「守護霊」についての記事で、「魂の兄弟」って言葉が出てきたことがありました。まだ理解できないぞって思ってる人、いませんか?
幸福の科学の大川隆法先生は、『悟りの挑戦(上)――いま、新たな法輪がめぐる』(幸福の科学出版)で、こう説いておられます。
通常は単体の個性としての生まれ変わりと考えられていたものが、実は、人間というのは、原則として「本体一・分身五」という魂のグループをつくっていて、交替で生まれ変わってきているということなのです。(中略)
これは理解しがたいことのように思うかもしれません。しかし考えてみれば、人間には心臓、肝臓、膵臓、腎臓などの内臓器官がありますが、そのなかで自分の意志で動かしているものがあるでしょうか。自分の意志で止めたり動かしたりできるものなら簡単ですけれども、それはできません。心臓にしても、その鼓動を数えていると、本当に気になって夜も眠れなくなるはずです。しかし、心臓は自分の意志とは別に生きています。ですから、人間の身体自体を考えてみても、この意志の言うことをきかず、「自分は自分だ」と思っている生き物が、身体のなかにも生きているということです。現にそういう複合体として、私たちは存在しています。このようなことが、もっと大きな魂の兄弟のレベルにおいてもあるということなのです。
自分の意志に関わりなく、体内で心臓が生きているということに対して、違和感を持つ方はいないでしょう。肺臓が勝手に呼吸したり、腎臓が勝手に尿を濾過したりしていることに対して、異議を唱える方もいないでしょう。特に命令しているわけでもないのに、しかし生きているでしょう。それでも共存しています。
これと同じように、魂の兄弟というのも、ばらばらに生きているようでありながら、実は一つの大きな魂を構成しているものなのです。内蔵の例と同じような関係なのです。頭脳にきわめて近い部分が本体の部分であり、霊格的にも高く、その魂全体の向上を決めているのです。
(237~240ページ)
実は人間というのは、原則として「本体一・分身五」という魂のグループをつくっていて、交替で生まれ変わってきている。
しかし考えてみれば、人間にある心臓、肝臓、膵臓、腎臓などの内臓器官は、自分の意志で動かしておらず、そんな生き物の複合体として、人間は存在している。
それと同様のことが、もっと大きな魂の兄弟のレベルでもあるということである――。
つまり、人間の体は多くの臓器でできるけど、この臓器というのは、それぞれ自分の意識でばらばらに生きてる存在だってこと。
そして、人間の体はそれぞれ別の意識を持った臓器の複合体だ、という霊的真実を教えていただいたわけです。
そういえば、臓器移植で拒否反応ってのが起きるというのはよく知られた話ですけれども、それは臓器の意識がその新しい体に入るのを嫌がってると考えると、よくわかる現象に思えます。
そして、人間の「魂」というのは、もっと大きな複合体としてのグループをつくっていて、その「魂の兄弟」が、あの世とこの世を順番に転生輪廻しているというのも、改めて腑に落ちてくる気がします。
ちょっとどころか、かなり複雑な話ですが、でも、霊的世界の真実を教えていただき、こうやって少しずつでも理解できていくのは、なんともすごいことではなかろうかと、改めて私は思っているのです。
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『悟りの挑戦(上)――いま、新たな法輪がめぐる』
大川隆法著 |
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