珪藻土?みたいなやつでできた小さい入れ物でそこに水入れてトースターにパンと一緒にいれると美味くなるってやつ
昨日初めて使ったんだけどめっちゃうまかった
因みに実家にバルミューダのトースターあって何回も使った事あるけど
バルミューダより確実に美味かった
間違えていい食パン買ったのかと思って袋確認するレベルで美味かった
という報告です
妻も同じ大学だ。
残念ながら、東大という学歴を活かした生き方は二人共できなかった。
だが、同じ大学に通い、二人が出会ったこと。そして、子供を授かったこと。それだけが、私達が東大に行った意義なのだと思うし、それでいいと今は思う。
強いやつは正しかろうがそうでなかろうが常に場を支配し優越できる。
弱いことは、ただそれだけで問題だ。
傍観せず助けに入った→偉い
傍観しているだけだった→仕方ない。少なくとも責められることではない。
ではないのか…?
電車で煙草吸ってた奴に殴られた高校生の件にしても止めなかった傍観者が怒られてるけど、正直そんなやべー奴を止めに入るのって相当なフィジカルがないと無理じゃない?女性子供はもちろん格闘技や運動経験がない男性が立ち向かったところで被害者が+1されるだけの可能性が大いに高く、腕に自信があったとしてもワンチャン後遺症が残るレベルの怪我を負っちゃうリスクもあるわけで
当然そのリスクを加味しても助けるぞ!って判断して突っ込んだなら結果に関わらず偉いし正義感が強い人物として評価されるべきだけれども、偶然その場に居合わせたというだけで見ず知らずの誰かのために大怪我負うリスクを抱えないと人としてダメってのはちょっと厳しすぎる気がするんだよな
自分がいざというときその行動が取れる自信がないだけなのかもしれないけどうーんって思うわ
だって実際、自分の家族友人が見ず知らずの誰かを助けるために暴行野郎に立ち向かって最悪死んじゃったとしてさ、素晴らしい行動をした!誇りに思う!って心から言えるかって聞かれたら微妙でしょ?誇りには思うだろうけど、そんなのどうでもいいから逃げて生きててくれれば良かったってのが本音になると思う
私は1992年生まれなので、「喝采」は生まれる20年前の曲である。
両親が世代なのもあり、日頃から昭和歌謡曲を何曲か耳にしていたが、「喝采」から受けた印象は他の曲とはまったく異なっていた。
激しい喪失感と、とんでもない説得力があり、聞いた後耳の後ろがじんわりと熱くなっていた。
「喝采」がなぜ、平成生まれにこんなにも刺さったのがが気になった。
曲がリリースされた当時を知る人からすれば、「何を今更」と言われるかもしれないが、とにかく私の「喝采」への思いを文章にしてみたいと思う。
まずは、順を追って、ストーリーについて思うところを書いてみたいと思う。
いつものように幕が開き
恋の歌うたうわたしに
届いた報らせは 黒いふちどりがありました
そして、いきなり人が死ぬ。とんでもない急展開。
いきなりすぎて聞き手が一気に臨戦態勢に入る。入らざるをえない。
あれは三年前 止めるアナタ駅に残し
動き始めた汽車に ひとり飛び乗った
しかも、何やら複雑な事情を連想させるような「アナタ」との別れである。
なぜ「アナタ」を駅に残すのか、なぜひとり飛び乗るのか。
その情報の少なさと、リアルな情景描写が、一気に聞き手を曲の世界へと引きずり込む。
ひなびた町の昼下がり
教会のまえにたたずみ
「黒い縁取り」という唐突でショッキングでそして曖昧な表現が、「教会」や「喪服」といったキーワードから、徐々に確かな死であったという確信へと変わる。
それはまるで、主人公が徐々に死を実感していったのを聞き手に追体験させる。
つたがからまる白い壁
細いかげ長く落として
ひとりのわたしは こぼす涙さえ忘れてた
曲が2番に入っても、なおも事態が好転しておらず、悲しみの中にあることがわかる。
このあたりで、「止めるアナタ駅に残し」という、奥歯に引っかかるようなストーリーが、じわじわと悲しみに追い打ちをかける。
暗い待合室 話すひともないわたしの
耳に私のうたが 通りすぎてゆく
「アナタ」とどういう関係だったのかは分からないが、「待合室」の中で話すひともなく孤独なわたし。
そんな「わたし」にトドメの一撃をカマすのは、なんと冒頭に出てきた「わたしの歌」という伏線の回収。
アナタをなくし、悲しみの底にありながら、そこに流れるのは自分の「恋の歌」という大変皮肉の効いた状況となる。悲しい。
いつものように幕が開く
降りそそぐライトのその中
そんなに辛い状況であっても、恋の歌を歌わないといけない。歌手だから。
時系列が飛び飛びになるので、私は正直1回聞いただけでは理解できなかったが、最終的に以下の時系列だと解釈した。
死んだ(ちょっと前)→別れた(3年前)→教会で喪服(ちょっと前)→待合室(ちょっと前)→歌ってる(今)
おそらくだが、順を追って説明されたらここまでの感動と共感は無かっただろう。
とんでもない急展開で、しかもショッキングな内容を、ゆったりとしたテンポで聞き手に伝えてきている。
そのため、「黒い縁取りがありました」や、「暗い待合室 話すひともないわたしの」といった、直接的な描写だけれども、婉曲的な表現の意味をじっくりと考える間が与えられる。
考える時間が与えられるほど、ストーリーや主人公に親近感が湧くし、衝撃的な落ちにも感動を受ける。
しかし、ストーリーに引き込まれ、主人公に同情した状態での、今日も恋の歌を歌わなければならない「わたし」へは、たしかに喝采を贈りたくなるなぁという気持ちになった。
まさか、歌詞の冒頭が「曲の終盤」と「曲の題名」への2つの伏線になっているとは思わなかった。
色々思ったことはあるが、まとめると、以下の4つの要素が盛り込まれているということに気づいた。
そして、それを短い歌詞でやってのけた表現力や構成力。加えて、曲調や歌手の歌唱力などからくる説得力に圧倒され、総合的に私に刺さったのではないかと思った。
例え話なんだからいいだろ?とでも思ってそう。
うまく交渉すりゃ9000円で買えるよな
デルタ株より毒性が低いから油断してたら、もう病床が逼迫してきた。
軽症患者が多いからと言ってもここまで広がってきたら、入院しなければならない人もそりゃ増えてくる。
それが逼迫するレベルになってきたら医療が麻痺して社会が機能不全になる。
大阪も病床50%を超えた。
「かかっても大したことない」
というターンを過ぎたなこれは。
マジ話なので「彅」のみカタカナでOKだったんですが、「彅って書けるのがステータス!」みたいになった集団がいて、
大きなバックパックに汚いなりでバックパッカーは遠くからやってくるんだ
バックパッカーに道を聞かれても答えちゃ駄目だぜ
「いい子のところへさ」
「サンタクロースさ」
「いい子のためにプレゼントを集めている途中なのさ」
バックパックの中身を聞いちゃ駄目だぜ
もともと父がそういう気質なんじゃないの?