はてなキーワード: 車掌とは
鉄道会社勤務だけど迷惑行為やカスハラは体感でも男性の方が多いし、カスハラのような迷惑行為は男性の方が多いのはデータにもなってる。
ただ女性の迷惑行為、トラブルも経験したし、男限定で人を嫌って男全体を悪く言う、というのが自分の感覚だとよくわからない。
「駅員時代、おばはんが見知らぬ若い女性に絡んで携帯で写真を撮ってまわりに咎められたら騒いでいると通報があり現場へ。撮影は認めたので注意して削除をお願いしたら後日被害者面で後日クレームを入れられた。」
「駅員時代、サービスに関する文句をホーム立ちの最中にずっと言われて、本社お客様センターをご案内するもおさまらない女性に遭遇。ホームの安全確認中と説明しても引き下がらない。立会が車掌に旗で乗降終了合図、閉扉確認合図を出す駅だったため作業の妨げになった。」
「駅員時代、周りを見ないで走って人にぶつかって、ぶつかった人に逆上して文句を言う女性に遭遇。その場を見ていたので注意したが私は悪くない、相手がぶつかってきたと主張。ぶつかりおじさんのおばさん版みたいな人。」
「車掌時代、女性専用車に男性がいて、その男性を車両から降ろせという女性に遭遇。法規で決まってもいないので男なら乗ってはいけないまでは言えず降ろせもしないし、体の不自由な男性などは乗ってもらって構わないと公式に表示しているなど事情もあり、男性が乗車するときもあると説明したら怒りだされた。」
「車掌時代、ぶつかった、ぶつからないで女性専用車で女性同士が車内で喧嘩をしてお互いに引かないため、車内で対応。駅に応援を頼んだが両方降りない。警察を呼べと言われ、警察を呼ぶよう駅に頼んで、ここでようやく両方降りることに同意したので運転再開。電車は遅延。」
「運転士時代、酔って車内で嘔吐、尿や便も少量漏らしていると他の利用者から報告。乗務員室を施錠し現場に行って駅に伝え駅の方と掃除。しかし糞尿が漏れたまま目的の駅までは行くと言って降りず席から立たないから駅ではゲロしか掃除できない。その後その人が降りたタイミングでまた乗務員室を施錠してその場所に行って簡易掃除と上から座らないよう掲示はりつけ。そのせいで電車遅延。」
など酷い目にあったことがあるし、こういうトラブルの時に男性が対処、対応に協力してくれたこともあるので、男性だけ嫌いになるというのもどういうことなのだろうと思った。
大きい駅や混雑する路線なら、本当に多種のトラブルに遭遇するため、カスハラや迷惑行為は男性が多いとはいても中には迷惑な女性客や協力してくれる良い男性客を引くことも絶対あるだろうから。
自分は「迷惑客」 「カスハラする客」 「クレーマー」がとにかくこの仕事してから余計にすごい嫌いになったが、そういう人を嫌いになるのではなく男性全体を嫌ったり悪く言うのは認知のゆがみがあるのではないかと思う。
男性でもいい人もいるし、女性でもこういう衝撃のやばい人もいるんだから。
もちろん、カスハラなどは男性の方が多いので、嫌いになる客は女性より男性の割合が高くなるというのもわかる。
でもだからといって迷惑な女性やカスハラする女性、良い男性も中にはいるんだから、男性全体(または女性全体)に性別で決めつけてヘイトを向けてはいけないなと思う。
今は現場離れてしまったけど現場で駅員、車掌、運転士を数年ずつ経験していたときを振り返っても、性別で決めつけてヘイトを向けるのはやはり何か違うんじゃないかな、理解できないな、認知がゆがんでるんじゃないかなと思った。
年配の車掌さんがなのかの手と間違えて髪と握手してるの何度見てもおもろくて未来永劫笑ってる
https://www.youtube.com/live/xEgzvv1x9pM?si=a1eCBaB4xDcUOfbN&t=141
https://x.com/TKN_1532/status/1874015992403419325
帰省するのに京都から新幹線に乗車。窓側A席の座席を確保していたが自分の席に子どもが座っていて横にいた親に声をかけたら『家族で並んで座りたいし子どもに外の景色を見せたいから変わってほしい』と言われた。その家族はB/C/Dの席で俺にD席に座れと言う。当然、断ってどけるよう言った。
俺は真ん中のB席は気を使うし通路側のC/D席は立客が気になるから窓側を確保したんだしコンセントも欲しい。そもそも俺が確保した座席だし縁もゆかりも無い他人の親子に譲る理由もない。なので退けるよう強めに言ったが逆ギレされた。父親が自分たちの言い分ばかり主張してくる始末。
父親の大声が他の乗客にも迷惑になりだして母親にそれすら俺のせいにされていたら乗務員がやってきたので事情を説明したら、乗務員が正規の場所に座るよう言ってくれて従わない場合は次の新大阪で降りてもらうことになると強く言ったことで父親が渋々D席へ移り母親と子供がB/C席へ座った。
新大阪到着前に無事に自分の座席へ座れたので、上着を脱いで荷物を荷物棚に乗せてスマホを充電してヘッドホンをしたら横の子供がこちらへ身を乗り出してきて外を見ようとしてきたのでブラインドを下ろしたら少しぐずったがしばらくしたらおとなしくなった。
家族が下車する岡山まで父親はこちらを睨み続けて母親は子供に俺の悪口を言っていたようだが気にもせず過ごしていた。色々と迷惑な乗客の話は聞いていたが、自分が遭遇するとは思ってなかった。こういう場合、譲る人は譲ればいい。けど、俺は譲らない。
家族で並んで座りたいとか窓から外を見たいならちゃんとそれができる座席を確保すればいいだけ。俺は自分の望みをかなえる座席を確保した。あの家族はそれらを捨ててでも乗りたい時間の列車に乗って座るということを優先したまでのこと。#新幹線 #車内トラブル #迷惑客
これどっちが悪いんだ
アンチフェミがよく使う言葉で、女嫌いの女体好きという言葉がある。要は女の性格と身体が合わさった"女性"は嫌いだけど、自分の言いなりになってくれる柔らかい女体と胸とマンコと膣と喘ぎは好きということだ。
これを見てるのが女子なら女嫌いの女体好きを「うわ…」ってなって当然だろう。ところが、これを男も女も関係なく体験できる場所がある。
企業を経営するうえで経営者側の視点に立つと、人件費は抑えたいものである。身近な例だと鉄道ならば車掌のいないワンマン運転が最近多いのもそういうことである。
鉄道といえば最近は組合活動もあまり聞かなくなった。組合活動やストをする人というのは経営者側の視点だと"反抗する性格を持つ人間"ということになる。そういう人間は鉄道会社ならクビや左遷や嫌気がさして退職などで潰されてゆく。国鉄分割民営化も労組潰しの意図があったという。そして会社に残るのは会社や経営者側に従順で、洗脳された従業員だけとなる。
ここに、"反抗する「人間」は嫌いだけど、黙って言う事を聞いてくれる労働力としての人体は好き"という経営者側の考えが透けて見える。ヤリチンからみた「女性」の部分はいらないが、「自分の言いなりでアンアン喘いでくれるあったかオナホとπ」はほしいというのは、経営者からみた「従業員の性格」はいらないけど「知能つきで経営者に従順な手足と目と耳」はほしいというのと何ら変わらないのだ。
残念なことに、中小企業では当たり前だし、大手企業でもこういう考え方の偉い人は非常に多い。
ロボットアームを導入するよりも人件費のほうが安価になるような職業ではこれがよくある。
まずは洗脳されないようにすること。はい◯◯(企業名)様ありがとうございますと言い出すレベルなら手遅れである。そうでないなら、ひとりで入れるタイプの労働組合に入ろう。あとは別に労組でなくてもよいが、似た境遇の仲間を見つける。
女嫌いの女体好きという言葉がある。要は女の性格と身体が合わさった"女性"は嫌いだけど、自分の言いなりになってくれる柔らかい女体と胸とマンコ膣と喘ぎは好きということだ。
これを見てるのが女子なら女嫌いの女体好きを「うわ…」ってなって当然だろう。ところがこれを男も女も体験できる場所がある。
企業を経営するうえで経営者側の視点に立つと、人件費は抑えたいものである。身近な例だと鉄道ならば車掌のいないワンマン運転が最近多いのもそういうことである。
鉄道といえば最近は組合活動もあまり聞かなくなった。組合活動やストをする人というのは経営者側の視点だと"反抗する性格の人間"ということになる。そういう人間は鉄道会社ならクビや左遷や洗脳などで潰されてゆく。国鉄分割民営化も労組潰しの意図があったという。そして会社に残るのは会社や経営者側に従順で、洗脳された従業員だけとなる。
ここに、"反抗する「人間」は嫌いだけど、黙って言う事を聞いてくれる労働力としての人体は好き"という経営者側の考えが透けて見える。ヤリチンからみて「女性」の部分はいらないが、「自分の言いなりでアンアン喘いでくれるあったかオナホとπ」はほしいというのは、経営者からみた「従業員の性格」はいらないけど「知能つきで経営者に従順な手足と目と耳」はほしいというのと何ら変わらないのだ。
まずは洗脳されないようにすること。はい◯◯(企業名)様ありがとうございますと言い出すレベルなら手遅れである。そうでないなら、ひとりで入れるタイプの労働組合に入ろう。労組でなくてもよいが仲間を見つけることは大事である。
税理士から見るソープ嬢の納税問題 https://anond.hatelabo.jp/20241205154323
ニセ税理士と日本社会の今後について https://anond.hatelabo.jp/20241205195415
これらの記事を、大変興味深く読んだ。興味深くというのは、記事の内容そのものというよりも、それに対するコメントの熱量というのが、
なんというか、大変に盛り上がっており、なぜこれほど盛り上がっているのかということが、あまり自分の中でしっくり来なかったから、である。
自分は税務や労務のプロでもなんでもないので、細かい専門的内容にはコメントのしようがないのであるが、
とはいえ、ここのメインテーマというのは、要は収入が発生しているのであるから、それについて課税すべきかどうかという問題である(と理解した)。
そうすると、これはシンプルに税金を払うべし、ということで決着が付きそうな、ただそれだけの話題のように思える。
にも関わらず、数百を超えるブコメがついているという、その事実に興味をもったのである。
それで自分なりに色々と考えてみたので、そのことをここに書いてみる。
さて、唐突にフィンランドの話をする。といっても、北欧における風俗産業についての話ではない。鉄道料金の徴収の話である。
今から10年以上も前の話(なので、今もそうか知らないが)、フィンランドの首都、ヘルシンキ駅での体験だ。
ヘルシンキ駅は非常に大きなターミナル駅である。ちょうど常磐線が発着する上野駅に近いイメージだ。しかし、上野駅、というか日本の鉄道全てと大きく異なる点がある。
なんと、改札がないのである。
ヘルシンキ駅の駅舎に入ってしばらく歩くと、いきなり鉄道のホームが出てくる。入口も何もなく、いきなり列車に乗り込むことができるのだ。
そして各車両にはICカードリーダのようなものが備わっており、どうやら乗客はICカードをそれらにタッチすることで運賃を支払う仕組みになっているようなのだ。
ようなのだ、と書いたのは、当時私は出張でヘルシンキに来ており、予め列車のフリーパスカードのようなものを配布されていたので、このあたりの事情について、実はいまだに
正確に把握していない。なので、正確なシステムは、もしかしたらちょっと違うのかもしれない。
ただ一つ言えることは、ヘルシンキ駅には改札がなく、そして下車駅にも改札がなく、つまり目的地に着くまで、一度も料金徴収のチェックを受けることがなかった、ということだ。
支給されたカードはフリーパスのようだったので、カードリーダで料金徴収されることもないため、出張の後半になってくると、(これ、かざす意味あるのか。。。?)と思うようになった。
というか、この仕組みなら、乗車運賃を払わなくても、ただ乗りできてしまうではないか。フィンランド鉄道は、フィンランド人の善意で成り立っているのだろうか。
とういことを考えた我が同僚は、出張の後半になってくると私と同様に、このカードリーダシステムに疑問を持つようになり、というか、シンプルにカードを持参することが面倒くさくなって、
ところがである。ある日、いつものように彼が手ぶらで列車にのっていると、突然車掌から声をかけられたというのである。そしてカードを見せろと言われたので、
カードは持っているがホテルに置いてきてしまった、実際は料金は会社が払ってくれているはずだ、と弁明したそうなのだが、有無をいわさず高額な罰金を支払わされたという。
この話をきいて、ははん、と納得した。
まず、車掌は誰がカードを持っているかどうかを判別などはしていないだろう。ある一定のタイミングで、適当にその辺の乗客を狙って検札しているのだと思われる。哀れな我が同僚は、
もしも、100%確実な方法で料金徴収を実現したいのであれば、車掌は全員に検札をすればよい。しかし、それは時間的に無理がある。というか、100%を目指すのであれば、そもそも入場ゲートを設置すればよい。しかし、それにはコストがかかる。
そこで、ある一定の割合で検札を実施し、そこで料金未払が発覚した場合に、高額な罰金を徴収する、というシステムにしたのだろう。これが私の推測である。
車掌に無賃乗車がばれる確率と、その場合に支払わなければならないコストを期待値として、それが正規運賃を支払うコストに比べて見合わないほど高額であれば、乗客は正規運賃を支払うインセンティブが働く。鉄道会社は、自動改札システムのような高額な設備投資をせずに、車掌のおっちゃんに適当に(より正確には、適切な期待値となるような頻度で)検札を実施させれば目的を達成できるので、大変賢い仕組みだと関心したのである。
とここまで書いておいてあれだが、これは完全に私のデタラメの想像である。そもそも、いまもヘルシンキ駅に改札がないのかも知らない(調べれば分かると思うけど)。
ではなぜこのことを書いた、というか、思い出したかというと、税務調査というのは、このフィンランド鉄道の仕組みに良く似ていると思ったからだ。
税金は必ず払わなければならない。このことは間違いない。納税は国民の義務である。フィンランド鉄道にただで乗ってはいけないのと同じだ。というか、フィンランド鉄道のようなザルの仕組みであってはならない。しっかりとした改札を設けて、100%確実に徴収すべき性質のものだ。
ところが、国民全員が完全に正しく納税しているかどうかを100%の精度で確認することは、そう簡単ではない(と信じられている)。そこで、結果的にフィンランド鉄道のごとく、ランダムにピックアップして、脱税しているかどうかを調べるという方法を取ることになる。そして、徴税システムのインセンティブが、「効率的な徴収」」にあるとするならば、確実に大金を稼いでいて、かつ脱税の実態が簡単に証明できるところから順に調べていくことが合理的ということになる(全乗客からランダムに検札するフィンランド鉄道と、ここが大きく異なる点だろう)。
とはいえ、わたしは税務の素人であるし、ましては税務署の人間でもないので、いま書いたことも本当かどうか、何もわからない。
さて、ここでようやく本題に入る。すなわち、冒頭2記事のブコメ諸氏の熱量について、私なりの方法で腹落ちさせる、という試みである。
私を含めて善良なる市民たる我々は、キチンと納税(=乗車料金の支払い)をして列車に乗っているのである。その列車に、あろうことか、運賃を払わずに我が物顔で列車に乗り込んでいる輩がいるのである。ところが肝心の車掌は、他のもっと身なりの良い乗客の身体検査ばかりしていて、こちらの乗客など構おうともしない。それでは専門家(税理士)はなんと言っているのかと聞くと、なんとも怪しい返事しかしない(なんとならば、税金を払わなくてもよいかもと取れるような発言さえしている)。これでは、真面目に運賃を払っているこちらとしては、腹の一つも立てたくなるものだ。
ということで、なんというかフィンランドの思い出まで書いておいて出すような結論でもなかったなと思いつつも、一応、当初の目的を果たしたことで満足するとする。
列車料金と納税のアナロジーでお気づきの方もいるかとも思うが、この話は給与所得者の場合において、多少の修正を要すると思われる。すなわち、給与所得のほとんどの人は、源泉徴収というかたちで所得税を納めているのであるから、いわば運賃を前払いしているようなものなのである。そこで、給与所得者は、それ専用の列車に乗っている、としたほうが良さそうだ。この列車に乗っている人たちは、あらかじめ会社が複雑な計算をして運賃を支払ってくれているので、あまり難しいことを考えずに列車に乗れる。
一方、風俗嬢をはじめとした個人事業主などは、いわば運賃は後払いだ。今年、2024年の所得が確定してから、来年の2025年春に確定申告をして、税金が徴収される。車掌たる税務署の職員から検札を受ける可能性があるのは、こちらの列車に乗っている方の人たちだ。
私が一連の記事を見て、いまいち自分ごとのように熱い市民感情を発揮できなかったのは、おそらく自分とは別の列車に乗っている人=自分とは関係のない人、という意識があったからだと思われる。
さて、仮に風俗嬢としての年間収入が500万円あったとして、納税額(=乗車料金)はいくらほどになるのだろうか。経費としてどのくらい控除できるだろう。衣装代やメイク費用など計上できるのだろうか。個人事業主として、家賃分をいくらか按分することはどれほど現実的か。そもそも青色申告できるのか。できたとして、どのような事業として定義されるか。こうしたことを現実的に真面目に考えると、節税として合法的にできそうなことはほとんどなさそうに思われる。シンプルに雑所得として申告したとして、所得税・住民税額は数百万円になるかもしれない。
そして、いざ自分があちら側の列車の乗客になったとして、検札にひっかかる可能性が限りなく低い中で、数百万円という乗車料金をキチンと支払う胆力があるものだろうかと、自問自答してみるのであった。
追記:論理的なことを端的に言いたいわけじゃないガチの感情日記です。ごめん。
何ヶ月か前、結構前に見かけた同担とたまたま電車で鉢合わせた。
いつの間にかすごく痩せて髪も綺麗になって、前見た時より質のいい服を着ていた。
私の目には彼女が輝いて見えた。あの車両の中で、あの駅の中で、一番可愛かった。
とても綺麗な彼女との正反対にぐちゃぐちゃの自分が恥ずかしくて下を向いて席に座っていた。
きっと相手は自分のことなんて認識してもいないだろうけど、バレませんように気付かれませんようにと祈って下を向いていた。降りる駅が近づいてふと見上げると、彼女の腕にはリスカの除去跡があった。そこでもうダメになってしまって、彼女が電車を降りたあと、隣の人が移動するくらい無様に大泣きした私は、気がついたらボロボロに崩れた顔で車掌に声をかけられていた。車庫行きの電車だったらしく、ただ降りてくださいとだけ言われて車両を降りた。
私は無様で馬鹿なオタクだから、信じていた。あの人の前では傷を隠さなくても、恥じなくてもいいと。
自担は元々容姿コンプの村の人間で、今でも体型や顔をとても気にする。
容姿で苦しんできたことが行動や言動の端々から痛いくらい伝わってくる。
だから好きだ。その分優しいから。演技だとしても、優しい言葉をかけられる人は優しい思考を持っている人だと思う。
自担はいわゆる友営(友達営業)だ。アイドルとしてもキャラも、接触時の挙動も、色恋とは程遠い。
私のファンとしての姿勢も(皆に伝わるように言うと)ノンケの女の子がノンケの女の子のインフルエンサーのファンをやっている感じ。自担のファッションやメイクが好きだし、何より容姿コンプからアイドルまで這い上がってきた泥臭い魂がかっこよくて可愛くて、尊敬している。
ブースに入ると、いつも自担は私の名前を呼んで、それから私が座る前にすごいスピードで私のファッションやメイクを褒めた。
いつも私が一番見て欲しかったところを褒めてくれて、努力に気が付いてくれたことが本当に嬉しかった。
他のメンバーから「こないだ○○と増田のコーデかわいい、ほしいよねって話したよ」と言われた時は、嬉しくて嬉しくてああ生きていてよかった、死にたくない、とさえ思った。
脱線したけど、本当に自担は誰より容姿コンプというものを理解していた。
いいトシしてそんな服着るな論を否定するつもりで「いいトシしてって言うけどー」と口にしたら、続きの「負けないでかわいい服を着るよ」という文言を聞く前にすかさず低くやけに真剣な声でそんなことないとつぶやいていたのを覚えている。
私に対する言葉が全てお世辞でも、その語彙や思考は経験や知識がないと出ないと思う。
思い込みだと信じてもらえないかもしれないけれど、確かにそういう人だったのだ。
したことがある人にしかわからない微かな兆候がいつも見え隠れしていた。
流石にそれは私の勘違いかもしれないけれど、少なくとも食に困難を抱えているのは確実だった。
だからいいと思ってしまっていた。腕を隠さないでいてもいいと思った。
病的な苦しみを知っている人だから、いいと思った。
私は自分の傷を恥じたことはない。けれどやっぱり否定的な人がいるのはわかっているから、時々隠すこともあった。
人生の進行上好印象を持たせなければならない人の前や、雰囲気を壊しそうな時、悪意を向けてきそうな人がいる時だ。
けれど、自担の前なら出していてもいいと、私は自ら判断したのだ。
もう慣れているので傷をジロジロ見られていたり、逆に見ないようにされているのはすぐにわかる。
けれど自担はそのどちらでもなく、全く大したものでもないような顔でいつも通り喋ってくれた。
もしかしたら、詰むオタクなんてリスカギタギタもまあまあいるから慣れているのかもしれない。
それでもすごく心地が良かった。哀れみも軽蔑も向けられないことが嬉しかった。
けれどあの日彼女を見て雷が落ちたように私は気が付いてしまった。
「普通じゃない」と。
私と同じ人の列に通っている人が傷を直していた。
つまり、それが普通なのだ。本当はあの人にだって、こんな傷見せてはいけないのだ。そういうものなのだ、と。
見せたかったわけじゃない、隠さないで普通に夏服を着たいだけだった。
不快な思いにさせたかもしれない。そう思うと怖くて、それから接触に行けていない。
もう何ヶ月も経ってしまったし、きっともう存在ごと忘れられていると思う、こんなに通わなかったのはじめてだし、名前なんて存在なんて、こなくなったらすぐに用無しだ。
そうやって気にして行けてないくせに、まだ思ってしまう。どうしても隠さなきゃいけないか?何十万も払って消さなきゃいけない恥か?と。
私はずっと正気を保つためにリスカをしていた。どうしてもやらなきゃいけない勉強や仕事があるのに動けない時というのは誰にでもあると思う。そういう何もかもがダメな時、私はリスカをしていたし、今でもたまにする。風呂にも入れず涙を流す肉体も、痛みでブーストしたアドレナリンがあれば無理やり動かせるし、お腹が空いてひもじくてそれでも痩せなきゃいけない日も、リスカをすれば食べすにすんだ。
それなのになんで何十万払って直さなきゃいけない?なんで、私が必死にタスクをこなしてなんとか人に馬鹿にされない迷惑をかけないようにするためにつけた傷を恥じなきゃいけない?確かに跡はケロイド状だけれど、きちんと閉じている傷をどうしてそうしなくても生きていける人に配慮して金払って消さなきゃいけない?そう思ってしまう。
ずっと開き直って生きてきたはずなのに、開き直ることにも隠すべきだと思うことにも振り切れず、宙ぶらりんで過ごしている。
元々パフォーマンスが大好きだから見ているだけの今も楽しいけれど、日に日に見せたい洋服が、伝えたい「かわいかった場面」が溜まっている。
私の分もあの彼女が払ってくれているかな、そうだといいな、そうだろうな、ああやってちゃんと傷を消すオタクがたくさんあなたの周りにいたらいいな。普通な日常を過ごしてほしいな。臭くなくて傷なくてめんどくなくて優しい人の相手だけできていてほしいな。会いに行きたいから普通になりたいな。会いたいな。
ゆるく観光車両になっていて、先頭車両の前のデッキにはちょっとした簡易ベンチがあって、子供や大人問わず運転席を覗いて歓声を上げたり盛り上がっている。
当日も社内販売などはないものの、駅弁を持ち込む老夫婦や社内で酒を飲んで寝ているお父さんなどもいて、もちろん子供もいっぱいいた。
観光地からほど近い終点に向かって、車内の乗員は減っていき、ほどほどに窓の外の景色も廃れていく。
自分は旅行ではなく祖母の家への帰省であったので終電の一つ前が終着予定駅だった。(そこも遊園地に行く最寄り駅ではあるので、天気が良い土日などは結構子供や最近はカップルが多い)
ある水族館や真珠が有名な駅をおりてから一気に子供連れが減った。たぶん、この三連休で台風が接近していて天気が悪かったからだ。水族館は行けても外の遊園地は行きづらい。
その少し前くらいに男性が一人乗り込んできた。見るからに撮り鉄で大きめのカメラを首に下げて、ビデオカメラを手に持っていた。最初から先頭のそのパノラマデッキからの風景を取るために乗ってきたのだろう。
その人は全席指定の車両ゆえに申し訳程度に一瞬自席に乗り込み、荷物を置いてさっそくそのパノラマデッキへと足を向けていた。
なんとなく譲り合う空気はあるものの、占領する空気ではなく、みんなで楽しく見ていて、たまに一駅か二駅分くらいだけ占領できる時間を見つけてはほくほくと嬉しそうな子供たちが可愛かったのだが、特急の路線の最後のほうは乗客も減ってその撮り鉄男と増田家族(1歳半の子供)だけがそこにいくようになった。そこからが問題だ。
子どもの喃語交じりの声がビデオに映りこむからと言って「出ていけ!」と睨みつけられた。はっきり指でしっしと払う素振りと、言語は外国籍なのかうまく聞き取れないものの、何かしらの非難をされている。
正直、独り言の話しぶりや仕草から健常者じゃないかもと思ってしまって、席に戻るのだが、子供にそんな理屈は通用しないのであっちへ行きたいと指さし、行けなければ少し声が大きくなるので、車内で騒がれるくらいならデッキに行くべきとも思ってそっちへ行く。そして撮り鉄に怒られるの繰り返しだ。
けれどこちらは乗車時点から2時間弱、いろいろな老夫婦や子供連れご家族、友人連れ旅行者、などとこのデッキに居合わせ、怒られることもなく、話し声程度の声の大きさだと思っている。これが子連れ様思考だったら申し訳ない。ちなみに三連休初日の昼ごろだ。
それを見て子どもが怖がって泣き出してしまった。それを見て余計に怖い顔をする撮り鉄。たまたま通りかかった車掌さんに手を振ってもらって機嫌を持ち直す子ども。そして車窓さんににこやかに会釈する撮り鉄。車掌さんがいなくなった途端睨みつけてくる撮り鉄。反対方向のトイレなどがあるデッキへ行くがそっちじゃないと怒りだす子ども。疲れた。
子ども連れが一人じゃなかったら、もっと多ければあんなにしっかり抗議してこなかったのだろうか。自分が舐められたのだろうか。
10/27 27時ごろまでにいただいたブコメ・トラバをまとめました! お寄せいただいた知見に助けられております。ご興味のある方はぜひ。
<以下本文>
集英社「別冊マーガレット」の名編集長・小長井信昌が74年「花とゆめ」創刊編集長に就任(のちに「LaLa」「ヤングアニマル」でも創刊編集長を務める)。氏が別マから引き抜いてきた漫画家が、最初期の「花とゆめ」を支えた。
2作まとめて、令和の今でも作品が生きているな、と思わせる説明不要の名作(前者は「連載中」ではありますが)。月刊誌→月2回刊化の目玉として2作同時に連載スタート。コンテンツの息の長さに、編集長の慧眼が察せられる。
主人公のマリネラ王国・国王パタリロに次いで2番手のキャラクターはMI6少佐・バンコラン。彼は主に美少年を愛好する同性愛者で、本作はギャグマンガだが 「同性愛であることそのもの」を揶揄していない点に、作者の品格を見る。
作中に「ドイツのギムナジウムで一緒だったんです」「11月ごろ?」というやり取りを挟むなど萩尾望都ファンであることがわかる。82年アニメ化。「花とゆめ」というより白泉社として最初のアニメ化。
どの作品を推すかが分かれる。世間的には『笑う大天使』(1987~88)が有名で傑作集を出す際のアンケートでも番外編の『オペラ座の怪人』(1988)が2位だが
・作者ご本人はまったくスポ根の人ではないのに、スポーツものに傑作がある
・甲子園という制度に批評的視点を投入 と、一歩踏み込んでいる本作をリストアップ。個人的には『月夜のドレス』(1984)が好き。
メディアミックスとしてはOVAのみであるが「前世ブーム」の火付け役として爆発的な人気を誇った。※ラジオドラマあり。ブコメご指摘感謝
『スケバン刑事』のような「悪に対する憎悪」ではなく「優秀だが他人を寄せ付けない戦災孤児と品行方正な優等生との、互いに相反する感情」など愛憎の陰影が濃い大人びた作風に、当時の読者(主に10代少女)は魅了された。
「久しぶり 君には心底会いたかったよ 秋海棠」以上にインパクトのある「ひき」を未だに知らない。
こちらも説明不要の名作。菊池規子『わが輩はノラ公』(1973~78)以来人語を話すペットが出てくる作品はたびたび登場したが 「人語は解するけどしゃべれない(しかし主張はする)動物たち」が出てきたところが新機軸。よくない形で「ハスキー犬ブーム」がありました…。
※飯森広一『ぼくの動物園日記』(1972~75)はノンフィクションなので除外してます。
(このあたりで「男性読者も多い花とゆめ」時代が終焉したと思っている)
続く『ニューヨーク・ニューヨーク』(1997~98)、『しゃにむにGO』(1998~2009)と第一線で花ゆめ本誌を支えた大功労者。『赤僕』は白泉社では初めて他社の漫画賞(小学館漫画賞・1994)を受賞。ヤングケアラーの立場に置かれた小学5年生が主人公で90年代父子家庭を活写した作品となった。熱量のあるドラマ巧者。
2006年に台湾でドラマ化、2007・2011に日本、2012に韓国でドラマ化。そして今年、初のアニメ化が発表されている。日本ではプライム枠連ドラ案件で『ガラかめ』『スケバン刑事』とは違う、読者ターゲットを広く取れるラブコメが、あの「花ゆめ」から出たのだなぁと感慨。
アラサー(アラフォーですかね)のオタク女子から作品名が挙がることが多い。
2007年に「もっとも売れている少女マンガ」として、ギネスブックに認定されているそうで2001年のアニメ化・2019~21の再アニメ化・2022の劇場上映の実績は立派。十二支を背景にしたキャラ設定等、往年の「花ゆめ」らしさが光る(私見)。
(ここから、00年代デビューの漫画家が飛んでしまいます。申し訳なし…)
連載中のラインナップで、今一番勢いがあると思われる作品。アニメ化も決定。男性アイドル(キャラ)・推し活…と、イマドキの設定は鈴木ジュリエッタ「推しに甘噛み」(2022~)でも同様で、ここが今の「花とゆめ」の現在地である。
※「創刊50周年記念 花とゆめ展」ブックレットでは2人の対談が掲載されている
他
選外ってありえないですよね。すみません…。
『花のあすか組』(1987~95)が代表作でありつつ『グランマの憂鬱』(2015~)が昨年萬田久子主演でドラマ化もされている、息の長い漫画家。
1985年は角川書店(当時)がコミックに進出して地殻変動が起きた年で、そのタイミングで白泉専属ではなくなってしまった。 「別冊花とゆめ」連載「赤鼻のアズナブル」(1982~83)、別花短編だと「優しい瞳」(1984)が好き。
この方も白泉社を離れ角川へ。『ミミと州青さんシリーズ』(1979~85)が人気&今はなき「シルキー」でレディースたくさん描いてましたが、一瞬ミステリー&サスペンスものも手掛けていました。こっち路線もよかったのになぁ。増刊号掲載『異国にて』(1984)がベストですが本誌掲載作ということで『マンハッタン』を。
別マ移籍組、和田慎二の盟友。『紅い牙 ブルーソネット』(1981~86)ですよね。とはいえこのシリーズも別マからの移籍なので、あえて本誌掲載の短編を選んでみました。綾波レイみたいなタイトルですが、まさに綾波のようなお話です(ネタバレ回避)。
ヨーロッパを舞台にした華やかな作風。ほかの作品も海外モノ多し。
制服高校生ミステリものの嚆矢といってよいのでは。近い年次のデビューだと佐々木倫子よりずっと早くブレイク。メディアミックスに縁がなかったのが不思議。表題作では『消えた肖像画』が大変な秀作。1巻所収。
「花とゆめ」の「80年代後半のSFもの」のストーリーや絵柄の象徴。キャラ造形についてはフォロワーがたくさんいた記憶。
代表作はこれだってわかってるけど、白泉社作品なら私は『フラワーデストロイヤー』シリーズ最終編 『ダーク・エイジ』(1991)が好き。
1巻完結の表題作がかわいい短編集。所収の『月光夜曲 −ムーンライトセレナーデ−』がすごくよかったの、思い出しました。ビッグヒットがないの、なんでなんだ…。
氷室冴子原作ものの中で、長く支持されたコミカライズ成功例かと。
すごく売れてた! 世界観が魅惑的で熱いファンが多く、「ぼく球」以来のビッグタイトルが出たと思いました。絵のタッチも今見ても素晴らしい。
代表作はこれだってわかってるけど「赤僕」より少し前にスタートした『久美子&信吾シリーズ』(1990~97)が好き。女子高生と小学生男子カップルの物語。大人になった坂田と小沢にはハッピーエンドになってほしかったなー。
いずれ『推しに甘噛み』の人になるかもですが、まだこちらの方が有名かと。2012・15のアニメ化で聖地巡礼企画も出ていました。
<番外・別冊花とゆめ枠>
オリジナル初コミックス「環状白馬線 車掌の英さん」(2009)からずっと、ハートフルなストーリーを展開。恋愛重視の作風ではない、往年(年配)の読者が考える「花ゆめらしさ」は別花に残っていたのかも。それがまさかの月9原作。やはり時代は変わった。
ここまで挙げた白泉社作品の中では一番好き。とはいえ代表作は『始末人シリーズ』(1983~91)かと。このパターン多い。大大大好きな明智抄で(同人誌「単行本未収録作品集」全5巻はコンプリート)10選にも入れたかったのですが、作品リストを振り返ると『始末人』ですら本誌・別冊を行ったり来たり(後半は別花)、かと思うと「チツケイレン」の「アフロディーテはきずつかない」(1988)が単発で本誌に載ったりして、編集部は運用どうしてたん…と。これからも読み続けることには変わりないのですが。
近作に抜け漏れ多くてすみません。明らかな抜けは増田の知識やアンテナが欠落している箇所です。とはいえ総論として、ガラかめ~動物のお医者さんまでは不動かな、と。
もしよかったらブコメでいろいろと教えてください。
日本の電車が病人や事故が発生した際に停止し、その結果ダイヤが乱れたり再開に時間がかかるのにはいくつかの理由があります。以下に主な理由を挙げます。
日本の鉄道システムは安全を最優先にしています。事故や急病人が発生した場合、鉄道会社は乗客の安全を確保するため、徹底的な確認と対応が求められます。事故の状況や急病人の状態を確認し、必要に応じて救急隊や警察と連携するため、その過程で時間がかかることがあります。
特に人身事故が発生した場合、現場検証や遺体の搬送、安全確認などが行われます。この手順は厳格に行われるため、通常の運行に戻るまでには時間がかかります。また、警察や消防、鉄道会社の職員が一斉に動員されるため、それぞれの調整にも時間がかかることがあります。
電車内で急病人が出た場合、まずは車掌が急病人の状態を確認し、必要であれば駅での応急処置や救急搬送を行います。急病人が発生した場合、次の停車駅まで運転を続けることもありますが、状況によってはその場で電車を止めることもあります。救急対応が迅速に行われる一方、乗客の安全を最優先にしているため、再開に時間がかかることもあります。
日本の鉄道は非常に精密なダイヤで運行されており、少しの遅れでも全体のダイヤに影響が出やすいです。特に都市部では多くの路線が密接に連携しており、一つの列車の遅延が他の列車や路線にも波及するため、運行再開後もダイヤの乱れがしばらく続くことがあります。
急病人や事故が起こった際に、混雑した車内で乗客が動揺したり、車両から降りるために混乱が生じることがあります。このような場合、再乗車や案内に時間がかかり、ダイヤの乱れに繋がることもあります。
まとめ
日本の鉄道が停止する際に時間がかかるのは、安全確認や対応措置を徹底するためです。また、鉄道の運行ダイヤが非常に精密であるため、事故や急病人への対応がダイヤ全体に波及しやすいことも、遅延の原因となっています。