史上初「2度目」への期待感も
プロ野球ロッテの佐々木朗希投手が4月10日のオリックス戦で完全試合を達成してから、1カ月余り。日本のプロ球界で28年ぶりとなった快挙に続く登板でも、8回を「パーフェクト」に封じて降板するなど、多くの野球ファンを興奮の渦に巻き込んだ。日本と米大リーグで過去に大記録を達成した名投手たちと比較しても、佐々木が2試合にわたって演じたパフォーマンスは別次元だ。
投げるたびに「また達成するかも」という期待感を抱かせる。2度目となれば、史上初の偉業。まだプロとして本格的にスタートしたばかりの20歳。今後順調にレベルアップしていけばどれほどまでに成長するのか、計り知れない。(時事ドットコム編集部 橋本誠)
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完全試合は極めて希少だ。日本のプロ野球では佐々木を含め16人目(16度目)、より歴史の長いメジャーでもワールドシリーズの1度、19世紀の2度を合わせて23度(23人)しか記録されていない。
相当の野球好きでも、そこに遭遇するチャンスはめったにない。筆者は1990年代後半から2000年代初めにかけて米国に駐在した。当時は大リーグの歴史に名を残す大投手が多数君臨。サイ・ヤング賞(最優秀投手)4度、通算355勝のグレグ・マダックス、同賞最多7度、同354勝のロジャー・クレメンス、同賞5度、303勝の左腕ランディ・ジョンソン、同賞3度、219勝のペドロ・マルティネスらだ。全盛期の彼らは、登板すれば相手が半ば負けを覚悟するほどの力量を誇った。その投球を球場で見るのは至福の時間だった。
それでも、この4人の中で完全試合を記録したのはジョンソンのみ。ノーヒットノーランを含む無安打無得点試合に広げても、ジョンソンの2度だけ。P・マルティネスには95年に、九回まで「完全」を続けながら十回に安打を許した不運の投球があったが、「精密機械」マダックスも、「ロケット」クレメンスもついに届かない領域だった。ダルビッシュ有もメジャー2年目の13年4月2日、アストロズ戦で九回2死まで26人を打ち取りながら、27人目の投手返しの打球を捕球できず(中前打)大記録を逸している。
有藤道世さんは「やる側」も「やられる側」も
日本のパーフェクト達成者のうち、1994年の槙原寛己(巨人、対広島)はフル映像が残っているものの、78年の今井雄太郎(阪急、対ロッテ)、73年の八木沢壮六(ロッテ、対太平洋)あたりだと、わずかなハイライト映像を見た記憶しかない。今井、八木沢の会場は仙台の宮城球場。牧歌的な雰囲気のあった当時のパ・リーグで、しかも地方球場とあって、取材陣も多くなかった。この試合を取材した先輩記者は「1人(取材)だったから、いろいろ大変だった。まさかの状況で慌てたよ」と苦笑いしながら懐かしそうに語っていた。
佐々木朗の快投をCS放送で解説していた有藤道世さん(元ロッテ監督)は現役時代、八木沢の完全投球を味方としてサポート。一方の今井には、相手打線の1人として快挙を許していた。そして球団OBとして佐々木朗の試合を解説。序盤から「完全」への期待を熱弁していた有藤さんは、試合後に「完全試合をやる側とやられる側で経験し、きょうは解説した」。熱を帯びた口調で、誇らしげだった。希少な完全試合に、有藤さんのように何度も絡んだ選手は確かに、そうそういるものではない。
日米の達成者リストを改めて見ると、日本の16人のうち、殿堂入りはスライダーの元祖とされる藤本英雄、400勝左腕の金田正一、ノーヒットノーラン3度(うち完全試合1度)の外木場義郎の3人。通算200勝以上の24人中、パーフェクト経験者は藤本と金田の2人。300勝以上の6人では金田のみ。大投手と称されている中では、伝説の沢村栄治が3度、鈴木啓示が2度、それぞれノーヒットノーランを記録している。
一方でシュートとスライダーを絶妙なコースに配した「鉄腕」稲尾和久や最優秀選手(MVP)3度の「最強サブマリン」山田久志は、ノーヒットノーランもない。抜群の制球力を誇った320勝の小山正明、「ザトペック投法」村山実、350勝の「ガソリンタンク」米田哲也、プロ2年目に38勝4敗の驚異的な成績を残した杉浦忠、そして佐々木朗にとって球団の大先輩にあたる「マサカリ」村田兆治らも同様だ。
マダックス、クレメンスらも届かず
メジャーの達成者23人のうち、殿堂入りは8人。通算最多511勝のサイ・ヤングはリストに名前があるが、史上最高の投手とされるウォルター・ジョンソンや、これに次ぐ存在とされるクリスティ・マシューソンは記録していない。300勝以上24人中、達成者はC・ヤングとR・ジョンソンだけ。日米の達成者には、通算16勝で現役を退いた投手が1人ずつ、通算50勝以下も3人ずついる。
達成者は佐々木朗や金田、R・ジョンソンのような速球派ばかりではない。特に日本では下手投げや横手投げの技巧派も目立つ。完全試合とは、圧倒的な球速がなくても、くせ球や切れのいい変化球を持ち、それが抜群のコースに決まるなどした場合の「絶好調」時に、偶然生まれる記録と言ってもいいだろう。相手打線との相性もある。また、1本や2本は味方の好守に恵まれることも必要と思われる。運も大きな要素に違いない。
かなり偶然に左右される大記録だけに、マダックス、クレメンス、R・ジョンソン、P・マルティネスが共存していた時代でも、「きょう完全試合があるかも」と思って観戦することはほとんどなかった。マルティネスがリーグで最も手ごわい投手だった絶頂期、インディアンスからフリーエージェントとなったマニー・ラミレス(通算555本塁打、3割1分2厘)をレッドソックスの当時のゼネラルマネジャー(GM)が勧誘する際、「うちに来れば、もうペドロ(マルティネス)と対戦する必要がなくなるよ」との殺し文句で勧誘していたことが思い出される。それほどの切れと制球力を持ったマルティネスをもってしても、「ノーノ―」もなかった。
クレメンスは86、96年とメジャータイ記録(9イニング)の1試合20奪三振を記録。剛球にスプリット、カーブ、スライダーなどを交える投球スタイルで圧倒したが、完全もノーノ―もなし。運がなかったのか。マダックスの場合、球速はほぼ140キロ台だった。正確なコントロールで際どいコースにボールを動かしてバットの芯を外す投球スタイル。打たせて取るタイプだっただけに、当たり損ねでも安打となるケースがあったのでは、と思われる。実際のプレーは見ていないが、全盛期の稲尾らもマダックスのタイプに分類されるのだろう。
ライアン、野茂…「完全」は果たせず
佐々木や大谷翔平、ダルビッシュらを見るまでもなく、投手は球速がある方が有利になる。一方で完全投球ともなると、走者を許すことができないから、制球力も重要。そのため技巧派が割って入る余地がある。どんなに球に威力があっても、制球力に少しでも課題を残す投手にとっては、完全試合は険しい道のりとなるだろう。ノーラン・ライアンや野茂英雄は、そうしたタイプなのかもしれない。
ライアンは通算324勝、メジャー最多5714奪三振の大投手。160キロを優に超える速球で「ライアン超特急」と呼ばれ、大きなカーブや落差のあるチェンジアップを交えて打者たちを圧倒した。99年に資格取得1年目で殿堂入りした際には歴代最多の得票数、同2位の得票率を誇ったほど、その功績が支持された。しかし、所属チームが強豪でなかったこともあり、292敗で勝率5割2分6厘。四球が多く、勝ったり負けたりの投手でもあった。ノーヒットノーランを通算で歴代最多の7度も成し遂げながら、完全試合の達成者リストに名前を刻むことはできなかった。2795四球も、圧倒的なメジャー記録。制球力不足が、ライアンの完全試合を阻んだと言えるだろう。160キロ超の快速球を駆使して40年代を中心に活躍し、「火の球投手」と呼ばれたボブ・フェラーも制球に課題を残し、3度のノーヒットノーランを演じながら、パーフェクトは果たせなかった。
野茂は新日鉄堺からプロ野球の近鉄に入団。150キロを超える速球と、「ボールが消える」と打者たちを嘆かせたほど落差の大きいフォークを軸に1年目から個人タイトルを総なめにした。ただし制球力が十分でなく、1イニングに3奪三振、3四球なども珍しくなかった。チームメートや関係者も野茂の活躍に舌を巻き、賛辞を贈る一方で、「リズムが悪い」といら立つような場面に何度も遭遇した。日本人メジャーリーガーの開拓者となり、フォークがさえてノーヒットノーランも2度達成。ファンを熱狂させた。ただ、制球力の課題は克服し切れず、1試合100球前後で先発投手を交代させるメジャー流もあって5、6回で降板することも少なくなかった。野茂にもう2段階ぐらい上の制球力があれば、メジャーでの完全試合も夢ではなかっただろう。
「制球」助ける160キロ超の快速球
そうした速球派投手たちと比較しても、佐々木朗のすごさが浮かび上がる。オリックス戦の完全試合に続き、1週間後の日本ハム戦でも8回をパーフェクト投球。オリックス戦での3ボールはたった1度で、オリックス戦に比べると「制球がよくなかった」という日本ハム戦でも四球の「危機」(3ボール)は2度だけ。完全試合は、プロ野球新記録の13連続三振、同タイ記録の1試合19奪三振というおまけ付き。メジャー記録の1試合20奪三振をマークした86、96年のクレメンス、98年のケリー・ウッド、01年のR・ジョンソン、16年のマックス・シャーザーがいずれもノーヒットノーランでもなかったことを考えると、佐々木朗はまさに別次元の投球だろう。
厳密に言えば、現時点での佐々木朗の制球力は「ボール1個、半個をゾーンに出し入れした」マダックスや稲尾、小山、若い頃の荒れ球を克服して無四球試合のプロ野球記録をつくった鈴木らのレベルには、まだ遠い。それでも160キロを超える速球があれば、少々甘いコースでもそう簡単に打ち返されることはない。しかも、「ほとんど変わらない」というフォームで投げる140キロ台後半~150キロのフォークがあるから、打者は見極めが困難。「ボールにならない程度のコース」を狙って投げれば、打たれる心配は大きくない。
つまり、佐々木の場合、圧倒的なスピードボールがコントロールも助けていることになる。「脱力を心掛け、制球を乱さないように投げている」のは、脱力してなお非常に威力のある球を投げられるからでもある。剛球投手が制球を意識して脱力を心掛けると、普通はモデルチェンジとなる。速球派から技巧派に転身して選手生命を延ばした鈴木も江夏豊も、このタイプだ。佐々木朗の場合は既にずぬけたスピードボールと四球を出さない程度の制球力を両立させているため、モデルチェンジの必要はない。これは極めて大きなアドバンテージだ。さらに細かい制球力を身に着けたら、いったいどういうことになるだろうか。
全盛期のコーファックスをダブらせる
筆者の知識が及ぶ範囲なら、「脱力を覚えて持ち前の球速を生かすことができた」投手の典型的な例が、60年代の大リーグでドジャースのエースとして大活躍した左腕サンディ・コーファックスだろう。メジャー12年のうち、25歳までの前半6年間は36勝40敗と飛躍できずにいたのが、後半6年は129勝47敗と圧倒的な内容で、この間に最多勝3度、最優秀防御率5度、最多奪三振4度。62~65年には4年連続でノーヒットノーランを達成し、このうち65年9月のカブス戦で完全試合を演じた。ホップするような剛速球と大きなカーブのコンビネーション。コーファックスの後半5~6年間は、メジャーリーグのあらゆる投手の中でも、最も打者たちを圧倒した期間だったかもしれない。しかも、ワールドシリーズ8試合で防御率0.95と大試合にも強かった。ハイライト映像でしか見たことはないが、同じ左腕で投球スタイルも似ていて、日本なら400勝の金田が同じタイプだろう。長身左腕のR・ジョンソンもキャリアを積むにつれて制球力を増し、持ち前の球威をより生かせるようになった。
65年にコーファックスに完全試合を喫したカブスの名遊撃手アーニー・バンクス(通算512本塁打、1636打点)は「何度も3球で仕留められた。自分が見た中で最高の投手。スポーツ選手として全て(の資質)を備えていた」と評し、ドジャースのトミー・ラソーダ元監督も「彼が投げる時はいつも、きょうは完全試合? ノーヒットノーラン? 15奪三振? という感じだった」と振り返っている。クレメンスやマダックスを相手にした打者たちにもなかった感覚ではないか。佐々木朗がこのまま順調に成長すれば、相手打線は同じような感じになるだろう。プロ生活前半のコーファックスは高い潜在能力が評価されながら、制球が安定せずになかなか素材の良さを生かせなかった。ある時、捕手から「そこまで力まなくてもいい。少し力を抜いて楽に投げてみたら」と助言され、それをきっかけに徐々に投球のコツをつかんだという。佐々木朗は既に、少し力を抜いて制球を乱さないことを心掛け、持ち前の球威を生かす投球術を軌道に乗せつつある。末恐ろしいと言わざるを得ない。
近い将来、「無敵」の可能性も
球数をしっかり管理した起用法では、投手たちはなるべく球数を少なくして長いイニングを効率的に投げる工夫を考える。佐々木朗も、極力ストライクを先行させ、早めに追い込んで打ち取る投球を心掛けているのは明らか。無駄球を省いた3球勝負が少なくないのも、そうした狙いの表れだ。ストライクゾーンでどんどん勝負するから、打者もある程度直球に絞って積極的に狙いにくる。このあたりが次段階の課題となるはずだが、三振が多いのだから慎重に投げていては球数がかさんで長い回を投げることは不可能になる。「100球前後で、どれだけ長く投げられるか」という今季の佐々木朗のアプローチは、理にかなっている。米国の先発投手は「100球で中4日」が基準。将来メジャーに移籍する可能性を考えても、今の投球法の中で球種、配球などに工夫を加えていけば、間違いなく成功への近道になるはずだ。
160キロ超のスピードは佐々木朗の大きな魅力で、大谷と同様、努力だけでは可能域に届かない特殊能力とも言えるだろう。自己最速「164キロ」超えも近いかもしれない。その強みを軸に、鋭いフォーク、さらにはまだ数パーセントにとどまっているカーブやスライダーを効果的に交えた投球術のレベルアップ、制球力のさらなる向上―。近い将来、それらが実現すれば、文字通り無敵の存在となるのではないだろうか。(文中敬称略)
(2022年5月12日掲載)