はてなキーワード: 号泣とは
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結婚するよ!
うわーーーーん嬉しい~~~~~;;;;;;;;
そうと決まったらなおさらだけど彼ぴっぴかっこいい~~~~~
街歩いててカップル見ても「うちの彼の方がカッコイイな」って思いまくるし
人がしている薬指の指輪を見て「あの人は誰かの一番になれたのに私なんてさあ」って病まなくなった。
まさかの覚えてくれてる方がいらっしゃって嬉しいな~~ありがとうございます!うれっしいい~;;
惚気たくてたまらねえええーーー!!!!我こそはっていう生贄はいねえかーーーーーーー!!!!って初めてここに書いたとき
実はすでに交際数か月目で、アツアツラブラブ状態であることを黙ってる我慢の限界期だったから
交際期間は実は一年くらいなので、結婚が決まったタイミングは多分妥当だったと思う。
で、惚気場所に恵まれてデュフフ言いつつ書いてたのに11月でいったん止まったのはこのとき
「こいつマジでぶん〇ってやる」っていう怒り心頭の出来事が起きたからなんだけど
でもこれが理由で愛がなくなるなんてありえなかったから彼とは号泣しながら殴り合ったかんじだった。
長子は私が妊娠したことでメンタルが不安定になりまくり、私の気を引くために困らせる行動を取りまくり
2人目が産まれてからは、長子は次子を世話する私の姿を見て号泣。ベビーバスで沐浴する下の子のことがうらやましすぎてベビーバスの中のお湯を飲むという奇行をする。
3人とか4人とか子供を作る夫婦はよっぼど子供好きで、上の子たちが聞き分けの良い子なのか?
2人目の子供の個性はまだわからないけど、めちゃくちゃ手がかかる1人目の子供のメンタルをしっかり支えたいので
3人目の子供なんかほしくない。これ以上子供を増やして人間関係ややこしくしたくない。育児で苦労したくない
子供に振り回されたくない
中学からBLが好きで読んでた身からすると、とても裏切られた気分になる。
しかも小説家になろうに一度投稿したものをブクマが振るわなかったという理由でムーンに上げ直して、なろうの方は削除。そんなことされたら、なろうで読んで「好き」と思ってブクマしていた18歳未満の読者は作品を見失うし、読み返せなくなる。
そんな考えだとしたら、心のなかに住んでる中学のときの私が号泣してしまうし、BLが嫌いになる。
「BLというジャンル自体が中高生が読むべきではないからR18にする」という考え方の人が居ることも理解はできる。特に昨今のBL漫画は過激で、どうして年齢制限をかけていないんだろうと思うものも多い。そんな"全年齢"作品ばかりに触れていたらBL=成人してからという考えになることも分かる。
でも、なろうはめちゃめちゃ厳しいじゃん。
少しでもエロ要素があったら(それこそディープキスでも)怒られるらしいじゃん。
そしたら、なろうで掲載できたもの=中高生もOKと思っていいんじゃない?
それとも同性愛表現そのものが年齢制限をかけるべきと思ってる人がいるってこと?
それはそれで高校生のとき同性が好きで同性と付き合っていた私自身が全否定されてまた泣いてしまう。
先日、母方の祖母が亡くなった。
親戚一同が各地から葬儀に向かう中、自分は都内に残り仕事の合間をぬって弔電を送った。
比較的血縁関係の近い親族であることから、弔電が読まれる可能性が高いと考え、慎重に文章を考えた。
故人との思い出をいくつか記載し、テンプレート丸コピは避けつつも、葬儀に出席できないことを詫びる言葉を丁寧に添え、最後に追悼の意を表す文章で卒なくまとめた。
漆塗りの立派な台紙を選んだのは、せめてもの罪滅ぼしに他ならない。
身内の不幸が重なる年齢になったとはいえ、たった3年前に実の父が亡くなった際は視界が歪むほど号泣し、少しでも父の名残を感じると町中であろうと涙し、あれだけ世間に対して感傷的になったというのに、
その後立て続けに、父方の祖父、母方の祖父、母方の祖母が亡くなると、
身内の死よりも仕事を優先し、
「ウケ」を気にした文章が書けるようになり、
弔電の台紙の値段を見て「ここで8000円以上出す人間は故人に対して何か後ろめたい事でもあるんじゃないか」
などと不謹慎な考察をしてしまうぐらいには、立派に生きた人の死に対してまでも、ここまで無機質になれる人間になってしまったのかと、気がついた瞬間は落ち込んだ。
葬儀後の母親から、素晴らしい弔電だったと親族からの評価が高かったと連絡を受けたとき、一瞬でもおごった考えをもってしまった自分を見て見ぬふりをしてしまったら、
それこそ大切なものを失ったまま戻れなくなってしまう気がする。
ギリギリのところで一歩立ち止まって、自戒のためにこの文章を書いているが、きっと過去には立ち止まれずに忘れ去ってしまった大切なものもあったのだろうとも思う。
最高に人生を無駄にした。人生の中で一番の無駄だった。戻りたい。結婚する前に戻りたい。
結婚なんかするかと思って生きてきた。ロクなもんじゃないと親を見て思ってきた。だから1人で暮らせるようにと頑張った。平均よりは少し高い給料と安定した職業が自分にはある。
ひょんなことから結婚してしまった。小さい頃からの知り合いだった。
結婚してしまった。結婚すると決めた自分をはっ倒してやりたい。地獄だった。地獄でしか無かった。
アイツは無職で収入は私の6分の1以下で家事もできず主張もできない。時間は守れないし貯金もない。金貸してくれだってさ。そして見栄っ張り。知ってる?お前がドヤ顔してるそれ、私の言ったことまんまなんだわ。マジダサい。毎回思ってた。大したスキルもないし職歴まっくろ。やばすぎて派遣すら落ちる。エグ。そして再就職先は何にも言わずすぐやめました!
全部割り勘。なんなら私の方が金出してた。誕生日すら割り勘で死にたくなった。アイツのときは私は払ったけど。生活費?家賃?私ですね。
私の方が働いてたけど家事もやってた。だってできないもん。10時まで寝てるのにね。私12時間労働でーす!
そして姑はテンプレクソ。そうだね、息子ちゃんかわいいね!こんな奴でもかわいそかわいいね!惨めな自分と惨めなむすこたんがかわいそうだね!だからわたしわるくないもんね!わるくちいわれてかわいそかわいそ
子供だって欲しかった。でも私が育産休入ったら給料が下がるしお前の収入じゃ家賃も払えない。私の女としての人生は終わったってコウノトリ読みながら号泣した。コウノトリもう読めない。自分が女じゃないって言われてる気がして気持ち悪くなる。死にたくなる。
はーあ。マジクソじゃん。
私は何やってるんだろ?必死に生きて何を飼ってるんだろう?離婚するけどさ、あいつの理由嘘ばっかりすぎて笑えてきた。
なんなんだろう、私が何をした?私が何をしたんだろう?あいつはなにが可哀想なんだろう?
私が泣いた時間はなんだろう、病んだ時間はなんだろう。生活費が入ってないって泣いて、仕事いつ決まるんだろうって病んで、多忙で体調崩して、でも働いて。自分が稼がないとって必死に働いて。嫌なことも引き受けて。その時間あいつは寝ててゲームして。肝心な時にすら働かなかった。お前のころころ変わる意見で振り回されて私が罵倒されて。後悔したといいながら謝りもせず。謝っても1日で変わり自分は悪くない周りに振り回されてばかりだと宣う。私だってゲームしたい。私だって寝ていたい。私だって休みたい。全部殺して殺して殺して殺して自分を殺したのに。泣けばよかった?辛いって泣けばよかった?怖いって泣けばよかった?倒れて助けてって言えばよかった?
全部無駄。全部意味なんてない。私はいつの間にかあいつの中で自分が助かるための都合のいい駒になった。自分が可哀想でいるための駒になった。
私の人生ってなんだろう。私ってなんだろう。
私が死んだら被害者になれた?死ぬくらいにお前らが追い詰めたって言えたのかな。全部ばらまけばよかったかな。みっともなく喚き散らしてばらまけばよかったかな。つらいつらいって。嘘じゃなくて本当のことをばらまけばよかった。まあ嘘でもそれが自分が思う理由なら関係ないんだもんね。
正しさが報われない。嘘が報われる。
我慢は報われない。強さも報われない。
ツイッターのトレンド、「ぼよよん行進曲」を見てきた。民法で流れたそうで。
ゆうぞうしょうこ時代に見てたので、その頃の雑誌おかいつもまだ本棚に残ってるし、朝の放送を見て、流れた歌を更新してくれてたブログでチェックして、午後の放送で未録画の歌を録画するなどしていた。
2ちゃんのおかいつ関連スレを見るほど、このコンビが好きだった。
番組を卒業し、民法バラエティに出始めて、しょうこ姉は相変わらず好きだったが、ゆうぞう兄をだんだん好きではなくなってしまった。
コロナ禍の、歴代兄姉によるぼよよん行進曲も、ゆうぞう兄だけ、なんでぬいぐるみを持ってるのだろうか、と思ってしまった。ファンはあなたのお顔をみたいのでは?と。
その後、ゆうぞう兄の訃報を聞いて、雑誌が捨て難くなっちゃったな、と思った。
雑誌が捨てられない理由は他にもあって、歌の楽譜が付いてる事。
子供向けの本体は、月歌や季節の曲のメロディーとコード、保護者向けの付録には、月歌のピアノ楽譜が載っている。ピアノほとんど弾けないし、楽器も無いのに捨てられない。
だいすけたくみコンビを経て、子の成長にともなって、殆ど見なくなり、現在たまにおかあさんといっしょを見ると、やっぱり毎日見てる訳ではないので、馴染みの歌も「違う人が歌ってるなー」と思ってしまう。
沢山の人を支えてきた歌、ぼよよん行進曲を、初出のゆうぞうしょうこコンビで聞けて良かった。
皆さんそれぞれ良く見てた時代の兄姉の歌声に思い入れが有るはず。
うまくまとまらないけど、『歌のお兄さん』のゆうぞう兄が好きだったんだな、と今では思います。
雑誌おかいつの全プレDVDにも入ってる、ごめんねピーマンの歌のクリップは、ゆうぞう兄、2番の最後の歌詞を間違えていて、「わよくなかよく しようね〜」になっているように見えます。
大勢のチー牛にこれから生涯使えるオカズを提供したことで恩赦を受けられますように
https://www.sankei.com/article/20230216-TVXOOTU7ANPD3FRZ3XUCCWMBPU/
当時フルタイムで仕事をしていた祖母は「外でごはんを食べよう」と告げてでんわを切った。
駅前で待ち合わせた孫の表情は暗かった。普段は抱き着いて「お帰り」と喜ぶのに…。
店に入ってもいつもの明るさは影を潜め、違和感はますます募った。「学校で何かあった?」。
こう尋ねると、店内にもかかわらず大声で泣き出した。
「怖かった…。家の中に男の人が入ってきて…」
号泣しながら話す孫の様子を見て、どんな被害に遭ったか瞬時に悟った。注文をキャンセルし、店の外に出た。
「悪い人は捕まえてもらわなあかんから、警察に行こう。ばあちゃんも一緒にいるから」
事情聴取や病院での検査…。終わったのは午前0時を回っていた。
孫は疲れた様子だったが、気丈に自分の言葉で府警の捜査員に被害状況を伝えた。
住人かと思って「こんにちは」とあいさつをし、自宅の鍵を取り出してドアを開けた。
目隠しをされ、カーテンを閉める音が聞こえた。
そう答えると、「話したら殺す」と脅されてわいせつな行為をされた-。
孫は被告にこう尋ねたという。
「わたし、殺されるんですか」「物はとられませんか」
一人で留守番をさせなければよかった。
「嫌悪感や怒り、言葉では言い表せない感情で胸が苦しくなった」と振り返る。
https://www.sankei.com/article/20250114-2UOHP4EIDZNXDDHHDZPUZCO32Q/
大学生だった被告は、電気工事業者を装って小学生女児宅に侵入。
泣いて嫌がる女児を「黙らなお前殺すぞ」と脅し、暴行を加え、けがをさせた。
写真も撮影し、「(被害を)一言でもいったら友達に見せる」などと口止めした。
被告はこの犯行に踏み切る前に約1カ月半にわたって、女児や家族の外出や帰宅の時間を確認。
犯行後には女児に「ずっと見ているから」などと言い残したといい、
法廷では、女児の母親が「何年も犯人が逮捕されず、その言葉がずっとのしかかっていた」と苦悩を述べた供述調書も読み上げられた。
https://www.sankei.com/article/20230119-QFLWUTUREVP3NP5JV5HCEJYZWY/
「成人女性だと抵抗されて警察に通報されるかもしれないという考えがあり、小学生の女児を狙った」と容疑を認めている。
柳本容疑者は平成28年以降、6年以上にわたって帰宅途中の小学生の女児を狙った犯行を重ねており、府警は計10人の被害を裏付けた。
@GRANDALARME
警察が助けてくれると思えるのが「男が優遇されてる」って証拠なんだよ
2.9万いいね
ゆだ
@first_of_all_jp
全くにそう思う
痴漢されて警察呼んだら証拠がないと言われ、証拠がないのに私人逮捕したあなたの方が悪いと言われ号泣したこと忘れない
文春やYouTuberの方が頼りになる
@mwJghy4hbBRUR74
☁️
@_uovou86
盗撮されたとき、防犯カメラにがっつり犯人の顔映ってるのに、現行犯じゃなきゃ逮捕できない、特定できてももう証拠隠滅してるだろうから無駄だって言われて泣き寝入りしたこと2度ある。警察なんか当てにならないよ。
miracle_jet
@miracle_jet
まだまだ陽も高い夕方に痴漢にあった時もこの服から指紋取れますけどっていったのに、スカート履くから悪い&1人で夕方に歩くから悪いの定番コンボでなんもしてもらえずこっちが二次被害にあっただけだったが。
@yuzuyuhanemui
ほんこれ。性被害は警察に言っても鼻で笑われセカンドレイプ発言連発、被害届出したいと言えば「時間かかるよ?どうせ起訴もできないのに」とめんどくさそうにされそれでも出すと言ったら「犯人に名前も住所も知られるよ」と脅される。
高3のときにかかった統合失調症について自分の身に起こった症状を経過とともにまとめておく。まず秋の三者面談で担任に友達がいない=それだけコミュ力がないことを指摘された。
当時官僚に憧れていたが、そのことを知っていた他人は学力もそうだがそこを改善したところでその社交性の無さをどうにかしなければどうにもならないことを言ってきたのだ。
それに私は心底動揺したようで、母によれば帰りの電車でチック症状が出ていたらしい。そこから、受験勉強も頑張りつつ立派な人格者になろうと奮起したことでだろうか、だんだん行動と思考がおかしくなっていく。
柄にもなく今まで話したことも無いような生徒に話しかけるようになる。記憶力が良くなったような気分になる。化学式が水を吸い込むスポンジのようにすらすら頭に入っていく気分だった。
実際少しは記憶力が上がったのかもしれないが気分の部分が大きかったように思える。気分が高揚し何故か授業中でも教科書に書かれた偉人を模写するようになった。
普段の私は不器用な方で模写などできるようなタチでもなく、したとしてもゆっくり書いても線は歪にるし顔のパーツのバランスも元のようには書けなかったはずなのだが、そのときはなぜかさらさらと筆が運んだ。各パーツの境界等を線ではなく元の絵通り濃淡で表すなんて普段の私にはできないことを普通にしていた。数学の教科書のガウスを描いたときが特に印象に残っている。風邪でもないのに熱が出て学校の中で倒れるということが起こるようになった。何度か親に送り迎えされることがあった。
私は中学のころまでは学校の人間をいじめていたことがあったのだが、急にそのことを思い出し心底恥じ入る気持ちになり号泣した。そして旧友がどうなっているのか訪ねに行った。受験生なのに何をしてるのかと思うだろう?私にもわからない。
塾の特別講座や模試を受けに都心に行ったときはひどいものだった。湯島聖堂に行って人が引くような感服をした。ピンクのハトを見て神がかり的な力を感じてしまった。(ピンクのハト自体は幻覚ではなく写真に残っているしそもそもそこまで珍しいものではないと思われる)
興が乗りゲームセンターに行ってヴィクトルーパーズというゲームを体験する。プレイ時に自分の反射神経に関して今までとは違うものを感じて全能感を感じた。
そして確かリフレクビートみたいな音ゲーを他人がプレイしているところの画面をなぜかタッチした。当然苦言を呈された記憶がある。でもそのときの自分は意に介していなかったと思われる。
夜になっても秋葉原を闊歩してあるときは自分の腕力に自信を感じ筐体を動かせるかどうか試していた。
今思えば実際は持ち上げていたのではなく引っ張る程度でなんの腕力の証明にもなっていないのだがあのときはこう理詰めで考える力を失っていたように思う。
釣り合わないおっさんと若い女性が一緒に歩いている姿を見て、犯罪の匂いを感じ制裁してやろうとか思った(今思えばコンカフェのサービスに過ぎないだろう)。
街中で大学生と思しき数人の男女の組を見つけて話しかけて自分の志望大学について語る。あのときは普通に対応されたけど陰でやばい奴認定されていたのではないか。
道路にポスターが筒状に丸められたものが落ちていて、アキバでの土産として持ち帰るつもりだったのに、振り回したり膝に当てて曲げたりしていた。思考の滅裂が伺える。
結局その夜は終電を逃し、教科書等が入って10kgになっているリュックを背負ってほとんど休まず冬の夜を始発まで歩き続けていた。それは冬に露地で寝たら凍死するという、ここだけはまだ高校生としてまともなイメージによるものだった。
その最中、座って休んでいたときはとめどなく出てくる感じの英語を、どうせ誰もいないからと気持ちよく口に出した。まるで通訳ならそういう境地であるかのように、自然に英語で思考が言葉として頭に浮かんでくるのだ。これも今までにないことだった。今までの学んだことの蓄積が一気に爆発的にアウトプット可能なものへと昇華されたような感じだ。第三者がいないので、これが実は文法が滅茶苦茶だった空喜びだ可能性もある。
そうして家族には捜索願を出す迷惑をかけさせるなか帰宅した。保護入院のXデーは近い。またあるとき横浜へ行くと、キャリアになるような人間は高い志を持っていなければならないという心境で、ゴミ掃除をした。受験生なのに。
掃除しているところを見たお巡りさんから未来の官僚様へというふうな感じでブラックサンダーと栄養ドリンクをもらった記憶がある。ということは自分の希望進路をこの警官に行ったことになるのだが、だとすればこの警官の労いは奇妙な行動をする学生を生暖かい目でからかうことを意図したものだったかもしれない。自宅の近所に1000年前からあるという由緒のある神社と正一位の神格がある寺院に目を付け、この地域は稀に見る神聖な土地なのだという気持ちになる。
またその影響からかこのころから神のお達しを感じるようになったり(幻聴ではなくテレパシーのような感じ)自分に女性キャラクターが乗り移ったような感覚が現れることが起こるようになる。口調も普段から変わってしまう。
当時の社会情勢の悪さを神的なものとに結びつけ、寺社に赴いた記憶がある。おこがましくも何かを助言した記憶がある。別に神職者だって宗教を信じてないことが多いのに本物のやばい奴が来てしまったという感じだろうな。
マムシ=蛇の出没も神的なものと結び付け両側が藪の道を木の枝を下に向けて振り回しながら歩く。当時の本人にはマムシを追い払うことでマムシが持つとする瘴気を払うことを意図したものだろう。
またあるときは公園で木の枝を持ってこれが神風だという感じで大げさに振り回す。あくまで高校までの化学の知識から着想を得た「核戦争にも耐えられる強化外骨格」の設計ラフを書いた小切れなどを河原にばらまいたりもした。
夜寝てもすぐ起き上がって漢文がひらめくことが多くなりまともに寝なくなる。当時の自分としてはそれが漢文のいい訓練になるものだと思っていたことを覚えているが、志望大学は漢文の比重が重いものではないので、ほとんど無駄だったと思われる。
滑稽なのは四声も知らないのに(いや受験生としては問題ないんだが)漢詩等を次々書いて悦に入っていたことである。文法はともかく古代中国語として韻律のめちゃくちゃなものだった可能性が高い。
でもこんなことをしていたのには訓練以上に、漢文に書かれた思想に感じ入っていたところも大きい。
おかしくなった私の目標は立派な仕事に恥じない人格者になることだった。そして湯島聖堂に行ったときに孔子の深遠さに衝撃を受けた。
もちろん孔子自体は以前から知っていたが、偶然「聖地」を見つけ赴いてしまったことで、自分なりに感じた霊験あらたかさに、彼と彼の思想がいっそう素晴らしいものに感じるようになってしまった。
普通の受験生にとっては教材でしかない漢文から仁徳を感じ取るたびに感動し、過去の不徳な自分と対比して大泣きして大真面目に反省するという情緒不安定も起こっていた。
電車で、密着して二人の世界に入っている男女に話しかけたりもした。今考えれば当然のガン無視をされた。しかしやっぱり躁状態になっている私は誰とでも話せる人間になろうという思いが強かったのか意に介さないのである。
テレビでちょうどやっていたイスラム国関連のニュースの映像を見たときとてつもなく怖いものが見えたように感じ体を丸めて怯えたような記憶がある。あの心理状況はどういう原理だったか。
イスラム国はどうにかしなけばならないという義憤を感じてツイッターでアラビア語?で検索してイスラム国関係者と思しきツイートに直接リプライしたり、また当時の漢文にハマっていた自分らしくSNSのアカウント名を「莫歯牙(しがない)○○」をしたりそこで椅子子羊(イスラム)なる言葉を使って打倒を呼び掛けていた記憶がある。
世界中から反響があった感覚があったが、実際はただ日本人以外からなにがしかのリプライが来たと言うだけで、数としては数件に過ぎなかったのではないか。
でも当時は確かにカバオコピペのように「今までにない熱い一体感を感じ」ていた。
テレビのイスラム国に関する報道が自分の行動とリンクしているようにも見えていた。自分が世界に影響力を与えている気分になっていた。
調子が悪そうなことをした親に総合診療科に連れられたこともあり、そこで血液検査をしたらCK値の上昇が認められそこで筋肉が壊れてきていることを指摘された。
冬の夜通しの闊歩が祟った結果だと思われる。とはいえ今思うと自衛隊員は数十キロの装備を身に着けることもあるし、強力(ごうりき)はそれこそ100kg近くを背負って運搬するわけだから、ちょっと虚弱過ぎやしないかと思う。
しかし当時の私は筋肉が壊れるほど肉体を酷使している自分に対してこれまた全能感をこじらせ酔っていた記憶があるから滑稽だ。
また当時気になっている子がいたのだが、学校帰りに駅前のブティックに足を運んで何万、何十万かするビロードのような服を品定めしていこともあった。
そういう服を対象にしたのはすっかり自分が上流の人間の気分になっていたから。
そして将来は官僚になってこういうものを好きな子にプレゼントするんだと店員に息巻いていたと思う。
近くの受験が見えなくたって遠い不確定の可能性の低い将来を前提とした行動をとる、まさに統失仕草だったと思う。
卒業間際好意を伝えたときやんわり振られるオチまでついている。
こうしていろいろあって親は養護教諭に電話相談して、精神科への入院を勧められ、私の同意のもと保護入院することになったのだった。
※ブコメから知ったこととして保護入院とは家族の同意のもと行われる強制入院の一つだという事実があるが、私の場合入院したいか、それとも受験するどうかをあくまで私の意思を尊重する形で家族に確認されたため、法的なことはともかく実態としては任意の入院なのだった。
そこで統合失調症という診断が下されたが、診断名は変わる可能性があると言われた。
統合失調症は全段階として6か月未満の統合失調様症状というものがあり、中学のときのエピソードして、自分は悪魔になってしまったという発言や、ナイフの図鑑を買ったりポッカキットで処刑映像を見ていたことを統合失調症の期間として含めるべきかをはっきり判断できないからだということだそうだ。まあ今思えばさすがにこれはただの中二病だろうと思うが。
なお、記憶力や模写等脳の能力に関しての向上を記述したが、これが統失の症状としてあり得ることだったのか、私固有の現象だったのかはわからない。
統合失調症は服薬し続けず「治る」ケースがごく稀な病として有名だが、幸い私は薬も飲んでないが上記のような明らかな妄想も出ることなくただの発達障害(医療機関による診断済み)として暮らせている。
いろいろなことをした、「記憶はある」が、なぜそうしたのか今の自分では全く理解できないことが、過去あったその妄想と現在の現実を区別できる能力が回復している何よりの証拠だと思う。
ほんとう、記憶はあるが秩序のあるものとして理解できず、記憶を記録するにあたってはただあったことを羅列しているだけという気分が拭えないという部分は朝起きる直前の夢に似ているような感じがする。
この長文を書いたのは、統合失調症は脳機能の低下を起こすから患者になったことがある人本人に「書ける」人が少なく、このような本人直筆の体験談は貴重と考えたためで、使命感を持って書いた。
(使命感とかいうとまだ統合失調症が治ってないだろとか言う人が出てくるのかなと思いつつ)
【追記】
実はあれから既に十年以上経っている。
もし統合失調症が治っていない状態で薬をやめていた場合はだいたい長くとも1、2年で、もっとひどい状態で症状がぶり返すのが通例だ。
脳機能も一度目の急性期後より格段に落ちると聞いている。壁に自分の排泄物を塗りたくるようなレベルの廃人になるということだ。
しかし私は御覧の通りこうして記事が書ける程度の理性や知性をいまだ残せている。
それは、薬の副作用にアカシジアというものがあって、その、四肢の気持ち悪い感覚が苦痛だったからだ。
今も、断薬の承諾を得た精神科医本人から三か月おきに診察を受け経過を見てもらっているので、統失が治っていないということについては心配しないでほしい。
その医者の対応に対する違和感を書いてもらって思い出したが、それ以上に著しい倦怠感や思考の鈍麻が起こっていたことについて親が見兼ねたというのが大きかった。
統失の治療薬のイメージとしては躁的な症状をもたらす過剰な神経物質をブロックするというものだが、このころは既に陰性期あるいは寛解状態にあった。
つまり健康体の人間に投薬するのと変わらない状態で、症状を相殺するのを通り越して過度のドーパミン不足を誘発したのかほとんど寝たきりで毎日を過ごすような時期があったのだ。
こんなところにいたら殺される(滝山病院の例もあるので大げさな考えとは思われない)と心配した母親が担当医の忠告、「お母さんあなたも精神病ではないか」という苦言を振り切って入院期間を繰り上げたのだった。最初の急性期を見て薬を処方した入院先で断薬許可をもらったわけではなかったのだ。
ただセカンドオピニオンでかかった他の大学病院の医者も、以前のその病院の処方薬や量の内容を見てこれは多すぎると言っていたようだ。
今かかっているクリニックはこれらの統合失調症や発達障害の診断やそれに伴い我が家庭ではどう対処してきたかという経緯を理解したうえで、基本的にこちらの考えを尊重しときには睡眠の習慣を整えるためにロゼレム?を服用してはどうかと言われては、悪夢を見るから嫌だ、いやこれは他の睡眠薬と違って悪夢は見ないよ、でもちょっと抵抗があるから見送らせて欲しいとかああだこうだ忌憚なく相談できる関係性を築いている。
模写した絵などは残っていない。というのも数年前まで私の部屋は受験期にコレクションした参考書がずらりとならぶ、いかにも子供部屋おじさんの極致にあるような有り様だった。
しかし親に、いい加減高校時代のことに固執してもしょうがないだろうと、絵も描かれたノート類とともにすべて処分することを催促され、応じるしかなかった。化学の新研究とかぐらいは、通読してみたかったなと思っていたのだが。
絵の証拠写真を挙げないのでは一連の記述が創作と思えて仕方がないこと、もっともなことだ。信じる人が信じるだけでもこれ幸いというものだ。
少し退院後のその後の事を書くと、まず予備校に入って再度大学を目指そうとした。
しかし当時の自分は統失の余波か薬の副作用か大変疲れやすく、体験授業後にチューターには母の口から、授業中にも寝てしまうことも有り得ることが伝えられた。
また数か月か、あるいは一年ほど経った頃だったか、入院中も見舞ってくれた担任が定期的に会いに誘ってくるようになった。
と、このあたりのことを書くと俺がどこ高校出の誰かか特定される可能性が1%ぐらいは出てきてしまうと思っているのだが、そうなったらそうなったらでこの記事が創作でないことの証明にもなるわけなので、気にせず書いてしまおうと思う。
そうして職業訓練校を目指すことになった。その訓練校が試験で出す問題と同レベルのSPIとかの練習問題を解いた当時の自分としては、問題自体は大学受験とは雲泥の差の易しさだが、それでも油断はできなかった。
統合失調症と長い間机に向かっていなかった影響で、筆記スピードというあくまで肉体面の要素が著しく落ちていたからだ。
そんな私にアドバイスしてくれたり、数学の先生だったので、私が趣味で取り組んでいた数学に話を合わせ付き合ってくれた。
それに前後して北里か東海大(ここ記憶が曖昧)や、クリニックの児童精神科医にセカンドオピニオンを仰いでいた。
そこでいわゆるウェクスラーを受け、言語性IQが130で動作性が90前後という結果だった。その大学病院が役所に提出する用の親展の封筒を、やっぱり使わないと親が開けて見てしまった中身の書類の記述によると、大変頭の出来がいいというニュアンスの表現でべた褒めする内容だったそうだ。
言語性IQなんていかに成人向けに最適化されたテストといえど受験期等の蓄積で簡単に高成績が出る脆弱性がありそうでならないと私は思っているので、これは私より圧倒的に優秀な大学教授の心の余裕から来るリップサービスのようなものではないかと今は分析している。でも認知機能のテストの一種か何かで、100から次々7を引いた答えをどんどん言ってくださいという問いに自分なりになるべく速く答えたその反応に対しても早い早いと言っていたから、まんざら嘘ではなく、そういうことを総合してなのかな。
ともかくもしこの書類を出していたら障害者手帳の申請は通らなかったからこれでよかったということを親は言っていた。申請に使った診断書等はクリニックが書いたものだったと思う。そのクリニックだが今は児童精神科専門になってしまい、私のような大人の発達障害や統合失調症を受け入れなくなってしまったと風の噂で聞いている。dorawiiより
以前遠隔地の両親共倒れの話を投稿した主だか、昨年母が逝った。(母は若年性認知症、父はとある病気により倒れ以後胃瘻状態に)母の最後は喋ることもなく、人としてはなりたっていなかったが、コロナ禍でガラス越しに会った孫と嫁を見たときの一瞬思い出した表情とその後の悲しそうな表情が忘れられない…
亡くなった後とある亡国の秘境の村にて、シャーマンが飲むとあるものを服用した際に、母と交信をしてこれまでの対応を肯定してもらった気がして号泣。
(まあ、色んな意見が出そうなので詳細は省く。あくまで個人の話よ)
また延命治療は家族内でも意見が別れた。私は物を自分で食べられなくなった時点で延命するのはおかしいと思っている。自我がしっかりしてるならまだしも、認知症が進んでいる状態でチューブでサイボーグのように活かすのは非人道的と思っていたが、延命しないと数日で亡くなるということであり、最低限の栄養を送る対応になった。これはじわじわ時間をかけて死ぬことになり個人的にはいまでもこの対応でよかったのか疑問である?