Location via proxy:   [ UP ]  
[Report a bug]   [Manage cookies]                
ゆーぱの部屋 ~幸福の科学の教えから~
幸福の科学の教え(大川隆法先生の書籍)で、みなさまの人生の悩みや疑問などを解決するお手伝いをします。
 



ショッピングモールとかで、たまに「易者」が座ってたりするでしょ。あれって、どうなの。最近めずらしいし、ちょっとみてもらったりしても、大丈夫なのかなあ? なーんて疑問もっている人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『信仰告白の時代──智慧と慈悲の新世紀を拓く』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 占いの常套手段に、〝柿の木理論〟というものがあります。
 たとえば、結婚、進学、職業選択など、何でもいいのですが、悩みごとの相談に来た人がいたとします。すると、相談に来た人に対して、「あなたは悩んでいるのですか」と切り出します。そして、「あなたの家には柿の木がありますか」と訊くのです。それで、相手が「ある」と答えたら、「それが不幸の原因です。柿の木を切りなさい」と言うのです。反対に「ない」と答えたら、今度は「だからいけないのです。柿の木を植えなさい」と言うわけです。
 現在では、柿の木が植えてある家は少ないようですから、これは昔の話ですが、同じようなことは何に関してでも言えます。
 「あなたはコーヒーを飲みますか」と訊いて、「飲みます」と答えたら、「それがあなたの不幸の原因です。コーヒーを飲むから胃が痛くなって、それで不幸になるのです。コーヒーをやめなさい」と言います。逆に「飲みません」と答えたら、「だからいけないのです。コーヒーを飲んでくつろげば、心が豊かになって、あなたは幸福になれるのです」と言うわけです。このように、柿の木理論の柿の木を、コーヒーに置き換えてもかまわないのです。
 さらには、柿の木を車に置き換えて、「あなたは車を持っていますか」「持っています」「それは新車ですか、中古車ですか」「中古車です」「それがいけないのです。その車の以前の持ち主が、悪い人だったので、あなたが不幸なのはその影響です」としてもよいのです。
 こうしたことは、いくらでも理屈をつけて言えます。不幸の原因を外に求める心があったら、人はいくらでも騙せるのです。特に、自分の不幸の予言をしてほしい人が世の中にはたくさんいますから、「あなたの不幸の原因はこれです」と言われると、「そうかな」と思ってしまうのです。
 確かに、人間には、生まれてくる前の、魂の傾向性というものがあります。しかし、生まれてからのち、今世で、「どのような教育を受けたか」「どのような職業選択をし、どのような職業生活を送ったか」「どのような信仰生活、宗教生活をしたか」──この三点で、かなりのところが変わってきます。教育と職業と宗教、この三つが変われば、別の人間になっていくのです。(中略)
 すなわち、自分は変えていけるものなのです。そうであるならば、やはり、逃げないで自己改造をしていくことが大事だと思います。
(309~312ページ)

占いの世界には“柿の木理論”という巧妙な手法があって、不幸の原因を外に求める心があれば騙されてしまう。

たしかに人間には、生まれてくる前の魂の傾向性があるのも事実ではある。

しかし、生まれてから今世で、教育と職業と宗教の三つが変われば別の人間になっていくのであって、自分は変えていけるから、自己改造をしていくことが大事である──。

「生まれてくる前の魂の傾向性」と言われているのは、「カルマ」という言葉でも呼ばれるものだと思います。

たしかに、人間にはこういった「カルマ」があったり、人生の周期があったりするわけですから、“柿の木理論”のような単なる騙しではなく、あたる占いだってあるわけです。

だけれども、不幸な予言が当たっても、幸せになるわけでもなんでもないはずです。

大川隆法先生が教えておられるのは、要は、人生というのは自分の努力で変えていけるものなのだから、占いなんてものに振り回されずに、自分の力で自分を変え、自分の人生を切り拓いていく努力をしていくべきだ、ということだと私は思っているのです。

信仰告白の時代ー智慧と慈悲の新世紀を拓く 『信仰告白の時代──智慧と慈悲の新世紀を拓く』

 大川隆法著


(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!) 
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へ



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




偏差値が低い学校なんだ。だから、もう先が見えた気がしてるんだ。進学も、就職も結婚も、こんなに低い偏差値だと、いいわけないじゃん? なーんて悩みもってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『青春に贈る──未来をつかむ人生戦略』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 これから先の十年間や二十年間では、そうとう大きな開きが出るということを心がけておいてください。(中略)
 たとえば中学校や高校の時代に、成績が中ぐらいだったとしても、学年が違えばどうでしょうか。一年下の学年へいけば、成績はかなり上のほうへくるでしょう。二年下までいくと、さらにもっと上のほうにきます。そうしたものなのです。自分は普通の成績の人間だと思っていても、普通の成績の三年生の人が一年生のクラスにいけば、かなり上のほうまできてしまいます。わずか二年ずれただけで、それほどの違いがあるのです。
 社会に出ると何十年もの差があるので、このような二年や三年の比ではありません。十年や二十年の差というものは、大変な開きです。現在どのような土台に立っていても、将来的には必ず変わってくるのです。
 したがって、「変わる」ということを前提にして、志を持ちつづけることが、非常に大事なことなのです。「自分というものは、変えていくことができるのだ。人生というものは、切り開いていくことができるのだ」と思って、十年、二十年、三十年と、志を持ちつづけることが大事です。
 この志を捨てた人は、過去の「あなた」が今後の「あなた」としての姿になるのです。
 つまり、自分の過去を見て、「自分はこういう人間なのだ」と思えば、その「あなた」が今後の「あなた」になって、六十歳になっても七十歳になっても、死ぬまでそれを引きずっていくのです。青春時代の自己評価がそのまま続くということです。
 五十歳、六十歳になると、二十歳前後という年代は何十年も前のことになるでしょうが、中高年以上になってから、何十年も前の事実でもって言い訳をするような、卑怯な人生を生きてはいけません。過去は過去として、「その後の数十年間、自分はいったい何をしてきたのか」ということを問うべきだと思うのです。過去を見つづける人生であってはならないのです。(中略)
 現在は、「偏差値社会」といわれるように、高度な教育社会になっています。偏差値などで各人の能力が細かくランク分けされていて、非常に苦しい気分がすると思います。それが、進学、就職、結婚など、いろいろな時についてまわるということが、現実にあちこちで起きてきます。
 しかし、それは過去に対しての判定なのです。過去に対しての判定は、過去の自分はそうであったということですから、潔く受け入れたらよいのです。
 過去自体を覆すことはできません。ところが、未来に関しては、覆すことができるのです。(中略)未来に関しては、過去の影を引きずらなければいけないという理由は、まったくないのです。「別の人間になりうる」ということです。これを強く自覚してほしいと思います。
(36~39ページ)

たとえば、中学や高校時代に、普通の成績の3年生が1年生のクラスにいけば、かなり上のほうまで来るほど違いがあるだろうが、社会に出ると、何十年もの大変な開きがあって、その差は2年どころではない。

自分の過去を見て、自分はこういう人間だと思えば、青春時代の自己評価がそのまま続くことになるが、中高年以上になってから、何十年も前の事実でもって言い訳をするような、卑怯な人生を生きてはいけない。

したがって、自分は変えていけるのだ、人生は切り開いていけるのだと思って、10年、20年、30年と志を持ちつづけることが大事である──。

過去がどうだったかではなく、これからの未来に向けて、地道に努力を重ねていけば、「縁起の理法」で、かならずその努力は花開く、自分の中身は変わっていって、「別の人間になりうる」、ということなんだと思います。

ものすごく希望に満ちていて、しかも、ほんとうにそうだよなあって、心の底から納得できる教えだと、いまさらながらに思います。

このブログを書いてる私自身を含めて、私のまわりには、この教えを信じて素直に努力して、過去とまったく違う人間になることができた人が、ほんとうにたくさんおられます。

大川隆法先生の説かれる真実の教えの凄さに、今日も改めて私は感じ入っているのです。
 

青春に贈る ー未来をつかむ人生戦略ー (OR books) 『青春に贈る──未来をつかむ人生戦略』

 大川隆法著


(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!) 
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へ



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




死後の世界、あの世があるってこと、何度も何度も教えられてるけど、でも、別に教えられなくても、死んだら自分で分かるんじゃないの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『復活の法──未来を、この手に』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 いちばん困るのは、死んであの世に還ってからも、「自分は、死んで霊になり、あの世で生存している」ということを認めない人がいることです。こういう頑固者は、救うことがとても難しく、難儀をします。
 みなさんが伝道しようとしても、生きているときに頑強に抵抗して信じない人たちは、死んでも、死後の世界を認めません。一般的には、「死ねば分かるだろう」と思うかもしれませんが、彼らは死んでも分からないのです。なぜなら、「死後の世界はありえない」と思っているからです。
 彼らが、死んで、あの世に還り、こちらが、「どうだ。これで分かっただろう」と思っても、彼らは、どうしても認めません。あの世にも人間的な世界があり、特に初級霊界においては、この世と似たような生活をしている人も数多くいるため、彼らは、そこを、あの世だとは思わず、この世だと思うのです。
 彼らは、この世と少し感じが違うのは分かるのですが、「何かの具合で、変な所へ来たのかな」と思っています。違った世界であっても、だんだん目も慣れてきます。また、草花があったり、小川があったり、山があったり、町があったり、人々がいたりすると、最初はカルチャーショックのようなものを受けるのですが、そのうち、「外国にでも迷い込んだのかな」と思い、しだいに慣れてくるのです。
 それで、そこがあの世だということを認めようとせず、自説を曲げないわけです。
 そういう人が多くて困ります。彼らは実に頑迷です。
 特に、自分が病院に入ったところまでは覚えている人もよくいて、最後の砦として、「何かの薬のせいで幻覚を見ているのではないか」「自分は夢を見ているのだ。これは夢のなかの世界なのだ」などと言い張る人もいます。こういう人の場合は、「付ける薬はない」というぐらい難しいのです。
 彼らは、こちらが何をどう言っても信じません。たとえば、「あなたは、何日もご飯を食べていないのに、死なないでしょう」と言っても、「それは夢の世界だからだ」と開き直られると、もう、どうしようもないわけです。「これは夢だ。あなたも夢、私も夢。悪い夢だ」などと言う人がいるのです。
 普通の人の場合は、「あなたは死んでいて、肉体がないから、胸に手を差し込んだら、手が胸のなかを通ってしまうでしょう」と言って、実際にやらせてみると、気づくのですが、それを言っても、「夢の世界だからだ」と言い返す人もいるわけです。
 そのように、「麻薬のようなものを打たれたか、頭がおかしくなったかして、幻覚を見ている」と信じ込んでいる人がいます。ここまで来ると、もうどうしようもありません。こういう人に対しては、本人が「この世ではない」と分かるまで、しばらく時間をかけるしかないのです。
(28~31ページ)

大川隆法先生が、なぜ喉をからして、繰り返し繰り返し、死後の世界や霊のことを説いておられるのか。

なぜ幸福の科学が、たくさんの書籍を次々に出し、映画を作り、建物を建てて、研修などの行事を毎日のように行なっているのか。

生きているうちに、この世とあの世の真実の一端でも耳に入れておかないと、これを知らない唯物論者は、死んでから大変なことになる──。

いやあ、唯物論者が死ぬことになったあと、どうなるのかは、こういう形で教えていただいて初めて、理解できてきた気がします。

そして、幸福の科学が、「伝道」を強調して必死に仏法真理を広げようとしているのは、まさにこれが理由だったのだと、今日は改めて分かった気が私はしているのです。

 

復活の法 -未来を、この手に 『復活の法──未来を、この手に』

 大川隆法著


(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!) 
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へ



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




「与える愛」が大切って、話としては分かるんだけど、でも、愛されたいって普通のことだし、なんで、愛されることを求めるだけじゃいけないの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『人を愛し、人を生かし、人を許せ。──豊かな人生のために』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 田んぼのなかに入ると、ぬめぬめした蛭(ひる)がいて、すねなどから血を吸っていきます。非常にいやな感じがしますけれども、それは、生産的な仕事を何もせずに、いきなり人の血を吸いに来るからです。人に痛みを与えて自分は肥え太るというのが、まことに気にいらないところです。
 同様に、蚊がいやがられるのは、やはり人の血を抜いていくからです。目につかないうちにスッと抜いて逃げようとするのを見ると、いやだなと思うでしょう。
 ところが、蛭や蚊のような人間、他の人が一生懸命に努力してつくり出したものをスッと抜いていくだけで、自分自身は何も生み出さない人間がたくさんいるのです。
 「なぜ他の人から愛を与えられないのか」「なぜ称賛を受けられないのか」「なぜほめてもらえないのか」「どうしてこんな結果しか出ないのか」など、与えられないことばかりを考えている人は、蛭や蚊のような存在であり、きらわれて当然です。したがって、それに対して愚痴をこぼすというのは、まことに間違ったことなのです。
 蚊をたくさん集めて、「どうぞ血を吸ってください」と言うような人はめったにいないでしょうから、蚊のような人は当然きらわれますが、この「きらわれる」ということが、もう少し柔らかいかたちで出てくると、「自分の願いどおりに与えられない」ということになるのです。
 こうしたことは、もちろん男女の関係においてもあるでしょう。青春期といえば、いちばん異性の愛が欲しいころだと思います。そのころに愛を与えられないと、非常に悩むわけですが、その実、自分が相手に何かをしてあげようと考えたことが、どれだけあったでしょうか。
 たまに何かをしてあげたことがあっても、そのときには必ず見返りを求めていたのではないでしょうか。「こういうことをしてあげたのだから、同じだけのものが返ってきて当然なのに、返ってこない。これはおかしい」という思いばかりだったと思います。
 このように、「与える愛」と思っていても、実際はお返しをもらうつもりの人がいるのです。その場合には、お返しがなければ愛が即座に苦しみに変わります。なぜなら、それはほんとうの愛ではないからです。お返しをもらうことを考えている愛は本物ではないのです。
(26~28ページ)

人の血を吸う蛭(ひる)や蚊がいやがられるように、他の人が努力してつくり出したものをスッと抜いていくだけで、自分は何も生み出さない人間は、きらわれるし、自分の願いどおりに与えられないことになる。

異性の愛が欲しいときに、自分が相手に何かをしてあげようと考えたことがあったか。たまに何かをしてあげても、見返りを求めていなかったか。

「与える愛」と思っていても、実際はお返しをもらうつもりだと、お返しがなければそれは即座に苦しみに変わるが、それがほんとうの愛ではないからである──。

愛を与えるのではなく、求めてばかりいると、人に嫌われたり、そこまで行かなくとも、自分の願いどおりには与えられないことになります。

そのメカニズムって、こういうことだったんだと、目が見開かれた気がします。

「与える愛」がほんとうの愛だと教えられている意味もまた、今日のお教えで、よりよく分かってきた気がします。

「愛の教え」というのは、やさしそうで、でもとても奥が深い教えであったのだと、改めて私は思っているのです。

 

人を愛し、人を生かし、人を許せ。―豊かな人生のために (OR books) 『人を愛し、人を生かし、人を許せ。──豊かな人生のために』

 大川隆法著


(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!) 
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へ



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




幸福の科学って、宇宙人の映画をいくつも公開してたりするけど、あれも超常現象なの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『幻解ファイル=限界ファウル「それでも超常現象は存在する」』――超常現象を否定するNHKへの“ご進講(2)”(幸福の科学出版)のあとがきで、次のように説いておられます。

 この世に人間として生活して五官(眼・耳・鼻・舌・身)で感知できる世界は現象界という。しかし人間の本当の生命は、この現象界を一種の魂を磨く学校と見立てて、あの世から生まれ変わり、肉体に宿り、数十年の人生経験を経て、またあの世(実在界)へと還っていく。
 仏教や神道などいろいろな宗教の勉強をされた方ならご存じの通りである。しかし、学校教育で真実を教えなくなって久しく、教わってないことは「無い」ことと同じととらえる人々も多くなってきた。
 私はこの三十五年間、霊的世界と交流せずして過ごした日は一日もなく、霊界の存在証明を発表し続けている。唯物論の呪縛、洗脳を早く解かねばならない。科学の先には「未知の世界」が広がっていることに気づいてほしいと心から願っている。
(258~259ページ)

要するに、霊的世界はやはりあるわけです。

そして、宇宙人という存在が地球に干渉してきているのも間違いないことも、このブログで何度も何度もご紹介してきました。

でも、霊界の実在さえ認めることができないようでは、チラッとしか現れようとしない宇宙人やUFOについて、きちんとした情報を得ることはまったくできないと思います。

今のNHKは絶対に認めようとしませんが、でも、その霊的世界の先にこそ未来の科学は必ずあるし、人類の未来もまた必ず見つかるのだと、改めて私は思っているのです。
 

『幻解ファイル=限界ファウル「それでも超常現象は存在する」』
 ――超常現象を否定するNHKへの“ご進講(2)”

 大川隆法著



(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!) 
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へ



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




あんな可愛い子が、なぜ突然、病気で、事故で、犯罪なんかに巻き込まれて、死んでしまうの。なんでそんなこと、仏さまは、神さまは許しておられるの? そういう解決できない悩み、苦しみを抱えている人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『永遠の生命の世界──人は死んだらどうなるか』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 なかには、小さな子供で亡くなったりして、親より先に死ぬ人もいて、「なぜ、こんな、ひどいこと、むごいことがあるのか」というようなこともあります。
 しかし、いろいろな経験をし、いろいろな感じ方や生活の仕方をしている人を、一定の人数、この世から霊界に供給する必要があるのです。そのため、赤ちゃんで亡くなる人や幼児で亡くなる人もいるわけです。
 そういう人は、当初は、その死んだときの姿で、あの世に移行します。それに対して、あの世でも、「赤ちゃんのお世話をする」「幼児を育てる」「小学生を養育し、教育する」など、そういう魂修行をしている人たちがいます。その人たちのために、新しい魂が提供される必要もあるのです。
 あの世に還っても、この世での子育てのところで何か後悔が残っているような人などは、魂の子育ての練習をし、この世でやり残した部分を修行することもあります。また、あの世へ行っても、子供が好きな人、子供を育てたり、子供と遊んでやったり、子供を指導したりするのが好きな人もたくさんいます。そういう人用に、やはり、子供の魂の供給も要るのです。
 もちろん、死んで、あの世に還ったら、年齢は自由自在に変わるのですが、それは、あの世での霊的な存在の意味について悟った人の場合であって、普通は、やはり、死んでしばらくのあいだ、一年なり三年なりのあいだは、死んだころの姿をしていることが多いのです。
 そのように、あの世で子育てをしている人もいます。他人の子供を養育している人もいるし、学校の先生のように教えている人もいます。
 あの世へ来るときに年を取っている人が多いのは事実なのですが、いろいろな年齢の人の来ることが、あの世にとっては、ありがたいことなのです。そのような新しい経験を積む人がたくさんいるのです。
(46~48ページ)

いろいろな経験をし、いろいろな生活をしている人を、一定人数、この世から霊界に供給する必要があるので、赤ちゃんや幼児で亡くなる人もいる。

そういう人は、当初は、その死んだときの姿であの世に移行するが、あの世でも、そのお世話をしたり、教育をするなどの魂修行をしている人たちがいる。

あの世へは、いろいろな年齢の人の来ることが、あの世にとっては、ありがたいことである──。

つまり、大きな目で見るならば、いろんな必要性があって、この世でのさまざまな修行はあるわけです。

一見、とても理不尽なことであったとしても、この世だけでなく、霊天上界までを含めてみれば、何らかの理由があって起きている、と考える必要があるということなんだと思います。

そして、仏は、そういう人びとのこの世の営みも、あの世に還ってからの新たな営みをも、すべて慈愛の眼でじっと見守っておられる。

ですから、私たち人間の人生修行では、その体験や出来事を、どんなぶうに自らの「魂の糧」にしていくかがいつも問われているのだと、改めて私は思っているのです。

 

永遠の生命の世界 ―人は死んだらどうなるか― (OR books) 『永遠の生命の世界──人は死んだらどうなるか』

 大川隆法著


(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!) 
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へ



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




いやオレって、心はきれいなんだけど、やっぱし貧乏なんだよね。お金に困らなくなる方法なんて、ないのかな? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『心が豊かになる法則』(幸福の科学出版)のあとがきで、次のように教えておられます。

 幸福の科学は正直な宗教である。経済的に豊かになる本を出せば、世間の人々が眉をひそめるかもしれず、マスコミからも「タタイてやろうか」と思われるものなのに、正直に堂々とその原理を説いている。というのも、お金もうけを第一目標にせず、自己形成や他人のために尽くすことを考えて、一日一生のつもりで生きていると、他の人々が押し上げてくれて、いつのまにか成功することを知っているからである。お金など、成功の残りカスなのである。
 言いかえれば、豊かさを創り出すのは「心の法則」である。他人をだますのではなく、正直であることが、信用の基礎であり、ビジネスの発展原理でもあるのだ。何度でもリバウンドしてこれる心の強さをこそ鍛え上げ、練り上げるべきなのだ。
(128~129ページ)

お金もうけを第一目標にせず、自己形成や他人のために尽くすことを考えて、一日一生のつもりで生きることである。

豊かさを創り出すのは「心の法則」であって、何度でもリバウンドできる心の強さをこそ鍛え上げ、練り上げるべきである。

正直であることがビジネスの発展原理でもあるのだ──。

世の中には、さまざまなお金儲けのノウハウ本があふれているように思います。

起業しかない、株だ、投資だ、はたまた仮想通貨だ etc.。

しかし、現成の仏陀、大川隆法先生が、もちろんそんなこの世的な方法論を説かれるわけもありません。

お金もうけを第一目標にしない、というのは目からウロコの人が多いんではないでしょうか。

むしろ、自己形成や他人のために尽くすことを考えていくこと。

「一日一生」、つまり、今日で人生が終わっても悔いがない一日一日を積み重ねていくこと。

そして、リバウンド力を「心の法則」でつけること。

正直であることの大切さも。

とにかく、こんな短いあとがきに、心が豊かになるだけでなく、この世的な意味でも人生が豊かになる貴重な法則のエッセンスが、端的に示されています。

これは、本文を読まないままではおれないのではないでしょうか。

まずは、お金持ちになる方法を探し求めている方にはもちろんのこと、そこまで行かなくとも、お金に困らなくなる方法を求めている方、そして、仏法真理の発展の教えを深めたい方にも、ぜひとも強くお勧めしたい一書であると、私は思っているのです。

 

心が豊かになる法則 『心が豊かになる法則』

 大川隆法著


(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!) 
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へ



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




なんで私って、女に生まれたんだろう。男に生まれたかったな。自分の魂は、絶対に男だと思うんだけどなあ。・・・なーんて悩み抱えてる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『信仰告白の時代──智慧と慈悲の新世紀を拓く』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 いま女性に生まれているのは、それだけの理由があるからです。したがって、「私は男性に生まれたかった」といくら言い張っても、それでは人生において、おそらく合格点はもらえないと思います。また、「私は女性として生まれたかった」という男性もいるかもしれませんが、いくらそう思っても、やはり合格点は出ないでしょう。「いま与えられているもののなかに、自分がやるべきことがあり、そこに仏の御心が現われているのだ」と思って、それを最大限に光らせていくことが大事なのです。
 人間には「魂の兄弟」というグループがあり、そのうちの一人が順番にこの世に生まれ変わってきて、人生経験を積みます。そして、あの世に還ると、その経験をグループのメンバーで共有し合っているのです。
 それはちょうど、手の五本の指と掌のようなものです。親指、人指し指、中指……と、指は違っても、全体が一つの手です。掌が魂の兄弟の本体で、そのほかに、短いけれども太い親指、ちょっと長い中指、かわいらしい小指など、こうした魂の兄弟がいるのです。そして、何かをつかむということを手全体でしているように、魂のグループ全体で経験を積んでいます。魂の転生輪廻をしながら、いろいろな人生経験をしているのです。
 私は、いろいろな人の過去世、つまり魂の兄弟を見たことがありますが、だいたい八割から九割の人は、男性は男性、女性は女性です。それが、やはり非常に多いのです。ただ、よく調べてみると、なかには、男性霊のグループのなかに女性霊が入っている場合もあるし、逆に、女性霊のグループのなかに一人や二人だけ男性霊が入っていることもあります。それぞれに何らかの魂修行の目的があって、そのような構成になっているのだと思います。
 したがって、どうしても、いま女性であることが納得いかない、あるいは男性であることが納得いかないという人は、転生の過程で、逆の性で生まれ変わることも可能ですから、実験したらよいと思います。
 しかし、今世、男性あるいは女性に生まれたならば、その性に基づいて、自分の今世の使命を果たしていくことが大事だろうと思います。
(170~172ページ)

人間には「魂の兄弟」というグループがあり、そのうちの一人が順番にこの世に生まれ変わってきて、人生経験を積み、あの世に還るとその経験をグループのメンバーで共有し合っている。

8割から9割の人は、男性は男性、女性は女性だが、男性霊のグループのなかに女性霊が入っている場合や、逆に女性霊のグループのなかに男性霊が入っていることもある。

いま女性に生まれているのは、それだけの理由があるから、その性に基づいて、自分の今世の使命を果たしていくことが大事である──。

いま「LGBTQ」と言われる問題が、世間で大きく問題になっています。

そんな問題を考えるための霊的な基礎知識が、今日のお教えではないかと思えます。

あの世はほんとうにあって、人は魂修行のために、この世とあの世を転生輪廻している。

だから、今の人生というのは、長い長い魂修行のひとこまであって、「人生は一冊の問題集」であると知らなくてはならない。

とするならば、今世、女性に生まれたというのは、何らかの魂修行の目的があって生まれてきたのだということになるわけです。

そして、そのもっと大きな背景には、そんな仕組みを作られた「神」「仏」がおられて、その魂修行の目的というのは、「仏の御心」でもある、わけです。

大川隆法先生は、こんな霊的真実を踏まえて、今日も力強く教えて下さっていたのだと、改めて私は思っているのです。

 

信仰告白の時代ー智慧と慈悲の新世紀を拓く 『信仰告白の時代──智慧と慈悲の新世紀を拓く』

 大川隆法著

 


(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!) 
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へ



コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )




ねえ、呪いって、なんなの。大昔の話なんじゃないの。いまの時代にもほんとにあったりするの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『呪いについて──「不幸な人生」から抜け出すためには』(幸福の科学出版)のまえがきで、次のように説いておられます。

 宗教的には、シンプルなテーマである。しかし、社会の利便性が高まるほどに、「呪い」って何かが分からないようになってきたようだ。
 すでに学生時代の受験競争や、恋愛、自分の取り扱いについても、「呪い」は発生する。
 大人になって、政治運動をやっていても、「格差社会」とか、「新自由主義は間違っている。」「お金持ちにもっと税金をかけろ。」「MMT理論 お金をバラまけ」とかいろんな政策が出まわっているが、その中に、確実に、現代の「呪い」がこめられている。
 「共産主義」の発生そのものが、呪いである。一方、「自由主義」の一角に生息していると思われるマスコミ民主主義も呪いに満ちている。それは、新聞の広告を見るだけでも十分だろう。背景にある宗教的真実を本書でしっかりと学んで頂きたい。
(1~2ページ)

社会の利便性が高まるほどに、分からないようになってきた。

しかし、受験競争や恋愛、政治運動などの中に、確実に現代の「呪い」がこめられている。

背景にある宗教的真実を本書でしっかりと学んで頂きたい──。

うーん、やはり「呪い」というのは、現代においても存在するわけです。

そして、そこには宗教的真実が背景にある。

そんな話を、すぱっと1冊の書物で教えて下さるのは、やはり、下生された仏陀・大川隆法先生ならではだと思います。

じつはこの「呪い」が原因となって不幸な人生を送っている人がいるということなんだと思います。

この「呪い」という言葉が気になる方、必読の一冊であると私は思っているのです。

 

呪いについて ―「不幸な人生」から抜け出すためには― (OR BOOKS) 『呪いについて──「不幸な人生」から抜け出すためには』

 大川隆法著


(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!) 
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へ



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




あーあ、いっぱいお金が欲しいなあ。男の子と仲良くしたいなあ。おいしいものは食べたいしなあ。・・・これって煩悩だよね。なんでこんなの出てくるの。仏さまや神さまが人間を作られたのなら、最初から出ないようにしてくれればよかったんじゃないの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『沈黙の仏陀──ザ・シークレット・ドクトリン』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 煩悩は、毎日毎日、出てきます。きのうの煩悩を刈り取っても、きょうはまた朝から出てきます。きょう刈り取っても、またあした出てきます。もう夏草みたいに生えてきて、抜いても抜いても、刈っても刈っても、また生えてきます。煩悩とは、まさしくそういうものにたとえられます。「きのうまでのことは清算したのだから、もう何も出なければいいのに」と思っても、また出てきます。「きのう確か反省したのに、どうしてまた煩悩が出てくるのだろうか」と思いますが、実際には出てきます。これは生きているかぎり出てくるものです。
 なぜなら、煩悩というものは、人間の生存エネルギー、生命エネルギーと不可分一体のものであり、そう簡単に根こそぎにするわけにはいかないからです。夏草が生えたらいやだというので、除草剤を庭に散布すると、確かに雑草も生えないけれども、草花も生えない、果樹も育たないということになるのと同じです。赤土だらけの、石がゴロゴロしている、砂漠のような荒れた不毛の土地になってしまうでしょう。それがはたして天国かといえば、そうではないのです。
 やはり、黒々とした大地に、草花や樹木がいろいろに生えてくるという豊かさが必要です。その場合、次々と雑草も生えてきますが、それを上手に刈り取っていく、摘み取っていくことが大事なのです。雑草も生えないような土地では、何も育たないのです。そういう不毛な土地になってはいけません。
 煩悩を断てばよいからといって、まったく生命力のない人間、生きているか死んでいるかわからないような無反応人間、無気力人間になってしまってはいけません。雑草も生えないかわりに、肝心なものも何も育たないことになりますから、それではいけません。
 ですから、みなさんの土地、畑、田んぼが、非常に豊かであること、土壌が肥えていること自体はいいことなのです。ただ、それに付随して当然雑草も生えてきます。これを生え放題の夏草のように思い、投げ出したくなるけれども、努力してそのつど刈り取っていかなければいけないのです。
 煩悩という悪しき精神作用は、次から次へと湧いてきて、いま反省したばかりなのに、次の瞬間には違ったものが出てくることがあります。けれども、「この無尽に見える煩悩をなんとかして断ち、日々の刈り取り作業をしていきましょう」ということです。
(56~59ページ)

煩悩は、毎日毎日、出てくるのであって、これは生きているかぎり出てくるものである。

なぜなら、煩悩というものは、人間の生存エネルギー、生命エネルギーと不可分一体のものであり、そう簡単に根こそぎにするわけにはいかないからである。

やはり、黒々とした大地に草花や樹木がいろいろに生えてくるという豊かさが必要であって、次々と雑草も生えてきても、それを上手に刈り取り、摘み取っていくことが大事なのである──。

なるほど、なるほど、です。

煩悩というのは、悪しき精神作用のこと。

でも、それは人間の生存エネルギー、生命エネルギーと不可分一体のものだから、根こそぎなくすると、生きていく力も何もなくなっていくことになりかねない。

生命力豊かに生きていけば、それに付随して、どうしても煩悩が出てくるけど、そこを努力して、刈り取っていくのが大切なんだってこと。

そしてその方法こそが、「反省」なんだということ。

今日のお教えで、このあたりが、ようやくとっても分かった気が私はしているのです。


沈黙の仏陀ーザ・シークレット・ドクトリン (OR books) 『沈黙の仏陀──ザ・シークレット・ドクトリン』

 大川隆法著


(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!) 
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へ



コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )




謙虚さが大切って、聞いたことがあるんだ。いやあ、なんか弱々しい気がするんだけど、どう大切なのよ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『謙虚さの底力──成功を持続する人生哲学』(幸福の科学出版)のあとがきで、次のように説いておられます。

 少し恥ずかしくなるものも含めて、具体的な例は数多く入れたので、分かりやすく読めるのではないかと思う。
 若い頃の仕事も含めて、今、半生の自分の足取りをレヴューしつつある。過大評価もせず、過小評価もせず、自分の能力と実績を判定するのは至難の業である。
 ただ言えることは、本書を熟読した青年の二十年後は、おそらく、本書を手にしなかった方とは大いに違うだろうということである。
 あらためて説く「虎の威を借る狐」や「ウサギとカメ」、「アリとキリギリス」は、幾百年と語り継がれた、子供向けの処世訓である。しかし、その中には、宗教的悟りも含まれている。こんな簡単なことを忘れたために、転落していった人がいったいどれだけいたか。
 つまらない大人には決してならないでほしい。
(306~307ページ)

つまらない大人には決してならないでほしい──。

最後のこの一文は、強烈です。

子供向けの処世訓と馬鹿にしたりせず、謙虚さの底力を知って、地道に実践することで、成功を持続することができる。

そして、20年後の自分は、そうでなかった自分とは歴然と違った、素晴らしい大人に、なれる。

そんな期待が高まります。

これからの人生で成功していきたい多くの若者たちはもちろんのこと、ある程度の人生経験を重ねてきた方々にも、ぜひともお勧めしたい一書であると、私は思っているのです。

 

『謙虚さの底力──成功を持続する人生哲学』

 大川隆法著


(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!) 
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へ



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




あーあ、また上司に叱られちゃったよ。なんで、こんなつまらないミスしちゃうのかなあ。自分はどうやったら仕事ができるようになるのかなあ。・・・なーんて悩み抱えてる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『幸福の法──人間を幸福にする四つの原理』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 仕事ができるようになる人とならない人を、リトマス試験紙で調べるように、簡単に見分ける指標があります。それは、「仕事に生きがいを持っているかどうか」ということです。(中略)「生きがい」というのは現代的な言い方ですが、時代がかった言い方をすれば、「天命に生きる」ということです。(中略)
 「自分は、この仕事を通して世の中に奉仕し、世の中にお返しをしていくのだ。仕事を通して自己実現をし、世のため人のために尽くしていくのだ」と思うことのできる人は、そういう思いを持つだけで、だんだん、仕事ができるようになっていきます。(中略)
 現代では、多くの人がサラリーマンになりますが、第一志望であろうとなかろうと、結果的に自分が勤めることになった会社に対しては、「自分はこの会社に緑がある。自分はここに天命を得たのだ」と思うことです。「自分はこの会社に緑があって入ったのだ。ここに天命があるのだ」と思って働いた人は、その会社で、めきめきと出世し、成功を収め、自分の思うような仕事ができて、結果的に、天命そのものに生きているようになるのです。(中略)
 たとえ、その会社に天命がなくても、一生懸命に努力した者には次の道が開けます。努力しない者に次のドアが開くことはありません。(中略)したがって、「自分に与えられた環境のなかで最善を尽くし、天命を発揮しよう」と思うことが大事です。
(78~89ページ)

仕事ができるようになる人とならない人を、簡単に見分ける指標は、「仕事に生きがいを持っているかどうか」である。

結果的に自分が勤めることになった会社に対しては、「自分はこの会社に縁がある。ここに天命を得たのだ」と思うことであり、そう思って働いた人は、自分の思うような仕事ができて、結果的に、天命そのものに生きているようになる。

たとえ、その会社に天命がなくても、一生懸命に努力した者には次の道が開けるのであって、与えられた環境のなかで最善を尽くし、天命を発揮しようと思うことが大事である──。

なるほど、なるほど、です。

今日は省略しましたが、大川隆法先生は、本書の中で、いくら考えてみても、いまの仕事を辞めたくてしかたがない人は、無理強いされても大成することはないので、思い切って転職することも勧めておられます。

では、自分が今ついてる仕事が「天命」かと考えてみても、分からない人は、どうすればいいんでしょうか。

そんな人は、いろいろ不満を言ったりする前に、まずはいま自分に与えられた環境のなかで最善を尽くして、天命を発揮しようと思うこと。

今日は、まず思いをもつことが出発点だし、それこそが仕事ができるようになるための最大のポイントであることを、教えていただいたのだと私は思っているのです。

 

幸福の法 ー人間を幸福にする四つの原理ー 『幸福の法──人間を幸福にする四つの原理』

 大川隆法著


(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!) 
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へ



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




ね、幸福の科学の教えって、広大すぎて、どこから勉強したらいいか、も一つ分からないよ。この間、初級テキストって紹介されてたと思うけど、その次のテキストって、ないのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『新・心の探究──神の子人間の本質を探る』(幸福の科学出版)のまえがきで、次のように説いておられます。

 本書は旧版『心の探究』をベースにして、第四章にあらたに「心の浄化」という章をもうけて、心の探究に不可欠である反省の法を説くことに成功したと思っています。
 私が総裁をしている「幸福の科学」では会員の資格として、みずからの正しき心を日々探究する意欲を有することをあげていますが、こうした努力目標を達成するためにも、心の探究についての、基本書が必要であると思います。本書はそのために書かれた一書であります。
 この心について書かれた本書は、ある意味では入門書にも使えますが、また上級用としても使うこともでき、一般的には中級用の教科書として十分に使える内容ではないかと思います。
 「幸福の科学」の真理の体系に出会って、そしてどのように整理したらよいか、考えがまとまらないときに、本書をひとつの材料として、手引きとして、利用していただければ幸いです。
(1~2ページ)

先日は、幸福の科学の教えを初歩から学ぶために、テキストとなる書籍をご紹介しました。

今日は、まさにその次の段階のテキストとなる書籍として、立宗3年目の1989年に刊行されたものです。

大川隆法先生のお教えは、心の教えであり、心の教えは頭で学んでいるだけではだめで、まずは日々、自分で「心を浄化」して、「正しき心の探究」をしていくことが求められています。

そのためにどうしたらいいのかが、誰もに分かりやすく説かれたのが本書です。

しかも、最近、改版されて文字が大きくなって、とても読みやすくなっています。

本書は、これから初めて心の教えを実践して行こうとしている方にはもちろんのこと、長く勉強して来た方が、改めて教えの原点に立ち返るためにも、強くお勧めできる書物であると私は思っているのです。

新・心の探究 ―神の子人間の本質を探る― 『新・心の探究──神の子人間の本質を探る』

 大川隆法著


(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!) 
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へ



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




挫折の繰り返しの人生だよ。ややこしいことが起きると、その問題から逃げちゃうんだよね。でも、このままの私でいいのかなあ? ・・・なーんて悩みもってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『成功の法──真のエリ-トを目指して』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 二度、三度と失敗を繰り返した人のなかには、もはや勇気が枯渇して出てこないように思っている人もいるでしょう。何度も挫折経験を繰り返した人は、逃げることのみを考えます。尻のほうから逃げていくこと、後ろに向かって逃げていくことだけを考えるのです。これを、私は「ザリガニ型人生」と呼んでみたいと思います。
 田んぼのなかや小川のなかに、ザリガニという、エビに似た生き物がいます。彼らは後ろに逃げることしかできません。人が来たり、水のなかで魚が跳ねたり、あるいは、石ころを投げ込まれたりすると、その音に反応して、すぐ、二十センチか三十センチ、後ろにサーッと下がります。
 したがって、ザリガニを捕まえることは、そう難しいことではありません。彼らの十センチか二十センチ後ろに、そっと網を入れておいて、目の前に石ころを一つポトンと落とせばよいのです。そうすると、ザリガニは、みすみす網のなかに入って一巻の終わりとなります。(中略)
 「敵は前にばかりいる」と思って、いつも後ろに逃げる傾向のある人は、後ろに網が仕掛けられている場合には、もはや逃れようがないのです。
 「目の前に起きることが、自分を害することばかりである」と考えるのは早計です。そうではなくて、勇気を持って前に進むときに、そこに道が開けることもあるのです。自分を守ることのみを考え、後ろに下がることばかりを考えていては、真に自分を救うことにはならないのです。勇気ある行動をとることが大切です。
 いま、自分自身を振り返ってみて、失敗癖のある人、挫折癖のある人は、よくよく考えていただきたいのです。
 おそらく、そういう人は、なかなか決断が下せない、優柔不断の性格なのではないでしょうか。自分自身の意思決定ができないのではないでしょうか。
 意思決定ができない上に、おそらく行動に出るのが遅いのでしょう。「できれば、危険を避けたい。不幸な経験を避けたい。傷つきたくない。人との接触を避けたい」という気持ちが強いのでしょう。
 それに輪をかけて、今度は、後ろに逃れることを考えはじめるのでしょう。まるで、ザリガニが水のなかを後ろに向かって逃げ去るように、後ろに向かって進んでいこうとするのでしょう。
 このような人は、「勇気を持って前に出ていく」という気持ちを持たねばなりません。(中略)
 そのときに、おそらく、ほんとうの意味での失敗というものはないでしょう。決断、そして実行が大事です。
(74~78ページ)

何度も挫折経験を繰り返した人は、逃げることを考え、後ろに向かって逃げていくことだけを考える。これを、「ザリガニ型人生」と呼んでみたい。

敵は前にばかりいると、いつも後ろに逃げる傾向のある人は、後ろに逃げることしかできないザリガニと同じように、後ろに網が仕掛けられていると、もはや逃れようがない。

そうではなくて、勇気を持って前に進むときに、そこに道が開けることもあり、そのときに、おそらくほんとうの意味での失敗というものはないだろう──。

勇気をもった決断と実行が大事であること、勇気ある行動をとることが大切であることを、大川隆法先生は強調されています。

今日のお教えを受けて、自分が「ザリガニ型人生」を送ってきたことに気がついた人は、まず勇気をもとう、勇気ある行動をとろうと、強く決意すること。

それが今までの人生を仕切り直して、新たな人生を歩みだす第一歩となるのではないかと、私は思っているのです。

 

成功の法: 真のエリ-トを目指して (OR books) 『成功の法──真のエリ-トを目指して』

 大川隆法著


(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!) 
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へ



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




信仰なんて、目に見えないものを信じるってことでしょ。なんで、そんなもの、信じることができるの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『永遠の仏陀──不滅の光、いまここに』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

あなたがたは、さまざまなる価値観に、
心乱れ、心揺れることもあるであろう。
しかし、信ずるということが、
あなたがたがこの世ならざる存在であるということを、
雄弁に物語っているのだ。
いかなる人の心にも、
信ずる気持ちがある。
信じたいという気持ちがある。
その、信じたいという気持ちは、
この世の存在を信じたいということではない。
この世をはるかに超えたる世界を、
その世界のなかにあるところの叡智を、
信じたいということなのだ。

現代人の多くは、傲慢にも、
自分たちの知力によって理解できぬものは
何もないと言わんばかりに、
驕り、高ぶっているかに見える。
しかし、そのような現代人たちであっても、
深く己の心の内を眺め入るならば、
そこに、理解を超えたものへの熱いまなざしを感じるであろう。
いくらその目を伏せたとて、
仏法真理に寄せる熱い眼は、閉ざすことができまい。

たとえ、この地上で、
どのような博学の人であると言われようとも、
夜空を見上げてみよ。
そこにちりばめられたる星々の神秘を、説明することができるか。
なぜ、地球が丸く、自転しているかを、説明することができるか。
なぜ、太陽が必ず東から昇り、西に沈むかを、説明できるか。
その奥にあるものは、
この世界において魂修行してゆく者たちへの、
大いなる愛であるのだ。
大いなる愛が顕現して、
魂修行をしている人間たちが、たとえ気づくことがなくとも、
彼らに、生きてゆくための環境を与えているのだ。
あなたがたは、この大いなる愛を感じとらねばならない。

地上にある人間たちの理解が及ぼうが、及ぶまいが、
そんなことにかかわりなく、
人々を生かし続けている、
大自然の不思議よ。
大宇宙の神秘よ。
ああ、そこに、
一片の感動を見いだすことができる者であるならば、
信ずるということは、ことのほか、たやすいことであるのだ。
信ずるとは、まず、
自らが生かされていることを知った時に、
魂の奥深くからあふれだしてやまない気持ちであるのだ。
(17~22ページ)

そう。

大自然の不思議。

大宇宙の神秘。

そこに、魂の奥深くからあふれだしてやまない、何らかの気持ちを感じとれるのならば。

まずは、信じてみよう。

それが、神秘の世界、つまり自分の本質は霊であり、魂であり、心であるという「この世ならざる」世界の扉を開く、始まりになるのだろうと私は思っているのです。

 

永遠の仏陀ー不滅の光、いまここに 『永遠の仏陀──不滅の光、いまここに』

 大川隆法著


(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!) 
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へ



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


« 前ページ