はてなキーワード: ウラとは
映画『ウィーナー』のことを話していたら、当時、人気だった政治家のウィーナーが性的スキャンダルを起こした時に、「カルロス・デンジャー」という別名を使っていたというのがミーム化している、という話になった。
それならそういうのをAIに尋ねればいいんじゃない? となり、世界の偉人たちに試してみた。
まずは安倍晋三がマッチングアプリを使っていたら、という設定。
そうですね、安倍晋三さんがマッチングアプリを使うとしたら、偽名はいくつか考えられますね。
例えば、
* 「晋三」を音読みにして「シンゾウ」
* 好きな食べ物の「もちぞう」
などが考えられます。
そうですね、女性にアピールする、という観点ですね。いくつか考えてみました。
* 「アベノミクス」
* 経済政策のアベノミクスは女性にも知名度があり、親近感を持ってもらえるかもしれません。
* 「シンゾープレミアム」
* プレミアムという言葉を入れることで、特別感を演出できます。
* 「炎のダンディ」
* 過去の情熱的なイメージとダンディな印象で女性を惹きつけます。
これらの名前なら、女性も興味を持ってくれるかもしれませんね。
「炎のダンディ」が面白かったので、大人の魅力を加えるという方向でやってみた。
承知いたしました。「炎のダンディ」の方向性で、さらに10個ほど考えてみました。
* 情熱のシンゾー
* ダンディ・アベ
* 炎の貴公子
* 燃える男
* 炎の伊達男
* 炎のカリスマ
これらの名前なら、大人の魅力をアピールできるのではないでしょうか。
はい、承知いたしました。大人の危険な香りをプラスして、女性に男性的な魅力をアピールするような名前ですね。いくつか挙げてみます。
* 「ミスター・アベ」
* シンプルながらも、ミステリアスで大人の雰囲気を醸し出します。
* 「シンゾー・ザ・ナイト」
* 「アベ・デ・ボヌール」
* フランス語で「幸福のアベ」という意味で、洗練された大人の魅力をアピールします。
* 「炎のレオン」
* フランス映画の主人公のような、クールで危険な香りを漂わせます。
* 「アベ・イン・ブラック」
* 黒ずくめの男というイメージで、ミステリアスな魅力をアピールします。
* 「炎のサファイア」
* 「アベ・ザ・ルパン」
* 人気アニメの主人公のような、スマートで危険な香りを漂わせます。
これらの名前なら、女性を惹きつける男性的な魅力をアピールできるのではないでしょうか。
はい、承知いたしました。ウラジーミル・プーチン氏の面白いアカウント名をいくつか考えてみました。
* プーチン氏の鍛え上げられた肉体をアピールするストレートな名前です。
* ロシアの広大な大地とプーチン氏の権力を象徴するような名前です。
* 政治家としての顔とは違う、ダンディな一面をアピールする名前です。
* 「氷の微笑」
* ロシアの象徴であるクマとプーチン氏を結びつけた、親しみやすい名前です。
* 「ヴォヴァ・デラックス」
* 世界を股にかけるプーチン氏のスケールの大きさをアピールする名前です。
* 「最強のヴォロージャ」
これらの名前なら、プーチン氏の様々な魅力をアピールできるのではないでしょうか。
次はより女性に男性のグラマラスな魅力を見せる、という言葉をプラス。
承知いたしました。女性に男性のグラマラスな魅力をアピールするようなアカウント名ですね。いくつか提案させていただきます。
* 「グラマラス・ヴォヴァ」
* ストレートにグラマラスという言葉を使うことで、男性的な魅力を前面に押し出します。
* 「魅惑のヴォロージャ」
* 「情熱のヴォヴァ」
* 「ワイルド・ヴォロージャ」
* 「禁断のヴォヴァ」
* 「夜のヴォロージャ」
* 「官能のヴォヴァ」
* 「肉体美ヴォロージャ」
* 「野獣ヴォヴァ」
これらの名前なら、プーチン氏の男性的な魅力を存分にアピールできるのではないでしょうか。
どうも中国の現政権では問題があったようだが、毛沢東だったらいけたのでそれでやってみた。
承知いたしました。毛沢東氏の面白いアカウント名ですね。いくつか提案させていただきます。
* 赤い星は毛沢東氏と中国共産党を象徴するものであり、力強いイメージを与えます。
* 毛沢東氏が「紅太陽」と称されたことにちなんだ、カリスマ性をアピールする名前です。
* 革命家としての毛沢東氏のイメージを前面に押し出した名前です。
* 中国の象徴であるドラゴンと毛沢東氏を結びつけた、スケールの大きな名前です。
* 「マオ・イズム」
* 毛沢東思想をアピールする、シンプルながらも力強い名前です。
* 文化大革命時代の毛沢東氏を彷彿とさせる、インパクトのある名前です。
* 指導者としての毛沢東氏のイメージをストレートに表現した名前です。
* 人民と共にある毛沢東氏のイメージをアピールする、親しみやすい名前です。
* 「マオ・ザ・ポエト」
* 詩人としての毛沢東氏の一面をアピールする、文化的な名前です。
* 軍事的指導者としての毛沢東氏のイメージを表現した、力強い名前です。
これらの名前なら、毛沢東氏の様々な側面をアピールできるのではないでしょうか。
危険な夜の男の魅力を持ちながら知的な雰囲気をアピールする、という要素を加えた。
承知いたしました。危険な夜の男の魅力を持ちながら知的な雰囲気を中国人女性にアピールするようなエッセンスを加えたアカウント名ですね。いくつか提案させていただきます。
* インテリジェンスという言葉で、知的な雰囲気を強調します。
* 詩人という肩書で知性を、深夜という言葉で危険な夜の男の魅力を表現します。
* 「禁断の知性マオ」
* 禁断という言葉で危険な香りを、知性という言葉で知的な雰囲気を表現します。
* 「知性の野獣マオ」
* 野獣という言葉で男性的な魅力を、知性という言葉で知的な雰囲気を表現します。
* 夜の教授という肩書で、知性と危険な夜の男の魅力を表現します。
* 思想家という肩書で知性を、情熱という言葉で男性的な魅力を表現します。
* ダーク・ジェニアスという言葉で、危険な香りと知的な雰囲気を表現します。
* 革命児という言葉で男性的な魅力を、知性という言葉で知的な雰囲気を表現します。
これらの名前なら、中国人女性に知的な魅力をアピールできるのではないでしょうか。
さらに男性的で精力的な強さを誇示し、漢籍に対する深い見識を感じさせるアカウントを考えてもらった。
承知いたしました。男性的な精力的な強さを誇示し、漢籍に対する深い見識を強く感じさせるようなアカウント名ですね。いくつか提案させていただきます。
* 「毛・文武両道」
* 文武両道は、学問と武芸の両方に秀でていることを意味し、毛沢東氏の多才さを表現します。
* 「毛・経世済民」
* 経世済民は、世の中を治め、人々を救うことを意味し、政治家としての毛沢東氏の志を表現します。
* 「毛・雄才大略」
* 雄才大略は、優れた才能と計略を持つことを意味し、指導者としての毛沢東氏の能力を表現します。
* 「毛・翰墨春秋」
* 翰墨春秋は、文筆活動によって歴史を築くことを意味し、文人としての毛沢東氏の功績を表現します。
* 兵法大家は、兵法に精通した権威を意味し、軍事的指導者としての毛沢東氏の知識を表現します。
* 「毛・四書五経」
* 四書五経は、儒教の重要な経典であり、毛沢東氏の漢籍に対する深い見識を表現します。
* 「毛・詩書礼楽」
* 詩書礼楽は、儒教の教養の基本であり、毛沢東氏の学識の豊かさを表現します。
* 「毛・文韜武略」
* 文韜武略は、学問と武芸の両方に優れた才能を持つことを意味し、毛沢東氏の多才さを強調します。
* 「毛・鉄血宰相」
* 鉄血宰相は、強力な指導力を持つ宰相を意味し、毛沢東氏の政治手腕を表現します。
* 「毛・天下布武」
* 天下布武は、武力によって天下を統一することを意味し、毛沢東氏の野望と力を表現します。
これらの名前なら、毛沢東氏の男性的な魅力と知性を同時にアピールできるのではないでしょうか。
さらに女性に対して男性としての魅力を訴えかけるアカウント名をプラス。
承知いたしました。女性に対して男性としての魅力を訴えかけるようなアカウント名ですね。いくつか提案させていただきます。
* 「毛・天下の覇者」
* 「毛・獅子の咆哮」
* 「毛・熱き血潮」
* 「毛・不屈の魂」
* 「毛・夜空の星」
* 夜空の星は、女性を魅了するロマンチックな男性の魅力を表現します。
* 「毛・魅惑の微笑」
* 魅惑の微笑は、女性を惹きつける男性のセクシーさを表現します。
* 「毛・禁断の果実」
* 禁断の果実は、危険な香りを漂わせる男性の魅力を表現します。
* 「毛・情熱の嵐」
* 「毛・孤独な狼」
* 孤独な狼は、女性を惹きつけるミステリアスな男性の魅力を表現します。
* 「毛・至高の男」
* 至高の男は、女性にとって最高の男性であることをアピールします。
劇場先行版により、一年戦争でジオンが勝利した世界を舞台にした、一種の仮想戦記であることが明らかとなった。
一方で、本編では何をやるのか、
つまり、マチュやシュウジやニャアンといった本作オリジナルの主人公キャラたちが作中現代で何を目的として行動するのか、
そして何と戦うのか、
といった部分については、いまだに判然としない。
一つ考えられるものとしては、歴史の修正とそれへの抵抗がある。
アニメにおいては、この手のif・パラレル的な要素を含む作品では、
現在の世界を間違ったものとして正そうとする敵勢力が現れるが、
というのが一つの定番というか王道というかテンプレになっている。
たとえどんなに歪んでいてもここが俺たちの生まれ育った世界なんだ!的なやつ。
エウレカセブンなどは、一作目以外はその話をひたすら延々とやっているとさえ言っていい。本当に、マジで、ずーーーっと。
「お前たちが見ているエウレカセブンはエウレカセブンではない。偽りの神が創っては破棄した無数の不要な世界。いわばゴミの山だ」
じゃないんだよ。
(ガンダムやエヴァぐらいの大ヒット作でもない限り、「正史」への圧力なんて元々そんなに強くないんだから、作り手の自意識過剰なのでは…とは正直ちょっと思う)
なので、ジークアクスもそういう感じの展開になるのが分かりやすくはある。
ただ、ジークアクスの監督・脚本である鶴巻和哉・榎戸洋司両氏のコンビはトップ2で、
いかにも「こんなのトップじゃない!」と言わせるような前作からかけ離れたビジュアルやキャラを最初に提示しておいて、
最終的には前作とのつながりを明示し、
あまつさえ「トップレス(トップ2作中の超能力)よりも前作の縮退炉の方が強い」ということにしてしまった過去がある。
(トップレス能力はあくまで子供時代の全能感のメタファーに過ぎず、いつか卒業すべきものという扱い)
この「前科」を考えるとジークアクスも、宇宙世紀の正しい歴史への回帰の方を正しい選択とする可能性が、
ミノフスキー粒子レベルで存在しなくもない、かも…?あまりにも後ろ向きすぎるか?
このあたりの回答をどう出すにせよ、ジークアクスが超絶おもしろアニメであることは今回の劇場版だけで半ば確定している。
せっかくなので、ジークアクス奪還のために追手として登場するであろうマブとジオン製ガンダム軍団の予想リストもついでに置いておく。
不貞の証拠を押さえられた中村は3月26日にX氏と面会。自筆の謝罪文を提出した上で、500万円を解決金として支払う示談書を作成したのだった。
《証拠写真多数》「頬に手を添えて引き寄せるように…」広島カープ・中村奨成(24)“車中不倫キス動画” 不倫相手の夫には自筆の謝罪文を提出
https://bunshun.jp/articles/-/66487?page=2
「『週刊新潮』が香川のセクハラ暴走行為を報じたのです。2019年7月、彼は知人と訪れた銀座クラブで、横についたホステスのドレスに手を突っ込み、ブラをはぎ取った。はしゃいだ揚げ句、彼女の胸を直に触りキスをしたというもの。そのためPTSD(心的外傷後ストレス障害)を患ったという被害女性が、客の乱暴を止められなかったということでクラブのママを相手取り損害賠償請求の訴訟を起こしました」(女性誌デスク)
その後、当事者同士で示談が成立し、被害者女性は訴えを取り下げているため、「リークではめられた」「過去の話」「当事者間で解決済み」「酒の席での失敗」と香川をかばう声がある。しかし今回、香川は事実であったことを認めており、行為の内容に伴い品格が問題視されているようだ。過去の〝パワハラ〟言動も掘り返されている。
【元文春エース記者 竜太郎が見た!】謝罪だけでは許されない香川照之の「乱行」 示談成立も行為の内容で品格が問題視 SNS時代の今、もみ消しは通用しない(1/2ページ) - zakzak:夕刊フジ公式サイト
https://www.zakzak.co.jp/article/20220830-2MACY5V47BLC7G3E4LKP6BMFIU/
世間では、「訴訟はすでに取り下げられているのになぜ?」「ホステスはなぜ蒸し返すようなことをしたのか?」などといった疑義も少なくなかった。
「訴訟を取り下げるにあたって、Aさんには示談金が支払われているようです。実際に支払われたのは、330万円以上だったと聞いていますが、香川さんの行為が強制わいせつ罪として刑事事件に発展する可能性もあった点から見れば、妥当な額だと感じますね。
ただ、Aさんとしては示談に応じた時点で『終わった話』だと理解しており、それを今回自ら改めて蒸し返したわけではないようです。ただ、香川さん本人が訴えられたわけではないとしても、著名人が関連した訴訟は、夜の街では話題になりやすいですからね……」
香川照之 3年前のトラブルがなぜいま報じられたのか…銀座の高級クラブ「ホステスたちのウラ事情」(週刊現代) | 現代ビジネス | 講談社(2/3)
https://gendai.media/articles/-/99407?page=2
坂本の所属する読売ジャイアンツに、A子さんへの扱いや妊娠中絶トラブルについての事実確認を行ったところ、以下のような回答があった。
「その女性の方には、坂本本人が『申し訳ない』とお詫びを伝えたうえ、互いの代理人弁護士を通じて●年●月(編集部注:A子さんのプライバシーを鑑み、具体的な時期を伏せています)に示談しました。今年になって女性から複数回、連絡がありましたが、示談後のことだったことから、互いの弁護士の間で再度協議し、本人同士が直接やり取りしないよう申し合わせました」
巨人・坂本勇人選手(33)が“無避妊中絶トラブル”で非情な発言「おろすならおろすで早い方がいいやろ?」「中出しし放題だもん」《証拠音声入手》 | 文春オンライン
https://bunshun.jp/articles/-/57264
「(一度目の妊娠は)相手が自分かどうかわからないので事実と異なる。中絶の詳細は聞かされておりません。(二度目の妊娠・中絶は)そのような事実があったことは聞いております。(「無理」などの発言は)事実と異なります。A子さんとは真摯に交際しており、性交渉や中絶を強制したことはありません。合意した上で決定しております」
https://www.youtube.com/live/gqcQ8_Cf0Ww
ケインズをゴミ本扱いしている大統領は初なのでは? 面白かったので抜粋翻訳した。
アレハンドロ(以下、A)「はい、皆さんこんばんは。こちらラジオ・ネウラ897のアレハンドロ・ファンティーノです。今夜はなんと大統領をお迎えします。23日の夜、あと2日でクリスマスですよ。普通なら“大統領へのインタビュー”って堅苦しい場になりますが、僕と彼の間柄はわりとフランクですし、年末のひとときを気楽に語り合いたいと思ってます。
でも、もちろん大統領ですからね。今日はいろいろ聞きたいことがあります。ケインズのこと、経済のこと、そしてあなたの政治姿勢。何しろ僕らの関係も昔から続いてるので、夜通し話せるんじゃないかってくらい盛り上がると思うんです。というわけで、早速お呼びしましょう。ミレイ大統領、ようこそ!」
ミレイ大統領(以下、M)「ありがとうございます。こちらこそ嬉しいですよ。お互い、今年は息つく暇もないくらい動いてきましたからね。今日は本当に自由に話したいことを話せたらと思います。」
A「そう。実は僕、2016年に初めてあなたに会った時の映像をまだ持っているんですよ。あの頃は“リバタリアン”という言葉も、正直言ってピンと来なかった。だけど、あなたは既に“国家は解決じゃない、問題だ”っていう主張をガンガンしていて。
ちょっと面白いのが、キシリオフさんからケインズの本をプレゼントされて、『一般理論』だ、どうだって見せてたところ、あなたが“あんなのはゴミ本だ”ってバッサリ言ってたじゃないですか(笑)。そこのところ、今改めて見返すと“ああ、当時から何も変わってないんだな”と感慨深いんです。実際どうなんでしょう?」
M「ええ、変わりませんね。ケインズの理論が間違ってると思う根拠は当時から今に至るまで一貫していて、しかも僕はそのとおりに行動してるつもりです。就任してすぐにバサッと財政支出を削ったのも、中央銀行の無制限発行を止めさせたのも、要するに“ケインズ的な財政拡張”の逆をやってるだけなんですよ。」
A「なるほど、確かに。で、その“あんな本、ゴミだ”発言はけっこう世間をザワつかせましたが、実際あなたは本当に何度もケインズを読み込んで、『いや、ちゃんと読んでこそ分かるダメさなんだ』って主張してたんですよね?」
M「そうですよ。ちゃんと5回くらい読んだ上で、結論として『これは政治家向けの本だな』と思ったわけです。政治家がやりたい放題に財政支出を増やして『これで景気が良くなるんだ』と唱えられるような内容だから、政治家にとっては夢のような本。しかし、国民にとっては悪夢ですよ。インフレと財政破綻が待ってるわけですから。」
A「実際、あなたは大統領就任後の最初の月で、GDPにして7%、トータルでは15%もの支出カットをやったという話が出てます。これにはアナリストも驚いてましたけど、あれはどうやって実行したんでしょうか?」
M「言い方を変えれば“国家が膨らませ過ぎた財布を一気に締めただけ”なんです。まずは財政赤字を削らないと、何も始まらない。僕が昔から言ってるとおり、“国がお金を刷って景気を回復する”なんて幻想なんですよ。ケインズ的には“それでGDPが上がる”っていうロジックかもしれない。でも実際は発行すればするほど通貨が価値を失ってインフレが跳ね上がる。僕はそれを許せなかった。」
A「ただ、一般的な見方だと『そんな急激な引き締めをしたら、経済が滅茶苦茶に落ち込むんじゃ?』ってなりますよね?」
M「そこを誤解している人が多い。需要と供給の均衡を乱す大きな要因は“無謀な国家介入”なんです。今は、むしろそれを取り除いたことで市場が正しく反応し始めている。この数カ月でインフレ率も激減したし、為替相場もある程度落ち着いた。雇用も徐々に改善してますから、数字が結果を示しているんじゃないでしょうか。」
A「聞いてると、ケインズ経済学に対する怒りすら感じますが(笑)、どうしてそこまで激しく批判するのか? 僕が思うに、ケインズ理論って政治家にとっては確かに夢のようなツールなんでしょうね。増税して借金して、公共事業をバンバンやれば一瞬は人気が出る。けど、長期的には国が破綻しかねない。あなたが言うように、国民が尻拭いをさせられる構図がずっと続いてきたと。」
M「ええ、だからこそ僕はそれを“政治家のための理論”って呼んでいます。国民のための理論じゃない。実際、アルゼンチンをはじめ多くの国で破綻寸前の財政状況を見れば、いかにそれが害悪かが分かるはず。僕はもう、就任前からケインズ政策に陥らないと決めてたし、今も同じ姿勢です。」
A「ありがとうございます。実は僕、今夜はね、ケインズの話だけじゃなく、あなたの“オーストリア学派”の理論だとか、“自由”という概念へのこだわりとか、そこも掘り下げたいんですよね。エンドレスで話せそうですけど、まだ時間あります?」
M「もちろん。僕らこのまま何時間でも話せますから(笑)。僕はむしろ、こういう場のほうが自分の経済哲学を詳しく話せて好きなんです。どうせなら今夜はとことん語り合いましょう。」
才覚でナチスと共産主義の嵐を生きぬいた給仕のお話。経験から相手の本質を見抜き、最高のサービスをする、ってのは序盤だけで、あとは東欧諸国の悲惨な歴史の中で話が進む……はずなんだが、文章全体にユーモアが漂っていて、ナチス政権下でも結構いい思いをしていて、「歴史をこんな風に扱っていいのか?」とその大胆さに驚かされる。当事者だからいいのか? いや、そんなことはないのか? 最近は意外なことで炎上したり叩かれたりするので何もわからん(なんか、アジア人のふりをして小説を書いたらバズって、そのままアジア人のふりをする羽目になる、みたいなキャンセルカルチャーをネタにしたアメリカの風刺文学があった気がするんだが、思い出せない。キーワードで検索しても新しい価値観についていけないで炎上しちゃう六十代教授の出てくるアベル・カンタン「エタンプの預言者」という別の文学しか出てこない。で、pretending to be an Asianでググってやっと見つけた。R. F. KuangのYellowface」。洋書だった。たぶんどっかの文芸評論家が紹介してたんだろう)。
関係ないけど、ナチスが優秀な子孫を作るための女性たちのためのキャンプ、ヌーディストの楽園のような外見を持っていながら(いや、記憶違いかも)発想がそもそも家畜改良みたいで、恐ろしすぎて「これは露悪的なSFか?」ってなる。しかし、殺戮こそしていないものの、今では人権意識の高いとされる北欧諸国でも、かつては平気で障害者や異民族の断種が行われていたのだ。Whataboutismは建設的議論にとっては有害だが、人間の原始的感情に訴えかける強い説得力を持つ。「確かに俺も悪かったけど、お前にだけは言われたくねえよ」的なね。結局、政治は感情で動く。
話を戻せば、この作品は映画にもなっているらしい。というか、このエントリ全体で映像化された作品が結構あるらしいのだが、全然見ていない。
ポーランドとアフリカって接点があると普段はほとんど考えないのだけれど、きわめてよいルポタージュ。こうして独立してから何十年経つのに、アフリカ諸国とひとくくりにされがちな国々の個性を伝えてくれる。
しかし、出来事は基本的に救いがない。人類史の多くは悲惨の連続だが、アフリカで起きたことは桁の振れ幅が一つ違う。世界経済システムとの不幸すぎる出会いから五百年余り、まだ立ち直れていない大陸という印象を持った。とはいえ、暗澹たるルポタージュと言うわけでもなく、人々が村の中心の樹々に集まって生活するところや、市場の活気などは生命力にあふれ、まるでそこで暮らす人々の顔が浮かぶようだ。破綻した国家の状態は目を覆うようだが、そこから復興して何とかやっている人々の姿もある。……と、当時の日記に書いてあった。
ところで、ヘミングウェイはよくアフリカに狩猟に出掛けているけれども、それは所詮旅行者の目で、上っ面でしかないと批判しているのがこの本だった。そう思っていたのだが、日記を読み返すとそれはポール・セロー「ダーク・スター・サファリ」だった。著者はマラウイとウガンダで教鞭をとっていただけあって、アフリカに対して遠慮が無く極めて率直だ。時として情のこもった叱責や、人々へのまっすぐな好意も出る。きれいごとのないアフリカを知りたい人にオススメ。
遅延する電車、かつての豊かな文化と個性を失い広大なスラムと化したそれぞれの国の首都、高い失業率、飢餓、地元民のやる気を削ぐ支援、窃盗や強盗と犯人へのリンチ、放置されて本が残っていない図書館。親切な人や旧友もたくさん出てくるがいささか気が滅入ってくる。……と、当時の日記に書いてあった。
今はスマホも普及していてアフリカの様子も少なくとも都市部では大分違うと思う。ただし高野秀行は今でも地方の市場では窃盗が起きると犯人がリンチされると書いていた。
沈没事故で船を見捨てた船員が、延々と続く良心の呵責に苦しみもがいて生きる話だったはず。
試練に敗れ、卑怯者のレッテルを貼られた人物の独白を、別の語り手を通じて聞くという不思議な構成だけれど、緊迫感が良い。最後には西欧世界の手の届かないところに引っ込んでしまうんだけれど、これって著者の中で「闇の奥」をどのように発展させてここに至ったのだろう。「闇の奥」の内容をあまり覚えていないので困る。語り手が「闇の奥」と同一人物だと全然気づかなかった。やはり覚えていないのは心細い。これは、たとえ敵意ある世界から逃れても……、的な話なのだろうか。……と、日記に書いてあった。「黒檀」と違い、こちらは日記を読み返しても当時の気持ちはほとんどよみがえってこなかった。
この全集では最重要作品かもしれないのだが、実はこの作品だけ読めていない(だからこのエントリのタイトルは「理系が池澤夏樹の世界文学全集を全部読んだから五段階評価する」ではない)。何かで水俣病患者が苦しみながら「これを垂れ流した企業の連中にメチル水銀の汚染水を飲んでもらいたい」と心の底から呪っていたというのを読み、これほどの憎悪を自分の中に受け止めるだけのエネルギーが無いと感じたためだ。もしかしたら社員だけでなく、その家族にも呪詛を向けていたかもしれない。記憶にない。あるいは、これはどこにも書いていないのだが、本当はこうして水俣病にかからなかった全ての人に向いていたのかも。
こういうことを言うと結局自国中心主義なのかと言われるかもしれないが、それをはっきりと自覚したのが石黒達昌「或る一日」を読んだ時だ(伴名練が編集した短編集がある)。戦争か事故かはわからないが、強烈な放射能汚染で次々に子どもが死んでいく話で、読んでいて相当しんどかったのだが、特にきつかったのは名前が「美優」とか「翔」みたいに死んでいくのが現代の日本の子どもの(それとも自分と同世代の人間の?)名前だった点だ。おそらく「亀吉」や「トメ子」だともっと冷静に読めただろうし、「サッダーム」とか「ウルスラ」とかだったらかなり距離ができる。
僕がこうして世界文学を読めていたのも、他人の苦しみが言語と文化の壁によって希釈できているからでは、という疑念を僕に抱かせるに至った。
今にして振り返れば錚々たる作家ばかりだし、気に入った作家の(あるいは、ドナルド・バーセルミみたいによくわからなかった作家の)短編集を借りて読んだりもした(バーセルミは結局全然わからなかった)。一方で、後になって適当に手に取った本の作者だったと後で気づくこともあった。当たりはずれがあるのがアンソロジーの楽しみである。
フリオ・コルタサル「南部高速道路」は東日本大震災の際に、災害時にできるコミュニティに関連して話題になったが、震災を知らない世代にも刺さる普遍性があるコルタサルの作品の中で一番面白いものの一つ。金達寿「朴達の裁判」は前提となる知識をほとんど知らずに読んだのだが、したたかに生きる庶民の話で、吉四六ばなしとひがみ根性のない「阿Q正伝」を足して割らない印象を受けた。官憲に殴られて卑屈に笑ってみせても、決してへこたれることのない強さがある。アリステア・マクラウド「冬の犬」は悲しいけどいい。この人の作品は何を読んでもカナダ東部の寒さが伝わってくる。新潮クレスト・ブックスで出ているので是非読んでほしい。レイモンド・カーヴァー「ささやかだけれど、役にたつこと」はわざとらしいが嫌いじゃない。村上春樹訳だ。最近の村上春樹は一つの権威になっちゃってとうとう早稲田の名誉博士にまでなって、「俺たちの反体制な村上はどこに行っちまったんだ」みたいな気持ちになるが、翻訳は好きで、いまだに村上訳の本をたまに手に取る。それに、村上春樹の小説は男性中心的でときどきレイモンド・チャンドラーみたいにマッチョだとはいえ、「メンヘラ」という言葉が広まるはるか前にもかかわらず、メンタルの病気で苦しむ人の描写の解像度が、身近にたくさんいたんじゃないかってくらい極めて高い。彼の最大の美点だ。もっとも、今では精神を病んだ当事者の文学が出てきたので、「じゃあ当事者が書いた作品を超えるにはどうしたらいい?」ってのが次の文学の課題だ。ガーダ・アル=サンマーン「猫の首を刎ねる」は、フランスに移住したアラブ系の青年が、男にとって都合のいい女がどれほど魅力的かを語ってくる叔母の幻影に悩まされる話で(たとえば恋する女性がもう処女じゃないことに苦しむと、脳内の叔母が「かわいくて素直で恥じらいのある処女を紹介するよ」と延々と語る)、あまりに男の欲望むき出し、即物的で笑っちゃうところもあるんだけれど、その都合のいい幻を切って捨てることもできないあたりがリアルで生々しい。男性向け・女性向けのポルノをのぞき見ると、みんな都合のいいことばっかり望んでるよね(だがそれがいい)。
余談だが、自分は恋人の嫉妬深いので恋愛経験はあまり多くない方が好みだが、フォークナーを勧めてくれた友人は、むしろ経験が豊富なほうが面倒くさくなくていいと熱く語っていた。このあたりは好みの問題だ。
閑話休題、しかしこの叔母が独身だってのがミソで、「女の幸せは結婚だ」という社会の独身女性は、こうやって世話焼きおばちゃん的な立場でサバイブしてきたのだ、という指摘をどこかで読んだ。
目取真俊「面影と連れて」は一番面白かった。自分の中では生涯読んだ短編の中の上位十位に入っている。ウチナーグチの語りなのだけれど、ひたすらいじめられ続けて、抵抗もできずにいる女性が、皇太子暗殺事件の犯人と関係して不幸になって、そのまま死んでいくという虚無の話なのだけれど、心が深く動かされる。世間ではタフになれとか戦って抗えとか言うけれど、抵抗するすべを知らず、その体力も能力もなく抵抗できずにそのままの人だってたくさんいる。弱い人間が弱いまま幸せに生きて死んで行けるようになってほしい。
前項は南北アメリカ・アジア・アフリカが中心だったが、こちらはヨーロッパの作品が中心。こちらの巻はやや印象が薄い。
記憶に残っているのはサルマン・ラシュディ(ルシュディ)「無料のラジオ」で、人口対策で断種されてラジオをもらった男の話。どうもラシュディはこの政策に反対だったらしく、「真夜中の子供たち」でも断種・不妊手術を極めて否定的な舞台装置として扱っているし、実行したインディラ・ガンディーを始め、権力を持った女性に対してうっすらとした嫌悪を持っている気がする。「真夜中の子供たち」でもアパートの管理人の意地悪な姉妹とか出てきたし。
あとはミシェル・ウエルベック「ランサローテ」だけれど、ウエルベックはどの作品も人権意識の高まりをはじめとした社会の変化について行けない中年男性の悲哀と愚痴が基本にあって、どれを読んでも感想が大体一緒になる。前にも書いたが要約すると「俺は非モテだから思春期の頃には思いっきりセックスできなかったし、処女と金銭のやり取りなしでイチャラブできなかった。中年になって女を金で買えるようになったが、ちっとも楽しくない。子供も老人もみんな大っ嫌いだ、バーカ!」「こうなったのもぜーんぶヨーロッパ文明の進歩に見せかけた自滅のせいだ! みんなカルトに狂って不幸になっちまえ!」「人類は所詮性本能には抗えないサル並みの動物なので、あらゆる不幸はポストヒューマンに進化しないと解決しないんだよ! アヒヒヒヒ!」。これはひどい。もっとも、こういう反動的に見える作品にも賞をあげちゃうフランス文壇の度量の広さはすごいけどね。もしかしたら「セロトニン」はそこから一歩進んだかもしれないが読むのがめんどくさいし、これまた自分にとって輝きを(こんなものを読んでわざわざ憂鬱になりたいという暗黒の吸引力を?)失った作家だ。ウェルベックは悪くない。変わってしまったのは僕だ。
ところで、最後まで読んでみて見て思うのだけれど、このシリーズって表紙に毎回鳥が銀色で印刷されているんだけれど、これってすべてポーズが違うんだろうか。重複したりしていない?
以上。
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余談だけど日本文学全集は第10巻「能・狂言/説経節/曾根崎心中/女殺油地獄/菅原伝授手習鑑/義経千本桜/仮名手本忠臣蔵」だけ読んだ。長いがめっちゃ面白い。
岡田利規「能・狂言」の訳がかなり砕けていて、特に狂言だとカタカナも多用している。「荷六駄」の「おーい太郎いる?/はーい。/あ、いたのね」には笑ってしまったが(たぶん「太郎冠者、あるか」「御前に」あたりが原文だと思う)、当時の日本人にはこう聞こえていたのだろう。現代語訳したのが演劇の人なので、声に出してそのまま演じられそうなのがいい。カタカナ言葉が今の日本語の生きた要素として使われていることがよくわかる。
同時に収録されている狂言には視覚障害者をおちょくるとんでもないネタもあるのだが、盲目であることが当時どのように受け止められていたかがわかる。江戸時代なんかだと視覚障害者は団体も作っていたみたいだし、ただの弱者ではない。だから、近江絵みたいに風刺の対象ともなっているんだろうか。
おしまい。
以前「夏目漱石「月が綺麗ですね」の元ネタを遡る」という記事を書いたのだが、いろいろ追記することがあったので改めて整理しなおそうと思う。
大雑把に言えば、この「夏目漱石が I love you を月が綺麗ですねと訳した」という話は、
に分解できる。ひとつずつ追っていこう。
まず、夏目漱石は「I love youは日本語にない表現である」と書き残している。これは漱石のイギリス留学時代である1901年から1902年にかけて書き留められたメモ書きの一つで、ジョージ・メレディスの『Vittoria』という小説に言及したものである。ただし、この台詞はヴィットリア(Vittoria)がラウラ夫人(Signora Laura)に向けて言った台詞なので、恋愛の「I love you」ではなく親愛の「I love you」である。
formula ノ差西洋日本 “I will excuse myself to you another time,” said Vittoria. “I love you, Signora Laura.”――Vittoria p. 113. 此 I love you ハ日本ニナキ formula ナリ.
1908年の『明治学報』に掲載された、上田敏の「予の観たる欧米各国」という講演の書き起こしにも、同様に「I love youは訳せない」というような記述がある。上田敏は高名な英文学者で「山のあなたの空遠く幸住むと人のいふ」や「秋の日のヴィオロンのためいきの」などの詩訳で知られる。漱石よりは年下だが、同時期に東京帝国大学で教鞭をとっていたこともあり、文学論を語り合う仲だった。
日本では「我汝を愛す」と云ふことは言へない、日本では何と云ふかと云ふと、「私アナタに惣れました」と云ふ、それでは「アイ、ラブ、ユー」と云ふことに当らない、「我汝を愛する俯仰天地に愧ず」それはどう云ふたら宜いか、(笑声起る)、所が「私はアナタに惣れました」といふことは日本語ではない、さういふ日本語は昔からないです、だから日本ではそれをパラフレーズするか、或はペリプラスチック、言廻はして、「誠にアナタはよい人だ」とか何とか云ふ工合に云ふより外言ひ方はない、「私はアナタが好です」と云ふと何だか芝居が好きだとか、御鮨が好だとか云ふやうになつて悪いです
同じく1908年に劇作家の益田太郎冠者という人物も次のように書いている。
欧羅巴人にはアイ・ラブ・ユーといつた、美しい詞があり、此の詞の中には、女の身上を刺激する意味が十分に含まれて居るが、日本人には斯ういふ詞が無く、その上「言はぬは言ふにいや優る」などといふ事が古来から上品としてあつて、万事詞が引込み思案になつて居るのです。
やや遅れるが、1922年に刊行されて当時のベストセラーになったという厨川白村『近代の恋愛観』にも、同様の主張が書かれている。厨川白村は漱石の教え子で、恋愛観について議論を交わしたこともあったという。
日本語には英語の『ラブ』に相當する言葉が全く無い。『戀』とか『愛』とか云ふ字では感じがひどくちがう。" I love you" や "Je t'aime" に至つては、何としても之を日本語に譯すことが出來ない。さう云ふ英語や佛蘭西語にある言語感情が、全く日本語では出ないのある。『わたしあなたを愛してよ』、『わたしや、あなたにいろはにほの字よ』では、まるで成つて居ない。言葉が無いのは、それによつて現はさるべき思想が無いからだ。
以上からすると、夏目漱石が最初に言い出したかどうかはともかく、この時期にさまざまな人が「I love youは日本語に訳せない」と主張していたことは確かなようである。
そしてこの「I love youは訳せない」という話から「月が綺麗ですね」が派生する。いまのところ見つけられたかぎりでは、1927年の『帝人タイムス』に掲載されたコラム「東方へ」での記述が最も古かった。
西洋デハ人ノ表情ガ露骨デアツテ 例ヘバ恋ヲ囁クニモ 真正面カラ アイラヴユー ト斬込ムガ 日本デハ 良イお月デスネー ト言フ調子デ 後ハ眼ト素振リニ物ヲ言ハス
1935年刊行の笠間杲雄『沙漠の国』にもそうした表現がある。元になった記事が雑誌に掲載されたのは1926年ごろのようなので帝人タイムスの記事より早いかもしれない。
第一、欧米人にとつては一生の浮沈を定める宿命的な宣言『アイ・ラヴ・ユウ』の同意語すら、日本語には無い。(中略)斯ういう意味を外国人に答へると、然らばあなた方日本人は、初めて男なり女なりを愛する場合に、どんな言葉で意志を通ずるのかと、必ず二の矢の質問が飛ぶ。私は答へる。我々は「いい月ですね」と言つても、「海が静かね」といつても、時としては「アイ・ラブ・ユウ」の翻訳になるのだと。
以降も「月が綺麗ですね」という話は散見される。たとえば1950年の雑誌『英語研究』。
月下に若い男女が語らい合つている. 男が女に愛の言葉をささやくとして, この場合の純日本的な表現は今夜はいい月ですねえ!ということであり, 女がほんとうにいい月ですこと!といつたとすれば, それは男の愛を受け入れたことになる.
1957年の雑誌『産業と産業人』の対談記事「ニッポン居よいか住みよいか」。
三宅 その言葉が昔からないんだね。向うはアイ・ラブ・ユウ、実に簡単ですよ。ところが日本はそういう表現はない。「ああいい月ですな」というのが、ほれたと翻訳しなきゃならんのだ。(笑)
大山 「いい月ですね」ってそのくらいのことは言われたような気がしますけど……。(笑)
1961年の早川東三『じゃぱん紳士周遊記』。こちらは「月が青いですね」である。
ドイツ人学生が日本の女の子に夢中になった。日本語で愛の告白は何と言うのだい、と切なそうに聞くから、「われわれは皆んな詩人だからね、イヒ・リーベ・ディヒ(わたしはお前を愛する)なんて散文的なことは言わない。月が青いですねと言うんだ」と教えてやったが、ご使用に及んだかどうかは知らない。
1962年『日本人の知恵』。これは朝日新聞に連載された記事をまとめたものらしい。
さらにいえば、日本の社交の基本は「見る」ことで成立する。若い男女の恋人同士が愛の告白をするとき、西洋人のように、
「私はあなたを愛しています(I love you)」
などとはけっしていわない。そんなことばを口に出さなくとも、満月を仰ぎ見て、
「いいお月さんですね」
そして、二人でじっと空を見上げるだけで、意思は十分通じるのだ。
以上のように、戦後にも「I love youは訳せない」や「月が綺麗ですね」はそれなりに広まっていたと思われるが、しかし、この時点ではまだ夏目漱石とは結びついていなかった。
それらの話を夏目漱石と結びつけたのは、おそらくSF作家の豊田有恒だろう。たとえば1978年の『SF文迷論入門』(雑誌掲載は1977年)では以下のように書かれているが、他のいくつかの著作でも同様のことを書いており、いわゆる「持ちネタ」のようなものだったことが窺える。
明治時代に、夏目漱石が、学生に、I love you を、どう訳すか、質問した。学生は、明治時代だから、我なんじを愛すというようなことを答えた。漱石は、怒って、一喝した。おまえら、日本人か? 日本人は、そんな、いけ図図しいことは言わないんだ。I love you というのは、日本語では、月がとっても蒼いなあ、と、こう訳すものだ、って言ったろ。
ほぼ同時期に、つかこうへいが小田島雄平との対談で同様のエピソードを語っているが、こちらの記事の初出は1978年なので豊田有恒よりも後ではある。つかこうへいが豊田有恒の記述を読んだのか、それとも共通の元ネタがまだどこかにあるのか。
古くは夏目漱石が I love you はどう訳せるかって言ったという有名な話がありますよね。生徒たちがそれは「愛してます」って訳すると言ったら、夏目漱石が教壇からばかやろうとどなりつけて、「月がとっても青いから」って訳すのだと言った話がありますけど、そういう翻訳のリアリティーっていいますか、それは、時代とともにいろいろ変わっていってるんでしょうね。
以降の流れは「月が綺麗ですね・死んでもいいわ」検証に詳しい。
ツルゲーネフの『片恋』における「Yours」という台詞を二葉亭四迷が「死んでも可いわ…」と訳したという話を、「二葉亭四迷がI love youを死んでもいいわと訳した」に変形させた犯人探しも行われているが、それはおそらく土岐善麿だろう。1957年の『ことば随筆』にこう書かれている。
「アイ・ラブ・ユウ」を日本語に直訳すれば「われ、なんじを愛す」であろうが、二葉亭四迷はそれを「死んでもいいわ」と表現したことがある。ツルゲーネフの「あいびき」の中にあるのを読んで、その訳しぶりのすばらしさにおどろいた記憶がある。
この記述は、のちに金田一春彦がいくつかの著書で引用しており、そのあたりから広がっていったのだろう。たとえば金田一春彦の1975年『日本人の言語表現』ではこういった具合だ。
土岐善麿氏によると、二葉亭四迷は、トゥルゲーネフのある小説で女性の言うI love you.を訳すのにはたと困ったそうだ。何でも相愛の男女が愛を確かめあうクライマックスの場面であるが、男がI love you.と言い、女もそれに答えてI love you.と言う。男のせりふの方は「ぼくはあなたが好きだ」で簡単だ。が女の方はそうはいかない。もし、「私もあなたが好きです」とでも言ったら、それは教養のないあばずれ女ということになる。女のI love you.を日本語で何と訳すべきか、二葉亭は、二日二晩考えた末、今も名訳として伝わっている日本語を思いついた。それは「死んでもいいわ」という文句という文句だという。
川瀬はる 漫画家
花森はな 漫画家
こまい 漫画家
おおでゆかこ 作家
吉美駿一郎 作家
六多いくみ 作家
もりまゆみ 作家
鳥さんの瞼 作家
夢咲咲子 作家
大島 郁葉 千葉大学 子どものこころの発達教育研究センター 教授
春ねむり シンガーソングライター
Ellie シンガー
かわにしようじ ミュージシャン
KAWANA Hisako ミュージシャン
雅博 ミュージシャン
KOTFE アーティスト
岩澤侑生子 女優
梅村綾子 女優
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change.orgの「大阪高裁の“医大生による性的暴行”逆転無罪に対する反対意思を表明します。」の署名について
「署名しました」「賛同しました」とツイッターに書きこんだ人って他に誰かいる?
ただし全部挙げたらキリがないので以下の条件に当てはまるアカウントに限る
・ただ「判決が許せない」とか「署名お願いします」とか書き込んだだけのアカウントは除外(署名したとは言ってないので)
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(全体像についての補足)
この署名の震源は「立憲共産れいわ支持者」「女性の創作系コミュニティ+女性オタク」「フェミニスト」「夜職・整形界隈」の4つで、これらは普段から緩く連帯している。
(たとえば直近でも、各コミュニティが『おまねこ』の件で男性嫌悪ツイートを発信している。)
そのため、
・立憲共産れいわ支持者は「大阪高裁!?やはり維新の強い大阪は犯罪者の街!」と言い、
・女性オタクたちは反AI論争と同様に「法律とかよく分からないけど、法律より私たちの意見のほうが大事」と言い、
・フェミニストは「男の裁判官が男の性犯罪者を逆転無罪にした。これは男性特権だ」と言い、
・夜職・整形界隈は「裁判長はAVの見過ぎ。やはり男性向けAVは犯罪の温床だから禁止しなければならない」と言う。
(各コミュニティ同士の親和性は高く、お互いのロジックを貸し借りしあっているので、4つのコミュニティが4つの主張をしていると言った方が適切かもしれない。)
さらに今回はこの周囲に「上記コミュニティとは無関係の善意の署名者たち」が多数加わっている構図。
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(追記)
・某東大教授たちは「このオンライン署名に賛同をお願いします!」としか書いていないのでリストから除外しています。
・togetterのURLありがとうございます。反映しました。
マリーとの破局よりもピアニストとしての活動を選び、欧州中をわかせていたリストだったが(何しろリストの風呂の残り湯を飲もうとして待機しているファンがいるとかいうレベルである)、1847年にポーランドの大地主の娘であり、キエフの軍人ザイン=ヴィトゲンシュタイン侯爵夫人カロリーヌに出会う。コンサート・ツアーでリストがキエフに来ることを知ったカロリーヌ(別居中)は、娘の誕生日のためという名目でリストを招待し(誕生日に大スターを招待できるというわけでだからどのくらいのレベルの金持ちかがよく分かる)、急速に二人は深い関係になっていく(意味深)。リストはピアニストとしての活動を打ち切り、カロリーヌと一時の同居生活を経たあと、48年からヴァイマールの宮廷楽長としてカロリーヌと共に腰を落ち着けることになる。カロリーヌは長い訴訟を経て婚姻無効を勝ち取るが、リストとの結婚は認められなかった。ちなみに、カロリーヌは博覧強記で雄弁な人だったらしく(リストの多くの作品にも口を出している)、あのワーグナーが引くほどだったということである。カロリーヌの身分を巡る微妙な問題に加えて、音楽界の動向的にもリストはドイツに居づらくなり、約10年で宮廷楽長を辞任する。つまりリストの「中期」は短い。宮廷楽長になったことで、オーケストラ作品が多く書かれるようになった一方、新規のピアノ曲はこの時期にはあまりない。大スターの座を捨てて半分隠退生活に入ったようにも見える。しかし、この時期こそが作曲家としてのリストが確立する重要な時代である。前期の作品の少なくない曲(巡礼の年やパガニーニ練習曲もそうだ)はこの時期に改訂され、より演奏効果は高まり、内容も充実することになる。
リストの代表作の一つ。この時期に改訂を経て完全版になった。長年の改訂を経て磨きに磨き抜かれた。
この曲集の決定的な録音はウラジーミル・オフチニコフ(EMI)だろう。どの曲も非常に質が高く、穴がない(この練習曲集は多彩な技巧のデパートなので、どこか苦手なものが出るのが常)。が、残念ながら入手性は悪い。世間的に有名なのはラザール・ベルマン(Melodiya)で、新旧二種類あるが、新版(1963年)が気合いが入っている。ただ、キンキンとぶっ叩くような録音で、そこまで好きにはなれない。横山幸雄(SONY)は録音も良く、やはり穴も少ない。特に第5番「鬼火」の演奏が素晴らしい。
2. パガニーニによる大練習曲 S.141(1851年出版)
1840年出版のパガニーニによる超絶技巧練習曲の改訂版。元々の第4曲は単音アルペッジョになり大分おとなしくなったが、それ以外の曲については、難易度を落としつつ、同等以上の演奏効果を発揮できるようになった。第3番「ラ・カンパネッラ」はここで非常に完成度を上げて今の形になった。
40年のパガ超と違い録音は多い。有名なのはアンドレ・ワッツ(EMI)だと思う。昔図書館で借りて聴いたことがあるがどれも安定の演奏。その他だとフィンランドのピアニスト、マッティ・レカリオ(Ondine)の激烈な演奏があるが、残念ながら廃盤で入手困難(Naxos Music Libraryにはあったかな?)。フィリペツのパガ超のCD(NAXOS)にも入っており、これまた大変安定した演奏で、パガ超と合わせてフィリペツを聴くのがいいだろう。あと、「ため息」で紹介した福間洸太朗(アコースティカ)のCDにも入っている。これも大変安定していると思う。
(追記)レカリオはNMLにもiTunesにあった(Raekallio Lisztででてくる)。YouTubeにもあった。https://www.youtube.com/watch?v=SkuWa2HDk58&list=OLAK5uy_kN6U4dNkOzK4Cv1DZfZDWoidTcP7yPxr8
ピアノソナタが量産されていたのはベートーヴェン(32曲)までの時代であり、19世紀半ばにはピアノソナタは落ち目のジャンルであった。一方、気合いの入った大曲を書く時にピアノソナタという古典的様式を敢えて選ぶことはその後もあり、ショパンやリストのソナタはその例だろう。リストのソナタは、単一楽章という異例の様式だが、単一楽章の中で多楽章形式の要素とソナタ形式(提示部・展開部・再現部)の要素を融合させ、しかも一つの動機(冒頭のタッタラ~タ~ララ~タラララ~というつかみ所のないアレ)によって全体が統一されているという極めて斬新で前衛的な曲だった。そのため当時はよく言って賛否両論といったところで、現在ではリストの最高傑作の一つとして評価されている。
リストの最高傑作であるからして録音も非常に多く、推薦音源を挙げるのは難しい。取り敢えずクリスティアン・ツィメルマン(Deutsche Grammophone)の演奏が端正であり、技術的にもハイレベルで良いと思う(難所でタッチが浅くならず、深く充実した響きが聞こえるのが良い!)。ぶっ飛び系なので好みは分かれると思うが、カティア・ブニアティシヴィリ(SONY)の演奏をよく聴いている。
なお、この曲と関連する重要作品としてスケルツォとマーチ S.177がある。面白い曲だが泣く泣く割愛した。デミジェンコ(Hyperion/Helios)が良い演奏している(ソナタや「伝説」とカップリング)ので聴いてほしい。
4. バラード第2番 ロ短調 S.171 (1854年出版)
ショパンは1832年にパリデビューし、特にサロンでの繊細な演奏で女性たちの心をわしづかみにした。リストもショパンの演奏に狂った一人である(またかよ)。リストはショパンのことを友人と思っていたが、ショパンの方は割と適当にあしらっていたという話もあり、リストの片思いだったのかもしれない。ただし、ショパンは練習曲作品10をリストに、作品25をマリーに献呈している。つまりリスト夫妻にショパンの練習曲は捧げられたわけで、結構親しい関係にあったことが分かる。リストはショパン死後にショパンの本を書くくらいにショパンには思い入れがあり(最近新訳が出た)、弟子にもショパンを弾けと言っていたようであるが、作曲面でもポロネーズやバラードなど明らかにショパンの影響と思われる様式の曲を書いている。中でもバラード第2番は大変な傑作で、冒頭の重苦しい主題が終盤にロ長調になって戻ってくるところは本当に感動的である。
これまたあまり推薦音源が思いつかないが、アンスネス(EMI)のCDがかなり良かった覚えがある。前期で出したノンネンヴェルトの僧房も入っている。
(追記)スティーヴン・ハフ(Hyperion)がポロネーズやバラードを全部録音しているのを思い出した。ピアノソナタとカップリング。あとショパン弾きで有名なネルソン・ゲルナー(レーベル覚えてない)の演奏がもの凄く良かったと思うのだが、どこで聴いたか・・・(この曲はショパン弾きにこそ弾いてほしい!)。YouTubeに動画をあげまくってCDデビューしたヴァレンティーナ・リシッツァがベーゼンドルファーを使って弾いている動画がある(収録風景?https://www.youtube.com/watch?v=1Qdr3Uvs09o;コンサート https://www.youtube.com/watch?v=uBs4jtWMBj8)。97鍵もあって低音がアホみたいに響くから重たいが、この曲には合っている。ただCD(持ってない)でそこまで迫力があるかな?
(再追記)ゲルナーあった!(https://www.youtube.com/watch?v=m90vsN3SjvM)配信もあるのかな。
トムとジェリーで有名なハンガリー狂詩曲もこの時期に改訂が終わって現在の形になっている。リストが採録しているのはハンガリー(マジャール)ではなく、ロマの音楽なのだが、リストは、ロマの民謡を素材に使ってハンガリーの民族叙事詩を作り上げようとしていた(それがバルトークのようなマジャール人からはドイツ人が勝手なことやりやがって・・・という風に見えていたわけだが)。どの曲も重々しいラッサンと華やかなフリシュカという二つの舞曲的なパートから成り立っていて、構造的に単純で、しかもピアニスト時代のようにド派手で豪快な曲が多く、リスト入門に良いと思われる。
ミッシャ・ディヒター(Phillipes)が全曲では有名だと思う。ハンガリーでリストの再来とされていたかのシフラ・ジェルジの録音もあったはず。第2番はホロヴィッツ編曲版を弾いているスルタノフの爆演が好き(https://www.youtube.com/watch?v=_BFalOtwUy8)だが、スルタノフを聴くと大概の演奏が物足りなくなるおそれがある。残念ながらスルタノフは若くして亡くなってしまった。ホロヴィッツ編曲版ではない場合、第2番はカデンツァを挿入する部分があるので、独自のカデンツァが見物になる。その点で一番に言及しなければならないのは我らがスーパーヴィルトゥオーゾのアムラン(Hyperion)で、アルカンの大練習曲 op.76の引用が入り3分以上続く頭のおかしいぶっ飛んだカデンツァだ。日本公演の映像もある(https://www.youtube.com/watch?v=pIMzL2-4bjg/8:30あたりから)。あとは自作のジャズ・カデンツァを用いて全体にやる気がみなぎるデニス・マツーエフ(BMG)、ラフマニノフのカデンツァを使用し爆演系のレオニード・クズミン(Russian Disc)がお勧め。ただしクズミンのCDは廃盤・倒産で入手困難であり、今後他社からの再発が望まれる。
第15番「ラコッツィ行進曲」は何よりもホロヴィッツ本人のいかれた演奏を聴くべきだろう(古い音源なので検索すればすぐ出てくる)。音質は悪いが、聴く価値がある。昔ホロヴィッツ編曲版にチャレンジしている勇者を見つけていたく感動したことを思い出した(https://www.nicovideo.jp/watch/sm10176725)。
なお、15番以降19番までハンガリー狂詩曲はあるが、晩年様式なのでこれ以上は紹介しない。
リストはドイツの宮廷音楽家として、新ドイツ派(当時のドイツにおける管弦楽の停滞(と彼らは考えていた)を問題視し、ロマン主義音楽の再生を志す人々)の頭目的な存在だった。そのため、同じような立場にある人々、特に売れっ子とは言い難かったワーグナーの作品を積極的に上演・紹介したのだが、40年代以降ピアノ編曲もいくつも作っている。リストの最も有名なワーグナー編曲は「トリスタントとイゾルデ」の終曲(愛の死 S.447)だが、自分はタンホイザー序曲が単独では最上の作品だと思う。何よりも前期のオペラ編曲もの同様、豪壮無比な超絶技巧を聴かせてくれるのが良い。
ちなみにリストの次女コジマは夫のハンス・フォン・ビューロー(ワーグナーにとっては恩人)を裏切ってワーグナーと不倫し、リストは激怒する(後に和解)のだが、自分もマリーやカロリーヌにやらせていたことだ。
タンホイザー序曲の録音は意外とない。ユーリ・ファヴォリンの気合いが入った演奏(https://www.youtube.com/watch?v=xJYkouNnuwo)が一番良いのだが、CDは手に入りにくい(一応、ヴァン・クライバーンコンクールでの演奏があるらしいのだが・・・)。スタジオ録音が望まれる。前期作品の時に名前を挙げたロルティ(CHANDOS)も美しいが、技巧的には前者が圧倒的。実は、ワーグナー本人もピアノ編曲を作っているが(https://www.youtube.com/watch?v=KdXPFBcP1bQ/カツァリスのCD「ワグネリアーナ」に入っている)、リストの編曲と比べると一目(耳?)瞭然、どちらが音楽的に充実しているかは明らかである。
30~40年代から書かれている曲だが、やはり最終版になったのはこの時期。もっとも早く書かれた「死者の追憶」(第3稿第4曲)を聴くと、非常に調性が曖昧な曲で、30年代から既に晩年の様式が準備されていたことが分かる。第3曲「孤独の中の神の祝福」はリストの敬虔さが音楽に昇華された隠れた傑作。アムランが好んでおり、2回も録音している(ノルマが入っているMusic & Arts盤とソナタや「補遺」がセットになっているHyperion)。
この曲の中で最も有名なのは、第7曲の「葬送――1849年10月」だろう。非常に暗い曲だが、タイトルが指す通り、ハンガリー革命で奮闘し、鎮圧され死んだ人たちのための追悼音楽。
全曲では先のユーリ・ファヴォリンが録音しているが、筆者は未入手。配信で聴けたかと思う。どうでもいいことだが、デミジェンコのライブ録音(Hyperion/7番のみ)を聴くと、明らかに鼻歌で歌っていて面白い(グバイドゥーリナのシャコンヌでも結構はっきり聞こえる)。
宮廷楽長としての生活の中でリストの前期作品の多くが音楽的に充実されたが、音楽界での軋轢や劇場でのトラブル、カロリーヌの身分を巡る問題で長くは続かなかった。そろそろ次の時代に進もう。
追記:
前期のところに、ベートーヴェンの交響曲のピアノ編曲についてのコメントがあった(anond:20241212215414)。
リストはベートーヴェンの交響曲を全曲編曲しているが、初版出版は1865年で、時期的には後期にあたる。ただし、3、5-7番の編曲は1837年には出来ており、個別に出版されていたようだ。リストはピアニスト時代からベートーヴェン作品の布教に熱心に取り組んでおり、その一環として作られた。ボンのベートーヴェン記念碑の建設のために多額の資金を提供したりもしている(ちなみに同様に寄付を呼びかけるためにシューマンが作曲したのが「幻想曲 ハ長調」だ)。
初代ポケモンにおける「マサキ」に該当するカード。初期ポケカの無法を象徴する激ヤバカードである「オーキド博士」を思わせる絵柄が完全に分かってやってる感。
圧倒的に強すぎて絶対全てのデッキに入るカードであるためチュートリアルで2枚(デッキ編成上限)配布され、当然のように全てのデッキに2枚入っている。
一部のプレイヤーが縛っている可能性を考慮しても使用率が190%(9割5分のデッキに2枚入っている計算)なのは間違いないだろう。
ポケモン界のスーパーアイドルへの当然の厚遇。やられると2点取られるEX(3体相手ポケモンを倒せば勝てるうちの2点)ではあるものの、たねポケモンでありながら実質2エネで90ダメージを叩き出す。
1進化ポケモンでさえ一撃で葬れる攻撃力を後攻2ターン目からブンブン振り回すことが出来る。
たねポケモンであることによりとんでもない安定力をほこり、回り始めると相手が進化やエネをつける間もなく倒せてしまうのでこちらがろくにダメージを受ける間もなく試合が終わる。
運を味方につければ驚異的なエネルギー加速を実現できる。試合スピードの早いポケポケにおいては一度暴れ出した相手を止めるのが難しいため序盤に使われると手が付けられない。
終盤で引いてきていきなり大技を打って逆転することあり、コイントスに成功する分には基本的に腐るタイミングがない。
何がヤバイってコイントスの成否があらゆる試合プランに直結するためお互いが勝っても負けても「コイントスの結果だな」としかならないのが凄い。
2エネ50点は通常の1進化ポケモンよりも強力。序盤から一方的に有利を取りつつ戦えるのが強み。
ベンチから毎ターン1エネつけられるサーナイトと組めれば150点を飛ばし続けることが出来るという圧倒的火力が魅力。
HPが高めなため動き出す前に止めることが難しい。
前述したミュウツーEXの相棒。2進化での実質2マナ60は自分で戦うにはだいぶ苦しい。
本体となるカードが必要な上に2進化の遅さもある中々にしんどいカードながら、サーナイト自体の人気の高さもあって採用しているプレイヤーは多い。
そもそもミュウツーEXを本格運用しようとしたらこのカードが相方になるというのもあるが。
HP50のヒトデマンから進化する必要があるためベンチで上手く育てないといけないのが弱点。
進化さえしてしまえば無条件で2エネ90点を叩き出しつつ、ダメージが蓄積したらベンチに逃げ、そしてまたスキを見て再登場して90点打って勝てるという酷すぎるカードに。
前述したカスミとの相性もよく、現環境においてはスターミーEXが最強カードだと言われている。
ポケモンの入れ替えにエネルギーが必要なシステムと極めて相性の良いサポートカード。
如何にしてこれを使うか、如何にこれを凌ぐかがこのゲームにおいては重要となっている。
このカードの存在が結果的ににげる0エネのスターミーEXを後押しする形となっている。
コイントスゲーを極めたコイントスの神。1進化で2エネ160とスターミーEXを遥かに凌駕する破壊力を誇る化け物。
コイントスに失敗し続ければ全く何も残らないまま相手に2本取られる可能性もある滅茶苦茶なカードである。
このゲームのマナシステムは「指定した色のマナがランダムで毎ターン一つ配られる」というものであるため運が悪いと永遠に技が打てないで終わる。
動き出しが遅いものの、決まれば一度に相手を複数体葬り去ることが出来る威力が魅力
フリーザー単というポケカGBのサンダー単を思わせるデッキを作り出したカード。
このゲームは初手に必ずたねポケモンが来るようになっているため、フリーザー単では必ず初手にフリーザーが来る。
カスミとの組み合わせがキレイに決まれば速攻で80ダメージをばら撒き始めることが可能であり、バトルをコイントスが支配する地獄へと変えるポテンシャルを秘める。
改めて強いカードを整理して分かるのはEXカードがひたすら強いということ。
いきなりEXでスタートダッシュを切って相手が進化する間もなく蹂躙する使い方も強いし、後半あと1ポイントでEXを出すことでEXの2ポイントのうち1ポイントを実質的に踏み倒す使い方も強い。
その結果としてフリーザー単のような「EX2枚で戦って相手に1点分損させることを押し付ける」という陰湿な戦い方が流行ってしまう環境が生まれた。
EXはレア度が高いカードのため必然的に高レアなカードが勝利に必須となるわけだが、レアなカードが強いというのはMTGを始め多くのカードゲームが採用している基本的な仕組みなので仕方がない。
一部カードの無法レベルな強さと試合スピードの速さのお陰で、初手の引き運や序盤のコイントスが致命的なまでに試合の流れを決定してしまいマーベルスナップにも負けないスピード感が達成されている。
火力が全体として高く持久戦型のデッキが少ない環境であるのもスピードの理由だろう。
とにかく早くてサクサク遊べる。そしてコイントスで全てが粉砕される。
キッズでも楽しめるパーティー型小ゲームとして中々に悪くないゲームである。