に数ヶ月、しかも多くのスタッフを抱え、同人サークルではありえないようなクオリティを生み出す集団、すなわち大手ゲーム会社のソフトだった。
その傾向は高まるにつれて大手ゲーム製作会社はその規模をどんどんと拡大していく、そして戦争、その後、PSの時代が来る。
ま、大手ソフト開発会社が何をやっているかといえば結局規模の大きい綱渡りであることには変わりはない。
PSが何をしたのか?成長したソフト会社を味方につけたことが大きい、任天堂封建国家のロイヤリティま、年貢、を廃したのだ、これは多くのソフト会社が飛び乗った、だれもがそれが正しいと考えた、そしてその恩恵はユーザーにも訪れた、だれもが目を疑ったスーパーファミコンより明らかに高性能のソフトが5000円台で買える、そんなあほな、今までのはなんだったんだ?
この値下げは功を奏し、ゲーム業界はPS時代に突入することになる。
制作費がかさむのだ、それこそCGやMOVEが氾濫し、複雑なプログラミングを組み、職人一人がやっていたことを複数のさらに腕のたつ専門家が頭をひねらないと出来ない、とてもおいそれとゲームを作れるような環境ではなくなっていた。
じゃあ、販売価格を、NOだ、単価は上げることが出来ない、一度下がった単価はもはや二度と浮き上がることは無い、そんなことをすれば即あの世行きだ。
会議に会議を重ね、制作期間は長期間にわたり、制作費はかさみ、捨てられたゴミアイデアは山のように積みあがる、ゲーム会社はいつの間にか一流企業になっていて、とても失敗は出来ないからだになっていた、だ、だが、ゲームは、ゲームソフトは。
その寿命をさらに短くしていたのだった、これはゲームの値段が下がったからだ、ユーザーは余ったお金で何本もゲームを買うが新作ゲームではなく中古ソフトだった。一本のゲームが市場に存在する時間は無常にも半年を切っていた。
製作費はかさみ、制作期間は延びる、で、虎の子で出したソフトは3ヶ月の寿命しかない、ファミコン戦国時代を生き残った大手ソフト会社も悲鳴を上げる未曾有の事態が訪れることになった、現場は火を噴き、経営陣は再販業者を鬼の子のように憎み、誰もが天を仰いだ。
ようやく均衡状態になったのは何かが改善されたからではない、何のことはない、ゲーム会社がさらに減っただけのことだった。
そして、PS3、SONYは過ちを犯したのかもしれない、確かにこれ以上の制作費の高騰はソフト製作会社にとって負い目でしかない。
そしてユーザーは前には戻らない、いまさらファミコンなんかやらない、いまさら8ビットのゲームなんかやるわけが無い、ましてや金を払うとは到底思えない、じゃあ、前作より高クオリティなものを?無理だ、不可能だ、そのソフトが不発だったらどうするんだ?いったい我が社はどうすればいいんだ。
今はまだネットゲームとパチンコ・スロットで持っているけど、この先そんな綱渡りがいつまでも続くわけが無いじゃないか。
任天堂が突いてきたのはこの点だった、だったら、ユーザーがやったことのないことをやらせればいい、見たことないものを見せる必要は無い。ユーザーにコントローラー以外のものをもたせろ、CGなんぞどうでもいい、そんなものは犬に食わせるんだ。今までゲームに目を向けなかったものにゲームをやらせろ、それは必ずしもゲームである必要は無い、目の肥えたコアユーザーなど今では害でしかないでは無いか。
ゲームというのは他の業種と違う、安定収入が全く無い(ネトゲは別)、同じものを二度以上作ってはいけない、単発で数打てばというように大量のソフトを出し続けることも出来ない、ブランドほど頼りないものは無い。
一球入魂、これだけだ、今も昔も変わらない、売れ残ったゲームソフトはゴミにしかならない、そのソフトにいくら製作費がかかっていようと、いくら背作者が情熱を注ごうと、コアユーザーがいくら声を張り上げようとも。
もうひとつ、技術革新と共にゲームはあった、1から2に2から3に次世代作を出すごとにユーザーには感動があった、驚きがあった、新鮮さがあった。ユーザーの期待を裏切らなかったのは技術革新が共に寄り添っていたからだ。
だって、最初が0だったんだから当たり前の話だよ。
PS2の中盤になってそれがとまった、ぱったりとやんだ。
技術革新はユーザーに驚きをもたらさなくなった、ある一定以上の複雑さはユーザーの限界を超えた、ある一定以上の高画質はモニターと動体視力の限界を超えた。
この頃のユーザーは0から共に育ったユーザーとは打って変わってもう大分進んだ先からゲームに触れた世代だというのもある、もともと高画質の世界を見てきた世代だ、いまさらMOVEの華麗さに声を上げることは無い。
根っからのコアユーザーは童心に帰りたがった、子供の頃の感動を求めた、だが、その感動は「大人になった今でも、山でカブトムシを見つけて狂喜したい」というような理不尽なものでしかなかった。
その要求にこたえようとした一部のメーカーは幾つかのリメイクを画策し、苦心して過去のヒット作のリメイク版を出した、あほだ。
童心に帰りたいやつに新しく作り変えた物を見せてどうする?
そういう人は考えることすらしないからいいんじゃないの。
欲しいというか、執着だよね。欲しいんだけどなくてもいいやぐらいの感じでないと手に入らない。
とりえを知らぬということはとりえかも知れんぜ
取り柄がひとつもない、ひとつしかないって普通に生きてたらありえない。
アニメ好きなら、アニメ情報を得るため、感動を共有するため、保存するためなんかでPCに強くなっていくでしょ。PCじゃなくても、絵だったり、雑学だったり、歌だったり、いろいろと身に付く。
アニメオタク同士じゃ普通のことでも多くの人からみたら強みだし、当人は気づいてないだけ。他のことでも好きなことがあるなら取り柄はそれなりにあるよ。
活かせるかどうかはしらないけども。