今まで何度か、角度を変えて聞いたとは思うんだけど、でも、なぜ宗教が政治に進出なの。そんなことして、何か得なことがあるの? なーんて疑問、まだもってる人、いませんか?
幸福の科学の大川隆法先生は、『政治に勇気を──幸福実現党宣言③』(幸福の科学出版)で、こう説いておられます。
この国は肥大化しすぎています。いろいろな法律やシステムが固まりすぎて身動きが取れず、自由な言論ができないような世の中になっているのであれば、この世の中をリメイク(つくり直す)しなければいけません。そういう時期が、今、来ていると思います。
「勇気を持って、それができるのは、私たち宗教家ではないか」と、ひそかに自負しているところです。
宗教家は、はっきり言えば、「ばか」なのだと思います。
宗教家は、損なこと、命を取られるようなことを平気でするので、
この世的には、ばかに見えるでしょう。
ばかだとは思うけれども、
しかし、人々が不幸になるのを見ていられないのです。
不正を見て、黙っていられないのです。
人々が悲惨な未来を享受するのを、
黙って見ていることができないのです。
それが宗教家です。
宗派を超えて、そうなのです。
キリスト教でも同じです。
イエスも『聖書』のなかで次のようなことを述べています。
「人のために命を捨てることよりも大きな愛はない」と。
そのとおりです。
世の中の見知らぬ人々のために、
命を捨てて行動することほど、
尊いものはないと思います。
われらは、信仰者として、永遠の生命を信ずるものです。
そして、この世は、あくまでも「魂の学校」であり、
人生修行のために生まれてきているのだと信ずるものです。
そうであるならば、何も恐れることはありません。
この世は、あなたがたの魂を磨き、
あなたがたが、さまざまな苦難・困難に打ち克って、
「素晴らしい世の中をつくっていこう」と努力するための「学校」なのです。
その学校のなかで、あなたがたが、
自分たちの利害にとらわれたり、
あるいは、卑怯者になったりしないかどうか、
その魂の磨きを、今、試されているのだと思います。
これからも、さまざまな障害や困難があるとは思います。政党の旗揚げによって、個人で事業をしている人、大きな会社に勤めている人など、いろいろな人に、さまざまなマイナスのこと、苦しいこと、悩ましいことが起きてくるかもしれません。あるいは、家庭のなかに波風が立つこともあるかと思います。
しかし、それが宗教です。宗教というものは、「正しさ」のために命を懸けるものなのです。
(192~196ページ)
人々が不幸になるのを見ていられない。不正を見て、黙っていられない。人々が悲惨な未来を享受するのを、黙って見ていることができない。
宗教というものは、「正しさ」のために命を懸けるものである──。
宗教が政治に進出したからといって、自分に得なことなど実は何もない。でも、いまなぜあえて、普通に考えると、そんなばかに見えることをしようとしているのか。その宗教家としての気概を、今日は示していただいたんだってこと、なんですよね!
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『政治に勇気を──幸福実現党宣言③』
大川隆法著
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