【暗示的な前提の補完】:もともと庶民向けとして始められたものは、ずっと庶民向けである
この議論は、前提1を支える暗示的な前提の補完が「発生論の誤謬」を含んでいます。あるものが始まった当時と、現在とでその性質が変わるはずがない、という無根拠な前提によって支えられていますが、このロジックを適用すると「たかしは子供の頃は漢字が読めなかった、だから今も読めるはずがない」というような極端な結論を導いてしまいます。
そもそも、あるサービスの値段を決めるものは、経済的な要因(需要や供給、サービスの難しさや志向の変化など)によるところが大きいです。一方、この議論ではその要因を歴史的な観点から定義づけようとしているため、おかしな結論を導いています。
私は気分を変えたい、前向きな気分を作りたいんだなとふと振り返る
仕事に誇りは持っているし愛着もあるが、そんな中で前向きにがんばるための気持ちの持ち方が分からない
これがほんとうに楽しくない
いいものを作るだとか、領域を拡げるだとか、チームメンバーを守り環境改善するだとか、そういう未来のある目標みたいなものを今現在見失っている
あと「学歴で当たり散らす修士博士課程」はこの増田の言及にあるIQ関連だと学歴に発展して荒れるかという文から、どーせこの時期で一番焦燥しやすい、そんで新卒市場から需要少ないのはFラン文系院という推測。理数系は正直知らん、工学系から院に行くやつは教授のコネもらうしな。世間知りなよ。
礼には及ばんでござるという話
それゴールポストが逃げて日本とヨーロッパしか残らなかっただけじゃねーの?
ワイは行ったことないけどなという話
うーんこれはスカっと嘘松!