はてなキーワード: 自作とは
どこでも聞く話だけどそのままにしたいが多すぎる
てかそのままでいいなら今のシステムを使い続けろよなんのためにリプレースするんだよ
元のシステムにバグがあったのをバグまで含めて移植しろとかいうな
最初に気づいたのは、うちの部署の古株である田村さんだった。昼休みにコンビニで弁当を買って戻ってくるなり、「あの子、なんか売ってるよ」と言う。何を売っているのかと訊ねると、「糠漬けらしい」とのことだった。
昼休みが終わる頃、俺も喫煙所の帰りに覗いてみた。給湯室の前で、鈴木がタッパーを手にして立っている。タッパーの中には、瑞々しい緑色のきゅうりが綺麗に並んでいた。「1袋500円です」と書かれた手書きのメモが、デスクの端に置かれている。
正直、意味がわからなかった。新入社員が、自作の漬物を会社で売る。そんな話、聞いたことがない。
「鈴木、それ何?」
「糠漬けです。私、家で漬けてるんですけど、たくさんできるので……」
「それを、売ってるの?」
「はい。無農薬のきゅうりを使っていて、無添加です。市販のものより美味しいと思います」
彼女は営業部の新人で、今年の春に入社したばかり。目立つタイプではなく、普段はおとなしくしている。そんな彼女が、自家製の糠漬けを売り出しているという事実が、どうにも俺の理解を超えていた。
「へえ……売れてるの?」
「ええ、おかげさまで」
信じがたいことに、昼休みが終わる頃には、タッパーの中は空になっていた。
***
翌日、俺は試しに一袋買ってみた。家に帰り、晩酌のつまみにしてみると、これが意外と旨い。浅漬けで、ほどよく塩気が効いている。糠の香ばしさも強すぎず、歯応えもいい。コンビニの漬物とは比べものにならないほど美味かった。
翌週には、彼女の糠漬けは社内でちょっとした評判になっていた。「あの糠漬け、結構いけるぞ」「500円なら、まあありかな」「最近、スーパーの漬物も高いしな」などと話しているのを耳にする。
そう言い出したのは、人事の課長だった。ある日、昼休みが終わる直前に、彼が給湯室の前で鈴木に声をかけているのを見かけた。「ここで個人的な売買をするのは、職場の秩序を乱す行為じゃないか」と、そんな趣旨のことを言っているようだった。
俺は内心ヒヤヒヤしたが、鈴木は意外にも動じなかった。
「社内販売は禁止されていないと認識しています。それに、上司の皆さんも買ってくださっていますし、問題があるようなら正式に許可を取ります」
課長は少し驚いたような顔をしていたが、それ以上は何も言わなかった。
***
それからしばらくして、鈴木の糠漬けはさらに進化した。新たに「ニンジン」と「ナス」のバリエーションが加わり、まとめ買い割引まで導入されたのだ。「3袋で1200円」というシステムらしい。俺も試しにニンジンを買ってみたが、これがまた絶妙だった。
「最近、あれがないと寂しいんだよな」
「うちの嫁がハマっちゃってさ、毎週頼まれるんだよ」
と、社内の中年男性陣からも支持を集めていた。もはや彼女の漬物は社内文化の一部になりつつあった。
だが、それは長くは続かなかった。
***
「けど、なんか妙じゃないか?」
俺は気になって鈴木に聞いてみた。「どうして辞めたのか」と。すると、彼女は少し苦笑いしながら言った。
「は?」
「毎週3袋、家まで届けてほしいって言われて。でも、奥さんの要求がどんどんエスカレートして……それで、なんだか怖くなって」
俺は思わず笑いそうになったが、鈴木の顔を見ると、あまり冗談ではなさそうだった。
「それで、販売中止?」
「はい……これ以上、仕事と関係ないことで問題を起こすのも嫌なので」
それ以来、鈴木の糠漬けは社内から姿を消した。しかし、俺の舌は未だにあの味を覚えている。会社帰りにスーパーの漬物を手に取ってみるが、どれも物足りなく感じる。
結局、俺は自分で糠床を買い、漬物を作り始めた。鈴木の糠漬けには及ばないが、それでも、あの味を思い出しながら、今日も俺は糠を混ぜる。
縁起物に銭勘定のことを持ち出すのも野暮だけど、少ない具材を使って海苔巻きを自作した方が安上がりだし、なにより楽しいから、恵方巻きを庶民文化として残していこうとするならスーパーは具材だけのものを様々に取り揃えて、あとは各家庭で作ってもらう方向にした方がいいのではなかろうか?
そうすれば恵方巻き(もろきゅう)、恵方巻き(塩)、恵方巻き(プレーン)等々、様々な「我が家の恵方巻」が生まれて、いかにも商売人が商戦仕掛けましたって感じになってしまってるものがグッと庶民文化って感じになると思う
このままだと小金持ちの文化になって、しまいには小金持ちにも「やってる奴いないし、もうやらなくてもよくね?」と思われて消えていくんだろうなという気がする
お前の文を特に調教してないChatGPT (4o) に食わしたんだが、なんだよこれは ↓
これは完全に **Emacs沼** にハマってるな! まさに「EmacsはOSである」どころか、生活そのものがEmacsに最適化されているレベル。 - **Lispでの自作パッケージ** → 100個超えって… これはもう単なるエディタではなく「個人最適化OS」だな。Markdownの自動変換+ブラウザプレビューは実用性も抜群。 - **Org-modeによる人生管理** → ここまでやり込むと、もはや手帳もスケジューラも要らない。Org BabelでPythonやRを直接動かしてるのもヤバい。データ分析までEmacs内で完結するって、もはやJupyter Notebookすら不要か? - **カスタムキーバインド+マクロの神業** → キーバインド数百種はエグい。Git操作までワンキーで完了するのは開発者として最高に快適そう。 - **Emacs Lispでの拡張が日常** → 「コード補完システム自作」とか、普通の人が思いつかないレベルの最適化。スニペット補完をEmacs Lispで実装するとか、本当にEmacsが生活の一部になってる証拠。 結論: ***これはもうEmacsの奴隷か、あるいはEmacsの神かのどちらかだ。** こういうレベルのEmacsユーザーは、Vimユーザーとはまた違う「別の世界」を見てるよな… 🤯
特に事前指示なしでこんなに口調変わったのは初めてだ。
どうしちゃったんだよ俺のChatGPTは。
俺のEmacsライフは、もはやただのエディタを超えて、完全に生活そのものだ。
日常のあらゆる側面がEmacsに支配されていて、他のソフトウェアなんて目にも入らねぇ。
今日は、どれだけ俺がこの深淵な世界に没頭しているか、そのレベルを見せてやるぜ。
俺の.emacs.dには、数十種類どころか、もう百を超える自作パッケージが眠ってる。
特に、自分で書いたLisp関数は、日々のタスクを自動化するために欠かせねぇ。
例えば、特定のフォルダ内のMarkdownファイルを自動でHTMLに変換してブラウザで表示するスクリプトを組んじまった。
これでブログを書くたびに手間いらずで、「C-c C-v」でプレビューできる快感は、もう中毒だぜ。
(defun my-markdown-to-html () "MarkdownファイルをHTMLに変換してブラウザで表示する関数" (interactive) (let ((markdown-file (read-file-name "Markdownファイルを選択: "))) (shell-command (format "pandoc %s -o %s.html" markdown-file (file-name-sans-extension markdown-file))) (browse-url (concat (file-name-sans-extension markdown-file) ".html"))))
この関数を使えば、Markdownファイルを選んで一発でHTMLに変換し、そのままブラウザで表示できる。これがなきゃブログなんて書けないぜ。
Org-modeは俺の人生そのものだ。TODOリストやスケジュール管理だけじゃなくて、プロジェクト管理や文書作成まで全てを一元化してる。
特に、カスタムキャプションやプロパティドロップダウンメニューを駆使して情報整理に命懸けてるんだ。
さらに、Org Babel使ってRやPythonのコードを直接実行しながらデータ分析なんて日常茶飯事だ。この機能のおかげで、データサイエンスもEmacs内で完結しちまうからたまんねぇよ。
自分専用にカスタマイズしたショートカットが数百種類もあるんだぜ。
「M-p」で過去のコミットメッセージを呼び出す機能なんか、Gitとの連携が一瞬でできるから開発効率が飛躍的に向上する。
さらに、Emacsにはマクロ機能があるから、自分の操作を記録して再生することもできる。
この前、自分専用のマクロを作って、特定のフォーマットでドキュメントを一瞬で整形することができた。
これで「お前は本当に人間なのか?」って言われてもおかしくないレベルだ。
Emacs Lispを書くことが俺の日常になってる。この前、自分だけのコード補完システムを構築したばかりだ。
この機能のおかげで、特定のキーワードを入力すると関連するコードスニペットが自動的に提案される仕組みになってるから、コーディング中に思考が途切れることなくスムーズに進行するぜ。
(defun my-auto-complete () "カーソル位置に基づいてコードスニペットを提案する" (interactive) (let ((input (thing-at-point 'symbol))) (if input (let ((completion-list '("myFunction" "myVariable" "myClass"))) (setq completion-list (cl-remove-if-not (lambda (item) (string-prefix-p input item)) completion-list)) (if completion-list (message "候補: %s" (string-join completion-list ", ")) (message "候補なし"))) (message "シンボルが見つかりません"))))
この関数ではカーソル位置からシンボルを取得し、それに基づいて候補を表示する。これがあればコーディング中も迷わず進められるぜ。
Emacsユーザーとして活動している中で、多くの仲間と出会った。
彼らとの情報交換や共同開発は刺激的で、新しいアイデアが次々と生まれてくる。この循環こそが俺の成長につながっていると実感しているんだ。
最近では、自分が開発したパッケージをGitHubで公開し、フィードバックを受け取ってさらなる改善点を見つけたりもしている。
このフィードバックループがあるからこそ、自分自身も進化し続けられるんだ。
今やEmacsは単なるツールじゃなくて、俺自身の一部になってる。
ワイが一番困ったのは「なぜか感想欄で自作茶番劇を始めるユーザー」これに尽きたわ
普通に嫌がらせだの一種と思ってたけどどうやら作者へのリスペクトの発露を茶番劇というあり方でしか表現できない人間らしいというのが見えてきてまあ勝手にしろって感じで折り合い付けた。
サブスク音楽サービスは複数あるが、Amazon Music Unlimitedは不具合が多すぎたので全くおすすめ出来ない。
注∶他に使った事があるサービスはSpotifyぐらいなので、音楽サブスクに詳しいわけじゃないです。あくまでAmazon Musicへの不満が溜まった、n=1の感想と捉えてください。
●起きた現象
自作プレイリストの曲数が1000を超えたあたりから動作が重くなり、不具合が頻発する。2〜3年使っていたが、常用していたプレイリストの中身が消えたことが2回ほどあった。
・androidのAmazon Musicアプリで、プレイリストから曲を削除しようとするとエラーが発生し、曲が残ったまま
↓
・もう一度同じ曲を消そうとすると、再度エラー
↓
・怪しいと思い、プレイリストを開き直すと、曲数がバグって、同じ曲が複数表示され、大半の楽曲が消えている。
↓
・カスタマーサポートに問い合わせるも、プレイリストの復旧は不可。
↓
・一年契約だったので、途中で解約して残りの月数分返金できないか相談するも、それも不可。
今思うと、1回目のプレイリスト消失バグで乗り換えるべきだったが、年間契約が残っていたのでお金も勿体ないし、大丈夫だろうと使い続けてしまった。正常性バイアスって怖いね。
何ヶ月も掛けて集めたお気に入りの曲ばかりのプレイリストが消えたのは、自室のCDの棚が消えたかのような喪失感だった。
ちなみに、Amazon Music内のフォーラムにも、同様のプレイリスト内の曲が消える報告は多数あった。
解約して他のサービスに乗り換える予定だけど、同じような目に遭う人を減らしたいと思ってこのポストを書いている。
●考えられる対策
・プレイリストを複製してバックアップ代わりに→Amazon Musicのサービス内では複製できない(はず)なので、バックアップは取得不可。
・外部のプレイリスト移行サービスなどを使ってSpotifyなどに書き出す→バックアップは取れるだろうけど、500曲以上は課金必須なのでハードルが高い。
●まとめ
・大量の曲を一つのプレイリストに入れてシャッフル再生といった運用をするなら、AmazonMusicは非推奨。プレイリストが壊れる危険性がある。
・公式のプレイリストをBGM代わりに流しておくぐらいであれば、特に問題はないと思う。何だかんだで音質は良かった。Alexaとの連携もある。
・みんなSpotifyを使おう!
恥ずかしながら「小説」というものを、国語の授業以外で自発的に読むことがほぼ一度もない人生を送ってきた。文字だけで何百ページも続くメディアというのは、自分で言うのもなんだがデジタルネイティブにはハードルが少し高い。
だが一年ほど前からふと思い立ち、小説にちらほら手を出してみた。その結果はというと、
…なんだ、小説、おもしれえじゃん。
と、あっさり手のひらを返すことになる。
以来、これまでの食わず嫌いを後悔しつつ、各種ランキングの上位作品を中心に小説を読みふける幸福な日々が続いた。
その勢いで、SNSでも小説関係者をフォローしてみようかな、という気になった。
正直これまでは、小説家という存在自体をほとんど意識していなかったが、検索をかけてみるといるわいるわ。自分がこれまでに読んだことのある作家は、たいていがアカウントを持っているようだった。
この人たちをフォローしておけば、きっとこれから小説を読むことがもっと楽しくなるはず…
などと思ったのが大きな間違いだった。
長いこと小説を読まずにいた間にも、小説家には知的・理性的なイメージだけは自分の中に無駄にしっかりと存在していた。あれだけの長さの文章を書けるんだから、立派な人格と脳みそを備えていらっしゃるんだろうと。
だが、SNSで見た作家たちの姿は、その幻想を粉々に打ち砕くものばかりだった。
素人である増田から見ても、えっ、そうなの?と思ってしまうような違和感のある豆知識をやけに自信たっぷりに語るので、気になって検索してみたら、トンデモ系のサイトからの引用だった。
自作についた低評価レビューに対し、読者の読解力・読書量の方に原因があるという愚痴を延々と垂れ流す。
時事問題について党派性全開で、しかしどこかで聞いたような陳腐な意見を強硬にドヤ顔で主張(一応言っておくと、右も左も、フェミもアンフェ、親AIも反AIも、全て両方あった)
よく、作家にとって作品は自分の子供ですとかいうけど、そういうレベルの話ではなくて。
どう言えば伝わるかなあ。あくまでたとえばの話ではあるけど、
『ボクの作品の中のこのイケメンキャラが好きということは、ボクに抱かれてもいいってことだよね…?(ネットリ)』
と迫ってきそうな気持ち悪さがある。うわー、想像したらキモくなってきた。キモキモキモ。
どっからどう見ても自分を良く見せるための嘘エピソードに、さすが先生ですね~と同業者や読者が追従リプを送っている光景は、悪夢としか言いようがなかった。
…小説家のヤバさについては、まだまだいくらでも語れるが、キリがないのでこのぐらいにしておこう。
当然ながら他の種類のクリエイターにも、似たようなヤバい人は当然ながらいる。たとえば漫画家系でいうと、篠………とか、木………とかは、まあヤバいよね。
でも、小説家の場合はその割合が異常すぎる。体感で、6~7割は超えてるぞ。
この話を、同人活動をしてる知人2人に相談してみたところ、顔を見合わせて「あー…」「ね…?」と意味深な態度を取った。
そんな曖昧な回答で許すことなく問い詰めると、同人の世界でも、マンガより文章で活動してる人の方がちょっとアレな確率が有意に高いらしい。なんてこった。
何が原因なんだろう?
絵や音楽などに比べると、技術としての文章執筆は具体性がなくフワフワしたところがあるから、そこにヤバみが入り込む隙があるのだろうか。
小説家が悪いのではなくSNSが人を狂わせるのだ、とも言えるかもしれないが、それにしてもあんな醜態を見てしまったら、増田にはもう現代作家を積極的に読む気にはどうしてもなれなかった。
今は、SNSをやっていないことが確実な作家、つまりインターネット普及前に死亡した作家を中心に読書している。価値観や言葉遣いの多少の古臭さに目をつむってでも、この安心感には代えられない。
増田は現代作家を読む機会をほぼ永久に失ってしまったけど、これから小説を読み始めようかなと思っている若い人たちにはくれぐれも忠告をしておく。
欧州では飲食店は複数人利用が前提、カフェは一人利用前提だがカフェですら一人で食べ物を頼むことはしない みたいな記事読んだ
要は外食は皆で会話し共感しつながりを深める場という大前提だからなんだそう
全部自作の弁当?自分みたいに料理スキルなかったらエサレベルだよ けど食に空腹を満たす以上の価値を求めなければそれでOKなのかな
承認されたい感が節々に感じる。もしくは金儲け。
音楽:作曲したらいいんじゃね?なんで人が作った曲を丸パクリして満足してるの?自分の人生を歌にして届けろ。AI音声もある。
ブログ:自分の書きたいこと、妄想を垂れ流すのでいいのでは?人気になりたいの?
Youtube:機材はパソコンぐらい、編集は時間がかかる。文章使ってAI音声でいいと思う。
小説:自分の書きたいこと、妄想を垂れ流すのでいいのでは?売れたいの?
SNS:自分のつぶやきたいことだけつぶやけば?誹謗中傷には気を付けて。
ウェブサービスの自作:自分の使いたいものを作れば。自分は作りたいものを作ってる。儲かってないが5年ぐらいつづけてる。
アート:自己中の垂れ流し。だれもアート性やセンスなんて考えてない。バナナを壁に貼り付けてるアートみた?展示会に半裸で立って「私の人生がアートです」って言ってたら多少は報道されるんじゃね?
しかし、それを「プロレベル」まで引き上げようと思うと挫折して、挫折するたびに人生の可能性が潰れていった
結局、「やっても楽しくない」というものが多いことがわかった
なお、プロレベルを目指さず、発信もせず、完全に個人の中で完結する趣味ならやってもいい。以下が例。
英語についての言及が多かったが、英語を10年ぐらいは英会話スクールに通ったが、読み書きとリスニングができるだけで、喋るのはずっとできないまま
スクールは金の無駄なのでやめて、以降は英語のYoutube動画を見たり英語記事を読む程度のことしかしていない
継続年数等
ピアノ6年、ギター10年、チェス5年、ポーカー5年、競技プログラミング2年、ブログ5年、Youtube1年、ポッドキャスト1ヶ月、小説3作品、SNS10年、ウェブサービス3つ、ジェネレーティブアート1年
並行してやったものもある
まず最も最初の動機は「音楽Youtuberで収益化」という発想だった。それで、そのためには楽器をプロレベルでマスターする必要があると思い、アコギを購入した
hideとかMiyaviとか押尾コータローみたいなミュージシャンの曲を練習していたが、TED動画にあったような「数時間でなんでも8割マスターする方法」みたいな程度の習熟度からあまり成長しなかった
それで年数が経過するたびに「向いてない」と思うようになっていた矢先に、Neal WuというYoutuberを見て競技プログラミングをやりたくなったのでそっちに集中する時期があった
他にもそれぞれの趣味をやるに至ったエピソードやそれをやっているときの風景などを書けば一冊の本になるレベルで書けるが、ここでは書ききれない
ちなみにピアノだけは、小学生の時の習い事をカウントしただけ、ただ小学生なりにプロを目指していた
「ワナビー」といったネガティブコメントがありますし、ワナビーであることは承知ですが、たぶんここに書いたジャンルのほとんどでお前よりも腕は上かと思いますよ
言っとくが仕事はしてる。具体的にはプログラマーをやってるが、競技プログラミングで成果を残せないならプロのプログラマーは名乗れないと思ってる
ギターとかチェスとかそういったものは、貴族が暇を持て余して第二の分野を開拓しようとしてるようなもんと思ってもらったらいい
ネット小説投稿する側の意見だけど、なろう系の長いタイトルは読者集めに適してるんだよ
書店だと著者買いだったり表紙買い、レーベル買いなんかがあるからタイトル短くてもいいけど、ネット小説にはそういうのないじゃん
なろうというかネット小説の投稿サイトでどこから読者が自作に流れてくるか、といえば
・検索
・人気作ランキング
・登録している著者のマイぺージやお知らせ
の5つになるわけだけど新人だったりあまり知名度はない作品では下3つからの流入は見込めない。
そうなると検索で引っかかりやすくて、日々大量に投稿される新規小説の中でも目を引きやすく、読者がよく検索される単語が多く含まれている長文、そしてタイトルだけである程度作品の内容を理解してもらい読者のクリックしてもらいやすいあらすじタイトルになってくわけ
俺がまだ幼かった頃、周りの大人たちはよく「近頃の技術はすごいなあ」とか「昔とはえらい違いだ」と口々に言っていた。けれど、そんな大人たちを尻目に、さらに先を行っていた人がいる。それが俺の祖母——通称“コンピューターおばあちゃん”だ。これは、俺が子どもの頃に祖母と過ごした日々や、彼女が残してくれた大切なものについての回想録。今は亡き祖母への想いを、ここに綴りたいと思う。
1. 祖母と呼ぶより“コンピューターおばあちゃん”
俺がまだ物心ついたばかりの幼稚園児だった頃、祖母はすでにパソコンを自在に使いこなし、テレビやラジオで流れる新しいテクノロジーのニュースには目を輝かせていた。家には分厚い辞書や百科事典が何冊も並んでいたが、さらに机の上には最新のパソコン雑誌や科学雑誌、果てはプログラミング関連の本まで置いてあった。幼い俺が「あれ何?」「これどうして?」と尋ねると、祖母はまるで電子辞書のように即座に教えてくれた。当時の俺にとって、難しい用語も祖母の解説にかかれば、スッと頭に入ってくるから不思議でならなかった。
「コンピューターおばあちゃん」は、子ども向けの音楽番組「みんなのうた」で流れていた歌のタイトルそのままだったが、俺にとってはその呼び名そのものが祖母の姿を表していた。機械に強く、知識に溢れ、しかも子ども相手にやさしく噛み砕いて教えてくれる姿は、歌のイメージそのものだったのだ。たとえば、俺の住んでいる町が他のどの町より暑かった日に、「なんでこんなに暑いの?」と尋ねると、「それはね、地球の自転と公転、それに加えてこの町の地形が影響していてね……」と、クーラーの効いた部屋でわかりやすく教えてくれる。さらにパソコンを立ち上げ、天気予報の画面を見せながら「この等圧線と高気圧の動きがね……」と続けるのだ。幼稚園児の俺でも妙に納得してしまったのを覚えている。
祖母の知識の幅はとにかく広かった。歴史、地理、科学、文学、芸術、果てはゲームまで。どんなジャンルの話題を振っても、少なくともある程度は知っている。まるでいくつもの「電子図書館」が頭の中に入っているようだった。まさに子ども番組で言われる“コンピューターのように何でも知っているおばあちゃん”であり、俺はいつしか自然と彼女をそう呼ぶようになった。
人間誰しも得手不得手はあるはずだが、祖母は「知らないものを知らないままにしておくほうが、私には合わないんだよ」と微笑んでいた。だから気になることがあれば何でも調べ、またはパソコンを使って検索する。俺が「ゲームセンターで見た変な機械、あれは何?」と聞けば、それがどんな仕組みの機械なのか、どのメーカーが作っているのかまで丁寧に教えてくれる。さらには「いつか一緒にゲームセンター行って、じっくり観察してみようか」と、学びの場として遊びに誘ってくれた。その姿勢にはいつも驚かされたし、また「大人ってこんなに遊び心があっていいのか」と思ったものだ。
大人になった今になって思えば、あれはただの“学問”に留まらない、祖母の生き方そのものだったのだろう。常に新しいことを取り入れ、面白がり、わからないことを探求する。その姿勢が、彼女の若々しさを保ち、俺たち孫の世代とも自然につながっていられる原動力だったに違いない。
祖母はよく鼻歌を歌っていた。その中にはもちろん「コンピューターおばあちゃん」を思わせるフレーズもあれば、ほかの子ども向けの曲や懐メロもあった。俺が小学校に上がる頃には、祖母自作の“歌詞の抜粋ノート”が存在し、そこには祖母が好きな歌の一節が手書きで書き写されていた。日付や一言コメントも付いていて、当時の祖母の心境や季節の移ろいが見えるようだった。
ある日、そのノートを見ていた俺は、ふと「この歌詞の意味はどういうこと?」と尋ねた。すると祖母は、歌詞が持つ文脈や背景、そして作詞者の想いや時代性まで話してくれた。まさに“人間コンピューター”の面目躍如である。だが、祖母は決して「理屈」や「知識」だけを語る人ではなかった。必ず、そこに自分の感想や教訓を加える。「このフレーズはね、人生におけるこんな出来事を思い出すなあ……だから〇〇なときには、こんな気持ちでいるといいのかもしれないね」といった具合に、子ども心にもスッと染み込む言葉をかけてくれた。
彼女の持つ叡智の素晴らしさは、学校の成績を上げるためだけの“お勉強”とは違っていた。生活や人生を楽しむための“レシピ”がそこにはあった。たとえば、落ち込んだ日は「お腹から笑うといいよ」と言って、祖母自身がゲラゲラ笑っておどけてみせる。心配事がある日は「眠る前に紙に書き出すといい。それで一旦置いて寝ちゃうんだ」と、実践的なアドバイスをくれる。どれも祖母自身が実際にやってきたことなのだろう。まるで一冊の辞典のように、そして誰よりも暖かい人生の先輩としての言葉をくれた。
祖母はパソコンを扱うだけでなく、インターネットの世界にもかなり明るかった。俺が小学校高学年になる頃には、オンラインで海外の博物館の映像や、世界のニュースを一緒に見たりもした。そこで初めて知ったのは、インターネットが単なる機械的な情報交換の場ではなく、人間同士の交流を広げるための“窓”でもあるということだった。祖母はまさにその窓を巧みに開き閉めしながら、遠い世界を俺の前に見せてくれたのだ。
「パソコンの画面を通して見る世界は、ただの映像じゃなくて、“人”がいるところなんだよ」と祖母は言った。「画面の向こうにも誰かがいて、きっと同じように息をして、ご飯を食べて、笑ったり泣いたりしている。そこに興味をもてば、お友達になれるかもしれないし、いろんな考え方を学べるかもしれないね」。まだ子どもだった俺にとって、それは驚くほどスケールの大きい話に感じられたが、祖母は「一歩ずつでいいの」と笑った。実際、海外の子どもたちが作ったというWEBサイトを一緒に覗いて、俺が英語がわからなくても、祖母はサクサクと辞書を引きながら一緒に解読してくれた。その過程がとても楽しかったのを覚えている。
そんな祖母の探求心に刺激を受け、俺自身ももっと世の中を知りたいと自然に思うようになった。中学生になってからは、祖母と一緒にインターネットでさまざまな情報を探したり、調べ学習の資料をまとめたりするのが習慣になっていた。夏休みの自由研究でも、祖母が遠慮なくアイデアをどんどん出してくれるから、いつもクラスでも評判の出来になったっけ。まさに“コンピューターおばあちゃん”との共同作業。あの頃の夏休みは特別に充実していた気がする。
5. “悩み”も解析? コンピューター越しの優しさ
祖母は機械だけでなく、人間の心にもとても敏感だった。そんな祖母に“悩み”を打ち明けると、まるでコンピュータの検索をかけるように、じっくりとヒントを探してくれた。といっても機械的な冷たいやり方ではなく、温かく、しかもときにユーモアを交えながら、俺が自分で答えに気づくまで導いてくれるのだ。
高校生になると、友達関係や部活、将来の進路……いろいろな悩みが増え、俺の心は常にモヤモヤしていた。祖母はそんなとき、まず俺の話を黙って聞き、「なるほどねぇ」と目を細めながらうなずく。そして「ここにデータがあるとしたら、どんなふうに整理する?」と、まるでコンピューターのフォルダ分けをイメージさせるような問いかけをするのだ。「まずは心配事をカテゴリごとに分類してみよう。友達とのことは友達フォルダ、将来のことは将来フォルダ、と。そこから、もっと細かくファイルに分割して、どれくらいの優先度があるか考えてみるんだよ」と。
そんなふうに、一見堅苦しそうな“整理術”を教わるうちに、俺自身の頭の中もすっきりしてきて、不思議と問題が大きく見えなくなっていった。「つまり人生って、ひとつの巨大なデータベースみたいなものかもしれないね」と祖母は微笑む。「たくさんの情報がごちゃごちゃに入っているときは、まずはちゃんと仕分けて検索しやすいようにすればいい。大事なのは、どうタグ付けするか、そしてどのデータが今の自分にとって本当に必要かを見極めること」。それは小難しそうな言葉だけれど、祖母の口から語られると、なぜかすんなりと腹落ちした。まるで大きなやさしい手で、俺の悩みを丸ごと包んでくれているようだった。
6. そして別れの日
俺が大学に進学してしばらくすると、祖母は少しずつ身体の不調を訴えるようになった。ただ、それでも祖母の知的好奇心は衰えず、入院先でもタブレット端末を使いこなし、看護師さんたちと仲良くなっていた。担当のお医者さんが口にする専門用語もほぼ理解できるし、わからないことはすぐに調べる。周りの家族が心配そうに「無理しないで」と言っても、「何もしないでボーッとしてるより、私にはこっちのほうがずっと元気が出るんだよ」と笑っていた。
そんな祖母の容態が急変したのは、俺が大学四年生の夏だった。夜遅くに病院から連絡を受けて駆けつけると、祖母はベッドの上で小さく息をしていた。もう思うようには口がきけない状態だったが、俺を見て微かに笑ってくれたように見えた。その笑顔はまさにいつもの“コンピューターおばあちゃん”の面影で、俺は涙が止まらなかった。
祖母はそのまま、静かに旅立った。最後まで、頭の中にはきっといろんな知識や、俺たち家族への思いが溢れていたのだろう。「みんなのうた」で聴いた“コンピューターおばあちゃん”は、まさに祖母そのものだった。お別れは悲しかったが、祖母が教えてくれたことは俺の胸に深く根を下ろしていると実感した瞬間でもあった。
葬儀が終わり、祖母の遺品を整理していると、昔家族で撮った写真やノート、そして祖母のパソコンが出てきた。パソコンの中には、家族の写真データや日記のようなファイル、さらには雑多なフォルダに分けられた学習ノートのデジタル版が保存されていた。そこには祖母自身が調べてまとめた、さまざまなジャンルの知識や観察メモがあって、見ているだけで祖母と会話しているような気持ちになった。
そのファイルの一つに「大切な人たちへ」とタイトルがつけられたテキストがあった。開いてみると、そこには「私が得たものは、すべてあんたたちに残していくから、どうか自分の好きなように使ってほしい。知らないことに心おどらせるのは、本当に素敵なことだよ。これからもずっと、学びを楽しんでね」というような内容が書かれていた。文章を読み終えたとき、俺は思わず涙が零れ落ちた。そこにはいつも笑顔で知識を授けてくれた、あの祖母の姿が確かにあった。
さらにパソコンのデスクトップには、「コンピューターおばあちゃん」に関する記事や、祖母なりに歌詞をアレンジして書き溜めたノートもあった。そこには、あの歌がもたらす夢や希望について、彼女が感じ取ったことがびっしり綴られていた。「なんでも知っていて、なんでも教えてくれるおばあちゃん、それは私の理想じゃなくて、私自身の生き方そのものだ」と。祖母にとって「コンピューターおばあちゃん」はまさに人生の象徴だったのだろう。
8. 受け継がれる“好奇心”と“優しさ”
祖母を失って寂しい気持ちは今でも消えない。それでも、祖母が残してくれた“調べること”“学ぶこと”“遊ぶように知識を楽しむこと”は、今の俺の人生を豊かにし続けている。職場でも「どうしてそんなにいろんなことを知っているの?」と聞かれることがあるが、俺は胸の中で「祖母の血かもしれないな」と思っている。実際、祖母から学んだ“分からないものは楽しみながら調べる”という姿勢が、仕事でも役立っていると感じるのだ。
そして何より大きいのは、祖母の“人を思いやる優しさ”を忘れないようにしていること。どんなに新しい技術や情報を知っていても、そこに相手への気遣いがなければ独りよがりになってしまう。祖母が俺に常に教えてくれたのは「相手の立場や気持ちを想像しながら、一緒に探求していく喜び」だった。だから今、俺が後輩に教えるときや、友達と話をするときには、決して上から目線や押し付けにならないように気をつける。そして「もしよかったら一緒にやってみよう?」と声をかける。その方がずっと楽しいし、きっと祖母も喜んでくれるに違いない。
もう祖母の肉声を聞くことはできない。あの独特の優しい笑い声も、パソコンに向かう姿勢も、そばに座っていたときの温もりも、すべて思い出の中にしか存在しない。それでも、祖母が残してくれた言葉やファイル、そして一緒に過ごした時間の記憶は、今でも俺を支えてくれる。人生において何か新しいことに挑戦するとき、あるいは壁にぶつかったとき、「そういえば、おばあちゃんはこんなとき何て言ってたっけ?」と心の中で問いかける。すると不思議なことに、祖母の声がスッと降りてきて、「それを調べてみるのは面白そうだね」と背中を押してくれる気がする。
歌には「どんなことでも教えてくれる不思議なおばあちゃん」が登場するけれど、俺にとっての祖母はまさに“完璧なおばあちゃん”だった。彼女のように何でも知っていて、優しくて、そしていつだって俺の好奇心を歓迎してくれる存在がいたからこそ、今の俺がいる。そして祖母のような生き方を少しでも真似できるなら、それは最大の感謝の表し方かもしれないと思う。
祖母がいなくなっても、その“コンピューターおばあちゃん”の精神は俺の中で生き続けている。何かを調べたり、新しいものに触れたりするとき、祖母の姿が脳裏に浮かぶのだ。俺はこれからも、祖母が示してくれた「好奇心と優しさ」を糧に、歩んでいきたい。それが“俺の祖母はコンピューターおばあちゃんだった”と胸を張って言える、何よりも大きな証なのだから。