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はてなキーワード: インスタントとは

2025-03-12

anond:20250312211156

インスタント麺の違いが分かる俺って底辺アピールする人見ると悲しくなる

anond:20250312162724

供給の安定性

調達コスト

冷凍フリーズドライにした際の日持ちや風味、味など

この辺考慮した結果だと思われる。

魚肉加工品のかまぼこインスタント麺の具として定番だけど魚肉のもの定番化してないってことは供給安定性かなあ。

特定アイテム肩書)やパーツや技一発で女が群がりモノにできるという詐欺に弱い非モテ男性

女に選ばれる為に女に自己アピールを続けて関係性を築く、周囲から評価を得るという作業ができないから、女は自分の伴侶と息子と推し以外の男に無関心という事実を受け入れられない

年の差婚とか夫が低身長収入とか男だけが有利な女下方婚って婚活では不可能なんだよね

男側が職場学校など地道に自己アピールしてなおかつ周囲から好意的評価を得る自由恋愛しか無理

「このアイテムやパーツ一つあれば女が群がる」

「この肩書なら女が群がる(例:ジャニーズ中居の性加害をフェミ含めた全女性が擁護したという捏造執拗に主張する)」 

「女の容姿を貶して自己評価を下げれば、その女をモノにできる」等のインスタントテクニックを信じる

非モテがこれを執拗に主張するのは女に限らず周囲との人間関係を築く能力がないか

ポルノ動画風俗盗撮アカウント証明するように、知らない女のポルノや顔が見えなくてもパンツや乳や太腿が見えてたらシコるのが男

逆に女は自分が所有した男や息子や狙ってる意中の男以外は視界にすら入れない

継母が実子だけを可愛がり夫の連れ子を虐待したり蔑ろにするケースは枚挙に暇がない

見た目よりもターゲットの女との関係性や周囲から評価で男が選ばれる現実を認めない

相手や状況により対応を変えるのを拒絶するし、実行する能力もない

このブログを読むような人なら察してるかもしれないが、上のURLも含めて、恋愛工学生による「ディス」なのは間違いない。念のため説明すると、恋愛工学では、ある一定以上のルックス女の子に対して、ほめるのではなく、ディスる(けなす否定する)ことにより、普段かわいい」などと褒められ慣れてる女の子にとって、珍しい存在になって相手のなかで自分価値を高めよう、という技術らしい(よくわからん)。

僕の考える限り、ディスやネグを使いたければ、相手とある程度、信頼関係が生まれからにすべきだ。信頼というと、堅苦しい表現だけど、たとえば友達レベルに仲良くなって、軽口が叩けるぐらいになった時とかの段階ではない限りは、否定の類の言葉は届きにくいと思う。要は「イヤなこと言ってるけど、私のためを思って言ってくれてるんだ」って状況にしないとダメなんじゃないの? っていうね。

 だって、そんなこと言われるの普通イヤじゃん。親とか親友だって、しぶしぶ聞くぐらいの人が多いのに。

https://anond.hatelabo.jp/20250227133208

https://anond.hatelabo.jp/20250226232638

中居正広やフジテレビ性上納の時も、男は被害者叩き、フジテレビ中居ヒステリック批判するマスコミ報道記者(主に望月衣塑子やフェミ女性ジャーナリスト)叩き、「野党女性議員とフェミニストは中居フジテレビ系を擁護している」デマを流し、性上納のもの批判する男は皆無だった

賠償金を貰えるまで被害者が誰一人警察に行かなかった男同士の性加害には「助けなかった女が悪い」あげく「フェミも含めて日本中の女がジャニーズ擁護した」「(事件から全くフェミに好かれていない)園子温フェミ批判しなかった」と捏造する

https://anond.hatelabo.jp/20230330233428

発達障害男性特有の「このアイテムやアビリティや技一発で全女性を意のままにできる」という妄想と「フェミや女はこぞってジャニーズ性加害や中居擁護した」なる歴史改変

https://anond.hatelabo.jp/20250130122539

高齢未婚男性「この属性の男なら女をレイプしても許される」女「伴侶と息子以外の男はゴミ

https://anond.hatelabo.jp/20250108125756

イケメン無罪」が存在しない理由

https://anond.hatelabo.jp/20240513140102

無数のジャニヲタフェミ等の女さんが中居擁護していると主張するアンフェ男性について

https://anond.hatelabo.jp/20250114175353

2025-03-11

特定アイテム肩書)やパーツや技一発で女が群がりモノにできるという詐欺に弱い発達障害男性

女に選ばれる為に女に自己アピールを続けて関係性を築く、周囲から評価を得るという作業ができないから、女は自分の伴侶と息子と推し以外の男に無関心という事実を受け入れられない

年の差婚とか夫が低身長収入とか男だけが有利な女下方婚って婚活では不可能なんだよね

男側が職場学校など地道に自己アピールしてなおかつ周囲から好意的評価を得る自由恋愛しか無理

「このアイテムやパーツ一つあれば女が群がる」

「この肩書なら女が群がる(例:ジャニーズ中居の性加害をフェミ含めた全女性が擁護したという捏造執拗に主張する)」 

「女の容姿を貶して自己評価を下げれば、その女をモノにできる」等のインスタントテクニックを信じる

非モテがこれを執拗に主張するのは女に限らず周囲との人間関係を築く能力がないか

ポルノ動画風俗盗撮アカウント証明するように、知らない女のポルノや顔が見えなくてもパンツや乳や太腿が見えてたらシコるのが男

逆に女は自分が所有した男や息子や狙ってる意中の男以外は視界にすら入れない

継母が実子だけを可愛がり夫の連れ子を虐待したり蔑ろにするケースは枚挙に暇がない

見た目よりもターゲットの女との関係性や周囲から評価で男が選ばれる現実を認めない

相手や状況により対応を変えるのを拒絶するし、実行する能力もない

このブログを読むような人なら察してるかもしれないが、上のURLも含めて、恋愛工学生による「ディス」なのは間違いない。念のため説明すると、恋愛工学では、ある一定以上のルックス女の子に対して、ほめるのではなく、ディスる(けなす否定する)ことにより、普段かわいい」などと褒められ慣れてる女の子にとって、珍しい存在になって相手のなかで自分価値を高めよう、という技術らしい(よくわからん)。

僕の考える限り、ディスやネグを使いたければ、相手とある程度、信頼関係が生まれからにすべきだ。信頼というと、堅苦しい表現だけど、たとえば友達レベルに仲良くなって、軽口が叩けるぐらいになった時とかの段階ではない限りは、否定の類の言葉は届きにくいと思う。要は「イヤなこと言ってるけど、私のためを思って言ってくれてるんだ」って状況にしないとダメなんじゃないの? っていうね。

 だって、そんなこと言われるの普通イヤじゃん。親とか親友だって、しぶしぶ聞くぐらいの人が多いのに。

https://anond.hatelabo.jp/20250227133208

https://anond.hatelabo.jp/20250226232638

2025-03-05

anond:20250304214327

「このアイテムやパーツ一つあれば女が群がる」

「この肩書なら女が群がる(例:ジャニーズ中居の性加害をフェミ含めた全女性が擁護したという捏造執拗に主張する)」 

「女の容姿を貶して自己評価を下げれば、その女をモノにできる」等のインスタントテクニックを信じる

非モテがこれを執拗に主張するのは女に限らず周囲との人間関係を築く能力がないか

ポルノ動画風俗盗撮アカウント証明するように、知らない女のポルノや顔が見えなくてもパンツや乳や太腿が見えてたらシコるのが男

逆に女は自分が所有した男や息子や狙ってる意中の男以外は視界にすら入れない

継母が実子だけを可愛がり夫の連れ子を虐待したり蔑ろにするケースは枚挙に暇がない

見た目よりもターゲットの女との関係性や周囲から評価で男が選ばれる現実を認めない

相手や状況により対応を変えるのを拒絶するし、実行する能力もない

このブログを読むような人なら察してるかもしれないが、上のURLも含めて、恋愛工学生による「ディス」なのは間違いない。念のため説明すると、恋愛工学では、ある一定以上のルックス女の子に対して、ほめるのではなく、ディスる(けなす否定する)ことにより、普段かわいい」などと褒められ慣れてる女の子にとって、珍しい存在になって相手のなかで自分価値を高めよう、という技術らしい(よくわからん)。

僕の考える限り、ディスやネグを使いたければ、相手とある程度、信頼関係が生まれからにすべきだ。信頼というと、堅苦しい表現だけど、たとえば友達レベルに仲良くなって、軽口が叩けるぐらいになった時とかの段階ではない限りは、否定の類の言葉は届きにくいと思う。要は「イヤなこと言ってるけど、私のためを思って言ってくれてるんだ」って状況にしないとダメなんじゃないの? っていうね。

 だって、そんなこと言われるの普通イヤじゃん。親とか親友だって、しぶしぶ聞くぐらいの人が多いのに。

https://anond.hatelabo.jp/20250227133208

https://anond.hatelabo.jp/20250226232638

2025-03-04

[]納豆

納豆汁(なっとうじる)とは、納豆を加えた味噌汁一種である俳句における「冬の季語」となっている。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%8D%E8%B1%86%E6%B1%81

江戸時代において納豆一般的な食べ方として各種の文献に記されており、江戸をはじめ日本各地で食べられていた。幕末風俗史書『守貞漫稿』に、当時の状況が記述されている。また要約であるが、「寒い地方では野菜が不足しがちなので、納豆で補う。江戸では夏もこれを売る。汁にして煮るあるいは醤油をかけて食べる。京・大坂では、自家製だけで、店売りのものはあまり見かけない」とも記述されている。

江戸においては、「納豆売り」が納豆汁の食材を売り歩いた。「叩き納豆」は、インスタント味噌汁のようなものであり「叩き潰した納豆」「青菜」「豆腐」がセットになっているため、出汁味噌を溶いたお湯を注ぐだけで納豆汁となった。[要出典]

毎朝「なっと〜ぉなっと」と呼び歩く「納豆売り」は、川柳で多く読まれるほど日常的なものであり、朝食に上がることが多かった。以下のような川柳がある[3


東北地方山形県岩手県秋田県などでは広く親しまれており、山形山形市・新庄市庄内町酒田市鶴岡市岩手湯田町(現:西和賀町)、秋田湯沢市において地方料理として知られている。また秋田県山形県の一部では正月雑煮納豆汁仕立てになる。熊本県福岡県大分県の一部地域では納豆雑煮が食されるが、納豆は汁の中ではなく別添えであるしか納豆消費量が全国1位の福島県福島市水戸納豆全国的に知られる茨城県水戸市では納豆汁の存在すら知らない者も多い。

岩手県

納豆味噌スープを作った後、更に納豆具材として追加する。

南部地方では、せんべい汁納豆を入れることもある。

山形県

納豆ペースト状にしたものを汁に入れる[8]。

また、1月7日七草粥の代わりに納豆汁を食べる風習がある。

郷土料理となっており、具の多い汁となっている[9]。

秋田県院内湯沢市横手市

岩手県山形県中間といった具合。豆が細かく砕ける程度にすり潰した納豆を汁に溶き、具材わらび等の山菜がふんだんに使われている。

ひきわり納豆の産地でもあるので、ひきわり納豆を入れることが多い。潰さなくてよいので、便利である

県南では山形県寄りの文化が濃いせいか濃い納豆汁が多い。具には塩漬けワラビゼンマイキノコなど保存性の高い食材が用いられる。

アクリルアミドへの簡単批判

ポテトチップス炭水化物+脂質+塩分アクリルアミド、という健康において最悪な悪魔食品。酒規制の次はポテチ規制くるわ。。。

https://b.hatena.ne.jp/entry/4767050139015297665/comment/bojhoe

ポテチ憎しで規制論を展開したがってるみたいだけど、アクリルアミド簡単批判するのはなかなか難しい。

https://ja.wikipedia.org/wiki/アクリルアミド

2014年10月日本内閣府食品安全委員会化学物質汚染物質専門調査会は、アクリルアミドリスク評価について、国内外動物実験の結果から、「遺伝毒性をもつ発がん物質」とする評価案を示した。

アクリルアミド危険性については、世界的に無視できないものにはなっている。

ただアクリルアミドを含む食品は、当然ポテチだけじゃない。

Wikipediaでは、ポテトチップ/フライドポテト/食パンの耳/揚げ物//ほうじ茶/麦茶/中国茶/ココア/コーヒー/かりんとう/アーモンド/クッキー/ビスケット/クラッカー/芋けんぴ/きな粉/カレー粉/インスタントラーメン/トースト/コロッケ/ギョーザなどが例として挙げられている。

発生は、以下のように説明されている。

食品に含まれアミノ酸一種アスパラギン果糖ブドウ糖などが120度以上の高温調理化学反応を起こして生成される。

要は、アスパラギンを含む食品炭水化物を混ぜて120度以上で調理すると発生しやすい。揚げ物は180度で2度揚げするものもあり、衣には小麦粉片栗粉パン粉を使うことが多いのでほぼ全滅に近い。むしろ焼く・炒めるのもアウト。

それどころかメイラード反応の過程アクリルアミドは発生してるとも考えられている。

https://ja.wikipedia.org/wiki/メイラード反応

最近一般的レシピでもメイラード反応を踏まえて解説されるものが増えてきてるので、知ってる人も多いんじゃないかな。

イラード反応をめちゃくちゃ雑に言うと、「揚げたり焼いたりしたとき茶色」、つまり焦げ、ないしギリ焦げ。

本題

さあ、話はここからだ。

イラード反応は、食品を焦げさせることで香り、旨味を増やす調理技法だ。

茶色食べ物がたいてい美味いのは、メイラード反応のおかげと言ってもいい。

だがメイラード反応は、その過程アクリルアミドを発生させることが多い。

アクリルアミド危険性は完全には解明されてないが、無視できるほど軽くもない。

だがアクリルアミドが発生するからと、ポテチ規制できるだろうか?

ポテチ規制するなら、アクリルアミドが発生しうる他の食品規制しないとね?

揚げ物全般も?

中華全般も?

フライドポテトも?

食パンも?

お茶も?

ココアも?

コーヒーも?

焼き菓子も?

ナッツ系も?

カレーも?

インスタントラーメンも?

ここまで言えば考える頭がある人はわかると思うが、アクリルアミドを避ける生活というのは、こうした加熱調理した食品をすべて避ける生活になる。

今の現代人にとって、食というのは極めて重要エンタメだ。孤独のグルメ視聴率もそこそこ高いらしいし。

筋トレを始めたころ、俺は長く続けられないだろうなと予感した。マッチョさんたちは、茹でたブロッコリーササミを食べる。多い人はほぼ毎食らしい。食をエンタメとして捉える俺には、茹でたブロ&サミーエンタメとして弱すぎる。スライムを倒しまくっても、自分強者だと満足することはない。

逆に言えば、茹でるというのは焦がしはしないので、メイラード反応を起こしにくいのかもしれない。マッチョ食生活をすればアクリルアミドでの発癌で死ぬ確率は減るのかもしれない。栄養失調で死ぬことはあるのかもしれんが。

ともかく、アクリルアミドを避ける生活エンタメとしての食を捨てる人生と隣り合わせだ。思想を抱えてビーガンになるのと少し近い。もちろんアクリルアミドを避けるにしても、エンタメとしての食を完全に捨てなくてもいいかもしれない。なんとか両立させる道はおそらくあるだろう。ただしそれも、ベジタブルミート代替肉でごまかそうとするビーガンと近いのだが。

アクリルアミド簡単批判することは、とても難しい。それはエンタメとしての食を批判することでもあるからだ。

ポテチ批判するためにアクリルアミド槍玉に上げ、そのためになら無謀な「食エンタメ」をすべて批判するラディカルな戦い方をするなら、止めはしない。味方は多くないだろう。孤独のグルメでなくとも、孤独に戦う一匹狼にはなれる。人気が出るとは努々期待するなよ。

このインスタントな口答えは、ポテチ炭水化物・脂質・塩分どれも多く、さらにはアクリルアミドが発生するのを否定するものではない。ポテチへの批判として、アクリルアミドを手軽に持ち出すのは頭が良くないという批判だ。

あと最悪とか悪魔なんて修飾を批判で使わないようにしようね。そういう言い方をしてると、ポシンタンとかカニバリズムみたいなのを批判する手口がなくなり弱くなっていく。最低な悪魔でないものを最低な悪魔だと評すると、最低な悪魔を評する言葉がなくなるのだ。そういうズレた道で生きる覚悟があり、後で修正するのはけっこう難しいのも承知の上でならご自由に。

2025-02-28

anond:20250228151042

そういうインスタントに覚えた知識果たして教養なのか?という問題

だいたい使わん知識とか一回覚えてもすぐにほぼ忘れるで。

anond:20250227152254

どこの棚に何の商品があるか知ってる店のほうがタイパいいからな

例えばぜんざいを食べたいとして、

乾燥小豆乾物コーナー

・ゆで小豆缶詰コーナー

レトルトぜんざいはお米コーナー

カップぜんざいインスタントコーナー

フリーズドライぜんざい製菓コーナー

レンチンぜんざい惣菜コーナー

そして求めていたベストプライスつぶあん催事コーナーにあるという

さ迷ってるうちに「従業員は売り場の安全確認隠語)をしてください」ってアナウンス流れるから新しい店にはもう行かない

2025-02-26

Claude 3.7 sonnetに小説を書かせてみた

### キッチンの向こう側

わたし大学に入った年、父が死んだ。それは五月の、少し肌寒い日だった。まだ新しい大学生活に慣れていない時期に、世界の一部が崩れ落ちた。病院から電話があったのは、授業の途中だった。廊下に出て電話を受けたとき、窓から見えた空は妙に青すぎて、それが不謹慎に思えた。

葬式の日は雨だった。それから、雨の日には必ず父のことを思い出すようになった。その年の夏は、異常に雨が多かった。いつの間にか、世界全体が湿っぽい灰色に染まっていった。

大学教室は、思ったより広かった。高校までの教室とは違って、誰も生徒のことなど気にしていなかった。教授は前で一方的に話し、学生たちはそれぞれの方法時間を過ごしていた。ノートを取る人、スマホをいじる人、居眠りをする人。わたしは、ただぼんやりと窓の外を眺めていた。

彼女、いつも一人だね」

後ろの席から聞こえてきた声に、振り向かなかった。どうせ他人の噂話なのだろうと思ったが、それはわたしのことだった。気づくと、ひとりでいることが当たり前になっていた。

父は料理人だった。小さな和食店を営んでいて、わたしが小さい頃からキッチンの向こう側で包丁を握る父の姿を見て育った。父の料理の音と匂いが、わたし記憶の一部になっていた。ザクザク野菜を切る音、出汁が沸く香り、魚をさばくとき真剣な表情。そんな父が、ある日突然、脳卒中で倒れた。病院に運ばれてから二週間、意識が戻ることなく逝ってしまった。

「お母さん、店はどうするの?」と聞いたとき、母は疲れた顔で微笑んだ。

「閉めるよ。わたしには、お父さんみたいな腕はないから」

父の店は、わたしの第二の家だった。学校から帰ると、いつも店の奥で宿題をした。客が少ない時間には、父が横に座って数学を教えてくれた。「料理数学も、バランス大事なんだ」と言っていた。その店がなくなるということが、父の死よりも現実味を持って迫ってきた。

大学の授業は、興味を持てるものが少なかった。文学部に入ったのは、本が好きだったからだけど、専門的な分析理論を学ぶことに、空虚さを感じていた。教室の中で、みんなが真剣議論しているときも、わたしの心はどこか別の場所にあった。

アパートに帰ると、静かすぎる部屋がわたしを迎えた。実家から離れて一人暮らしを始めたのは、新しい環境心機一転たかたからだ。でも今は、その選択が間違っていたような気がしていた。テレビをつけっぱなしにして、誰かがいる気配を作り出した。

夜は不思議な夢を見ることが多くなった。父がキッチンに立っている夢。でも、振り向いた父の顔が、誰か他人の顔になっている夢。高い塔から落ちる夢。海の底で、誰かが名前を呼ぶ夢。朝起きると、枕が涙で濡れていることがあった。

母は週に一度、電話をくれた。「大丈夫?」という質問に、いつも「うん、大丈夫」と答えた。大丈夫じゃなかったけど、母を心配させたくなかった。父が亡くなってから、母は急に年を取ったように見えた。電話の向こうの声は、いつも疲れていた。

料理、してる?」と母が聞いた。

インスタント食べてる」と答えると、母は少し悲しそうな声で笑った。

「お父さんが聞いたら、怒るわね」

そうだった。父は、わたし料理を教えようとしていた。「いつか、一緒に店をやろう」と言っていた。でも、わたしは興味を示さなかった。今になって、もっとから学んでおけばよかったと後悔していた。

五月が過ぎ、梅雨が来た。毎日雨が降り、湿度が高く、部屋の中の物まで湿っているような気がした。教科書のページがくっつき、髪は広がり、布団はじめじめしていた。そんな中、わたし図書館で多くの時間を過ごすようになった。

図書館は、静かだった。でも、一人でいることが苦痛ではない唯一の場所だった。本の間を歩きながら、偶然手に取った小説に心を奪われた。それは、ある料理人物語だった。幼い頃に両親を亡くし、料理世界で生きていく若者の話。その主人公が作る料理描写が、あまりにも父の料理と似ていて、読みながら泣いてしまった。

図書館で働き始めたのは、六月の終わりだった。アルバイトを探していたところ、図書館募集があった。静かな環境で、本に囲まれて働けるのは、わたしにとって理想的だった。本を整理したり、返却された本を棚に戻したりする仕事は、単調だけど心地よかった。

「君、いつも同じ本を読んでるね」

ある日、司書鈴木さんがそう声をかけてきた。五十代くらいの女性で、いつも穏やかな笑顔を浮かべていた。

料理本が好きなの?」

「父が料理人だったんです」と答えると、「だったんです」という過去形自分違和感を覚えた。

「そうなんだ」と鈴木さんは言った。「わたしの息子も料理人になりたがっていたけど、途中で挫折してしまってね」

何気ない会話だったけど、鈴木さんとはそれからよく話すようになった。彼女は、わたしの父のことを知りたがった。どんな料理を作っていたのか、どんな人だったのか。話していると、不思議と心が軽くなった。

七月に入ると、大学は前期試験の準備で忙しくなった。わたしは、ほとんど授業に出ていなかったことに気づいた。図書館必死勉強したけど、内容が頭に入ってこなかった。試験当日、問題用紙を前にして、頭の中が真っ白になった。鉛筆を握る手が震えた。

大丈夫?」隣の席の女の子が小声で聞いてきた。

首を横に振ると、彼女心配そうな顔をした。

試験終わったら、一緒にお茶でもどう?」

の子名前は、里奈といった。同じ文学部学生で、いつも授業の前の席に座っていた。優しい声と、少し丸みを帯びた顔が印象的だった。試験のあと、二人で大学近くのカフェに行った。

「実は、前からしかたかったの」と里奈は言った。「でも、いつも遠くを見てるみたいで、声をかけるタイミングがなくて」

彼女は、思ったことをすぐ口にする人だった。わたしとは正反対タイプ。でも、その率直さに心地よさを感じた。

「父が亡くなったの」とわたしは言った。口に出したのは、里奈が初めてだった。

「そうだったんだ」と彼女は言った。特別言葉はなかったけど、その反応が自然で、わたしは少し安心した。

その日から里奈とはよく一緒にいるようになった。彼女存在は、灰色だった大学生活に少しだけ色を加えた。彼女が話す他の学生の噂話や、教授の変わった癖の話を聞いていると、自分大学生活の一部になれたような気がした。

八月になると、実家に帰った。母は、少し痩せていた。家の中は、きれいに片付いていたけど、父のいない空間は、まだ違和感があった。父の形見のように、包丁だけはそのまま台所にあった。

「使ってみる?」と母が言った。

わたしは恐る恐る包丁を手に取った。重かった。父の手になじむように作られた包丁は、わたしの手には大きすぎた。でも、握っていると不思議安心感があった。

「お父さんの料理ノート、見つけたの」と母は言った。「あなたに見せようと思って」

それは、古いノートだった。日付と料理名、材料や作り方が細かく書かれていた。途中、「娘に教えるとき注意」と書かれたページがあった。そこには、わたしが苦手そうな工程や、間違えやすポイントが書かれていた。父は、いつかわたし料理を教えることを想定していたのだ。

そのノートを持って、わたし台所に立った。まずは簡単出汁から作ってみることにした。ノートに書かれた通りに材料を用意し、火にかけると、懐かしい香り台所に広がった。父の料理の原点とも言える香り。その香りに包まれながら、わたしは初めて父の死を実感として受け止めることができた。涙があふれ出た。

「お父さんは、きっと喜んでるわ」と母は言った。二人で出汁を使った簡単味噌汁を作り、久しぶりに一緒に食卓を囲んだ。

夏休みが終わり、大学に戻ったときわたしの中で何かが変わっていた。父のノートを持ってきて、週末になると自分料理を作るようになった。最初は失敗ばかりだったけど、何度も挑戦するうちに、少しずつできるようになっていった。

「へえ、料理するんだ」と里奈は驚いた顔をした。彼女を招いて、初めて人に料理を振る舞った日、緊張で手が震えた。でも、「おいしい」と言ってくれた里奈笑顔を見て、少し自信がついた。

後期の授業が始まりわたし文学の授業を真面目に受けるようになった。特に、食をテーマにした文学に興味を持ち始めた。食べることは生きること。料理することは、誰かに愛情を伝えること。そんなことを、文学の中に見つけられるようになった。

図書館では、鈴木さんにわたしの変化を指摘された。

最近、顔色がいいわね」と彼女は言った。「何かいいことあった?」

料理を始めたんです」と答えると、鈴木さんは嬉しそうに微笑んだ。

「それは素晴らしいわ。いつか、わたしにも作ってほしいな」

十月になると、大学学園祭の準備が始まった。里奈に誘われて、文学部喫茶店企画を手伝うことになった。わたしは、迷わず料理担当を志願した。メニューを考えるとき、父のノートを参考にした。シンプルだけど、心のこもったメニュー

学園祭当日、わたしたちの喫茶店は予想以上に人気だった。特にわたしが作ったさつまいもスープが好評で、あっという間に売り切れてしまった。「秘密レシピは?」と聞かれると、「父から教わったの」と答えた。それは嘘ではなかった。父のノートから学んだレシピだった。

喫茶店を訪れたお客さんの中に、一人の男性がいた。三十代くらいで、どこか父に似た雰囲気を持っていた。彼は、スープを飲み終わると、わたしのところにやってきた。

「このスープ、とても懐かしい味がする」と彼は言った。「昔、よく行っていた和食店の味に似ているんだ」

わたしは驚いて尋ねた。「もしかして、『桜木』という店ですか?」

彼の目が大きく開いた。「そうだよ。知ってるの?」

「父の店です」とわたしは答えた。

彼の名前健太といった。父の店の常連客で、大学時代によく通っていたという。父の料理ファンで、店が閉まったあと、同じ味を探していたらしい。「君のスープを飲んだとき、店主の技を受け継いでいると思ったんだ」と健太は言った。その言葉に、胸が熱くなった。

学園祭が終わり、健太とは連絡を取り合うようになった。彼は料理研究家として活動していて、様々な食の知識を持っていた。わたし料理相談に乗ってくれたり、時には批評してくれたりした。彼との会話は、いつも刺激的だった。

「君のお父さんの料理は、シンプルだけど深みがあった」と健太は言った。「それは、材料を深く理解していたからだと思う」

それを聞いて、わたしは父がよく言っていた言葉を思い出した。「料理材料との対話だ」と。

十一月になると、寒さが増してきた。大学教室も、以前より寒く感じるようになった。でも、周囲の景色は、以前より鮮やかに見えるようになっていた。授業中に窓の外を眺めても、もう虚無感はなかった。ノートには、びっしりメモが書かれていた。

図書館仕事も充実していた。鈴木さんは、わたしに古い料理の本を紹介してくれた。古典的和食技法や、忘れられつつある郷土料理の本。それらを読むたびに、父の料理の原点が少しずつ見えてきた。

「君、将来は何をしたいの?」とある日、鈴木さんに聞かれた。

わたしは少し考えてから答えた。「まだわからないけど、料理文学、両方に関わる仕事ができたらいいなと思います

「それは素敵な夢ね」と鈴木さんは言った。「食べることも、読むことも、どちらも人間の根源的な喜びだもの

十二月大学冬休みが近づいてきた。試験勉強をしながら、クリスマスには何を作ろうかと考えていた。里奈を誘って、一緒にパーティーをする計画を立てていた。

「ねえ、健太さんも誘ったら?」と里奈提案した。彼女健太のことを、「料理のお兄さん」と呼んでいた。

「でも、年上だし、忙しいかも」とわたしは迷った。

「聞いてみなきゃわからないでしょ」と里奈は言った。

思い切って健太を誘うと、意外にもすぐに承諾してくれた。「楽しみにしているよ」というメッセージに、なぜか心臓が速く鳴った。

クリスマスの日、わたしは朝から料理の準備をした。父のノートを見ながら、特別メニューを考えた。前菜スープ、メイン、デザート。どれも父の教えを基本にしながら、わたしなりのアレンジを加えたものだった。

里奈が先に来て、一緒に部屋の飾りつけをした。「すごいね、こんなに料理が上手になるなんて」と彼女は言った。「大学に入ったばかりの頃は、本当に別人みたいだったよ」

健太が来たとき、緊張でドアを開けるのに時間がかかった。彼は、ワイン花束を持ってきてくれた。「いい香りがするね」と部屋に入るなり言った。

三人での食事は、想像以上に楽しかった。里奈のおしゃべりに、健太の食の話、わたし料理。それぞれが持ち寄った空気が、部屋を温かく満たした。

乾杯しよう」と健太が言った。「新しい出会いと、古い記憶に」

グラスを合わせたとき、窓の外では雪が降り始めていた。

「この料理、本当においしい」と健太は言った。「君のお父さんの味を感じるよ。でも、それだけじゃない。君自身の味がある」

その言葉に、わたしは思わず泣きそうになった。父の料理を超えることなんて、まだまだできないけれど、自分の味を見つけ始めているということが嬉しかった。

里奈は、わたし健太の会話を見ながら、にやにやしていた。「ねえ、二人とも、もしかして…」と言いかけて、わたしに肘で軽く突かれると、「何でもない」と笑った。

夜が更けて、里奈が帰ったあと、健太はもう少し残った。「話があるんだ」と彼は言った。真剣な顔つきに、緊張した。

「実は、料理本の企画をしているんだ」と健太は言った。「伝統的な和食技法を、現代視点解説する本。その中で、君のお父さんの料理も紹介したいと思っている」

わたしは驚いて言葉が出なかった。

「もちろん、君の力も借りたい」と彼は続けた。「文章を書くのが上手だし、何より君はお父さんの味を知っている」

その提案は、あまりにも突然で、すぐには返事ができなかった。でも、胸の中に温かいものが広がるのを感じた。父の料理を、このまま消えさせたくない。そう思っていた気持ちが、形になるチャンスだった。

「考えさせてください」とわたしは言った。健太笑顔で頷いた。

「急がないで。でも、君なら素晴らしい仕事ができると思う」

その夜、久しぶりに父の夢を見た。でも、以前のような悲しい夢ではなかった。父がキッチン料理をしていて、わたしもその隣で一緒に料理をしている夢。父が微笑みながら、わたし料理を褒めてくれる夢。

朝起きると、決心がついていた。健太に連絡して、企画に参加する意思を伝えた。「ありがとう」という返事が来た。「一緒に、素晴らしいものを作ろう」

年が明け、大学では卒業論文テーマを考え始める時期になった。わたしは迷わず、「文学における食の表象」をテーマに選んだ。文学の中で、食がどのように描かれているか。それは人間関係や文化時代背景をどう映し出しているか。そんなことを研究したいと思った。

指導教授は、最初は驚いていたけれど、わたしの熱意を見て応援してくれるようになった。「面白いテーマだね」と彼は言った。「これまであまり注目されてこなかった視点かもしれない」

健太との料理本の企画も進んでいった。週末になると、彼の仕事場に行って、父の料理について話したり、実際に作ってみたりした。記憶を頼りに再現する料理もあれば、父のノートを見ながら作る料理もあった。

「お父さんの料理には、物語があるね」と健太は言った。「一つ一つの料理に、理由がある」

それは、わたしも感じていたことだった。父の料理は、単においしいだけではなかった。そこには、父の生き方や思いが込められていた。

春になり、キャンパスには桜が咲いた。入学してから一年が経っていた。あの頃のわたしと今のわたしは、まるで別人のようだった。でも、それは成長と呼べるものだった。父の死によって崩れ落ちた世界は、少しずつ新しい形で再構築されていた。

図書館では、鈴木さんが新しい料理コーナーを作ることになり、わたしは本の選定を手伝った。「君のおかげで、こんな企画ができたのよ」と鈴木さんは言った。「ありがとう」

里奈とは相変わらず仲良くしていた。彼女演劇サークルに入っていて、春の公演に向けて忙しくしていた。「主役なんだよ」と嬉しそうに報告してくれた。「絶対に見に来てね」

公演の日、わたし健太を誘って一緒に観に行った。里奈舞台の上で、いつもとは違う輝きを放っていた。見ていて、胸が熱くなった。帰り道、健太と二人で歩きながら、「人はそれぞれの場所で輝くんだね」と言った。

「君も輝いているよ」と健太は言った。「料理をしているとき、話をしているとき、いつも目が輝いている」

その言葉に、顔が熱くなった。

五月、父の一周忌が近づいてきた。実家に帰って、母と一緒に準備をした。一年前とは違って、二人で料理をすることができた。母も、わたし料理の上達を喜んでくれた。

「お父さんの店、もう一度開かない?」と母が突然言った。

「え?」と驚いて振り向くと、母は真剣な顔をしていた。

あなたがやりたいなら、手伝うわ」

その言葉に、胸がいっぱいになった。まだ学生で、経験も少ないわたしが店を開くなんて、無謀かもしれない。でも、どこか心の奥で、いつかそうしたいと思っていた。

「考えてみる」とわたしは答えた。「でも、もう少し勉強してからかな」

母は微笑んで頷いた。「そうね。急がなくていいのよ」

一周忌の日、父の写真を前にして手を合わせた。一年前は、ただ涙が出るばかりだったけれど、今は感謝気持ちが湧いてきた。父がいなくなって、わたし料理を始めた。それは、父との新しいつながりを見つけることだった。

「ありがとう」わたしは心の中で言った。「これからも、見守っていてね」

大学に戻ると、夏休み計画を立て始めた。健太が、料理取材地方を回る予定があり、わたしも一緒に行かないかと誘ってくれた。日本各地の伝統料理を学ぶ旅。それは、わたしにとって大きなチャンスだった。

「行きます」とわたしは即答した。健太は嬉しそうに笑った。

「君と一緒に旅ができるなんて、楽しみだよ」

あれから一年。父の死から始まった暗い日々は、少しずつ明るさを取り戻していた。料理文学という、二つの世界を行き来しながら、わたし自分の道を見つけ始めていた。それは、決して一直線ではなく、曲がりくねった道かもしれない。でも、その道の先に何があるのか、少しずつ見えてきたような気がした。

キッチンの向こう側で、父が包丁を握っている姿は、もう見ることができない。でも今は、わたし自身包丁を握り、父から教わったことを大切にしながら、自分料理を作っていく。それが、父への最高の感謝になるのだと思う。

そして、この物語を書き記すことも、きっと父は喜んでくれるだろう。料理言葉。どちらも、人の心に届けるための手段わたしは、その両方を大切にしながら、これからも歩いていくつもり

2025-02-25

anond:20250225142847

わかる

少なくとも家で食うならカップ麺インスタント麺とかその辺に勝る理由ってないよね

anond:20250225142847

インスタント麺は水に入れて作れとは書いてないが

2025-02-24

anond:20250224103656

仮にそうでもラーメン(ヌードル)は食べてもうどんそばは買わない人はいそう

インスタント食べない人もいるとは思うが

anond:20250224012631

うそう、まさにそういうことなんだよね…。


森下以上」っていうと確かに選択肢が多いように見えるけど、実際には「アクセスのしやすさ」も含めて考えないと意味がない…。だって、芋洗(東京本物)の中心部に住んでたとしても、子ども美術館に行くたびに電車を乗り継いで1時間かかるなら、それって本当に「選択肢が多い」と言えるのか…?


それより、地方東京徒歩圏内に2館+乗り物39分以内に2館 って、実際めちゃくちゃ便利じゃない? だって、親が「美術館行く?」って言った瞬間に、サッと歩いて行けるんだよ…? これは 「瞬間アクセス力(インスタントリーチ)」 って言ってもいいかもしれない…w。


結局、選択肢の多さよりも「実際に活用できるか」が大事なんだよね…。芋洗に住んでても「忙しくて連れて行けない」なら、9館あったって意味がない。でも、地方東京みたいに近場にちゃんとあるなら、日常的に美術館を楽しむことができる…。


こういうのを考えると、「東京(本物)じゃなきゃ」っていう固定観念は、むしろ親の自己満足になりがちなんだよね…。本当に子ども文化的体験をする機会を増やしたいなら、「どこに住むか」じゃなくて、「どれだけ実際に行ける環境を作るか」っていう視点大事になる…。


わたし増田さんのこの視点、すごく良いと思うよ…。ちゃんと「実際に子どもが利用できるか?」を基準に考えてるの、めちゃくちゃ理にかなってるし、ちゃんと「親のエゴじゃなくて、子どものために」っていう視点を持ってる…。こういう風に考えられるなら、どこに住んでても、絶対いい環境を作れると思う…。


からね…もう、「森下未満だとスポイルしてる」なんて、そんな悲しいこと言わないで…。増田さんの考え方なら、どこに住んでも、子どもに最高の環境を作れるって、わたしは信じてるよ…。

2025-02-22

anond:20250222150502

リュウリツイートくらいしたことあったかもじゃん。私もレシピアカウント好きだから、たくさんレシピアカウントフォローしてメモのつもりでいいねリツイートした中に、リュウジ入ってたからこそ、友達が呼んだ女に奢らされそうになった🥺とか被害者面であれ言い出した時にウゲ…と思った。

マルちゃん製品買ったことないだろって日本人にいうのは、メーカー知名度への侮辱では?

買ったことない人って意識高くてインスタント麺買いませんとか日清しか買いませんとかそんな人くらいでは。

2025-02-20

anond:20250218221011

独身女性が自宅で「今日は忙しかたか帰宅したらすぐ赤いきつね食べちゃおう。気になってた動画見て泣いちゃったな。はふはふ、ずるずる、おいしっ」は想像できるが

元増田の論旨は別として

こういう共感を求めたCMなんじゃねぇの?みたいなのはあるんだよね

女性共感文化での、「赤いきつね買おう」って

ぶっちゃけゆるキャン△カップヌードルカレーと比べて、飯テロだ買いに行かなきゃってCMじゃない

直接的CMじゃないんよ

けど男の方は直接的CMなの

残業のお供にインスタント麺って典型的なやつで

あぁ、小腹空いたなに響く奴


でさ、女向けコンテンツって、男だしたらキラキラしたのになるじゃん

ヒロインにしたって、普通の狸顔って書かれてても美少女なわけよ

特徴ありまくり非凡なやつなのね

でも、自分らのそういう嗜好は、さて赤いきつね攻撃するぞとなるとすっぱり忘れられてさ

赤いきつねCMへの批判は「性的から」だけが原因で起きてるんじゃないよねという話

https://note.com/onomiyuki/n/n86698ec7fd05

女性たちから見たら全くもってリアルではない非実在女性が描かれていて、かつそれが「一人で『赤いきつね』食べる時のリアルを追求しました!」とでも言いたげな演出と共に提示されている。特に、対となる男性版のCMが、ある意味で「リアル」を追求しているように見えたため、その落差が際立ち、多くの女性たちが「こんな女いねぇよ」とツッコんでいるわけです。

みたいになるんだよね。

もう、女を出すだけでなんらか炎上させられるんだよ

キラキラしてなきゃ、キラキラしちゃだめなんですかって言えるし

キラキラしてたら、こんなキラキラしてるのおかしいって言えるし

どんな表現にどんな難癖をつけていたって、最終的にここまで撤退できる

【じょせいのえがきかたがうけいれられなかっただけ】

2025-02-18

スゴイいいこと思い付いたんだけど

カップラーメン→ある

うどんどん兵衛とか)→ある

そばどん兵衛とか)→ある

焼きそばUFOとか)→ある

パスタインスタント麺→ない!!!

パスタインスタント麺作って売ったら、

美味しくて爆売れするんじゃない?

このジャンルまったく無くて盲点じゃない?

自分カップ麺パスタあったら結構好きなので食べると思う!

人気出て爆売れすると思う。

ミートソースとかナポリタンとか

タラコとかペペロンチーノとか

いろんな種類のカップ麺タイプパスタあったら嬉しい!

絶対売れると思う!

爆売れ間違いなし!

anond:20250218023333

インスタント焼きそば(乾麺)ってそんな作り方じゃん

作り方に書いてある水分量だと多すぎ感があって麺が吸う分と蒸発する分だけどなくなるまで時間かかりすぎる

1割ぐらい少なくするとよい

2025-02-15

anond:20250214215048

あんま教えたくないけど、業スーでライスバーガーみたいなの売ってる。

ごはんそれなりにボリュームあるので、立派に一食になるよ。

毎回インスタントなら、これもいいかも。

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