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記者が追った田中将大の1カ月 楽天復帰発表からキャンプ、実戦登板まで

「特別なシーズン」に導かれた

 米大リーグの名門、ヤンキースで主戦として活躍してきた田中将大投手(32)が日本球界に戻ってきた。2013年にプロ野球の楽天を悲願のリーグ優勝、日本一に導いた右腕。シーズン24勝無敗という夢のような成績を残して以来、8年ぶりに古巣のユニホームに袖を通した。

 昨季でヤンキースとの7年契約が終了してフリーエージェント(FA)に。新型コロナウイルスの影響が影を落とし、FA市場をめぐる動向や環境が例年とは異なっていた中で、楽天への復帰を決断した。楽天で99勝、ヤンキースで78勝を挙げ、はや日米通算177勝。その存在は楽天のチームメートやライバル球団、さらにはプロ野球ファンにも極めて大きな影響力を与え、21年の球界を彩るだろう。楽天入り決定、入団記者会見から約1カ月の足取りを追った。(時事通信社 三浦早貴、嶋岡蒼、峯岸弘行)

◇ ◇ ◇

◆1月28日

 楽天が田中の復帰を発表。石井一久ゼネラルマネジャー(GM)が経緯を説明した。今季から監督を兼務する石井GMは、かつて剛腕のサウスポーで鳴らした。ヤクルト、西武の日本球界で143勝、ドジャース、メッツの大リーグで39勝。日米通算182勝を誇り、田中が置かれている立場や意向を十分に理解、尊重しながら、交渉してきた。

 「情報が錯綜(さくそう)していた中で、田中投手とはぶれずにしっかりとコミュニケーションを取り、彼の選択を待って、考える機会を渡せたのではないかと思う。田中投手から『楽天でプレーさせていただきます』と連絡を受けた時、ほっとしたというか、彼の決断をしっかりと受け止められたな、と思った」

 2年契約で、推定年俸は9億円プラス出来高払い。菅野智之投手(巨人)の8億円を上回る日本球界最高額となった。背番号は以前の楽天在籍時と同じ「18」に決まった。

 「まず先に、田中投手の意思が日本にあるのか米国にあるのか、というところが大事。それが日本にあるということを伝えてもらった時に、条件提示をしっかりと出せるように準備を整えてきた。彼はいろいろなオファーをもらえる中にいたので、気持ちの整理をしてほしかった。意思表示があるまで、条件提示は出さなかった」

 今年は東日本大震災の発生から10年。仙台市が拠点の楽天にとって、特別なシーズンとなる。石井GMは、こう話した。

 「(田中との交渉過程で)『今年は特別というか、本当に大事なシーズンなんだよね』という話をして、彼も『もちろん、そうですよね』と。何かを感じることはあった。そこで互いに深い話をするというより、そういう年に導かれるというのも、本当にスペシャルな選手にしかあり得ないタイミングなのかなと思っている」

◆1月30日

 田中が楽天入団の記者会見に臨んだ。会場は東京都内のホテル。時折顔をほころばせ、人懐っこい「マー君」の笑顔で応じた。冒頭のあいさつで、三木谷浩史オーナー、立花陽三球団社長、石井GMに対する感謝の念と、震災10年への思いを口にした。

 「快く送り出してくれて、そしてまた、温かく迎えてくれた三木谷オーナーには感謝しかありません。立花社長には毎年オフ、仙台の施設などを好きなように使ってくれ、と温かいサポートをしていただきました。石井GM兼監督には今回、僕の気持ちにも寄り添っていただいて、『田中選手が必要なんです』と言っていただき、選手として本当にありがたい高評価をしていただいたと思っています。震災から10年という年で、自分が初めてFAになってチームを選べる立場にあったわけですが、その中で10年という数字はやはり、自分にとって意味のあるタイミングなのではないかな、というふうにも思ったので、このような決断に至りました」

イーグルスを上回るものはなかった

 田中は記者会見の中で、FAになったオフの間、進路に悩み、熟考したことを打ち明けた。

 「FAになった瞬間、僕の考えでは正直、ヤンキースと再契約してプレーしたいという思いがあった。でも、早い段階から代理人を通じて(状況を)聞いている中で、別の道を歩んでいかないといけないんだな、と感じた。それ以降さまざまなことを考え、日本のことを含め、今までになかったほど考えて、悩んで悩み抜いた」

 そして楽天でプレーすることを決めた。米球界からのオファーもあったという。

 「一番はやはり、自分がどういう野球をしたいのか、どういう環境の中でやりたいのか。この厳しいコロナ禍の中でも、7年間向こうでプレーしたことを非常に評価していただき、大きなオファーというのもあった。その中でも、イーグルスでプレーをして日本の方々の前で投げるということ、そこを上回るというものは最後までなかったので、こういう決断になった」

 プロの第一歩を記した古巣で再び―。その予感があったのか、との質問には、言葉を選んだ。

 「このことについて少しでも言うと誤解を招いたり、そういう話題が独り歩きしたりするのが嫌だったので、かたくなに答えてこなかったが、大前提はイーグルスからオファーを頂かなければ自分が戻りたくても戻れない。そこが一番だが、必ず日本に帰ってきてイーグルスでまた、キャリアの晩年ではなく、どこかいいタイミングで、また日本でバリバリと投げたいな、という思いは初めからあった」

本気で日本一を取りにいく

 背番号「18」には思い入れがある。2年契約に関する強い覚悟もにじませた。

 「18番をつけてプロ野球選手のキャリアをスタートさせているわけだし、18というと、やはりエースナンバーの印象がものすごくある。以前背負ったから(また)つける、というだけでなく、結果や姿で示していければいいなと思う」

 「2年という契約にはなっているが、1年が終わった段階で球団の方とのお話の機会を設けていただいている。米国でやり残したことがまだあると、自分では思っている。そこに関しての選択肢、オプションというのは完全には捨て去りたくなかったので、こういう契約をさせていただいたが、決して腰掛けなどではなく、本気で日本一を取りにいきたい、イーグルスでプレーしたいと心から思っての決断。生半可な気持ちではどの世界でも成功することはできないと思う。まずは今シーズン、全力で戦いたい」

「侍ジャパン」入りにも意欲

 田中はプロ入り2年目の夏、2008年北京五輪に19歳で出場した。東京五輪が今夏に延期となっている今、楽天に復帰したことで野球日本代表「侍ジャパン」の有力候補に浮上。本人もその意欲をのぞかせた。震災10年のシーズンに向け、被災地で雄姿を披露する自覚も示した。

 「(本来は)20年に五輪開催ということだったので、自分は出られない立場にあった。延期になり、日本球界に戻って出るチャンスがあるということだから、選ばれるのであれば断る理由はないし、出たいと思っている。(日本が3位決定戦で敗れてメダルを逃した)北京五輪では悔しい思いをして終わっているので、野球が(東京大会後は)五輪からなくなってしまうという状況でもあり、自国開催で金メダルを取りたいなと思う」

 「(東日本大震災の被災者と)一緒になって頑張りたいという気持ちはもちろん、今でも変わらない。今まで以上に近くにいられることで、また僕に何かできることがたくさんあるかもしれない。できる限り努力していきたい。まずは球場で、マウンドで、いい姿を見ていただけるように努力していかなければ、と思う」

日本一のシーンをモチベーションに

 13年、田中は22勝無敗で楽天のパ・リーグ初優勝に大きく貢献した。クライマックスシリーズ(CS)を経て迎えた巨人との日本シリーズ。3勝2敗と王手をかけた楽天は第6戦を2ー4で落とし、田中は160球の完投も実らずCSを含め同年初の黒星を喫した。翌11月3日、3勝3敗で地元仙台での第7戦。田中はベンチ入りを志願した。そして3-0の九回、星野仙一監督の絶大な信頼を背に、連投のマウンドへ。闘志と気迫をみなぎらせた力投で締めくくり、「胴上げ投手」となった。ファンの記憶に焼き付いているシーンだ。

 「(日米で)舞台が違うので比べることはできないが、(ヤンキース時代も)同じような興奮、やりがいを感じた年はあった。どちらがどう、ということではなく、自分の野球人生で大きな出来事であるのは間違いない。米国で7年間プレーして、登板前に自分のモチベーション、集中力を高めるために見るビデオがあり、そこに(楽天での)日本一の瞬間は入れていただき、それを見てゲームに入っていった」

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