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諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

金華山黄金山神社に拒まれた私。 その1

2014年07月13日 11時36分09秒 | 神道

「3年続けて参拝すれば、お金に悩む事はない」。これ宮城県牡鹿半島先端に鎮座する島・金華山黄金山神社の有名なフレーズです。

正直に言います。これ私には当て嵌りませんでした。

私も三年間通って参拝しました。新聞販売時代、参道の石の柵に7000円出して店の名前を彫って貰いましたが、店は残念ながら廃業と相成りました。

私の店だけではありません。バブル期に徳陽シティ銀行がありました。地元の第二地銀です。この徳陽シティ銀行の全支店名も黄金山神社の参道の白い大理石??の柵に彫られていましたが、バブル崩壊とともに徳陽シティ銀行は経営破綻。倒産した銀行の支店名が延々と連なっているは石の柵は、まるで墓標の様です。黄金山神社側も「しまった」と思っているのではないでしょうか。

私も悲しくて自分の家の店の名前を探す気にもなりません。嫌な思い出ばかりですので。でも、これでいいと思うんですよ。黄金山神社に祀られている弁財天は本来は弁才天なのだから。

弁才天は財運の神では御座いません。戦いと呪いの神です。祟って殺す神、つまり死を司る神です。それは六臂に握られた武器が証明してます。弁才天の本当の姿は六本腕、もしくは八本腕と言う事です。

六本腕等で剣や弓、斧なんか持っている訳ですから財運の神のはずはありません。「それじゃマズイ、平和な時代に対応出来ん」と思って平安時代初期の神職関係者??は、恐れ多くも弁才天様の腕を六~八本から人間同様二本に落とし、美しい半裸のお姿で琵琶を奏でている弁財天に変えてしまったんです。財運の利益も後から考えられたものだと推測します。

そんなことも知らずに弁財天のご利益にあずかろうとしても駄目だと思います。戦勝祈願ならOKだと思いますけど。

っとは言いましても黄金山神社には、アラハバキ神であり金属神でもある金山彦命・金山姫命が祀られています。そして両神の仏号は弁才天。つまり弁才天は金(ゴールド)の神となりますから財運と連想しちゃいますよね。

私もその点を突かれるとシドロモドロになっちゃうのですが、極端な話、大和朝廷は蝦夷から金を奪う為に侵略したのです。それでアラハバキ神である金山彦神・金山姫神、つまり弁才天に金運を願うのは罪悪感があります。複雑な私なのです。

そんな訳で参道の柵に彫られた店名の件は、それはそれで納得しています。潰れて当然とは言いませんが、これで良いのだと思っています。

何故、そんな風に思うのかって。

よくぞ聞いて下さいました。実は私、黄金山神社に参拝を拒まれた事があったんです。それだけでは無く、攻撃された事もあります。

何でそんな目にあったのか。

今回はその出来事を自分なりに解説して行きたいと思います。勿論、これは私の思い込みの話なんですが・・・・・・・・・・。


つづく。




コメント (2)
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