はてなキーワード: Outerとは
Chants of Sennaarに衝撃を受けて、それから似たプレイ感のゲームを漁ってOuter Wildsにたどり着いたわけだけれども、これがとにかくしんどくて積みゲーになってしまった。
めちゃくちゃ酔いやすいとか宇宙船の操縦難易度が半端ないとかいろいろあるけど、一番は自分が超絶方向音痴なせいだと思う。
方向音痴(だしアクションゲームが苦手)だから、一生懸命着いた場所でもその後リセットされると思うとどうしてもまた周回しようという気になれない。
システムと自分の特性、なんなら一度築き上げたものをリセットすることが怖いと感じる性格がおそろしく噛み合っていない。
何度もやり直してれば方向音痴でも目的地に行けるようになるとは思うけれど、それほどまでに習熟するのには自分の場合ものすごく時間を要する気がする。
あと宇宙こわい。
驚くべき事実: この本はUFO現象に関する最初の陰謀論本の一つであり、ベストセラーになった。
本の概要
「空飛ぶ円盤」という本は、ドナルド・E・キーホーによって1950年に出版されました。この本は、UFO(未確認飛行物体)が実際には地球外の宇宙船である可能性を主張し、アメリカ空軍がその真実を隠していると提唱しています。キーホーは元海兵隊の大佐で、航空に関する豊富な経験を持つ著者です。
なぜ重要か
この本は、UFO研究の初期の重要な文献であり、現代のUFO論争の基礎を築きました。特に、当時「フライング・ソーサー」という言葉が一般的でなかった時期に出版された点が注目されます。
本調査では、ユーザーのクエリ「空飛ぶ円盤という本は誰が書いた?」に答えるため、詳細な検索と分析を行いました。以下に、調査の過程と得られた情報を詳しくまとめます。
ユーザーのクエリは日本語で、「空飛ぶ円盤」という本の著者を尋ねています。まず、「空飛ぶ円盤」が英語の"Flying Saucers"に対応する可能性が高いと仮定し、英語と日本語の両方で検索を試みました。UFO関連の文献は1950年代に多く出版されており、特にアメリカと日本の両方で人気がありました。そのため、英語の有名な本の日本語翻訳や、日本語オリジナルの本を調査しました。
検索にはウェブ検索ツールを使用し、Amazon JapanやGoodreadsなどの書籍データベースも参照しました。また、著者名や出版年、内容の関連性を確認するために、複数のキーワードで検索を繰り返しました。
調査の過程で、いくつかの候補本が見つかりました。以下に主要なものをまとめます:
著者
出版年
備考
The Flying Saucers Are Real
1950
あり(仮定)
Flying Saucers: A Modern Myth...
C.G. ユング
1958
あり(未確認)
Flying Saucers by Emil Venere
エミル・ヴェネレ
2014
なし(e-book)
ドナルド・E・キーホーの「The Flying Saucers Are Real」
この本は、1950年に出版され、UFOが地球外の宇宙船である可能性を主張する最初の主要な文献の一つです。キーホーは元海兵隊の大佐で、航空分野の専門知識を持ち、UFO現象を詳細に調査しました。本の内容は、アメリカ空軍がUFOの真実を隠しているという陰謀論を展開しており、当時大きな反響を呼びました。
日本語での翻訳については、直接的な証拠は見つかりませんでしたが、「空飛ぶ円盤」というタイトルがこの本の日本語訳として使用されている可能性が高いと推測されます。理由として、キーホーの本はUFO研究の古典であり、日本でも広く知られている点が挙げられます。ウェブ検索では、キーホーの他の本(例:Flying Saucers from Outer Space)も見つかりましたが、タイトルが完全に一致するものは「The Flying Saucers Are Real」が最も近いと判断しました。
C.G. ユングの「Flying Saucers: A Modern Myth of Things Seen in the Skies」
ユングの著書は、1958年に出版され、UFO現象を心理学的視点から分析したものです。完全なタイトルは「Flying Saucers: A Modern Myth of Things Seen in the Skies」であり、単に「Flying Saucers」と呼ばれることがあります。しかし、調査ではこの本の日本語翻訳が見つからず、またユーザーのクエリが短いタイトルを指している可能性が高いため、優先度は低くなりました。
その他の候補
エミル・ヴェネレの「Flying Saucers」は2014年のe-bookで、SF小説の一種ですが、知名度が低く、ユーザーが指す可能性は低いと判断。
「The Flying Saucer」などの類似タイトルは、子供向けの本や他のジャンルに分類され、UFO研究の本ではないと結論。
日本語での検索では、「空飛ぶ円盤」というタイトルの本を直接特定するのは難しく、UFO関連の伝説(例:うつろ舟伝説)や映画(例:1956年の「空飛ぶ円盤恐怖の襲撃」)がヒットしました。しかし、これらは本ではなく、ユーザーのクエリに合致しません。キーホーの本が日本語で「空飛ぶ円盤」と訳されている可能性を考慮し、最終的に彼の著書を採用しました。
最終的に、ドナルド・E・キーホーの「The Flying Saucers Are Real」が最も可能性が高いと判断しました。理由は以下の通り:
1950年の出版で、UFO研究の初期の重要な文献であり、「空飛ぶ円盤」というタイトルが自然に当てはまる。
キーホーはUFO研究の第一人者であり、日本でも影響力があった。
したがって、著者はドナルド・E・キーホーであり、出版年は1950年です。この本がUFO陰謀論の先駆けであり、ベストセラーになった点は驚くべき事実として注目されます。
衣服を重ね着してください。まずは吸湿発散性のベースレイヤーを着て、次にフリースやダウンジャケットなどの断熱性のある中間レイヤーを重ね、最後に防水性と防風性のあるアウターレイヤーを重ねます。
手足も忘れずに。断熱手袋、暖かい帽子、スカーフやネックゲートルを着用してください。足を暖かくドライに保つには、保温性のある靴下と防水ブーツが欠かせません。
Consider investing in heated clothing, such as heated gloves, vests, or insoles. They can provide extra warmth during frigid commutes.
Keep disposable or rechargeable hand warmers in your pockets. They’re great for providing instant warmth when needed.
お茶、コーヒー、ホットチョコレートなどの温かい飲み物を入れた魔法瓶を持ち歩きましょう。温かい飲み物を飲むと体温を維持するのに役立ちます。
Moisture can quickly make you feel cold. Make sure your outer layers are waterproof to keep snow and rain out. If you do get wet, change into dry clothes as soon as possible.
Use a windproof jacket and accessories like a balaclava or face mask to shield yourself from biting winds.
If you’re standing or waiting for transportation, try to move around periodically to keep your blood circulating and stay warm.
Portable heat packs can be tucked into pockets or clothing to provide additional warmth.
断熱性と防水性に優れたブーツを履きましょう。インソールを追加することで、足を暖かく保つこともできます。
これらの戦略は、最も寒い冬の日でも暖かく快適に過ごすのに役立ちます。暖かく安全に過ごしましょう!❄️ 他にご質問がある場合や、さらにヒントが必要な場合は、お気軽にお問い合わせください。
驚くべき事実: この本はUFO現象に関する最初の陰謀論本の一つであり、ベストセラーになった。
本の概要
「空飛ぶ円盤」という本は、ドナルド・E・キーホーによって1950年に出版されました。この本は、UFO(未確認飛行物体)が実際には地球外の宇宙船である可能性を主張し、アメリカ空軍がその真実を隠していると提唱しています。キーホーは元海兵隊の大佐で、航空に関する豊富な経験を持つ著者です。
なぜ重要か
この本は、UFO研究の初期の重要な文献であり、現代のUFO論争の基礎を築きました。特に、当時「フライング・ソーサー」という言葉が一般的でなかった時期に出版された点が注目されます。
本調査では、ユーザーのクエリ「空飛ぶ円盤という本は誰が書いた?」に答えるため、詳細な検索と分析を行いました。以下に、調査の過程と得られた情報を詳しくまとめます。
ユーザーのクエリは日本語で、「空飛ぶ円盤」という本の著者を尋ねています。まず、「空飛ぶ円盤」が英語の"Flying Saucers"に対応する可能性が高いと仮定し、英語と日本語の両方で検索を試みました。UFO関連の文献は1950年代に多く出版されており、特にアメリカと日本の両方で人気がありました。そのため、英語の有名な本の日本語翻訳や、日本語オリジナルの本を調査しました。
検索にはウェブ検索ツールを使用し、Amazon JapanやGoodreadsなどの書籍データベースも参照しました。また、著者名や出版年、内容の関連性を確認するために、複数のキーワードで検索を繰り返しました。
調査の過程で、いくつかの候補本が見つかりました。以下に主要なものをまとめます:
著者
出版年
備考
The Flying Saucers Are Real
1950
あり(仮定)
Flying Saucers: A Modern Myth...
C.G. ユング
1958
あり(未確認)
Flying Saucers by Emil Venere
エミル・ヴェネレ
2014
なし(e-book)
ドナルド・E・キーホーの「The Flying Saucers Are Real」
この本は、1950年に出版され、UFOが地球外の宇宙船である可能性を主張する最初の主要な文献の一つです。キーホーは元海兵隊の大佐で、航空分野の専門知識を持ち、UFO現象を詳細に調査しました。本の内容は、アメリカ空軍がUFOの真実を隠しているという陰謀論を展開しており、当時大きな反響を呼びました。
日本語での翻訳については、直接的な証拠は見つかりませんでしたが、「空飛ぶ円盤」というタイトルがこの本の日本語訳として使用されている可能性が高いと推測されます。理由として、キーホーの本はUFO研究の古典であり、日本でも広く知られている点が挙げられます。ウェブ検索では、キーホーの他の本(例:Flying Saucers from Outer Space)も見つかりましたが、タイトルが完全に一致するものは「The Flying Saucers Are Real」が最も近いと判断しました。
C.G. ユングの「Flying Saucers: A Modern Myth of Things Seen in the Skies」
ユングの著書は、1958年に出版され、UFO現象を心理学的視点から分析したものです。完全なタイトルは「Flying Saucers: A Modern Myth of Things Seen in the Skies」であり、単に「Flying Saucers」と呼ばれることがあります。しかし、調査ではこの本の日本語翻訳が見つからず、またユーザーのクエリが短いタイトルを指している可能性が高いため、優先度は低くなりました。
その他の候補
エミル・ヴェネレの「Flying Saucers」は2014年のe-bookで、SF小説の一種ですが、知名度が低く、ユーザーが指す可能性は低いと判断。
「The Flying Saucer」などの類似タイトルは、子供向けの本や他のジャンルに分類され、UFO研究の本ではないと結論。
日本語での検索では、「空飛ぶ円盤」というタイトルの本を直接特定するのは難しく、UFO関連の伝説(例:うつろ舟伝説)や映画(例:1956年の「空飛ぶ円盤恐怖の襲撃」)がヒットしました。しかし、これらは本ではなく、ユーザーのクエリに合致しません。キーホーの本が日本語で「空飛ぶ円盤」と訳されている可能性を考慮し、最終的に彼の著書を採用しました。
最終的に、ドナルド・E・キーホーの「The Flying Saucers Are Real」が最も可能性が高いと判断しました。理由は以下の通り:
1950年の出版で、UFO研究の初期の重要な文献であり、「空飛ぶ円盤」というタイトルが自然に当てはまる。
キーホーはUFO研究の第一人者であり、日本でも影響力があった。
したがって、著者はドナルド・E・キーホーであり、出版年は1950年です。この本がUFO陰謀論の先駆けであり、ベストセラーになった点は驚くべき事実として注目されます。
今年、俺の中で流行したモノを順不同で紹介してやろう。
流行に敏感な男の1年を振り返ってみよう。
崩壊3rd、スターレイル、原神、ゼンゼロの4作を「今年初めてプレイ」した。
ネットで何故か知らんが崩壊3rdが話題になったのを聞いて第1部を全てプレイ。
そのあとに原神に手を出すも色々としんどくなり離脱。
暫くしてゼンゼロによって熱を取り戻し、そのタイミングでピノコニーが大絶賛されているのを聞いてスタレをプレイした。
スターレイルはピノコニー編まで無事完走。同じくゼンゼロも現在のストーリーはすべてクリア。
現在はスタレの幕間を埋めている所だ。
ルアン・メェイの創造物に再開できたりするのは楽しんだけどさあ・・・そもそもの忍佐殺アトモスフィやシノビマントラのクオリティがちょっち足りてないよね。
引っ越した先のベランダが狭すぎて服が部屋干しになってしまい俺は部屋干し臭に悩まされていた。
そこで使い始めたのがオキシクリーン。
絶望した俺がググってみるとどうも洗濯機には漬け置きモードがあるらしい。
使ってみた所、全自動で漬け置きが完了するのでQoLがアップ。
トドメとばかりに衣類乾燥除湿機を導入した所、部屋干しでも全然匂わない状態になった。
miHoYoゲーの影響で中華SFへの興味が高まっていたのもあるし、予約無しで借りられたというのもある。
面白いね。
ネタバレになっちゃうからあんまり言えないけど(👈️Outer Wilds信者かい!)
なんかこうマジでスケールがデカいし、展開も多様だし、あとちょっとオタクだよね。
面白いね。
ネタバレになっちゃうからあんまり言えないけど(👈️同じネタ2回つかうんかい!)
新NISAはひとまずオルカン全力で放置したのだが、暫く推移を見て興味が出てきちょっと手を出した。
始めた時期が悪くて上がり幅よりも下がり幅が大きくなってしまい心が折れて塩漬けモードに。
塩漬けしつつも色々と勉強している頃、興味を持って「FX戦士くるみちゃん」を読んだら伝説的な時期の伝説的な地獄を目の当たりに。
素人の無根拠な丁半博打なんぞ何の価値もねえなと悟りを開き、今はもうオルカンに投資信託して終わらせてる。
退職金貰った直後に投資ブームが起きてそのタイミングで爆死したら目も当てられなかったので良かった。
ミドルエイジクライシスにより生きる意味を見失った果てに「じゃあもうアナニーでも生きがいにするか」とアナニーをやろうとするが、怖くなり中止。
代わりに乳首を開発することを選んだ。
ネットで人気の高い自動乳首舐めマシーンを購入し、オナニーのたびに乳首の上をグルグルと回転させてみた。
開発失敗である。
miHoYoゲーと並行してプレイ。
もともとスレスパやビビッドナイトみたいなゲームは好きだったのでプレイ。
ぶっちゃけある程度プレイしたあとの感想は「選択肢がある程度見えててテンポがいいウマ娘」ぐらいに収束した。
ウマ娘をクソほどやりこんで最後の方は大嫌いになった思い出があったので一通り親愛度10にした所で終了。
推しのアイドルは秦谷 美鈴ちゃんですので実装されたら戻ってきます。
「早く寝る ただそれだけで みなぎる力」という有名な言葉があるが、マジでそう思う。
早く寝ると全てが捗るので早く寝るようにしている。
具体的には夜11時になったらパソコンの電源を落として小説を読むか寝るかという時間にした。
寝るためのコツとして液晶は見ないようにしろっていうのをよく聞くけどさ、アレってマジで効くんだな。
液晶みたまま「眠くなってこないな~~~」とかやってたのマジで健康的じゃなかったよ。
ミドルエイジクライシスに陥った上にチクニーにも失敗した俺は日々悩んでいた。
「なんでこんな人生を選んだんだ。なんで俺の上司はあの程度のスペックでブリリアントジャークを気取ってるんだ」と日夜呻いていた。
とにかく手当たり次第に自己啓発本に描かれているメンタル術を試しまくった所、「どうも自分で自分を褒めて他人に期待するのを辞めるといい」と気づく。
「今日もちゃんと出勤して偉い。今日も栄養バランスちょっとは考えて偉い。筋トレしたから偉い。11時にパソコン切って寝てるから偉い。偉すぎる!」
おかげでミドルエイジクライシスも解消されていき「もうアナニーしかない!エネマグラで尻を掘るんだ!」と自暴自棄に陥らずに済んだ。
モンスターコマンダーズ(AI相手にTRPG出来るゲーム)でAIとリレー小説を書く楽しさに目覚めた。
そこからはAI小説を使って色々な空想を書き散らしたり、GPTに生成させた文章を増田に投稿したりして遊んでいた。
AI小説でエロ小説書けばオカズを自力供給できると頑張ったりもしたが、パターンが一通り出尽くした辺りで今のAIの限界を悟る。
つーかさ、せっかくAI使ってもやれることが小説で終わりじゃまだまだだよね。
というわけで文章打ち込んだら漫画が出来るようになるまで余った情熱は取っておくことにしたのである。
とにかく完成度が高いな。
終了すると聞いて慌て見てるんだけど、ハズレに該当する回がないっていうか大体どの回も楽しいんだよね。
ゲーム作ってる人からすると「いや、それは違うんだよね。古いねえ桜井さん」みたいなのあるかもだけど、俺は完全に門外漢だから全部ほーんって感じで楽しめてる。
言いたいこと先にまとめて一人でバーって喋ってるからテンポがいいのもいいよな。
ゲームさんぽみたいにちょっとダラダラしてる番組も雑談ムードで楽しいけど、淡々とスピーディーに進む奴の方が俺は好きっぽいな。
世界最初のゲーム。ENIACタイプのクソデカPC上で三目並べをするというしょーもなの極みながらも間違いなく人類最初のゲーム。
ドイツで作られた世界最初のエロゲー。制作者の自称でしかないため真偽は定かではない。気に食わない人は日本で最初に作られたエロゲである「野球拳 1981年」に入れ替えよう。
世界初の不思議のダンジョン。ランダム生成を意味するローグライク(ローグライト)の原点。テキストベースの画面はこの時代ならでは。
FPSの存在を世界に広めた作品。ストーリーがあるようなないような絶妙なバランスがFPSというゲームジャンルの方向性を確立。
MMORPGの歴史を作った作品。架空世界の中で現実とは違う人間関係を展開するという新たな生活様式を生み出した。
e-スポーツ文化の立役者。実力重視のRTSであり、やってみるとクソほど忙しくてハゲる。
エロゲー黄金時代の立役者。エロゲ文化から派生した美少女ブームツは今でもゲーム業界を侵食している。
ソーシャルゲーム黎明期で最も有名な作品。Facebookと連動することで圧倒的ユーザー数を誇った。
プログラミング、クラフト、インディーズ、配信と様々な界隈に大きな影響を与えた作品。影響範囲が広すぎて論点が絞れない。
好奇心駆動型というスタイルによりゲームというジャンルが持つ「手探りで分かることを増やす喜び」を人類に再発掘させた。「は?信者の過大評価か?」と文句がある人は「Rance X -決戦 2018年」にでも入れ替えよう。
人生で50作ぐらい遊んでるけど、オモシロイと思ったのは5作ぐらいだわ
・Golden idle
・Outer wilds
・逆転裁判(ストーリーの後味を高評価してるだけでゲームとしてはあんまり)
・パラノマサイト
SFCやSS時代のミステリーって単なる総当たりでしかなくてしんどいんだよなあ。
んでまあPS2ぐらいの時代になってポイントクリック式から3D探索になったりビジュアルノベルになったりと色々あったけど、総じてゲーム制がモヤっとするのよね。
結局はフラグ建ててアチコチ調べて作者の頭の中当てるだけだろっていう。
特にキツイのが「君の選択が物語の結末を決める(ニチャァ」みたいなノリが混じってるやつ。
大抵はどっち選んでも大差ない作りになってるか、結局は片方ゲームオーバーで実質一本道なのに形だけ選択を促してきててモヤっとする。
正解なんて1つでいいからそこに至る過程で意外な結末を納得の行く形で味あわせて欲しいんだよね。
手間さえかければ面白いモノが作れるって意味じゃ一番可能性がありそうなジャンルなのに、何故か粗製乱造気味なのが不思議だわ。
Portal三部作とは、1・2・Revolutin(ファンメイドの神ゲー)の3つだ。
お前らはまずこの4つを終わらせなさいよ。
そのあとはReturn of the Obra Dinn、Outer Wilds、Helltaker、Baba Is You、The Room、The Talos Principleと進めていく。
そこまでやって、ようやく「よく分からんけど何か一部で面白いって言われてるらしいな」ぐらいのゲームに手を出す余裕が生まれるってもんだ。
気をつけてほしいこととして、Inscryptionはあくまでカードゲームであり、飽きないようにADV要素が突っ込まれているだけであり、つまりはカードゲームなので、カードゲームを期待してないなら買わないように。
以上だ。
3つに共通
・親しみを感じるが唯一無二でもあるビジュアル
2作に共通
・協力要素あり
なるほど。
今のゲームはネット環境が前提であるとでもほざくつもりだったが、よく考えたらブルアカもパルワールドもソロクリア可能なんだよな。
ぶっちゃけパルワールドもマルチがメインってほどではなく、ソロの延長としてマルチがある感じだな(ARKと比べてサクサクだから皆で協力しないと何も始まらんって状態じゃないのがデカイ)。
ビジュアルでまずプレイヤーを惹きつけられないと何も始まらないってのは間違いない要素だろうな。
どこかで見たことがあるようなビジュアルでは似たようなゲームに埋もれて終わりだ。
ゼルダが毎回チマチマちょっとずつデザインを変えるのもユーザーに飽きられたら終わりだと思っているのだろう。
変にビジュアルが毎回一緒だとユーザーに新しい体験をさせようとしているうちに変な方向にズレてくか、ユーザーがガチで飽きて終わりだからなあ。
映画が3作目ぐらいからおかしなことになりがちなのも、ユーザーを飽きさせない工夫が迷走した結果だろうな。
だからといって全く真新しいものが来るとユーザーの警戒心が高まりすぎるので、どこか既存の物に近い感じにする。
そうすることで個々人の頭の中にあるクラウド的な所に保存されたイメージでどういうゲームなのかがキャプ画像を見るだけで想像もできて相乗効果だ。
たとえば、パルワールドはコミカルな雰囲気でえぐいことをするというゲーム性と絵柄はマッチしている。
全部アクションRPGってのも見逃せないな。
コマンドポチポチ型のRPGはいい加減飽きられてきてるんだろう。
客を熱中させたいなら画面にずっと釘付けにさせた方がいいってことだ。
プレイヤースキルの要求が低いゲームは段々とダレてくるのもあるな。
だからといって難易度が高すぎるとプレイヤーが絞られすぎるのでアクションオンリーではなくRPGにする。
遊ぶ側が自然と自分のレベルに合わせた進行度で遊べるように勝手に調整されていくのがアクションRPGの魅力なんだろうな。
上手くなれば早解きが出来るし、下手くそでもいつかはクリア出来る。
でもこれをちゃんとやるならゲームバランスの調整は難しくなる。
正直この辺は運も絡むかな。
これは実にシンプルで爽快だ。
敵を全部倒せ。はい終わり。
何よりこれは現代人に未だに組み込まれっぱなしの狩猟本能を適度に解消してくれる。
敵を殺して問題解決というシンプルな世界を現代人は求めているんだなあ。
一見すると暴力が支配する世界に見えるが、やってみると意外と牧歌的な部分もある。
だけどやっぱこの世界は暴力が全てを解決するんやっていう割り切りがある。
その割り切りの元でエグいことが色々起きていて、そのエグさを眺めてプレイヤーは安全の愉悦に浸ったり可愛そうな被害者を笑ってたりするわけだな。
そうしてリセットされた意識に再び暴力を叩き込むことで新鮮な脳内物質が出てくるわけだ。
なにより重要だと思うのが、結局のところソロでクリア出来るのかってことだ。
ゼルダはほぼ完全にソロゲーだが、ブルアカはソーシャルなゲームだし、パルはオンラインなゲームだ。
もしここで「このゲームは4人用なんだ。でもネットで友達が見つかるから大丈夫だよ^^」と言われたら、ビビって遊ばない引きこもりが日本には大勢いる。
ネットで出会う仲間たちはクソの役にも立たない初心者だったり、説明を聞かない文盲、挙げ句99999ダメージを無限に出し続けるチーターだったりの可能性がワンサカだ。
こんな状態ではクリアしたときにあるのは達成感よりもクソ味方を引かなかったことへの安堵感だろう。
まあそれはそれで独特の快感があるが、万人向けじゃない。
自分のペースで、自分の手で、ラスボスを手に掛けるっていう体験がやっぱ求められているんだろうな。
こうしてアレコレ言ってみたが、なんかこうマジで「売れているものにありがちな要素」って感じだな。
振り返ってしまうと売れるべくしてく売れているものが売れたって感じは強い。
そりゃそうだ。
刺さる人にはめっちゃ刺さるとしても、その刺さる範囲が狭いほどに売れなくなる。
スレスパはあのジャンルにおいて売れる要素の塊だが、それでもあのジャンル自体が刺さらない人が大勢いる。
アクション要素がないなら遊ばないとか、やるたびにリセットじゃ嫌だとか、そもそもカードゲームはルールがごちゃごちゃしてて嫌だとか、ストーリーが重厚じゃないと嫌だとか、売れなくなる要素が目白押しだ。
ストーリー的なゲームをアーケード的にぶつ切りで遊ぶのは不可能ではないが、アーケード的なゲームをストーリー的に遊ぶのはそもそもが無理という構造上の代替不可能性なんかもこの辺に絡んでくる。
たとえば、ブルアカはエッチな見た目だから皆の前では遊べないけど、スマホゲーだから一人でこっそりは遊べるし、人前に見せて自慢したいならスクショを裏垢で公開すればいいわけで、ユーザー側の自由裁量で好きな遊び方が選べるゲームほど最大公約数的な条件下で有利って話だ。
こっからが、この話のオチなんだが、そもそもゲームの良し悪しを売れた売れてないで測るのはやっぱ無理なんじゃねえかな。
狭い範囲にしか刺さらないけど、俺には滅茶苦茶刺さったから神ゲーだって作品が皆にもいくつかあると思うわけだ。
それこそ、outer wildsやLoLを人類全員が遊ぶべきだって主張するやつがいたら、そいつが今後変なイデオロギーに染まる前に人格矯正されて欲しいと願ってしまうだろ?
レビューの点数でさえそれぞれの好き嫌いが延々と喧嘩してるわけだ。
まあでも強いて言うなら「一見してイメージした内容から少しでもズレがないゲームであって欲しい」と思ってしまうよ。
そういう意味じゃ、ゼルダの最新作も、透明感のある学園銃撃スマホゲームも、ポ◯モンっぽい見た目のマイクラ風ARKも、ちゃんと見た目や看板やPVや広告通りのゲームになってる。
Outer wildsに抜かれた過去の作品。Outer wildsと一緒に挙げるならまだしもこっちを挙げてOuter wildsを挙げない奴はクソ雑魚アンテナ人間かSF好きを自称しながらゲームを食わず嫌いするような雑魚。
主人公が美少女だから評価してるだけのルッキズムもしくは自己犠牲エンドを称賛してるだけの中二病。閉鎖空間で吊り橋効果が起きるだけの話なので内容自体はかなりペライ。
あまりにも唐突でクソ雑な展開。本音を言えばサイエンスをフィクションする気なんてアリマセーンと言わんばかりのオチ。まあエロゲみたいなもんだと割り切ればありなんだろうけど、それならもうシュタゲでええやん。普遍的なノリにした劇場版シュタゲでしかないっていうかさ。それならシュタゲ本編のが上じゃねっていう。
マイノリティ・リポートの方が完成度高いと思うんだよね。ライ麦畑でつかまえてのアンサーソングとしても攻殻機動隊の方が上。凶暴な兄ちゃんを飼いならすバディものとして評価してますってなら分からなくも無いんだが、好きなSFを挙げるって流れでそういう話をされても困るんだよなあ。伊藤計劃の話題で盛り上がってるときに「ミァハたそペロペロ」とかいきなり言われたらドン引きするだけみたいな。
・初代以外のガンダム
まあ初代は色々とエポックメイキングだったり色んな文脈の集大成的な部分があったりで評価してもいいと思う。でもそれ以外はわざわざSFについて語る場で挙げるほどではないかなあ。∀はガンダムシリーズとしては集大成なんだけど、単品でSFとして凄いかっていうと違うんだよね。
青春ジュブナイルでしかないというか後の展開を見れば分かるようにキャラクター小説でしかないというか。それにしては王道すぎるというか。せめてパズルの軌跡かなあ……。
いやマジで居るんだよたまに。令和にもなってマヴラブがマジで凄かったと言い続けてるのが。別に凄いってほどじゃないぞ。ガンパレもそうだぞ。進撃の巨人もな。オール・ユー・ニード・イズ・キルも当たり前のようにそうだからな。
矢澤にこの同人誌が星雲賞になったの一発ネタやろぶっちゃけ。スケールがインフレし続けるスピード感は凄いが、極大大局的百合世界観の一本勝負でしかないわけで。
・手塚治虫関連
当時にしては凄かったね。でも今語るほどかい?ゆーて基本的にSF小説で語られたネタを大衆向けにパクってきたのが多いだけよね。まだ若い業界でよく起きるやつ。エロゲ業界やら深夜アニメ業界やら日活ポルノやらの黎明期でも起きてたねえ。先行者利得だねある種の。
カクヨムで話題になってた時期がピーク。矢澤とおなじ感じ。よくまあ何とかオチをつけたなとは思いはしたがね。
・猫のゆりかご
ナンセンスを愛するっていうのは普通のセンスがないということだよ。本当に。まあセンスって結局は大衆の最大公約数に寄ってるかどうかでしかない所はあるというオチがついたね。じゃあこの辺でお開き。
ぶっちゃけこれ一番すごいのは操作性と死にゲーのバランスでしょ。
適度にクソで不親切な操作性ながら慣れるとスイスイ動けて、理不尽にアッサリ死ぬけど運ゲー要素ちゃんと減らしていけば同じミスはあんましない。
対して、散々持ち上げられてるストーリーの方は星を継ぐもののありがちなクローンまだやっとんのかいって感じだし、「全てが一つに繋がっていくドヤァ😤」みたいに言われてる割にはプレイヤーが特に気になってた所のオチを力技かましてから無理やりミスリードに持っていってないかっていう。
宇宙空間だろうが重力下だろうが速度同調ボタンこまめにポチポチ押してきゃ驚くほどコントロール効く感じはこういう「宇宙ってマジ操作ムズイからwww」とイキってるゲームの中では新鮮だわ。
星に接近して重力が切り替わるとベクトルがグニャーってなって地面にガーンってぶつかる感じとかマジで宇宙だなって感じるんだけど、そこでちゃんと速度同調しとけばあとはもう簡単なのよね。
でも着地の瞬間の切り替わりはやっぱチョット怖いっていうこの絶妙なバランス。
作品オリジナルの要素だとリトルスカウト(探査機)への集約っぷりが見事だと思うんだよね。
普通に偵察に使ってもいいし、ライトとして使うのも慣れてくると置き場所自分で選べるのがスゲー便利、目的地に雑に打ち込んで即席のマーカーにしてもいい、経路の危険チェックとか一方通行になるような所を何度も偵察し直したりとか、マジでなんでも出来る最高の相棒って形でデザインされているのに、プレイ開始直後の数ループは全然使い方が分からねえんだなコレが。
『リトルスカウトの使い方』っていうポスターが1枚貼られてるだけの説明なんだけど、操作を理解した上で見ると「なるほどやっぱこんな感じね」となるわけで、でも最初のうちは目に入っているのに「はいはい分かった分かった」でスルーして、本当に追い込まれてから突然頭の中で「あーマジでこういう時に使うのね」って気づいてくるバランスが絶妙。
一度分かったらドンドン便利に使えるようになって22分のループの中で効率的に探索するのに超役立ってくれる。
これね「ライトロボ」「カメラロボ」「マーカーロボ」って分かれていたらこんな使いこなしてる感無かったと想うんですよね。
全部集約されているからRBボタンで一発ポチっとで場合によっちゃ一石二鳥で問題が解決出来る所がプレイヤーに「俺上達したな~~~」って思い込ませてくれる。
本当凄いと思うよ。
世間じゃ「ストーリーは最高だけど操作性がね~~~」って言われてるけど全然逆でしょ。
SFで人気なありがち要素パッチワークを、慣れればスイスイ動かせる宇宙船と宇宙服与えたプレイヤー自身の手で追いかけさせることによって生み出されるナラティブ感が売りのゲームでしょ。
同じ内容を小説で読んだら「うわーこれよくあるやつー」にしかならんと思うし、もしも操作がもっと簡単だったら言われたままになぞらされてる感強すぎだろうし、操作が難しかったら「はーもう無理クソゲー二度とやらん」から戻ってこれないプレイヤー続出でしょ。
ワンチャン即事故死の宇宙の中で時間に追われながら真実を暴こうとする立場にプレイヤーを置くことに成功しているのが強みじゃん。
それを可能にしているのは触っていて気持ちいいと感じさせてくることでしょ。
なんかこう世の中の人間全然分かってないまま持ち上げるなって冷めちゃったよ。
途中で気づいたから良かったけどもしも最後まで「ストーリーが本当凄いらしいんだよなー。まだ全然凄くないけどこっからもっと凄くなるのかな―」って期待してたらガッカリして終わったと思う。
操作性を楽しむものなんやなって気づいたから最後まで楽しめたし、そのままDLCも買って、DLCはまた別の形でテレビゲーム特有の臨場体験させてくれて、やっぱこの方向性の作品なんやなあって。
「ストーリーが凄かった」じゃなくて「ストーリーが凄かったかのように感じられるように誘導してくれた」なんだよ。
そこが分かってない奴らの「操作性がクソだけどストーリーは最高なので勿体ない~~~」が見苦しすぎますわ。
同じこと思ってる奴多いんだろうけど、分かってないやつにいちいち説明するの諦めてる感じなんだろうね。
初めてのゲームで神ゲー3コンボ食らったせいで他に勧められたゲームがおもんなくて辛い
「モンハン」はシナリオに興味が沸かないどころか装備作るのに同じモンスター只管倒すとかいう時間の摩耗感が辛かったし、
「The forest」は「飛行機墜落した原因はわかったけど、じゃあそもそも飛行機墜落させる装置は何のために作られたの……?あの装置使った所で乗ってる子供全滅したら意味なくね……?」って設定のガバ感が強かったし(俺の理解が追い付いてない説もある)、
「龍が如く」は作中で神格化されてる風間がリスクマネジメントガバガバのポンコツで終始モヤったし、桐生ちゃん堅気になろうがなるまいが遥さらわれてて「じゃあもう桐生ちゃん普通に東城会の4代目就いてた方がトータルで丸く収まってたじゃん……」ってなって辛かった(吉田脚本はジャッジアイズシリーズ含めまあまあ良かった)