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「手術要件は合憲」は覆るか 性別変更巡る審判、最高裁大法廷で判断へ

2023年01月24日08時00分

 性同一性障害特例法が戸籍上の性別を変更する要件として性別適合手術を掲げていることは憲法に違反するかどうかが争われた家事審判で、最高裁の審理が大法廷で行われることになった。2019年の最高裁小法廷決定では合憲と判断されたが、今回、判例変更があるのではと関係者の間では期待が高まっている。こうした動きについて山形大学准教授の池田弘乃さん(法哲学、ジェンダー・セクシュアリティと法)に寄稿してもらった。

◇  ◇  ◇

 2003年、「性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律」という法律(特例法)が制定された(04年7月施行)。一つの法律を作るというのは大変な作業である。まして議員立法の場合は、懸命の合意形成や苦渋の決断が必要になることも少なくない。特例法もそんな議員立法の一つである。特例法の対象となるのは「性同一性障害者」である。同法はその定義から始まる。いわく、生物学的な性別とは「別の性別」であるとの持続的な確信を持ち、かつ自己をその「別の性別」に身体的・社会的に適合させようとする意思を有する者である。特例法はこれに加えて、経験ある2人以上の医師による診断という要件も設けている。この「性同一性障害者」に該当する者は、さらに一定の要件を満たすことによって、法律上の性別を変更できる。

 その内容については、制定当初からさまざまな議論がある。しかし、まず法律ができたことで次なる変化への足掛かりができたということは確認しておきたい。実際、制定当初の特例法には附則として「法律の施行後三年を目途として」改正の検討を行う旨が定められ、08年には、要件の一つ「現に子がいないこと」が「現に未成年の子がいないこと」へと改正された。その法改正の際にも、再改正を「必要に応じ、検討」する旨が附則に定められた。

 そして、特例法制定から20年を迎えようとする今、特例法の要件の一つについて、その合憲性が「再度」最高裁で判断されることになった。対象となっているのは、法律上の性別変更のためには生殖能力を喪失している状態であることを求める要件(「本要件」)の是非である。

「不断の検討」の意義

 「再度」というのは、本要件について19年1月23日の決定で最高裁第2小法廷は、一度「合憲」という判断を下しているからである。今回、最高裁は問題を大法廷で審理することを決めた。これは、場合によっては最高裁が判断を変更する可能性もあることを意味する(裁判所法10条3号)。

 19年の第2小法廷決定では、本要件が本人の「意思に反して身体への侵襲を受けない自由を制約する面もあること」は認めている。しかし、(1)変更前の性別で子をもうけると「親子関係等に関わる問題が生じ、社会に混乱を生じさせかねない」こと、また(2)「長きにわたって生物学的な性別に基づき男女の区別がされてきた中で急激な形での変化を避ける」こと等への配慮に基づく本要件は、「現時点では、憲法13条〔個人の尊重、幸福追求権〕、14条1項〔法の下の平等〕に違反するものとはいえない」と第2小法廷は結論付けたのだった。

 この合憲判断に「現時点では」という修飾語が付されていることは注目に値する。第2小法廷は、本要件の合憲性は「不断の検討を要する」とも言っている。さらに、鬼丸かおる・三浦守両裁判官による補足意見は、(1)について、極めてまれな事態であり混乱は相当限られたものであること、(2)について、国民の意識や社会の受け止め方にも相応の変化が生じていることを指摘し、「現時点では、憲法13条に違反するとまではいえないものの、その疑いが生じていることは否定できない」と一歩踏み込んだ判断を示している。

 今回、この憲法上の問題を大法廷で審理することが報じられた際、私自身は率直なところ驚いた。合憲決定からまだ日も浅く、裁判所として何か新しい判断を下せる状況の変化があったかどうかにわかには分からなかったからである。しかし、最高裁は、本要件の合憲性には「不断の検討」が必要という自らの言葉を誠実に実行しようとしている。もちろん、判断の行方は全く予断を許さない。19年の合憲決定は(1)と(2)の事情を挙げた上で、本要件の是非は「社会的状況の変化」に応じて変わり得ると述べていた。(1)については親子法上の課題はクリアできるとの研究もあり、(2)についても「急激な変化を避ける」ための慎重な「配慮」は既に十分果たされてきたとみることもできるかもしれない。本要件によって制約されているのは「憲法13条の保障する自由」であるかどうかについて、最高裁大法廷が正面から論じるかにも注目したい。

より理にかなった社会へ

 出生時の登録とは異なる性別を生きようとする人々が、自身をどこまで身体的・社会的にその異なる性別に適合させようとするかは、人によって実にさまざまである。とりわけ、「自分自身の性」を生きようとするとき性別適合手術が、本人にとってどこまで切実で必要なものとなるかは千差万別というほかない。そもそも必要としない者、可能ならば行いたいが身体的理由(他の疾患等)・経済的理由で手術が困難な者、必要とは考えないが法的性別を変更するために背に腹は代えられぬと手術を行った者、多様な当事者の姿が改めて浮かび上がってきたのが、特例法の20年だった。今後、もし本要件がなくなれば、必要としない者が性別変更のために無理を強いられることはなくなるし、諸事情で手術が困難な者にも性別変更の可能性が広がることになる。

 この要件がなくなってしまうことに懸念を覚える人もいるだろうか。注意しておきたいのは、特例法のうち診断を受けていることという要件は、さしあたり残るということである。また、SNS等では、出生時の登録と異なる性別を生きる人々について、その実態とは懸け離れた想像をたくましくして、いたずらに危険視する論調も一部にみられる。「特例法から身体的な要件がなくなると、男性器を有する者が女子風呂を利用できる」かのような発言は全く見当違いのものである。社会生活上、性別により区分されている事柄は、適切な社会通念に委ねることを基本として、関係する全ての人の健康上・安全上の利益が保全されるように理にかなった擦り合わせを行っていくのが基本であろう。「漠然とした観念的な懸念」でリアルな生存と生活に関わる特例法の問題を裁断してはならない。

 特例法という問題で問われているのは何よりも多数者のあり方である。最高裁には法の賢慮の発揮を、国会には粘り強い合意形成を、そして有権者には隣人へのほんの少しの想像力を期待したい。とりわけ議員立法で始まった特例法について、国会議員が再度知恵を振り絞り、適切な検討を加える必要性は高い。党派を超えてその能力を備えた議員諸賢が少なくないことを私は信じている。

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池田 弘乃(いけだ・ひろの)1977年生まれ、東京都出身。東京大学大学院法学政治学研究科博士課程満期退学。都留文科大学などの非常勤講師を経て現職。主な著書に「ケアへの法哲学―フェミニズム法理論との対話」(ナカニシヤ出版)など。

(2023年1月24日掲載)

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