お布施が大事だって、よく教えられるけど、でもこれって、宗教団体が、自分たちが食べていくための方便として教えてるんじゃないの? なーんて、ちょっとひねった疑問持ってる人、いませんか?
幸福の科学の大川隆法先生は、『人を愛し、人を生かし、人を許せ。』──豊かな人生のために(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。
仏教では布施の功徳を説いていますが、布施はなぜ大切なのでしょうか。
修行僧たちは、自分たちの食欲を満たすために、「布施は尊い」という考えを弘(ひろ)めたのではありません。布施をすると、そのなかに込められた愛の思いは、その徳は、布施をした人目身のものになるのです。それゆえに、「布施は非常に大事である」と教えたのです。
仏陀はいつも、「外見はたとえ乞食坊主のようであっても、布施を受けるときには、僧侶は毅然たる態度をとれ」と教えていました。
「あなたがたは物乞いではない。あなたがたは実は与えているのだ。布施の機会を与えることで、布施をする人たちに一つの大きな愛を与えているのだ。人間として長も大切な心を教えているのだ。
教えというものは、口を通して語られるものだけではない。教えというものは、ごく自然な行為のなかに、日常茶飯事のなかに隠されているものなのだ。
言葉で言う必要はない。あなたがたがお椀を差し出すとき、無言のうちに彼らを教え導くことが大事なのだ。与えるという行為が、どれほどすがすがしいものか。それによって、どれほど尊い気持ち、どれほどうれしい気持ちになるか。お椀を差し出す行為のなかで、それだけのことを相手に悟らせなくてはならない。
他の人からもらうことで、決して卑屈になってはならない。あなたがたは物乞いをしているのではなく、大いなる啓示を与え、大いなる光にふれる機会を与えているのだ。大いなる悟りの縁を与えているのだ。
この点をしっかりと心につかみ、托鉢行(たくはつぎょう)も偉大な悟りへの修行であることを知って、日々、実践せよ。これは、他の人びとを教化し、真理に近寄らせる方法でもあるのだ」
仏陀はいつもそう説いていましたが、まさしくそのとおりなのです。
そして、布施をする側にとっては、お椀のなかに食べ物や飲み物を入れるときに、「これによって、私は来世で成仏できますように」「これで、私が犯した罪が消えますように」などという気持ちでいたならば、その布施の功徳は消えてしまいます。
与えたものは与えた人のものになるはずなのに、見返りを求めたとき、その徳はなくなり、霊的にはプラスマイナスゼロになってしまうのです。
(41~44ページ)
仏陀は、布施をすると、そのなかに込められた愛の思いは、その徳は、布施をした人目身のものになるゆえに、布施は非常に大事であると教えた。
布施を受けるときには毅然たる態度をとれ、布施の機会を与えることで、布施をする人たちに一つの大きな愛を与えている、人間として長も大切な心を教えているのだと、僧侶たちに教えていた。
布施をする側にとっては、与えたものは与えた人のものになるはずなのに、見返りを求めたとき、布施の功徳はなくなり、霊的にはプラスマイナスゼロになってしまう──。
尊いお教えだと思います。
まさにこのお教えにしたがって、信者のみなさんは見返りを求めない「与える愛」の実践行を行なっている。
その尊い思いと行ないに支えられて、幸福をすべての人々に弘めるための救世活動は、ますます発展している。
そういうことだったのだと、改めて深く学び直すことができたと私は思っているのです。
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『人を愛し、人を生かし、人を許せ。』──豊かな人生のために
大川隆法著 |
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