BRADIOのこれまでの10年とその先へ──活動の軌跡をメンバーとともに年表で振り返る
これまでの長きに渡る活動を通して、多くのファンを魅了してきたバンド、BRADIO。OTOTOYでは最新アルバム『Joyful Style』のリリースを記念して、その活動の歴史を辿るべく、メンバーと共に過去を振り返り、年表を制作。デビュー当時から彼らを知る人も、これから知る人も、ぜひご覧ください。
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結成前
幼少期時代
真行寺と田邊はThe Movie Archivesというバンドとして活動、大山と酒井が別々のバンドをやっていたが、互いのバンドが解散したことにより、集結。 真行寺と田邊有希(Dr)が尚美ミュージックカレッジ専門学校で、大山聡一(Gt)と酒井亮輔(Ba)がミューズ音楽院卒。大山と酒井は幼なじみだった。
<それぞれの第一印象について>
- 真行寺:聡一はコーラスするギター。ギターを振り回していた記憶があって。よく片足をモニターにかけてて、未だに覚えてる。亮輔は寡黙なベーシスト。ヘッドちっちぇえなと思ってた。
- 酒井:貴秋はヤンキーでした。聡一とは初めてあったのが6歳くらいだったんですけど、僕が聡一の事を知らない状況で話してきたんで第一印象は「なんだこいつ」でしたね。
- 大山:真行寺はハタチとか20代前半で出会ったんですけど。超暗かったし、「あ、仲良くなれないな」って思った。亮輔の最初の印象は水泳できるやつ。初めて会ったのはスイミングスクールでした。
2010年
結成
真行寺貴秋(Vo.)、田邊有希(Dr.)、大山聡一(Gt.)、酒井亮輔(Ba.)、北澤雄大(Gt.)によって結成。
2010年12月12日
自主企画イベント「Break the Rule And Do Image On vol.1」にて初ライヴ。ライヴ会場限定で3曲入りのファースト・デモ・シングル「My Answer」をリリースし、音源をSOLD OUTさせた。
- 大山:新宿ACB HALL(アシベホール)という箱でした。自分たちで白い大きい布をステージの最前にガムテープでつけて、後ろに小さいプロジェクターをレンタルで借りて、横アリとかでやるようなイメージでライブのオープニング映像みたいなのを店長さんと一緒に作ってもらった。それを最初に流して、カウントが終わると同時に貴秋が布を振り下ろすという演出だったんだけど、布が小さいから最初から俺たち丸見えだった。めっちゃダサかった。
- 酒井:黒歴史でしたね。しかもワッと取ったやつもどうしていいのかわからんっていう。
2011年
2011年4月2日
東日本大震災のチャリティー音源としてアコースティック・セットで「You Take Me Away」をリリース
2012年
2012年4月27日
YouTubeにセカンド・デモ・シングル「DANCE‘N’SOUL」より“Abracadabra”の音源を公開
2012年4月28日
ライヴ会場限定で3曲入りのセカンド・デモ・シングル「DANCE‘N’SOUL」をリリース。この音源もSOLD OUTさせた。
2012年6月7日
北澤雄大(Gt)が脱退を発表。
- 真行寺:「DANCE‘N’SOUL」のデモのミックスを全部深夜パックでやってて、朝方ミックスが終わったあとだったかな。そのままマスタリングする流れで、「いやあ終わったね~」なんて話してたときに辞めますって言われた(笑)。
- 酒井:さっきまで一緒に録ってたのに。「ええっ?でもなぜ今?」って。マスタリングが終わってみんなでジョナサンに行って「どうしよう」って話しました。
2012年6月23日
東京 渋谷MilkyWayでのライヴをもって北澤雄大(Gt)が脱退