はてなキーワード: マウンテンバイクとは
今日の日経にヤマハの社員の人が副業でマウンテンバイク用の山道を運営する会社の経営をしていることが載っていた。
とてもすごいことだと思う。
マウンテンバイクでの走行は地元の方やハイカーの方などとトラブルが起こることも多く、なかなか素直に楽しいとだけ言ってられない面がある趣味だ。
同様にロードバイクにおいても、ただ自分たちが楽しんでいればそれでいいとだけ言ってられない状況は続いている。
いっときのブームの頃のように極端な自転車の台数は(今の時期は特に)走ってはいない。
とはいえ大昔に比べればずっと多い台数が走っている。
なかには、というには少なくない数の人たちが自分本位のマナー無視の走り方をしていることが多い。
「タイムトライアルの名所」などと呼んで
ものすごい勢いで全力で持って自転車の集団が走り回ることも多い。
そのような状況を見るにつれ、そろそろロードバイク専用の自転車道のようなものも整備する時期が来ているのかもしれない、と思う事が多い。
そういった「スペシャルステージ」と「普通の道」とのメリハリが作ることが出来れば、自転車走行のマナーの啓蒙をしやすくなるのではないだろうか?
チャリ乗りたくなってきた。高校以来乗ってない。同級生が乗ってたGIANTのやつ欲しかったな。
前はロードバイクだのクロスバイクだのシュッとしてて、側溝にひっかけそうで見てるだけでなんか不安になるような細さのタイヤ流行ってた。
最近じゃ逆にぶっといタイヤのゴツいやつが流行ってるけど、あれもかっこいい。モペットみたいな見た目の電動チャリもいいね。どれもバカ高いけど。
こち亀で中川のチャリの値段聞いた両さんが、エンジンもない癖にバイクより高いってキレてたけどまさにそんな気持ちだ。電動はともかく。
流行ってるとは言いつつ、目立つだけで実際に買って乗ってる人はそんなにいないのかもしれない。
エシカルコンシャスネスにうるさいファッションの世界でも、サステナブルなチャリこそが現代のスマートでイケてる乗り物だぜ!的なムーブがあるっぽい。
環境への配慮とかっこよさは全く別の話だと思うし、おれはバイクの方がかっこいいと思うけど、でもまあチャリにはチャリの良さもある。
GTAとか洋画に出てくるチャリってなんか妙にかっこいい。そこらを走るママチャリと何かが違うんだよなと思っていたけど、カゴの有無がデカいっぽい。ママチャリもカゴ外せば結構かっこいいよなって思う。カゴとは別に、鉄パイプ曲げた背もたれがついてるやつは「ザ・アメリカのチャリ」って感じであれもかっこいい。
チャリのオタクには叩かれてるらしいけど、やっすいルック車でも買ってしまおうか。あの手の価格帯じゃ最近流行りの感じのはないけど、ここは昔の憧れを追ってシュッとしたやつに乗ってみようかな。BMXとかマウンテンバイクなんかもかっこいい。性能はなくとも見た目だけで十分。
うーん、大人向けの自転車教室というと交通ルールの話がほとんどだと思う。
子供向けとか、マウンテンバイク教室みたいなところなら操作も教えてくれるんじゃないかな。
まずまっすぐ走れてる? ロープ2本で狭い道を作ってはみ出ないで走る練習を。目線を遠くに、ハンドルに力を入れずに。慣れたら道を細くしていく。
漕ぎながらと、漕がずにやるのと両方。漕がないときはペダルの高さを左右で揃える(どっちが前でもいいからやりやすいほうで)。
> 段差を斜めに乗り越えようとしたら
斜めに乗り越えずまっすぐ入る習慣を。
並行して前輪を好きなタイミングで上げるための練習をしてもいい。あらかじめ少し前のめりに乗っておいて、前輪を上げたいところでいっきにお尻をサドルの後ろに落として前輪から抜重する。
段差を越えるまでは漕がずに惰性で。漕ぎながらだとタイミングがずれやすい。
ブレーキを掛け始めるところと停止するところ、2箇所に目印を置いて、なるべく一定の減速をしつつ止まる練習。基本は左右のレバーを同時だけど、右手だけ、左手だけもやってみて。
減速中はペダルの高さを左右で揃えて、車体が完全に停止してから足をつくようにする。
慣れてきたらスピードを上げたり目印の間隔を狭くしてみる。
がんばって!
ミヒェルーッス
あと大昔の横綱が風邪で亡くなったことから風邪の日、ジャマイカ産コーヒーが日本に大量出荷された日だからジャマイカブルーマウンテンコーヒーの日、一休さんからクイズの日、とんちの日、そして宵戎となっております。
そういえば去年の四月から成人年齢が18歳になって今年から18歳の人の成人式が行われるようですね。
なんか近所のヤンチャな子達が晴れ着を着ていて「ちょっと前までマウンテンバイクに乗って走り回ってたろうに、もうそんな年齢になったのか」と思ってしまいました。
身内でもないのにね。
成人したからといって料金が高くなるとかエッチなお店に堂々と入れる以上のことは言えません。
それを体験する時にどんな所作をするのかが大事なんだと思います。
ということで本日は【規格の確認よいか】でいきたいと思います。
昔久々に読んだらマウンテンバイク編やってた
ママチャリでもロードでもマウンテンバイクでも、速さの計算は一緒。
ロードとかの早い自転車は、減速要因(摩擦(重さ、接地面)や空気抵抗)を減らしているに過ぎない。
簡単に言うと、速歩き(1秒3歩=1秒1.5回転)程度の回転数さえ維持できれば、ママチャリだろうと時速30kmで走り続けられるということです。
スーパーのはしごで体動かしてたのが、出産で骨盤臓器が下垂して長時間歩けなくなり、数年経ったのに円座クッションがないと尾てい骨も痛むようになった。
室内で意図的に運動しなきゃいけないけど私は物凄く運動が嫌いだ。学校でいじめにあった記憶でやってても不快感が強い。女性に虐められたから女性が怖くて嫌いで、そういう人たちがやってそうな運動という行為にも嫌悪感が激しく湧く。運動しながら運動できるあいつらが正しくて私はいじめられて当然だったのって怒りや自己嫌悪でぐちゃぐちゃになる。全然運動しても自己肯定感なんて湧かない。拒絶反応と言わんばかりに運動が嫌だ。学校行かなきゃよかったな。
マウンテンバイクのようなものも考えたけどマウンテンバイクしながら見たい映像作品もやりたいゲームもない。フィットボクシングは体験版一日だけで腹圧が掛かって痛むので続きそうになく挫折。リングフィットもだんだんミニゲームのハードルが上がってから心が折れた。ストーリーがないモードもじわじわ負荷が蓄積されるし本当に運動だけだからどんどん辛くなってくる。
https://twitter.com/moekofukuda/status/1441221813334200320?s=20
いっけん爽やかなツイートなんだけどさぁ
まず、写真に写ってるシューズに、ペダルとシューズを一体化させるクリートが付いてない。この状態では一緒に写っている自転車に乗れねぇよ。乗れないこともないけどペダルと靴は滑って「泥だらけで森の中で遊ぶ」どころではない。本当にこのシューズでこの日乗ったの?そもそもここでツイートされてるVelosambaは山で森で遊ぶためのデザインにはなってない。あくまで使用される領域は街乗り、シティライド、通勤/通学なんだが。ソールはツルツルで土の上をグリップさせるようなデザインではない。
だいたいあなた以前のツイートで「自転車はいつもフラぺです」とかいってSPD使わない宣言してたじゃん。手のひらクルーがすぎるぜ。
なるほどこれがステマってやつか。。。
ステマについては既に広告業界でガイドラインが出てる。このケースは明確にNGだと思うわ。
しかし雑ですね。釣り針がでかすぎます。街乗り用スニーカーをマウンテンバイクで使うというステマするとか…こんな雑なステマをされてアディダスジャパンはむしろ被害者なのでは?
ヤマカシなあ
パルクールやってる知人がいたけど、自分はこういうので死にたくないなあと思ってしまって無理だなあ
そういえばYouTubeでいろは坂みたいな車道をスケボーですごいスピードで下っていく動画とか、
どこの国だか忘れたけど、深夜に市街地の長い坂になってる車道を何人かでスケボーで下っていく動画とか、
動画眺めてる分には面白いんだけど、対抗車線にクルマ来て避けられなかったら即死だよなあ、
あと、長い坂になってる込み入った街の中をマウンテンバイクでダウンヒルする映像とかも面白いよなあ
ブラジルの坂にできた広大なスラム街みたいな場所を、家の中に突っ込んだり、窓ぶち破ったり、露天商の布の屋根の上に着地したり、みたいな、
そんな映画みたいな映像はジャッキーみたいでもあるし、観てる分には楽しいんだけど…
上述のパルクールやってる知人は数学とかプログラミングに優れているのだけど、
やっぱりどっかぶっ飛んでるところがあって、運が悪ければ長生きしない可能性もあるけど、
そういうところがどこかにないと無理だよなあ
ちなみに、今の所はご存命だし、俺より社会的に成功してるし、リッチな生活を送ってるみたいだけど
仕事クビになって落ち込んでるワイを気分転換にタイに連れていくと親に言われてついていった
泊まったホテルはル・メリディアンホテルっていう日本人も働いてて日本語対応もしてるホテルで割といいホテルだった
無料飲料水は4本冷蔵庫に入っていて景色はまぁ遠くまで見れるけど近くに寺院が見えてそこを眺めるのはよかったが日本と比べてしまえば人混みとか車の混みはすごかった
夜も屋台がホテルの前にあってデカい魚を提供してる店もあった通り過ぎるときに良いにおいしてたけどお腹壊すからダメといわれ食べることはできなかった
公園には野良猫がめっちゃいて人を嫌わない子が多かった近寄っても何よって感じなくらいで触っても仕方ないわね撫でるくらいは許してあげるわっていうくらいおとなしい
たまに腹天したまま寝てて陽がまぶしいのか前足で目元を隠してたりそれがずれて敬礼(´ーωー`)ゞって感じで寝てる猫もいた、かわいかったその猫は撫でても反応ないしがちで寝てたんだと思う
一部のトカゲはタイ人から朝ご飯の残りをもらったらしいのか焼き魚をのんびり食べてたそれは和むんだけど食べるのが遅いのか蝿がめっちゃたかってたのはちょっと残念だった
ただコロナ前だからなのか外国人が多く見られたスプリンクラーでテンション上がってる白人の中年のおっさんがいまでも印象に残ってる
ランニングする人、マウンテンバイクとかロードレースの自転車を乗って走ってる人さまざまだった
白人の家族がミズオオトカゲのしっぽを上に持ち上げわーわーしてたのは正直苛立った、トカゲにもここでおとなしくする権利はあるんやが?お前らいい年してなにしとんのじゃトカゲ可哀想すぎるわって思いながらも英語だめだから何もできないのが悔しかった
時間的になのかタイ人のおっちゃんたちは上半身裸でごろ寝してた、たまに腹の上に乗って一緒に昼寝してる野良猫?もいたそれは和んだ
自分がヒキコモリみたいなもんで遠くまで歩けないのもあるからタイの3割くらいはルンピニ公園で過ごしてた(多分また書く)
日曜日にはウィークエンドマーケットにも行ったその時足にまめができてあるくのきつかったのにどんどん置いてくので急ぎでいって余計にまめがデカくなった記憶がある
水が結構安かったスーパーで売ってるのが5~7バーツだったけどウィークエンドマーケットは2バーツだった一応ちゃんとペットボトルも相手ないし氷水で冷やしてたから暑い場所だったからなのかおいしく感じた。
そこではアロマグッズとスカーフを買った、本当はもっと買いたかったがお金を両替しなかったせいで買い物ができなかった
女友達にアロマと石鹸をあげたがクビになった時に一緒に入ったこにも渡そうと思ったがひどい裏切りをされたと知ってそいつにはぜってぇやらねぇってなって今でもアロマグッズは埃かぶって転がっている
むしろクビになった原因がその女だったのは一生恨む勢いまぁそれは置いといて
石鹸はジャスミンだったりいろいろ変わり種がいいといわれてマンゴーやスターフルーツの形をした石鹸を渡した
匂いはほんとそれに近い香料が付いていて甘かった
石鹸は2日目に行ったアジアンティークザリバーなんたらってとこで買った
そこは夜に開かれるお店のある場所で本当に観光客向けの店がいっぱいあった
ここでヤードムというメントールを嗅ぐだけのと商品と石鹸を買った
帰ってからヤードムの匂いがくせになってもっと買えばよかったとめっちゃ後悔してるくらいには人を選ぶがオススメしたい
そこで夕飯として空芯菜炒めとラーメン、マンゴーのかき氷を食べた
ラーメンは八角がきつくてちょっとクセのあるラーメンで好みのわかれる味だった
空芯菜炒めはニンニクと小さめの唐辛子がゴロゴロ入っていたけれど味は日本人でも絶対好き!!という味付けだった観光地だからってのもあるけど空芯菜炒めはオススメしたい
youtubeでも空芯菜炒めお勧めする人が多いくらいにはマジでうまい
家に帰ってから作ってもあの味だけはできないからまたタイに行くのならもう一回空芯菜炒めを食べたい
ちなみにタバコを吸う場所がないせいで喫煙者はちょっとつらいかもしれないが
店の裏でタバコを吸ってるタイ人にタバコ一本あげて仲良くなれば吸えるのはちょっと楽しかったよ
言葉わからないけど大体ウェーイって感じで楽しかった言葉なんて関係ないってこういうことなんやろなって
あと商業施設にいろいろ行ったんだけど中国加油っていう看板が多かった。コロナが流行り始めたころだったけど死者がいっぱい出てきはじめてたのとタイの観光客の7割は中国人で爆買いしてたのもあったからって言うのを聞いた
まぁそこらへん優先するのは仕方ないけどちょっとって複雑にはなっていた
コロナがここまで広がると思ってなかったから余計にそういう気持ちだったんだと思う
でも正直楽しかった
日本大使館に行ったときタイ人が警備員してたんだが荷物検査しなきゃいけないのに日本人でしょ?見せようとしてるってことはやましいものないんでしょ入っていいよって言われたのは大丈夫なのか?っていう心配はあったけど
楽しかった。
でも心残りが一つある
ホテルの前の屋台のデカい魚あれめっちゃいい匂いで美味そうだったのが食えなかったのが悔やまれる今度行く機会があったら絶対食べたい
ほんとはいっぱいまだ書くことあるけど長い読みにくいのを書いたところでだろうし
いやまぁ見せるためにって言うよりもふと思いだしたのを残したくなったってだけだしかいちゃえばいいんだろうけど
気が向いたらまだまだ書きたいことを書いていこうと思う
もちろん正確には人間だったんだけど、なにせガタイがよく、振る舞いもゴリラのようだったので、生徒たちには「北ゴリ」と呼ばれて親しまれていた。
北ゴリは草履を履いて生活し、機嫌がいいといつのものか分からない昭和歌謡を歌い、毎日マウンテンバイクで隣県の家から学校に訪れては、日が暮れるまで体当たりで子どもの相手をした。すべてが風変わりなゴリラだった。
北ゴリの授業は自由だった。彼はゴリラらしく、われわれ小ザルにもわかる作法で勉強を教えてくれた。
算数で体積を習った日の宿題は、いっぱいに張った風呂に頭まで浸かって、減った湯の深さから自分の体積を計算するというものだった。
比率の授業には、醤油と酢と油を持ってきて、一番おいしいドレッシングの比率を計らされた。
円周率を初めて知る日には、コンパスで引いた円に沿って糸をなるべく正確に張りつける遊びをして、その糸の長さがほとんど円周の計算通りだったことにびっくりした。
音の伝わる速さをはかる実験をやったこともある。その時は学校を出て近くのでっかい原っぱに行って、各班が豆粒に見えるぐらい離れてから、端っこの班が大声を出し、それが聞こえたタイミングでそれぞれの班が手にした箒を振り上げる、という遊びをした。端の班から少しずつタイミングがズレて箒が上がっていくのが不思議で面白かった。
雪が降るのが珍しい地域だったので、大雪の日には授業がなくなってぜんぶ雪合戦になった。
朝刊で「近くの原っぱで珍しいフンコロガシが見つかった」と報道された日も、やっぱり授業がなくなって、みんなでフンコロガシ探しの旅に出た。(誰もフンコロガシを見つけることはできなかったが、変な動物の骨は見つかった)
あとは、「もしも日記」っていう遊びもあった。一度「何でもいいから”もしも”で始まる日記を書いてみろ」と言われて、その日はみんな自由にケーキ屋さんになったり魔法使いになったりした日記を書いたが、そのあと社会の授業で「もしもこの時代に生きていたら、で日記を書いてみろ」と言われた時にはずいぶん頭を悩ませた。その時代に生きていた人や暮らしを知らなければ書きようのないものなので、がんばって想像したり調べたりしないといけなかった。
北ゴリが突飛な授業を始めた時、小ザルだった私は得てしてやれやれ顔でそれに付き合った。でも、今にして思えば結構わくわくしていた向きもあったのかもしれない。20年近く経った今も、こうして授業の内容を詳細に覚えていることがその証拠だ。
北ゴリの授業は学力に直結するものじゃなかったかもしれないが、学ぶことの根源が好奇心にあることを教えてくれた。そのおかげで、大学を出て社会人として生きる今も、面倒なインプットの前にはまず好奇心をくすぐろうとする習慣がついている。
今の時代は、北ゴリのような教師には少し生きづらいものになっているかもしれない。北ゴリのような授業を今やれば方々から懸念の声が来るだろうし、なんなら当時ですらゴリラは度々怒られていた。それでも、この愛すべきゴリラ教師が、ゴリラの志が、絶滅せずにどこかで生き延びていることを願わずにはいられない。
まさか1年近く前のがホットエントリーに入るとは思わなかったので、嬉しくなってブクマとかに反応します。
さすがにアニメ化したような作品はお前らでも知ってるかなということで言及から外してました。
マウンテンバイク編結構楽しく読んでたんだけど、メインのファンからは不評なの?
BEASTARSはなんか凄いね。宇宙クジラみたいなのがでてきたときはびっくりしたけど。
そのあとやってた兄妹もおもしろかったんだけどね。
ふらんよりマーニーとかヘレンとかの綺麗な木々津路線の方が好き。
新横は魔境
こうなると佐藤タカヒロ先生(「バチバチ」シリーズ作者)の急逝が痛かったな(「ドカベン」完結とほぼ同時期)。アレでチャンピオンからは遠ざかったし。
亡くなる作者が多いよね。この雑誌。
佐藤タカヒロ先生はクライマックス中のクライマックスで亡くなるし、佐渡川準先生もなあ。
偶然なんだろうけど若い作家が連載中に亡くなることが続いたのはショックだった。
ゴラクって単行本100巻超え相当のマンガばっかなんだよね連載が。
ビッコミは・・・BLUE GIANTとかまだ普通のマンガあるし・・・。