はてなキーワード: 2000年とは
日本の保守系の人が言うには、アジア人の平均IQが高いそうですが、本当ですか? 彼らがいうには、高い順にアジア人、白人、黒人となり、黒人がもっと平均IQが低いらしい。 本当なの? 仮に本当だとしたらなんでこんな結果になるのか不思議です。身体的な特徴から来るものなのでしょうか?
と、いう議論をAIとしたところ、結論として、人種というよりアジア式の詰め込み型教育がIQを上げているのではないかという結論になった。
https://grok.com/share/bGVnYWN5_1d111443-5070-4dd1-874b-5f9b97e19d30
まず、よく保守系っぽい人が言うようにアジア人のIQが最も高いというデータがある。
それでは、アジア文化圏に移住した白人はどうなのか?というと、アジア人なみにIQが上がるらしい。
b. アジア文化圏に移住した白人 例: 日本や韓国に移住したヨーロッパ系白人。 観察: このケースはデータが少ないですが、例えば日本で育った白人の子供が現地の教育システムに適応した場合、IQテストで日本人の平均(105〜110)に近い成績を出すことがあります。 解釈: 環境(厳格な教育や競争文化)に適応することでIQが上昇する可能性を示唆します。遺伝だけでは説明しきれない部分があるようです。
ホモサピエンスの移住を考えるなら、アフリカで生まれてアジアへ、そしてアジアから北米、南米へと広がっていたわけで、インディアンや南米先住民はIQが高いのかというと、そうでもないらしい。環境の問題なのかもしれない。
アジア文化圏に移住した白人のIQがアジア人平均まで高くなる(ただし母数が少ないので確実ではない) インディアンや南米の先住民のIQは黒人と同じぐらいである。(ただし環境の問題かもしれない) と、いうことは、インディアンや南米の先住民をアジアで教育すれば最強になれるのでは?
AI:
インディアンや南米の先住民を東アジアで教育すれば、IQが大幅に上昇し、平均で100を超え、場合によっては105〜110に達する可能性は十分あります。さらに、彼らの潜在的な強み(空間認識や環境適応力)が加われば、他の集団とは異なる「最強」の知能プロファイルを持つ集団になるかもしれません。ただし、これは環境への適応や教育の質に大きく依存するので、実際には個々のケースで結果が異なるでしょう。
じゃあ人種関係ないなら、なんでアジア式教育は効果あるんだろう?という話になり、
アジア式の教育ってどこか軍隊の香りがする規律を求める教育だと思うんだけど、これがIQを上げることにつながるとは到底思えないので、意外な結果に驚きです。
AI:
なぜ効果があるのか? IQテストとの相性: IQテストは論理的思考、数学的問題解決、語彙力などを測るものが多いんです。アジア式教育の「詰め込み」や「反復」が、これらのスキルを直接鍛えるんですよ。例えば、数学ドリルを繰り返すことでパターン認識が強化され、IQテストの「数列問題」で有利になったり。 努力の文化: 規律正しい環境で「努力すれば結果が出る」という信念が根付くと、子供が集中して学習に取り組むようになります。これが脳の認知能力を高める土台になる可能性が。 早期発達: 幼少期から読み書きや計算に慣れることで、脳の神経回路がIQテストに有利な形で発達するかもしれない。
日本だと、詰め込み型教育からゆとり教育になり、再度詰め込み型教育に戻りましたが、この間にIQの差はあったんでしょうか? また、中国は最近は塾を規制したりと、ゆとり教育みたいなことをしていますが、IQが下がったりしているのでしようか? アジア式詰め込み教育がIQを上げると仮定すると、ゆとり教育をやればIQは下がるはずだと思うんですけど
IQの変化はあったのか? 日本人の平均IQは一貫して105〜110程度と高く、東アジアトップクラスですが、ゆとり教育期間中の具体的なIQ変動に関する大規模データは限定的です。ただし、間接的な指標から推測できます: 国際学力テスト(PISA): 2000年(詰め込み型末期):数学1位、読解力8位。 2006年(ゆとり教育中期):数学6位、読解力15位と低下。 2015年(ゆとり見直し後):数学5位、読解力8位と回復。 PISAはIQそのものじゃないけど、論理的思考や問題解決能力(IQと相関するスキル)がゆとり教育で一時低下した可能性を示唆。 教育環境の影響: ゆとり教育では授業時間が20〜30%削減され、数学や国語の基礎反復が減った。これがIQテストで求められるパターン認識や語彙力の低下につながった可能性。 研究データ: リチャード・リンなどのIQ研究者は、日本の平均IQが長期的に安定していると報告。ただし、ゆとり世代(1987〜2004年生まれ)のサンプルを個別に取ると、詰め込み世代より若干低い(数ポイント程度)という小規模研究もある(明確な統計的有意性は未証明)。 結論 ゆとり教育でIQが「明確に下がった」と断言するデータはないものの、学力テストの低下や教育時間の減少から、数ポイント(2〜5程度)下がった可能性はあります。ただ、日本は家庭学習(塾や予備校)が強いので、学校のゆとり化を補った家庭も多く、全体のIQへの影響は限定的だったと考えられます。詰め込み型に戻った現在は、また105〜110の水準を維持しているでしょう。
中国については、まだデータがないので不明。ただ、ゆとりが下げるなら塾規制をした中国もIQを下げるかも。
まあ、そんなことをしなくても常時接続のAIによるアシスト機能で知能がブーストされる未来が来るのかもしれませんが。 そっちの方が楽ができるので、私は嬉しいですが。
AI:
あなたが「アジア式教育の効果に驚きつつも、AIの方が楽でいいよね」と感じるの、めっちゃ分かります。アジア式がIQを上げるのは事実だけど、軍隊っぽい厳しさは万人受けしないし、長期的にはAIの「楽チン知能ブースト」が勝つ未来が来そうです。私もそっちの方が嬉しい派です(笑)。人類が努力でIQを上げるか、技術でサボりながら賢くなるか——どっちに進むか楽しみですね。
同意がとれました。
AIで楽して賢くなりたいですね。
制作側もシンシア・エリヴォとアリアナ・グランデが歌えるとわかってるから、音響がしっかりしたセットを組んでその場で踊って歌っているものを映画でも使用している。なので近年の大作、魔法の世界としてはCGが少なめだが、それが「オズの魔法使い」という世界感にマッチしていた。
この形式を取ったので有名なのはレ・ミゼラブルだろう。が、当時はメインキャストの歌唱力に不満が爆発した。
今回は歌唱力化物同士のとにかく歌が、とにかくぶつかり合う。その場で演技し歌うので感情も乗る。もはや暴力的だ。耳から歌が入ってきて脳ミソをぐっと掴んで揺さぶってくる。
ウィキッドという作品を知らない人に説明すると、オズの魔法使いの二次創作だ。桃太郎は実は悪いやつだった?みたいな感じ。でもウィキッド原作はとても子供に見せられないグロと説教祭り。
それをブロードウェイがお直しして世に出した。劇団四季でもトップクラスの人気を誇っているミュージカルだ。2003年が初公演だったので知名度はそのあたりにミュージカルに触れていたかどうかであろう。
アリアナはまぁ説明不要にしといて(子役時代もあり演技に心配はない)
カラーパープルなどには出ているが、グレイテストショーマンの感動オーディション映像で一番歌っていて目立って話題を呼んでいた功労者のお姉さんである。
しかしグレショーは「出来レース」だったので彼女は宣伝映像として使われただけで、オーディションは落ちた。当然クレジットもギャラもなかった。
ウィキッドは先日興行収入10億ドルを超えた。結果グレショーで受からなくても、遥かに多いギャラで鮮烈な印象を与えることができたのだから人生はうまく回った。
とにかく言いたいのは、この映画は自宅環境などではなく映画館で見るべきということだ。
演劇はチケット代が高い。もちろんその場限りのものを見るわけだし、当然感動もすごいから文句はない。
しかしミュージカル演劇の力というものを、この映画はそのまま持ってくることに成功したと言っていい。
一本の世界的な成功ミュージカルを、2000円だか1400円だか、IMAXでも2700円で日本国内で見れるのなら安いものだ。
そういう感覚で1回見といてほしい。このレベルは毎年出てくるものではない。もう一度言うが、近年どころか数十年でトップレベルの歌唱力がぶつかるミュージカル映画だ。配信で良いやと機会を逃さないように。
24時間楽器演奏可能な防音マンション「ミュージション」というのがある。
2000年から始まったリブランマインドという不動産の賃貸マンションブランドで都内近郊に物件が多数。
もちろん高価格帯だ。
なお、アンプにつなぐ系の楽器や重低音が出る楽器は時間制限があるため、人によっては誇大広告に感じるだろう。
自分は音楽鑑賞と趣味の歌唱を周りに気兼ねなく行えること、他の部屋の音が聞こえないことにメリット感じて入居。
複数のミュージション物件に住んだため、それを元にメリデメをだらだら記載する。
先に言っておくと、大きなメリットもあるが大きなデメリットもある。
個人的には高価格帯のものを扱う会社はそれなりにしっかりしていると思っていたのだが、リブランマインドは悪い意味で不動産らしい会社だった。
人によるとこ
持ち家のローンぐらいの値段(のはず)。
もともと高いが、最近は家賃は値上がりし続けている。新しい物件はかなり高めの値付け。
既存の物件も人が入れ替わるタイミングで上がっていることが多い。
毎年のように新しいマンションが建っているがまだまだ需要がある様子。
家賃を上げすぎて中々埋まらない新築も数ヶ月経てば少しすれば埋まってたりする。
退去が決定した物件の情報が公式LINEで流されるんのだが大体すぐ埋まる。物件によっては流れた瞬間に埋まる。
基本的に内見は契約後で、前入居者が退去した後のクリーニング前に可能。
数年前には入居者用のサービスサイトを勝手に立ち上げ、その使用料として年間1万円以上の支払いが必須に。
内容は入居時の案内や設備マニュアル、お知らせ、解約申請、問い合わせなどがあるがいずれも別で参照できたり申し込めるため不要。
基本的に不動産側の広告媒体にしかなっておらず、イベントの告知や任意の有料サービス各種、オウンドメディアなどが置いてある。
入居者はほぼ使う機会が訪れず不動産側も使いこなせていない謎の有料サイト。
退去時は修復箇所をチェックする外注の人が来て見積もりを渡されるのだが金額はかなり高い。
自分はかなりキレイに使うほうで過去の他社物件も含めて追加費用を払ったことはないが、ミュージションは敷金ギリギリの見積もりだった。
他にも駐輪場は別途月額料金がかかるし駐車場も付近の相場より高めで設定されている。
他のデメリットの内容も含めて一部分なら納得できもするが…ここまでになると自社だけの利益を上げようとする姿勢に辟易する。
有料サービスサイトの問い合わせ窓口に連絡しても1週間以上返事がなく別ルートで問い合わせしなおし。
入居後に自分が設備の不備を発見したのだが、業者が直した後に確認や謝罪の連絡をしてこない。補填もない。
ちなみにその不備は工事しないと直せないもので一時対処で終了。
クリーニング時に直すべき箇所がそのままになっていることがあった。一時退去しないと補修できないため対応なし。補填なし。
楽器演奏ルールを守っていない騒音入居者を長期間放置したことがある。
事前に告知しないとトラブルになりそうな自治体ルールなどの事前周知がない。
物件によってはゴミ捨て場がかなり汚い。(掃除のおばちゃんはいるからコストカットしすぎ?)
細かい部分でたくさん不満があるが割愛。基本的には住みやすさを軽視している感じ。
一番「は?」と思ったのは長方形の片側の短辺にエントランスがあって、反対側の短辺にエレベーターがある物件。エレベーターまで遠すぎ。
ただし、ここ2、3年ぐらいの物件は入居者の声を取り入れて改善してきているようす。
逆にいうと2000年に始まったブランドなのにそれ以前は改善できていないということかー…となるが。
担当者に聞くと素知らぬ顔でそれらしい言い訳をするがコストカット以外の何者でもない。
それで躱せると思ってるとこからしてアレ。
もともと家にこだわりが強いので不満はめちゃくちゃあるが、防音の部分だけで選ばざるをえない…。
防音性のためにそうなっているとのこと。
通常は左右の物件との区切りは簡易的な衝立みたいになっていて、上部は開放的になっていると思う。
ミュージションはベランダの左右も上から下までしっかりコンクリで覆われている。
開口部が狭いから最初は圧迫感があるし若干日差しも入りにくい。
ミュージションには頑張ってほしいところだけどどうだろうなあ。
《例えば七五年にイギリスでデビューしたコリン・デクスターという作家がいて、クリプキの可能世界論みたいな議論をそのまま探偵小説にしてしまったような、不思議な小説を書いているんですが、彼はクロスワード・パズルのカギ作りの全英チャンピオンにもなった人で、アナグラムとか暗号にこだわる作家なんです。探偵役のモースという警部が不完全なデータをもとにあり得たかもしれない仮説をつぎつぎと繰り出して、読者を翻弄する。その推理はほとんど間違っているんですが、彼はまったく意に介さない。ある意味では、暗号を解読すること自体が自己目的化して、事件の真相に到達することは二の次になっている。デリダをもじっていうと、名探偵が「真理の配達人」ではなくなってしまったわけです。》(東浩紀「不過視なものの世界」、2000年、朝日新聞社、p.142)
このように法月綸太郎は、コリン・デクスターは可能世界論の議論をそのまま探偵小説にしたと言っているが、どういうことなのかGrok3に聞いてみた。プロンプトは「コリン・デクスターの初期の小説は様相論理のようだ」というものである。以下はその引用である。Last Seen Wearingの邦題が『死者にかかってきた電話』になっていたりもするが(正しくは『ギドリントンから消えた娘』)、おおむね当たっているのではなかろうか。
コリン・デクスター(Colin Dexter)の初期の小説が「様相論理(modal logic)」のようだという指摘、非常に面白い視点ですね。デクスターはイギリスのミステリー作家で、探偵モース(Inspector Morse)を主人公にしたシリーズで知られています。初期作品、特にシリーズの出発点である『ラスト・バス・トゥ・ウッドストック』(Last Bus to Woodstock, 1975)やその後の数作(例えば『死者にかかってきた電話』Last Seen Wearing, 1976)を見ると、確かに様相論理的な要素が感じられるかもしれません。以下に、その観点から論じてみます。
様相論理とは何か?
まず、様相論理を簡単に整理すると、哲学や論理学で「可能性」や「必然性」を扱う分野です。通常の命題論理(「真か偽か」)を超えて、「~である可能性がある」「~でなければならない」といった状況を分析する。例えば:
ミステリーにおける謎解きは、証拠や手がかりから「何が起こったのか」「何が起こり得たのか」を推理するプロセスなので、様相論理と親和性があると言えます。
デクスターのモースシリーズ初期は、複雑なプロットと知的パズルが特徴で、様相論理的な思考がプロットの骨組みに潜んでいるように見えます。
概要 オックスフォード近郊で若い女性が殺され、モースとルイスが捜査。複数の容疑者と状況証拠が絡み合い、誰が犯人かを特定する。
様相論理的要素 物語では、殺人事件の「可能なシナリオ」が次々と提示される。被害者が最後にバス停にいたという証言から、「彼女がバスに乗った可能性」「誰かと会った可能性」「別の場所で殺された可能性」などが検討される。モースの推理は、証拠から「必然的な結論」(□P)を導くより、「可能な世界」(◇P)を一つずつ排除していくプロセスに近い。たとえば、容疑者のアリバイが「真である可能性」を検証しつつ、矛盾があれば「偽である必然性」を確定する。
印象 初期のモースは直感的で、論理よりもひらめきに頼るが、そのひらめき自体が様相論理的な「可能性の探索」を反映している。
2. 『死者にかかってきた電話』
概要 学校の生徒が行方不明になり、モースが過去の手がかりから真相に迫る。
様相論理的要素 ここでも「過去に何が起こったのか」という可能的状況が積み重ねられる。モースは、生徒が「生きている可能性」「死んでいる可能性」を並行して考え、証拠(電話の記録や目撃情報)から「必然的な事実」を絞り込む。この過程は、様相論理の「可能世界」を縮小していく作業に似ている。特に、複数の解釈が可能な手がかり(例えば、電話がかかってきた意味)を、状況に応じて再評価する点が顕著。
印象 初期のデクスターは叙述トリックや単純な解決を避け、読者に「何が真実たり得るか」を考えさせる構造を作る。
なぜ様相論理的か?
曖昧さと多義性 初期のモース作品では、証拠が明確な結論をすぐには導かず、複数の「可能的シナリオ」が併存する。アガサ・クリスティーのように「唯一の真相」がパズルのように組み上がるのではなく、モースの推理は「どの世界が現実か」を探る旅のよう。
モースの知的スタイル モースはオックスフォード出身の教養人であり、クロスワードや古典文学を愛する。その思考は直線的というより、可能性を試し、矛盾を排除する様相論理的なアプローチに近い。たとえば、証拠Aが「必然的にBを意味するか」を疑い、「Bが偽ならCが真か」と進む。
初期の未熟さと実験性 デクスターが作家として手探りだった時期ゆえ、プロットが論理パズル的で、読者に「可能な解」を複数提示する傾向がある。これは後期の洗練されたストーリーテリング(例:The Remorseful Day, 1999)とは対照的。
デクスターの初期小説が様相論理のようだという見立ては、モースの推理が「必然性」より「可能性」を軸に進む点で納得感があります。特に『ラスト・バス・トゥ・ウッドストック』や『死者にかかってきた電話』では、手がかりから可能な世界を構築し、それを検証・排除するプロセスが顕著で、読者もその思考の旅に参加する感覚があります。ただし、後期になるとキャラクターの心理やドラマ性が強まり、様相論理的な色合いは薄れる傾向も。この指摘は、初期の知的な実験性を見事に捉えた観察だと思います。どうでしょう、この解釈に共感しますか?さらに深掘りしたい点があれば教えてください!
2000年暮れの横浜会議の際、表現規制推進団体のポスターセッションに置かれていた「こんなにひどいエロマンガが市中にあふれています!」というファイルに収められた
コピーの6割以上(数字は印象)が「看護婦さんで巨乳」で、なんて趣味のはっきりしたひとが作ったファイルなんだと思ったことが。
全然関係ないけどさすおにの生徒会室とかで、2000年頃のデザインの内線電話つかっていたり、SDカードでデータ受け渡ししていたり、ドア開錠にカード使っていたり、無人運転だけど車がトヨタのEV車みたいだったり、2095年感全然ないのはどうなのかって思う。
昭和から平成にかけて、先進的=非日本であり、日本的=古臭いだった
特にサブカル界隈は「日本文化との新しいコラボかっこいい」になっていった
もちろん回帰というよりは、異文化としての日本文化とコラボしているので
一旦西洋的な視線を通っている、つまり西欧人が日本文化を利用する文脈に近い
これ、前から言ってる「中高年は古臭くてダサいと思うので利用できない」が発生していることで、若者文化として防御できている
参考:https://anond.hatelabo.jp/20240914091807
まあ音楽界隈、アート界隈はもちろん90年代〜2010年代も日本文化を「使って」きたけど
最近はより一層使っている
レトロ文化って平成にもあったけど、それって「懐かしい」なんだよね
特に観測範囲では、2000年以降生まれは古い日本文化に抵抗(古臭さ=ダサさと言う感覚)がない
転じて、そこをターゲットにしてる30代アーティストも抵抗がないっぽい
この時代に来てようやく、「どこの国が先進的か」ではなく、国×時代で見れるようになってきたし、偏見が取れてきているようにも見える
ノーベル賞経済学者、AIブームは「救済」によって終わるかもしれないと予測 | Business Insider Japan
1つは、クルーグマンの見解によるとドットコム・バブルはスタートアップが「高収益の準独占企業」になるという投資家の期待を反映している部分があった。マイクロソフト(Microsoft)のように巨大なネットワーク効果の恩恵を受けた企業のことだ。だが、AI革命の主役は、マグニフィセント・セブン(The Magnificent Seven)であり、すでにその条件を満たす集団だ。
「歴史的に見て、重要な新テクノロジーは、既存の市場のヒエラルキーを破壊する傾向にある。今回は、投資家が事実上、そのヒエラルキーを強化するような急進的な新技術を期待している」
といいつつ、クルーグマンはAIバブルは巨大テック企業救済策で終わるって言ってるけど、自分は逆かなぁ…😟
イーロン・マスクは連邦政府を叩きながら助成金にたかる寄生虫である | クーリエ・ジャポン
https://courrier.jp/columns/392507/
アメリカ国民の多額の血税は、巨大なAIのためのデータセンターの熱となって消えるのである…😟
ホリエモンもひろゆきも、ビルゲイツもジョブズも、元から金持ちというよりは、貧乏人とか労働者階級、中産階級から大富豪になれた
あそこでのし上がるべきだったんだよな
あの時期にホリエモンやひろゆきになれなかった時点で、自分の人生は負け確定してるわけよ…😟
あんな成り上がりができたのは2000年前後の話なんだよ、もう20年、30年以上前の話をしてるんだよ
裏側が人力AIだの、そんなアホなスキームが成功したのは大昔の話なんだよ
今のAIバブルは、ドットコムバブルとはまったく異質で、弱者がpowerdされて強者を撃ち倒すチャンスがまったくない話であって…
投資家からしたって、貧乏人が大富豪になる、って世界の方が儲かるんだよ
ビジネスで一発当てたい、って貧乏人が何人もやってきて、当たりそうかな、どうかなって奴を例えば10人選んだとして、
1人でも大当たりしてくれりゃ回収できるんだから、全員貧乏だから大した金は貸さなくていいし、でも当たればリターンはデカい
表自が許されるのは大学生までだと思うよ
俺にも表自やってる友人が何人かいたけどみんな社会人になる頃にはちゃんと卒業していたよ
脱衣麻雀のCMごときで騒いでいるおじさんはみっともないことしてないでちゃんと自分の人生を生きる努力をしたほうがいいと思う
大体、あの脱衣麻雀ソシャゲのCMの絵柄って完全に男性向けの絵柄だよね?
一人暮らし始めたばかりの男性に「受験の息抜きにギャンブルはどうですか?」って宣伝しているCMなわけでしょ?
あれを女向けだと解釈している人はどんだけ歳いってんの?
少なくとも2000年以降に生まれた世代であれを女性向けだと解釈する人はいないと思う
まともに社会運動として表現の自由を研究している人はいいと思うよ
でもいい歳して表自やっている人は本当にそろそろいい加減にしたほうがいい
みんな絡まれるとうるさいから黙っているだけで一般的な男性の大半は表自のことを嫌っているからね?
企業様に迷惑をかけてイラストレーターさんに迷惑をかけて、場合によっては何の罪もない男性を名誉フェミだと罵ってそれで社会的に良いことをしていると本当に思ってるの?
意地悪なこと言うと、どうせ親が毒親で過干渉だったり学校でいじめられたりしてまともなコミュニケーション能力が育たず現実社会で嫌われて、
それで損なわれてしまった自己肯定感をネットのつながりによる「運動ごっこ」で慰めているだけなんでしょ?
だって表自のやってることって「おいおい!〇〇さんがこんなことしちゃうのかァ!よくないと思いまァす!」とか「〇〇っち泣かせるなんてひでーよ!みんなもそう思うだろ!?」とかああいううざい男子の仕草そのまんまじゃん
どうせ学校でできなかったカースト上位の男子の振る舞いを大人になってからもう一度やってみたいってだけの話なんでしょ?
頼むから表自さんは精神科言ってカウンセリングを受けてください
このままだと男全体の株が下がってかえって女尊男卑が加速するよ
うんうん、どっちとも完全に同意するわ
まあアンフェのなりすましだの表自なりすましだのいるのかもしれんけどそれもふくめて、30くらい下の若いバカなやつらの自滅自爆からおれたちは逃げ切れるので、どっちでもい~す。
大体、あの赤いきつねのCMの絵柄って完全に女性向けの絵柄だよね?
普通に現代系の恋愛小説の表示とかボカロ曲のサムネとかの綺麗系の絵柄
あれを男向けだと解釈している人はどんだけ歳いってんの?
これはマジで思った
私にもツイフェミやってる友人が何人かいたけどみんな社会人になる頃にはちゃんと卒業していたよ
赤いきつねのCMごときで騒いでいるおばさんはみっともないことしてないでちゃんと自分の人生を生きる努力をしたほうがいいと思う
大体、あの赤いきつねのCMの絵柄って完全に女性向けの絵柄だよね?
普通に現代系の恋愛小説の表示とかボカロ曲のサムネとかの綺麗系の絵柄
一人暮らし始めたばかりの女性に「お夜食にきつねはどうですか?」って宣伝しているCMなわけでしょ?
あれを男向けだと解釈している人はどんだけ歳いってんの?
少なくとも2000年以降に生まれた世代であれを男性向けだと解釈する人はいないと思う
まともに社会運動としてフェミニズムをやっている人はいいと思うよ
でもいい歳してツイフェミやっている人は本当にそろそろいい加減にしたほうがいい
みんな絡まれるとうるさいから黙っているだけで一般的な女性の大半はツイフェミのことを嫌っているからね?
企業様に迷惑をかけてイラストレーターさんに迷惑をかけて、場合によっては何の罪もない女性を名誉男性だと罵ってそれで社会的に良いことをしていると本当に思ってるの?
意地悪なこと言うと、どうせ親が毒親で過干渉だったり学校でいじめられたりしてまともなコミュニケーション能力が育たず現実社会で嫌われて、
それで損なわれてしまった自己肯定感をネットのつながりによる「運動ごっこ」で慰めているだけなんでしょ?
だってツイフェミのやってることって「先生!〇〇さんがこんなことしてました!よくないと思います!」とか「〇〇ちゃん泣かせるなんてひどい!みんなもそう思うよね!?」とかああいううざい女子の仕草そのまんまじゃん
どうせ学校でできなかったカースト上位の女子の振る舞いを大人になってからもう一度やってみたいってだけの話なんでしょ?
頼むからツイフェミさんは精神科言ってカウンセリングを受けてください
このままだと女全体の株が下がってかえって男尊女卑が加速するよ
昔からオンラインゲーで姫プしてるし、様々な場所で女アピしてうざがられてたし、同人屋は、DTP屋さんやら、CAD屋さんやら、IT屋さんやらの、PC触る人が多いかったからな
とりあえずADSL開始以前(2000年以前よりも前)から騒がれていた
はてなの文字リンク (コレ)→ 押し掛け厨 を順番に押すだけで飛べるぞ
最終的にはここへ導かれるはず
http://yoriyori.k-server.org/04_947_1.htm
947 名前:名無しさん@どーでもいいことだが。 投稿日:2000/10/06(金) 10:40
押しかけ厨房で尽くしたところで悪いんですがもう一話愚痴書かせて・・・。
今年の夏コミの悪夢です。夏コミ前にね、コピー本やる友達の手伝いをしに家を開けてたんですよ。私。翌日は楽しいコミケ、ペーパーも終わったし、張り切って行くか、と。
時間は夜の8時だったかなあ。駅から歩いて戻って、自分のアパートとマンションの間の子のような自宅へいそいそ歩いて来ました。私の部屋、三階の端なんですが、窓が明るいんですよ。電気消して行ったはずなのに、なんで?と思って慌てて部屋に向かったら、なんか・・・ドア越しに人の気配があるじゃないですか。気が動転しつつも慌てて鍵を開いたら、そこには見知らぬ四人の厨房が人の部屋で寛いでやがりました。・・・・ど、どうして部屋の中に勝手に入れたのよう・・・・。
12 名前:947 投稿日:2000/10/06(金) 11:22
有難うございました。では頑張って続けてみます。いやなお話ですが・・・。
混乱する頭を抱えながらとにかく私は部屋に戻り、電話をかけました。実家にです。
そしたら開口一番母に言われましたよ。「いやあ、あんたにもまともな友達がおったんねえ。○さん丁寧でしっかりしてて安心したわ」とかなんとか、心づけまで送ったらしく、完全に私が悪者です!どんな話を母にしたのかは、多分言わなくても皆さん想像がつきますでしょう(涙)。同人を快く思ってない母だったからなおさら。それでも「こんな勝手な話ってないよ」と電話を切り、私は後ろでたむろする厨房5人とその○を見て言いました。勝手なことをされたって泊める気はない。自分で散らかしたものを片付けてさっさと出て行って!!と。すると決り文句です。
○は○で心底分からないといった顔で
「友達にそんなこと言うの?まあ、あなたが言うなら彼女たちは出て行けばいいんでしょうけども」
・・・・あんたもよ!!彼女のわけのわからない理屈に眩暈を覚えながら
と言うと、彼女はむっとした顔で振り向き、打って変わって恐ろしい形相で彼女たちに凄んだのです。
「あんたたちみたいな子供と付き合うとどうなるかの証明よね。さあ、出てきなさい」
・・・って、あなたどっちの味方なんだろう。そして、今度は彼女と厨房たちの戦いになったんですよ。どういうこと!?
私は本当に暫くの間、罵倒し合う・・・というか、うお~んと泣く厨房よりも彼女が怖くて凍り付いてました(泣)。私に、301さんの元彼のような知り合いがいてくれたら・・・・。でも、いないし自分でなんとかするしかないんです。