はてなキーワード: 努力とは
あれ、編集で追加したはずのリンクが消えておる。。。何度編集してもリンクが追加されないのだが、はてなのバグ?
さーてはじまるよー!今年買ってよかったもの。生活雑貨系が多いです。
https://www.amazon.co.jp/dp/4046832258
年に10回くらいしか立ち上げない、Tiktokでたまたま見て面白かったのが炊飯器ブラザーズなる兄弟コンビ。そして、炊飯器調理という手がかからず、楽にそこそこ美味しいものが作れる、という調理法を知り驚愕。
実は私、家事で料理を担当しているので、手がかからない料理方法を常に追い求めていましたが、炊飯器とは、、、と雷に打たれたような衝撃を受ける。
そしてこの本をはじめとして、炊飯器調理本を合計3冊買い、今では炊飯器調理で相当楽をさせてもらってます。
カレーライス、ビーフシチュー、肉じゃが、豚汁など、煮込む系のものはほぼ炊飯器でやっています。
https://www.amazon.co.jp/gp/product/B09WZQW9SF
結構前の本。トランプ政権で副大統領になる人の本。セールで安かったので購入。
この人の生い立ちはすさまじい。貧乏地域で崩壊家族で育ち、一歩間違えばアル中ドラッグ中毒になりそうなところを、おばあちゃんのやさしさと運と努力と軍隊経験でのし上がっていく。
トランプみたいな金持ち2世が副大統領に選んだのは、真のたたき上げというのが示唆的でもある。
https://www.amazon.co.jp/dp/B01H10F2D6
炊飯器調理を追い求めると、炊飯器が2台欲しくなる。なぜなら、1台が稼働中のときに、もう1台あれば並行して調理できるからだ(当たり前)。
なので、家にある機種と同じものをもう1台購入。
ちなみに炊飯器調理をするポイントは、ワット数が多いものにすべきということ。以前、ジモティからもらってきた小型の炊飯器は440Wだったのだが、火力が弱くて時間内に調理が終わらなかった。
この炊飯器は895Wでパワフル。最高です。
[リンク入れられないので、アマゾンで『ウォッシュボーイ』で検索]
おそらくAliexpressなどで売っているものではないかと推察。
小型の洗濯機で、息子くんが毎週履いてきて臭くなった上履きを洗うのに重宝。手洗いしなくてよいので助かる。
https://kakaku.com/item/K0001645962/
1.5kgという重さと、ぱっとしない液晶画面という点を除けば、バグっているのではないかというくらいコスパがよいパソコン。
私はデスクトップみたいに外部モニタつなげているので、重さも液晶も問題なし。
円安の中、この値段でこの性能とは、恐ろしい。ありがとうレノボさん。
[リンク入れられないので、Googleで『F6 Pro』で検索]
コスパ最強なので、ずっとシャオミ使っていますが、この機種のコスパもバグっていました。
防水弱いことを除けば大満足。
https://www.amazon.co.jp/dp/B09PYLWNGV
引っ越しをしたのだが、今度の家ではWIFIルーターを1F天井裏に置いている。
何かトラブルが起こるたびに、椅子を持ってきて、天井裏をあけて、WIFIルータを再起動して、天井裏のふたをしめて、椅子を片付けていた。
が、あまりに面倒なので、これで電源をOFF, ONしている。便利。
[リンク入れられないので、Amazonで『Spigen thunderbolt4』で検索]
上記のPCと、大型のUSB-Cドックとの間につないで、ディスプレイ2枚、電源供給、USB機器接続を一手に担っています。
PCにはこれ1本だけつなげれば、他の機器との接続はすべてOKだなんて、もうなんて便利なの!
[リンク入れられないので、Amazonで『みてねみまもりGPS』で検索]
GPSは防犯対策上便利で、音声は迎えで待ち合わせするときなどに便利。
[リンク入れられないので、Googleで『サブレミシェル』で検索]
非常に小さい缶が1500円くらいする。量を考えると非常に割に合わない。
しかし、見た目が非常にかわいいので、特に女性に喜ばれるクッキー缶。
味もおいしいです。ただ、少ない。すぐになくなります。
[リンク入れられないので、Amazonで『グリーンズフリー』で検索]
ノンアル派なので、これまでずっとサントリーのオールフリーを飲んでいたが、たまたま安かったので試してみたら、
とても香りがよい。以後完全に乗り換え。
個人的には、国産ノンアルビールの中では段違いにおいしいと思う。
https://www.amazon.co.jp/dp/B009RFGKQ2
ノンアルワインには、実は0.5%くらい入っているやつと、0.00%のやつがあるが、これは後者。
私は飲まないが、妻が愛飲しています。白もあって、そっちもおいしいらしい。
事情があって酒は飲めないが、ワインの味は好きという方にはおすすめ。
https://www.amazon.co.jp/dp/B09LTQ8WXY
自転車カバーはよくわからない、評価の高い中華製品を買ってきたが、当たり外れが激しい。
スペックをみると良さそうなのだが、買ってみるとぺらっぺらですぐに破れたりするのであてにならない。
よって、最安値中華よりはかなり高いが信頼できそうなコールマンを購入したところ、当たり。
厚みがあり破れにくく、水をよくはじいてくれる。おすすめ。
https://www.amazon.co.jp/dp/B07QT4TQSN
URLは一例。この形状のクリップライトは、軽量でアームが曲がるため、取り付けや調整が非常にやりやすく、自由度が高い。
なので、色々な場所に「こんな場所に、こんなふうに取り付けできるのかー」と思え、とても便利。
家で複数個使っています。形状同じであれば、どこで買ってもほぼ同じかと。
https://www.amazon.co.jp/dp/B08N4SPR4L
料理用のはさみというと、韓国料理やで肉を切るくらいしかイメージなかったのだが、使ってみると結構便利。
まな板を出さずに、皿の上で具材をさくさくっと切ることができる。硬くないものであれば、だいたいOK。
(ちなみに、こないださつまいもを切ろうとしたが、硬すぎてだめだった)
使った後は食洗器に突っ込めるので、手で洗わなくてもよい。
ということで、10選といいつつ、10を大幅に超えてしまいました。他の方の今年買ってよかったものも、楽しみにしています。
M-1で霜降り明星の粗品が『しょうもない人生!』なんてツッコミをした時、お笑い好きの俺は他人事のように爆笑したが。
その女への恋愛感情を自覚したのは、霜降り明星がM-1を制覇する少し前のことだった。
世間を知らぬクソガキではあったが頭だけは良かった俺は、公立校あるあるの『ガリ勉を虐める文化』を見事に喰らい、中学校までまともな青春を送れていなかった。
高校に上がってからも、そこまで高校の偏差値が高くなかったせいか、頭が良いことはあまり評価されなかった。『なんかめっちゃ頭良いらしい』とだけ認識される、教室の片隅でオタクと駄弁っている男子でしかなかった。
…………しかしある時、平均身長以下の小さな同級生は、面識も無い俺にこう言ったのである。
冷静に考えて。
幾ら友達の友達とは言えど、クラスも違えば部活も全く違うし、何なら会話すらしたことの無い程生きる世界が違う人間に、勉強を教えるという労働を頼み込むなど、常軌を逸している。自他境界がイカれている。
しかし、何故かその反応が心地良かった俺はそれを承諾し、勉強を教え始め。
―――気付けば、俺の周りには人だかりができるようになった。
そして、それを通した会話や、彼女が切っ掛けで生まれた人間関係に揉まれていく中で、俺のコミュニケーション能力や人間力が向上し、友達も交友関係も大きく広がり。
2年に上がる頃には、もう学年全体に名も性格も知られる存在となり。
終いには、『お前が間違いなくこの学校の中心人物だ』と教師に言われる始末。
味方など何処にも居なかった苛められっ子のガリ勉デブは、青春を謳歌するガリ体型の優等生へと進化していたのだ。
さて、そんななろう小説みたいな人生を送ってきたとなれば、その元凶たる彼女に恋をするのは、オタク兼元陰キャとして当然の流れだろう。
高校3年の秋。2年間友達だった彼女が、俺の悩みを聞くやいなや自分のことのように泣き、共感してくれた事を切っ掛けに恋愛感情を自覚し。
いつかお前に告白するぞ、なんて思い。
―――気付けば、6年経っていた。
そして。
彼女のSNS上での結婚報告により、俺は人知れず敗北を悟った。
要因はいくらでも考えられる。
大学に入ってから物理的距離がかなりあったこととか、俺が6年制の大学に居て学生期間が長すぎるとか、連絡を取る頻度を減らしすぎたとか、やっとの思いで漕ぎ着けたデートで勇気を出せなかったとか。或いは単純に顔が平均以下だからか。
ここ2年はまともに会うことも無く、心の何処かでは『どうせ無理だな』と半ば諦めていたから、こうなることは理解できる。
経済的に豊かになる為に、猛勉強して某名門大学まで上り詰めた。
その中でも1番取れたらカッコいいなんて思い、リスカする程精神を追い詰めて勉強し、学科内で主席になった。
恋愛経験を積む為に、彼女を好きだという感情を抑圧して、複数の女性と付き合った。
そして、彼女との関係を進める為と心の中で言い張って、交際相手を何人も振った。
その全てが、たった今水泡と帰した。
明確な敗北なのだ。これは。
どうやら俺は、行動原理の大半を知らず知らずのうちに『彼女に相応しい人間になり、いつかこの恋愛を成就させる』ということに割いていたと、今になって思う。
そして今、その行動原理―――或いは生きていく意味が無くなった今、俺の人生は敗戦処理へと切り替わってしまった。
周りから見たら俺は成功者なんだろうが、いま俺は自分のことを敗者としか思えない。
何故なら俺は敗者なのだ。
幾ら年収やらスペックやら社会的地位やらで優れていても、俺は彼に負けたのだ。
敗者が言えることなど、無い。
だがしかし、いくらしょうもない人生だろうが、時は止まってくれない。
彼女に告白する勇気すらなかった俺が、死ぬ程の勇気なんて持てるはずもなく。
そんな中、部活で頑張りすぎて吐いた後輩の為に、息を切らして飲み物を買いに行った。
「こういう自他境界を無視した馬鹿みたいな優しさは、お前から学んだんだよ」
なんて思って、届かない星を見上げた。
おつです。なんか嬉しい笑
元増田へのアドバイス見ても、本当に同じ辛さ味わったんだろうなぁって想像に難くないです笑
本当子供に教えるかのように、
何が良くないのか、なぜ良くないのか、どこが私を傷付けるのか、それをすると自分たちの関係がどうなってひまうのか、そうならないためにはどうしたらいいのか、それを伝えるにはどう伝えたら良いのか
全部教えてあげて(1度では無理なので年単位で泣いてバイオレンス起こして精神病手前まで本気出して)できたらそれを見つけに行って、よく理解してくれたね、努力して関係築いてくれて一緒にいる道を選んでくれてありがとう、一緒に頑張ろう、頑張れよ!私にだって限界はある!って伝えて。。。
本当に根気と愛だなと振り返っても思う。お互いにお疲れ様でした笑
元増田が読んでてくれて、参考になったら嬉しいなぁ
創作活動において「言葉」は何よりも重要な要素です。しかし、「母親」や「毒親」との関係がその言葉の力を鈍らせることがあるとしたら、どうでしょうか?「そもそも創作とは自由な表現の場であり、規約違反などの制約があってはならない」と多くの人が考えますが、心理的な障壁がそれを阻む場合もあります。
最近では、「中年」になってもなお、「母親」からの影響を断ち切れない人が少なくありません。「他責思考」に陥り、「いくら努力しても認めてもらえない」と感じることが、創作意欲を奪う原因になっていることもあります。このような状況では、「完璧」を求めるあまり、自分を追い詰めてしまうこともあるでしょう。
一方で、創作において「哲学的」な視点を持つことが救いになることがあります。「言葉」や「文字」を通じて自分の世界を表現することで、過去の傷や葛藤を癒すことができるのです。文化的な背景を理解し、自分自身の「大前提」を見つめ直すことが、新たな創作のきっかけになるかもしれません。
「杞憂」に思えることも、創作の題材として活用することで、他人と共有できる「コンテンツ」に変えることができます。そして、その過程で「母親」や周囲との関係を新たに捉え直すことができるでしょう。創作は、言い訳や他責思考を超えた自由な表現の場であり、私たちが「完璧」ではない自分を受け入れる手段でもあるのです。
「下手の考え休むに似たり」という言葉は、一見すると凡庸な教訓のように思われるが、その背後には、熟練と未熟の対比、行動と無為の葛藤、そして思索そのものの限界と可能性といった、多層的な哲学的・心理的含意が隠されている。この諺の核心には、人間の知的営為が必ずしも価値を生むわけではないという冷厳な認識があり、その背景を掘り下げることで、人間の思考と行為の微妙なバランスを探る契機となる。
この諺は、考えることそれ自体を否定するものではないが、「考える」という行為が持つ潜在的な二面性を指摘している。「下手」とは、単に未熟であること以上に、「適切な方法論を持たない」という含意を持つ。つまり、下手な人間の「考え」は、方向性を失った反復や錯乱に陥り、結局は「休む」こと、すなわち何もしない状態と等しいとする厳しい評価を示している。
「休む」という語の選択も興味深い。ここでは、ただの身体的な休息ではなく、「無効性」や「停滞」というニュアンスを帯びている。したがって、この諺は単なる知的な怠惰を指すのではなく、誤った方法による熟考がむしろ不作為と等しいというパラドックス的な洞察を表現していると言えよう。
この諺を解釈する際、特に興味深いのは「休む」という行為が果たして本当に「無」と同義なのか、という点である。ここには、「何もしない」という消極的な態度と、「無駄にする」という積極的な損失との間に微妙な違いが潜んでいる。休むという行為そのものは、中立的な意味を帯びる可能性もあるが、未熟者の考えが「休むに似たり」とされることで、それは一種の「偽りの活動性」への批判に変化する。考えるフリをすること、つまり見かけだけの努力をすることは、むしろ静止よりも害悪ですらあるという指摘が込められているのだ。
この点で、「下手の考え休むに似たり」は、古代ギリシャ哲学における「現象」と「本質」の対比を想起させる。プラトン的には、下手な考えは単なる「影」であり、それ自体は現実に触れない空虚なものに過ぎない。あるいは、ヘラクレイトスの「静止は存在せず」という思索を逆転させ、無意味な運動は静止以下であるとさえ言えよう。
この諺をさらに具体的に読み解くためには、「下手」の範囲を拡張する必要がある。ここでの「下手」とは、単なる技術的未熟さではなく、正しい道筋を見いだす能力、すなわち実践知(phronesis)の欠如を指している。この点ではアリストテレスが述べた「善く考える(euboulia)」という概念に近い。善く考えるとは、理性が行動の適切な目標を指し示す能力を持つことを意味し、下手な考えはその逆、すなわち目標も見失い、行動を導く力を欠いている思考を指す。
この実践知の欠如は、しばしば「方向感覚の喪失」というメタファーで表現される。下手な考えが「休むに似たり」とされる理由は、その思索が明確な目標に向かわず、無駄にループを繰り返すことで進歩を妨げるからだ。これは、経験や洞察に裏打ちされた熟考とは異なる、浅薄で空虚な反復を暗示する。古典文学で言えば、例えば『ドン・キホーテ』における無謀な行動や、シーシュポスの神話における徒労に通じるものがある。
心理学的には、この諺は「過剰思考(overthinking)」や「分析麻痺(analysis paralysis)」と呼ばれる現象を指摘していると考えられる。未熟な人間ほど、あれこれと余計なことを考え、選択肢を増やすばかりで最終的な決断に至らない傾向がある。つまり、熟練者が直感的かつ素早く判断を下せるのに対して、下手な者は思考過程そのものが目的化し、行動のタイミングを失うのだ。
ここには、「知識の量と知識の質」という重要なテーマが隠されている。下手な考えはしばしば知識不足から生まれるが、逆に言えば、中途半端な知識はむしろ思索を停滞させる。フランシス・ベーコンの言う「知識は力なり」という言葉も、適切に使われなければただの重荷となるのだ。
「下手の考え休むに似たり」は、経済学的には効率の問題として解釈できる。この諺の背後にあるのは、思索という「投資」に対して得られる「リターン」がきわめて低いという状況の批判である。言い換えれば、下手な考えはコストに見合う成果を生まない「非効率的なリソース配分」の典型例である。
この観点から見ると、「休むに似たり」という表現はむしろ控えめであり、下手な考えは単なる無駄以上に、リソースを奪い、他の重要な活動を妨げる存在とすら言える。たとえば、組織やプロジェクトの文脈では、下手な計画が最初からなされることで、リソースが浪費され、最終的な失敗を招くという例が挙げられる。
現代において、この諺はますます重要な意味を持つ。インターネットの普及により、情報は過剰なまでに流通し、誰もが「考えること」が可能になった。しかし、その結果として、考えるという行為の質が低下し、無駄な議論や非生産的な思索が増加する状況が生じている。「下手の考え休むに似たり」は、こうした現象に対する警鐘として読み替えることができる。
現代社会では、むしろ「考えることをやめる」という選択が重要になる場合もある。これは、「情報断捨離」や「マインドフルネス」のような概念と結びつき、必要な判断に集中する能力を取り戻す試みとして解釈される。
「下手の考え休むに似たり」という諺は、表面的には思索の無駄を戒めるものであるが、深く掘り下げると、思索それ自体の構造的な矛盾や、人間の知的限界を指摘する哲学的洞察を内包している。この言葉は、私たちに効率と成果のバランスを問いかけるとともに、思索という行為の価値を再評価する契機を提供するものである。
気にしてるなら気にしてると誰かに言うだけでもいい
自分の心のなかにだけとどめておく事で風船爆弾になりいつかは許容量を超える
許容量を超えなくても常に心の重荷になりつつける
ストレスだけは溜め込まないこと
不幸になるための努力だけはするな
氷河期無職はほぼ本人が悪い。ホントの意味での自己責任でしかない
別に国や親が氷河期に「努力するな、勉強するな」って言ってたわけじゃないのに、努力も勉強もせずに貧しくなったのを「国のせい」「親ガチャのせい」にしてるクズが氷河期世代って話
氷河期世代がクソなところは、就活期間と氷河期が重なって就活失敗したのはまぁ仕方ないとしても(それを責めるのは酷である)、その後の人生で何の努力も勉強もせずにダラダラ生きてた事
いいえ。そういうことはないです。大人の価値基準をスタンダードにして、世間一般の子供同士のコミュニケーションについて、きちんと理解できていなかったと反省しています。来年クラス替えがあって、よい友達と巡り合えるといいなあ、と思っています。また、今それなりに近しいクラスメイトと、より仲良くなれる努力をあれこれしています。
いいえ。もともと飼う予定でした。娘が学校しんどいのと同タイミングだったのはラッキーでした。
はい、あります。特に妻は犬を育てて、介護して、看取った経験ありです。
これが常識だということを、夫婦ともに知らなかったのです。恥ずかしい。。。
いいえ、詳しくはかけないのですが、娘以外にいくつかの情報を取って、状況を把握しました。
間違いない。
学校でよい友達を作れない一人っ子の家庭は、犬を飼うのがおすすめ
なお、勉強はかなり先行させているので、学習面は問題ない。また、いじめを受けているわけでもない。今思えば、私立小学校に通わせたほうがよかったのかもしれないが、近場に手ごろな私立小もなかったので、いまのところ徒歩5分の公立に通わせている。
とまあ、こんな感じで、学校嫌いの娘ができあがったのだが、先日念願のわんこを飼うことになった。生まれて2か月ちょうどで引き取ってきた。
何がよかったかを列挙してみる。
というわけで、犬が来てからというもの、犬購入費用、犬の食費、ペットシート代、獣医費用&ワクチン費用などがかかり、うんちおしっこの後始末などの面倒は生じているが、娘のQOLが爆上がりしたので、購入して大正解でした。
犬を飼うとなると、いろいろと制約はありますが、親御さんが犬好きで、一人っ子の家庭でしたら、犬を飼うといいことが多いので、おすすめです。
・まずこの記事をみてほしい。LGは14、16、17インチの軽量モデルを販売しており、たった1インチの違いだというのに3バリエーションを作って完全に「ブランド化」をしようとしている。アップルのように。
https://www.itmedia.co.jp/pcuser/articles/2412/19/news011.html
・いっぽう日本メーカーはどうだろうか。NECや富士通が「世界最軽量モデル!」と競っている努力はすばらしいが、世界で売れているとはいいがたい。
・日本のPCを買っているのは、実際のところ官公庁や、老人たちなどが「やっぱ日本メーカーだよね」と脳〇で購入しているのがほとんどなのである。
・若い大学生が買うのはだいたいHPやASUSの安くてデザインが良いモデルで、やや堅実な人はDellを選ぶ。これは法人もまったく同じ傾向。
・脳〇で似たような高いPCを作って、大したデザイン変更もイノベーションもなく作って「日本企業」という遺産だけで食っているのが日本のPCメーカーである。
・それでも10年前のような「クソアプリ集めましたランチャー」がセットになっていないのはマシになっている。
・変な常駐ソフト食わせて情報抜いてるのは海外メーカーもだが、クソダサアイコンで「老人むけ」っぽさが演出されるのでやめてほしい。
・LGやSamsungは常に戦略的にイノベーティブな製品を出している。もちろんその視野の先にはAppleという巨人がある。
・いっぽう日本メーカーは、結論から言うと、とんがったモデルがないのである。チャレンジをしていないのだ。
・その態度が「適当に毎年マイチェンして、たまに軽量モデルだしときゃいいだろw」という進化をあきらめた老人性を感じてしまい、かなしくなるのである。
レオパレスに6年ほど住んでいる。
壁が薄いことで悪評が高いレオパレスだが、実は最初のうちは天国だった。
レオパレスに違法建築が見つかり大騒ぎとなった2019年頃から、入居者が一気に減り、一時はマンションの中で自分しか住んでいなかったのだ。
だから壁の薄さも気にならなかったし、むしろ壁の薄さはネットの過大評価だと思っていた。
そんなことはなかった。去年から急に募集を増やしたようで、今では入居率は80%ほどだ。
しかし、実は騒音だけでなく、レオパレスの真骨頂は騒音に対するレオパレスの対応の酷さだったのだ。
そう、レオパレスに騒音の録音を送ったところ、「これは騒音ではない」「我々が対応してる騒音はもっとレベルが違う」「注意喚起のポスティングだけならやってやる」という、無慈悲な回答をされたのだった。
そりゃ、騒音は上には上がいるだろうが、それで騒音ではないだの、だからポスティングしか出来ない、だの、酷い話だ。
なお、騒音はドスン、ゴスン、という物を置いたりするような大きな音で、酷い時は26時になっても続いている。
とても寝れるような環境ではなく、この音が止んでから寝ているため、就寝は26時などになる。
26時半ごろに寝ているのに起こされることも何度かある。だが、騒音ではないらしい。
それまでも音は酷かったが、25時には静かになっていた。
音がしてから1週間後くらいにレオパレスに相談し、ポスティング、1週間様子を見て改善がなかったのでレオパレスが直接の注意喚起。しかし1週間経っても結果報告をしてくれないので状況を確認。
実はこれも酷くて、直接の注意喚起は上の階に電話が繋がらないから、そのまま1週間放置してたらしい。状況の確認をしてやっと、レオパレスは上の階にもう一度電話をし、それでも繋がらないのでSMSで注意喚起を送ったらしい。
そのまた1週間後、11月下旬頃だ。まだまだ深夜騒音がうるさかったため、私は枕を天井に向かって投げた。うるさいよ、という注意喚起だ。すると上の階が警察に通報をしたらしく、26時という深夜に警察がやってきた。私は警察に深夜騒音で苦しんでいる旨を伝えて、警察はそれを上の階に伝えた。
正直、レオパレスが上の階にどのように伝えているか分からなかったため、警察を通してだが初めて上の階と直接のコミュニケーションが取れたと思い、これで騒音は解決されると思っていた。
3日後、騒音の再開。2週間後、深夜騒音が増え、26時を過ぎても騒音が聞こえるレベルに悪化。
私はレオパレスに助けを求めた。すると、レオパレスは録音を依頼してきた。私は5日分の騒音を録音してレオパレスに提供した。すると、レオパレスから「これは騒音ではない」と言われ、これでは対応できてもポスティングだけだと言われた。
レオパレス曰く、レオパレスが対応する騒音は音の大きさのレベルが違う。歌を歌う、楽器を演奏する、レベルが対応範囲だと言われた。
ドスン、ガタン、という音レベルでは生活音の範囲であり、我慢して頂くしかないと言われた。
はぁ?24時とかでもそうなの?今まで私は夜間は音を立てないようにして忍び足でも歩いてたけど、そんな努力はいらなかったのかな?
以上が経緯です。騒音は警察に相談すると、うるさいなら遠慮なく110してください、時間帯も気にする必要はありません。という心強いことを言ってもらえました。レオパレスは頼らず警察に頼ろう。
ただし、警察は交渉はしてくれないらしく、相手への依頼、揉め事になりそうな事、などは出来ず、単にリアルタイムの騒音について相手に注意することしか出来ないそうです。
またレオパレスを挟む必要も無くなったので、注意喚起のポスティングも自分オリジナルの文章を書くことが出来ます。とりあえず、防音対策をしてくれ、という依頼と、騒音が出たら警察に通報する旨を記載してポスティングをしておいた。
正直、レオパレスを挟まなければ2ヶ月もかからずに騒音が解決したのではないか、と思う。
レオパレスに住むのが悪い、レオパレスなんだから仕方ない、なぜ引っ越さないのか、などと思う人もいるだろう。当然、理由がある。
住んだ経緯は、転職を機に引っ越したためです。しかし、引越しには連帯保証人が必要で、親には転職の件を話したくなかったため、レオパレスに住むこととなった。
引っ越さない理由は、ドールを趣味にしてしまったため、引っ越すとドールを傷つけてしまわないか、や、ドールの数が多くて引っ越ししようと思えないため。
また、レオパレスはどうやら私を引っ越させたいようであるため、その思惑に乗るのも嫌であるため。(コロナの時期に家賃のためにちょっと行動したので、他より家賃が少し安い。たぶんそれもあって、レオパレスは私を追い出したいのだろう。)
まずは#9110に電話した。生活に関する相談ができる番号で、騒音についても相談が可能だ。
それによると、レオパレスが騒音に対応しないのは、「騒音のない普通の環境での住居の提供」などの契約に違反するかもしれないが、これらはあくまで契約の話であり民事である、と聞いた。
そのため、消費者センターに電話した。すると、あくまで民事の契約の話であり行政指導の対象ではない。弁護士に相談するしかない。と言われ、自治体がやっている年1回無料の法律相談場を教えていただいた。
さすがに行政指導がないのであれば、面倒なだけなので、レオパレスに一泡吹かせるのは諦めることにした。
ただし、今後、家賃の値下げなどの交渉があっても、騒音の対策という「必要なサービスの提供をされていない」ことを理由に断ろうと思う。
また、逆に私が復讐のために騒音を起こしたりした場合も、レオパレスの話は聞かないようにしようと思う。
そもそもが、住人同士の直接のやり取りはトラブルの元であるため、レオパレスを経由しているのに、住人トラブルを避ける努力もしないレオパレスは管理会社としてどうなのかと思う。
うちの近くのレオパレスも統廃合の影響により、管理センターが遠くなってしまった。以前は自転車15分ほどの距離に管理センターがあったのに、今では自転車60分ほどの距離になってしまった。
管理センターが遠いと、鍵を紛失した時にスペアキーを借りるのが一苦労するし、何かトラブルがあった時に店舗まで出向くのが大変となる。
以前は管理センターごとの電話番号があったが、今はセンター共通の電話番号しかネットに公開していないようだ。非常に不便だ。
外人の入居者が多い。
ただ、警察への通報とかで通報先が外人だとコミュニケーションは取りづらそうではあるし、管理会社なども電話できる人間が限られてくるため、不便ではありそう。
上記の通り、レオパレスはコスト削減が著しくサービスをどんどん削って行っている。
レオパレスは辞めとけ。
この意見は、現代日本の経済状況に対する不満や疑問を表現していますが、いくつかの主張に妥当性がある一方で、問題点や矛盾も見られます。それを指摘しながら妥当性を評価します。
1. 「コストプッシュインフレで賃上げ!」という主張への批判
妥当性
• コストプッシュインフレ(原材料やエネルギーコスト上昇に伴う物価上昇)は、企業のコストが増加するため、賃上げが困難になる可能性があります。この点を指摘しているのは妥当です。
• 現実に、多くの中小企業が「賃金を引き上げたいが、コスト増加で余力がない」と訴えており、意見は実態に沿っています。
• 賃上げが全く不可能かどうかは議論の余地があります。例えば、大企業や一部の好調な業界では、インフレ対応として賃金を引き上げている事例もあります(2023年の春闘では、過去30年で最大の賃上げが実現)。
• 企業が賃上げを実行しない理由を「コスト増だけ」に帰結させるのは単純化しすぎています。経営戦略や内部留保の活用など、他の要因も考慮するべきです。
妥当性
• 円安は輸出を促進し、グローバル企業やインバウンド関連業界には利益をもたらしますが、輸入コストの上昇が家計や中小企業に負担を与える点は正しい指摘です。
• また、「円安で外貨ベースの売上が膨らむことで決算が映える」という点も、輸出型企業の利益構造を考えると現実的な分析です。
• 円安の恩恵を受けるのが「グローバル企業だけ」というのは一面的です。例えば、農業・水産業など一部の輸出型中小企業にも恩恵があります。
• 円安と国内経済の関連性を一部の業界に限定して論じることで、円安が持つ多面的な影響(プラスとマイナスの両面)を十分に評価していません。
妥当性
• インバウンド業界がコロナ禍で大打撃を受けた事実や、回復基調にあるものの、持続可能性には疑問が残るという点は妥当です。
• 短期的な利益回復に対する懐疑的な見方は正当化される部分があります。
• インバウンド業界が「腰掛けで稼ぐだけ」という主張は、全体像を捉えきれていない可能性があります。観光業に本腰を入れて復興を図る地方自治体や企業も多く存在しており、これらの努力を過小評価しています。
妥当性
• 目標とされた「マイルドインフレ(2%程度の物価上昇)」が、現実にはエネルギー価格や食品価格の急騰によって、生活者に大きな負担を強いているという批判は的を射ています。
• インフレの影響がすべて政策の失敗に帰結するわけではありません。例えば、ロシア・ウクライナ戦争によるエネルギー価格の高騰や、世界的な供給制約が影響しており、国内政策だけで完全に制御できるものではありません。
• 「人間に制御できるわけがない」と断言するのは議論の余地を残さず、一方的な批判になりがちです。
• この意見は、賃上げ、円安、インフレ、インバウンドなど幅広いテーマを扱っていますが、それぞれの論点が相互にどのように関連するかを明確に示していません。
• 例えば、「円安がグローバル企業を潤す」という指摘と、「円安が賃金支払いを食い潰す」という主張が接続されていません。企業の内部留保や利益の再配分に関する議論が欠けており、原因と結果が十分に整理されていません。
• コストプッシュインフレが賃上げを困難にする現実的な制約を指摘している。
• マイルドインフレが現実には制御困難であることを指摘している。
• 一部の指摘(インバウンドや円安の影響)が過度に限定的で、データや論拠が不足している。
• 政策批判が感情的であり、代替案や改善策が提示されていない。
結論として、現状に対する疑問や批判として一定の妥当性があるものの、論理構成や具体的な裏付けが弱く、説得力を高めるためにはさらなるデータや分析が必要です。
世間は「もう少し続けていたら、結果が変わっていたのかな?」と思わせて、
地道な努力をしても「結果なんてありませーん^^」ていうことが多すぎる
もう次の日がどうなるのかも全く見えやしないから、痛くて辛いよ
今後どうすればいいか深く考えたいと思い、思考を整理したくて書いた。無駄に長文。
こうした節目の季節や長期休暇の頃合いになると、決まって親から帰省の催促がなされる。
不快な思いをしながら、適当な言い訳を付けて断るのをもうずっと続けている。家族とは今のところ折り合いが非常に悪く、諸々の事情からもう帰らない(帰れない)と心には決めている。
その気持ちを明言してしまい状況が変わってしまって面倒なことになってしまうのが嫌で、対話を避けてはっきりさせない気持ち悪い状態をずるずる続けている。
ただ、既に私もいい年だし、逃げ続けるのも良くないのではないか、もう親に影響されずに気持ちよく年を越したいと思い、これまでの半生を振り返ってどうすればいいか考えている。
私自身としては自らの親のことを毒親だと思っているものの、多分世間一般のラインからすれば普通の家庭なんだろうと思う。親も人間であり完全ではない、そんなこともわからずに、SNSに毒されて親に対して求めるもののハードルが上がっていて、それを満たせていないから親が嫌なんだと。そんなふうに考えている自覚もある故に、割り切れないところもある。昔は本気でそんな思いだったものの、もう30を超えた今は流石にそれが間違いであることはわかる。でも親が憎くて嫌いなのは変わらない。そのあたりのおかしなバイアスを指摘されたりするとわざわざ公開された場所に乱文を残す価値もあるんだろうと思う。
私は地方の田舎で生を受けた。しばらくして妹も生まれた。家族は父母姉妹の4人だった。
きっと嫌なことが多かったんだろうと思う、年齢が一桁の時の記憶はほとんど無い。うっすらと、親に暴力をふるわれた事や、血筋の中でも頭が回る方で小学1か2年生くらいの最初はそれを褒めてくれた事は覚えているような気はする。
その時の母親の口癖は、「私があなたの頭を殴って大きなたんこぶを作ってから頭が良くなったんだ。」というものだったと思う。曖昧な記憶でも、これは間違いなく覚えている言葉で、今でも子どもに対して暴力を振るいあまつさえそれを誇るような言動をするなんてとんでもない倫理観の人間だと、親を嫌う理由の一つとなっている。
母親は専業主婦であり、家事を一通り終わらせたら延々ネットゲームを行っており、家にいても常によく知らない誰かとボイスチャットをしていたのをよく覚えている。とにかく世間体を一番とする。痩せていると世間体が悪いからという言葉で少食なのに無理に食べさせられて今でも食事に苦手意識があるのと、拒否しているのに美容院に連れて行かれてそれらしい髪型を強制されたのも記憶にあるところ。また、家族間では一切の秘密を許さないとのことでプライベートの全てを否定していたこともあった。うっかり見てしまったことがあるが、あなたのパートナーが影で隠れてアダルトビデオを見ていることも把握しているのだろうか?ヒステリーを良く起こす方で、父親とは仲が良いようには思えず、常に離婚をちらつかせて喧嘩していた印象がある。たまに課金のためにコンビニに連れて行ってもらい、ついでにお菓子を買ってもらったこともあった気がする。総じて印象が良くない。
そんな母親に対して、父親には正直印象が無い。何をやってるのかよくわからない、たしか何らかの肉体労働だった気がする、氷河期世代で割の良くない仕事に早朝から遅くまで関わっており、休日が不定期なこともあり、ほとんどコミュニケーションが無かった。もちろん低賃金ゆえ常に貧乏家庭でもあった。休みの日はもっぱらパチンコ漬けのようだった。社会人になってから思うと申し訳ないと思う気持ちはあるものの、正直普段同じ場にいない人間とは話が合わないし取れるコミュニケーションなんて限られてると思うし、今更仲を良くする価値も感じないところ。
そんな親の元過ごした小学生や中学生の時代、確かに頭は良い方で学校の成績は5本の指に入るくらい良かった。ただ、その代わりに子供らしさというのを何処かに捨ててしまったらしい。良く言えば控えめで物静か、悪く言えば根暗コミュ障。外に出て運動をするより部屋で本を読んでいたほうが良い。そんな子どもらしくない子どもは、世間体を重視する母親のイライラゲージを溜めてしまうらしい。頭の良さを褒められることも最初だけで、ある時からそれが当たり前で褒められることも無いし些細なミスで詰められたり、そんなようになってしまった。
一方で妹の方は私に比べればマシな人間だった。学校の成績は普通だが、いわゆる子どもらしい子どもであり、また、悪知恵も働いた。もちろん親は頭でっかちな姉よりも妹を好み、悪知恵により陥れられたことも何度もある。その都度姉なんだからと我慢させられた経験は山ほどある。
中学の頃、決定的な事が起こる。運悪く治安が最悪な世代に混ざってしまった中学時代。いじめは横行するし自殺未遂の話もあった。そんな殺伐とした空間で思春期を過ごして平常でいられるわけがなく、必死で生きようとして荒んでいた時。妹との扱いの差や親のおかしなところに気が付き始める時。今でも解決してない自身の性別に対しての悩みを持ち始める時。そんな難しい時に家族と買い物に出かけることになった。その時にとても不機嫌な対応をしたんだと思う。帰って自室に戻って一休み。催してトイレに行こうとした際に、両親のいる居間から「なんで◯◯なんて産んだんだろ、産まなければよかった」という声が聞こえてしまった。私が近くにいないと思ってそんな話をしたんだろう。実際可愛げのない私はいらない存在だったんだろう。それ以降、両親のことは一切信用しないことにした。喧嘩をしたとかの直接的な言い合いがヒートアップして出てしまったならまだしも、影でそのようなことを言うなんて、いっときの気の迷いとかではなく本気なんだろうなと妙に腑に落ちたところがあった。
以降の高校時代はそういう恨み言が続くだけ。勉強はできたので大学は行きたかったけれど、貧乏な家庭の上に当時の奨学金に対してのバッシングも相まって、大学は諦めることになり結局私自身も親と同じ高卒になってしまった。中学時代に仲が良く一緒に勉強を頑張った当時の友人は東京の有名な大学に行ったらしい。世の中は平等にできていないことを強く認識することになった。就職が近づくと老後は頼んだとか寒いことを色々言われた気がするが、もちろんもう何も信用してないのでさっさと親は捨てて一人で生きていくことを考えていた。一応長子だったので、そういう老後の世話や家を継ぐことを期待されたのも多かったと思う。
高校卒業後は当時のネット友達を頼り、地方を出て東京で職を得ることができた。
こんな得体のしれない高卒の人間を総合職として採用してくれた小さなベンチャー企業も、今では大きくなり比較的良い待遇で仕事をさせてもらっている。パートナーもできてプライベートも充実した。
このときの悩みは今の仕事がどれだけ続けられるかというところと節目でやってくる親の帰省の連絡だった。親からのメッセージの通知が来るたびに心臓が早鐘を打ち不眠になる。最初は真面目に帰省していた。わざわざ親の好む服装・髪型にして。ここでの転機はコロナ禍の時だった。コロナ禍で帰省を自粛していた頃合いだったが、流石に間が空きすぎたのとある時波と波の合間で落ち着いてきたタイミングであったことから断りきれず、久しぶりに帰省することになった。久々の帰省で大きなストレスを受け、パニック発作を起こすことになってしまった。そこからこじらせてしまい、本格的なパニック障害になり家から出ることもままならなくなってしまった。年単位で時間をかけてなんとか仕事を続けられる程度には回復したが、未だに外出を行う際には辛さを伴うし、一人で遠出をすることもできない。なんとかある程度回復した症状をぶり返すようなこともしたくない。人生の全てが閉じられ終わってしまうようなあの感覚をまた感じたくはない。かくして帰省はしないものからできないものになってしまった。もっとも、世間体を気にする親は子の精神疾患なんて認められないだろうし、あるいは無理に連れ帰らせる、会おうとしてくるなど余計なことしかしないだろうことが想像できるので、この件も話してはいない。
このような人生を送り、この日記を書いた現在に至る。家族は嫌いで精神も壊した。それでも、一人で生き抜くことを決意してハードワークして作った資産もできた。昨今の好調な株式市場のお陰でこれもかなり大きくなり、もう当分お金に困ることはないだろう。そうなるといよいよこの親との関係をどうするのかというところが割合として大きくなってくる。お金と一緒に順当に年も増え、もう30を超えてしまった。そんな年齢になってまで未だに身近にいない親を恐れ嫌いな親の期待に応えようとすることが馬鹿らしく感じ、整形なんかにも手を出したりもした。親が期待した娘は部分的にこの世から消えた。あまり実感がないものの、幼い頃の暴力が未だに影響しているような気がしていて、親のことは嫌いなのに親に直接刃向かうようなことを実行するのに未だに抵抗を感じてしまって辛くなる。そういう精神的なところから親を振り払うとともに、関係性もなんとかしたいと思うところ。
こんな長文をここまで読まれている方は稀有だろうと思うが、世間体と好みと役割を気にして私を直視しない私の憎む親と同様に、私もまた親のことを理解しておらず、対話を避け一方的に親を嫌っている事には気がつくだろう。私には色々な悩みや聞いてほしいことがあった。今の生活だって盤石ではないし、何かと家族と連絡がついたほうが生きやすいところはある。そういうのを全て過去の親の言動を延々に引きずり信用できないと切り捨て全部抱え込んで生きてきたのが今の私だ。これまでの言動や行動からどうせ否定されるだろうと決めつけ、またしまい込むのは簡単だが、どうしても筋が通ってないように思う。どうせなら自分が過去のそういう言動で深く傷付き親を信用していないこと、自らはこういう悩みを抱えていて生きにくい事、その上で、あなた達が受け入れる気があり、私が許せるのであればマイペースに付き合っても良い。悪口というのは加害者は覚えてないだろうから、受け入れる受け入れない以前にそれでも許せるのかというのは難しいところではあるが。一方で理解できないこともあるんだから受け入れなくてもいい。誰にも迷惑をかけずひっそり生きていても、セクシャルマイノリティは迫害の対象なのが昨今だし、別に親がそういう人間であっても不思議ではないし、むしろたまたま親になっただけの存在にそんなのを期待すること自体が贅沢なんだと思うようになった。それ以外にも複数嫌われるべき理由もあるし、そういう場合は縁を切ればいいだけ。そういう選択肢くらいは親に与えても良いのではと思うようになってきた。別に縁を切られたってこれまでの人生計画は親無しでやっていくつもりだったんだから、支障はないしむしろ公式に縁が切れれば親からの連絡に怯える日もなくなる。受け入れてくれるならそれもまた良いだろう。人間年を食うと丸くなると言うし、期待はしてないがそんな可能性もゼロではないだろう。人間関係が希薄な令和の社会で、一人でも話ができる人間はいるに越したことはない。戸籍制度等のせいでどうやっても親と絶縁することが不可能な日本社会において、親との関係性は悪いよりは良い方が良いに決まっている。もしこのルートで進むのであれば、将来親の葬式をポジティブに主催したいと思えるようになれたらなとは思う。最近始めた新しい趣味の話とかができたら良いなとは思う。本質的に私は寂しがり屋で、一人で生きるよう常に努力しているが、親という存在を欲しているんだなというのも俯瞰してると思うところ。
ここまで書いたら、支離滅裂な長文乱文な割に随分思考が整理されてスッキリしてきた気がする。私は親を許すつもりはない一方で理由も分からず対話もせず消えてしまうのは筋が通ってないように思う。私は私の力で過酷なこの時代をなんとか生き抜くスキルを身につけられたと思っているが、認めたくはないものの、親の影響もそれなりにあるんだろう。少なくともこの年齢まで生き、ある程度の職と資産を得られた時点で虐待によって命を落としてしまった子ども、家庭の都合で高校にも行けず不本意な中卒でもなんとか生きる子ども、歪んだ教育で犯罪に走ってしまう子ども、それらの親であるところの真の毒親よりよほど良い親であったこともまた過程はともかくとして事実なんだろう。だから、今回の帰省もキャンセルして、しばらくしたら思っていることをぶつけ、筋は通そうと思う。そんな厄介な子と関係を続けたいのか続けたくないのか、ボールは親に投げられる。今の時代は覚悟さえできればスマホでポチポチして三行半を叩きつけることができる。行動を起こすことでメンタルは悪化するだろうが、こんな年齢でこんな馬鹿げたことをしているのに耐えられなくなってきたし、じわじわ心を壊されるのも終わりにしたい。だから気持ちは伝える。これが結論。未来の自分や他人からしたら甘いと思われそうではあるものの、縁切りも気持ちよく行いたい、そんな気持ちが強い。それに、双方納得の上で関係性を定義できれば、これ以上の干渉の無い理想的な形で終わらせることができる。頼もしい人生の味方を得られるかもしれない。だから、きちんと気持ちを伝えて、この気持ち悪い曖昧な関係を終わらせようと思う。