複式学級にはギリギリならなかった。
わかるのが楽しかったし、わかる奴には次々と新しい課題を出してくれるのも楽しかった。
算数の授業にはなぜか二人の先生がついており、わかる子は難しい問題を投げ、わからない子には先生がつきっきりで教えていた。
俺の他にも勉強がやたらできる奴がいて、そいつと競争したり、一緒に問題を解いたりもしていた。
事実上、少人数教育と習熟度別の学習が実現できていたわけで、教育環境はド田舎にしてはかなり良い方だったと思われる。
今思えばそのおかしさを笑われていたこともあったように思うが、当時の俺は自分が笑われていることに気づいていなかった。
それでも概ね楽しく過ごせていたから、クラスメイトたちはとても優しかったのだと思う。
やたら気がよく優秀な奴の多いクラスだった。
マイルドヤンキーな悪友は立派な父親になり、アスペの俺にまで優しくしてくれた子たちは県内の有名進学校に進み、俺と算数の出来を競っていた奴は旧帝大に行った。
中学まで俺は彼らに守られていたために大過なく成長することができたが、高校からはそうはいかない。
地元には高校などなく、進学するには町を出る必要があったからだ。
受験とか面倒くさいなあと思っていた俺は、実家からギリギリ通える普通科高校に通うことにした。
特に対策などする必要がなくて楽だったし、勉強などどの学校でやっても同じだと思っていた。
最初は俺も勉強をがんばっていたが、部活で人間関係に悩み、学校をサボりがちになった。
それでも最低限勉強はこなし、結果的に都内の有名私大に進学することになった。
同級生たちは誰も俺がそこに進学することを知らなかっただろうが、担任の先生は喜んでくれて、それに救われた気持ちになったことを覚えている。
親も喜んでくれた。
後で聞いた話では、父親は昔、大学に行きたかったけど諦めた過去があるらしかった。
さて、電車にほとんど乗ったこともないような田舎者が東京に行くことになったわけだが、世界屈指の巨大ターミナル駅に降り立っても、特に感慨は覚えなかった。
元々引きこもり気質だったことに加え、ド田舎育ちのため、街に対する感性が育っていなかったためだと思う。
揺られながらぼーっと街並みを眺めるのが楽しかったし、それに飽きたら音楽を聞いたり本を読んだりできるのもよかった。
青春18きっぷの存在を知ってからは、電車で帰省するのが数少ない楽しみになった。
寮の人たちはとても面倒見がよかった。
先輩は困っている後輩がいないかよく気を配っていたし、同期も俺を友人として認めてくれていた。
寮を挙げてのイベントもいくつかあり、その度に寮生たちは大いに盛り上がっていて、俺も仲間外れにせずに誘ってくれた。
しかし、当時のアホだった俺は、他人の好意を鬱陶しく思い、その親切やありがたさを浪費していた。
むしろ俺は、周りの寮生たちのあまりの優秀さに打ちのめされていた。
相部屋になった同期は高校の頃にTOEICで800点近い点数を、向かい部屋の奴は満点を取っており、これからは中国語の上級試験に挑みたいと言っていた。
IPAの高度試験をいくつも突破していて、大企業から既に目をかけられている人もいた。
俺はライバルの少ない田舎で、多少勉強ができるだけで得意になっていた愚か者だと、嫌でも気付かされた。
それからは勉強をがんばる気にもなれず、昔から好きだったインターネットに逃避するようになった。
はてな匿名ダイアリーに出会ったのはこの頃だった。
手頃な文量で、知らなかった世界がおもしろおかしく、生々しく書かれている文章群がとても魅力的に思えた。
インターネットがこんなにおもしろいのだから、現実世界での失敗などどうでもいいと思うようになった。
寮を出てからアパート暮らしを始めると、さらに体調が悪くなり、布団から起き上がれなくなった。
何の前触れもなく涙が出てくることもあった。
そうやって何も成し遂げられないまま、大学生活はあっという間に終わってしまった。
このような状態でまともに働けるわけがなく、就活もろくにしなかった俺は、お情けで大学を卒業させてもらった後、実家に逃げ帰った。
追い立てられるようにハロワに行き、そこで紹介されたメーカーに入社することになった。
なぜ受かったのかは謎だ。
その会社はド田舎ではあったが、なぜか業界トップの企業らしく、国内は固め終えたのでこれからは海外に殴りむぞという意気込みで拡大を続けていた。
ただし俺の上司は別だった。
ねちっこくミスを咎めてくるし、自分の失敗を咎められると怒り出すし、俺によくしてくれた先輩はこの上司に愛想を尽かしてやめていった。
主治医からは鬱病と診断され、しばらく休職し、部署異動することになった。
異動先の上司は俺を買ってくれていた。
入社試験の点数がよかったことと、プログラミングができることが気に入っていたらしい。
いろいろ仕事を振ってもらったが、仕事量に耐えきれず、結局逃げるように会社をやめた。
部屋には尿の入ったペットボトルが何本も溜まっていた。
後に精神科では双極性障害とASDと診断され、障害者手帳を取得した。
どうにか体が動くようになった今は、障害者雇用のパートで農業をしている。
誰でもできる仕事で給料も少ないが、職場のおばちゃんたちは優しく、会話も体を動かすこともおぼつかない俺にいろいろ世話を焼いてくれる。
どのような形であれ、職場の一員として一緒に働かせてもらえることはとてもありがたいことだと思う。
また、病気の俺を支えてくれて、今の仕事を応援してくれている両親には感謝しかない。
でも、せっかく俺を大学まで行かせてくれたのに、このようなザマになってしまって申し訳ない。
本当にごめんなさい。
ASDの俺を受け入れてくれた小中学校時代のクラスメイト、孤立していた俺を気にかけてくれた高校時代の担任、大学の寮のみんな、会社の先輩と異動先の上司、家族、俺は迷惑を掛けてばかりでしたが、あなたたちのお陰で何とか生き延びることができました。
あなたたちがいなかったら俺の人生はさらに悲惨なものになっていたはずです。
俺にできることはほとんどありませんが、あなたたちの人生がより幸せなものになることを祈っています。
今まで本当にありがとうございました。
はてな匿名ダイアリーとかいうクソサイト最低すぎる 即刻ぶっ潰すべきだろ
貧乏なのに東京出身ってのも結構きついぞ(足立区とかそのあたりになるが)
貧乏生まれでも高卒以上なら東京住みはいくらでも働けるやんけ 田舎生まれだと大卒でも地元に仕事なくて都会に出るしかないんやぞ
東大出ても小さな印刷屋で印刷機械のオペレーターやってる人もいたよ。 必ずしも良い大学出たからって良い企業に勤めてるとは限らないね。 人それぞれ、自分に合った仕事が見つかれ...