パート女性に広まる労働時間短縮
配偶者のいる女性のパートやアルバイトはもう少し働いて収入を増やしたい人が多いのに、社会保険加入や所得課税の対象になったり、夫の勤務先の家族手当支給が停止されたりすることで手取りが減るのを避けるため、働く時間を減らしている──。野村総合研究所が実施したアンケート調査から、「年収の壁」による「働き損」を避ける目的で就労調整が広がり、時給上昇にもかかわらず収入が伸びていない状況が浮き彫りになった。
野村総研は就労調整をしなくても済む環境を整備して世帯収入が増えれば、「実質的な賃上げ」による物価高対策などにつながると指摘。社会保険料支払い負担に伴う手取り減を補ったり、家族手当の所得制限撤廃を企業に促したりする政策を講じるよう求めている。(時事総合研究所客員研究員 堀義男)
「103万円以下」に6割
野村総研は2022年9月、パートやアルバイトで働く有配偶者の女性を対象に、インターネット方式で「就労の実態と意向に関する調査」を実施した。回収者数は20歳代から60歳代の各世代618人の計3090人。同社未来創発センターの梅屋真一郎制度戦略研究室長と武田佳奈エキスパート研究員が日本記者クラブで説明した。
「年収額を一定以下に抑えるため、就業時間や日数を調整しているか」との質問に対し、全回収者の61.9%が「調整している」と答えた。肯定した1914人に「就業調整の意向は誰によるか」と尋ねたところ、87.2%が「主に自分や家族の意向」と回答した。
また「時給の上昇により年収を一定以下に抑えるためには就業調整をせざるを得ないと感じたことがあるか」との問いには、肯定が59.4%、否定が33.3%で、6割近くが年収の壁を意識していた。
就労調整している人に年収水準を質問(回収数1685人)すると、「年収100万円以下になるようにしている」との回答が39.3%を占め、「103万円以下」までで64.4%に達した。年収が100万円を超えると働き手本人の住民税納付が必要になり、103万円超で本人の所得税納付が求められるとともに、夫の配偶者控除(38万円)の対象外になる。
さらに、106万円を超えると勤務先によっては社会保険加入による保険料支払いが必要で、130万円超で加入は必須となる。加えて「妻の年収が103万円または130万円を超えると、多くの企業で家族手当の支給対象外になる」(武田氏)。
30万円増で家計楽に
こうした年収の壁の問題はこれまでも指摘されているが、今回の調査結果から改めて有配偶者の女性パート・アルバイトの働き方への影響の大きさが確認された。
就業調整をしている人に「一定の年収額を超えて働いても手取りが減らない(働き損にならない)場合、年収が多くなるよう働きたいか」を聞くと、「とてもそう思う」36.8%、「まあそう思う」42.1%を合わせ8割近くを占めた。「あまりはそう思わない」17.6%、「まったくそう思わない」3.6%の合計は2割強にとどまっており、「働きたいのに(年収の壁に)阻まれている」(同氏)と受け止められる。
このうち「とてもそう思う」と答えた750人に「年収がいくら増えるように働きたいか」を尋ねると、「200万円以上」(9.7%)など挙げられた額には幅があったが、「30万円未満」がほぼ半数に達した。内訳は「10万円以上20万円未満」が13.7%、「5万円未満」13.0%、「20万円以上30万円未満」12.4%、「5万円以上10万円未満」10.9%。同社はこの結果を受けて「年間30万円程度の手取り増で家計が楽になる」(同氏)と推し量っている。
アンケートでは、社会保険制度見直しに関しても尋ねた。働く時間や雇用形態にかかわらず、勤労者すべてが厚生年金と健康保険に加入できるようにする「勤労者皆保険」について「内容を知っている」は全回収者数(3090人)の11.3%にとどまり、「聞いたことはあるが、内容はよく知らない」34.1%、「聞いたことがない」54.6%と、認知度の低さが示された。
さらに、皆保険に関して「これまで厚生年金に加入できなかったパートやアルバイト、フリーランスにとって年金受給額が増え、老後の安心につながるメリットがあるといわれている」と肯定的な説明を加えて賛否を尋ねた。「賛成」が19.5%、「どちらかといえば賛成」57.0%、「どちらかといえば反対」19.0%、「反対」4.5%と、賛成が8割近くに上った。
消費増税と同インパクト
野村総研も政府・日銀などと同様に「賃上げがデフレ脱却、経済再生のカギを握っている」とみており、アンケート結果を受けて有配偶者の女性パートやアルバイトの手取り額を増やすことで、世帯としての実質的な賃上げや経済・物価高対策につながるとの視点から年収の壁を克服する道を探った。
物価の現状は新型コロナウイルス禍やロシアのウクライナ侵攻をきっかけとしたエネルギー、食料危機を背景に、電気・ガス料金や小麦製品、冷凍食品などさまざまな食品価格が高騰・高止まりしている。さらに、急速に進んだ円安が輸入インフレ圧力を高める形で物価高に拍車を掛け、22年10月の消費者物価指数(CPI)は前年同月比3.6%の上昇と、1982年2月(3.6%)以来の伸びを記録した。
「日本の消費者物価上昇は他国より低水準」(武田氏)ながら、ニッセイ基礎研究所は一段と進む物価高に伴う家計の負担額が総世帯で8万2000円、勤労者世帯(2人以上)で10万円それぞれ増えたと分析している。
野村総研はこれを基に「負担増加額は世帯消費支出の3%程度と試算されることから、家計の負担は消費税3%増税に相当する」(同氏)と指摘する。これまでの消費税引き上げ局面では、駆け込み需要と反動減を含めた個人消費の急後退によって景気失速を招いている。今回の物価高は消費税引き上げと同様の強い負のインパクトを日本経済に及ぼしかねない。
「食品や電気・ガスなどの値上がりで、家計の体感物価上昇率はCPIを大きく上回る」(エコノミスト)とし、家計への圧迫が統計数値以上に大きいとの見方も聞かれる。野村総研も「新型コロナウイルス禍以降低迷している消費支出の一層の抑制につながる可能性も否定できない」(武田氏)と懸念する。
同社は物価高が経済に及ぼすリスクシナリオとして①資源価格上昇と円安による輸入物価上昇②企業の価格転嫁③家計の生活防衛による消費落ち込み④企業が価格転嫁を断念し業績悪化、給与削減⑤景気低迷・悪化で一層の円安──との「賃金デフレと経済縮小」の負の連鎖入りを挙げる。その上で、日本経済について「低迷の悪循環に陥るか、デフレから脱却し再建できるかの正念場」(同氏)と危機感をあらわにしている。
非正規女性の収入増カギ
物価と賃金の関係は「卵が先か鶏が先か」(渡辺努東大大学院教授)と比喩されるように、どちらかが先行しつつも「セット」で上昇していくのが正常な経済の姿だ。同社も円滑な価格転嫁で企業業績を維持するとともに、迅速な賃上げで消費の落ち込みを防ぎ、その後も企業業績回復による一層の賃上げを通じて「デフレ脱却と消費回復で経済再建」の好循環入りすることが「目指すべき道」と位置付ける。
そのためのカギを握る賃上げに関して、正規雇用だけでなく、雇用市場で比重の高まる非正規雇用の所得環境向上が重要と捉える。同社が総務省の統計に基づき集計したところ、正規雇用者はバブル経済崩壊初期の1991年(2月時点)の3639万人から2021年(年平均)は3565万人とほぼ横ばいの一方、非正規雇用は897万人から2064万人と2.3倍に拡大。雇用者数全体に占める割合も18.4%から36.7%に上昇した。
同社は経済の好循環を実現するには「賃上げなどで世帯収入を増やすこと」が不可欠とし、そのため正規雇用のベースアップ(基本給引き上げ)に加え、4割近い非正規雇用に関しても「世帯収入増を目指すべきだ」と強調する。中でも、女性の働き手の多いパートの時給が10年の1051円から21年に1263円と20.2%も上昇したのに、年収は115万円から119万円と3.7%増にとどまっていることを挙げ、「特に、有配偶者の働く女性は6割が非正規雇用で、そうした女性の所得増が世帯収入増のカギを握る」(武田氏)とみている。
138万円まで「働き損」
野村総研が有配偶者の女性パートの年収伸び悩み理由の一つとするのが労働時間の短縮で、1993~2005年には1カ月当たり95時間超だったパートの総実労働時間が15年に90時間を割り込み、20、21の両年は80時間を下回る水準まで短縮した。
また、同社が厚生労働省の統計に基づきまとめたところ、有配偶者のパート女性の年収(15年)はほぼ半数が100万円の手前、8割近くが130万円の手前だった。前述したように、年収が100万円を超えると本人に住民税が課税され、130万円超では社会保険加入の対象になるなどの「壁」が立ちはだかる。
同社が各種データを基に、夫の年収を500万円、家族手当の支給月額を1万7000円などと仮定して試算したところ、妻の年収が100万円の場合の世帯年収は513万円だが、106万円に増えると①妻の社会保険料負担が新たに年約15万円発生②夫が受けていた家族手当が支給停止──になるケースで、世帯年収は489万円と24万円も減収になった。妻は年収が4割増の138万円に達するまで働かないと、世帯年収は以前の水準に回復せず、いわば働き損となる。
また、パートの時給は人手不足の影響や政府の後押しで上昇を続けている。同社が年収100万円で働き続ける場合を想定したところ、1993年の時給950円では1カ月当たりの就労可能時間が87.8時間だったが、時給の上昇に反比例する形で短くなり、2021年には1263円に時給が上昇した結果、就労時間は66時間と2割以上も減らさざるを得なくなっている。
保育所託児に影響も
一方でアンケート結果からは、就業調整しているとの回答者の約8割が「年収の壁による働き損にならなければ、今より年収が多くなるように働きたい」と望み、増収希望額は30万円程度までが目立った。時給上昇前の就労時間を維持していれば十分可能な金額だ。
さらに、時給が今後も12年以降の年約2%で上昇を続けると想定した場合、23年には1314円になり、年収100万円で働き続けられる就労時間は63.4時間、28年の1450円超では57.4時間にさらに短縮。保育所利用にも影響が及びかねない問題が生じる。
同社によると、自治体が決める保育所利用要件では、保護者の就労時間は月当たり48~64時間以上と定められている。「実際には自治体の多くは64時間よりも低い基準」(武田氏)だが、自治体によって23年にも就労時間不足で保育園を利用できなくなる恐れはある。
インセンティブ付与を
野村総研は年収の壁が及ぼしているデメリットを踏まえ、政府に対して経済・物価高対策の一環として、年収の壁による働き損の解消を実現するよう要望。①「年収の壁」を超え、社会保険料の支払い負担が増えたことで発生する手取りの減少を補う②年収の壁につながる家族手当の所得制限撤廃を企業に促す──ための具体策を講じるよう求めている。
これについて梅屋氏は物価高の状況下、世帯収入の増加を「喫緊の課題」と位置付けた上で、「社会保険料は急で大きな負担になり、高い壁になる。政府はこれを乗り越える工夫をしてほしい。強いニーズがある」と訴えた。その際、社会保険納付基準の引き上げは議論に時間を要すとし、パートが納付した社会保険料を何らかの形で相殺する企業に給付金を支給するアイデアを示した。企業がパート労働者に課される社会保険料を負担し、政府などが補塡(ほてん)するといった枠組みが想定される。
梅屋氏はまた「7~8割の事業者が支給している」とする家族手当に関しても「基本給を引き上げて廃止する企業はあるが、労使合意が必要になる。労働側には不利益変更との受け止めもある」とし、簡単には進まないとの認識を示した。迅速な対応を促すため、賃上げ促進税制の対象に家族手当支給上の所得制限を廃止した企業を加え、インセンティブを付与してはどうかと提案した。
実質的に4%の賃上げ
野村総研は年収の壁の問題が克服されると、経済効果や人手不足対策にもつながるとも見込む。同社によると、有配偶者の女性パートが働き損の生じない就労環境の下で労働時間を2割増やすと、世帯年収が20万円増える。パートで働く女性の配偶者の給与手取り額が年400万円程度の場合、「世帯年収が4%増となり、実質的には4%の賃上げに相当する」とし、2人以上の勤労者世帯が物価高で受ける負担増加額10万円を上回る効果が見込めるとしている。
さらに①就労時間が2000年代前半と同程度の1カ月当たり96時間②時給が1500円──で、本人の年収は180万円(税金などを引かれた手取りは147万円)になり、働き損回避のため就労調整していた同100万円から大幅アップするとしている。
また、有配偶者の女性パート(342万人)のうち、年収100万円未満層の労働時間が2割増えた場合の収入増総額は年間約7000億円と、20年の民間事業者による給与総額約219兆円の0.3%分の増加額に相当すると推定。厚労省が▽雇用者報酬が1%増加すると追加生産約3兆円につながる▽その場合、新たな雇用者報酬約7000億円が家計に回る──と試算しているのを踏まえ、0.3%の収入増で追加的生産が約1兆円生まれ、新たな雇用者報酬約2200億円が家計に回るとの経済効果を挙げる。
人手不足解消も
一方、小売り、飲食などパートやアルバイトの就業が多いサービス業をはじめ日本は慢性的な人手不足に直面し、少子高齢化の進展によって今後ますます深刻化するとの危機感が高まっている。
同社では「新型コロナ禍前より労働力不足は深刻化し、30年時点で850万人超の不足になる」と想定。これに対し、生産年齢人口(16~64歳)の男性はほぼ全員が就労状態にあると仮定した上でも、「就労しやすい環境、設備投資による女性や男性シニアの一層の労働市場参画が不可欠」と指摘する。
ただ、年齢階層別に見た労働力人口比率の中で、男女とも64歳まで最も高い比率(男性95.7%、女性86.9%)が維持される「64歳までの労働参加が進むシナリオ」の下でも、30年の人手不足は468万人と推計している。
他方、21年の1人当たりの月間総実労働時間はパートが78.8時間で、一般労働者の162.1時間の48.6%にとどまっている。同社は30年の全就業者数におけるパートの割合が21年と同じと仮定した場合、1カ月当たりの労働時間を17時間追加すれば30年に不足を見込む労働需要を満たせると試算。パートの労働時間が月96時間程度になれば30年の人手不足は解消できると予想する。労働時間を1990年代後半から2000年代前半の水準に戻せば可能で、実現は難しくないとの判断だ。
「年収の壁の解消による労働時間増と時給上昇の両輪で、 労働力不足解消と女性の経済的自立および国民の所得増を実現できる」──。
梅屋氏が強調するトリプルメリットの実現は、仮定を置いた試算が多いため定かでない面も残るが、効果の検証を欠いたままのバラマキ型の物価・経済対策より取り組む価値は数段高い。
(時事通信社「厚生福祉」2022年12月13日号より)