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はてなキーワード: 左脳とは

2025-01-18

anond:20250118204154

情けないなあ

俺はHoloLensつけながらFPSやりつつ目玉焼き作ったり子供抱っこしたりしてるよ

お前も右脳左脳を使い分けてマルチタスクしろ

2025-01-02

追補編①

【前】anond:20250102212454

以下はすべて見苦しい言い訳である

ざっと振り返ってみたが、どの本も細部がかなり記憶から零れ落ちている。ほぼ記憶が頼りだから極めていい加減だ。アラフォー文学少年崩れなのでしょうがない。そして、当時感じていたひがみ根性を思い出して少し苦しくなってしまった。欲望コントロールに苦しんでいた若いころの感想なので、今になって読み返したらまるで違った感想を持つことだろう。知識も増えたし。

そのドロドロした感情の半分くらいは過去のものとなっている。近頃は心の闇が薄れてきた。これは加齢によるものだろう。読書の好みもすっかり変わってしまった。たぶん今読み返したら全然違う感想を持つはずだ。今となっては、モテない悲哀には昔ほど心が動かされないのではないか

モテない怒りというのは、自分プラス感情を渡したのにそれが返ってこなかったというのが根っこにあるのだろう。しかし、相手気持ちがどう動くかってのは相手自由意思なので、こちらの意のままになるはずなんてない。任意相手の心を開く万能の鍵なんてない。相手コントロールしようとするのは無駄だ。それで相手に怒りを覚えてしまうのは、共感的に深く理解できるが、己のわがまましかなく、こんなこだわりはどこかで捨ててしまわないと苦しい。

話を戻そう。前ほど心を動かされないと書いた。そのせいだろうか、読書量は変わらないが、小説を読む量も減った。

今の自分は、何を読んでも似たような感想になってしまう。結局、何を読んでも同じことを思い出すのではあるまいか。そして、前述の感想を見るとわかるように昔からそうだったのだが、自分境遇に引き寄せてしまって無数の誤読をしているはずだ。結局は自分が、我がどうこうという意識から離れられない。

しかしたら、凝り固まった大人になってしまったのかもしれない。過去エントリから大して感想進歩していない。そしていつの間にか、たとえば「女性作家とはこういうものだ」「この国のこの時代文学はすべてこうだ」という、偏見に満ちた思想自分の中でどんどん育っていっているのを感じる。気づいた範囲修正してはいものの、怖い。しかもこの半年ばかり、小説を読んでいない。

文学にすがらないと生きていけない段階を、幸福なことに脱したのかもしれない。どろどろとした感傷はすべて過去のものとなり、深い眠りについたようにも見える。それに、小説を読んで感情を揺さぶることが、メンタルヘルスに対してプラスなのかどうかも疑わしくなってきた。穏やかに、つらい出来事の起きないフィクションに移行したほうが、幸福なのかもしれない。クラークが「2001年宇宙の旅」で、最後に生き残ったデイヴィッド・ボーマン一人ぼっち音楽鑑賞をするのだが、オペラうんざりしてクラシックしか聞けなくなり、最後バッハにたどり着いたのを連想する。人間社会から離れた彼は悲劇の筋書きに対して、「常識を働かせれば解決策があるのでは?」みたいな感想を持ってしまう。そして、感情激流であるヴェルディレクイエムにひどく打ちのめされ、物静かで抽象的な音楽に向かうのだ。

それとも、文学は僕にとって生きていくうえで出会出来事への予行演習だったのかもしれない。今、何気なく「予行演習」と書いたが、これはかなりしっくりする表現だ。振り返れば、若い人間が生きるとはどんなことなのか先が見通せず、答えを得ようとしていたようだ。起こりうる様々な不幸に備えて心の準備をしていたのだろう。

いや、少し矛盾している。何を読んでも似た感想になってしまうのは、モテたいという気持ちがあった若いころもそうだった。感情で消耗するのに、単に疲れているのかもしれない。感情を動かされるのを避けていて、知識をいたずらに溜め込むことしかしていない。最近阿部勤也の中世の本や、ブルーバックス地質学の本を読んでいる。これはこれで楽しい

⑤で触れた「エタンプの預言者」みたいに、最近海外文学のあらすじを読むと、文学価値観の変化の速さに正直ついて行けなくなっているようだ。実感をもって何かを理解する間に、すべてがどんどん先に進んでしまう。おそらくこのエントリも古い価値観で書かれていることだろう。僕はもう世界には追い付けない。職場コンプライアンス違反にならないように表面を糊塗することしかできない。文学を読んで正しく真っ当な人間になろうとしたが、結局はあらゆる欲望から自由になれなかった。むしろ意識の高さは自己批判を強め、心のバランスを崩すことになった(余談だが、東大の有名な総長がタフであれと何度も言っていたけれども、心身の障害でタフになれなかった僕は苦しかった。また、十数年後の新入生式辞でジェンダーギャップについて述べたこれまた高名な社会学者がいて、これはニュースにもなった。理屈はまったく正しいし、性別による不平等や扱いの違いは僕も大嫌いなのだが、一方で新入生に私怨から祝福ではなく呪詛を浴びせたように思ったし、自分がされて嫌だったことを次の世代にぶつけているだけではないかと感じた。そして、そのせいで「自分入学できたのは性別理由なのか?」と、ものすごく努力していたのにもかかわらず、重篤インポスター症候群に悩まされることになった。愚痴は以上である)。

そもそも、なんで文学が好きになったのかを考えると、はじめは頭が良くなりたかたかなのだが、究極的にはそこに人間の愚かさが表現されているからだろう。そこにいれば自分のひがみっぽさや醜さを受け入れることができる。少なくとも同じくらい大きくてネガティブ感情を抱えた人間世界にはたくさんいるのだと慰められる。ダメなところを許してくれるのが文学だった。そんなものを読んでいても、大人は何も言わない。

文学が読めなくなった文学少年崩れになっても、はてな匿名ダイアリーから離れられなかったのも、それが理由だ。人間の偽らざる感情増田怪文書にはある。

ところで、僕は障害者であり、二級の手帳を持っている(ただし、弱者だと名乗るつもりはさらさらない。うちの大学卒業した連中の平均の給与の半分どころか三分の一ももらってはないだろうが、弱者男性とかブサメンとか非モテとかそんな看板を立てるのは正直に働いている自分プライドが許さない)。加えて、海外在住経験がある。にもかかわらず、社会派の文学にはほとんど心が動かされなかった。その多くで感情よりも理屈が優先されているからだ。政治的な主張がしたければ、直接論理的分析したほうがわかりやすいし、散文なら書く方も読むほうも時間が短くて済む。イデオロギーに縛られていては展開だって予測できてしまう。政治的作品面白いのは全体の一割だろう。最後まで読みたいだけの魅力が薄い。

余談になるが、そういう意味でも、現代アートで深く刺さる作品は少ない。知的には面白いと思っても、心を動かされ、性欲を刺激され、あるいは激しく嫌悪し、内臓理屈を超えて震えるのが、僕にとっての芸術だ。一昔前の表現でいうと前なら左脳ではなく右脳が刺激されるような作品がいい。ルネサンス近世西洋画のように、シンボルを読解するのはそこまで心が動かされない(ごくごく一部の高度に知的作品、持てる知識を総動員しないと面白くない作品を除く。これは全力で取り組まないといけないため、別の良さがある。ジョイスとか円城塔とかエーコとかね)。そして、優れているのに、言語化が困難なもの評価が一番高い。その点、マグリットの、言葉遊びによる対象の置き換えをモチーフにした作品はピンとこなかった。理詰めで説明がたやすいのは良くない。

もっとも、あらゆる芸術の九割はそもそもさらないというのは、普遍的法則である可能性がある。なんであれ、世間がどう言おうとも、作品を好きに読んで好きに解釈する自由は、失われてはならない。唯一の正統的な解釈があるのはつまらん。「丁寧に読解しろ」ってのならわかるけど、どんなものであれ上から押さえつけられるのは相手が正しくても嫌いだ。人間にはどんなに歪んでいても、そして不道徳であっても、正直な気持ちを話せる心理的安全性担保された場所必要だ。そして、相手世間的に正しいとされていると、こちらは反論できないし、反論すること自体批判される。だからキレて暴れるしかない。正しさへの嫌悪ってそういうことなんじゃなかろうか?

ときどき、「どんな理屈をこねるよりも、目の前の相手に敬意を払うにはどうすればいいのかという実践にの意味があるのでは? 知識は参考にしかならんのでは?」って疑念が兆す。それとも、こうなってしまったのは文学に対して心を閉ざしてしまたからだろうか? だから前ほど心が震えなくなってしまった。だとしたら寂しいことだ。

近頃、文学に対して心を閉ざしているとしたらなぜだろう? 政治の季節は理由ではない。他に理由がある。僕は実はかつては小説家になろうとしていた。名作に手を出していたのはそれも理由だ。最終選考まで行ったこともある。だが、その願いは叶いそうにないと気づき、怒りから小説から遠ざかった。

同じ夢を持っていた友人・知人がデビューするのも見てきている。現代作家を読まなかったのもそれが一因だ。自分のほうがいいものが書けると傲慢にも思いこんでいたからだ。彼らの作品を読むと、そんな思い上がりは雲散霧消するけれどね。

今でも、数か月に一度目を覚ます飢えがある。発作的に何かを書きたいという欲望だ(実際、こうやってちょっとした短編小説くらいの長さのエントリを書いていてすごく楽しい。じゃあ増田じゃなくてブログでやればいいんだろうが、少なくとも同レベルエントリ継続的に書けない。なぜならこの文学全集を読むのに十数年かかっている。こういうネタは量産できない。このエントリでいったい何冊の本に言及してるんだ?)。

しかし、最終選考の講評ではボコボコ批判されたし、これ以上自分気持ちを書いても自分幸せにならないと、諦めがついたはずだった。それに、小説感情の垂れ流しではありえない。読者を楽しませる必要がある。少なくとも読者の受けるであろう感情計算せねばならない。加えて、デビューした友人はものすごいインプットをしている。これは認めないといけない。活字を読む量は僕のほうが多いが、それ以外に漫画だとかソシャゲだとかエロゲとか映画とか、とかくジャンルを超えて摂取しているものが多い。例えば現代女子高生を魅力的に書くには、そのキャラかわいいことと、リアルティーンエイジャーとしてありそうかという軸がいるが、僕にはどちらもできない!

2024-12-31

anond:20241231010802

アスペルガーじゃない?

感性が合う人と付き合うほうが増田幸せだと思う。右脳人間左脳人間は合わないんじゃない。

女の私でもいちいち映画感想求められたら疲れる。返事する増田彼は結婚向きだし優しい。

2024-12-18

右脳を楽しませるために楽しく絵を見たいのに、左脳が出しゃばって美術鑑賞しようとする

わかる?

もう頭を空っぽにして、ただ純粋に絵を楽しみたいのに

それでは美術を鑑賞したことにはならない、

とかって左脳が出しゃばってくるの止めてほしいんだけど。

って、これオレの脳内問題だよな。

本来はね、両方のバランスが取れてこその美術鑑賞なんだろうけど。

どうにも片一方に偏っていきがちだよね。

相方とか、「わあーきれい」とか「かわいい」とかって、

純粋芸術を楽しんでて羨ましい。

なんでおれは、こんな頭でっかちなつまらない大人になってしまったんだろうか……。

2024-10-13

anond:20241012211626

情報処理能力バランスに偏りがあるんだよね。

扁桃体による好き嫌い判定や、

海馬記憶するしない判定や、

右脳左脳連携部分などで、過敏な部分と鈍感な部分が混在する状態

2024-09-01

コミュ障目線から見た感想

リスク⑦】ご近所付き合い不足

孤独は脳の大敵

私のクリニックに相談に来られる方々の話を聞いていると、年々「ご近所付き合い」が少なくなっている様子が伝わってきますマンションの隣に住んでいる人の名前も知らないという人もいて驚かされることもあります

内閣府が毎年行う「社会意識に関する世論調査」の令和5年11月調査の結果によると、「地域での付き合いをどの程度していますか?」という質問に対し、「よく付き合っている」と「ある程度付き合っている」を合わせ、「付き合っている」と回答した人は、40代で42.7%、50代で41.5%と、4割強となっています

ご近所付き合いに代表されるような、日々の“ちょっとしたコミュニケーション”は、人生の後半を何倍も豊かなものにしてくれます。その反面、こうしたコミュニケーションのない生活は“孤独”です。

孤独な状況で「好奇心」が芽生えることはありません。孤独は脳にとって大敵なのです。

男性に限って言えばご近所づきあい不足はうっすらと男性自身が嫌われていることではないかと思われる。

嫌われることがなくなれば、孤独は解消しやすくなる。

リスク⑧】自己肯定感の欠如

日本という独特の忖度社会

自己肯定感」という言葉が、今やごく一般的に使われるようになりました。自己肯定感とは、「自分自身価値を認め、存在肯定する感覚」を指しています

私のクリニックにも近年、自己肯定感が持てないどころか、「自己否定感」に悩まされている方がたくさん訪れます自己肯定感の欠如というと、若い方の問題と思われるかもしれませんが、実は、中高年の方にもたくさんいます)。

自己肯定感を持てない人が急増している一因に、日本という国の特殊環境があるのではないかと私は考えています日本ほど、さまざまな人間模様や上下関係が複雑に絡み合って、忖度(そんたく)が生まれ社会はありません。

自己肯定感が足りないと、左脳感情ますます鳴りを潜め、さらに自信がなくなって、外の世界に目を向けることに不安を感じるようになります。内向きになって狭い世界に閉じこもるようになってしまえば、好奇心が失われることは必定です。

女性アプローチしたら、既読無視。声を掛けたら、セクハラ解雇

イベントバーや何かしらの集まり女性に声を掛けたら、即できん。

かといって男同士は何となく抵抗があるし、お互いがお互いを嫌ってるので、仲良くなること自体難しい。

ff14というゲーム内で目的に向かって動くのである程度顔見知りになることはできるが、何かを発言したら、モルボル率いるコミュニティチームによってBANされる。

そうでなくともさらされる。

常に周りに気を使っていなければならない状況で自己肯定感なんて生まれるわけないし、抑圧しねえとお賃金が得られないんだから抑圧するしかねえよ。

https://www.msn.com/ja-jp/health/other/%E4%BD%93%E3%81%AE%E7%96%B2%E3%82%8C%E3%82%88%E3%82%8A%E3%82%82%E3%81%A3%E3%81%A8%E5%8E%84%E4%BB%8B-%E8%84%B3%E5%86%85%E7%A7%91%E5%8C%BB%E3%81%8C%E6%8C%87%E6%91%98-45%E6%AD%B3%E4%BB%A5%E4%B8%8A%E3%81%AB%E5%A4%9A%E3%81%8F%E3%81%BF%E3%82%89%E3%82%8C%E3%82%8B-%E8%84%B3%E3%81%AE%E6%A9%9F%E8%83%BD%E4%BD%8E%E4%B8%8B-%E3%82%92%E6%8B%9B%E3%81%8Fng%E7%94%9F%E6%B4%BB%E7%BF%92%E6%85%A3

2024-08-22

なんで風呂キャンセル界隈が顕在化しているのか考えてみた

「入浴時、左脳の血流量増加による反芻思考過多に起因するストレス疲労感、の経験回避」という仮説。

シャワーは浴びるけど入浴はしない。という状況を風呂キャンセル定義

入浴時、身体が温まることで血流が全身に巡り、特に脳への血流量が増加する。

左脳言語論理的思考を司り、入浴中の血流量増加に伴い、左脳活動が活発化し、自動思考勝手に瞬時に起こる考えやイメージ)や

反芻思考ネガティブ出来事を繰り返し思い出して悩んでしまう考え)が誘発されやすくなる。

入浴時は基本的に、注目する対象が少なく、自分と向き合うことになりやすく反芻思考自動思考を止めづらい。

反芻思考の過剰な活性化は、ストレスホルモンの分泌を促し、結果的ストレス疲労感を増大させる。

このような経験回避するために風呂キャンセル無意識選択する。

これに、仕事や勉学、家事育児などの生活全般の疲れや、電気代ガス代水道代がかかるから、入浴時間が惜しいなど理由が合わさって、

風呂キャンセルが起こると思う。

考えられる対策アロマキャンドルなどの火や光への集中。アロマ香りによるリラックス効果、安眠効果鎮静効果

2024-07-12

パズルゲームしてるとき、なんか夢を見る。

一緒に暮らしているパートナーとは週末にパズルゲームをする。

ぷよぷよとかテトリスとかそーゆー系の。

2人とも強さのレベルがそこそこ同じなので、接戦になって楽しい。つい、何ゲームもやってしまう。

どこに何を組み合わせるか。それを考える時の私は左脳積極的に使ってるのだろう。空いた右脳が、暇すぎて記憶の整理を始めるのかゲームに熱中するほど謎の映像が見えてくる。

 

昔住んでいた駅の光景が、夢を見てる時の感覚で浮かんでる。理由不明だけど何故か駅であることが多い。今まさにパズルゲームを解いてるのに、ぼんやり映像が見える。

 

同じような人、いるのだろうか。

2024-07-06

anond:20240705232458

「逆です」とはなんぞや、

何が「正」で何が「逆」なのか

わからん、俺の国語力がお粗末なのか、いくら考えてもわからん

なにをもって、何を意図して「逆です」が出てくるのか、ガチわからん

 

いや、ぶっちゃけわかる

「大昔なら傾斜地も意地でも余さず棚田にしていたが」

を、脳内でこのように変換したのだろう

「大昔なら傾斜地(は利水が不便にも関わらず)意地でも余さず棚田にしていた」

 

んで、やーいやーい、無知め、うふふ、僕が正しい農業技術を教えてあげるよ

から

「逆です」

 

キチガイかよw

しかも、元増田はそーゆー連中を揶揄した記事にも関わらずだ

「どのジャンルでも知ったかぶってデタラメ述べ放題だったな」

 

このセンテンスは「勝手誤読&斜め方向知識ひけらかし」も含まれていると解釈するのが自然であろう。

 

それでもだ

「逆です」だ

 

まぁそもそも読んでもないのだろう

右脳フィルターで「大昔なら傾斜地も意地でも余さず棚田にしていたが」

ここだけ切り取られ

左脳変換器で

「大昔なら傾斜地(は利水が不便にも関わらず)意地でも余さず棚田にしていた」

と処理され

脊髄反射キーボードを叩く

 

すげぇよすげぇよマジすげぇよネタかよw

2024-05-31

anond:20240531205827

右脳左脳は別人だってユヴァル・ノアハラリが書いてた気がするし、

他人と脳やら意識やらを直結しても意外と大したことないんじゃない?

どこかの非人道的な国は人体実験してそう

ムカデ人間よりは人道的だろうか

2024-05-12

働きながら毎日料理する30代夫が、料理をする魅力を語る

私は今32歳で、子供は1歳3ヵ月。妻は専業主婦をしている。

料理基本的に私の担当だ。妻は子供離乳食だけ作る。

今は旦那さんが料理することも多いのだろうが、仕事をしながら毎食しっかり作っている、という話をすると、驚かれることが多い。

と言うことは、こういう生活スタイルは、まだあまり一般的だとは言えないのだろう。

自分料理担当して、3~4年くらいになる。

元はというと、(無自覚だったけれど)自分はかなり食にうるさい方だったらしく、

おいしくないもの我慢できない。それがプレッシャーになる、ということで、自分料理をするようになった。

ただ料理(食事)が好きなだけじゃん、と言えばそれまでなのだが、

別に元々自炊する習慣がついていたわけではない。学生時代や、社会人生活最初の方は、かなり適当食生活をしていた。

必要になってやり始めて、だんだん面白くなってきたのだ。

から、今回の話は、必ずしも生まれつき料理好きな人にだけ当てはまる、というわけではない、と思う。

自分料理をする上で、最もいいな、メリットだな、と思っている点は、

家での料理が、「一石多鳥」である、ということだ。

自分そもそも合理的な行動が非常に好きなので、料理という一つの動作で多くのメリットを同時に実現していることを思うと、それだけで嬉しくなる。

自分料理をすることのメリットは何か? 挙げていけば、下記のようになる。

節約になる。

健康になる。

③好きなものが食べられる。

④食への理解が深まり、味覚をより探求できる。

趣味としてのリラクゼーションになる。

仕事でのタスク遂行能力が上がる。

⑦妻に喜ばれる

以下、順番に説明する。

節約になる。

これは言わずもがな、だ。一部には、「自炊お金がかかる」と言っている人もいるようだが、そんなわけはない。

短期的に見れば、確かに一定の初期投資必要かもしれないが、一旦ルーチンが確立してしまえば、中長期的なコストはどう計算しても自炊の方がやすい。わざわざ計算式で表現するのが馬鹿らしいほどだと思う。

料理器具などについての議論は一旦おいておくとして、ぜひ注目してほしいのは、「保存の効く食材について」だ。

ある程度料理をするようになるとわかるが、案外、日常的な料理日本人使用する食材調味料レパートリーは限られている。

また、そのレパートリーを大別すると、

(a)生鮮食品のように足が早いもの・・・肉、魚、卵、葉物野菜牛乳ヨーグルト、など。

(b)ある程度日持ちのするもの・・・玉ねぎジャガイモにんじんねぎにんにく生姜昆布鰹節味噌醤油、酒、ワイン蜂蜜、塩、砂糖コショウ、その他種々の調味料、など。

となる。

ポイントは、(b)に分類される、日持ちのする食材のうち、特に根菜類を、例えばイオン場合であれば火曜市などの安価に入手できる日に、

常に一定数以上確保しておくようにすることだ。

(b)の分類の食材が常に冷蔵庫ストックされており、調味料なども揃っていれば、

あとはその日の気分次第で、適当に(a)分類の生鮮食品と組み合わせて調理する。

肉類も、日によって、この日は豚ロースが安い、この日は鮭が、などと変わっていくので、

特別なこだわりがなければ、こうした特売に合わせて食材をチョイスすると、より割安に材料調達できる。

こうした方式を導入すれば、仮に一人暮らしだったとしても、食材無駄にせず、常にジャストな分量の食事を、最も安い価格で実現することができるはずだ。

健康になる。

これについては、妻の嗜好をかなり取り入れたところがある。今となっては、むしろ出来合の食事を食べることがかなりストレスになってしまい、一食でもコンビニ食などで済ませるのは、非常に嫌になった。

野菜を取りやすい、というのは当然そうだ。

しろ調理済みの惣菜や、飲食店食事で、一日に必要野菜摂取量を十分に確保することは難しい。

また、これは料理をするようになって気づいたことだが、

調理済みの食品には、大抵の場合、多くの食品添加物使用されている。

昔は食品添加物など「そんなシャラ臭いこと気にしてられるか」という印象だったが、今はほとんど全ての買い物で、食品成分表示確認するようになった。

具体的に、何は取るべきではなく、何は取ってもいい、という情報はあまりにも細かな話になってしまうし、自分自身でも完全に把握できているわけではないので、立ち入らない。

が、実際にコンビニスーパーなどで普通に販売されている食材の中にも、専門的な見地から見て十分に安全とは言えない添加物が多数使用されているようだし、

加工食品をあまり摂取しない生活の方が、(少なくとも主観的には)体調がいい状態で日々を送れているように感じる。

また、砂糖や油などの、体調への影響度が大きい成分についても、

自炊をする中で、それぞれの分量や性質自分の体調に与える影響の度合いを、実経験観測していくことができる。

こうしたPDCA自炊をしていると自然と回るようになるので、自然ダイエットにもなり、体調管理もつながっていると思う。

③好きなものが食べられる

これも当たり前と言えば当たり前だが、自炊による料理のおいしさ、という点では、個人的にはYoutube以前と以後で、自炊を巡る状況は大きく変わっている、と思うのだが、どうだろうか。

コロナ以前の、あまりYoutube上での料理動画が充実していなかった頃は、ホットクックを見るか、料理本を見て作るか、くらいが基本的選択肢だった。

ホットクックは玉石混淆だし、料理本は色々試すにはハードルが高く、またレシピ通りに作っても必ず美味しくなるわけではない。

また、いずれの場合でも、レシピだけを見て作っていると、料理の背景に、ベースとなる基礎があることが理解しにくかった。

その点、例えば食材の切り方一つ、食材の投入タイミング一つでも、動画で示されれば、そこで用いられているテクニックは一目瞭然だ。

また、「これは本当にすごいな」という、作って感動するレシピがかなりたくさんあるのもYoutube料理動画凄さだと思う。

誰の料理が好きかは好みが分かれるところだろう。個人的には、コウケンテツさんは、このジャンルでは本当の天才だと思う。ほとんど全てのレシピ動画に、味という観点だけでなく、作りやすさ、シンプルさ、という観点からも、驚くような工夫が凝らされている。毎回非常にクオリティが高いのに、ありふれていない。単純に仕事として憧れるところがある。

Youtubeがあることは、今から自炊を始めることの大きな理由の一つになるのではないか

④食への理解が深まり、味覚をより探求できる。

上記のように、Youtube動画ちゃんレシピ工程確認しながら多くの料理経験していくことで、料理全般を下支えするセオリー体感にわかるようになってくる。

例えば、

 ・料理において、塩はどのような役割を持っているか

 ・どのようにして旨味を構成するか?

 ・〇〇の食材には、どのような調理法が、なぜ合うのか?

 ・〇〇の食材は、季節によって味がどう変化するか、いつが美味しいのか?

 ・なぜこの順序で食材を投入するのか?

 ・この食材で風味づけする意味は何か?

など、無数に論点がある。

もちろん、素人なので、こういう事柄について体系的にわかっているわけではないが、それでもかなり感得できるところがあるのは確かだ。

このことによって、例えば外食に行った場合も、

「なぜこのような料理の仕方になっているのか」「この料理のうち、何がユニークなのか?」「なぜこれが美味しいのか?」などを考える上で、それを言語化し、考えるためのヒントが自分の中で非常に多くなる。

また、それに対する考察が、日常料理にもフィードバックされるために、自分家族の食の経験がより豊かなものになっていく。

これは、とても創造的で、面白い頭の使い方だと思う。食をよく楽しむと、「ああ、人生を豊かに楽しんでいるな」という気に、ふとなる瞬間がたくさんある。

趣味としてのリラクゼーションになる。

これも、個人的にそう感じる、というレベルのことに過ぎないかもしれないが、料理食材は、「人間自然との強力な接点の一つ」だ。

この前たまたま流れてきた動画の中で、養老孟司さんが、

サラリーマン一年のうち3ヶ月は田舎に行って農作業をするべきだ」

というようなことを言っていた。

これは、人間は(人間以外の)自然に触れることで、人としての自然なあり様を取り戻せる、などというような話の文脈で言っていることのようだったが、

やはり現実的にはこれはなかなか難しい。

一方で、都会に暮らしていると、自然に触れることによって自分の心身が整えられる感覚があるのも、自分としては実感するところだ。

料理は、一つの自然である、と考えることもできる。

例えば、食材を茹でている鍋の中で、いろいろな食材の色を眺めていると、何となく癒されるものがある。

また、料理をすれば、その色彩を眺めるだけでなく、実際に手で触れ、匂いを嗅ぎ、それを味わう、という、五感総合的に用いたプロセスを、自然経験する。

これが、日常生活を生きる上での、癒しになっている面は非常にあると思う。これは、例えば電子機器などが介在するような趣味とは、少し異なる位置づけの趣味として考える必要がある。

仕事でのタスク遂行能力が上がる。

料理は細々したタスクの積み重ねだ。日々確実に、決まった時間に、下記のような要素を十分に考慮した料理提供する必要がある。

 ・おいしさ

 ・栄養

 ・原材料費

 ・材料調達(買い出し)

 ・家族の好み(カスタマイゼーション)

 ・新規レシピの導入

 ・在庫管理

 ・洗い物の段取り

これらの左脳的なタスクも、非常に奥深いものがあり、上記を同時に達成するためには、細かなオペレーション上の工夫や、機材の導入などを適切に行なっていく必要がある。

私自身は一介の勤め人だが、上記のようなスキルは、一般経営者が求められる全般的なスキルと通ずるところがあるのではないか、と思う。実際に、経営学等における考え方を、日々の料理管理活用している部分も色々ある。

こうした事柄について改善を行うためには、個々の作業をただ行うだけではなく、全体の工程俯瞰した上で、このプロセス全体を創造的に組み替えていく必要がある。

ここまで色々語っているが、自分料理に実際に日々費やしている時間は、平均で30分程度のものだろうと思う。

このような工夫を継続的に行うことで、「涼しい顔をして高品質アウトプットを出し続ける」ような仕事の仕方を、多少なりとも身につけることができつつあるのではないか、と思っている。

⑦妻に喜ばれる

結局、これが一番大事だ。

よくある言説として、「時給に換算するとこれは〇〇円だから外注した方がいい」などというものがある。

かに資本主義原則から考えれば、原則的に自給自足は不合理であり、分業こそ正義、というのは、理論的には正しいだろう。

しかし、近頃子供も産まれ、よく考えることは、

自分がすることのうち、何を内部化し、何を外部化するか、ということは、生き方のもの規定する哲学だ」ということだ。

それこそ原理から言えば、ありとあらゆることを外注化することができる。

料理外注化すること、子育て外注化すること、(仮想的に)家族・友人を外注化すること、(パッケージ化された娯楽を楽しむという点で)趣味外注化すること。

技術が発展すれば、例えば「息をする」というようなことも外注できるだろう。

原理を考えれば、デカルト式に、「我思う」以外の事柄は、全て外注可能である、と言うことができるかもしれない。

しかし、やっぱり自分はそういうあり方には、本質的な喜びはない、と思う。

食事を作り、家族と食べる、という行為は、「息をする」のと同じカテゴリーに入る、自分に属する行為だ、と、今の自分は感じているらしい。

まあ、どこにラインを引いていくかは、人それぞれだ。それが生きる姿勢の反映ということだと思います

2024-02-10

右脳左脳と右顔左顔の関連の話はややこしくて苦手

表情は、脳の右半球で生産されたものは顔の左側に、左半球で生産されたものは顔の右側に、よりはっきり表れるはずである

『少数言語としての手話斉藤くるみ


この文を読んで、わけわからなくなってしまったので整理する

脳は頭上から視点で、顔がある方を上に置いて、右と左に分けて呼ぶ

顔は他者視点で直立の人を見て、右と左で分けて呼ぶ

から他者視点で直立の人を見て、左側(左顔の方)にあるのは右脳、右側(右顔の方)にあるのは左脳

よしよし、絵を描きながら情報を整理し、頭の中で人間の3Dモデルグリングリン回して視点方向を変えて想像して何とか理解できた

でも疑問に思ってきたんだけど、これって頭上から他者視点の左右と、主観視点の左右ってどっちが呼び名として優先されるんだ

右腕は上から見ても主観視点でも右側にある

背中左側に腕の付け根があり、腕は背後を通って右側に伸び、主観視点では右側に手が出ている動物がいたら、そのうでは右腕なのか、左腕なのか

頭の中に何体もバケモンみたいな生物を思い浮かべながら、この場合は右腕なのか左腕なのかと考えていたら、2時間くらい経っていた

2023-12-07

anond:20231206212125

血液型とか星座占い、SかMか、右脳左脳…何かと属性分けとかアイデンティティ確立させたいのか若い時ってこういうので遊ぶけど、性自認属性をそのノリでやってたんだろうな。

2023-11-29

人間パラメータレーダーチャートを作るなら

まず人としての能力を六つの項目で六角形のチャートにするとして、

から時計回り

 

①知能:人間人間たる要素として最重要知識ではなく知能。論理的思考力。IQ左脳の強さ。

感覚:いわゆる芸術的センス音楽でも美術でも、人と違うオリジナル感覚を持っているほど高い。右脳の強さ。

容姿:顔、身長スタイルなどあらゆる容姿

運動:単純に運動能力基本的に鍛えれば伸びるが、加齢による衰えも大きい。

健康生物として最重要の要素。病気の有無の他、脳以外の内臓機能の強さ。

精神:折れない心。誘惑への耐性。感情コントロールし、失敗を恐れず、目的遂行するメンタルの強さ。

 

上記の六項目の総合でだいたい人間としての強さが測れると思う。

いわゆる経済力収入はこれらの能力相関関係にあるが、人間力を正確に計る数値としては適さない。

あとはメガテンみたいにLAW-CHAOS能力とは別軸の属性としてあるだろう。

 

ちなみに、俺の自己評価10段階で

①6(MARCH卒)

②2(芸術センスマジでなし。人並み以下)

③3(顔フツメンだが低身長

④3(スポーツ経験0ではないが人並み以下)

⑤5(そんなに病気もしないし酒・タバコもやらんし人並みかな)

⑥6(ポジティブ思考で鬱々とすることがないので、平均よりはストレス耐性高いかなと思っている)

くらいかなと思っている。

2023-10-07

男の性欲が怖い

何するか分からないし、突然襲いかかる人もいる。痴漢もする。多目的トイレに連れ込まれる。平気で売春する。不倫する。避妊しない。

良いことがほとんどない。子供を作るためだけにセックスできないのだろうか。男って理性的論理的と言われてるのに(左脳)、性欲に限っては理性的じゃないんだね。

痴漢されると思うと電車でもみんなが敵に見える。ナンパも怖い。力が強いから勝てない。

男の性被害も、男がする。ジャニーズのように。これも性欲。性欲が社会を、芸能界支配する。

男の性欲が悪い。悪すぎる。男も性欲をなくしたいと言っている人がいる。賛成。どんとんなくしてほしい。そういう薬を開発するべきだ。平和のために。

男の性欲をなくしたくない勢力がいる。性欲に囚われている男たちが。性欲が生きがいの男たちが。性欲で稼ぎたい男たちが。性欲は金になる、権力になる、支配の道具になる。だから性欲はなくならない。

男の性欲は暴力と繋がる。暴力性のない性欲を身につけるべきだ。手足を縛るべきだ。女が許可した時だけ手足の枷を解かれるべきだ。男の性欲は女が管理すべきだ。

2023-06-28

anond:20230627173604

女に理詰めで説明すること自体無理ゲーやろ。左脳壊れてる奴がほとんどなのに。お気持ちで説得する方向性が正しい

2023-02-05

anond:20230205013427

頭使ってないか左脳が退化してしまってないんだよ。右脳だけ残ったチンパンジー

チンパンジーだらけのはてなに何を期待しているんだ?

2023-01-16

anond:20230116173713

細かな事柄に対して、いちいち感情が反応してしまうからなんじゃない?

右脳左脳脳梁が太いということは、そいうことで。

2022-12-09

右脳左脳のどっちかを機械に置き換えて問題なかったらもう片方も置き換えれば意識連続的に機械に移せるんじゃないかみたいなことをカワンゴとホリエモンが話してたが。

その話の中で「だって事故右脳だけになっても普通に意識あって生きてる人とか生きてるじゃないですか」と言う例で御説に説得力持たせようとしてたどそりゃ違うと思うわ。

もう左脳を飛ばされた時点でそいつ基準とした「私の意識」は永遠にとぎれてるかもしれないじゃん。覚醒した意識はもうスワンプマンであって瓜二つの別人かもしれないってわけよ。

周りが問題なく生きてるように見えるからって自分がそういう選択迫られる立場になったら考えちゃうよな。

永遠に生きられるようになる可能性もあるが、その時点で死んでしま可能性もある(のちにはスワンプマンという形であなたの代わりの誰かがのうのうと生きるだけ)。」さああなたはこの技術を利用しますかってさ。

実存という観点問題になってくるのは、周りの人間がどうなってるか論じようとしてもそれはハードプロブレムだから気にするだけ野暮というわけで、つまるところ自分意識永遠消失=死を回避できるかどうかという問題なんだよな。人間である上本源的に自分死ぬことは避けたいわけだから

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