はてなキーワード: 一本調子とは
S 時代を席巻したカルト的人気を誇る天才的歌手(常に数人存在する)
A 一時的に国内・世界で大人気となった有名歌手(1年に数人は現れる、若い世代では常識)
B 特定界隈では常識的歌手だが国民的とは言えない(この辺で既にライブのチケットは取れない)
ーーー 圧倒的メジャーの壁 ーーー
C 特定界隈で超人気だがまだ世間に発見されていると言えない、あるいは敢えて隠している(マイナー界の頂点)
D 一定人気でファンも多く活動を続けられているが有名とまでは言えない(人気バンド、人気地下アイドル、数百人の箱は簡単に埋まる)
付表6 賃金の改定の決定に当たり最も重視した要素別企業割合の推移
平成21年から回答の選択肢に「親会社又は関連(グループ)会社の改定の動向」「前年度の改定実績」が加わって不連続で、しっかり解釈できそうな期間は比較的短い(例えば20年までの回答の”世間の相場”は21年からは一部「親会社又は関連(グループ)会社の改定の動向」に流れたと思われるなど)
①「労働力の確保」と言う回答の割合が26年から上がり始めたように見える。28年の11.0%をピークに以後9%前後。その前の、21年から25年は3.4〜4.3%で世界金融危機で失業者が多かった傷の深さをうかがわせる。
②「物価の動向」という回答の割合は、平成21年から令和3年まで1度しか1%を超えていない。平成17年から数えても同じである。
令和4年に1.3%を記録、1%を超えたのは、平成26年の1.2%以来、実に19年中2回目、7年ぶりであった。0.0%も2回ある。
いかに物価が関係していなかったか、物価が動かなかったかをうかがわせる。
なお令和5年は7.9%。
セクシー田中さん 原作 until:2023-11-30 - 検索 / X
セクシー田中さんの原作読んでたらドラマ化に関する作者コメントで細かくチェックして直しを入れてもらっていると書いてあったから期待してみたらマジでほぼほぼ原作通りで本当にすごかったしよかった。お忙しい中なんだろうけど本当にありがとうという気持ち— きんにくみん (@mojitoka_kakuwa) November 13, 2023
セクシー田中さんは明日見よう!!原作も全部読んじゃったんだけど、ドラマの作りのうまさに感動する…!— ひふみ (@hifuu123) November 19, 2023
セクシー田中さん見た!原作はそのままに役者が過剰になりすぎずに演じてくれてるからしっかりと受け止められる。そして泣く。特に小西役の前田さんすごすぎません……??こんなのみんな恋に落ちちゃうよ。毎熊さんのダラブッカ演奏も一本調子なリズムと表情が良かったしほんとに最高。今期1好き。— サクラ (@same_to_otenki) November 27, 2023
セクシー田中さん、原作の好きなところ全部ちゃんと入ってて楽しんでるけど、愛子先生役できる俳優さまいる?愛子先生のとこまでやらないのか?てハラハラしてたけど、いた!!!!!!!て気持ち……たのしみ〜〜〜〜— ミナップ (@minap) November 11, 2023
セクシー田中さん、原作ではわりとバラつきあるキャラの出番を原作を変えない程度に話変えたり組み替えたりして、うまく全員が出る仕組みになってる。特に固定ファンが多い壱馬さんの配置も上手い。脚本家誰かと思ったら、ミステリと言う勿れとかさんかく窓の人‼️ああ~納得︎︎— byngc224 (@byNGC224) November 13, 2023
真っ二つに斬られる「首」の一文字が、これからのストーリーへの広がりやこの作品における「首」の意味を観客に意識付ける。
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まず、見終わったあとの感想として、単純に面白い!という感想が残った。映画って、それなりのお金を払うコンテンツとして鑑賞し終わったあとのずっしり心に残る感じとか、教訓があればあるほど価値のあるものと思っていたフシが自分にはあったけれど、この映画はただただエンタメだと思った。2時間弱があっという間だった。
映画コンテンツに対していろいろなバックグラウンドを持たない自分としては「いいエンタメ作品を観た」というのが一番の感想でした。
加瀬亮は最高だったし、いつもの一本調子な演技がいまいち好きになれない西島秀俊の明智光秀も好きでした。
男色は普段あまり触れない分野なので理解はできないけれど、この時代の人を動かすには十分な理由になると自然に納得できた。
なにより、結末を知っている物語なのに飽きずに見られたのは、役者さんがその役をどう演じるかを期待して見ていたからなのかもしれない。
合間の舞や能も興ざめにならず物語を盛り上げていたし、映像もthe映画って感じ。劇場で見るの最高ね。
もう一回みたいと思いました。
日本はAIの学習を行うのに必要不可欠なGPUを十分に調達できていないという記事があった。
https://wirelesswire.jp/2023/08/85203/
一本調子な煽り文体はどうにかならないのかとは思ったのだが、記事に対する反論をネットで一通り読んでみて驚いた。内容が幼稚すぎる。
要するに日本は自国でのAIの研究開発は諦める。そして他国企業が開発したモデルだけを使わせていただくような縛りプレイをこの先もずっと続けていこうじゃないかという意見だ。
「ボクは足し算なんか勉強しなくてもいいんだ。だって隣の花子ちゃんは掛け算や割り算もできるんだから、困ったら答えを聞けばいいんだもん」という頭の悪い小学生の言い訳のような意見だが、困ったことになぜか一定の支持を集めている。
当然のことながらOpenAIのモデルは英語やアメリカの文化圏を中心に学習されているのだから、日本語のプロンプトでは十分に性能を発揮できない。
まして彼らはAIのモデルそのものを外部に提供することは絶対にないだろう。AIを利用するには、彼らが提供するプラットフォームを通して、彼らが決めた利用規約に従い、彼らが定めた利用料を支払い続けるしかない。
App StoreとGoogle Playは合計して日本だけで毎年2兆円以上の売上を稼いでいると言えば、どんな状況か想像できるだろうか?
後追いすればいい
いつから?どうやって?
何百メートルも何キロも突き放されるまで待ってから後追いするのに具体的な勝算があるのだろうか?
今よりも市場が成熟してから二流三流のAIで追走していくのは遥かに困難だろう。
どうせ勝てるわけない
残念なことに、目に付いた批判の中ではこれが一番まともな意見だった。敗者なりに生きる場所を見つけるというのは一つの生存戦略ではあろう。
単に「勝てるわけない」と冷笑することで気分だけでも勝った側に回ろうといういじましい気持ちが透けて見えるコメントも多かったが。
ともあれ、自国が劣後しているという単純な事実を素直に受け入れられず、こうして意味不明な正当化を図ってしまう人間がこれほど多いことには驚きを覚える。
それがかつて実在した児ポサイトのロゴだと5ちゃんねるで話題になっていた。
なるべくリアルなロリ画像を生成したい連中が本物をAI学習に使わないはずないわな。
AI生成画像が問題視されても、AI推進派たちは「実在の児童じゃないから問題ない」の一本調子。
「非実在児童だからイラスト・漫画と同じ」という擁護もよく見る。
本物の児ポ写真と見分けつかない上に、本物の児ポ写真が学習に使われている。
そんな危なっかしいモノの巻き添えでイラスト・漫画まで規制されたくねえから。
「AI学習以前に児ポ写真の所持が違法だろ」って指摘もあるはず。
しかし問題は学習済みのAIモデルが不特定多数に出回っていること。
いったん出回ったAIモデルは追加学習で別のAIモデルとして配布されたりして再現なく拡散していく。
その手のAIモデルをダウンロードして使ってる第三者は児ポそのものを所持してないから合法?
仮に合法だったとして、そんなモノがいつまでも規制されないと思うの?
これはおれも思ったね。
とあるシーンで体がガタガタ震えるほど号泣したけど、あれは現実の被災者に感情移入したからであって、映画のシナリオに感動したわけではないんよね、たぶん。
若い人なんかは泣くどころか、逆にtwitterで無邪気に「めっちゃおもしろかったー!」っていってたりするくらいで、311の記憶のない世代にとっては泣ける話ではなく楽しく面白い話なんよね。
秒速や言の葉みたいな短編ならなんとかなるけど、長編になるとことごとく、説明不足になったり、キャラが無駄にが増えてごちゃごちゃしたり、一本調子の単調な話になる。
脚本が合格点だったのは脚本協力つけてた君の名は。だけだよね。
なんで脚本協力つけないんだろうね?
3年ごとに生徒の誰かが正体を隠して小夜子として、文化祭で『小夜子』という一人芝居を演じさせないと学校中が不幸になるという伝説の残る学校
6番目の小夜子の年に、さよこという転校生が現れ、学校が少しずつおかしくなっていくみたいな話
小説もドラマも好きだったけど、あんまり覚えてないなと思って、U-NEXTで検索したら900円で演劇版が見れるということで見てみた
演劇なので、舞台上には演劇部の部室、校庭の石碑、廊下が設置され、その3個の場所のみで話が進んでいく
学校の生徒中から演劇部に『小夜子』を上演しろという圧力がかかっていくのを演劇部の生徒自身の口からきくスケールの小ささは仕方ない気もするけど、なんだかしょぼいなと思ってしまった
一番気になったのは、誰かが一人の時に、豹変した小夜子が現れ、秘密としていることの告げ口をしたり、煽ったりして演劇部内の関係性を悪化させていくシーン
小夜子の口調が一本調子の感情を乗せない感じで、声の高さを低くしたいわゆるドスを利かせた声で長台詞を話す
『極道の妻たち』とゆっくりボイスを混ぜたような感じに聞こえて、怖くもなく不気味でもなく、ただ不快で味気なかった
豹変した小夜子のシーンは何度もあるので、そのたびに他の演出方法はなかったのかな?とか、毎回展開は同じで、登場したら何も解決せず、むしろ問題が悪化していくから逆遠山の金さんって感じだなとか余計なことが頭によぎった
あとやっぱり、役者さんって全員顔がいいから、転校生の小夜子の顔の良さをみんなが褒めちぎるのは、発言しているお前も相当美人だけどなと思い、違和感がぬぐえない
はてなブックマークではほぼ絶賛一色ですが
この作品は
自分の意志と無関係に毒が噴き出てしまってるだけの人間だった」
「老勇者の戦いも実は攻撃や討伐を目的とするものではなかった」
と言うのが大ネタですよね。
そういう建付けならモンスターとのバトルも不要でしょう。余分どころかノイズになってる。
こういうバトルや殺しを見せる必要は全くない。
更には作品全体やメイン二人がまあ優しさや思いやりみたいなことをテーマとしてるのに
別に殺しを描写すること自体が問答無用にダメだ減点だなどと言ってるのではなく
作者がきちんと考えたうえで描写しているとは見えない描写が多い、
そのことが作品の質を落としているという話です。
「戦わない、恐ろしい相手でも理解する、相手のために頑張って互いによいものを得る」
という作品のラインも統一感がなくなり薄っぺらくなるでしょう。
あー作品で描いてることが作者の骨身から出てないんだなとわかってしまう。
ネットのやっすい反応
「はー、いいもん読んだ。」
「泣いた。最高すぎる。映画で見たい。」
「あーー良くて泣いちゃった。すごく好き。」
みたいなのをなるべくたくさん稼いでバズりたいなあという算盤でやってる。
自作品に没頭できない創作者特有の痩せた考え があるだけなんだなと。
またもっと単純な話
ミーリの設定的にもあのバトルはよくないですよね。
「若い頃に苦戦した竜を楽に穴だらけにして一方的に殺せるようになりました」
なんて描写は焦点がブレるでしょう。
魔法研究の余録で攻撃力が上がってるとしてもそれを見せる必要はないんです。
今は戦わずに竜を落ち着かせてするっと通行出来るようになりましたとかなら
ミーリの過ごした時間や身につけたものを言葉を使わずに見せられたというもの。
「ここは何のために竜を殺すの?この描写の狙いちゃんと考えてあるの?」
同じことはもちろん魔王にも言えて
たかが説明の為にその体質使ってトカゲの命を奪うのは引っ掛かります。
殺生しないために数百年同じ場所に留まってる人間の行動として違和感があるし
これから救う対象としてはなんだ結構嫌な奴だなあってなっちゃうでしょう。
もちろんこの時点で嫌な奴なら嫌な奴でもいいし
自暴自棄でワルぶった魔王の振る舞いとして生き物を殺すならいいんですよ。
そこでミーリに
「でもあなたは本当は殺すのが嫌なんでしょう?」
と看破されるとかね。
でもそういう効果とかなんにもなくただ殺してる。
作者の無考えばかり伝わってくるキツい描写はノイジーなんです。
そもそも「不老不死になり毒ガスを撒き続ける」って何のための魔法なんでしょうか?
その魔法を作った者の意図が全く触れられないので魔法がただのご都合装置になってるんです。
ならば魔王から噴き出る呪いを解くには、魔王と人格的に激突しないといけないでしょう。
魔王が「害意を持たず魔法に巻き込まれただけの人」という変化球でいくならば
「不老不死&毒ガス」という魔法がただの作者の都合以上のものであるなら、
その魔法を作った存在の願いなり祈りなり悪意なりがあるはずで、
ミーリがそれと戦ってこそ障害がただの障害装置以上のものになるんです。
なのにそこがなんにもないので
ミーリは努力して技能上げたので魔法を解けたって話になっています。
これはドラマになってないですよね。
作中説明によると
毒ガス耐性のある人間が数十年に一度生まれ、勇者として育成される。
毒ガス散布者である魔王の侵攻を防ぎ、あわよくば魔王を倒して領土奪回するのが任務。
これを何代もやってるっぽい。
たぶんどの勇者も何度も生還して何度も再討伐に向かって果たせず衰えたり死んだりして代変わりだよね?
魔王のとこまでいって茶を飲んで帰って『今回惜しかったっす!』と報告してた」
とか?
魔王が居座る地域が強い隣国の侵攻ルートになって国防に資するとか?
何で誰も「勇者が居てもいなくても同じ」って気付かないのだろうか?
魔王が勇者と八百長してくれるならちょっと王国に近付いたり戻ったりさせて
「毒ガスが近づいてきましたが私が食い止めて押し返しました!」とか出来るけど
そういう描写もないですね。
そもそもミーリがなんでこんなに魔王に惹かれてるのかわからないんですよね。
ミーリが下層出身だとか、国王が畜生でミーリを鉄砲玉みたいに考えてるって設定はまあわかる。
でも救国の英雄でそれなりに技能も鍛えた若き勇者を承認してくれる人くらいこれまでにもたくさんいたはずでしょ。
そこを押し切る為に恋愛にしちゃってるだけ。
フィクションのストーリーでそこに頼ってモチベーション作るのはダメじゃない?
魔王から「魔法の詠唱がきれいだ」「教えることが向いてるかも」って褒められたのに
結局教師になってないからそこの誉め言葉のディテールも無駄になってるし
こういうガバが無数にある。
何故ミーリは一人で研究するのか
目的明かして国立研究団作って進めれば数年で終わったのではないか
あたりまえのように何の説明もない。
そういうのが何もない。
魔王はそりゃ数百年で数人しか女に会ってなくて親身になってくれたら
もっとお互いが特別である理由が惚れた腫れたや歳月の積み重ね以外で作れないとダメじゃないのでしょうか。
それにエイジズムって言われるかもしれないけど
恋愛をモチベーションにしてるのに58歳で達成する話ってなんか変では?
たとえばだけど
魔王との交流で自信もらえたとか八百長で功績つけてもらったとかで
人と向き合えるようになった、社会に迎え入れられるようになった、
こっちの方がいい話じゃない?
数十年ぶりに魔王討伐と言いだして家族に心配されながら旅立って
国王には「実は魔王を倒す魔法を長年研究していました」「最後のご奉公です」と。
それで人のいない毒エリアで不老の魔王に再会して持参の酒でも飲んで
魔王によかったなあと言われて喜び合って。
あなたにも人と触れ合えて誰かと家族作って年取って死ぬ人生を差し上げる
つって
とかでよくない?
ミーリの悲願と研究は隠しておく方が
後半の展開のノベーッと一本調子なところも解消されるし。
わかってる。
消費者の感想でこうしろとかこうしたらとかとかまで言うのはやりすぎだと。
別に何が正解だとか決めたいわけじゃない。
「作者の衝動もなくさしたる中身もなく置きに行っただけの”いい話”」で
「なのに緻密でもなく考えも足りず技巧すら感じられない作りガバガバ」で
「ページ数のわりに情報薄く展開も平板でドラマも驚きもないボンヤリ」で
もっとガチっとした構成やストーリーの作品幾らでもあったような。
この出来のもの読んで
「大好き」「泣いた」「最高すぎる」になるタイプの人めっちゃコスパいいよね。
全くうらやましくないけど。
fukken じゃがトマ警察の亜種かな。。
リアリティや取材の話じゃなくて構成や設定がどうなんですかって話だけど。
「頑張って魔法能力を向上させて意味わからん魔法が解けました」よりは…
余分な描写はむしろたくさんあるって話を結構実例挙げながらしたんだけど。
ミーリはむしろこれだけの中身しかなくて無駄ページ多いと思う。
作画の人大変だったねって感じ。
develtaro 大丈夫なの?は集英社が心配することで審査員のコメントにある「ポテンシャル」がすべて。この賞は完璧な作品を求めているのではなく、将来の原石探しでしょ
2022/06/03 リンク
「まだ粗いけどこいつの熱とかポテンシャルやべえな!」ならいいけど
ミーリの作者はどうもそれの正反対な感じだよね
っていうことを書いたんだけど。
痩せた考え、打算を感じると。
私の眼には「置きに行ってるなあ、もう成果が欲しいだけで描きたいことないんだろなあ」
みたいな印象です。
alice-and-telos ジャンプは作家性を我慢してお約束をキッチリやり切れる人が突き抜ける場所なんじゃないのかなあ。作家性はその内ほっといても滲み出るから、ほっときゃ良いやんと思う。
2022/06/03 リンク
あれにそういう抑えきれない作家性は全く感じないので
studymonster つい最近特に理由もなしにモンスターの討伐をするモンハンが苦手みたいな文章読んだけどどこでだったかな。そういうのが苦手な人もいるだろうね。 2022/06/03 リンク
関係ないけどサカモトの人死にって誰も得しない人死にだよね。
ただの初期設定ミスって感じ。
絵がかっこいい虚無。
cinefuk 不殺もテーマではなく、恋愛も大した描写がない。原案の問題か、膨らます際の問題(原作の解釈違い)か。コミカライズと元のプロット大賞作品を並べてくれれば、読者も切り分けできるかも 漫画 増田 演出
2022/06/03
abczchang 5番目は問題やね(※イケメン)。他は難癖に近いし、6はそもそも恋愛だから評価されたんやで。ジャンプなのにど直球の(中年)女性向け恋愛モノが評価されるんやなぁという意外感はある(まあ意外でもないけど
2022/06/03
この恋愛を恋愛モノとして素敵!って言ってる奴女性読者にもいないでしょ。
作者は男だと思う。
daydollarbotch 漫画読み様はコスパ悪そうで大変だなあ
2022/06/03
漫画に限らないし、残飯食べて満足してれば最高にコスパいいんだよ。
xevra なるほどここまで情熱的に推されては読むしかないな。相当な名作だな
2022/06/03
ボヤボヤボヤーと読んで「最高すぎる!」って言う人と
十年続ければ豚とソクラテスぐらいの差にはなるよね。
これも漫画に限らず。
dirtjapan 増田の言うとおりにしてたら正しい駄作しかできなさそう。
2022/06/03
ミーリは「ガバガバしてて熱もなくおまけに駄作」だと思います。
BLOGatBENJAMIN あれ、なんやかんやあったけど、魔王討伐した(討伐の正解が解呪だった)という話で、感動部分はおまけだと解釈していた。
2022/06/03
であれば解呪がミーリの最後の答えであることやそれが正解であることは
もうちょっと伏せて引っ張った方がよかったよね。
hisawooo ここは嫌いなものを語っていいインターネットですか?イケメン魔王にまほ嫁の気配を感じてしまい駄目だった。
2022/06/03
まほ嫁がわからないので無念。
話それるけど
人間に対してとかならよくないかもしれないけど作品には言っていいと思う。
「この漫画が素晴らしい!」も「この漫画が全然だめだ!」も等価だと思うけど
まあ全然気にせず好き放題言うんだけども。
maxk1 ここまでの粗探しに情熱を感じる ホントは好きなのでは
2022/06/03
漫画読むのと考えるのは好き。ミーリはお世辞にも好きではない。
すごくボンヤリやってるだけだと思う。
で好きな漫画
たとえばだけど同じジャンプ+で勇者と魔王が出てくる読み切りで
https://shonenjumpplus.com/episode/3269632237324248450
はよほどかちっとしてて好きよ。絵もいいよね。
子供が大量に死ぬけどミーリが竜に穴空けてるのと全然違うでしょ。
hisamura75 そうまで言うなら、っていうんで読んでみたけど、増田、そもそも読めてないのでは? 魔王はこのおっさん一人しかいない。これまでの勇者はみんな負けたんだよ/ファーストブクマは増田ご本人かな?
2022/06/03
>これまでの勇者はみんな負けたんだよ
先代も事故死したと明言されている。
この人は増田の文章もミーリも何をどう読んだのか全く分からない
1の「ほとんど読まずに反論してるだろ」系の人と違って読んだっぽい
それでこれ。
各所絶賛ばかりなので、日和って増田にて感想を書かせていただきます。
2.5の経験がほとんどないので、今まで見たことのある普通のお芝居と比べちゃうんですけど、どれもこんなもんなんですか?
とにかく見せたいシーン・必要なシーンの切り取りが続いていくだけなので、感情移入がしにくいです。
黒と黄色を基調としたスタイリッシュな世界観を貫いているのはよくわかったのですが、いくらなんでも無味乾燥としすぎてるやろ...。
感染症対策で公演時間を圧縮しなければならない都合もわかってます。
にしても、あまりにもシーンとシーンの間に間がなさすぎて、感情を落とし込む時間がないです。
皆さんよくご存知ですよね?脳内で補完してね?っていう。客の事前知識に頼りすぎじゃないか?っていう。
それは演劇としてはどうなんでしょうかね。
照明で工夫するか、持ち道具かセリフでわかりやすくすることできるはず。
まーでも説明的なセリフ入れたくないんですよね?わかりますけども。スタイリッシュにしたいですもんね。
スキップがアッシュにとって大事な存在であるという表現が全くないので、悲しくならないしどうしてそこまで怒るのかも伝わってこない。
ショーターも同じく...。
終始そんな感じが続きますので、そんなつもりで観に行ってください...
自分から前のめりに乗っかっていく感じで観てください。原作から感情を補完しながら観てください。そしたらいけると思う。
ていうか、役作り、アニメに寄せすぎじゃないですか?
みなさん頑張ってるのがよくよく伝わってくると同時に、技術が拙いかたの拙さがこれまたよーく伝わってきちゃって辛い。
早乙女友貴さん、新感線の舞台でお見かけするときはアクションもできて演技も良くて...なのですごく期待してたんです。
今作は滑舌もよくないですし、ちょっと一本調子でよくないです。演出家が違うとこうも差が出るのかと。
劇団☆新感線とチケット代同じですもん。(新感線のが安い場合ある)これじゃあいけないですよ。
2.5って顔なんでしょ?イケメンにお布施しにいくんでしょ?って言われちゃいますよ。
いや、本当に私、ものすっごく楽しみにしてたんですよ。
深みのある芝居を、生と死の手触りを感じる芝居を2.5に期待した自分がおかしかったんですかね。
イケメンを見てきゃーっていう、推しメンが3次元に降臨したことだけを喜ぶもんなんすかね。
弾着(銃で撃たれたほうの人の火薬が爆発する表現のこと)もなかったし、流血もなかったし、なんかずっとみんな綺麗なまま終わった。
最後の対決でアッシュのTシャツが徐々に赤く染まってくくらいの表現ないと死にそうなの全然伝わってこなかったです。
アッシュのTシャツ、マジでずっと真っ白だったよね???最後まで白すぎてびっくりした。
こういうの作ってる側の人の目に入ると落ち込むのわかってますけど、こちらもお金を払わせていただいたので絶賛する自由も批判する自由もあるよねということで書かせていただきました。
単調なビートというか、反復を繰り返しながらメインのメロディだけをどんどん発展させるアプローチはそれこそジェームスブラウンだかの時代のファンクソウルからポップスに定着してる。
誰でも知ってるマイケルジャクソンの「スリラー」や「スムースクリミナル」もトラックだけ見れば1つのリフレインだけで出来てるし、それ自体は目新しいことでもない。日本でもオザケンの「ラブリー」等、局所的にそういうものがヒットすることはあった。
ただRandBやヒップホップといったブラックミュージックの色合いが強いこのスタイルが、アリアナグランデやジャスティンビーバーといった白人中流層に支持されるポップスターや、J-popのYOASOBIや瑛人のヒット曲に取り入れられたというのは時代の潮目なんだと思う。
https://www.youtube.com/watch?v=tcYodQoapMg
https://www.youtube.com/watch?v=8EJ3zbKTWQ8
ビートが一本調子というのはNiziUやモーニング娘。の新しい曲でも見られる特徴なのでより一層こういうものが主流になっていくのかもしれない。
(反復っていうのはテクノもそうだけど、テクノはミニマルすぎてポップスに転用できる音楽ではない。電気グルーヴにしてもChemical Brothersにしても歌もの要素が大きくなるにつれテクノ本来とはやや趣が変わっていった。)
https://www.youtube.com/watch?v=a6QT0acJFQE
https://www.youtube.com/watch?v=Ty0dkunCvNw
宇野さんが崇拝に近い持ちあげ方してる宇多田ヒカルもかつてからループさせることへの意識が高かった。
First Love時こそ「稀代の歌姫」として売り出そうというレーベルの意向もあってか、ディアンジェロ風の粘っこいドラム等といった当時のトレンドを表面的になぞっただけで、アレンジ面では当時のJ-popとそこまで違いはなかった。しかし「Distance」以降はRandBからの影響が強い宇多田ヒカル本人の意向が反映されだしたのかどんどんアレンジがミニマリスティックになっていった。
注意深く聴けば20年前の「Addicted to you」や「Can you keep a secret?」のころからすでに16ビートをキープしながらコード進行は8小節ほどで完結してしまっていることがわかる。
(このころはジャム&ルイスの手腕によるところも大きいのだろうが)
さらに言えばセルフプロデュースに切り替わってからロンドンに拠点を移すまでの2005~2015年あたりの宇多田ヒカルはいかにも宅録、DTM然とした手作り感あふるる音を時折鳴らしていなかっただろうか。
マスタリング等のポスプロによってある程度計算ずくで仕上げられたものにしても、Keep tryin’のパッドシンセはあの曲にしては音が厚すぎてややアンバランスだし、Kiss & Cryのホーンはモジュレーションであることを隠そうともしていない。しかしながらそんなことは取るに足らないことだった。
あのころはまだDTMそのものが新しくて費用が掛かる手段だったこともあって、宇多田ヒカルの孤高なイメージをより強固なものにしたし、なにより彼女が自宅にこもって自分の感覚だけで作ったものが、ダイレクトに自分のコンポやミニプレイヤーに届いてきたようなあの距離感がファンにとっては痛快だったんじゃないか。
「Ultra Blue」や「Heart station」時特有の浮遊感のあるきついリバーブや密室感のあるピアノの音像は、宇多田ヒカルの心象世界を垣間見ているようだったし、私生活でのラフな顔を晒してくれている様でもあって一つの魅力になっていた。
DTMはこの20年でどんどんハードルが下がっていったし、ネット上での音楽のコミュニティも成熟してきてる。今のアーティストを取り巻く環境ってあの頃の宇多田ヒカル周りの雰囲気とちょっと似てる気がする。ライブはあんまりやってなくてひたすら曲を書いてブログを書いていたのが宇多田ヒカルだった。
米津玄師にしろ須田景凪やヨルシカにしろ、宇多田ヒカルが敷いたものの上に立ってるんじゃないかな。立ってるというか宇多田さんは彼らのようなことを前時代にやりとげてしまったのかもしれない。
宇多田ヒカルの「traveling」は「夜に駆ける」に似ている。4つ打ちでビートに統一感を出している点や、トニックから長七度上(一度下)への移動が含まれる4小節ほどのコードパターンをひたすら繰り返している点、代理和音や経過音でコードに飽きがこないよう細かく配慮していることやフィルインの多さ、歌メロの譜割の細かさ…と共通項は多い。あの頃は幼くて単にかっこいい曲だなと何も考えず聴いていただけだが、当時の宇多田ヒカルはやはり規格外の存在だったんだなと今にして思い知らされる。
https://www.youtube.com/watch?v=x8VYWazR5mE