OTOTOYインタヴューでたどるBiSHの軌跡──ハシヤスメ・アツコの目に映ってきたもの
メガネ担当として加入し、BiSHのコントやバラエティーの分野でも大きく活躍してきたハシヤスメ・アツコ。この活動の軌跡を記した年表で、彼女の変わらなすぎるビジュアルを感じてください。
BiSH前夜
幼少期〜中学時代
東京に生まれ、中学入学とともに福岡に引っ越す。小学生の頃は明るかったが、中学時代にいじめに遭い暗黒時代を過ごす。
- 転校当初は「東京からきた子らしいよ!」って物珍しがられて、めちゃめちゃモテモテで大人気でした。別に私は相手のことを何も知らないから、ずっと断って生活を送っていて。そこからどんどん… 暗黒に…。いろいろあって友達がいなくなってしまったんですよ。
- (2015年9月4日掲載インタヴュー)
- THE MODSの”雨の野音”を保育園児くらいのときに観に行って、子供ながらにカッコイイ! と思ったので、そこに立ちたいなと。
- (2015年9月4日掲載インタヴュー)
高校時代〜
高校に入ってすぐに読者モデルをはじめる。卒業後、両親が旅行中に3万円だけ持って羽田で働きはじめる。
- 求人情報誌に「東京で働きませんか? 時給1600円、羽田空港、寮付き!」って書いてあったので行っちゃおうと。その時親は旅行中だったので、勝手に「ごめん、もう家出るわ」って言って、3万円だけ持って東京に出てきました。
- (2015年9月4日掲載インタヴュー)
- そこではじめて地下アイドルを体験したんですけど、1年ちょっとで解散しちゃったので、全然物足りなくて。満席でもないし、人もまばらで、今まで地上のアイドルしかみてなかった私としては、「え、こんなに人少ないの? 1人とか2人の前で歌うの?」って思って。そしたら「これが普通だよ!」とか言ってて、思い描いてるのと違うしどうしようと思いました。
- (2015年9月4日掲載インタヴュー)
2014年7月8日
初期BiSが横浜アリーナで解散ライブ『BiSなりの武道館』を行う。
渡辺淳之介氏がプロデュースしていた初期BiSの解散ライヴ。約3年半の活動を締めくくった最後の会場には約8000人が集結した。
- 渡辺さんが「BiSをもう一度はじめます」って言ってたツイートをみつけたんです。そのときトレンドか何かで一位になってて、「BiSってあの全裸のやつだ!」と思って、年齢制限も平気だったので応募しました。
- (2015年9月4日掲載インタヴュー)