はてなキーワード: 現在とは
一方、連立政権から極右政党が離脱していけば、政権を維持できない。
一部政党の離脱はすでに始まっているが今のところはまだ過半数を維持している。
しかし、現在の停戦をそのまま続けるようであれば連立から抜けるとの警告をすでにネタニヤフは受けている。
板挟みのネタニヤフ。
昔付き合った経験を開示する事が、これから付き合う女性にとって異性に信頼されたお墨付きとして重要な参考情報になるのは分かる
でも、どうすれば異性に信頼されるのかが不明かと
フジテレビの女子アナ接待問題を見て、一時期野球選手と女子アナが結婚しまくってたことを思い出した。
最近では芸人との結婚が増えて、単純に彼女たちはお金が好きなんだろうなと思ってたけど、こうやって考えると見え方が変わってくる。
あー、そういえばあのアイドルも女子アナと結婚してたな。番組で知り合ったとか嘘くさいって思ってたよ。
と思って調べてみると、やっぱり元フジテレビアナウンサーの著名人との結婚が圧倒的に多かった。
これがアナウンサーとして成功するための通過儀礼になってるとすると、今現在成功している人は口を開くことが難しいし、結果的に失敗した人であっても自らの性接待や性被害を認める必要があるから声が上がりづらい=発覚が難しいというジャニーズの性被害と同じ構図だなって思った。
こうなってくると逆に婚期を見送ってる芸能人なんかはそういう接待が楽しくて仕方ないのかなって?って疑いにもつながってくるね。
オオタニサンはニュースで見聞きしたことはあっても特別興味はなかったんだが、
ワールドシリーズのヤンキースのボロボロな負け方に対するヤンキースファンの嘆きを集めた動画をたまたま見て
それ以降YoutubeがMLB動画を押し付けてくるようになったせいでMLBの近況を少し知ることになった。
そこで、オオタニサンが現在在籍しているLA Dodgersに佐々木朗希が脱法的な移籍をしたニュースが
ホッテントリに上がってきてるの見て、掲題のキーワードを思い出した。
今年のLA Dodgersは結構エグい補強をしているらしい。
2024年シーズンにノーヒットノーランを達成したSF Giantsのブレイク・スネル投手もDodgersに移籍したらしい。
既にLA Dodgersにはオオタニサンの投手復帰や、ワールドシリーズで戦線離脱した先発陣も復帰したりと
どう考えても取りすぎな気がするんで、ニワカの俺でもやり過ぎだと思う。
そこにさらに佐々木朗希の脱法移籍なので、悪の帝国だの、「Rich gets richer」だの、他球団ファンからはボロカスに言われてる。
韓国リーグからメジャー移籍するキム・ヘソン(既にパドレス在籍のキム・ハソンとは別だが混同されがちらしい)も
FA市場の有望株を根こそぎ奪い去ってるクソ球団扱いされるのも仕方ないよな。
その悪の球団ことLA Dodgersにワールドシリーズでボロ負けしたNY Yankeesからフアン・ソトが
オオタニサンを抜く最高額でMetsに移籍したのもYankeesファンが泣きっ面に蜂とばかりにキレ散らかしてて面白い。
でもこの場合は、「LA Dodgersですらなく、よりにもよってMetsかよ?!」みたいな反応なのは面白いね。
Yankeesファンからすれば同じNYを本拠地にするMetsは悪の球団LA Dodgersより嫌いらしい。
移籍前は「ヤンキースをより良く変えた素晴らしい選手」とか凄いもち上げられ方してたのに、移籍したとたんに
フアン・ソトはオオタニサンが移籍した直後にチームがワールドシリーズ制覇したのと比較されるのは間違いないから、
これから先しばらくは大変だろうな。
こういうのを眺めてて思うのは「Rich gets richer」って今のアメリカの分断が表れてる言葉だよな、って事だ。
若い女性男性を好む事を批判するならもっときちんとした理路でしておいた方がいいと思うんだよね
というのも遠くない内に肉体を若返らせる技術は実用化される気配が出てきたからだ
そうすると金持ちの人達はどんどん肉体を20代くらいに若返らせる時代になり
その頃にはトランプは死んでるだろうがイーロン・マスクは生きてるだろうし若返るだろう
自分の都合のいいように意見を変えるリベラル社会を見てるとそれは期待できそうにない
日本だってもし上野千鶴子が生きてたら若返る技術に頼るだろうしそれに都合のいい言論をしているだろう
上野千鶴子が生きてないにしろその後継達はきっと同じ事をするだろう
ロシア政府が命令すればどの企業に対しても好きな利率で資金の融資が自在にできる。
つまりこれは実質的に紙幣を大量に発行しているのと同じ意味合いを持つ。
しかし民間の債務として処理することでロシア財政を見せかけの健全さで覆い隠しているということだ。
だがこれはただの見掛け倒しという観測だ。
それともいつもの単なる西側のディスインフォメーションなのか?
しばらくは様子を見るしかない。
それが今は朝から子どもの蹴りに起こされ、保育園に送り出し、仕事を終えたと思えば保育園に迎えに行き、21時まで拘束される。今は子どもが小さいから夜泣きで対応することもある。
FPS経験者なら分かるけど試合中の離席、迷惑でしかない。こんな状態でゲームなんかできっこない。
子どもと旦那と楽しく過ごす日々も幸せだけど、どうしてもゲームをやりたい。ネッ友とボイチャで話しながら夜中までやって、時には朝までやってたい。
普段はほとんど芸能ネタに興味のない人間である。ドラマは全く観ないし、アイドルにもぜんぜん興味がないし、M-1などのお笑い番組も、観ても面白さがほぼ理解できないレベルで疎い。当然ながら芸能に関する知識も全くない。
しかし、今回の中居正広「女性トラブル」問題については、リアルタイムで情報を追っている。その理由は芸能スキャンダルにとどまらない、日本社会の大きな転換点・分水嶺を感じるからだ。
1980年代以降、日本社会の世論はほぼテレビで代表されていた。日本の政治や社会問題で何が争点で論点なのかは、テレビが取り上げるかどうかや、テレビのフレーミングですべて決まっていたと言っても過言ではない。1993年の自社さ連立政権も、2005年の小泉郵政選挙も、2009年の民主党政権とその後の転落も、大袈裟ではなく全てがテレビ発のイベントだった。平成期の政局で最も大きな影響を与えたのは、明らかに小沢一郎でも小泉でもなく田原総一朗だろう。
1980年代当時の、子どもだった私たちにとって「たけし」「さんま」「とんねるず」などのテレビスターは既に総理大臣よりも偉い人だった。その後20年を経て、国会議員や総理大臣の権威は地に堕ちた一方、彼らテレビスターの権威は、本当に総理大臣以上になっていた。実際、彼らは上の世代の芸人がそうしたような、さらなる高みを目指して国会議員に進出する、という道に全く関心を示さなくなった。テレビ芸人の権威が、国会議員をはるかに上回るようになったからである。
しかし、ジャニーズ、松本人志そして中居が次々と性加害報道で凋落していったように、テレビで売れている人が日本社会で最も社会的地位が高い、という2010年まで続いた強固なヒエラルキーは、2020年代に入って急激な勢いで崩壊しつつある。誤解してはいけないのは、SNSやYouTubeの影響、というだけではないことである。ネットの配信者は基本的にネット記事を紹介するだけの「コタツ記者」であり、取材能力は全くの皆無である。週刊誌の取材力とSNSの拡散力が連動して、はじめてテレビの力を打ち倒すことができたのである。
もともと芸能事務所やテレビスターの性加害事件スキャンダルは、週刊誌や夕刊紙で頻繁に報道されていた。かつて中居も堕胎強要事件が報道されたことがあったが、週刊誌の読者に隅っこで読まれるだけで、「週刊誌はデマでも記事にして商売する」というイメージもあり、テレビで報道されない限り社会的影響力は皆無だった。
しかし現在は、状況が一変した。週刊誌の記事がネットで配信され、SNSとYoutubeで瞬く間に拡散するようになった。結果として、松本や中居などがSNSで大炎上し、Youtubeで詳細な解説動画が膨大に溢れているにも関わらず、テレビをつけても全く報道されない、という風景が繰り返されるようになった。少しずつ報道するようになっても、「痒いところに手がとどかない」レベルの報道であるため、「テレビは報道しない自由を行使している」という非難をより強めるものになっている。
結果として、「テレビが報道しない真実」を常套句とする、質の悪い陰謀論的なYoutubeチャンネルが溢れかえるようになっている。中高年の主婦がより陰謀論にハマりやすいと言われるが、これまで彼女らが家の中で一日中テレビをつけっぱなしにして生活してきた層であることとおそらく無関係ではない。SNSでは質の悪い情報ほど拡散力が高く、インフルエンサーの社会保障の理解などは絶望的にひどいものが多く、今後日本はますます衰退・崩壊していくのだろうという悲観的な未来が予想される。
最後に、テレビ局はこうした変化に柔軟に対応してアップデートしてこなかったことを指摘しておく。松本も中居も1990年代半ばから既にテレビで見ない日がないテレビスターだった。言い換えると、「テレビの顔」が30年も更新されてこなかったということである。そして、テレビ制作の現場の価値観も、テレビ画面上で公然とセクハラで笑いをとっていた90年代のノリを引きずっていたことが、今回改めて明らかになってしまった。metoo運動以降に就職した、Z世代の高学歴女性アナウンサーからすれば、松本と中居の女性に対する価値観や扱いと、それに積極的に同調して性加害を隠蔽するテレビ局員と幹部の姿は、ほとんど現実とは信じがたいものと映っていたはずであり、彼女たちが精神を病んでしまうのも当然と言えるだろう。
リスク資産だけではなくしっかり現金も持っていてすごいと思う。
額は上の方よりも全然少ないけど、励みになったので私のケースも書いておきます。
精神的に弱い・未熟なところがあって会社に行くのが毎日しんどいので、55~60ぐらいで早期退職できるといいなあ、と思ってます。
投資を始めたのは記録では2011年からです。積立投資の本を参考に、毎月3万円づつ先進国株式から新興国債権まで幅広く投資信託を買っていました。
これが結構失敗したなと思うところで、(投資比率は減らしていたものの)アベノミクスが始まっても2017年まで新興国債権をだらだら買い続けてしまった。
その後、新興国債権を売って、先進国株式への投資を継続しつつ2018年からアメリカ株式(S&P500)に投資を始めました。
旧NISAの口座で買っていた先進国株式が多かったので、毎年年末に売却して年初に新NISA口座で米国株を買うことでリバランスできています。
債券を売ると決めたのは、シーゲル先生の「株式投資の未来」を読んでからで、遅くはあったけどコロナ前に米株比率を高められたのはラッキーでした。
良かったと思うのは、2020年3月のコロナショックの時に300万円を一括投資できたこと(多分死ぬまでこれ以上のナイストレードはできないと思う)、そして、その後に米株に集中投資して米株高と円安の波に乗れたことです。
現在は年初に100万円そして毎月10万円の金額で投資信託を買い続けています。S&P500 55%, NASDAQ100 25%, TOPIX 20%に近づくように毎年の投資金額は微調整しています。
振り返ってみると、結婚して早い段階で中古マンションを0.98%-35年という冗談みたいな固定金利で買う決断をできたのも幸運でした。(心配で結構頭金を入れてしまったのが今考えれば失敗だった)
奥さんが働くのが好きで、倹約家というのも資産形成の上で非常に助かっていてます。
僕が、酒、タバコ、車、ファッションなど金がかかる趣味・嗜好がないのも良かったです。
自分はなんというか、レジリエンス的なものが全くなく社会に向いていないと思っていて、睡眠薬と抗不安薬を飲んで、時々えずきながら出社する日々です。
目標は55~60歳までに1.4億円まで貯めて心穏やかに余生を過ごすこと、子供には教育と資産を、奥さんには資産を残せること。
日本の少子化はいくつか地域特性もあって以下のような研究結果が示唆されているので掻い摘んで紹介。出生率の高い九州の内容が多め。
具体的な変化として、子の数を抑える→家族形成の年齢を後ろにする→「高学歴・良い職場・良いパートナーの獲得」を目指す。
これによって都市では先行して、「生涯未婚、無子、1 子」が増えた。一方、地方でも同様な傾向が生じ、都市への若者の流出が生じている。
2020年に東北地域の早婚が解消したことで、「九州は若年既婚者の出生率が高い」点が残り、九州の出生率が高い値となっている。
東北地域の早婚の解消は女性がいなくなり男性の結婚が難しくなっていることが挙げられている。
これが生じる違いとして、以下が挙げられている。
東北地域…「長男規範(家を継ぎ、親と同居し、親の面倒をみる役割を長男が担うべきとする考え)」→男性が多くなり、女性は地域から逃げていく。3世代同居率も高い。
九州地域…「女性に親の扶養や介護を期待」→女性が多くなる。しかしながら同居ではなく近居傾向が強い。(近居の複数の子が親の面倒を見る形?)。3世代同居率は低め。(子が多いならそうなるか?)
・大学進学を機に東京へと進出する女性が増えているが、自地域と東京の間に地方中核都市が少ない「東北地方」「北関東地方」「甲信越地方」でその傾向が顕著。結婚年齢になっても地域へは戻らない。
一方、西日本から東京への進出は小規模にとどまっている。この違いが東日本と西日本での出生率の差を生じさせている。
出典について指摘があったので追記 19:50
だって戦後の日本とか今の発展途上国とかみたいに現在の日本よりはるかに収入が少なく劣悪な生活環境にある地域ではボンボコ子供生まれるんだから
もう今さらタイミング的には間に合わないし倫理的にもアウトだろうけど
子供を産む・育てるということの優先順位を社会を全体で高める以外の方法はなかったんだと思う
多様なエンタメの発展
その他のものも含めてこういった要素たちが絡み合って「結婚しなくてもいい」「子供産まなくてもいい」って人たちを増やしてるよね
ド外道なことを言うと女性から学びを全部取り上げると出生率は上がるんだけど
世の中は大ブーイングですね。
この発言。
私はわりとわかるというか、この発言の裏というか、そっち方面で読むとそうだねってなるんですよね。
まぁ、この発言をした人の真意は別としてですよ、マジで性格ブスな人がそ~のまんま言った可能性も大なりなんですけど。
殆どの人はこの文章は「ブスならいじめる、可愛いならいじめない」と美醜がメインだと捉えると思う。
私は違う読み方しちゃうんだよね。
「昔はブスならいじめるような人間だけどいまや大人になった自分はブスだからといっていじめないわ~」
です。
「同じクラス」「だったら」と自分が過去の中学生と仮定した場合いじめて、今現在の自分がブスをどうするかはまぁ確定していない。
彼は幸運を喜んでいるのです。「今可愛くなっている彼女」と「価値観が変わり大人になった自分」両方を。
今もブスにひどい対応をする男ならわざわざ時計の針を戻さずブッサと切り捨てるか、今の彼女のために過去のブスには触れずただフォローすると思いますです。
こんな発言をしたということは、彼女が過去からの変化を見せたことでこちらも同じく過去からの変化をお伝えしたかったのかな、とも考えられるかもしれません。
「おおきく振りかぶって」という野球漫画があるのですが、その主人公はとてもコミュニケーションに難がある男の子なんですよね。それで中学ではチームメートと揉めてひとことでいうとハブられてました。
そして同中が居ない高校に行き物語がスタートするのですが、人に恵まれなんとかやっていく話です。
そんな高校チームのキャプテン、同じ中1だけど凄く大人びてしっかりしてる子なんですけど、彼をして
「今は先にキレるヤツが居るし許せるけど、絶対中学同じクラス(部活)だったらいじめてたわ~」
ですよ。高校生という人間性が一回り成長した時期での出会いに感謝してるわけです。
まぁそうだよね。ととくに引っかからずに読んだ私は、だから今回のこの発言もこのキャプテンの心持と同じ感じで読み取ってしまいました。
独白と本人に言うには天と地の差がありますけど。それもまた性格の悪さかコミュ力不足かは定かではありません。少なくとも彼女になってもいいと思えるまでは愛情を示せて建前を繕える男性だったんでしょうけど、十全ではなかったのかもですね。
だからまぁ、私は人気ブコメにあるぐらいに即極刑レベルの判決を即座には下せないんですよね。人は往々にして過去の未熟を振り返ることがある。ありませんか?ぶっちゃけ私だって小・中学生ならブスはいじる・いじめるような人間性だったし、今はそれはダメだよねと身についた倫理観で包んで平等に接しようと努力しております。ブスに属する自分のためにも。だから、なんていうか、この男はありえない!と自分と重なる部分が一切ないかのように断罪できる人が信じられないというか、凄い善良な人が沢山居るんだなぁと驚いていますです。
なんの話でしたっけ。まあいいや。
「データがデータが言うけど聞きかじりだけで、まともな調査機関のデータを引用できたためしないじゃん」とのことだけど、具体的にどの発言が「聞きかじり」だと感じたのかを示してくれないかな?
そうでないと、単なる決めつけにしか聞こえない。
まず、「まともな調査機関のデータを引用できたためしがない」と言うけど、議論の中で参考になる具体的なデータが必要だと考えるなら、あなた自身がその「有償レポート」や「調査機関のデータ」を示してくれるほうが建設的じゃないかな?
こちらが挙げている市場評価や技術比較も、公開情報やレビューを基にしているけど、それを否定するなら、否定の根拠となるデータを提示するべきだよ。
「どうせ、そういった有償レポート読んだこと無いんでしょ」とのことだけど、有償レポートを読んだことが議論の前提になるという発想自体がずれている。
有償か無料かに関係なく、公開されている信頼できる情報や、多数のレビューや報告を分析して議論することは十分に可能だよね。
むしろ、そうした情報を「無料だから価値がない」と切り捨てるほうが偏った見方と言える。
もし「有償レポートを読まなければわからないこと」があると思うなら、その具体例を挙げてほしいし、その中身が現在の議論にどう関連するのかを説明してほしい。
ただし、単に「有償レポートを読んでいないから説得力がない」という主張だけでは何も進まない。
最後に、議論で重要なのは、情報源の種類やコストではなく、その情報がどれだけ信頼できるか、議論にどう貢献するかだよね。
その頃は犠牲者の皆様も、
それほど「被害にあった感覚」とかがなかったんじゃないだろうか?
まあすべてが憶測だけど。
それを言うならそもそも、
中居さんのことにしても、
松本さんのことにしても、
ましてや示談が済んでいるはずの人の「発言」などというものを、
どこまで信用していいのかわからない。
と強く疑っているからだ。
通常、示談した人がペラペラと週刊誌の取材に答えるなんてことあり得ない話だ。
もちろん示談の内容に守秘義務がなれば別だが、そんなわけないだろうと「憶測」する。
それなのに、鬼の首でも取るようにして
AさんやらXさんやらの「発言」とやらが次々と週刊誌が伝家の宝刀のごとく振るうさまに違和感しかない。
私たちの社会は本当にそういうことでいいんだろうか?と疑問を呈したい。
それなのに「週刊誌を売ることが目的」の媒体にまるである種の罪を裁く権利のようなものをもたせるのはどうなのだ?
と書くと、
そんな権利をもたせた覚えはない、と
答えるかもしれないが
メディアに力を与えるということなのがわからないほど知能は低くないでしょう?
非常に危険なことをしているのがわからないほど愚かではないでしょう?
それとも、どこかの週刊誌が「冤罪」をでっち上げた結果として、
誰かが死ぬようなことにでもならないと目が覚めないのでしょうか?
私は非常に危惧する。
誰か、無実の人が苦しむそのときを招かないために今できることはなんなのか?考えてみて欲しい。
私も男性側の不妊で子供が望めない立場だからすごく気持ちがわかる。
今現在も、二人だけの幸せな生活と、夫以外の子どもを持つ道と、どちらを選べばいいのか、どう夫と話してけばいいのか迷ってる最中だから増田とは少し状況違うかもだけど。
私は自分の親にも不妊治療や夫の不妊こと自体言ってないから、帰省するタイミングで子どもは,って聞かれるたびに発狂しそうになる。誰も悪くないのに、たまってく気持ちわかる。
私は夫の家族や周りが何も言ってこないのは幸せな方なんだろうな。
私は男性不妊がわかってから、夫を攻められないという気持ちでうつになった。
クリニックの先生とかカウンセリングの先生にも言われたんだけど、二人でしっかり悲しむ作業をした方が,後々のストレスに繋がらないといわれたよ。
責めるんじゃなく、あなたの子どもが欲しかったな、といって旦那さんと悲しみを共有するのは必要かもしれないよ。
応援してる。
そもそも健康寿命って平均寿命と違ってちゃんとしたデータの取り方されていないから、高い低い言ってもあんまり意味のあることじゃないんだよ。
将来的には平均寿命と同じような生命表(不健康での脱退を加味した二重脱退表)を使ったまともな健康寿命の数字も作られるだろうけど、現段階のサリバン法に頼った簡易的な方法での健康寿命はその地域の健康さを表せるような指標になっていないんだ。
そもそも何らかの身体測定によるものではなく、「あなたは現在、健康上の問題で日常生活に何か影響がありますか」という質問への回答という多分に主観的なものだからね。健康意識が高い地域ではほんのちょっとしたことでも日常生活に問題があると回答しがちになったりと、基準が揃っていないという根本問題もあるものなのよ。
10日ほど前に、炎上しても謝らない方がいい、という増田が話題になっていた。
個人的に科博が炎上した件に注目していて、その増田でも取り上げられているかなと思ったが、掲載されていなかった。
科博の企画展「貝類展」のポスターに生成AIが使われていたということで、主にX上で炎上が起きた。
ポスターにAIが使われている旨紹介したポストは1/15現在で475.2万件表示・2000件弱いいねに対してRPが2200件強と、大炎上ではないが割としっかり炎上しているように見える。
しかし、貝類展の宣伝ポストをして以降、科博はポスターのことには何も触れず、無事に会期を折り返そうとしている。
「国立」の名前を冠する機関の対応としてはかなり強気に思えるが、今では科博のポスターの話をしている人はほとんど見かけないので、まあ対応として正解だったのだろう。
ただ、科博としては批判にはすでに応えたという認識だったのかもしれないとも感じる。
ポスターに生成AIを使用しているというポストに対して寄せられた批判は、主に「存在しない貝の画像をインターネットにばらまいていいのか」というものと「学習に多数の著作物を使っている生成AIの利用は問題ではないのか」というものだった。
前者に対しては、生成AIを使っているというポストの中で研究者の監修を受けていると明言しているし、後者に至っては、科博を所管している文化庁が様々なドキュメントを出しているので今更説明するまでもないということだったのかもしれない。
「もう科博には行かない」という宣言もちらほら見られたが、貝類展に実際に行ったところ結構にぎわっているように思われて、生成AI利用の影響があったかどうかはよく分からなかった。
それほど広い展示スペースでもなかったが、小さな貝から大きな貝まで様々な貝が並べられており、説明も大変興味深かった。
フォトジェニックな貝も複数展示されており、ポスターはどうしてこの貝ではダメだったのかなどと思わないでもなかったが、まあ科博の自由だろう。
企画展は常設展と同じ入り口から入ることになるので、これから見に行く人は気を付けてほしい。
まあそんなことで迷うのは私だけかもしれないが。
晩御飯を作るのがめんどくさすぎで時間もなくなるしでなんとかしたい。世帯数分だけ同じ状況があるだろうに世の中の家庭はなんとも思わないのか。
自分、嫁、乳児2人(0才児)、4人家族でフルリモート勤務。現在のルーティンは、昼(12:30〜)、夜(19:00〜)の調理と洗い物を自分が受け持っている。
良く作る料理は、鍋料理、炒め物、パスタ、焼きそば、冷凍餃子、麻婆豆腐、袋麺、ざるそば
実家からもらった大量の野菜(白菜、キャベツ、芋)があるのがベースで、嫁の強い希望もあって食材ロスを一切しない決まりがある。このあたりは当たり前の所作だけど腐らせないように食材を使っていくのは脳みその何かが削られる。腐らせようなものなら、嫁のやりたい事に非協力的な夫と、食材ロスを許容している価値観を、人格を否定されるかのごとく非常識だと詰められる。これは腐らせてしまった瞬間の一度だけなら良いが、日に日に悪くなっていく食材の様子と、言葉に出さないまでもその不機嫌になっていく様子がシンクロして感じとれるので、腐りそうな食材は何日後までにどうやって使うなどの会話をするなどしている。妻disをしているが妻は他でたくさん動いてくれてとても感謝している。ここは自分が合わせるところと思っているがストレスには違いない。
夜は19:00スタート、洗い物が(離乳食の食器などが)シンクに置かれていることがある。もし米のとぎ汁がシンクにある場合は、洗い物をする際に浸けておくようなので捨ててはいけない。料理の献立はだいたい夕方までに会話済み。冬場が水炊きが多いので例にすると、まず鍋に水と昆布を入れて沸かし始める。椎茸、エノキ、白菜と順番に切って洗いながら鍋に突っ込む。白菜はデカくて切るのがめんどくさいので5、6枚剥がして使う。とぎ汁がシンクを占領していたりすると洗うのが嫌になる。洗い物が増えるので豚肉or鶏肉or牡蠣はあまり使いたくないが食材の兼ね合いで使うときは使う。が、離乳食の食器がシンクにある場合は片付けてからするので、初めに気付いていれば良いけど途中で洗い物に気付くと段取りが悪くなる。まな板は大きなサイズもあるけど、使った後にシンクを占領してしまうのが嫌で15x25くらいの小さな物を使ってるが、切りにくくて包丁を使いたくなくなる。ご飯は冷凍済みで解凍すればよい。
洗い方はシンクにホーローの35cmくらいの桶があるので、洗い物を概ね入れた後に順番に洗剤で洗ってホーローの外に置いていき、最後にたまった食器を水で洗い流す。を(洗い物をした後に置く場所が十分にないので)2,3回繰り返す。最後に排水口の網を取り替え、シンクの周りの水滴をふきんを絞って使って拭く。
鍋なんて手がかからない方の料理だと分かっているけど、今はもう白菜を切るのすらめんどくさいので、最近は白菜を包丁で切るをやめ、バリバリ手で引き裂いたのを直接鍋にいれるようになった。椎茸も同じ要領やるようにした。たったこれだけだけどまな板も包丁も汚れないので、これはなかなか楽になった。
段取りが悪い自覚もあるし脳みそのメモリもすぐに溢れてしまうので、料理開始〜洗い物終了までどうしても1.5時間〜2時間くらい使ってしまう。たまにカップ麺をすると20分で終わるしシンクも綺麗だしで身体に悪いけど気分は最高にいい。毎日献立を考えて工夫して食事を用意している主婦の方をほんとに尊敬する。
自分がやった工夫なんて普通じゃないだろうし一般的に合わないだろうけど適当な自分には良かった。同じようなちょっとした工夫で楽になる方法がまだまだあるんだろうなと思うし、現実的に出来る範囲のそういった上手いやり方を教えてほしい。
上記のようなQQEの目標がなかなか達成できず、コロナ後にようやく構造パラメーターの変化が実現したことが、クルーグマンのロジック自体(経済主体が将来の金融緩和効果を現在に先取りして行動する)に問題があったと考えるのか、それとも、クルーグマンの提唱した将来の政策に関する「約束」の仕方に工夫の余地があったのかは興味深い問題である。
どのような「約束」をすれば企業や家計が短期間のうちに行動様式を変化させたかという問題には適切な回答が思いつかない。例えば、QQEの導入時点で、「CPIインフレ率が4%に達しても金融緩和を維持する」と約束しても-事後的にそうなったが-当時の企業や家計が行動様式を変えたかと言えば、同意する人は少ないように思う。さらに言えば、「総括的検証」までのQQEが一定の期間に亘って強力な金融緩和を続け、その意味で「約束」を実績で示したにも関わらず、インフレ予想が目立った変化を見せなかった点にも注意する必要がある。
ただし、「レビュー」の多くの論文は、コロナ後の大きな供給ショックが生じる以前に、インフレ予想の改善が始まっていたことも示唆している。
QQEの後半の局面に焦点を絞って、例えば労働参加率の飽和などの内生的な要因が企業や家計の行動様式にどのような影響を与えたのかを明らかにすることも、インフレ予想の変化の持続性を考える上でも重要と思われる。