はてなキーワード: フリック入力とは
そういう人の書いたものが商業誌に載ったり単行本化される前に、誰かが手書き原稿をタイプアウトしていることになる
そういうことはいつまで続くのだろうか
その手書きの小説家の作品の売り上げが、タイプアウトの人件費を上回り続ける限り
いや待て、文芸書はそんなに儲かるのか
出版社は、手書き作家の作品出版を非営利の文化事業でやっているのだろうか
そんなわけなかろう
もっともありそうなシナリオは、大作家でもない小説家の手書き入稿はもう受け入れられなくなることだ
これだけ電子テキストを書く手段がたくさんあるのだから、自分の作る商品の納入ぐらい、取引先が使いやすいフォーマットでやってくださいねと
そうやって切り捨てられた小説家はどうするのだろう
音声入力に活路を見出して、群書類従を編纂した塙保己一のように口述筆記の鬼になるのだろうか
あるいは、キーボードのタイピングはできなくとも、スマートフォンやタブレットでの文字入力はできることに気づいてそちらに移行するのだろうか
スマートフォンが主流になって久しい。街中を見れば老若男女関係なく、誰もが同じような長方形の端末を手にしているし、電車に乗ればみんな下を向いてSNSやらゲームやらに没頭している。いや、それ自体を否定するつもりはないんだ。だけどさ、本当にみんながスマートフォンを必要としているのかなって思うことはある。いまやスマホの機能はパソコンをも凌ぐものになってきているけど、それって果たして全員にとって必要不可欠なのだろうか。そもそもガラケーで事足りる人って、意外と多いんじゃないかと思うんだよね。
そりゃ、便利だよ、スマホは。アプリを入れれば何だってできるし、SNSだって投稿が簡単にできる。動画も地図もあれこれ全部一つの端末に詰め込んで、ポケットに入れて持ち運べるなんて、かつてのパソコン時代やガラケー時代から比べたら夢のようだ。それに加えて大容量のデータ通信が可能なプランを契約すれば、外でもガンガン動画を観られるし、リアルタイムでのやり取りもスムーズ。そういう意味では、確かにスマホはすごい。でも、その“すごさ”を真に活用できている人がどれほどいるのかは、ちょっと疑問だ。
たとえば、メールと電話、それにちょっとしたSNSやブラウザ検索くらいができれば十分という人は少なくないはずだ。その程度の用途なら、別にガラケーでもいいんじゃないの? と思うわけ。必要最小限の機能を備えていれば、そもそも「ネットが重い」「アプリが落ちる」「OSがバージョンアップできないからアプリが使えない」といった煩わしさとは無縁だし、バッテリーも長持ちする。なんせガラケーなら2〜3日は充電しなくても平気だ、なんてこともザラにあるからね。スマホだと日常的に毎晩充電しなきゃいけないから、その手間を考えるとガラケーの利点もやっぱり大きい。
もちろん、スマホにはカメラ性能が高いとか、決済機能があるとか、生活を快適にするいろいろな便利機能が詰まっている。でも、カメラだって一眼レフやデジカメを持っている人からすれば、スマホカメラじゃ満足できないこともあるはずだし、逆にスナップ写真くらいしか撮らない人ならガラケーのカメラで十分事足りる。決済についても、スマホ決済が便利なのは間違いないけど、クレジットカードや交通系ICカードがあれば大抵の場所で用は足りるんだよね。結局、なんでもかんでもスマホに集約して「スマホがないと生活できない」状態になるのは少し危うい気さえする。
思えば、ガラケーと呼ばれる前の時代は、みんなが当たり前にあの二つ折りやスライド型の携帯電話を使っていたわけで。それでも社会は動いていたし、人間関係だってきちんと成り立っていた。実際、あの頃は電話とメールだけでコミュニケーションが十分成立していたし、インターネットをしたいならパソコンを使えばよかった。そして何より、ちょっとしたネット閲覧や着うた・着メロのダウンロードには、ガラケー専用のサイトが用意されていたから、それを不便だと感じていた人は今ほど多くなかったんじゃないかと思うんだ。
そう考えると、やっぱり「ケータイなんてガラケーだけで十分じゃね?」と思うこともある。だって、通話とメールが使えれば連絡は取れるし、カメラも簡易的な撮影には不自由しない。さらに、多くのガラケーにはストラップを付けられる穴があって、そこにお気に入りのキャラグッズをぶら下げてアピールする楽しみ方なんかもあった。いまのスマホには、そういう「ケータイの個性化」を楽しむ余地が薄い気がするんだよ。スマホケースやカバーで差別化するっていう人もいるけど、昔のようにジャラジャラとストラップをぶら下げる感じとは違うんだよな。
ときどき言われるのが、「いやいや、いまの世の中はLINEでのやり取りが必須だから、ガラケーじゃ不便でしょう」という意見。でも、それって本当に全員が必要かな? たしかに仕事やサークル、あるいは家族・友人のグループチャットで情報を一斉共有したり、スタンプでカジュアルにコミュニケーションしたりするのは楽で便利だ。でも、電話やメールじゃダメなの? 昔はそれでやりくりしていたわけで、無理にLINEに縛られる必要はないんじゃないかと思う。もちろん「いや、仕事でどうしても必要なんだ」っていう人はいるだろう。そういう人はスマホを使えばいい。でも、誰もが「LINE至上主義」に合わせている現状に、ちょっと違和感を覚えるのも事実だ。
もっと言えば、「そんなにインターネットがしたかったらiモードもあるし」と言いたくなることだってある。そう、ガラケーにはiモードという独自のネット接続サービスがあって、昔はあれで天気予報やニュースサイトを見たり、ちょっとした調べごとをしたりしてたわけだ。いまはさすがに対応サイトが減ってしまったかもしれないけど、それでも基本的な情報収集ならできなくもない。「スマホじゃなきゃネットができない」わけじゃないんだよな。
とはいえ、世の中にはガラケーを愛用しつつも、必要最低限の用途だけスマホを使う「2台持ち」という人もいる。スマホは持っているけど通話はガラケーでする、みたいなスタイルだ。これってわりと理にかなっていて、ガラケーは通話用にバッテリーが長持ちし、スマホはSNSやアプリ専用と割り切ると、余計な通知に煩わされることも減る。料金プランをうまく選べば、そこまでコストも高くならないから、案外「スマホ1台より2台持ち」のほうがストレスフリーという人だっているわけだ。
ただ、「ガラケーとスマホを両方持つとか、管理が面倒くさい」という声もあるだろうし、そもそも二台持ちが一般的になると、街中で両手に端末を持って歩くようになるのかな? なんて想像すると少し滑稽でもある。そこまでしてガラケーにこだわらなくてもいいじゃないか、という意見があるのも理解できる。でも、一部のガラケーユーザーにとっては、あの折りたたみの感触や物理ボタンの打ちやすさ、そして着信音を選ぶ楽しみなんかが、今でも捨てがたいんだろうなって思うんだ。
ガラケーの物理ボタンは、スマホのタッチスクリーンにはない魅力があると思う。画面を見なくても、手探りでボタン操作ができるし、押した感触がハッキリしている。メールを打つにも、慣れればかなりのスピードで文字入力ができるから、指先が画面を飛び回るスマホよりも誤操作が少ないという人もいる。実際、ガラケー世代の人間からすると、あのテンキー入力のほうが「身体に染み付いている」感覚があって、スマホのフリック入力がどうにも馴染まないなんて話もよく聞く。だから、使い勝手という面では、ガラケーを「機能が少ない」と一蹴するのは早計だという気がする。
また、ガラケーには折りたたみやスライドなど、端末自体の形状にバリエーションがあった。そのせいか、端末のデザインにも個性が感じられたものだ。カメラ部分の形が凝っていたり、アンテナが伸びるタイプだったり、質感も金属やプラスチックなど機種ごとに違う。自分の好みや使いやすさに合わせて端末を選ぶ楽しみがあった。スマホは基本的に「大きなタッチ画面がどんっとある長方形」という形状が大半だから、デザイン的な違いはあっても機能面はほとんど似たり寄ったり。文字通り“画一化”している印象が強い。
カバーやケースを付ければ見た目も変えられるし、画面上の壁紙やアイコン配置で多少の個性を演出できる。でも、ガラケーの時代にあったワクワク感、たとえば「次はどんな機種を買おうかな?」みたいな楽しさは、スマホ時代とはちょっと違う。「新作スマホが出た」と言われても、画面のサイズやベゼルの細さが変わったくらいで、そこまで大きくは変わらない印象がある。もちろんカメラ性能やCPUの進化もあるんだけど、日常的にそこまで性能を使いこなす場面がない人にとっては、あんまり魅力を感じない場合もあるだろう。
それに、スマホはついつい「時間泥棒」になりがちだ。SNSをちょっと見るだけのつもりが、いつの間にか1時間も経っていたとか、寝る前にスマホを触っていたら気づけば深夜になっていたなんて話は、ザラにある。ガラケーだと、動画視聴やSNSのタイムライン閲覧はそこまで快適とはいえないぶん、長時間だらだら触り続けるということはあまりない。そもそも画面が小さいから、がっつり見るには不向きだし、ネット料金が従量制だとしたらむやみに使えないという制限がある。そのおかげで、自分の時間を無駄にしすぎない、という利点すら感じることがある。
「ガラケーの時代には戻れない」とよく言われる。確かに通信インフラや社会の仕組みがスマホを前提とした形に急速に変わりつつあるから、一人で頑固にガラケーを使い続けるのは不利かもしれない。銀行のアプリや役所関係の手続きなんかも、スマホ前提で設計されていたりして、ガラケーだけでは対応できないことも増えている。そこはちょっと残念なところだ。時代の流れに逆行するとなると、どうしても不便を甘受しなきゃいけない部分が出てくるのは仕方ない。
でも、その不便を受け入れてでも「ガラケーだけでいい」と思う人がいるのは、やっぱりそれなりの理由があるんじゃないか。何より、常に最新のSNSやアプリの動向を追う必要がないし、スマホをいじりすぎて疲れることも減る。コミュニケーションや情報収集に追われないから、心に余裕が生まれるかもしれない。実際、スマホをやめてガラケーに戻した友人が、「今までSNSやブラウザの更新ばかり気にしていた時間を、ほかのことに使えるようになった。すごく楽になったよ」と言っていた。まさにデジタルデトックスの効果だろう。
さらに言えば、ガラケーを持っていると周囲から興味を持たれたり、「まだガラケー使ってるんだ」と話のネタになったりすることもある。ひと昔前には、最新のスマホを持つことがステータスのように扱われていたけれど、いまはみんなが同じようなスマホを持っているから、逆にガラケーのほうが個性として面白がられるんだ。「なつかしい!」なんて言われると、そこから会話が広がったりして、それはそれで悪くない。
もちろん、ガラケーの提供を続けるキャリアもどんどん減っているし、新品の端末を購入するのは難しくなってきている現実がある。将来的には4G・5Gの通信環境に完全移行して、ガラケー時代の通信方式が廃止される可能性もある。そのときは、事実上ガラケーが使えなくなるかもしれないし、いわゆる「ガラホ」と呼ばれる、ガラケー風のAndroid端末に移行するしかない時代が来るかもしれない。とはいえ、今すぐに「ガラケー文化がすべて滅びる」わけではないだろうし、それまでガラケー愛好家はしぶとく生き残るはずだ。
結局、「スマホとガラケー、どっちがいいか」っていうのは、その人の使い方や好みによる。スマホが便利で手放せないという人もいれば、ガラケーのシンプルさがちょうどいいという人もいる。世の中にはいろんなライフスタイルがあっていいはずだから、無理に合わせる必要はないと思う。誰かが「スマホを使ってないなんて遅れてる」と言ってきても、それを「押し付けがましいなあ」と聞き流すくらいの心の余裕があればいい。結局、自分が何をしたいかが重要なんだから。
もし「周りがみんなスマホだから自分もスマホにしなきゃ」と思っているだけで、本当はそんなにSNSやアプリを使わないという人がいるなら、思いきってガラケーに戻すのも手だと思う。通話とメールだけならガラケーのほうが圧倒的にバッテリーも保つし、料金も抑えられるかもしれないし、「端末をどこかに置き忘れても、スマホほど重要な情報が入ってないから不安にならない」なんていうメリットだってあるだろう。「みんなと同じだから安心」じゃなくて、「自分の必要な機能がちゃんとある」ことこそが大事なんじゃないか。
もちろん、スマホが悪いわけじゃないし、ガラケー至上主義を唱えたいわけでもない。ただ、「必要以上にスマホを使って疲れちゃうくらいなら、ガラケーで十分なんじゃないの?」という提案をしたいだけなんだよね。実はわたし自身、仕事用スマホとは別にガラケーをサブ機として使っているんだけど、やっぱりガラケーをパカッと開いてガシガシと文字を打つ感覚は良いもんだよ。慣れ親しんだ操作性と、あの独特の押し心地には、どこか安心感がある。電車でスマホの通知に追われずに済むのもストレスが少ないし、本を読んだり音楽を聴いたりする時間が増えた気がするんだ。
そういうわけで、ガラケーという選択肢は決して時代遅れのものではない、と声を大にして言いたい。機能の充実や最新テクノロジーに目を奪われるのも悪くはないけれど、シンプルに生きるための道具としては、いまだガラケーは捨てがたい魅力を持っている。もしあなたが日常のほとんどをスマホに奪われていると感じるなら、一度ガラケーで過ごす日常を思い出してみるのもいいかもしれない。通話とメール、それに少しのネットがあれば不自由しない生活に戻るのも、ある意味では豊かな選択なのではないだろうか。
繰り返すが、「ケータイなんてガラケーだけで十分じゃね?」とまでは言わなくても、ガラケーで十分足りるような人もたくさんいるんじゃないか。昔みたいに、キーボタンをカチカチ押しながら、「そうそう、あれこれこうだよね」とメールを送るのだって味わい深い。意外と悪くない、というかむしろ懐かしくて温かい気持ちになれるかもしれない。少なくとも、ガラケー派の人たちを「時代遅れ」とバッサリ切り捨てるのはもったいない話だと思うんだ。最新のスマホだけが正解じゃない。だからこそ、みんなが自分にとってベストな形で“ケータイ”という道具を選べる社会であってほしいと思う。
もしあなたが、いつの間にかスマホでの習慣に疲れているなら、こう考えてみてはどうだろう。「ケータイって何のためにあるんだろう?」と。連絡手段として割り切るなら、ガラケーこそ理想的な答えかもしれない。もちろん人によっては、「やっぱりスマホがないと生活が成り立たない」という人もいるだろう。それでいいんだ。それこそ「自由」じゃないか。だから、「スマホが当たり前」という常識に縛られず、自分に本当に必要な機能がどれくらいなのかを見極めるのが大事。いまの時代だからこそ、逆にガラケーを見直す価値があるんじゃないかと思う。
最終的には「そんなにインターネットがしたかったらiモードもあるし」、通話とメールで十分ならガラケーでもいい。そこにプラスアルファでスマホを持つか持たないかは、個人の自由。要するに、スマホ一辺倒の世の中だからといって、ガラケーを諦める必要はないんだよね。わたしはそう信じている。あなたのケータイライフに、少しでもガラケー復権の可能性を感じてくれたら、これほど嬉しいことはないよ。
上記タイトルの件について別所でもいろいろ言ったけどまだモヤモヤするので吐き出させてほしいにゃん。
猫のフリをすれば吐いても怒られないかなと思ったけど猫が吐いたからと言って猫を叩く人間もいるのでホントゆるせねえよなあ!!おめーもそう思うだろ!!!!たたかないでね!!!!!
まず必要な前提情報について。先日発売したドラクエ3リメイクに存在する「かんたんモード」がどんなに殴られてもHPが残り1から微動だにせず絶対に0にならないというどこぞの不死騎団軍団長みてーな仕様になっているという情報が事の発端であります。
もともとヌルゲーであり全滅など滅多にしないし、ボスが弱くなるわけではないのでそんなに変わんないですよー、という意見もあるが私はそうは思わない。
まず絶対に死なないので防具というものの存在価値が虚無と化し、死なない以上DPSが無価値になるので武器の存在価値が消失し、それらを揃えるためのゴールドや宝箱の存在が無価値になり、呪文仲間職業などなどドラクエを構成する無数の要素が形骸化する。
一見して無限コンティニューや一時期話題になった「クリアしたことにする」と似たようなものに見える「絶対に死なないという仕様」は想像以上に多くの要素を棄損するのである。
そういう話をしたい。
さて、○○はゲームじゃねえ!という話をするためには本来ゲームの定義をしないといけないのだが、これに関しては完全に未解決議論であってこの場で決着させるには余白も能力も足りない。
かといってウィトゲンシュタインによる定義で話を進めまーすなどと言い出しても自分の結論に誘導するための手前味噌にしかならないのでそういうのは良くない。
もうどうしようもないので定義せずにフィーリングで話を進めます。ごめんね!!!
定義しないとは言いつつ最低限の認識は共有していなければ話にならないのでゲームというものについてのそもそもの話をするのだが、まず、ゲームというものはプレイヤーの入力に対して何らかの対応する出力が返ってくるものであるわけだが、これだけではゲームとして成り立っていないというのは御理解いただけるだろう。
でなければスマホのフリック入力もPCデスクトップのエロサイトへのショートカットをクリックするのも全部ゲームということになってしまう。ホワイトカラーの皆さんも勤務時間中パソコンに触れている間はずっとゲームしていることになってしまう。そんなことで減給だの処分だの食らっていてはとてもではないが堪らない。
つまりまだ何かゲームというものに必要な条件があると思う。それはなにか。
ここで出来るだけゲームというものの源流に近くシンプルな例として将棋やチェスでも話に出すと、その必要条件というのは「ルール」と「見立て」なのではないかと思う。
単なる字の書かれた木片や石片を交差する線上で動かす行為がゲームとして成立させているのは、それらの木片石片にポーンや歩兵という名前を与える「見立て」と、駒を交互に動かす、駒ごとに動ける範囲が決まっている、上に乗ったら排除できる、といった「ルール」の存在である。
このふたつにより盤上に散らばった木片や石片は、実際の戦争の再現としての意味合いを付与され、ゲームと呼ばれ得るのではないだろうか。
さてドラクエに話を戻すが、あれもまた当然メモリ上でやりとりされるステータスという名の数値や、画面上に表示されるドットには本来何の意味もない。勇者や魔物というストーリーの見立てを被せているだけで、実際にはちからやみのまもりといったステータスはただの数字である。
そんなことないよ!という方は先にクッキーババアと一緒に天文学的数量のクッキーを焼いてきて欲しい。
あくまでもコンピュータ上でやりとりされる無機質な情報に、ルールと見立てによって意味合いが付与されることでテレビゲームはゲームとして成立しているのである。
その前提を踏まえた上で、「HPが0にならない」という仕様の意味するところについて考えて欲しい。
一見大した違いなどないように見える 「無限コンティニュー」 や「クリアしたことにする」と「HPが0にならない」の間には質的な、根本的な差異による断絶が存在するのである。
「無限コンティニュー」 や「クリアしたことにする」という出血大サービスの難易度緩和、将棋で言えば歩と飛車角金銀桂馬香車が使えない19枚落ちのようなヤケクソ難易度であろうが、一応はゲームそのものが崩壊することはない。
しかし王を取られても詰みにならない、全部の駒を失おうがゲームが続く、というのは根本的にゲームのルールそのものの破壊にあたるのであり、ルールの破壊はゲームそのものを成立させている意味合いの付与の破壊、ゲームの破壊に当たる行為なのである。
考えてみて欲しい。スターを取得して無敵と化したマリオとて画面端に落ちれば死ぬのである。
敵を一方的にブチ○せるというのはゲームの一要素として成立するが、死なない、負けないというのはゲームを破壊する行為に当たる。
マリオが無限残機で即座にいくらでもやり直せることと、敵にも床判定のない画面端に触れても決してゲームオーバーにならないことの間には決定的な違いがある。
無限に復活するマリオはいくら難易度を緩和しようがゲームとして成り立ち続けることができるが、落ちないマリオはゲームとして成立しない。
如何なヌルゲーでゲームオーバーやデスペナが微粒子レベルでしか存在しなかろうが、0でさえなければゲームは成立する。0であればゲームは成立しない。
ドラクエ3リメイクのかんたんモードは、この1と0の間の絶対に越えてはいけないラインを越えているのである。
一応言っておくと勝ち負けの存在しないゲームというものも今の時代は存在するし、議論はあれど一切分岐のないノベルゲームなんかも現状ゲームに分類されているのは承知の上です。
マイクラのクリエイティブモードがデバッグモードの類ではなくゲームモードのひとつであることに文句はないし、それこそ上で話に出したクッキーババアのようにゲームをゲームとして成り立たせている要素をゲシュタルト崩壊させて楽しむアウトサイダーなゲームもゲームのひとつだと思う。
ゲームシナリオはシナリオ単体で抜き出すとゲームとしてもシナリオとしても成立せず、ゲーム部分の没入ありきでゲームに依存した存在なのでゲームシナリオが楽しめればそれでいいとも思いません。
今日、G検定を受験した。AIやディープラーニングに関するちょっと話題のやつだ。11月8日〜9日開催の2024年第6回。今回の試験から新シラバス(問題範囲)が適用で出題数が変更となる。
G検定は自宅受験可能な性質上、運営が不正行為禁止と言いながらもPCインカメラ監視や画面共有監視もなく受験者たちの間では公然とカンニングが行われていることで有名な試験だ。
IT系のAI試験だからGoogleやAIを使いこなすのも試験の一環だって?そんな屁理屈ありかよ。ありなんだよな。
SNSやnoteやqiitaの受験記を見てもそうだし、検索欄に「G検定」と入れると「カンペ/カンニング/チートシート」などが多数サジェストされることからも明らかだ。
そのため運営はカンペを一目見たり用語集をCtrl+Fで検索してすぐ解けるような一問一答的な出題を避けているという。問題文と選択肢は画像形式で出題されてコピペ不可。それくらいの抵抗はしてくる。
前回まで試験時間120分に対して出題数は公称200問程度だったが今回から160問へと変更され1問当たり時間が約30秒から45秒へと増えたのも、複雑な出題でカンニング潰しをしてやるという運営の意気込みが事前に感じられていた。
しかし運営の姿勢や自力で正々堂々と挑む他の受験者に悪いが不正受験者がいる以上は俺も乗っていくし、先端AI的な試験を受ける気概はあっても高度な自動回答環境を作れるスキルはない、そんなクズでカスの取ったスタイルを紹介する。
他の自宅受験系の資格試験にも流用できるだろう。こんな恥ずべき内容は他じゃ書けない。
ネット環境下でどこでも受験OKだが自宅がベター。広いテーブルがあるといい。カンニングしまくる以上そんな姿は人目に晒せない。会社や学校など知り合いのいる環境は論外だ。
出題内容が各人で同一であるなら仲間と結託してもいいがおそらく違うのではないか。
・PC類
頼みの綱。文字入力よりPC画面上の文字コピぺできない問題文をスマホで撮って画像入力するのがメイン。アップした画像内の文字を認識して回答できるタイプで事前に操作に慣れておく。
最近のAIならまあ対応可能だろう。性能の高い有料版に課金して安心をダメ押してもいい。世話になるのは本番2時間なのでお試し版でもいい。
俺はSoftBank系回線があれば1年タダの有料版Perplexityを普段使用しているのでこれ。
・テキスト類
シラバス(試験範囲)記載の用語が解説されたいわゆるチートシートはネットに落ちている。ブラウザで開くなりWord Excelファイルにするなり中身を検索できるようにしておく。
画像タイプでない中身が文字検索のできる試験対策の電子書籍や、テキストをそのまま書き起こしたような詳しい有料チートシートもあると心強い。
目次や索引の充実した、またはこの辺に書いてあると把握できてる読み慣れたリアル書籍もいい。
・その他
飲み物はすぐ飲めて倒してもこぼれにくいストロー付き紙パックなどがいい。
2時間の長丁場なので食べる余裕ありそうならお菓子などを用意してもいいし、アガるプレイリストを用意して音楽聴きながらやってもいい。
時計は受験画面内に常に残り時間がカウントダウンされているので不要。120分160問だから目安として残り100分時点で27問解いておきたい、80分で53問、60分で80問とメモっておくと焦った頭でもペースが掴める。
ノートPCを2台並べ、1台はブラウザで受験画面とAIを2画面表示、もう1台は簡素で一問一答的なシラバス用語のチートシートと詳細なテキスト状のチートシートを2画面表示。これはデスクトップとか1台のデカいモニターに並べてもいいだろう。
そしてスマホ2台でもAI。カメラとAIが使用できればタブレットでもいいだろう。これらを出題内容によって使い分ける。
自分の実力次第だが、用語や説明文見たら解けそうな問題はテキストからCtrl+Fで検索。AI先生に聞いた方が早そうなものはAIで。
AIに聞くのもPCタイピング入力、スマホフリック入力、出題文丸ごとをスマホで写真撮って画像認識のどれが早そうかを使い分ける。写真アップの場合は文字認識にやや時間がかかるだろう。その間に次の問題に行きそこでもAIに聞きたい場合に2台目のスマホで解いてもらう。待機時間や問題を行き来する時間は極力減らしたい。
計算問題は自力で解ける実力があってもAIに頼んで次の問題に行った方がおそらく早い。問題にはチェックマークつけて後で見返せるので1周終えてから検算してもいい。
Perplexityは画像認識での行列、サイコロ確率、期待値、畳み込み演算などを難なく正解した、はずだ。
今日の2日目受験だったが1日目受験者の感想をSNSで見ると今回からなかなか厄介に変更されているようで覚悟して挑んだ。
あまり勉強してないので過去出題や問題集との比較はできないのだが見て回ると今回は阿鼻叫喚の難易度らしい。カンニング跋扈に運営もキレたか。
問題プールの中から出題も順番もランダムに出題しているのか、同じ図表の穴埋め場所違いな問題が複数あったり、同じ用語の問われ方違いやほぼ似た感じの問題が複数あった。
勉強していればサービスだが勉強不足だと「似た問題を少し前に解いたけど自分が理解して解いたわけじゃないからまた探さなきゃ(またAIに解いてもらわなきゃ)」となり時間ロス。運営の戦略か?
試験は終了時間5分ほど残してとりあえず解き終えた。上記回答方法をスムーズにこなしてもかなりギリギリだった。
後から気付いたが問題画像を右クリック保存できるようにしたり最悪スクショした画像をブラウザAIに読ませた方が早いかもしれない。
感触はかなり良いが、AIに聞いた部分が正答できたのか全スクショして答え合わせしたわけでもないので合否不明。判明したら追記する。合否のみで得点開示されないのは残念。
AI先生の回答能力と画像認識力が上がりまくった現状、カンニングできちゃうIBT(自宅受験)はほぼお布施の価値しか無いだろう。最低限インカメラの目線監視や画面共有監視、CBT(近所の会場受験)でないと。
合格した。計算問題のある単元「AIに必要な数理・統計知識」はパーフェクト。他単元も60〜100%正答。 AI様々だね。
これからは俺AIわかってます顔で社会を歩かせてもらう。合格率73%はけっこう高いな。みんな難しい言いながら解けてるじゃん。
私は先日、定期検診のため歯医者に向かいました。その際、虫歯が見つかってしまい、後日、その治療のため再び歯医者に行きました。
その際、麻酔が原因で震えが止まらなかったため、備忘録代わりに日記にしようと思います。
それなりに長いので、お時間ある方の暇つぶしくらいに読んでいただけたらと思います。
・十代学生女
・体調良好、持病なし
虫歯を削る際にしみたり痛くなったりするため、麻酔をするねとお医者さんに言われました。治療は痛くないに越したことはないので、ありがてぇ〜って思いながら麻酔してもらいました。シート状の麻酔→注射での麻酔の順でした。
麻酔が効いたので治療を、と少し歯を削ってもらったあたりで違和感に気づきました。
あと足にも違和感がありました。震えているというのと、緊張でガチガチに固まっているのの2つがありました。
小学生の頃、抜歯をした際はこのようなことがなかったので、自分の体のことでしたが怖かったです。
基本的に健康優良児なので、病院にかかることはあれど大きな病気にかかることはほぼなく、虫歯の治療も久々だったのでその緊張で震えてるのかなと思いました。
先生に少し調子がおかしいことを伝えると、一旦治療をやめてどんな感じか聞かれました。
手が震えています、足もなんだか震えてる気がしますと言いました。緊張でガチガチだった体を動かすと、足も確かに震えていました。胴体はそんなに震えてなかった気がします。それよりもガチガチに固まってたほうが強かったです。
どのくらい震えていたかというと、スマホのフリック入力のミスが3文字に1回あるくらいです。わーこんなに文字が打てないんだと思わず笑っちゃうくらい。
先生は治療を一時中断し、落ち着くまでゆっくりしてと言いました。膝を曲げるといいと言われたので、膝を立てて治療台に寝そべっていました。このあと45分くらいこの姿勢でした。
しばらく待つと手の震えは止まりました。
治療を再開すると、なんかしみた気がするのでそれを話すと麻酔が追加されることになりました。
なんとなくまた手が震えそうだな〜と思ったら、案の定ブルブルしてました。これが足なら産まれたての子鹿のようと表現できそうなくらいです。
そしてまた治療を中断し、落ち着くのを待つ…ということになりました。
ここからは先生から聞いた話なのですが、私が今回使われた麻酔は血管をキュッとする(収縮する)作用がある成分が入っているそうです。それが血管に入ったり漏れたりすると、たまに心臓がドキドキしたり震えたりする人がいるのだと言います。
先生は体質との兼ね合いもある、と言っていたので個人差がある上、前記の症状が出る人は少ない…らしいです。
このとき、だいぶ麻酔が効いていたのですが、まだ麻酔が足りないようであれば違う種類のもの(血管を縮める作用を持つ成分が入ってない麻酔)を使うと言われたので、とりあえずは一安心しました。
ここまでで約40分とかかかってました。長いですね。
そしてまた落ち着いたら、治療が再開されました。少ししみたので別の麻酔を足し、そして再び治療…という流れでした。
今度は震えはなかったのですが、まだ少ししみていました。これ以上はさすがに麻酔は入れられないと思ったのか、我慢してと先生に言われました。まあそりゃあそうですよね。
そして虫歯の治療が終わり、当日の治療はそれで終了、となりました。治療を始めてから、だいたい1時間くらいたっていました。
先生いわく、(数年に1人のレベルで)麻酔の効きが悪かったようです。
まあ、3回も麻酔を入れられている時点である程度察していましたが。
治療に1時間かかったのは流石に想定外で、病院の外で待っていた母と姉に遅すぎる!と言われてしまいました。同感です。
これで私の話は以上となります。
うまくオチがつけられなかったのが悔しいですが、まあ日記なので許してください。
この文が誰かの役に立てたなら幸いです。見てくださりありがとうございました。
https://togetter.com/li/2371105
今時の若い人はスマホやタブレットしか使えない、大体スマホで事足りるしパソコンが必要ないから。
ってよく言われるけどさ、じゃあパソコンをパソコンたらしめる要素って何?
そんでエクセルで表計算したりワープロソフトでレポート書いたりしなきゃならないって言うけどさ、できるじゃん!
エクセルもワードもアプリあるじゃん。無料でもGoogleのオフィスみたいなのあるじゃん。
それともキーボードとマウスの操作性?それもタッチ操作とフリック入力でいけるやん。タッチペンもダイソーにあるじゃん。
他の人とのデータ入出力の問題?そんなんメールかLINEで送ってローカルに保存して読み込みゃいいじゃん。
読点に「。」を使ってるのも、なんか違和感あるひとだよなあ
この文章が本当に被害者の文章だとして、端的に言えば、りりちゃんの事件は、痴呆老人をターゲットとして騙すケースとなんら変わりないんだな、と思った
やっぱり、文章には、それを書いた人の知的レベルとか、その人の本性というか、それこそその人の現在の体調みたいなのまで読み取れると思う
プロファイリングとかそういうものなんだろう、専門ではないので知らんけど
ある人に、誰か他人を知りたければ、その人になんでもいいから作文を書かせてみればいい、ようなことを言われたが、あれは正しかったのだなと今でも思う
作文させれば、まず馬鹿でも分かるのは、その人が何に興味があるのか、
テーマを決めたとしても、そのテーマのどこに着目するのか、そういう傾向がまず読み取れるし、
単純にボキャブラリー、辞書なしで手書きさせれば、普段どれぐらい手で文章を書いているのか、まったく書いてなくて漢字変換に頼っているのか、も分かる
りりちゃんの文章を読んだが、自分には特に文才があるようには思えなかった
思えなかったが、Twitter上で文才がある、という意見も目立つので、自分には理解できないだけなのかもしれない
書いてる内容は日常生活的なものと、自分への判決への不服とか、自分はかわいそう、ということの繰り返しであって、
本当に自分しか見てない人なんだな、という感しか自分にはなかった
自分しか見てないから、自分が気持ちよくなることしか考えていないわけで、そういうタイプの方が風俗とかホストとかにハマりやすいのは自明であろう
なんとなくだが、この年齢までそうやってサバイバルしてきてしまったというのもあるわけで、
9年間経っても、この手の人は自分自分しか語らないと思う、そういうタイプの人を何人か見てきたので、そういう実感がある
もちろん、自分の中にもそういう傾向があることは理解しているし、自戒を込めてと言わざるをない
誰にでもそういう面がある、ただ、りりちゃんの場合は、そうやってここまでサバイブすることで学習してきてしまった癖がある
二十歳を越えてもこれなのだらか、多分、一生こういう傾向は続くと思う
それはたしかに家庭環境とかにも原因があるし、不幸なのかもしれない
不幸なのかもしれないが、不幸で許されるなら京アニの青葉は無罪レベルだと思う、それぐらい辛い思いはしてると思う
でも、世の中はそうじゃない
りりちゃんを擁護する人たちの中で、そういう視点が欠けている人たちが見受けられるが、ちょっと怖いなあと思った
一方、りりちゃんの被害者の文章は、読点の使い方も改行のタイミングも変だし、ボキャブラリーもちょっと拙すぎると思った
もしくは、キーボードやフリック入力に慣れていないとか、デジタル弱者的な感じがしなくもない
個人的には、その両方だと思う
りりちゃんのマニュアルでは、高齢で独身の趣味のない男性を狙え、みたいに書いていたと記憶しているが、
それは結局、高齢で独身で趣味のない男性は、境界知能のような知的弱者を多く含んでいるということの裏返しでしかないのではないだろうか
つまり、痴呆の高齢者だけを集めた住所や電話番号のリストが出回っていて、執拗に同じ老人に詐欺の電話をアタックしてくるのと大して変わらない
高齢の知能に障害のある男性に性欲があるのがキモイ、とTwitterで書いているソープ嬢がいた
風俗の客には知的障害者、被生活保護者などが多く訪れるらしく、ひたすら彼女のTwitterは客への愚痴で埋められていた
そのほとんどに、キモイ、という言葉で客が断罪されているものだった
だったら、そんな仕事辞めればいいのに、と読んでいてつい思ってしまうのだが、やめられない理由がなんかあるんだろう
あと、その切れ間にときどき意識高い系の言葉とか、丁寧な生活系の言葉が並ぶのも、読んでるこちらからすれば、ちょっとキモいと思った
他にいろいろ意図があったりはするんだろうけど、単純にキー押下数が少ないよね。
私には合わないな:watasinihaawanaina(19文字+漢字変換でスペース1回のキー押下数20回)
not for me:not for me(10文字+事前事後に入力モード切替2回のキー押下数12回)
まだガラケー打ちしてる人がいるならもっと「not for me」有利になる。
ノットフォーミー:nottofo-mi-(12文字+カタカナ変換キー1回のキー押下数13回)
キー押下数的にはカタカナでノットフォーミーって書いてもいいけど、ノットフォーミーさんはまだ日本に馴染みきってなくて
長期滞在してる外国人ぐらいの感じだから、「not for me 」かな。
ペンとかカッターみたいに日本国籍取得するぐらい日本に馴染みきった頃にはカタカナでノットフォーミーって書いても違和感なくなるかもね。
テンキーのブラインドタッチ
→ 経理のおばちゃんが異常な速度で撃ってるが、あれほどではないがカタカタという感じで見ないで撃てるのは昔苦労してやっといて良かった。
スマホのフリック入力
→ 娘が10歳くらいの時に教えてくれた。最近テレビで「おじさんは返信が遅い」ってやってて、原因はローマ字入力だかららしい。今からでも遅くないからフリックはやっとけ。
MOSのスタンダード資格
→ ほんとうに最低限だが、Excelの関数とかWordの書式とかで「こうしたい」と思ったときにググることができている。MOSを取っていなかったらググるキーワードすら出てきていないと思う。
基本的に女性が得意とする分野な気がするので、身近にPCに強い人がいたら聞いてみるといいと思う。自分の場合は同僚のおばちゃんと娘が先生になってくれた。
4年前くらいに買ったgalaxy S10(11万くらい)のバッテリーがヘタって来て流石に買い替えようかと思ったのが去年の夏。
今はもう4年前と学生の時とは暮らしぶりが変わって、とにかく節約節約の日々。なので今度のスマホは格安SIM?等のとにかく安いやつにしようと思ってた。以前やってたソシャゲも一切やらなくなったし、インスタもやってないから、良い性能も良いカメラも要らなかった。Lineが問題なく使えればいいや…ってくらい。
ただ思いとどまってよく考えると、性能落として安いスマホ買うくらいなら、今使ってるGalaxy S10のバッテリー交換をする方が断然安上がりだし、性能もいいんだよね。
これが当たってdocomoショップでバッテリー交換してもらうと、代金は5千円程度で済んで、バッテリーも一日持つようになった。(サービスでフロント画面丸々交換してもらったけど、これはフリック入力の感覚が変わって後悔。)
それから半年、特に大きな不満もなく、相変わらず写真フォルダの中身は大して増えることのない生活を送っていた。
そしたら今日、親戚の集まりで突然記念写真撮ることになって。兄弟が婚約相手とか初めて連れてきて、場が祝福ムードなので、一番下っ端の俺が写真担当みたいな感じになった。
そこでパシャパシャいくつも写真を撮った今、フォルダを見返すとよく撮れてるんですわ。今の上等なスマホならなんも考えずに撮るだけで、くっきり、かつ人間の肌とかは綺麗に映してくれるんだよね。もしここで俺のスマホが格安のやつとかだったら…って考えるとちょっとゾッとするというか。
大事な時間って突然降り掛かってくるので、そういったときにパッと取り出せるカメラが一定の水準に達しているやつで良かったなっていう話。