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ハイチ 慟哭の島

DAY1――1月14日(木)

 夜9時。ハイチの隣国ドミニカ共和国のサントドミンゴの空港に1人降り立った時、どうやったらハイチ入りできるのか、見当すらつかなかった。思いつく限りのつてには当たってみたが、同行取材の類は断られたし、空港でもコンビを組めそうなジャーナリストには出会わなかった。陸路なら食料や水、燃料など必要なものをある程度運び込めるが、この時点で運転手を手配するめどはついていない。空路は時間が節約できるが、現地入りした後の「足」の確保が気がかりだ。

 2日前の12日、ワシントン支局内で仕事中、ハイチ大地震の一報が入った。翌日に現地入りしたCNNテレビの映像を見て、漠然と「行きたい」と思った。だから米国から特派員を派遣するという話が出た時、思わず手を挙げた。不安がなかったと言えばうそになるが、生死の境目で闘う人々の声を伝えたいというのは、記者なら誰しも心に秘めている願いだと思う。

 支局長の理解と支援があり、安全上の問題などあらゆる可能性を検討した上で現場行きが決まった。くれぐれも無理をしないようにクギを刺されたが、情報不足の中で、すべてを事前に整えることは不可能だ。現地に入ってみないと分からないことは多いし、その場その場でリスクを計算しながら、1歩ずつ現場に近づくしかない。

 空港からホテルに向かうタクシーに乗り込み、運転手と雑談。学生時代、スペイン語のクラスでは落ちこぼれだったが、多少の単語は覚えている。「ハイチに行く」「自分は記者だ」と話すと、運転手がなにやら早口でしゃべり出した。「分からない」。彼が携帯でどこかに電話をかけ、私に渡す。彼の息子の通訳によると、明日の朝7時に郊外のイグエロという地方空港から、ジャーナリスト用のチャーター機がハイチに向けて飛び立つという。

 ホテルに到着して、フロントデスクでこの情報を確認してもらうと、朝6時までに空港に行き、500ドルを払えばポルトープランスまで1時間で到着できると告げられた。現地到着後の当てはないが、陸路を選べば、仮に運転手を翌朝早い段階で確保できたとしても、現地入りは夜になる。とにかく搭乗予約を入れた。

 もともと大した荷物は持ってきていないが、徒歩で移動しなければならない事態も考え、寝袋と最低限の着替え、ペットボトル5本に入った2―3日分の水、栄養バランスバーをパソコンや衛星電話とともにバックパックに詰め、残りはホテルに預けた。短期戦になってもいい。今、確実に目の前にある手段で早期の現地入りを優先すべきだ、そう思った。出発まで1時間寝た。

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