死後の世界が、もし本当にあるんだったら、そして仏さまや神さまがいるんだったら、それをこの世の人間に分かるようにしてないのは、おかしいんじゃないの? なーんて疑問もってる人、いませんか?
幸福の科学の大川隆法先生は、『信仰のすすめ』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。
しかし、誰もが分かるようになっていないことには理由があるのです。その理由とは、「この世の世界そのもの、数十年の人生そのものが、ある意味で、一種の試験である」ということです。
人間は、本来の世界である霊的世界から生まれてきて、肉体に宿り、物質世界のなかで生きています。そして、「この物質世界のなかで生きながら、どれだけ、霊的な人生観を手に入れることができるか。かつて仏神から学んだ教えを、どれだけ、実体験し、実践できるか」ということを、ある意味で試されています。人間は、人生において、さまざまな経験を積んでいきますが、それは試験でもあるのです。
その試験が終わったとき、人生が終わったときには、霊的世界のことが分かるようになっています。試験が終わると、人生の総復習が行われて、「あなたの今回の人生は、こうでした」ということが明らかにされます。それまでの何十年かのあいだは蓋をされているのです。
結局、「霊界がほんとうにあるならば、仏や神がほんとうにいるならば、人間に分かるようになっていなければ不親切だ」と主張することは、試験問題を配られて、それを解くときに、「答えが印刷されていないではないか」と文句を言うことと同じなのです。あるいは、「試験監督が何も教えてくれないのは、けしからん。冷たいではないか」「教科書を持ち込み可にしろ」「答えを教えろ」などと言う感じに近いのです。
それに対する答えは、「一時間なり二時間なりの時間をかけて問題を解くのが、あなたの仕事です。試験が終わったあとには採点して返しますが、いまは答えを教えられません」ということになるわけです。
ただ、ときどき、親切な人がいて、ヒントを与えてくれることはあります。
幸福の科学の経典などがあることは、いわば「辞書持ち込み可」に当たるかもしれません。「答えは教えられませんが、辞書は持ち込んでも結構です。自分で辞書を引いて調べるぐらいは、かまいません」ということです。
人生は一種の試験なので、答えを、全部、教えるわけにはいかないのです。しかし、ヒントは、人生の途中で、たくさん与えられるようになっています。さまざまな気づきの機会が用意されているのです。
(63~66ページ)
「人生そのものが一種の試験である」──。
このお教えは、架空の話じゃないんですよ、ほんとなんですよって。
そう知ってみてから、よくよく考えてみると、人生の謎って、ほんとに全部解けていく気がします。
そして、幸福の科学の経典(書籍)というのは、なんでしょうか。
たしかに、自分の人生の問題集の解答そのものではありません。
だけれども、人生の問題集に解答するための大事な大事な参考書であるのだと、改めて私は思っているのです。
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『信仰のすすめ』
大川隆法著 |
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