はてなキーワード: 立法とは
尊属事件殺人立法事件が起こる前も毒親が殺されたケースがあるけど、裁判官はたとえ毒親でも「道徳云々」という理由で違憲判決を出さなかった。
でも、若い女性が父親からなんども強姦されたとたん、ある有名な弁護士が動いて、検事もできる限り協力しだして、裁判官も違憲判決を出すようになった。
そして、ほかの事件でも流れが変わった。
みたいな話をインターネットでしている大学教授や弁護士がいるんで、調べてみるといい。
あと、電通の女性が過労死で死んだケースも、過去の過労死で死んだおっさんが腐るほどいて、労働審判や裁判になってるのに認められず、過労死で死んだ女性が若くてかわいいから労働審判や裁判で認められたなんてことがあるにはある。
着眼点も考え方も概ね悪くないが、直感的な結論がずれているので変な方向に行ってしまっている。
この辺りがずれないようにするのは、まずは本当に格闘技に決闘罪を適用して規制するべきものだと考えるか、ということを検討することが有用だろうと思われる。
法律はわざわざ人が作るルールである以上、社会をより良くするために作られており、基本的に意味のない、理不尽なルールではない「はず」なので、格闘技が一般に受け入れられており、その受け入れられている状況を覆してでも禁止すべき理由がないのであれば、格闘技を一般に禁止するようなルールはない「はず」だ。
そこで決闘罪がなぜ、何を禁止するために作られたかという立法趣旨を考えていくことになる。ここは同意傷害が不可罰であることとの比較で簡単に言えば、決闘という私闘による実力行使での紛争解決を禁止し、強制力を国家に独占させるため、双方の合意があったとしても暴力の行使を禁止しているものだとしていいだろう。いわゆる西洋式の決闘のような様式の定義がないこと等からすると、副次的には決闘参加者の身体又は生命の利益もパターナリスティックに保護している面もありそうである。そこから、①あくまでスポーツとしてルールに則った勝敗の決定方法があり紛争等の私的な解決の手段として行われるものでないこと、②安全面にルール上一定の配慮がされていること、等の理由があれば、決闘に該当しない、あるいは、正当業務行為として違法性が否定されるのではないかという結論になっていくし、例えばその点がいい加減で危険な地下格闘技なものがあればスポーツとしての体裁をある程度保っていたとしても決闘罪に該当する場合があるだろうとなっていくので、穏当な落ち着きどころを導くことができる。
ただし、いつでも何でも結論から解釈を決めていいという話ではなく、悪法も法である以上、どう読んでもおかしな適用をしなければならないような法文もあり得る。決闘罪と格闘技の関係では法文上も立法趣旨上も問題がないと思われるというに過ぎない。
この文章の理屈には納得できない、格闘技も決闘罪を適用して規制するべきだという考え方をする人もいるだろう。抽象的な規則と具体的な現実との間の解釈適用に論理的な絶対の正解はないということは当然のことであり、最終的にはより説得的に理屈づけられるかで結論は変わってくる。ただ、格闘技に決闘罪を適用する、という結論を説得的に導くのは極めて優秀な法律家でも相当難しいだろう。他方で、例えば先ほど例の危険な地下格闘技に決闘罪を適用するかどうかはそれなりに割れそうなところではある。この辺りは法解釈の面白さであるとも言えるし、とっつきにくさや恣意性に見えるところでもあるのだろう。
尊属事件殺人違憲立法事件や各種行政訴訟の事件、医療過誤で裁判になったやつを調べれば具体例は出てくるし、さんそんチャンネルで名誉棄損限定だけど、いろいろ解説してたりはする。
ツイ廃の見方だと引用の要件を満たさないんで、著作権法に違反してるかなと思ったんだけど、判事はそうは思わず、負けた。
アメリカ人も日本の裁判は「確実性がないから怖い」みたいなこと言ってたりする。
なぜ、そういうことが起きるのか気になるなら、
https://www.courts.go.jp/saikosai/sihokensyujo/sihosyusyu/syusyugaiyou/minsaikyoukan/index.html
https://www.courts.go.jp/saikosai/sihokensyujo/sihosyusyu/syusyugaiyou/keisaikyoukan/index.html
確かに裁判において判例は訴訟時の法律の運用に重要な役割を果たすが、憲法や法律の条文を作成、変更する権限は無い。
判例や慣習で訴訟における法律の扱われ方をある程度操作することはできるが、法律の運用を根本的に変更する能力が司法にあるとは言えない。
そもそも日本国憲法第77条は裁判所の権限を規定したもので、立法に関する記述ではない。
行政も民間も基本は法律の範囲内で運営されているし、「基本的に大多数の人間は法律を守る」という慣習があることで、多くの人間は他人に暴力を振るったり暴力の可能性を暗示したりしない。
これであなたの「日本法を作っているのは国会ではない」という発言は憲法上間違いと言える。
もちろんそれでもなお「日本法は裁判所と弁護士会が作っている!」「日本法は自民党が裏で全部作っている!」
「日本法はアメリカと中国に分割統治されている!」と言う自由は誰にでもあるが、憲法上にそれがあるとは言えないな。
ちなみに、「日本人はアホだからいうが」という記述があったがこれはどこにかかっているんだ?
憲法が読めていないのは一体誰なんだ?
どこに洗脳されている傾向があると感じたんだ?
言葉が上手く使えないからって暴力に逃げるのはいいが、そうなったら最後お前と会話する人間はいなくなるよ!
自分がどんな洗脳を受けているかを反省したり、その洗脳を他の洗脳や思考で客体化したりできるかどうかが問題だよ!
他人を脅迫することで適用されます。「生命、身体、自由、名誉または財産に対して害を加えることを告知する」行為が該当します。
成立条件: 実際に相手が恐怖を感じる必要はなく、「害を加える」という言動自体で成立します。
暴行や脅迫を用いて相手に義務のない行為を強制したり、権利行使を妨害する行為が該当します。
暴力的な言動が公共の場で行われた場合、迷惑防止条例が適用される可能性があります。具体的な規定や罰則は自治体によりますが、軽微な脅しであっても対象となる場合があります。
脅迫行為がエスカレートし、相手が精神的な苦痛や身体的な損害を受けた場合には、傷害罪が適用される可能性があります。また、未遂でも処罰の対象となります。
刑罰: 15年以下の懲役または50万円以下の罰金(傷害罪)。
6. その他の罪
なぜもっと多くの政治家がナンシー・メイスの悪質な反トランスジェンダー行為を非難しないのか?
昨年11月、サラ・マクブライドが、アメリカ議会に選出された初めての公然とトランスジェンダーである女性議員となった際、メイス議員はすぐにマクブライド議員のトイレ使用を禁止する下院決議を提出しました。この法案は広範な影響力を持ちうるものであり、Mace’s Stand in the Bathroom Doorと呼ぶべきほどの性質を帯びています。
憎悪に突き動かされた政治家たちによって冷酷な不正が法制度に組み込まれる時、人間として良心的に取り得る唯一の行動は、反対の声を上げることです。しかし、連邦議会の場で反トランスジェンダー的な修辞と立法がエスカレートしているにもかかわらず、民主党議員たちは、今のところアレクサンドリア・オカシオ=コルテス下院議員を除いて、奇妙なまでに沈黙を保ったままなのです。
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時は11世紀初頭。平安中期、摂関政治が絶頂期を迎えようとしている頃、現代の法律学と立憲的思想、近代的な統治理論を身に着けた人物が、突如として藤原道長(966-1027)の意識を獲得する。外祖父関係を巧みに利用し天皇を後ろ盾に絶大な権勢を誇る道長。だが、中身は現代の法学者であり、彼は当時の秩序と衝突しつつも、新たな政治手法を打ち出そうとする。
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現代法学者としての道長は、専横的な外戚支配の構造を活用しながらも、より「持続的な統治基盤」を確立したいと考える。単なる外戚支配や縁故人事ではなく、ある種の「法による秩序」や「規範の再整理」を志す。もっとも、当時は成文法典(律令)はあれど実効性が弱まりつつあり、慣習法が強く、荘園が乱立している。現代人道長は、この状況に対して次のような施策を構想する。
従来、道長をはじめとする藤原摂関家は多くの荘園を私有し、それらを権勢の基盤にしてきた。しかし、現代の法的知見を持つ道長は、「法的安定性」が経済発展をもたらすことを理解している。彼は、荘園の境界画定や、重層的な領主権の整理を試みる。
- 公領(国衙領)の管理を強化し、名実ともに朝廷支配下に収めるための行政改革に着手。
- 荘園の認定基準を明文化し、恣意的な安堵や寄進による権力争いを減らす試みを行う。
- 貴族や有力寺社に対しては、既得権益を即時奪うことは難しいが、中長期的な土地台帳(「古代版不動産登記」)を整え、その正当性を公的に認める代わり、租税や労役義務を明確化し、流通性ある土地制度を志向。
律令法が名ばかりの存在となり、令外官や慣習的措置が横行する世界で、道長は現代的な法整備思想を導入する。
- 首都(京)における治安維持機関である検非違使の権限と組織を再編し、盗賊取締、秩序維持のための明確な司法手続を設ける。
- 公家社会内部で行われていた人事や地位継承に関して、記録主義(ある種の「公文書主義」)を徹底。昇任や叙位叙爵の基準をある程度定めることで、人事が完全な縁故に流れないよう微調整を図る。
道長は外戚としての地位を最大限活用しつつ、天皇の権威を安定的な「象徴」に引き上げることを考える。天皇に形式的な最高権威を担わせ、実務は「関白」の地位を活用して円滑に処理するが、現代的道長は「院政」的な発想を先取りするかもしれない。
- 天皇に幼少期は摂政、成年後は関白が補佐する原則を維持しつつも、天皇周辺に専門官僚を育成。
- 従来の「外戚依存」から、より制度化された「最高法規」の存在感を醸成。例えば、改定版『令』をまとめ、これを朝廷全体の根拠規範として位置づけることで、朝廷と藤原家を法的な結びつきで強固にする。
道長は宮廷文化を愛し『紫式部』や『清少納言』ら文人たちとの交流を深める一方、現代的な行政手法を取り込むためにも知識人層の拡充を図る。
- 国司や受領階層に対し、任地における法令遵守・文書管理・税制の透明化などを要求。できる限り審査を厳格化し、違反者には適正な制裁を行う。
- 大学寮や学問所に法制研究や史料編纂部門を新設し、古代律令や判例に相当する事案記録を蓄積。徐々に「法文化」を育む。
- 漢籍研究とともに、自身が知る社会契約や合意原則に近い概念をそれとなく導入し、為政者と被統治者の関係を「力による支配」から「正当性による支配」へと移行させる試み。
北方の蝦夷や、唐・宋との交流、さらには大陸や周辺国との海上貿易を法的に整理する。「道長的改正律令」には、交易ルールの明記や関税的な仕組みを生み出し、国家財政を強化するとともに、軍事力を令外官頼みから、一定の法規範に沿った動員・統制へ転換。
- 軍事貴族や地方武士層との契約関係を整え、「官」と「私」の軍事力を峻別した初期的な国軍組織化を図る(もちろん当時としては極めて斬新)。
- 貿易港での入港手続や国際通行ルールを整備し、財政基盤強化を狙う。
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もちろん、このような施策は周囲にとって奇異であり、保守的な貴族層からは激しい反発も受ける。しかし「藤原道長」という既に頂点に君臨する権力者の威光、そして自らが有する実務的手腕と知識によって、徐々に新しい秩序を「慣習法から合意された法」へと移し変えようとする。結果として、荘園の雑多な管理が少しずつ明確になり、暴力的な権益争いは減少、都はある程度の治安維持機構で安定する。
やがて、次世代には「記録とルール」に基づく人事・土地管理が浸透し、法制を軸にした政治文化が醸成され、藤原家の権威は「道長改革」として後世に語り継がれることになるかもしれない。
リベラルではないので、クルド人だから、じゃなくて、不法や違法に対して杓子定規に対処すればいいと思う。
感情的なかわいそうじゃなくて、現実の被害を基準になにかするべき。
個別対応なんて、何十人送り返しました!→本当に難民で半分元の国で殺されました!→じゃあその難民限定で立法して受け入れよう、みたいな流れで良い。
ずっと日本で働いているんだ!とか言い出したら、ずっと犯罪を続けて被害をわれわれに与え続けているんですねお帰りくださいとしか思えないし。
お前が違法に働いた分俺の仕事が減っちゃうんだよどっかいけ、って話。
まあこれも自分がかわいそうランキング最底辺だからこういうことを言うんだよね。かわいそうなクルド人!とかいう話になった瞬間になるほど消え失せろ「かわいそうブルジョアジー」、としか感じられない。
政治家が立法で官僚をコントロールできるなんてピュアすぎるわ。
自分が官僚だったらと想像してみ?自分は所属する組織の評価システムに従って仕事をしていて順調に評価されてる。財務省なら税収増や増税はキラー実績だ。そこに評価システムに反する政策や立法=たとえば減税案が出てきた。このままいったら自分は落ち目一直線。座して待つか。周りにはその政策に反対する政治家もいれば、評価システムをよく理解してる官僚の先輩が政治家に転身してたりもする。寝技に持ち込まない奴なんているか?
第1次安倍が追い込まれたのも第2次安倍が省庁の人事権掌握したのも官僚対策だろ。トランプが最高裁や省庁トップに息のかかったやつをねじ込もうとしてるのも反対派対策だろ。
日本の教育に文句つけるときの定番「日教組ガー」にしても同様。
いや、国の文教政策の問題を論ずるのに、文教予算一手に握って中教審握って何より数十年にわたって文科省をコントロールしてきた政権与党の方針でなく、国の政策にも立法にもほとんど影響を及ぼせず、組織率すら2割程度の組合ごときが問題だと主張するとか、常識で考えておかしくね?
一企業で考えてみてもさ、わけのわからん経営方針で赤字続けてる会社の役員連中が、自分らと方針が対立しているとはいえ組織率2割程度の組合を目の敵にしてわーわー言って組合潰しに精出してたら、いや、あんたらの無能のせいで会社が絶賛傾いてる最中なんやけど?……ってならんか。
20XX年、域外適用されるAI規制法により生成AI利用企業および個人は賠償責任を負う、既に激しい国際的非難を受けていたAI開発企業および日本政府も幇助犯として巨額の賠償金を負うことになる。
AI開発企業の代表、開発者、およ世界的に悪名高い日本の「著作権法30条の4」の立法に関わった政治家、官僚は、ハーグ国際裁判所にて「人道に対する罪」で裁かれ、厳罰に処される。
なお「人道に対する罪」に時効はなく、国際指名手配された逃亡犯は一生「ハンター」に追われ続けることとなる。
とても巨額の賠償金(まったく正当に被害から算定されたものだが)を支払えない日本政府は破綻し、日本は国連監視下での米、EU、中国の共同統治となり、自民党は犯罪化される。
その頃には既にネトウヨではないクリエイターをはじめとする良心を持った日本人は協力して日本を脱出しており、統治と取り立ては苛烈なものであったが国際世論は「自業自得」と断じるのだった。
思考の幼さ的におそらく高校生か大学1-2年生くらいだと思うが、大真面目に回答するね
・あくまで選択的だから同姓にしたい人に迷惑かけないって本当?
経団連とかが非効率的だからやめろとか言ってるんでしょ?同姓を選ぶ人間は非効率的で会社に迷惑な無駄な休みを取りたがる阿呆として吊し上げる気満々じゃん。同姓希望者に迷惑をかけないって嘘だよね?
まず「阿呆として吊し上げる気満々じゃん」からして根拠がない。賛成派の大半は、その賛成の理屈から明らかなように「私達は勝手にやるから貴方達も勝手にすれば」という考えで生きているので、同姓希望者がどんな人間なのかに興味はない。そして、(同姓選択者ではなく) 選択的別姓反対派のことを内心で馬鹿にすることは確かにあるかもしれないが、それをもって「迷惑をかけられている」とするのは誇張された被害者意識というもの。ここでいう「迷惑をかけない」とはもっと現実的な生活への影響をもたらさないことを指しているのであって、反対派のお気持ちケアはそれには含まれていない。
・子供の姓どうするの?
多数派ではないのかもしれないけど「お互い親の姓を守りたいから」という理由で夫婦別姓を待ちつつ事実婚に留めてる夫婦も少なからずいると聞く。子供が二人いれば按分できるかもしれないけど片方死んだらどうするの?残った子どもの姓をどっちにするか奪い合うの?もう一人産むの?でも長子と次子とで区別はするんでしょ?長子をどっちの姓にするかどうせ揉めるんじゃないの?
もちろん中にはそういう夫婦がいるかもしれないし、残念なことに片方が夭折して揉めることもあるかもしれない。しかしそうではないケースも沢山あるだろうから、その分だけ救われる人がいると言えるだろう。かつ、そういった残念なケースの場合でも、最初から選択肢を用意しないほうが良いなどと考える合理的な理由は全くない。長子と次子で揉めるだの何だのはもはや個別の家庭の事情であって、立法を論じる際に考慮する意味はない。
女が男の姓になるのが大半、という現状はわかる。それを選択的夫婦別姓で切り崩すの?どっちの姓にするかは夫婦それぞれ、てなった方が問題を先送りにするだけの夫婦別姓より男尊女卑が遠のくと思う。
いまいちポイントレスな問題提起なので回答しづらいが、もし元増田が「別姓選択可よりも同姓強制のほうが男女平等だ」と考えているならば、はっきり言って意味不明なので、その理路を説明してほしい。現状すでに「どっちの姓にするかは夫婦それぞれ」であり、その現状が男尊女卑と叫ばれているわけで、選択的別姓がその男尊女卑をさらに強いものにするロジックが全く思いつかない。どう考えても別姓可のほうがイーブンでしょ?
・なんで結婚したいの?
婚姻関係にないと与えられない権利とかあるのはわかるんだけど、じゃあその権利をパートナー制度とか作って保証できるようにした方がよくない?
そんな新しい制度をもりもり作ったり変更したり面倒なことをするよりも、婚姻という制度ひとつだけを変えてしまうほうがよくない?
姓の変更に伴う手続きが雑多だという愚痴は多い。けど、それを簡単にできるような施策は走ってるわけで、そっちには触れないどころかないことにしてるのよくわからない。
姓の変更手続きだけでなく、姓が変わること自体が面倒という意見が多数なのでは?そのカウンターとしての通称使え論があるわけで。マイナカードで便利になってくれたらそれは嬉しいけれども、議論の次元が違うかなと。
・むしろ姓にこだわってアインデンティティをそこに求めてる人たちなの?
それでも別にいいんだけど、選択的夫婦別姓賛成派の人たちは「そこにこだわりはない」と言い張るけど、とてもそうとは思えない。別にそれでいいんだけど、そうなると「伝統とか言ってるけど、姓ができたのは明治からです」と整合性が取れない。
「とてもそうとは思えない」などと断じる相手とは議論したくない・できないと思うよ賛成派も。色々な人がいるに決まってるよね?君の想像力や視野は世間一般と比べてかなり弱い・狭いほうなので、あまり他人や物事について断定するような思考は意識的に控えたほうが良いと思うよ。ついでに言うと、明治からできた姓というものにアイデンティティを求めることの何が非整合的なのか説明してくれる?