週刊新潮って、ちゃんとした週刊誌なんだと思ってたら、幸福の科学に関しておかしな記事をたくさん書いて、けっこう裁判で負けたりしてるんでしょ。なんでなのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?
幸福の科学の大川隆法先生は、『人間失格―新潮社 佐藤隆信社長・破滅への暴走』(幸福の科学出版)で、新潮社 佐藤隆信社長の言葉(「霊言」)を、幸福の科学の広報部門の責任者(副理事長、専務理事、理事)によるインタビューの形式で、次のように紹介しておられます。
里村 ですから、今、ここが重要なポイントなんです。
「週刊新潮」の内容を見ると、最近は、取材のレベルが、一流どころか、もう、二流、三流、四流になっているのではないかと思われます。
佐藤守護霊 いや、もう、取材は要らないんだよ。われわれには、もう、ほんとは要らないんだ。(中略)タレ込みが一名いたら、もう、それで記事は書けるのよ。
里村 「新潮」のいいかげんな取材が、どれほどひどいものか。私は、ここに先週号を持ってきています。(中略)一週間前(十一月八日)ですよ。一週間前の「週刊新潮」に、こういう記事が出ているんです。「森光子さん、元気に、今」……。
佐藤守護霊 やかましい!(会場笑)
里村 「トレーニングに励んでいます」。
佐藤守護霊 やかましい! やかましい!
里村 ちゃんと、よーく聞いてください。「病院関係者は、こう語る。病室で、今、森光子さんは、スクワットを百五十回ぐらいこなすことがありますよ」(会場笑)と。この翌々日に、森光子さんは亡くなっているんです。
小林 スクワットって、どんなものか知っていますか。
渡邊 ものすごい誤報ですね。(中略)
里村 改めて訊きますが、(中略)要するに、社長から、そういう方針が出ているわけですか。
佐藤守護霊 出てない、出てない。私はね……。
小林 でも、今日のインタビューで、「ほかの週刊誌よりも、社長の方針が明確に編集部に通っている」ということがよく分かりましたし、なぜ、損害賠償請求をするときに、社長を当事者にしているのかが、今日、よく分かりました。
佐藤守護霊 個人企業だから、そんなのはしょうがないよ。編集長なんて、ただの番頭だもの。
(101~107ページ)
新潮社の社長は、週刊新潮には、ほんとは取材はいらない、タレ込みが1名いたら、それで記事は書ける、と考えている。
週刊新潮では、ほかの週刊誌よりも、社長の方針が明確に編集部に通っている。
社長は、新潮社は個人企業だからしょうがないのであって、編集長はただの番頭にすぎないと考えている――。
今日は、新潮社という出版社、あるいは週刊新潮という週刊誌の際立った特徴が、明らかになっていると思える部分を、ご紹介してみました。
週刊新潮の編集長は、社長の守護霊に「ただの番頭」と言われてしまって、どう感じているのでしょうか?
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『人間失格―新潮社 佐藤隆信社長・破滅への暴走』大川隆法著
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