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大谷翔平、長嶋茂雄、イチロー、江夏豊…ホワイティングさんが語る日本野球60年

2025年01月20日

 日本のプロ野球を60年以上前から観察し、「菊とバット」「和をもって日本となす」など米国人の視点から日米野球界を描いた著作を数多く発表してきた作家のロバート・ホワイティングさん(82)。昨年12月に時事通信のインタビューに応じ、ドジャースの大谷翔平ら日本人大リーガーや「ON(王貞治、長嶋茂雄)」全盛期の日本球界などについて、過去のエピソードを交えながら独自の視点で語ってくれた。(時事通信運動部 山下昭人)(選手の敬称略)

大谷を批判する声は聞かない

 ホワイティングさんにまず聞きたかったのが、米大リーグの看板スターとなった大谷への印象だ。投打の二刀流を成功させて驚かせ、日本人初の本塁打王に。昨季は「50本塁打、50盗塁」の快挙も成し遂げた。多くのジャーナリストと同様に、ホワイティングさんにとっても大谷の近年の活躍は想像を超えるものだったようだ。

 「彼は日本人選手のイメージをだいぶアップしました。イチローは良かったけど内野安打が多い、野茂英雄は投げ方が変わっているから活躍した、日本でシーズン50本塁打を打った松井秀喜は31本しか打てなかった(などの見方があった)。でも大谷を批判する声は聞かない。日本の野球に対しての尊敬のレベルが上がりました」

 「今までの日本人選手はそれほど肉体的に大きくなかった。大谷はプロフットボール選手のような体かもしれない。普通の大リーグ選手より大きい。新しい日本人というイメージをつくりました。こんな選手が出てくるとは思わなかった。夢にも思わなかった」

どこにいても長嶋の顔が見えた

 前人未到の記録を次々と達成するプレーヤーとしての能力の高さだけではなく、価値観が多様化した現代において大谷の知名度や人気はスポーツ選手として群を抜く。1977年に発表した「菊とバット」で、「国民の心をしっかりとつかんだ存在」と言い表した長嶋茂雄に近い印象を持つという。

 「同じようなレベルだと思います。(62年に)初めて日本に来た時、どこにいても長嶋の顔が見えた。CM、駅のポスター、週刊文春、週刊新潮、週刊ベースボールの表紙。長嶋ばかり。大谷はそのぐらいのレベルに行っていると思います。超えてるんじゃないですか。長嶋はニコニコして穏やか。大谷も似ている。(映画にもなった)「ナチュラル」という小説を読んだことがありますか? (主人公は)大谷そっくりだと思いました。いつもニコニコしている、野球をすごく愛している、世界で一番いい選手になりたがっている」

テッド・ウィリアムズに近い大谷

 長年、日米の野球を見詰めてきたホワイティングさんは、大谷に近い選手として球史に刻まれる大打者の名を挙げる。

 「テッド・ウィリアムズに打者として似ている。同じような体の形。ウィリアムズの打率は3割4分くらい(通算3割4分4厘)で、大谷はもう少し上げなくちゃならない。50本塁打を打ったことはないから、その点で大谷は超えている。大リーグ野球を見てきているジャーナリストたちが、一番の打者はウィリアムズだと言っている。ナンバー2はジョー・ディマジオあるいはベーブ・ルース。大谷はテッド・ウィリアムズに一番似ていると思います。あるいはデューク・スナイダー」

頭の回転が速かったイチロー

 日米での野球殿堂入りが確実視されているイチローについても、実像に迫ろうとしてきたホワイティングさん。大リーグでの活躍について聞いた。

 「彼は10年連続で200安打、打率3割を記録しました。大リーグがホームラン野球になったのはベーブ・ルースが現れた時。その前の米国の代表的な選手はタイ・カッブで、イチローは過去のそういう選手を思い出させる。セーフティーバント、内野安打、足が速い」

 「大谷は米国で本塁打を40本、50本打ちました。彼の日本での成績を見れば、(シーズン最高で)22本しか打っていない。日本の野球は難しいかもしれないという意味では、イチローの日本での成績をもっと尊重する、そういう考え方もあると思います」

 2004年に発表した「イチロー革命」を著す際に本人にインタビュー。多くの野球関係者に接してきたホワイティングさんにとっても、それは印象的な取材になった様子だ。

 「イチローが日本の野球選手で一番インテリだと思う。頭がいい。頭の回転が速くて面白かった」

 「(22年に)イチローがマリナーズの殿堂に入って、僕は講演するよう招待されました。マリナーズのシーズンチケットを持っている人たちの会のパーティーで。その後レセプションがあってイチローが奥さんと一緒に来ました。ジム・コルボーン(オリックス投手コーチ、マリナーズのスカウトなどを歴任)が呼んできまして、僕はイチローに『ホワイティングと申します』とあいさつしようとしたら、コルボーンが『知ってるはず。前に会ったことあるでしょ』と。イチローは何を言っているか分からなかったみたい。でも奥さんの顔を見て。奥さんは『イチロー革命』をあまり好きじゃなかったみたい。それはしょうがないです。ジャーナリストは真実を書かないと駄目ですね」

江夏豊に魅了される

 1962年に空軍の任務で来日してから、強い関心を持って日本のプロ野球を眺めてきた。当初、魅了された選手の一人が江夏豊だった。

 「江夏の時代だった。1968年の江夏は401奪三振、25勝。僕は阪神タイガースが東京に来ると、いつも後楽園球場に行っていました。あの人が世界一の投手だった。大リーグに行けば必ず20勝投手になれると。江夏と堀内恒夫の対戦を何度も見ました」

 「カージナルスが来日した時、ショーエンディーンスト監督は江夏を『世界最高の左投手』と評価しました。カージナルスには(通算329勝を挙げることになる左腕の)スティーブ・カールトン投手もいましたが、江夏の方が上と彼は判断しました。日本の選手は大リーグでプレーする機会がなかった。王が米国に行けば、ホームラン王になれたかもしれない」

渡辺恒雄氏との思い出

 このインタビューを行う数時間前に、プロ野球巨人のオーナーも務めた渡辺恒雄・読売新聞グループ本社代表取締役主筆の訃報が伝わった。渡辺氏が米ワシントンに転勤する前、ホワイティングさんが英語の家庭教師を務めていたことは知られている。日本のプロ野球について振り返る中で、渡辺氏との思い出も語ってくれた。

 「僕は上智大学で日本の政治を専攻していました。教授が渡辺恒雄の友人で、英会話の先生が必要なので『やりますか?』と。週3回、(千代田区)三番町の家に行きました。面白い人で、政治の汚いことを教えてくれた」

 「『菊とバット』を書いた時、食事に誘われて『これ面白いね』と。読売新聞社の会議室でインタビューを受けて大きな記事になり、ベストセラーになりました。すごい力を持っている人。日本の将軍みたい。彼は野球に興味がなかったけど、助けてくれた。あの記事でベストセラーになれたと思います」

 「その後、彼が怒りました。東京ドームの(巨人戦の)観客数のうそを週刊朝日に書きまして。でもしょうがないでしょ。読売新聞は真実に基づいている新聞ですから」

日本人の性格に合う野球

 野球を通じた日米文化比較を得意分野とするホワイティングさんにとって、日本人の野球に対する関心の高さはどう映ってきたのか。野球界の展望とともに聞いた。

 「初めて日本に来た時は、日本の(スポーツ競技の結果をまとめた)ボックススコアが素晴らしいと思いました。スポーツ紙を買って前の日のボックススコアを見て。日本のは流れが分かる。それは日本の特色だと思います」

 「(野球は)日本人の性格に合っていると思います。タイムリミットがなく、一球と一球の間に十分コーチと相談できる余裕がある。投手と打者、1対1の対決は剣道や柔道、相撲にすごく似ている。野球には十分考える余裕がある。なぜ日本人が野球を好きになったかは『和をもって日本となす』で十分に説明しました。自分が何を書いたか覚えていませんけど(笑)」

 「1990年代初め頃、プロ野球の収入は大リーグと同じぐらいでした。今は大リーグが150億ドル、日本は20億ドル。残念で悲しいですね。夕刊フジに、(ソフトバンクグループ会長兼社長の)孫正義が大リーグ球団を買えばいいと書きましたが、彼みたいな人間が必要。冒険的なオーナーが必要。近いうちに大きな爆発的な事件が起こるのではないかと思います」

 ロバート・ホワイティングさん 1942年、米ニュージャージー州生まれ。空軍の任務で62年に初来日し、上智大学に留学。ジャーナリスト、作家として活動し、77年に野球を通した日米比較文化論の名著とされる「菊とバット」を発表。「和をもって日本となす」「さらばサムライ野球」「東京アンダーワールド」「イチロー革命」など著書多数。

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