「明日突然働けなくなって、職場に戻ってくるのに何年もかかったら」という不安に怯えてないってことなんだろうな。
今してる仕事についていつだって限界を感じているし、かといってまともな条件の転職先が見つけられるとも思えない。
公務員10年目、普通の会社で一度ぶっ壊れそうになって逃げ込んだからもうだいぶいい年だ。
身についたのは親方日の丸の立場で民間企業に泣きついたり脅しをかけたりしながら渡っていく技術だけで、こんなのが使えるのは本当に公務員という肩書があるときだけだろう。
職場で回ってくる人事や給与に関する情報を見ていると、研修で知り合った同期のうち何人かは望まぬ休職をしたのであろうことが見て取れる(公務員はなんでも書類に残すし、何でも共有していく文化があるから形式に慣れると信じられんぐらん大量の情報が公式に筒抜けになる)。
普通の人は、「そういった役立たずのロクデナシと俺は違う。次が自分の番になる可能性?そんなの考えるよりは交通事故を心配すべきだね。だって次の転勤先は北国かも知れないんだもの」と考えるのだろう。
自分は違う。
そうやって信じられる側の人間じゃない。
もし産まれた時代が現代の東京だったら、周囲とうまくやってけないからとひまわり学級や通信教育に送られてた可能性だって低くない側だ。
もしも次に自分の上や下に来た人間が「定型発達がどうこう言われてる人って絶対ただの甘えですよね。本当に大変な人は精神科経由で役所のお世話になって福祉センターから貰った仕事で働くことになるんだから、そうじゃない時点でただの甘えですよ」みたいなメンタリティだったら、殺される可能性を考えないといけないなといつもビビってる。
自分のようないつ社会からドロップアウトするかわからない人間によっては、「貯蓄=なにかあったときの経済的寿命」となる。
いざというときには通院費も含めて250万円あれば1年暮らせると考えれば、「貯蓄÷250万円=経済的寿命」というわけだ。実際には翌年の住民税があるからそこから更に引かれるけど。
およそ「7000円=1日」なので、7000円の買い物をしようとすると「俺は寿命を1日使ってこれを買おうとしている。それを10回繰り返せば10日、100回で100日、金が尽きて死ぬ時、俺はそれを後悔せずに居られるのか?」と考えてしまう。
普通の社会人だったら「新しいモンハンマジで神ゲーっぽいんでゲーム機ごと買いましたわ。7万円もしちゃった。まあゆーてボーナスも入ったし」と趣味に対してのある程度の出費を割り切って生きられるんだろうけど、自分は「10日分の寿命を使うほどの価値があるのか?ゲームを買ってもやる時間を失うなら無意味では?」とモヤモヤしだして動けなくなってしまう。
趣味に金を使える人からすれば、自分のこの感覚は理解できないんだろうな。
そもそものスタート地点である「突然自分が働けなくなる。それも長期的に」という不安自体が理解してもらえなそうだ。
俺からすればいつだって生き延びることが精一杯だし、職場の中でなんとか綱渡りを繰り返しながら生き延びていることに奇跡的な生還をいつも感じている。
そんな状態でダラダラ生き延びて何をしたいのか、自分でもわからない。
きっとある日突然凄い科学技術が全部を解決して、自分が幸せに生きられる日を待っているんだろう。
科学なんて関係なくコロナや震災や政権交代で世の中なんていくらでも変わるんだからと、ただただ世界が変化する瞬間を待っているような。
毎日何を楽しみに生きているんだろう。
やすいメシを食って、適当なサイトで無料で漫画を読んで、気だるさがなくなるまでひたすら寝まくって、こんな毎日の向こうに何も無いのに、それでも寿命を減らすことが怖くて趣味に金を使えない。
俺の中にある漠然とした恐怖を持たずに生きている全ての人が羨ましい。
〇ゆき「えー、生活保護を受ければいいと思いまーす」
小雪「SK-II」
ワイは年収750万円資産1億円やけど趣味は金かからないからほとんど金使わないやで。