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コラム:パラリンピックの記憶から(2016/10/24)
 スポーツ千夜一夜

これは、競技スポーツだ

 リオデジャネイロから届いた熱気も秋風とともに収まりかけているが、あらためて振り返ってみて思うのは、日本国内でパラリンピックの存在感が飛躍的に大きくなったということだ。今大会は新聞や放送の報道量が増え、書店ではパラリンピックの観戦ガイドも売られていた。2020年の五輪・パラリンピックが東京開催となったことが、こうした流れに間違いなく拍車を掛けている。

 パラリンピックは少し前まで地味な扱いを受けていた。私は2002年に米ユタ州ソルトレークシティーで開催された冬季大会を取材しているが、当時は今ほど露出が大きくなく、取材に当たるのも社会部などの記者が多かった。競技結果以上に、いかに障害を乗り越えたかという部分に重心が置かれていたためだ。

 大会前に東京で開催された日本選手団の結団式もひっそりとしていて、通常のスポーツ取材との違いに戸惑いも感じた。何しろ車いすの人や、手や足をなくした大勢の人を目にするのは初めてのこと。「障害のある人は気の毒ですから、じろじろ見てはいけません」。子どもの頃に先生にそう言われたためなのか、それまでの自分は視線ばかりか、何となく意識まで障害者に向けないようにしていたことを感じて恥じた記憶がある。

 しかし百聞は一見にしかずとはこのことで、競技会場で取材を始めるとすぐに彼らに対する認識を改めることになった。下肢に障害のある選手が操るチェアスキーはまさに神業。スキー板の上に設置した座席を右へ左へと大胆に傾けながら猛スピードで滑降するわけで、転倒したときには、雪煙の向こうに無事な姿があることを祈らずにいられないほどの迫力である。転倒した選手の悔し涙を見て、「これはリハビリの延長線上のものなどではなく、競技スポーツだ」と痛感したものだった。

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