上京したのは18の時。
目標や夢なんか何も持っていなかった。
子供の頃から母親には「あんたは大抵のことがそれなりにできるけど、なにか一つでも真剣に打ち込めるものを作らないとダメだよ。」と常々言われていたが、その頃の自分はどれも上手く出来ている実感は持っていなかった。
今思えば確かに「それなり」にできていて、得意科目だった英語は周りの同級生が必死で家で勉強してようやく偏差値60ぐらいだったのに、一切家では勉強せずにビートルズの曲と歌詞・和訳をすべて暗記しているだけで偏差値70オーバーだった。
つい最近にはじめてテストをやって知ったが、IQが無駄に134もあるらしい。
高校卒業後は入試科目が国語と英語だけのFラン大学に進学した。
大学に入って軽音サークルに入ると、高校時代までは出会ったことがないようなタイプの人間がたくさん居た。
僕が在籍していたサークルは大学の軽音サークルでは珍しく、オリジナルバンド、いわゆる外バンを多数抱えるサークルだった。
一番多い時には30近くのバンドが学外で活動していた。
楽器を始めたのが高校2年生の頃で、そもそも不器用でそれほどうまくなかった僕はサークルでできた友人たちとコピーをやることすらままならない腕前だった。
それでもあまりに個性的で魅力的な彼らと遊ぶことはそれまでに経験したことがないような楽しい時間で、知らない音楽を教え合ったり集まって練習したり、悪ふざけをしたりとこれからの人生も含めて二度と訪れないかけがえのない時間だった。
全く自信がないから初めは断っていたが、ある日何故か承諾してしまった。
そのバンドは加入した時点では大学付近のライブハウスで月1ぐらいのペースでライブをやっていたぐらいのよくあるアマチュアバンドだったが、リーダーである件の誘ってくれた先輩というのが天才的なソングライティングの才能を持っており、かつ、人間関係を築く天才だったため加入してから瞬く間にCDを全国のレコードショップで発売するまでになった。
それに伴い、ライブの回数は増え、レコーディングや地方へ遠征する機会も多くなっていった。
大きく変わっていく生活に僕はなかなか慣れず、また、もとよりやる気を出すのに凄くエネルギーが要る(この時は気づいていなかったがADHDだということが後で分かった)ため行動力は鈍り、授業にはどんどん出なくなった。
その分、楽しくバンド活動をやっていたのかというと、そうでもなかった。
バンドの活動の幅が広がるにつれて、自分の下手さが足を引っ張っていると思い込んでしまい、プレッシャーを感じていた。
ただ下手くそなだけだったらどれだけ良かったか。運が悪いことに、僕はどうやらアレンジのセンスがあったらしい。
センスだけは代えが効かない。いつの間にかバンドに必要不可欠な人間になってしまっていた。
もうこうなったら練習してうまくなりさえすれば良かったが、この頃にはギターを弾くことが苦痛とさえ思うようになっていた。
それでもライブは決まっている。
学校にいく必要もなくなったので更に本数は多くなり、その次の年には年間とおして4
日に1回というペースでライブをやった。
これだけやってればそれなりに認知度も上がってきて、ファンだと言ってくれる人も多くなった。
そういった人たちに褒められたり応援してもらう度に自分が下手すぎて死にたくなった。
なおさら後に引けない状態になっていった。
もしかしたら他のメンバーも同じような気持ちだったのかもしれない。
3枚目のアルバムをリリースしようとする頃にリーダーがついに心折れた。
「このCDを出してどうにもならなかったら、終わりにしよう。」
一番身近で一番頼もしい仲間が夢を諦めた直後だった。
メンバーの誰も反対はしなかった。
その後の1年間はそれまでが嘘だったかのように必死で練習して曲も作ってレコーディングした。
あっという間に1年が過ぎて、バンドは活動停止した。
その後、知り合いのバンドにうちでやってくれと頼まれた。
初めはもうバンドはやるつもりはないと断っていたが、あまりのしつこさで折れてしまった。
その1年間で多少自信をつけていたせいもあるかもしれない。
その後はまた同じようなことを繰り返した。
学習しないやつだ。
2つ目のバンドに加入して3年目。
就職していたが、社長とソリが合わなくて喧嘩して辞めることになったので、これを理由にして実家に帰ることにした。
バンドも辞めた。
この10年間は一体何だったのだろう。
幸いにも初めのバンドをやっていた頃に働いていた会社でウェブマーケティングのスキルを身につけていたので、田舎の賃金が安いとはいえ全く生活には困っていないどころかちょっと本気を出せばそれなりに余裕のある生活すらできる。
ただ、生きている実感がまったく無い。
むちゃくちゃなことばっかりやっていたけど、音楽をやる時だけはみんな真剣だった。
就職した後も次は仕事に真剣で、中には28で上場企業の副部長クラスの地位を得ていたり、だれでも知っているような会社の営業所長になっていたりする奴もいる。
こう言うとアレだが名前書ければ入学できるようなFラン大学出の人間の出世コースじゃない。
仕事の話を聞いてもやっぱり彼らのやること考える事は真剣だ。真剣にやって来た結果が彼らにはある。
僕は到底彼らにかなわない。
別にお金も地位も栄誉もいらないが、これから先も一度たりとて彼らのように真剣に何かに向き合うことができずに生きていくのかと思うと怖くてしょうがない。
たくさんの反響を頂きました。
後で読みなおしてみると書きなぐった感がすごくてとても読みにくい文章でした。すみません。
急に誰かに聞いて欲しくなって勢いで書いたので・・・
いろいろな意見を頂いて、自分の中で今後どうやって行くのか決意が出来ました。
http://anond.hatelabo.jp/20140619160649
いつかまたいい報告ができればと思います。
「それなりにやる」ことに罪悪感を持ちすぎじゃないのか 傍から見りゃビートルズから入ってバンド活動に精を出した、十分本気を経験した人間にも見えるが
音楽を本気でやってたんじゃないのかな。 たぶん、この増田は本気で取り組む、且つ、それを社会的に評価してもらいたいんだと思う。 ただ思うのは、輝いて見える人がかならずしも...
3枚目のアルバムをリリースしようとする頃にリーダーがついに心折れた。 「このCDを出してどうにもならなかったら、終わりにしよう。」 一番身近で一番頼もしい仲間が夢を諦めた...
得意なこと(=頭を使うこと)で負けると真剣になれるよ。 トレーダーになってみないか
ただ下手くそなだけだったらどれだけ良かったか。運が悪いことに、僕はどうやらアレンジのセンスがあったらしい。 センスだけは代えが効かない。いつの間にかバンドに必要不可欠...
http://anond.hatelabo.jp/20140618183147 自分もIQ130超。子供の頃から何となく色々出来たのに 大して努力していないため「出来ていない」と、これまた何となく思っていた。 審美眼が異様に厳...
>別にお金も地位も栄誉もいらないが、これから先も一度たりとて彼らのように真剣に何かに向き合うことができずに生きていくのかと思うと怖くてしょうがない。 >俺も一度でいいか...
自己で完結できるようなのは、よほどのその道の達人か、怠け者だけだよ。 他人と比較することでしか、そうそう向上心は湧かない。
これでも読んどけ。 http://blog.goo.ne.jp/namagusabose/e/57431cb0534923c6470f9c9aadc64036
Fランで教えていると毎年一定数こういう学生がいる。「進学校出身」「本当はやればできる」「他大に編入したい」「他大に進学したい」 だいたい続かないし、素直に話を聞けないか...
http://anond.hatelabo.jp/20140618183147 元増田です。 予想以上に反響があって驚きました。 袋叩きになるつもりで書いたのですが、以外にも優しい言葉をかけてくれる方も多くてなんだかやる気...
いつもの創作クン
もうすぐ長女が小学校を卒業する。 10年か11年前、僕は今よりもっと若かった。 新卒で勤めた会社を辞めて個人事業を始め、 事業は軌道に乗り外注だけでは手が回らなくなり、 オフィ...
子供を作って失敗した 巨乳広末もったいなかった
でも美人は3日で飽きるからな
別に飽きないぞ
でも巨乳の広末が年老いておっぱい垂れ出し、そのタイミングで若い巨乳のハシカンが現れたら鞍替えするやろ? 人はそれを飽きと呼ぶんやで
たとえ若い巨乳の広末が家で待っていても、若い巨乳のハシカンが来たらそっちにも行ってしまう。 それが男ってもんでしょうが。