某国研、お金儲けに興味なさそうな人だらけだけど、別に彼らがつまらない人生を送ってるとは特に思わんな
幼少期の精神的苦痛が今にもきてる。
今でもフラッシュバックする。
僕は19歳で家を出た。
孤独は辛いよ。
犬のは僕が付けたんだ。義理の兄にいじめられても、性的いじめ受けても。助けてくれなかった。母は「自分でなんとかしろ(いじめられても)」と言った。
自分でなんとかしなければいけない。
生活保護って言うだけ下に見られるし、皆の目って変わるんだ。生活保護ってだけで辛い思いもした。僕も人を傷つけたからバチがあたったのかな。
だけど、「パニックになっていい。誰か助けてくれるさ」って自分で自分に言えるになった。
今までできたことができなくなるのはやっぱ嫌だね。辛いね。ヘルニアにもなったからあんまり重い荷物持てなくなった。
子供が小学生までは田舎で大家族、中学生になるくらいに核家族として東京に離陸する。これ攻守最強ね。
東京で幼児を育てるとかガキが可哀想やわ、タワマン育ちの子供は脳への刺激が弱いからいくら家庭教師つけても成績が伸び悩むとか知らんのかねえ。
あれから10か月が経った。
結局両親は離婚し、父は家を出ていき、見事に家族はバラバラとなった。
わたしは何だか置いてきぼりにされた心境のまんま、モヤモヤとした日々を過ごしていた。
なんとも情けない話だが、深い霧の中にいるような、あるいは泥沼にでもはまったような感じで、どうすればそこから抜け出す事ができるのか、皆目見当がつかないのだ。
そこに台風が襲来。
わたしは、いささか不謹慎だが、それを自分への理由にして、母に電話をしてみた。
久々に話した母の声は、今までになく軽やかな印象だった。
台風前日はスーパーへ買い出しに行き、当日は家に籠ってやり過ごし、今日は友達に会って洪水の話をして来たという。
普段聞きなれないエリアメールが頻繁に来るので、通知音にいちいちびっくりしたわよ、などと楽しそうに話すので、
そうそう、わたしも地震の時は発生が夜だったので、そのあと明け方まで通知音で寝られなかったと、ついノリノリで話にのってしまった。
お見舞いに採れたばかりの南瓜を送るというと、ちょうど買いたかったけど重くて躊躇していたのよ、との返事。
「南瓜大好き」、だって。はしゃいだ声。
わたしは母に救われた。