枝野幸男経済産業相は19日の閣議後記者会見で、日本原子力発電が計画している敦賀3、4号機(福井県敦賀市)の建設を認めない考えを示した。敦賀3、4号機を含めた未着工の原発9基に対しては、政府が電力会社に建設を認めない仕組みをつくる意向も改めて示した。
日本原電の浜田康男社長は17日に「本体工事を進めたい」と意欲を示していた。これに対し、枝野氏は「国策に基づいて新増設するものではない」と述べ、認めない考えを示した。「民間企業の自己責任でやってください。我々は事実上、止めるためのさまざまな工夫を進める」とも語り、着工を止める手立てを考える方針を示した。
枝野氏の発言に対し、敦賀市の河瀬一治市長は19日、「国策に基づいて計画が進められてきたので、国は立地地域の声を十分にくみ取り、地域の実情を踏まえた判断を行う責任がある」とのコメントを出した。
田中法相の辞任だの更迭だのが取り沙汰されているわけですが、上の報道などを見ると本当に切られるべきは枝野だろうと今さらながらに確信させられます。ろくに益も害もない法相より百害あって一利なしの枝野を取り除いた方が、ずっと政治的にはマシになると思うのですけれど、まぁ田中法相の方が野党にとって「責めやすい」類なのでしょうね。政策面での問題となると、民主も自民も大きな差がないだけに動きにくい、かつ国民からの関心も薄いところでもあります。しかし金銭や女性問題、そして交友関係云々とスキャンダル色の強いものであれば一方的に相手を咎められる、世間の支持も集めやすいというもののようです。
敦賀市の市長が語るように当然ながら原発の新増設はこれまで国策の一環として進められてきたという厳然たる事実があり(アホの枝野にしてみれば、それは自民党のせいであって民主党のせいではないということなのでしょうけれど)、そして国には今後に向けた判断を行う責任があります。そこを「民間企業の自己責任でやってください」と躊躇なく投げ出して恥じることがないのが枝野の枝野たるゆえんなのでしょうか。まぁ、相手が完全な営利企業であって、その企業がどうなろうと住民の生活には影響がない、そういう類であれば枝野の放言も許される範囲かも知れません。しかし枝野ひいては民主党政権が「自己責任で」を責任放棄したその結果に対して誰が責任を負うのか、電力供給に支障が生じたときに困るのは国民です。
もちろん政府の妨害がある中でも電力会社は国から課せられた電力供給の義務を果たすべく赤字経営を続けているわけですけれど、これがいつまで保つかは微妙なところです。国民の大半は働く人の取り分を減らすことに肯定的、赤字なら電力会社でリストラをすれば良いのだと安易に考えているフシが見受けられますが、いずれツケを払わされることも考えておくべきだと思います。政治家は誰か「悪者(今回は電力会社)」を槍玉に挙げて、「コイツが悪いんです」と責任を負う側ではなく責任を問う側に回れば済む話だとしても、国民はそうも行かないのですから。
それにしても「民間企業の自己責任でやってください。我々は事実上、止めるためのさまざまな工夫を進める」とは酷い発言です。こんなことを言える人間を党として公認してきた民主党の責任だって十分に問われてしかるべきではないでしょうか。私だったら田中法相なんて相手にせず、枝野の更迭を要求しますね。だいたい「自己責任」と言うからには電力会社側の決定をも尊重しなければならないはず、しかるに「我々は事実上、止めるためのさまざまな工夫を進める」と、事実上の脅迫をかけるわけです。ゲロ以下のにおいがプンプンするぜッ――――ッ!!
原発の新増設を止めるのなら、それもまた国策として、政府の責任の下で行われなければなりません。結果として深刻な電力不足や化石燃料の調達競争の激化を招いたなら、当然のこととして政府は責任を負わねばならないでしょう。しかし枝野は「民間企業の自己責任」と言い放つ、その「民間企業」たる電力会社に供給義務を化したままで、です。これは官僚の場合も同様と言えますが、政府がどれほど無策でも電力会社は最低限の仕事を果たす、その結果として我々の社会が維持されているわけです。そして官僚や電力会社に甘えて有権者に向けたパフォーマンスばかりを優先してきたのが近年の政治であり、この象徴が枝野と言えます。政府与党がどれほど好き放題に振る舞っても、電力会社は安定供給の維持のために奮闘することでしょう。だからといって政府が責任を丸投げして人気取りに走るのはどうなのか、そこは有権者の見識が問われるところです。