社会主義って、ユートピアをめざしてるんでしょ。幸福の科学のめざしてるところと目的は同じなんじゃないの? なーんて疑問もってる人、いませんか?
幸福の科学の大川隆法先生は、『宗教立国の精神』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。
私は、「社会主義は一九九〇年を境にして滅びていくべきだった」と思います。それが復活してくるということは、やはり、よくないのです。
社会主義というものは、最終的には、無神論や唯物論を広め、「貧しさの平等」に行き着き、人間の自由を制限して、言論の自由を行使する人を刑務所送りにしていきます。そうした政治体制につながっていくので、社会主義は望ましいとは思いません。
自由を制限すれば、信教の自由もなければ、良心の自由も、言論の自由も、出版の自由も、すべて、なくなっていきます。
したがって、「平等」より「自由」を大事にしたほうがよいのです。「真なる自由と、貧しい人たちに対して救いの手を差し伸べる騎士道精神を持つ」という考え方のほうが大事であり、「全員をすり潰して平等にすればよい」という考えであってはならないと私は思います。
「幸福の科学は、そういう意味での社会主義、つまり、誰もが自由を抑圧され、囚人のような平等を持つことをもって、ユートピアとは断じて考えていない」ということを述べておきます。
当会は、あくまでも、信教の自由や言論の自由、思想・信条の自由、出版の自由、政体を選ぶ自由、国の政治のあり方を選ぶ自由、そういう自由を保障し、護り続ける旗手でありたいと思いますし、「国民一人ひとりが自分自身の生き方について責任を持つ」という意味での、真なる保守でもありたいと考えています。
そして、その延長上に未来を構築しなければいけません。
(276~278ページ)
社会主義は、最終的には、無神論や唯物論を広め、「貧しさの平等」に行き着き、人間の自由を制限する政治体制につながるので、望ましくない。
自由を制限すれば、信教の自由もなければ、良心の自由も、言論の自由も、出版の自由もすべてなくなっていくので、貧しい人たちに救いの手を差し伸べる騎士道精神を持ちつつ、「平等」より「自由」を大事にしたほうがよい。
幸福の科学は、自由を保障し護り続ける旗手でありたいし、国民一人ひとりが自分の生き方に責任を持つという意味での真なる保守でもありたいと考えている──。
ここでは、社会主義に対する考え方と、幸福の科学の政治的なスタンスをとても簡潔に教えて下さっています。
世間では一般に、「自由と平等」という形でふたつが併存できるかのように考えていますが、大川隆法先生は、突き詰めていくとこれはどちらを優先するかが問題になると教えて下さっているんだと思います。
そして、どちらが大事かと問われれば、「平等」よりも「自由」である、というのが大川隆法先生の明確なお考えです。
「機会の平等」はよいのですが、「結果の平等」をめざしたとき、社会はユートピアどころか地獄のような世界となっていってしまう。
その実例は、以前であれば崩壊したソ連が教えてくれましたし、今であってもあの北朝鮮が教えてくれているのではないでしょうか。
冷静になってよくよく考えてみたとき、大川隆法先生の説かれるお教えは、政治哲学としても誰もが納得できる思想ではないかと私は改めて強く思っているのです。
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『宗教立国の精神』
大川隆法著
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