はてなキーワード: 用賀とは
【前置き】
はてな匿名で書く内容なのかというのはともかく、私が美味しいと思うケーキ屋・パティシエを書き出して、順に並べてみた。私は製菓や料理について専門的な教育を受けたこともないし、生業としてフードライターをやっているわけでもない。仕事柄、堅い文章を書くことにはある程度慣れているけれど、エッセーのような柔らかい文章を書いた経験はほとんどない。
このランキングを作ってみようと思ったのは、怪我をして外を歩く気になれず暇だったからというのが一番の動機だけれど、ランキング作成の過程で「あの時のあのケーキは本当においしかったな」と幸せな思い出を振り返ることができたし、「自分はこういうケーキを美味しいと思っているのか」という傾向を何となく知ることができて面白かった。
このランキングは、私の個人的な好みに基づいて、偏差値表のような形で作成している(もちろん偏差値そのものは表していない。)。偏差値50を超えるケーキは基本的にどれも文句なく美味しいし、そこまで確固たる優劣があるとは思わない。特に、偏差値60-65のレンジはその日の気分によって順番が変わるだろうと思う。比較的趣向が近い友人に意見を聞いても、結構な食い違いがあったので、本当にその人の好み次第ということなのだと思う。また、日頃からメモを取っているわけでもなく、思い出した順に書きだしただけなので、ランキングに載っていて当然なのに書き落としているものもたくさんあると思う。
そんな感じで免責みたいなものを書き連ねたところで、ランキングをご覧ください。
80: Maxime Frédéric (Le Tout-Paris, Maxime Frédéric chez Louis Vuitton) (Paris)
79: Matthieu Carlin (Butterfly Pâtisserie at Hôtel de Crillon) (Paris), François Perret (Ritz Paris Le Comptoir) (Paris)
78:
77:
76:
75: Mori Yoshida (Paris), Cedric Grolet (Paris)
74:
73: [xxxxxxxxxxxx] (京橋)
71:
69: ASSEMBLAGES KAKIMOTO (京都), pàtisserie Tendresse (京都)
68:
67:
66: FOBS (蔵前), Les Alternatives (東小金井), Pâtisserie K-Vincent (神楽坂)
65: La Pâtisserie Cyril Lignac (Paris), Equal (幡ヶ谷), LE CAFE DU BONBON (代々木八幡)
64: Libertable(赤坂), grains de vanille (京都), Ryoura (用賀), Dining 33 Pâtisserie à la maison (麻布台), おかしやうっちー (北参道)
63: Yann Couvreur Pâtisserie (Paris), La Pâtisserie Ryoco (高輪), Fleurs d’été (代々木上原), Harmonika Kyoto (京都), sweets garden YUJI AJIKI (神奈川), Sweet Rehab (NY)
62: PIERRE HERMÉ PARIS, AU BON VIEUX TEMPS (尾山台), Paris S'éveille (自由が丘), AIGRE DOUCE (目白), CONFECT-CONCEPT (稲荷町), Paris S'éveille (自由が丘), AIGRE DOUCE (目白),
61: équilibre (不動前), Pâtisserie ease (日本橋), 銀座和光 (銀座), Palace Hotel Tokyo (大手町),その他美味しいホテル系, Asterisque (代々木上原), a tes souhaits! (吉祥寺), N'importe quoi (京都)
60: Avranches Guesnay (春日), Taisuke Endo (学芸大学), Préférence (新中野), feuquiage (調布), PÂTISSERIE ASAKO IWAYANAGI (等々力)
[...]
55: 千疋屋総本店, Henri Charpentier, その他デパ地下系・工場系
[...]
[...]
45: Lysee (NY)
[...]
【いくつか補足】
パリには複数回行ったことがあるが、パリのケーキは本当に美味しく感じた。もちろん遠路はるばる補正・思い出補正もあるのだと思うけれど、単純に値段がとても高いので、惜しむことなく良い材料を使えているのではないかと思う。パティシエの社会的地位が高いらしいので、その結果パティシエが制約なしで好きなようにケーキを作れる、ということもあるのかもしれない。
Maxime Frédéricは有名人だし、本当にどのケーキ(あと、ややテーマ外だけれど、レストランのデザートも)も美味しい。いつかホテルのシグネチャーレストランにも行ってみたい。Matthieu CarlinやFrançois Perretは、少なくとも私のアンテナでは情報がたくさん入ってくる感じではないけれど、複数のケーキで感動した。
Cedric GroletはMaxime Frédéricよりも有名人で、逆張りしてみたくはなるのだけれど、フルーツの使い方が独創的で、まあ確かに美味しい。あの値段であれだけの人を集められるのは、SNS映えだけでは説明できないと思う。
[xxxxxxxxxxxx]は、フルーツに真摯に向き合っていることや高い洋菓子基礎力に裏打ちされていることが素人の私にも伝わってくるような気がする。接客は独特で毎回緊張するけれど、敬意をもって謙虚に臨めば、丁寧に遇してくれるし、嫌な思いをしたことはない。職人ってそういうものなのかな、と思っている。
LESSは、以前はnomaやINUAみたいな雰囲気の実験的なケーキが多くて毎回面白かったのだけれど、最近はそれよりは分かりやすいケーキが多くなった。もちろん、それらもとても美味しい。たまに昔のLESSを食べてみたくなるときもある。
タンドレスは、もともと酒やムースとかのイデミスギノ的なものがあまり得意ではない私でも、これは凄いと感じる何かがある。私では理解が及ばないというか、置いて行かれている感じもする。
FOBSは一般的にはすごく高く評価されている感じはしないものの(ゴーフレットはとても有名)、ここのショートケーキは特に美味しいと思う。卵や牛乳などの素材がシンプルによくまとまっている感じがする。判官贔屓的なものが入っているかもしれないけれど。
Alternativeは夏の焼き菓子イベントのタルト類が全て美味しい。Equalのチーズケーキは瑞々しくてチーズの香りがよく整っていて、これより美味しいチーズケーキはなかなかないと思う。「フランス菓子道」の真ん中・正当を通ってきたかはよく分からないけれど、個人的な好みに合っている。
Ryouraは街のケーキの範疇で、傑出して美味しい。うっちーのシグネチャーのショートケーキの生クリームのミルク感は特徴的。
リョーコは(伝統的という意味ではなく)ちょっと古い感じがするけれど、分かりやすく美味しいと思う。セブンイレブンとのコラボレーションは。。カーヴァンソンやリベルターブルも私の中では同じような枠に入っているのだけれど、こちらの方が個人的な好みに合っている(何でだろう)。
étéをどう位置づけるかは難しかった。テンションの上がる見た目だし確かに美味しいのだけれど、洋菓子としての工夫・洗練を感じるかというと、そういうことを目指して作られたものでもないような気がする。
ピエールエルメのイスパハンは、なんだかんだといってやっぱり名作だと思う。ホテル系のちゃんと作られたケーキは、やや割高な感じはするものの、総じてしっかり美味しい。
easeは個人的な好みにはあまりハマらないけれど、美味しいし評価されていることもわかる。アステリスクやアテスウェイは家族で食べるのにとてもよいと思う。ナンポルトクワのリンゴのタルトは一つの発明だと思う(別途元祖があるのかな)。パリセヴェイユはフランス菓子の正当という感じで間違いなく美味しいのだけれど、個人的に好きなケーキとは少し違う(パンや焼き菓子はすごく好み)。
アメリカでウケているケーキは、個人的にはそこまでヒットしなかった。Sweet Rehabは見た目もきれいですごく高く評価されているけれど、高額すぎる点を措いても、評価に見合うほどではない気がする。
店名が大文字だったり小文字だったり「pàtisserie」が付いたり付かなかったりするのは、適当にgoogle検索した結果をそのまま引き写しているだけなので、正確ではないかもしれない。
こういう番付モノは、それ自体を批評の対象として「それは違う、こっちの方が上だ」等々とケチをつけることに楽しさがあると思う。コメントをいただけたら嬉しい。
【追記1209】
記事を公開した後、思ってもいなかった程たくさんの方に見ていただいて、色々なコメントをいただいた。一つ一つどれもありがたいと思っている。
書き忘れていたお店を何個か思い出したので、適宜ランキングに追加してみた(Asako Iwayanagi, AU BON VIEUX TEMPS, CONFECT-CONCEPT, Dining 33 Pâtisserie à la maison, équilibre, Libertable, sweets garden YUJI AJIKI, Patisserie Porte Bonheur)。また、説明部分にもいくつか加筆をした。加筆するにあたっても、既に順番を書き換えた方がいいのではないかという気がしてくるから、やっぱりその時の気分次第の順に過ぎないんだなと分かった。
「偏差値表のような形」というのが分かりにくいというコメントがあった。イメージしていた偏差値表は、例えばこんな感じのものだった。
https://www.syutoken-mosi.co.jp/application/hensachi/upload/dansi202412.pdf
もちろん、今回は母集団が正規分布かもよく分からないし平均や分散を求めて何かしているわけではない。あくまで偏差値「風」ということでご容赦いただきたい。今回は、偏差値50の重責をローソンに担ってもらった。個人的に偏差値(風)60以下かなと思ったものは、角が立つので基本的には取り上げなかった(NYでいくら角が立っても大丈夫。)。
神奈川・千葉・埼玉などの郊外や大阪・神戸のような別の都市圏はあまり開拓できていないので、いつか掘り下げてみたい。
中野のMORI YOSHIDAについては、どう取り上げるか迷った。例えば、パリで食べたババトロピックはミルクが入ったスポイトのようなものが刺さっていて、それを注入して食べるのがとても美味しかった記憶がある。中野の方はそうはなっていなくて、少なくとも何らかの「違い」はあるのだと思う(見た目に明らかに分かるもの以外も多分。)。ただ、だからといって劣るとかいうわけでもないし、でもそうすると今度は、中野のMORI YOSHIDAとLESSに大きな差があるかのようになるけれど、本当にそうなのかというとよく分からない。突き詰めていくと、遠路はるばる補正・思い出補正を数値化することにもつながりそうで、それは楽しい思い出のためにも止めておいた方がよいかなと思い、取り上げないことにしていた。
先月あがってきた anond:20230425205238 をみておもったけれど、田園都市線は駅間が短いわりには大半の駅に東急系列の商業施設があるよね。駅によっては他駅の商業施設に歩いていけるレベル。というわけでどのくらいあるのかしらべてみたらこうなった。
商業施設こそないものの東急ストア (スーパーマーケット) はあるという駅は、高津駅・梶が谷駅・宮崎台駅・宮前平駅・藤が丘駅・田奈駅・つくし野駅・つきみ野駅。
田園都市線で商業施設も東急ストアもない駅は、池尻大橋駅・駒沢大学駅・桜新町駅・二子新地駅・すずかけ台駅の (27駅中) 5駅しかない。5駅ともとなりの駅には東急ストアがあり、しかも駅間が2km以内なのであるいて行けないことはないが...。
商業施設以外にも、生活インフラ (電力会社やケーブルテレビなど) を東急が提供していたりするので、田園都市線沿いは生活自体が東急一色にそまりやすいのだ...。
...とはいえ田園都市線のほぼ全線において国道246号線・東京都は首都高速3号渋谷線・神奈川県は東名高速道路と並走している (もしくは非常にちかい場所にある) ため、東急以外のお店もふつうにある。脱線するけど、特筆すべきは青葉台駅から2km、バスで10分くらいの距離で東名高速道路の港北パーキングエリアにいけるため (しかも最寄り駅が「北八朔公園東名口」のため「東名」さえおぼえておけばたどりつける) 、東海地方限定の商品は比較的てにいれやすいかも。
せっかく提案してくれたのに申し訳ない、祐天寺はまだ人口密度的にキツい
三茶は人酔いで吐いた
でも、多分それくらいじゃないとミーハー馬鹿は納得しないんだろうな
できれば狛江くらいまで人少ないところがいい…
きみがそばに
いなくちゃ
生きてけない
なんて
そんな女の子は
好みじゃないものね
memo
ノゾミ
シノ
匕ロコ★◎
マイ★◎
K★
ヨウコ★
人妻★
名前忘れた先輩★
セイコ★
おばさん
高座渋谷★◎
高円寺南恩★◎
ミサ★
パン屋★
ミラ
つ7
や2.7
十12
3月11日 会食1件。きみの家まで迎えに行って、ふたりで僕の家に帰った。☆
3月12日 きみの職場に迎えに行って、テラスで食事。ビールを飲んだ。☆
3月13日 きみの友人が吐いてしまって、介抱が終わるのを待ってきみの自宅に。☆
3月14日 コンビニにきみが来て、バイクでぼくの家に帰った。映画を見ながら、寝てしまった。
3月15日 近所のRestaurantで食事をして、コンビニで買い物をして、それから服屋めぐり。映画の続き。☆
3月16日 お互い別の飲み会帰り。いったんぼくの家に寄ってから、きみの自宅へ。ジムで少し運動してから寝落ち。☆
☆五
次はいつ逢えるんだろう。
どうやら村上は、この本のアメリカ版をそのとき初めて目にしたらしい。
日本では『1Q84』は2年を掛けて3巻に分かれて発表された(村上は2巻目で一度終わりにしたが、一年後にもう数百ページ付け足したのである)。
アメリカでは、一巻のモノリスとして組まれ、秋の読書イベントに発表が設定された。
YouTube ではきらびやかなトレーラームービーを見ることができ、
一部の書店では発売日10月25日に深夜営業が予定されている。
Knopf は英語訳を急がせるため、二人の訳者に手分けして翻訳をさせた。
村上にこれほど長い作品を書くつもりがあったかと尋ねると、なかったという。
これほど長くなることが分かっていれば、書き始めなかったかもしれないともいう。
彼はタイトルや冒頭のイメージ(この作品の場合は両方だった)が浮かんだ時点で、机の前に座り、
毎朝毎朝、終わるまで書きつづけるのである。
といっても、この大作はごく小さな種から生まれた。
村上によれば『1Q84』は、人気を博した彼のショートストーリー『四月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて』(英語版では5ページ)を増幅させたものに過ぎないという。
「基本的には同じなんだ」と彼は言う。
「少年が少女に出会う。別れてしまった後、二人は互いを探し合う。単純な物語だ。それを長くしただけ」
筋書きを要約することすら、少なくともこの宇宙で人間言語をもって雑誌の1記事で書くとすれば不可能だ。
青豆という少女が、タクシーに乗って東京の周縁に掛かる高架の高速道路を行く。
そこで渋滞に巻き込まれ、身動きがとれなくなる。
チェコスロバキアの作曲家レオシュ・ヤナーチェクの「シンフォニエッタ」だ。
「渋滞に巻き込まれたタクシーの中で聴くのにうってつけの音楽とは言えないはずだ」と村上は書く。
運転手は青豆に変わった迂回路を提案する。
高架高速道路には非常用脱出口が設置されている、そして、普通の人には知られていない脱出口への階段がある、と彼は言う。
本当に絶望しきっているのであれば、そこから地上に降りることもできる。
青豆が考えていると突然、運転手が村上一流の警告を口にする。
「見かけにだまされないように」と彼は言う。
降りていけば、彼女にとっての世界は根底から変わってしまうかもしれない、と。
そしてわずかではない違いとして、月がふたつあった(ちなみに彼女が遅刻した約束というのは暗殺の約束であったことが明らかになる)。
そしてその世界にはリトル・ピープルと呼ばれる魔法の種族がいる。
彼らは死んだ盲の羊の口(詳しく書くと長くなる)から生まれ、オタマジャクシの大きさからプレーリードッグの大きさにまで育ち、「ホーホー」と合唱しながら空中から透明な糸を紡ぎだして「空気さなぎ」と呼ばれる巨大なピーナッツ型のまゆを作る。
この本ではなかばあたりまで、このように浮世離れしたした超自然的ガジェット(空中に浮かぶ時計、神秘的なセックス麻痺など)が繰り出されてくるので、
私は行間にエクスクラメーションマークを置きたくなった。
この数十年、村上は自身が「本格小説」と位置づけるものを書こうとしていると言い続けてきた。
一例として彼は『カラマーゾフの兄弟』を挙げて目標にしている。
その試みこそが、三人称の幅広い視点から描かれた巨大小説『1Q84』であるように思われる。
怒り、暴力、惨事、奇妙なセックス、奇妙な新現実を抱えた本であり、
偶然ぶつかることになってしまった悲劇にも関わらず(あるいはその悲劇のなかでこそ)、
ひとりの人間の脳に詰め込まれた不思議を提示して、本書は読者を驚嘆させる。
驚きを覚える本の数々をこれだけ読んだあとでもなお、私は村上の本で驚かせられた。
そのこと自体が驚きだったと村上に伝えると、彼はいつものようにそれを受け流し、
自分の想像力を入れたつまらない花瓶でしかない、と言い張った。
「リトル・ピープルは突然やってきた」という。
僕は物語の虜だった。選択したのは僕ではなかった。彼らが来て、僕はそれを書いた。それが僕の仕事」
明晰夢を見ることがあるかと尋ねると、
覚えていられたことはない、という。
目覚めたときには消えている、と。
ここ数年で覚えていられた夢は一度だけ、それは村上春樹の小説のような繰り返す悪夢だったという。
その夢の中で、影のような未知の人物が「奇妙な食べ物」を料理してくれていた。
食べたいとは思わないが、夢のなかでは彼はそれに興味をひかれていて、まさに一口入れようというとき目が覚めた。
2日目、村上と私は彼の車の後部座席に乗り込み、彼の海辺の家へ向かった。
運転したのはアシスタントの一人である身ぎれいな女性で、青豆よりわずかに若かった。
私たちは東京を横切り、青豆が『1Q84』で運命的な下降をした高架高速道路の本物へと向かった。
カーステレオではブルース・スプリングスティーンがカバーした「Old Dan Tucker」がかけられていた。
車中で、村上は冒頭のシーンを思いついたときに考えていた緊急脱出口のことを持ち出した(青豆と同じように実際に渋滞に巻き込まれていたときにそのアイデアを思いついたという)。
実際の高速道路で、小説中であれば青豆が新世界に向けてくだっていったであろう場所を正確に特定しようとしたのである。
「彼女は用賀から渋谷に行こうとしていた」車窓をのぞきながら彼はいう。
「だから多分このあたりのはずだ」
と言ってこちらを向いて念を押すように
「それは現実じゃないけれど」
と付け加えた。
それでも、彼は窓の方に戻って実際に起こった出来事を話すように続きを語った。
キャロットタワーと呼ばれる、およそ巨大なネジが刺さった高層ビルのような建物の前を通り過ぎた。
村上はそこでこちらを向いて、もう一度思いついたように、
「それは現実じゃないけれど」と言った。
日本に滞在した5日間のあいだ、私は村上の東京にいたときとは違って、実際の東京で落ち着くことができなかった。
村上の東京、それは本物の東京を彼の本というレンズで見たときの姿だ。
客席の上の方で二塁打が打たれるたびに注目した(私がもらった天啓にもっとも近いものは、枝豆を喉につかえさせて窒息しかけたことだった)。
また、私はローリングストーンズの「Sympathy for the Devil」とエリック・クラプトンの2001年のアルバム「Reptile」をかけながら、神宮外苑という村上お気に入りの東京ジョギングルートをゆっくりと走った。
私のホテルは新宿駅に近い。そこは『1Q84』でも重要な役割を果たす、交通機関のハブ的な場所だ。
登場人物たちが好んで使う集合場所、中村屋で私はコーヒーを飲み、カレーを食べた。
そしてフレンチトーストとタピオカティーの向こうで東京人たちが交わす会話に耳をひそめた。
そうしてうろつくあいだに、村上小説が極度に意識しているものごと、すなわち、偶然かかる音楽、上昇と下降、人々の耳の形といったものを、私も極度に意識するようになった。
実際、彼の小説中の説明をもとにして料理本を出版した人もいるし、
登場人物が聞いた音楽のプレイリストをオンラインでまとめている読者もいる。
村上は、明らかに喜んだ様子で韓国のある会社が西日本への『海辺のカフカ』旅行を企画したこと、
ポーランドの翻訳者が『1Q84』をテーマにした東京旅行のガイドブックを編集していることを教えてくれた。
村上は読者から彼が生み出したものを現実世界で「発見」したという便りを受け取ることがよくあるという。
たとえば、彼が作り出したと思っていたレストランや店が東京に実際ある、など。
ドルフィンホテルというのは『羊をめぐる冒険』で村上が生み出したものだが、札幌にはそれが複数ある。
『1Q84』の発表後、ありえない名字として作り出したつもりだった「青豆」という名字の家族から、村上は便りを受け取ったという。
ここでの要点と言えるのは、現実に漏れ出す虚構、虚構に漏れ出す現実というものが、
村上の作品についてはほとんどの場合、作品そのものだということだ。
作家活動の初期には、「日本人という呪い」から逃れようとしているとさえ語った。
その代わり、十代の若者として、西洋の小説家の作品を貪ることによって、文学の感受性を培った。
その中にはヨーロッパの古典(ドストエフスキー、スタンダール、ディケンズ)もあったが、
彼が生涯を通して繰り返し読んだのは、とりわけ20世紀のアメリカのある種の作家たち、
レイモンド・チャンドラー、トルーマン・カポーテ、F. スコット・フィッツジェラルド、リチャード・ブローティガン、カート・ヴォネガットなどだ。
処女作に取りかかったとき、村上は奮闘し、標準的でない解決法に行き当たった。
そうやって自分の声を獲得したと彼は言う。