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ゆーぱの部屋 ~幸福の科学の教えから~
幸福の科学の教え(大川隆法先生の書籍)で、みなさまの人生の悩みや疑問などを解決するお手伝いをします。
 



ネットの世界って、すこし前には考えられなかったくらい、ひどいサイトが爆発的に増えてるでしょ。なんかの拍子にちょっと行ってみたら、情欲を煽る写真がいっぱいあって、なんて話、よく聞くよ。これって、どう考えたらいいのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『大川隆法 東京ドーム講演集──エル・カンターレ「救世の獅子吼」』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

「自由」という言葉は、確かに尊い響きを持っていますが、自由には方向性が必要です。「天に向かう自由」か、「地獄の底に向かう自由」か──。もし、それが今の世の人たちにわからないのであるならば、それを教えなければならないと思うのです。(中略)
 すべて、
人間の身体や、この世の物事を物質として考えれば、何ら問題がないように見えるかもしれないけれども、人間の本質は肉体ではなく「魂」であり、その魂の中枢である「心」こそがすべてなのです。
 いま地上にあっては、体と魂は不離・不可分になっているけれども、やがて死を迎えるに当たっては、魂だけが、あなたがたの、実際の、実在の存在となります。そのときに、あなたがたは、いったいどのような存在であるかというと、心に思ったことの集積がすべてとなります。
 
地上を去った世界である地獄界には、さまざまな地獄がありますが、そのなかの一つに、「色情地獄」というところがあります。古来、「血の池地獄」と言われている所です。
 男性が女性を恋い慕い、女性が男性を恋い慕うことは、人間としての本能でありますけれども、そこに、人間としての尊厳に基づくルールというものがあります。そのルールを守っているか否かが、天国と地獄を分けることになります。
 貪る心のままに、欲情のままに、その人生を生きたとき、人は、死後、色情地獄という所に堕ちる。(中略)宗教者として、強い言葉を発せざるを得ません。

 恥ずかしいという心、羞恥心を失ったとき、
 人間は動物と同じとなります。
 そして、死んだ後、ある者は「畜生道」へ、
 そして、ある者は、いわゆる「血の池地獄」へ堕ち、
 本能のままに、数百年の人生を、そこで送ることになります。
 それを止めたいのです。
 それは、昔話ではなく、現に今も現実化し、日々、起きていることであります。
(188~192ページ)

自由には、「天に向かう自由」か、「地獄の底に向かう自由」かがあるが、その方向性がわからないのであれば、教えなければならない。

人間の本質は肉体ではなく「魂」であり、その中枢である「心」こそがすべてであって、死を迎えれば魂だけが実在の存在となり、心に思ったことの集積がすべてとなる。

地上を去った世界である地獄界には、「色情地獄」「血の池地獄」があり、貪る心のまま、欲情のままに生きたとき、人は死後、ここに堕ちるから、それを止めたいのである──。

これは大川隆法先生が、まだ20世紀だった1994年に東京ドームで説かれた御法話「永遠の挑戦」の一節です。

30年も前になされたこの警告は、21世紀の今、ネット世界に蔓延している色情の世界にこそ、ますますあてはまっているようです。

大川隆法先生のお教えどおりに、やはり私たちは、地獄の底へではなく、天に向かって自由にはばたきたいものだと、改めて私は思っているのです。

 

大川隆法 東京ドーム講演集 ―エル・カンターレ「救世の獅子吼」― 『大川隆法 東京ドーム講演集
 ──エル・カンターレ「救世の獅子吼」』

 大川隆法著

 

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こんなふうになったのは誰とかさんのせいだなんて、人を恨んじゃうこと、あるよね。でも、こんなことしてて、幸福になれるのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『人生の王道を語る』(幸福の科学出版)で、「人生の再建」と題して、こう教えておられます。

 まずいちばん最初に申し上げておきたいことがあります。
 それは、仏教のなかで言われる「恨み心で恨みは解けない」という言葉です。この一行の文句、これがわからない人が数多くいるのです。
 苦しみ、悲しみ、病気、挫折、そういうもののなかに自分があるとき、人はどうしても自分以外の何かのせいにしてみたいという気持ちになります。そして、その気持ちが、単に自分の本来あるべき姿から逃げた姿勢であるだけではなく、もっと積極的に他の人を恨むという感情となっておられる方もいます。(中略)
 ごく自然な感情と言えばそれまでですが、しかし、そのような思いをもってしては、決して幸福になることはできません。成功することもまたできないのです。まず最初に、これを言っておきたいのです。
 なぜであるか、おわかりでしょうか。
 自分の心の傷、自分たちの心の傷をストレートに吐き出しているならば、それで胸の内はすっきりとするように思うかもしれませんが、その実、そういう心でもって生きつづけるということは、自分自身の魂が、知らず識(し)らず、毎日、毎日、砒素(ひそ)の毒とでもいうべき毒素を飲み続けることにほかならないのです。
 正義の観点からいって自分の思いは正義であると思うかもしれませんが、残念ながら、いかなる理由がそこにあるとしても、人を恨むことによって絶対に幸福にはなれないということになっているのです。
 それは、その思いが、その本質をつきつめたならば、相手を不幸にしたいという気持ちだからです。いかなる理由に基づくにせよ、他の者を害したいという思いは、神の心に反した思いなのです。その思いは、単に相手に届くのみならず、必ず自分自身に返ってくるようになっております。それが法則なのです。
(76~79ページ)

「恨み心で恨みは解けない」。

そのような思いでは、決して幸福になることはできないし、成功することもできない。

恨み心の本質は、相手を不幸にしたい、他の者を害したいという、神の心に反した思いであって、必ず自分自身に返ってくるのが法則である──。

つまり、幸福になりたいのであれば、不幸の再生産をしないこと。

マイナスの思いを出さないようにして、プラスの思いを出すこと、なんだろうと思います。

以前、ご紹介したことがありますが、その具体的なやり方についても、大川隆法先生は教えておられます。

大川隆法先生のお教えによって、一人でも多くの方が幸福への道を歩んで下さることを、改めて強く私は願っているのです。

 

人生の王道を語る: いざ、黎明の時代へ (OR books) 『人生の王道を語る』

 大川隆法著

 

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死後の世界が、もし本当にあるんだったら、そして仏さまや神さまがいるんだったら、それをこの世の人間に分かるようにしてないのは、おかしいんじゃないの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『信仰のすすめ』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 しかし、誰もが分かるようになっていないことには理由があるのです。その理由とは、「この世の世界そのもの、数十年の人生そのものが、ある意味で、一種の試験である」ということです。
 人間は、本来の世界である霊的世界から生まれてきて、肉体に宿り、物質世界のなかで生きています。そして、「この物質世界のなかで生きながら、どれだけ、霊的な人生観を手に入れることができるか。かつて仏神から学んだ教えを、どれだけ、実体験し、実践できるか」ということを、ある意味で試されています。人間は、人生において、さまざまな経験を積んでいきますが、それは試験でもあるのです。
 その試験が終わったとき、人生が終わったときには、霊的世界のことが分かるようになっています。試験が終わると、人生の総復習が行われて、「あなたの今回の人生は、こうでした」ということが明らかにされます。それまでの何十年かのあいだは蓋をされているのです。
 結局、「霊界がほんとうにあるならば、仏や神がほんとうにいるならば、人間に分かるようになっていなければ不親切だ」と主張することは、試験問題を配られて、それを解くときに、「答えが印刷されていないではないか」と文句を言うことと同じなのです。あるいは、「試験監督が何も教えてくれないのは、けしからん。冷たいではないか」「教科書を持ち込み可にしろ」「答えを教えろ」などと言う感じに近いのです。
 それに対する答えは、「一時間なり二時間なりの時間をかけて問題を解くのが、あなたの仕事です。試験が終わったあとには採点して返しますが、いまは答えを教えられません」ということになるわけです。
 ただ、ときどき、親切な人がいて、ヒントを与えてくれることはあります。
 幸福の科学の経典などがあることは、いわば「辞書持ち込み可」に当たるかもしれません。「答えは教えられませんが、辞書は持ち込んでも結構です。自分で辞書を引いて調べるぐらいは、かまいません」ということです。
 人生は一種の試験なので、答えを、全部、教えるわけにはいかないのです。しかし、ヒントは、人生の途中で、たくさん与えられるようになっています。さまざまな気づきの機会が用意されているのです。
(63~66ページ)

「人生そのものが一種の試験である」──。

このお教えは、架空の話じゃないんですよ、ほんとなんですよって。

そう知ってみてから、よくよく考えてみると、人生の謎って、ほんとに全部解けていく気がします。

そして、幸福の科学の経典(書籍)というのは、なんでしょうか。

たしかに、自分の人生の問題集の解答そのものではありません。

だけれども、人生の問題集に解答するための大事な大事な参考書であるのだと、改めて私は思っているのです。

 

信仰のすすめ―泥中の花・透明な風の如く (OR books) 『信仰のすすめ』

 大川隆法著

 

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笑顔が似合う人って、いいよね。でも、私には笑顔なんて似合わない。かわいくないんだから。・・・なーんて、ちょっとすねたこと考えてる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『成功の法──真のエリ-トを目指して』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 私は、また、次の言葉を語っておきたいと思うのです。それは、「笑顔は努力に比例する」ということです。
 いま、美しい笑顔の人がいるとして、みなさんは、その人の笑顔は生まれつきのものだと思うでしょうか。そして、「いつも笑顔でいられる人というのは、いつも幸運なことばかりがある人だ」と、ほんとうに思うでしょうか。
 どんな人間にも、人知れぬ苦労、人知れぬ悲しみはあるものです。そういうときに、実は、笑顔というものが崩れていくものなのです。
 誰にでも、笑顔を渋面に切り替えていく、逆の意味での“チャンス”はあったのです。笑顔が渋面に変わるような、苦しい瞬間はあったのです。そのつどそのつど、笑顔のなかに神経質な皺(しわ)を刻み込んでいく機会はあったのです。
 しかし、それをせず、笑顔でいつづけることができたということは、素晴らしいことです。(中略)
 「笑顔は努力に比例する」ということは、「笑顔の人は、それだけ、笑顔をつくろうと努力してきた」ということです。
 笑顔をつくろうとする努力には、決して、「自分の内面をごまかそう」というような気持ちがあるわけではありません。
 笑顔をつくることは、「顔施」とも言われています。笑顔は、人に対する施しでもあります。笑顔を持った人が一人でも多く出ることが、世の中がよくなっていくための方法でもあるのです。(中略)
 笑顔をもって接してくる人に対して、不愉快に思うことは難しいのです。不愉快に思いつづけることは困難なことなのです。
 人生を生きていくための一つの秘訣は、「とにかく笑顔を維持する。努力してでも笑顔をつくっていく」ということです。それが、多くの人のためになり、世の中のためにもなるのだということを忘れてはならないと思います。
(87~92ページ)

笑顔は努力に比例する。

それは、笑顔の人は、それだけ笑顔をつくろうと努力してきたということである。

とにかく笑顔を維持する、努力してでも笑顔をつくっていくことが、多くの人のためになる「顔施」であり、世の中のためにもなることを忘れてはならない──。

今日、この叡智の言葉に触れた以上は、どうか笑顔を忘れないでいたいものです。

まずは自分から、笑顔で、世の中を少しでもユートピアに近づけていく第一歩を踏み出そう。

改めて私はそう決意したのであります。

 

成功の法: 真のエリ-トを目指して (OR books)

『成功の法』

  大川隆法著

 

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ね、天上界のジョン・レノンが、幸福の科学にたくさん楽曲を降ろしてるって、聞いたよ。ジョン・レノンって、どんな世界の人なの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『ジョン・レノンの霊言──天国から語る「音楽」「愛と平和」「魂の秘密」』(幸福の科学出版)で、呼び出された直後のジョン・レノンの霊の言葉(「霊言」)を、2人の質問者との対話の形で、次のように伝えておられます。

大川紫央 ジョン・レノンさんは、天国にいますか。
ジョン・レノン はい。
大川紫央 どんな世界にいますか。
ジョン・レノン まあ、ジャンルは違うけど、あなたがたと同じフロアの、ホテルの部屋にいるようなものです。
大川紫央 すごい。ああ。やっぱり、多くの人に影響を与えたからですね。
ジョン・レノン だから、「宗教家たちがフロアの反対側にいたら、こっち側にアーティストとしている」っていう感じ。
大川紫央 なるほど、なるほど。(中略)あなたは、イエス様と話せますか。
ジョン・レノン はい。
大川紫央 すごーい!
和田 昔から、お友達といいますか、お知り合いなんですか。
ジョン・レノン はい。
大川紫央 どんな関係?
ジョン・レノン うーん。分身かな。
和田 分身!
大川紫央 本当ですか! ?
ジョン・レノン ええ。マッカートニー(の守護霊)が、「(自分は)パウロだ」って言っているんでしょ?
大川紫央 はい。
和田 それも本当ですか。
ジョン・レノン そうですよ。
和田 すごいですね。
大川紫央 だから、よく来てくれるんですね?
ジョン・レノン うん。だから、宗教の仲間だ。
(21~24ページ)

ジョン・レノンは、とても高い、高級霊の世界にいる。

ポール・マッカートニーの守護霊は、パウロである。

そして、ジョン・レノンは、イエスの分身であった──。

おーっと、あまりに凄すぎる対話です。

なぜビートルズの音楽が、あんなに世界を熱狂させ、広がったのか。

そして、なぜ今もなお、世界中で聞かれているのか。

そこには、衝撃の魂の秘密があった、わけです。

今日は、この重大すぎる霊言集を、ここで今までご紹介してなかったのは、なぜだったんだろうと思いつつ。

ビートルズを、そしてジョン・レノンを愛するすべての人に、強く強くお勧めしたい大事な書物であると私は思っているのです。

ジョン・レノンの霊言 ―天国から語る「音楽」「愛と平和」「魂の秘密」― (OR BOOKS) 『ジョン・レノンの霊言
 ──天国から語る「音楽」「愛と平和」「魂の秘密」』

 大川隆法著

 

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ね、あの世があるって、聞くことがあるんだけど、ほんとの話なの。この人生、死んだらすべて終わりじゃないの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、最新刊『地球を包む愛──人類の試練と地球神の導き』(幸福の科学出版)で、次のように説いておられます。

 やはり、この世で、名刺とか「傍から見た姿がどうであるか」によるのではなくて、その人の心と行いが、その人の人生のものであり、その人の値打ちそのものであり、「今世どう生きたか」が「来世どこに行くか。あの世においてどこに行き、そして、次の世においてどういうふうに生れるか」を決めるのだということを、釈尊は説いたのです。(中略)
 インド哲学とかいう難しい勉強をなさっても、この釈尊の教えを読み解いて唯物論的にしか解釈できない人がいっぱいいます。むしろそれが主流です。もうかわいそうなぐらいです。(中略)
 みなさん、私が嘘つきに見えますか。(中略)
 私は1円のごまかしも嫌いな人間です。嘘を憎みます。人を騙すことを憎みます。嫌いです。正直でない人間が嫌いなのです。世の中をごまかして行き渡っていく人間が嫌いなのです。
 偽物は嫌いなのです。フェイクは嫌なのです。
 だから、あくまでも本当のことを本当のこととして、真実のことを真実のこととして追い求めたいと思っています。
(37~41ページ)

釈尊は、その人の心と行いが、その人の人生のものであり、今世どう生きたかが、来世どこに行くか、次の世にどう生れるかを決めるのだと説いた。

大川隆法先生は、嘘を憎む。人を騙すことを憎む。正直でない人間が嫌いである。

だから、あくまでの本当のことを本当のこととして、真実のことを真実のこととして追い求めている──。

大川隆法先生の新たなお教えが、最新刊として久しぶりに発刊されました。

あの世があるという真実、そして、今世の人生修行の意味について、大川隆法先生は全身全霊を込めて説かれました。

大川隆法先生が真実を語っておられることを、誰もが否定できない、この言魂の力。

今日は、2021年、全国全世界3500カ所に衛星中継され、海外でも、そして日本においても、たくさんのテレビ局で放映された、さいたまスーパーアリーナでの御法話の一節を、ご紹介しました。

真実を追い求め、世界のすべての人々を救いたいという、この大川隆法先生の「地球を包む愛」が、必ずや世界のすみずみにまで届く日が来ることを、心の底より私は願っているのです。

地球を包む愛 ―人類の試練と地球神の導き― 『地球を包む愛──人類の試練と地球神の導き』

 大川隆法著

 

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ねえ、現職の小池都知事の守護霊霊言って、このブログで紹介されてたと思うけど、こんどの都知事選に蓮舫って人も出てて、いっぱい報道されてるじゃない。この人、ほんとはどんな政治家なのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、2016年、まだ民主党という政党があって、蓮舫氏にけっこう人気があったころ、その守護霊の霊言を公開収録した『蓮舫の守護霊霊言』を発刊されて、次のように説かれました。

 なぜそれほど人気があるのかは、私にはさっぱり分かりません。
 現在、48歳で、以前は、モデルやキャスター等をされていた方です。台湾人のお父さんと、日本人で「ミス・シセイドウ」だったお母さんとのハーフということで、テレビ等に出たり、ポスターになったり、いろいろしていたので、見え方や見せ方はうまいのかもしれないし、おそらく、人の目を引くのが上手なのでしょう。
 また、言葉についても、「ワンフレーズ・ポリティクス(一言政治)」のようなものは得意なのかなという感じはします。これは、最近の流行りではあるでしょう。例えば、「一番じゃなきゃダメですか?」という言葉は、けっこう有名になりました(中略)
 さあ、本当のところは、どういう人なのでしょうか。これについては、単に「自民党寄り」という立場からだけではなく、国民的立場からも知っておいたほうがよいでしょうし、当会も、政治に少し関係のある団体として、“内情”を知っておいたほうがよいかもしれません。
 やはり、女性としての人気が出てくる理由を、小池さんに続いてもう少し知りたい感じはどうしてもあります。
(18~19ページ)

これは、大川隆法先生が、その守護霊を呼び出す前に、霊言収録の趣旨を説明をしておられる部分になります。

本書は8年前の収録ですから、現在、56歳ということになるんでしょうか。

目を通してみれば分かりますが、蓮舫氏の守護霊は、本書に収録された霊言で、あまりに赤裸々に、その本心を語り尽くしているようです。

特に、はなはだしく中国寄りの思想を持っており、アメリカでなく中国につくことを強く強く主張していることが目を引きます。

つまり、この人が本当に日本の首都・東京のトップ(都知事)になってもよい政治家なのかどうかを、本書だけで答えが出せてしまえるという意味で、今まさに読まれるべき重要な一書ではないかと、私は思っているのです。

なお、二人を対比する意味で、同じく都知事選に出馬している現職の小池都知事の守護霊霊言も参考にされることを、合わせてお勧めしたいと思います。

 

蓮舫の守護霊霊言 ―“民進党イメージ・キャラクター”の正体― 『蓮舫の守護霊霊言』

 大川隆法著

 

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いつも朝から体の調子が悪いんだけど、あの人に恨まれてるからじゃないかなあ。自分はそんなことしないようにしてるつもりなんだけど、でも、人が自分のこと恨むってのは、どうすればいいの? なーんて悩み抱えてる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『不動心─人生の苦難を乗り越える法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 生きている人間の場合でも、その人がある人を非常に強く憎んだり、恨んだりすると、その思いが一日じゅう相手に伝わっていきます。その結果、その想念波動の影響が出て、憎まれたり恨まれたりした人は、非常に苦しく、からだがだるくなったり、病気になったりします。(中略)
 恨みを解く方法の一つは反省です。自分は恨みを買っていると思ったならば、なぜ恨みを買ったのかについて静かに振り返り、反省してみることです。そして、自分の欲、我欲のままに人の恨みを買ったような事実があれば、その人に直接に謝るか、あるいは心のなかでわびることです。
 なかには、まったくの誤解に基づく恨みもあります。この場合は、行き違いを説明できればそれでよいのですが、すでに説明もできないような相手であるならば、心のなかでしっかり和解することです。あるいは、自分の守護霊や指導霊を通して、相手の守護霊にお願いすることです。(中略)
 恨みを買うからには、相手の悪いところばかりを見てきたはずです。そうではなく、悪いところを一つ見つけたならば、よいところも一つぐらいは見つけることです。あるいは、悪いところを三つ見つけたならば、感謝すべき点も三つぐらい探してみることです。こうした考え方が大事です。
 「立ち向かう人の心は鏡なり」という言葉があるように、自分の心が変わっていけば、相手も自然に変わっていくのです。(中略)
 人に恨まれ、いい気持ちになる人はいませんし、それで出世する人もいません。人の恨みはできるだけ買わないことです。そのためには、日々、謙虚に、感謝しながら生きることです。
(140~144ページ)

憎まれたり恨まれたりした人は、その想念波動の影響から、からだがだるくなったり、病気になったりする。

恨みを解くためには、静かに振り返って反省し、自分に原因があれば、その人に直接に謝るか、心のなかでわびる、あるいは、自分の守護霊や指導霊を通して相手の守護霊にお願いすることである。

相手の悪いところを1つ見つけたら、よいところも1つくらい見つけるよう心掛けることで、自分の心が変わっていけば、相手も自然に変わっていく。そして、日々、謙虚に、感謝しながら生きること──。

誰かに恨みを買ってしまったら、素直に反省すること。

心の中でわびたり、和解したり、相手の守護霊にお願いするような、霊的な対応もしてみること。

相手のよいところを見つける努力をしてみること。

そして、日々、謙虚に、感謝しながら生きることだ、というのです。

今日の大川隆法先生のお教えは、こんなときにこそ「心の法則」が効いてくることを、とても具体的に教えてくださったのだと私は思っているのです。


不動心ー人生の苦難を乗り越える法 (OR books) 『不動心─人生の苦難を乗り越える法』

 大川隆法著

 

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「運命」については、なんどか触れてきましたが、今日はまた別の角度から。

幸福の科学の大川隆法先生は、『釈迦の本心』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 はたして運命があるのかと言えば、個人によって、その内容にも程度にも差がありますが、運命を形成している因子がいくつかあることは事実です。
 第一の形成因子は、業、つまり魂の傾向性です。第二の因子は、両親や兄弟といった家庭環境です。第三の因子は、時代環境、社会環境です。第四の因子は、本人自身の努力です。第五の因子は、他の人びとの協力です。
 この五つの要素が運命をかたちづくっているのですが、第四の「本人の努力」と第五の「他人の協力」の部分が、未確定のものとして残されていると言ってよいでしょう。
 第一から第三までの部分、すなわち、魂の傾向性や家庭環境、時代環境は、生まれたとき、すでに決まっているので、変えがたいものがあります。それゆえ、運命には前提条件として決まっている部分が確かにあると言えます。あとは、「本人の努力」と「他人の協力」の部分が、その人の人生でどのような役割を果たすかということにかかっています。
 結局、「運命というものは、生まれ落ちたときに決まっている条件と、その後の条件とが、複合的に関連し合って決まっていくものである」と考えなければならないのです。
(196~197ページ)

運命を形成している因子は、第一に業(魂の傾向性)、第二は家庭環境、第三は時代環境、社会環境、第四は本人の努力、第五は他人の協力、である。

第一から第三は、生まれたときに決まっているが、第四「本人の努力」と第五「他人の協力」の部分が、未確定で残されている。

運命は、生まれ落ちたときに決まっている条件と、その後の条件とが、複合的に関連し合って決まっていくものである──。

いやあ、こういうふうに、分析的にていねいに教えていただくと、しっかり論理的に分かってきます。

要するに、やはり今世の「本人の努力」で、運命っていうのも本当に変えていくことができる、ということなんですね。

今日のお教えは、人生において「努力すること」の意味が、より深く理解できた気が私はしているのです。

 

釈迦の本心 ―よみがえる仏陀の悟り― (OR books) 『釈迦の本心』

 大川隆法著

 

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なんで怒っちゃいけないんだろう。この世って、不正がいっぱいあるし、これが怒らずにいられようかってことなんて、掃いて捨てるほどあるじゃないの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『人生の王道を語る』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 幸福にならんとする人は、まずみずからの心のなかに、静かなる湖面のごとき、平らかで光り輝く水鏡を持っていなくてはなりません。幸福になるためには、その鏡がいつも平らかで、光を放っていなくてはなりません。
 私たちは心のなかに鏡を持っています。これを日々磨くという行為は、反省という行為でもありますが、磨くということのみならず、この湖面を決して波立たせないという工夫が大事なのです。波立たせないことです。いつも、月が映るような透明感あふれる湖面にしておくことです。凪いだ湖面にしておくことです。(中略)
 小さなことで腹を立てるようであっては、到底、その心のなかの澄みきった面を維持することはできません。「怒るなかれ」といいますが、それは、決して道徳的にだけ言っているのではないのです。怒ることによって、この湖面は波立ちます。そして不愉快になるのは自分自身なのです。自分自身の幸福を阻害しているのです。怒りを発するときというのは、自分自身が不当に扱われたと思い、その不幸感覚ゆえに、もっと幸福な自分でなければならないと思って怒りを発するのでしょうが、その結果、自分自身のいちばん大事なものを失っているのです。
 ですから、自己保存の怒りがこみ上げてくるようなことがあったら、いったん踏みとどまっていただきたい。心のなかの湖面をもう二度見ていただきたいのです。自分は今いちばん大事なものを失おうとしているのだということを、知っていただきたいのです。
 自己保存の怒りを発した瞬間、人は断崖絶壁に足がかかっていることを知らねばなりません。それを発したときに、悲しいかな、今まで登ってきた山から千尋の谷に落ちてしまうのです。ゆえに、みずからの向上を願い、そして幸福を願う者は、決して動物的に怒ってはなりません。
 しかし、みなさんは疑問をお持ちでしょう。「世の中は理不尽なことが満ち満ちている。間違ったことが横行しつづけている。また、人から誤解を受けている場合もあるではないか。そのように誤解されたままでは、甚大な被害が出る」と思われることもあるでしょう。
 確かにそれも一理あることだと私は思います。怒りにも私憤と公憤とがあり、私がここで避けるべきだと言っているのは私憤のほうだからです。理性と正義に照らし、積極的悪を押しとどめ、理想社会建設をするための公的な怒りは、必要なものだからです。その際には、冷静さと、相手に間違いを気づかせることも愛なのだという視点をきちんと持っていることです。「怒る」のではなく「叱る」のだと区別することです。心の平静さは、決して失われることはないでしょう。
(56~62ページ)

幸福にならんとする人は、みずからの心を波立たせないことである。

怒ることで心が波立つと、不愉快になるのは自分自身であり、自分自身の幸福を阻害している。

ただし、積極的悪を押しとどめ、理想社会建設のための公的な怒り(公憤)においては、理性と正義に照らし、冷静さと愛の視点を持つことで、心の平静さは失われない──。

怒って、心の湖面を波立たせてしまうのは、自分自身を不幸にする行為だということ。

でも、そのような怒り(私憤)と、理性をもって愛の心で「叱る」こと(公憤)とは別だということ。

今日は、「心の修行」の大切な基本の一つを教えていただいたのだと、改めて私は思っているのです。

 

人生の王道を語る: いざ、黎明の時代へ (OR books) 『人生の王道を語る』

 大川隆法著

 

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ね、幸福実現党って、そろそろやめるはずなんて意見、見たことあるんだけど、たしかに最近、国政選挙に立候補してないでしょ。もう活動しなくなっちゃったりするの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『宗教立国の精神』で、次のように説いておられます。

「政治とは何か」ということを翻って考えるならば、それは、ある意味で、「この地上から不幸を追放する」という具体的な活動であり、(中略)「いかにして幸福を実現するか」を、具体的な技術・方法を用いてやり遂げていくことが政治なのです。(中略)
 すなわち、幸福の科学が考える「人間の幸福」というのは、「この世とあの世を貫く幸福」であり、そのうちの「この世の幸福」の部分において、政治と宗教が並行的に存在するのです。(中略)
 「正しい政治運動は、幸福の科学の使命そのものである」と、私は言いたいのです。あえて違いを言えば、「教えの流布」を中心とするのが宗教としての幸福の科学であり、「この世における具体的なユートピア実現の運動」が幸福の科学の政治部門としての幸福実現党の役割であると考えています。

(25~26、41~42ページ)

幸福の科学が考える「幸福」は、「この世とあの世を貫く幸福」であるが、その「この世の幸福」の部分において、政治と宗教が並行的に存在する。

「教えの流布」を中心とするのが宗教としての幸福の科学であり、「この世における具体的なユートピア実現の運動」が幸福の科学の政治部門としての幸福実現党の役割である。

「正しい政治運動は、幸福の科学の使命そのものである」──。

ここで引用した御法話「天命を信じよ」は、2009年の幸福実現党の立党直後に説かれたものです。

つまり、大川隆法先生のお考えは、立党時からとても明確なわけで、幸福実現党の活動は、幸福の科学の使命の一端をハッキリと担っていることになります。

実際に、幸福実現党は、いまだ国政に議員を送りこめていませんが、すでに地方議員は全国で54名にもなっています。

立党から15年。幸福実現党の本格的な活動は、まだまだこれからなのだと私は確信しているのです。

宗教立国の精神 『宗教立国の精神』

 大川隆法著

 

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生命がどう誕生したか、なんてことは、科学が説明してくれる話なんであって、宗教に関係ないんじゃないの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『永遠の生命の世界』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 第一原因論、「そもそも、なぜ世界ができて、なぜ人間がいるのか。なぜ生まれたのか」という第一原因についての理論を証明することは、科学にも、ほとんど不可能です。科学による説明を聞けば聞くほど、ほんとうに、昔の宗教と言うと語弊がありますが、迷信に聞こえるようなことが多いのです。
 「偶然に、宇宙の一点が爆発して広がった」「宇宙のガスが集まって星ができた」「岩石がぶつかって星ができた」など、聞けば聞くほど、摩詞不思議で、眉に唾をつけたくなるような話がたくさん出てきます。「ほんとうに、そんなことがあるのですか」と言いたくなるような話に聞こえなくもないのです。
 科学では、生命の起源を辿(たど)って、「昔、最初に小さなプランクトンや微生物が生まれ、それから植物が生まれ、さらに動物が生まれた。それが生命の起源である」という言い方もしています。
 しかし、近代の、細菌等の研究によれば、煮沸して消毒したフラスコのなかからは生命は生まれないことが、実験で証明されています。
 以前は、ハエでも何でも自然に発生したように思われていましたが、実は、きちんと大気中(対象物中)にその原因があって生物が生まれていることが分かったのです。「完全に煮沸してしまい、熱湯消毒をして、何も入らないようにしたら、生命は生まれてこない」ということは、ここ百年、二百年で証明されていることなのです。
 そもそも、地球の歴史は四十六億年と言われていますが、地球が最初は灼熱の星であったことは、もう否定のしようがなく、誰もがそれを認めています。しかし、「その灼熱の星、ドロドロにとけ、火の塊となって燃えていたもののなかから、どうして生命が生まれたのか」という問いに答えられないのです。その状態であれば、完全に殺菌されているはずなので、その完全に殺菌されたものから生命が生まれてくるというのは、不思議は不思議です。
 このように、科学でもって最初の原因論を語ると、結局のところ、むしろ、迷信、あるいは空想になってくるようなところがあるのです。
 やはり、目に見える世界以外の力を認めざるをえないのです。「そういう大きな力が働いて、一定の方向性を与え、方向づけをし、それで、この世に力が及び、進化が起きている」と考えれば、非常によく分かります。
(23~26ページ)

そもそも、なぜ世界ができて、なぜ人間が生まれたのかの理論を証明することは、科学には、ほとんど不可能である。

46億年の歴史と言われる地球は、最初は灼熱の星だったはずだが、その状態であれば完全に殺菌されているはずなので、そこから生命が生まれてくるというのは、不思議きわまりない。

ところが、目に見えない世界から大きな力が働いて、この世に一定の方向づけをし、力が及んで進化が起きていると考えれば、非常によく分かってくる──。

今日のお教えを心素直に味わったとき、いろんなことに気がつきます。

実は、科学というは単なる仮説の集まりなんであって、一番たいせつなことを「科学」はほんとうは説明できてなかったりすること。

そして、それを説明できるのは、実は「宗教」だったりするということ。

では、どうやって生命は誕生したと、宗教は説明するのでしょうか?

この話の続きが気になる方は、ぜひ本書を手にとってみられることをお勧めしたいと私は思っているのです。

 

永遠の生命の世界 ―人は死んだらどうなるか― (OR books) 『永遠の生命の世界』

 大川隆法著

 

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なんで、うちのパパとママはあんな人たちなんだろう。なんで、お父さんがいなくてボクは生まれたの。こんな貧しい家じゃ、幸福になれるわけないじゃない。なんで、兄ちゃん、姉ちゃんは、あんななんだろう。・・・・なーんて悩み抱えてる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『瞑想の極意』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 今までいろんな人生相談をうけました。手紙もよく読みました。みなさんからもずいぶん手紙をいただいています。いちいちお答えできないことを私はひじょうに残念に思っています。残念に思っていますが、それらの方々が訴えておられることは、トータルで見ているとだいたい九割以上の人は、自分というよりはまわりに責任がある、環境に問題があるのではないか、こういう見方、考え方であります。しかしこういう人に対してはほんとうに的確なアドバイスというのはできないのであります。
 なぜできないか、それはたとえばその人の不幸の原因を、その人の家族であるとか兄弟であるとか、あるいは環境であるとか、そういうことのせいにしているわけですね。それは私のアドバイスによっては変わらないのです。なぜ変わらないか、そういうご兄弟がおられるということを私は解消することはできないです。そういうご両親であるということを変えることはできません。あるいはその方が生い立ちにおいて不幸であったという事実、これを私は変えることはできません。
 そうです、変えることができるのは、その事実をその人がどう感じるか、どういうふうにつかんで、それをどういうふうに今後生きていく糧としていくかこの点だけであります。環境そのものは変えることはできないのであります。それは私が祈りによって、一躍、その人にとってのユートピア世界を持ち来たらすわけではないということであります。
 ですからその悩みごとを打ち明けたいと思うときに、自分のまわりの問題をどうにかしてほしい。自分の友人をどうにかしてほしい、先生をどうにかしてほしい。あるいは自分の職場にこういう人がいるけれども、これをどうにかしてほしいというような考え方でもって言われたところで私のアドバイスは効を奏しないのであります。
 したがってみなさん方はまずみずからの心を整えるということを出発点にしていただきたいのであります。
(122~124ページ)

人生相談を受けていると、9割以上の人は、まわりに責任がある、環境に問題があるという考え方をしているが、こういう人に対して的確なアドバイスはできない。

不幸の原因を、家族だとか兄弟だとか環境だとかのせいにしていると、そういう兄弟や両親がいることや生い立ちが不幸だった事実は、アドバイスによっては変わらない。

変えることができるのは、その事実をどう感じるか、どうつかんで、どう今後生きていく糧としていくかだけであるから、まずは心を整えることを出発点にすることである──。

つまり、「瞑想法」というのは要するに、この人生のさまざまな悩みを解決するために、必須のものだということなんだと思います。

まだ体験したことない人は、ぜひ一度、幸福の科学の精舎に足を運んで、実際に体験してみられることをお勧めしたいと改めて私は思っているのです。

 

瞑想の極意ー奇跡の神秘体験 『瞑想の極意』

 大川隆法著

 

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幸福の科学で、天御祖神(あめのみおやがみ)って名前を聞くことがあるけど、どんな神様なの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『天御祖神の降臨』(幸福の科学出版)のまえがきで、次のように教えておられます。

 まことに不思議な書物であろう。
 私の二千五百書目にあたる本書こそ、現代の『ホツマツタヱ』かもしれない。
 本書は、日本人に対しては、日本の文明化された歴史が約三千年ではなく、三万年であることを伝えている。そして現代の常識に反して、日本文明がユーラシア大陸やムー大陸に伝わったことを教えている。
 さらに、日本神話に記されるべき創造神が、「天御祖神」と呼ばれるアンドロメダ銀河から来たメシアであることを語っている。そして天空から降臨したその姿を描写した記述は、「世界初」といってもよいだろう。まだまだ謎の多い霊存在であるが、まずは最初に、この知的衝撃に耐えてほしいと思う。
(1~2ページ)

幸福の科学において、2015年に初めて、「天御祖神」というご存在が姿を現された公開霊言では、天御祖神は日本語を話してくださいませんでした。

そして、2018年の公開霊言では、驚くほど高い創造神の視点から、日本の本当の歴史を語り、日本に降臨された際のお姿まで語っておられます。

その後、天御祖神はさまざまな霊示を降ろしてくださるわけですが、まずは、この衝撃的な霊言をひもとくところから、天御祖神の霊示は学び始める必要があるのだと思います。

しかも本書は、大川隆法先生の著作2500書目を突破した祈念すべき書物ということです。

まさにこの「現代の『ホツマツタエ』」は、日本神道の起源、日本民族の秘密、そして超古代史に興味関心がある方にはもちろんのこと、「メシア」というご存在の秘密を知りたい方などには、強くお勧めしたい一書であると私は思っているのです。

 

天御祖神の降臨 ―古代文献『ホツマツタヱ』に記された創造神― 『天御祖神の降臨』

 大川隆法著

 

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成功したいんだけど、人生、チャンスってあると思うんだ。どう考えたらいいの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『常勝の法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 チャンスというものは、いつ来るか分かりません。来ないときには全然来ませんが、来るときには、立て続けにいろいろなチャンスが巡ってくることがあります。そういうときに優柔不断だと、チャンスを取り逃がしてしまいます。(中略)
 「いままでに手に入れたものをなかなか捨てられず、新しい判断ができない」という人は非常に多いのです。チャンスだと思ったら、手に握っているものを捨ててでも、それをつかまなければいけないのですが、その判断ができないわけです。
 したがって、「何を得るか」という考え方もありますが、「何を捨てるか」という考え方もあるのです。新しいものを何か得るためには、いま持っているものを何か捨てなければいけません。そういうことは当然あることです。一つに決めるということは、ある程度、ほかの可能性を捨てるということです。(中略)
 新しい人間関係、新しい生活をつくっていくためには、ある程度、古いものは捨てていかなければなりません。不義理をしなければいけないことも当然あります。いろいろな人たちの価値観と合わないものも出てきます。しかし、新しいものを得るためには、古いものを捨てていかなければならないのです。(中略)
新しいものをつかむことだけではなく、古いものを体系的に廃棄することもイノベーションなのです。(中略)
 チャンスというものは、必ず、その段階において判断をしなければいけません。判断が遅すぎた場合には失敗することが多いので、いち早く流れの変化を感じなければいけないのです。(中略)この辺は、機を見るに敏でなければいけないと思います。
(60~66ページ)

新しいものを何か得るためには、いま持っているものを何か捨てなければいけない。

チャンスだと思ったら、手に握っているものを捨ててでも、つかまなければいけない。

機を見るに敏でなければいけない──。

長くならないように、具体例をあげて解説されている部分を省略して、エッセンスの部分だけを紹介してみました。

「成功の法則」の一つとして説かれている、「機を見るに敏であれ」というお教え。

改めて、今日も勉強になったなあと私は強く思っているのです。
 

常勝の法: 人生の勝負に勝つ成功法則 『常勝の法』

 大川隆法著

 

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