ハハーッ!
東京・新宿の歌舞伎町で、「有名トレーナー」を装って若い女性に声をかけ、
ホテルに連れ込み乱暴を繰り返していたとして、32歳の男が警視庁に逮捕されました。
「ミュウツーに会わせてあげる。あそこのホテルに出現する」などと声をかけ、ホテルに連れこみ、
婦女暴行の疑いで逮捕されたのは、東京・足立区の無職、増田容疑者です。
調べによりますと、増田容疑者は先月5日、ネットを通じ、伝説のポケモンを多く
所持する有名トレーナーを装って、17歳の女子高校生に声をかけました。
そして、新宿区内のホテルに連れ込んだ上、「俺はジムリーダーだ。逃げても無駄だ」などと
脅して、乱暴した疑いが持たれています。
調べに対し、増田容疑者は、「自分好みの女の人を見ると我慢ができなかった」と供述して
いるということです。
歌舞伎町では同じ手口の事件が7件相次いでいて、警視庁は増田容疑者の犯行と見て
裏づけを進めています。
1はウインドウのアクティブ、非アクティブを切り替えて警告表示だけならすぐにできちゃうと思う。これを機会にスマホ用プログラムをかじってみませんか?
1)子供向け安全MOD:プレイ中に一定速度で動く動態を検知するとゲームを一時停止し安全な場所でのゲームプレイするように警告する。(公園など例外設定を出来るように)
2)GoogleMAP連携MOD:ポケモン探しでいちいちスマホを見なくて済むようにGoogleMAPと連携して音声案内で安全に探せるように。
3)スマートウォッチ連携MOD:スマートウォッチにレーダーを表示してポケモン探索できるように。
4)親向けのPOP制御MOD:子供のGoのPOPをGoogleMAPから制御、道路や水場など危ない個所でのPOPは禁止する。
良いやみっぷりですね
シンギン!シンギーン!
多分世間的には「妖怪ウォッチ」というと「よーでるよーでる」のイメージしかないから、今一度このゲームを説明する。
もうおわかりだろうが妖怪をポケモン、妖怪ウォッチをスマホに置き換えればほぼこれはPokemon GOである。
そもそもポケットモンスターはポケモンを捕まえて集めることよりもポケモンを戦わせることに主軸を置いたゲームなので、
妖怪メダルを集めることがプレイヤーにとって最大の目的である妖怪ウォッチのほうが、
ポケモンを探し出して集める位置ゲーのPokemon GOに近い存在だといえよう。
なにも任天堂がの妖怪ウォッチをパクったというようなあほなこといいたいわけじゃない。
妖怪ウォッチはその舞台を、主人公つまりプレイヤーが普段暮らす現実世界と、ゲームキャラである妖怪たちが暮らす世界を、
同一空間としながらもその階層を分け隔てていることを大きな特徴にしている。
主人公は妖怪世界という物理的障害に囚われない空間と通信できる。これを利用してプレイヤーができることや、行動範囲をどんどん広げていくことが妖怪ウォッチの面白みであった。
そんな妖怪ウォッチのシステムはVRにとても似てはいないだろうか。
現実世界にないものを端末を用いて投影し、拡張していくVRは、虚構を現実世界に付加するものであって、
妖怪という超現実を発見するという妖怪ウォッチのコンセプトとは逆にも見えるが、根底では驚くほどに似ている。
そもそも霊界というような超常現象とバーチャル空間の類似性は昔からいわれてきたことではある。例えばリングシリーズなど。
そしたらポケモンGOが配信されたっていうんで、さっそくインストール。
興奮して「あ、あっちにいる!」とか言いながら歩いたら、いきなり頭が真っ白になるような衝撃。
車止めのポールが全く見えず、股間を強打。
しばらく動けなかったわ。
もう各所で言われてるけど、さっき飯食いに行く道中、ほんとに携帯片手にポケモン捕まえてる奴がいた。大人で。三人も。
別に人目なんて気にせず自由に生きればいいけど、やっぱり大人が砂場で泥遊びしてたら奇妙じゃん。
滑り台ではしゃいでたらおかしいじゃん。
面白いよー、何て言われて試しに初めてみましたよ。
てくてく10分ほど外を出回ってみる。酒飲みながらだとあれだね、足元が、いかんね。
都会だったら死んでた。多分、車とかにひかれて。田舎住まいでよかったね。車通らねえんだもん。びっくりした。消耗してないね。
クソ田舎なのに3人ほど、プレイ中と思われるトレーナーを見かけた。いずれもチャリンコ乗りながらスマホいじいじ中高生。
気いつけろよ。
しかしこの調子では、オラが町のトレーナー、軒並み中高生なのでは。
というか、この町のポケモングランドオーダー、俺が一番年寄りトレーナーなのではなかろうか。
勝てる。
これは勝てる試合だ。
スカサハとギャラドスだったらギャラドスの方が取るの楽でしょ。
この町の誰よりも強い男に。
まさか。
この俺が。
左手の中で温んでいく金麦の500ML缶さえ、アレキサンダー大王の乾かした盃のように感ずる。
俺が。
どんなに助けを求めても解決策が見つからない、どんなにあがいても苦しみから逃れられない人間はやはり存在する。その人達が死によって苦しみから逃れたいと望むとき、せめて安らかに死なせてあげることが、なぜ許されないのか。
生きることに絶望したとき、逃げ道がなければ精神を病んでしまうかもしれない。「つらい、死にたい」と言った時点で、もっと周りの手助けがあったか、もしくは死ぬことができていたら起こらなかった犯罪もたくさんあったと思うのだが。
生まれたくて生まれる人間など一人もいない。最終的に生む判断は親のエゴだ。そこにはなんの規制もない。
どんな素質を持って生まれるか、どんな環境で育つか、その結果出来上がる人格の違いを単なる個性と言ってしまえばそれまでだが、集団にとって好ましい個性は強者となり、好ましくない個性は弱者となる。集団からの理解が得られない限り、努力不足ゆえに弱者になった者として切り捨てられる。
いわば、生まれ落ちた時点で負け組な人間だっているのだ。生まれ落ちた時点で勝ち組な人間には理解できない苦しみもあるのだ。
その苦しみを乗り越えて生き抜く姿は確かに美しいだろうが、犯罪に手を染めるまで追い込まれる人間を思うと、きれいごとだけで死ぬ選択肢をなくさないでほしいと思う。
おれたち 何を考えてたか 知らないが
君はしぬ おれはしぬ おれはころされる
恨みの大きさと、罪の罰って何で決まるのか
草むらを移動しながら歩きスマホで考える
これだって罪だ
うおぉぉぉぉぉ 叫ぶのは罪だ 近隣の住人
想像力の欠如が招いた結末だ
何度も何度も続く物語
おれが何人もいる 過去にもおれがいる
ずっとこんなことをして圧されて生きている
恨みが蓄積されていく
逆切れとして 扱われる
知らない人に指差されて
しつけで注意されるのってこれだと思うけど。子供は悪気なく指差すから。
知り合いで喋ってて指差し気にするのは、気にするほうが変
先端恐怖症かよって思う