PwC Japan合同会社 ピヴェット久美子ディレクター
国際協調よりも自国の利益を優先する「米国第一主義」を掲げるトランプ氏が1月20日に大統領に就任し、第2次政権が始動した。大統領令に次々署名し、不法移民問題で「国家非常事態」を宣言、2月1日にはカナダ、メキシコからの輸入品に25%の関税、中国にも10%の追加関税を課すよう命じた。
新政権は世界的なリスク要因となるのか、従来の経済安全保障が変容する可能性はあるのか。そして、日本企業は大きな変化にどう向き合えばいいのか。PwC Japanのピヴェット久美子ディレクターに聞いた。(2025年1月21日取材)
経済合理性が通じない世界
―ご自身の視点で経済安全保障をどのようにとらえていますか。
これまでも規制緩和があったり、ルールが変わったり、技術革新が起きたりいろいろな波がありましたが、企業はそれを課題と捉えて適合し、生き残ってきました。でも今の状況は従来とは異なっています。ステークホルダーが違っているからです。
企業が相手にしてきたのは経済的な価値観で話ができる人たちです。価値の交換によって、自社の優位性や市場の拡大を考えるためにどのように適合していくかだったわけですが、経済安全保障は全くロジックが違う。
相手が政治や国であることによって、経済的な合理性という自分たちの唯一の合い言葉が通じない世界。経済合理性は二の次で、一番に来るのがセキュリティーです。
もう一つの特徴は、合理的に切り分けてきた経営機能の範疇(はんちゅう)に収まらないテーマがある点です。事業部の人にとっては、起こるか起こらないか分からないリスクにコストをかけて、利益が下がったら誰が責任を取るのかという懸念があります。横断的にバランスを取りながら経営が意思決定しないと、ほとんどの場合、成果が出ない。
対応の難しさから、今までとかなり質が違うという意味で、異質な経営アジェンダだと思っています。
米中関係は緊張と緩和の両方か
―経済安全保障政策の根底部分には、地政学的なリスク要因として中国の存在が意識されてきました。米大統領にトランプ氏が戻り、どのような変化が想定されますか。
最近では、トランプ氏が再登板することによって、戦後80年の米国の外交方針 がひっくり返されるという論考が 出ています。
要約すると、これまでの米政権は、共和党でも民主党でも、米国が持つスーパーパワーはある種の義務と共に責任も伴うという自己認識の下に行使されてきました。責任というのは、自由と民主主義という普遍的な価値を守るための保護者として、パワーを発揮するという自負。しかし、トランプ氏は全くそこには関知しない。
中国に対する態度や経済安全保障への向き合い方も根本的に変えてしまうという意味では、トランプ氏の再登板は、かなり大きな変化をもたらすと言えるでしょう。
米中関係について、緊張をさらに悪化させるのか緩和させるのかと問われれば、少なくともある種緊張させるし、ある種緩和させる。
なぜ両方かというと、緊張という意味では、トランプ氏はやはり米国第一主義だからです。これまでの自制的な外交政策、伝統的に米国が守ってきた既定路線を踏襲するということはなくなっていくので、より強硬な対中政策を打ち出す可能性があり、緊張は高まると言えます。
一方で、バイデン前政権は価値観に基づく外交により人権の問題や民主主義の問題で中国と対立することがありました。トランプ政権では、価値が異なることによって受け入れられない軸というものが弱まり、緩和の方向にも行きやすい。
中国にとってもメンツをつぶされにくい側面があると思います。ディールで何かを差し出せれば、結節点を見いだすことができるということになります。
歴史的な経緯より、一つ一つのディールの塊の中で、それが成立するかを見てくれるとなると、中国としても計算をして、緊張を緩和できるところがあるかと思います。
―日本の経済安全保障政策にも修正が入る可能性はあるでしょうか。
トランプ大統領がそうだからといって日本がこれまでの価値観を捨て去って、ディールベースの考え方で外交を展開して国益になるかと言うと、それは違うと思います。
全てをトランプ氏のような価値観でやると、それはもうパワーエコノミクス、パワーポリティクスになるので、結局国益は守れない。パワーの戦いからは、軸をずらさないといけません。やはり日本が取り組まなければいけないのは、ルールベースだと思います。
それをパートナーになり得る欧州やASEAN(東南アジア諸国連合)などと共有し、ルールでもう一度世界を立て直しましょうという考えを広げていかないと。パワーで世界をという方向に陥らないようにすることが、日本の国力をきちんと出せる、ひいては日本企業がグローバルでビジネスをするときにも利益になると思います。
注目すべきは関税、そして移民政策
―トランプ大統領の就任演説の印象は。
同盟国という言葉は出てきませんでした。国内向けにリーダーとしていかにあるべきかを、とうとうと語られていたという印象です。
―第2次トランプ政権で、日本の企業が最も注目すべき点はやはり関税ですか。
米国で事業を展開する企業も、そうでない企業もまず注目しなければいけないのは関税であることは確かだと思います。
もう一つは、ここ何年も米国に進出している日本企業の一番の課題は、人件費の高騰と人材不足です。米国で事業を展開している企業にとっては関税もそうですが、移民政策も心配事になると思います。
農業分野で3割、建設業で2割強、娯楽・ホスピタリティー分野の2割を移民が担っており、そのうち約半分は不法移民であると言われています。ボーダーコントロール(国境管理)が全く変わってくると、これまで以上に米国内での人の確保が難しくなる。かなりの混乱が予想されます。
関税については、トランプ氏も経済で失敗すると自分の足を引っ張ることを分かっていて、そこはやはりビジネスマンではないかと思います。関税引き上げを大きく打ち出してはいますが、どこまでやるかは、これからきちんと見ないといけない。
米国の輸入品の中で、野菜の約5割はUSMCAのパートナー国であるカナダとメキシコから来ています。加工食品の4割、動物性食品の3割も同様です。今は1%以下の関税が25%に上がった瞬間に、トランプ氏が約束しているインフレの抑制が崩れるわけです。
自分にしっぺ返しが来るのが分かると思うので、もしかしたら1回導入しても引っ込めるかもしれない。大事なのは、特に経済的な側面から見たときのトランプ氏の言っている政策のインパクトと現実性を分析して、理解しておくことだと思います。自社でそれが判断できるような情報収集能力と判断能力が重要になります。
まずはサプライチェーンの可視化を
―日本の自動車メーカーの中にはメキシコで製造しているところが結構あり、関税アップは影響が大きいと思いますが。
カナダも含めて北米でサプライチェーンを作っている場合、1回 行って返って終わりではなく、何回もパーツのレベルで往復したりします。自社のサプライチェーンの実態を考えたとき、どうなっていくのかをそれぞれが分析しなければいけないと思います。
サプライチェーンの可視化ですね。外部環境の変化が激しい時代だからこそ、自社のことを少なくともきちんと把握することが基本動作として必要です。
今、サプライチェーンにおいてASEANが重要なプレーヤーです。中国への投資を一部やめて、別の地域に持っていく動きがあり、その筆頭がASEANになっています。
国内経済の鈍化もあって中国もASEANにかなりの投資を振り向けているし、中国しか見ていなかった欧米企業も投資をASEANに動かしてきています。他国の企業が流れ込んでくることによる市場の競争激化もリスクになるので、そこも注意が必要です。
また、米国は今後、迂回(うかい)輸出に相当神経をとがらせてくるはずなので、そう取られないサプライチェーンを作らないと、リスク回避・分散という実質目的は達成されないことになります。
求められるインテリジェンス機能
―民主党政権でもてはやされた気候変動やサステナビリティー、多様性などはビジネスの世界で重視されない流れになりますか。
連邦レベルでは後退、州レベルでは環境対策へのコミットメント継続で、まだら模様になるでしょう。それぞれの企業のスタンスが白日の下にさらされ、かじ取りは難しい。
ガラッと空気が変わるときに、きちんと捕捉して対外的なスタンスを調整していけるかどうかは結構難しい。各地域の出先が重要なリスク情報や情勢変化をヘッドクォーターと適時やりとりできて、経営陣まで届くかどうかが重要になると思います。
企業によっては各拠点にもインテリジェンス機能を求める動きがあります。全世界で価値観が多様化して、それぞれに繊細な対応が求められることの裏返しだと思います。
―日本企業はこれからの4年間、トランプ政権とどう付き合えばいいでしょうか。
一言で言うと、情報に踊らされず、本質を見極めることだと思います。表に出てくることと、裏にある経済構造から見て、本当に実現可能なのか、自社にどういう意味を持つのか。誰かに教えてもらえる答えはありません。