まだ終わりにするには早い。
でもね、だからこそ私はできる限り私がいる間に誰かの記憶に残りたい。
記憶として、いつか忘れ去られてしまってもいいんだ。記録としていつまでも残るよりかは、記憶として忘れもらいたい。
残ることは、それほど大切じゃないと思うんだ。
べつに、誰かの一番になりたいわけじゃないし、特別になりたいってわけでもない。
ただ、関わった人にとってほんの瞬間的なものだったとしても、私という存在が“何か”になれたら、その人生は素晴らしくなると思うんだよね。
あなたが言葉を変えながら繰り返し言おうとしていることは
ってことじゃないのかな。
それは誰もが持つ承認欲求だと思います。
(言葉の使い方間違ってるかも)
誰かに認めてもらえれば、私がここにいる意味があったと思えますから。
誰かに認められるまで足掻くのも良し、
自分が認めるべき人を探すも良し。
ですよ。
ブランド物のバッグを買うのに数百万の借金をすると笑われるのに、
日曜の昼下がりにやっている、新婚夫婦を紹介する番組が好きだった。
というか母親が好きで観ていたので暇なときは一緒に観た。小学生~高校生時代。
あの番組の最後、夫婦へのプレゼントの中にYesNo枕というものがあって
当時はなんだかよくわからない番組独自の枕だと思っていたのだけど、
あれって夜に夫婦の営みができるかどうかの意思表示に使うものだったんだね!
24歳になって気づいた。
なんかもう親と一緒に観るの恥ずかしいわー。
あと「あんたもそろそろどうなの…」とか思われてそうで余計に。
がんばるのはそこそこにして、人にやさしくしてみるとか、ちょっとした日常の楽しみを見つけるとか、あらゆるリラックス方法を試してみる…とかじゃダメかしら
情報とはそもそも何なのか?
この世の全てではないのだろうか?
デートの誘い方や、上手く立ち回っておいしい思いをする方法を知っている、というのも情報じゃないだろうか?
つまりはそういうこと。
http://anond.hatelabo.jp/20090721233850
元増田です。
増田で箸にも棒にもひっかからないようなエントリーを書き始めたのが5日ほど前。
トラバにあるリセールバリューについては、その通りかなぁと思う。最初は下落率の低い都内の中古マンションを探していたのだけど。都内で子育てしていくのは、どうプランニングしても我が家の所得では厳しいという結論に至り、断念した。学級崩壊や非行を考えたとき、小学校から私立に入れる以外に選択肢がなかったりする。
去年購入したらしい。頭金ゼロ。35年ローン 月額8万/ボーナス36万。完済時 79 歳の予定。
可処分所得は約 600 万。中高生の子供が二人いる。そして今年の夏。業績不振を理由に彼のボーナスは全額カットされてしまった。彼個人のヘソクリも献上することになったという。一応、カットになるのは今回の夏のボーナスだけという話だが、冬のボーナスまでカットされれば、かなり厳しいだろう。
2年後には固定資産税の優遇も終わる(現在の2倍に跳ね上がる)し、長男くんが大学に入る予定だ。そして彼が大学を卒業する頃には、次男くんが大学へ。学費だけ考えても、人生設計の中でも最大級の支出増が8年間続くことになる。
会社が基本給を下げるということは、そう簡単にはできない。しかし、残業カットや賞与カットは比較的簡単に実施されるものとして計算しておくほうがよいように思う。特に労組のない中小企業などでは、おそろしく簡単に実行される。それを踏まえて、基本給ベースで返済を考えることが大事だと思う。ボーナスはあてにしない。あてにしていなかったボーナスがたまたま支給されたら繰上返済する。
14年ほど前のお話。頭金は300万ほどなので、正確にはゼロではないのだが、35年ローンで3200万円借り入れをした。月額6.3万、ボーナス38万。大阪市のお隣の市。いわゆるベッドタウンで、地下鉄が近くまで来ると言われていた物件だった。(そして結局来なかったw)
親父の当時の可処分所得は750万ほど。余裕でやっていける予定だったのだが、家を買って2年ほどして親父は突如として失踪した。捜索願いを出して、1週間ほど経過した頃、山口県のビジネスホテルに停めていた車のナンバーから身元が割れた。警察に連れられて帰ってきた父は、ほどなくして自主退職した。
1年ほど失業手当を貰いつつ、職探しをした。50過ぎて再就職したが、可処分所得は250万。一気に1/3にまで落ちた。
月額 6.3万を支払うことはできたが、ボーナス払いの40万がどうにもならない。自己破産を何度か勧めたが、結局、親戚などから借りて返済を続けていたようだ。当時大学生だった俺は、学費を自分で払うことになった。最初はキツかったけど、そのうち自分の学費ぐらい自分で稼いで当たり前に思うようになった。
5年前。母が大腸ガンで亡くなった。57歳だった。平均寿命よりはずいぶんと短かった彼女の命と、無理なローンの支払いを何年も続けてきたことは無関係ではないだろう。
今年に入って、親父の勤める会社がかなり危険な状態に陥り、まともに月給を払ってもらえなくなった。当然、ローンを支払うこともできなくなり、そのまま半年が経過した。祖母の四十九日を終えたその日、金融機関からの最期通告を突然見せられてギョッとした。
購入時3500万だったこのマンションの現在の評価額は1300万。残債は2000万以上あるため、いま処分しようとすると 700万ショートしてしまう。どう考えても自己破産するしかないと思い、父にもやんわりとそれを伝えたのだが。。。結局、金融機関との話し合いの中で、リスケすることになってしまった。そもそもローンを組んだ段階で完済する年齢は83歳だ。この時点で平均寿命を超えているというのに、更に保証料を上乗せして、93歳までローンを伸ばそうということになったらしい。無茶苦茶な話だが、金融機関としては自己破産されるよりはマシということだろう。保証会社的にはどうなんだろうか?
月額8万。これなら今の父の給与でも、なんとか支払っていける・・・が、それでも老後のことを考えると、自己破産して月額4~5万で住める単身のアパートにでも移って、差額を老後資金として貯蓄したほうがよいのではないかと感じる。その一方で、母との思い出が残るあの家を残したいという、父親の気持ちもわからなくもない自分がいる。いつかは一緒に暮らすつもりではいるので、なるべく早く引き払ってもらいたくはあるのだが。
10年来の先輩の所得はそれほど低いとは思えないのだが、ボーナスがカットされただけでかなり厳しい状況に立たされてしまった。人生で最もカネのかかる時期を迎える直前に住宅購入に踏み切ったのも、その計画性を疑わざるを得ない。
親父もそれほど所得が低いわけではなかったが、両親ともに家計を運用・管理する能力が極めて低かったが故に、頭金を300万しか用意することができなかった。その上、ローン開始後わずか2年で失業し、再就職するも可処分所得が1/3に。金融機関にリスケしてもらい、現在も何とか支払い続けてはいるものの、実情としてはとっくに破綻している。
以上を踏まえて、30歳以上、頭金ゼロでそれでも3500万程度の住宅を購入したいなら・・・。
この2点をおさえた上で、世帯の可処分所得から出費を引いた額(キャッシュフロー)が250万ぐらいはあることが望ましいのではないかと思われる。平均的な給与だとしても、DINKSで倹しい生活を送るようにすれば十分に可能な額だと思う。(その場合、4年我慢して1000万貯めた方がより安全だし、支払総額も減らすことができる)
元増田のせいにしてるが、ここは公開の場なんだから、書けば見てる第三者が納得する可能性だってあるわけだ。でもそこをスルーしちゃうのは本当は説明できないんだろ?
ネット以外では業務連絡的なカタにはまったコミュニケーションしか無いから周囲と問題ない範囲でコミュニケーションは取れてると思う。
そのかわりリアルでの回りの評価ってのはわからん。
基本スペック自体大分違うと思うけど。不細工で貧乏で友達もいない俺のような人間もいればその逆もいるのが世の中。はっきり言ってそういう思い込みは現実逃避だよ。なんだかんだいって情報弱者なら経済弱者にもなる。敵学歴なら低収入になる。100%なるわけじゃないとかいって相関関係を否定するのはこじつけなんだよ。
要は「自分の周りの評価」と「世間の評価」は一致するとは限らないので、
「自分の周りの評価」のまわりの評価は必要以上に気にしすぎるなってことか?
「自分の周りの評価」が低いが「世間の評価」が高くて、最終的に評価される人は稀。
今朝の朝日新聞で森巣博とかいうのが書いてるけどさ、(ま、この森巣ってののオリジナリティ溢れる文章とは思えないから、ただの例に過ぎんが)
近隣トラブルとか、上司や同僚と折り合いが合わなくてとか、家族関係が悪化してって方向で自殺している連中が大勢いるだろうに、政府とか政治は関係ねぇだろう。
近隣トラブルで苦しんで法律相談所なんていっても、法律は多くの事例に無力よ、だけどそれは「法律ってのはどうあるべきか:日本版」で決められたものであって、政治が関与しちゃ拙いことなわけだろ。
逆にそういうところには作家として森巣とかいうのが何をしたんだ?
「人生に絶望した人、私の小説を読んでみてください。ひょっとしたら、生きる気力が湧くかもしれません」
て方向の努力をしたのかよ。法律相談所やハロワに積んでおくとか、「命の電話」に「勧められますかね?」と意見を求めるとか、そゆこと。
何か一点に秀でれば出るほど他は疎かになるものだよ。
学者バカとか言い例。
勝間さんも「知り合いのストレートで司法試験突破した弁護士が100%リボ払いで、あまりの無知っぷりに驚いた」
と言ってたし。その人は弁護以外は弱者だったんだね。
最近(ここ10年くらい)マルクスをテキストとして読む(イデオロギーから自由になって、単なるテキストとして読む)ブームってのがあったよ。そこらから手を付けるといいんじゃないかな。
名前が同じなだけで社会党と組んだり公明党と組んだりばら撒きやったり小さな政府したりとめまぐるしく変化してるわけで変わらない感はあまりないように思う。でも静岡知事選の結果とか見ると政権交代支持者が望んでることは政策の転換でも人物の入れ替えでもなく与党名の変更でしかないんだろうなという気がする。
あんま文章で説明するのヘタなんだけど。
イースター島では(一番有力な学説では)デッカイモアイを作ると評価された。
数人単位の小さな部族がいっぱいあった。
『ネットではないリアルの身の回りの人の評価』というのが衆愚に陥ってる可能性もある。
モアイを作るために木を切っていたら、果物も動物も取れなくなってきた。
イースター島の人たちは少ない資源を争ってモアイをつくりまくった(モアイを作ると評価されて
土地とか食料とか確保できたから)
きっと、今のネットの少数意見みたく「モアイ作らないで森を守ろうよ!」って人も居たかも知れないけど、
モアイを作らない人はリアルでは評価されないから、評判が悪く、そんな人の言うことは誰も聞かなかった。
もしかしたら、その人は他の島のことを知っていて(情強)だったかもしれないけど、
イースター島の中のことしか知らない情報弱者の人の方がイースター島では評価が高く、結果
「モアイを作って他の部族から食料奪えばいいんだ!」って意見が尊重され、滅びた的な。
そんな漠然とした思いを伝えたかった。