はてなキーワード: 継続とは
B'zダサい論争を通じ、HR/HM視点から活動の継続が音楽評価に与える影響を考察。B'zの成功はパクリ論争を超えた昭和歌謡路線の独自性によるもので、人間椅子との対比からも音楽マーケットにおける売上重視の現実が浮かび上がる。
B'zダサい論争が一部で話題になっていたが、主に90年代サブカルとか渋谷系からの視点で語られているようなので、90年代当時のハード・ロックとヘヴィ・メタル(HR/HM)好きから見た当時の状況を交えて今思うことを殴り書きしてみる。
本題の前に殴り書きの趣旨を書いておくと、唐突だがみうらじゅんは昔から「キーポン」、つまり「keep on」が重要だと主張している。そして「keep on」の次に何が来るかは重要ではないともいっていた(と記憶している)。「マイブーム」を一般名詞にまで浸透させ、一大産業に発展した「ゆるキャラ」の名付け親でありながら「ゆるキャラ」にとどまることなく意味のない「マイブーム」を続けているみうらじゅんが主張していることだから説得力があるともいえるが、個人的にも今強くそう感じるようになっている。学生時代から主に音楽の面でサブカル界隈をそれとなくフォローしてきた身として、今現在そう感じている内容を整理してみたい。
兄が学生時代にハード・ロックのコピーバンドをやっていてそのコピー曲を聴いていた流れで、『Burrn!』誌で酒井康の紙面アジテーションに感化されてヘヴィ・メタルにハマり込んでいた。酒井康がしきりに「世界で最も売れたアルバムはビートルズでもなくディープ・パープルの「Machine Head」だ」と連呼するのを真に受けていたし、ディープ・パープルのライバルであり洋楽ロックが専門の渋谷陽一が好きなレッド・ツェッペリンはヘヴィ・メタルとは違う「軟弱」なハード・ロックに思えた(なお「Machine Head」は80年代当時最も売れていたかもしれませんが2020年代の歴代アルバム売上ランキングではトップ100にも入っていないようですね)。
その一方で『Burrn!』誌創刊とほぼ同時期に刊行された伊藤政則『ヘヴィ・メタルの逆襲』を繰り返し読みながら、(まあ当然の話ではあるが)ビートルズやローリング・ストーンズなどの有名どころのほかに80年代には名前も聞いたことのないバンドが60年代から70年代のブリティッシュロック興隆期に活躍していたことを知った。
そうして大まかな流れをつかみながら実際に曲を聴いたりしてみると、80年代当時の音楽シーンから見るとメロディー、音質、演奏テクニックも古臭くて長く残るようなものじゃないなと納得することが多かった(これはもちろん80年代当時の感覚であって、80年代の音楽はまた別の意味で古臭くて長く残るようなものはむしろ少なそうですけどね)。
その後90年代に大学のHR/HM寄りの軽音サークルに入り、幅広く音楽を聴いているサークル仲間に教えてもらって普段テレビやラジオで流れる以外の音楽の世界にも触れようになると、音楽性もさることながら長く音楽活動を続けることこそが一番の評価軸になるのではないかと思うようになった。もちろん、長く続けてればいいということではなく、当時の社会、文化情勢で受容される音楽が変わる以上長く続けるかどうかは結果論でたまたまかもしれないし、今聴いている音楽も後世に残るのはわずかなのだろうなどとも思いながら、結局同じスタイルやコンセプトで続けることがその音楽性を唯一無二のものとしていくのだなと実感するようになったのである。
その時期はまた、80年代にHR/HMのギタリストとして『Young Guitar』誌にも登場していた松本孝弘がB'zというよくわからないユニットを結成し、その曲がテレビ主題歌やCMでバンバン流れるようになっていて、軽音サークルでは総じて「松本孝弘が魂を売った」と批判的だった。一方で「イカ天」からイロモノ的にデビューした人間椅子は地道にアルバムを出し続けていて、サークルの後輩がコピーバンドを組んだりしてライブでは大いに盛り上がっていた。
長く音楽活動を続けることこそが一番の評価軸になるというのを身にしみて感じるようになったのはアラフィフになったここ数年である。そのきっかけはいくつかあるが、音楽でいえば人間椅子が2010年代にSNSで海外からも評価されるようになり、オズフェストに出演したり海外でツアーを実施したりするまでにブレイクしたことである。少しずつ変遷しつつもコンセプチュアルなルックスや江戸川乱歩や太宰治を強く意識した歌詞と3ピースのハードロックという音楽性は一貫しており、海外から高く評価されるようになっているのを知ったときはなんとなく嬉しい気持ちになった。個人的にそこまで熱心なファンではないが、「ヘヴィ・メタルの逆襲」といえば伊藤政則ではなく人間椅子というHR/HM好きも多いだろうし、青森のローカルテレビ番組で披露していたキング・クリムゾンの「21st Century Schizoid Man(21世紀の精神○常者)」や「Lark's Tongues In Aspic Part2(太陽と戦慄パート2)」の完コピには感動したものである。
なお余談だが、人間椅子の曲がディープ・パープルではなくブラック・サバスに影響されたものであることも長く活動を継続できた理由のひとつであろう。個人的な感覚ではあるものの、ディープ・パープルは今となっては古いロックの定番としてなら聴けるが70年代という時代でしか通じない遺物に感じてしまう。奇しくも酒井康が80年代中ごろにディープ・パープルの影響を誇示していたように、同時代とそのフォロワーにのみ影響を与えたバンドだったのではないかと思われる(重要なバンドではないということではなく時代によって評価が変わりやすいという趣旨です。為念)。
そして人間椅子とは対照的だが、2024年の紅白歌合戦でサプライズゲストとして登場したB'zもまた、活動を継続することで唯一無二のポジションを獲得している。2024年放送のNHK「Songs」で松本孝弘自身が語った話では、80年代から浜田麻里やTM Networkなどのサポートギタリストとして活動しながら、その活動に限界を感じて自分のバンドを結成しようとメンバーを探していたところ、所属事務所のボイトレに通っていた稲葉浩志を紹介されて88年に結成したのがB'zだった(大意)とのこと。
松本孝弘が感じた「限界」がどのようなものかまでは深く語られなかったが、80年代中盤以降アメリカではLAメタルが全盛期でトップチャートを賑わせていて日本からもラウドネスが進出する一方、国内では聖飢魔Ⅱがテレビの歌番組で活躍していたり浜田麻里がソウル・オリンピックのNHKイメージソングを歌っていた時代である。あくまで個人的な記憶だが、もしかすると日本でもHR/HMからメジャーバンドが生まれるのではないかくらいの勢いはあったと思う。
しかし松本孝弘は、NHK「Songs」で子供のころに聴いていたテレビ主題歌や歌謡曲が好きだったとも話しており、その勢いそのものに「限界」を感じていたのだろう。つまりガンズやメタリカのようにHR/HMをそれとして打ち出すのではなく、テレビ主題歌や歌謡曲としてテレビで普通に流れるものに落とし込まなければメジャーになれないと考えていたのではないか。そしてその目論見は、現在まで長く活動を続けて唯一無二のポジションを獲得した松本孝弘にとって正しかったというほかない。
(というと「日本HR/HMのモンスターバンドならX Japanがいるだろ!」との意見もあると思いますが、HR/HM好きからするとX Japanはドラムとベースは申し分ないもののボーカルとギターの要素が不足していて、ルックスからもビジュアル系と認識してしまうんですよね。)
B'zのモンスターぶりは特に売上で際立つ。それはやはりB'zの所属事務所ビーイングによるところが大きいと思われる。ビーイングを創設した長戸大幸は吉田拓郎に憧れて上京し、歌謡曲でヒットを連発していた阿久悠とも交友関係があったとのことで、その事務所の方針と松本孝弘の考えがあいまってB'zは着実に売上を伸ばしていった。
B'zはボーカルとギターという最小限のユニットを活かしてデジタルな音源を取り入れ、洋の東西を問わずその時々のヒットチャートや古いロックを取り込んだものとなっている。たとえばツェッペリンやエアロスミスなどの洋楽ハードロックをモロパクリするところなどは、同じく洋楽を強く意識してパクリも辞さなかった(というより積極的にパクった)昭和歌謡曲の路線を忠実に踏襲していることが伺われる。当時から「パクリではなくオマージュだ」という擁護はあったものの、現在では結局それも擁護というよりB'zのテクニックや解釈への正当な評価と認識されるようになっている。これもまた長く活動を継続したことの成果である。
ただし、人間椅子もいわばブラック・サバスのパクリだし、アメリカ、イギリスを中心とした洋楽への憧れがあって独自に解釈した結果が音楽性に反映しているという点はほぼすべての日本(というより非アメリカ、イギリス圏)のバンドに共通しているだろう。B'zがほかのバンドより批判されやすいのは、良く言えば今風のフレーズに古今東西のメロディーを織り交ぜる昭和歌謡曲路線を踏襲しているから、悪く言えばほかのアーティストの有名フレーズのみならずあまり有名じゃない曲のメロディーまで一部ではなく全編に隠すことなく入れ込みながらも知っているとニヤリとするどころかなんでそこまでまるまる?と思うくらいパクり方に節操がないと感じられる(※個人の感想です)からという程度である。
HR/HMのギタリストだった松本孝弘を知っているHR/HM好き(自分もその一人)からは主に昭和歌謡曲的パクリについて反感を買っていたが、ミリオンセラーの前にはそんな一部のマニアの批判など無力である。むしろそんな批判を松本孝弘が聞いても「だからHR/HMでは限界なんだよ」という思いを強くしただけだろう。その意味では、人間椅子とB'zを比較すること自体がHR/HMの限界を如実に表しているともいえる。人間椅子がブレイクしたといってもB'zのように単独アリーナツアーをすることはないし、和嶋慎治がギブソンからシグネーチャーモデルのSGを送られることもおそらくない。売れるバンドになることが目的ならB'zの方向こそが目指すべきものであり、人間椅子の方向は長く困難で実入りの少ないいばらの道が続く。
さらに余談だが、ブリティッシュ・ロックを出自としながら時代に応じて曲調もルックスも変えて長く活動を続けているのがローリング・ストーンズである。ストーンズもまたデビュー当時からパクリとの批判が大きかったが、次第にオリジナリティが認められていった。B'zはローリング・ストーンズの手法にも学んでいるのかもしれない。
もちろん、この文章には若干の皮肉を込めている。ただしそれはあくまで若干であり、残りの大部分は長く活動を継続したことに対する私なりの敬服である。
音楽マーケットはあくまで「市場」であり、売上こそが正義である。パクリでもなんでも売れ続けることによって批判は称賛に変わり、その音楽性や演奏力といった音楽という表現方法が内包する軸とは別に、売上という別個の軸が評価基準として自己実現する。B'z以前から日本の歌謡曲は洋楽のパクリとして始まっており、これは日本のみならずアメリカ、イギリスの影響を受けた音楽マーケットを持つ国でも同様であろう。なんなら上記のとおりローリング・ストーンズに限らずアメリカ、イギリスでもパクリ(盗作)をめぐっては訴訟だらけである。ここで「パクリ」の定義に踏み込む余裕はないが、どのように定義するにせよパクリを否定することは売上によって成り立つ現在の音楽マーケットそのものを否定することになり、現実的ではない。
ここまで読んでいただければお分かりだと思うが、この文章は人間椅子の方向に面白さを感じる人間が書いている。「keep on」の次に何が来るかは重要ではないかもしれないが、それによって得るものは時代や人間関係などの環境や運によって大きく異なり、おそらくそれは本人が意図的に選ぶことはできない。その現実のどうしようもなさに対して諦念するほかないのである。
人間椅子とB'zは個人的に対比しやすいから取り上げただけであり、売上がギネス認定されたB'zを一方の頂点とすることはできるかもしれないが、人間椅子はその他のバンドの一つに過ぎない。売上ではB'zに及ばずとも単独でアリーナツアーできるバンドやミュージシャンはそれなりにいるし、人間椅子のような活動の積み重ねを前提として運よくブレイクしたバンドも探せばそれなりにいるだろう。明確な売れ筋狙いが功を奏した場合もあれば、愚直に一つのスタイルを貫くことが評価される場合もあるというだけの話である。いずれの場合にせよ長く続けて評価されるためには、その水準を満たす表現力や演奏力などの本人の能力はもちろん、各関係者との良好な協力関係などの制作体制、そして固定ファン層を安定して構築することこそが重要である。
長く続けること自体が本人や関係者、ファン層のそれぞれの厳しい条件をクリアしてようやく成立するものであり、さらにそれが売上などで評価されるかは時代や社会情勢によって変わってしまうという現実に対しては諦念するほかはないが、それを実現したB'zとその関係者、さらにファン層にもやはり敬服するほかないというのがとりあえずの結論。
参考
https://yamdas.hatenablog.com/entry/20250106/being-sibuya
無理だろ。元増田が追記しているように相続発生時点で役員である人しか承継者と認められない。そういった事前の準備がないと使えない。
そもそも従業員の雇用等を護るための制度。だから、事業の継続性が重視されていて、それまでも経営にたずさわってきた人に限って、その人が事業承継しやすくなることを目的としている。相続人を重税から護るための制度ではない。
単純な話で、使えないからでしょ。あの優遇を受けるには相続時点で役員をやっていることが一つの要件だけど死後にはもう手が出ないからな。
あくまで、従業員の雇用等を維持するため企業の健全な継続を為させる、その目的に合うようその企業についての知識を持ち意思決定の継続性ある人に円滑に事業を続けてもらう、という制度なんだから、相続税を回避するためだけに便利に使える制度ではない。それまで企業経営と無関係なぽっと出の相続人が代取社長をやると言って要件が満たされるようなものでもない。
ChatGPT o1 に聞いてみた。
まず大前提として、相続の問題はケースバイケースであり、詳細を把握した上で最適な方策を検討する必要があります。特に「会社の株式の相続」が絡む場合は、一般的な相続とは異なる特殊な制度や手続きが存在し、慎重に対応する必要があります。ここでは、よく検討される主な選択肢・制度を紹介しますので、参考にしていただきつつ、必ず専門家(税理士・弁護士)と具体的な相談をすすめていただくのがよいと思います。
1. 事業承継税制(非上場株式等に係る相続税・贈与税の納税猶予)
経営者が保有する未上場会社の株式を後継者が相続・贈与で取得する際に、一定の要件を満たせば相続税(あるいは贈与税)の納税を猶予または免除できる制度です。
2. 相続税の「延納」や「物納」の検討
延納: 相続税を期限内に一括納付できない場合に、担保を提供すること等の一定要件を満たせば、年賦(分割払い)で納付が認められる制度です。
物納: 不動産や有価証券などを現物で納税する方法。ただし、一定の順序があり、誰でも自由に「株式を物納する」というわけにはいきません(国が換価しやすい資産が優先されるなど)。
3. 限定承認・相続放棄という選択肢
もし会社や従業員の生活を守る意向が強い場合は相続放棄の選択は難しいかもしれませんが、万が一どうしても納税の目途が立たないなら最終手段として検討せざるを得ない場合もあります。
4. M&A・株式売却などの資金調達
「会社をどうしても継ぎたくない」「相続税を支払うために株式の一部を売却したい」という場合、
などでまとまった現金を確保するという方法も考えられます。ただし、買い手が見つかりやすい業種・状況なら良いのですが、経営実態や業績によっては交渉が長期化することも多く、株式評価額との乖離が出たり、想定通りには進まないケースも多々あります。
5. 専門家チーム(税理士・弁護士・金融機関)との連携
相続税・会社経営・不動産・株式評価などが複雑に絡む場合は、「事業承継に強い税理士」や「相続に強い弁護士」に加え、場合によっては金融機関や公庫などとも連携して資金調達策を検討することが必要です。
特に「会社の経営は存続させ、後継者候補はいる。しかし資金が足りない」というケースでは、金融機関へ相続税納付資金の借り入れを相談する場合があります。会社が安定的に利益を出しており、株式評価が高い理由が事業の好調さにあるのであれば、納税資金調達に協力を得られる可能性もゼロではありません。
まとめ
- まずは事業承継税制の適用可否を専門家に確認
- 延納や物納など相続税の支払い方法の多様化
- 限定承認や相続放棄などの最終手段も視野に
- 会社をどうするかの方針確認(M&Aや部分売却)
- 早期に専門家(税理士・弁護士・金融機関等)と連携する
相続税の支払い期限はおおむね「被相続人の死亡を知った日から10か月以内」であるため、時間が限られるなかでやるべきことも多く、非常に大変だと思います。しかし、早急に複数の専門家へ相談し、できる限り有利な制度を使いながら最善策を探っていくほかありません。
とはよく言われますが、本当に大切なことです。今回のように突然の不幸で慌てないためにも、日頃から親の財産状況や事業の継承計画などは、遠慮せず確認しておくことが理想だと改めて感じます。
1. 専門家チームの結成
複雑な状況のため、以下の専門家を交えたチームを組むと良いでしょう。
特に事業承継と資産管理会社の株式をどうするかの判断が必要です。既に税理士に相談済みとのことですが、相続税の軽減策についてさらに詳しいアプローチがないか、経験豊富な別の専門家を探すことも考えましょう。
a. 物納の検討
現金での納税が困難な場合、物納(不動産や株式を使った納税)が認められることがあります。株式や土地を物納に充てられる可能性を税理士に確認してください。
b. 延納の活用
相続税は一括での納付が基本ですが、分割払い(延納)が認められるケースがあります。延納する場合、担保の提供が求められますが、負担を一時的に軽減する手段となります。
親族間での事業承継に関する特例(事業承継税制)などを利用できないか検討してください。この制度を活用すれば、一定条件を満たすことで相続税の支払いを大幅に軽減できる可能性があります。
事業を続けるか、売却・M&Aで手放すかを考える必要があります。
a. 後継者を立てる
親族や会社内に後継者候補がいれば、その人に経営を任せることで事業を存続しつつ、経営権を引き継ぐことが可能です。事業承継税制を活用することで、株式にかかる税負担を軽減できる場合があります。
事業を売却することで現金を得て、相続税の支払いに充てる方法もあります。従業員の雇用継続を条件とした売却交渉を行えば、従業員の生活も守れる可能性があります。
どうしても相続が難しい場合は、相続放棄を選択することも考えられます。ただし、相続放棄をすると資産だけでなく負債や会社経営権も失います。放棄をする場合でも、手続きが複雑になるため弁護士のサポートが必要です。
従業員への影響を最小限にすることを考えましょう。例えば、事業承継や売却をする際に、従業員の雇用継続を条件にすることが可能です。信頼できる第三者に事業を譲ることで、義父が築いてきた会社と従業員の生活を守る道を探ります。
この問題は家族全員に関わるため、兄妹3人でしっかり話し合い、どうするかを共通認識として持つことが重要です。意思が統一されていないと、最終的な選択が難しくなります。
まとめ
専門家を集めてチームを組む。
事業承継か売却のどちらにするかを決める。
30代前半の公務員。
最近若手と中堅の研修後に懇親会みたいなのがあって(俺は中堅側)、話の流れで後輩たちから「やっといてよかったと思うこと」を質問された。
適度な運動とか婚活とかいろいろ浮かんだが、自分が素直に思い浮かんだ投資を挙げておいた。
そしたらさ、やっぱり投資に嫌悪感がある人ってまだいるんだな。若手の半分くらいがサーっと引いていくのが分かった。
どこか怪しい話に聞こえるんかな。これがリアルな若手の反応か~と思ってしまった。
普段Xとか見てると投資垢も多いから、若い子も投資やってたり、理解あったりするんだとばかり思ってたわ。
というか、公務員には投資くらいしかお金増やす手段ないんだぜ。モグリで副業でもやれば別だけど、リスキーすぎる。
ボロ儲けを狙ってハイリスクな投資をしない限り、手堅くお金を増やせるこの上ない方法なんだけどな。
ということで、俺の今の金融資産の状況を開示してみたいと思う。
なお、ネットの投資垢みたいに本気でやっているわけじゃなく、積み立て貯金を証券口座でやってるくらいの熱量だ。知識もそんなにない。
ネット上のすごい人達の成果ではなく、その辺にいるズブの素人の成果として見てくれたら。
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資産評価額合計 5,465,812円(+1,895,691円)
内訳:
米国株式 790,211円(+ 178,999円)
・投資を始めたのは、就職後落ち着いて貯金ができるようになってきた2020年4月。投資歴は5年弱。
・資産形成が目標だから短期的な儲けは狙わない、ハイリスクな賭けはしない、値動きを追い過ぎない(自戒)
・投資のすごい人かつ怪しくない人の投資垢やブログ等をたまに読んで、その集合知をそのまま真似している。これがいいのかどうかは知らん。
・基本は投資信託の積立。月4万弱くらいで毎日NISA。投資先はS&P500とかオルカンとか。投資のすごい人たちが口を揃えていうことに従った結果。
・お金に余裕があるときに国内・米国株式を買っている。値動きが激しいものより長期保有向きのもの。銀行とかインフラとか。投資のすごい人たちに従った結果。
・生活に合わせて無理なくやってる。出向等に伴ってお金に余裕がなかったときには投信の積立額を減らしたりもした。
・投資開始して1年くらいはマイナスになることもあったが、それ以降はない。評価額が上下するだけ。
・ゆるふわといいつつ、最低限の知識とか、投資のリスクは理解したうえで、余剰金を使ってやってる。
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投資がハチャメチャに上手いプロだったらもっと増やせたかもだし、5年もやってこれだけ?って思うかもしれんが、
俺(素人)は約350万を証券口座に突っ込んで約550万になったわけだ。
自分としては、とりあえずやっといてよかったなと思っている。今後はもうちょいちゃんと考えて投資したいな。
長期的に資産形成したい人にはとりあえずやってみたらいいと思うんだけどな。
プラス額の差は人によって違うだろうが、変な投資しなきゃマイナスにはなってないはず。
でも他人の金のことだし、リスクはあるから他人に無理強いはできないし、オススメするって難しいなと思った次第。
いろんな反応ありがとう。もっとボロカスに叩かれると思ってたから面食らった。優しい人が多い時間帯だったんかな
したほうがいいよね 増田、仲間や!
ありがとう。仲間ってことは公務員かな?資産形成がんばろうね。
本当にそう。心の底からおすすめしているのに、やっぱり金の話は難しい。保険とかの話も難しいよな。飲み会だから話したがシラフだったらできん。
専門家じゃないから分からんが、自分が使いやすいやつで良いんじゃないかな。無責任な回答だが…。
俺は普段から楽天のヘビーユーザーだから楽天証券を使ってる。楽天ポイント(期間限定Pは除く)で投資できるし、楽天カード払いで積立てるとそれにもポイントがつくのがうれしかった。
その人が普段使っているメインバンクとか、生活スタイルとか、その証券が扱っている商品とかいろいろあるからその辺を勘案して決めたらいいと思う。はっきりした回答じゃなくてすまん。
「積み立て貯金を証券口座でやってる」って書いてある通り、ガチで貯金のノリだからそう言うんだけどな。
一部の人にとっては投資ってまだまだ得体のしれない怪しい詐欺まがいなんかね。
さすがに増田に書いたみたいな語りはしないよ??? 職場の懇親会でこんなやついたら怖すぎる。
後輩たちに「やっておいてよかったこと」を聞かれたから、5年前に半信半疑で証券口座で積立貯金みたいにNISAを始めたんだけど、
基本さえ押さえていたら思ったより増えたんだよね。興味あったらおすすめだよ~。みたいな感じに軽く答えた。飲みの席だし。
若いのに怪しそうな話を警戒するのはえらいなとは思ったけどね。
俺自身の目的として一応「今後何があるか分からんし、老後資金も必要っていうし、キャッシュで貯めてても増えないし、何より貯金があるという安心がいいよね」的にサラっと説明したよ。
職場の懇親会の席だし、あんまり深刻な社会情勢の話しても興ざめだからね。というか大体の人が長期で貯金する目的ってそこでは?
たぶん若手の反応的には、話が入ってこないとか資産形成の意義が分からないってよりは「投資」って言葉自体に拒絶反応があるって感じ。だからこそもったいないなって思った。
まあでも、俺の話し方も至らないところがあったかも。次から気をつけるよ。
始めた時期が良い割には評価益少なくね?
その通り。コロナ禍の下落時にいっぱい積立できたらよかったんだけど、出向に伴う転居とか結婚とかが重なって思ったより投資に回せなかったりした。
出向に関してはある程度は職場から赴任旅費出たんだけどね。色々と入用もあったりして。
未だに「あのときああしていれば~」って思うけど、悔いても仕方ないから先のことだけ考えるようにしてる。
ほんとならすごいな。普通~~~にうらやましい。金融資産がたった500万円超えで満足している俺はショボいな。
でも、ネットにいる億り人まで行かなくても、ゆるふわでもちゃんと資産は増やせるんだよって知ってほしくて書いたんだ。ごめんな。
半分はそうでもなく、半分は保守的って感じ。
書かなかったけど、半数の若手は投資に興味津々or既にやっていて、おすすめの銘柄はどれですか~?と聞いてきた奴もいた(人の金の責任は取れないんで具体的には答えてない。)
だからこそ、「投資」って言葉に拒絶反応があるかないかだけで今後差が開いたりすんだろうな~って思ってみてた。
ギャンブルではないってことを分かってもらえたらいいんだろうけど、飲みの席ででいきなりそれを説いてくる先輩(俺)はそれはそれでキモいだろうしやめた。難しいな。
いくつか可能性はある。①公務員なのでリスクテイクには慎重派が多い。②若手も投資には興味はあるが増田に信用がない。③そもそも懇親会でそんなトークが場違いだった。…懇親会の雰囲気次第だが、③があるかなと
➁はあり得るかも。普段はちゃんと仕事を出来ているつもりだが、俺と初対面な人もいたし、若手が俺をどう思うかなんてわからんもんな。
➂はないかな。お酒の席で無礼講的な雰囲気だったし、半数は投資の話に食いついてきた。もう半分が「えっ…投資…?」って感じになっただけ。
他の中堅勢は、貯金、不動産投資、早めの婚活、ジム通い、独身のうちに遊び倒すことなどを話してた。俺は貯金の話の流れで投資の話をしたって感じ。
ホントそれ。政府はいつハシゴ外してくるか分かんないから怖い。公僕やっている身としては常日頃感じている。
各資産のリターンは国内株式+35.7%、米国株式+22.7%、投資信託+37.1%なので、個別株は止めて投資信託だけにした方が良い。
アドバイスありがとう。投信のほうが個別銘柄よりも長期で継続してやっているんでそうなってる節はある。
あとは、株は高値になったら売却したものもあるよ。その売却益で投信買い増ししたり)。
自分でもたまに投信1本で良いんじゃ…?と思うんだけど、個別株は余剰金で配当や株主優待目当てでやってる。イオンの株主優待とか、割引系はありがたいよね。
そもそも株式(インデックス含む)はかなりハイリスクな投資なんだがゆるふわってなんだよ。金融機関が出してる資産分類別のリスク・リターン表すら見たことない奴が物知り顔で投資を語るか。
めちゃくちゃ怒られている。なんかごめんな。「ゆるふわ」って書き方が悪かったかな。
あくまで俺は投資を専門でやっている人、超絶詳しいプロフェッショナルな人たちと違って、基本だけ押さえて積立設定してるくらいな意味で「ゆるふわ」って書いたんだ。
すべての投資にはリスクがあるし、インデックスだってリスクはあるから、さすがにそれを理解したうえで分散させて積立設定してる。投資のプロたちが書いたブログとか記事とか読んだりしてね。
さすがに投資したら100%儲かるなんて思ってない。専門家然として物知り顔で語ったつもりはなかったんだけど、気に障った人がいたらごめんな。
最終的に投資でいちばん儲ける人は「投資したことを忘れている人」と「死んだ人」って言うよね。
イデコ関連の話
俺はイデコやってない。公務員はやってる人多いよね、控除はデカいし。
公務員の金策なんて控除で可処分所得を増やすか、投資で少しでも増やすかくらいしかないからな。
俺も控除は魅力的だと思ったんだけど自由に引き出しできないし諸々考えて。個人的にメリット感じなかった。
代わりに、生命保険に加入してる保険会社の個人年金に入って積み立ててる。これは増やすためじゃなく、完全に控除目当て。
これでも年末調整で控除できるし、途中解約も一応できるし、万が一俺が死んだ時も積み立てたお金が保険金といっしょに奥さんに渡るようになってる。
この手の公務員叩きはもう慣れてるからいいんだが、そんなに良いもんでもないよ。ここのみんなは知ってると思うけどさ。
一部のホワイト部署を除いて激務だし、残業代で稼いでるようなもん。基本給だけじゃ生活キツいし、かといって激務だから残業しないという選択肢はない。サビ残も多い。
民間と違って真夜中まで残業はないって言われてるけど、忙しい自治体はテッペン越えとかザラにあるよ。俺はそう。割に合わないししんどいよ。俺が選んだ職だけどな。
そんな中で必死に節約して貯金して、そこから投資しているだけだよ。特別に俺が恵まれてる高級取りじゃなくて、おおよその社会人がそんなんじゃないんかな。
ちなみに、いまや公務員も病んで離職とか多いから、割と人手不足だよ。ウチではよく正規の求人出すし、任期付きの嘱託職員求人もまあまあ出てる(でも来ない)。
ただし人口増加国の地元企業がその経済成長の恩恵を受けるわけではない。
人口増加国へ投資している世界中の企業にその恩恵のチャンスが有る。
最近はアメリカ企業がその経済成長の利益を掠め取っていってるよね。
また新興国のターンが来るとは思うけど、こういうのって20年とかかけて変化していく長期的なスパンの話。
なので、短期的な判断で売買する人には、最近の新興国のパフォーマンスでは継続して投資するのは難しいかもね・
AIについてはそうだよね。
国レベルでは、高度な研究者が流出しない程度の待遇と環境が用意できる国である必要があるし。
個人レベルでは、AIに高度なインプットが出来る頭脳や、AIのアウトプットを正確に判断できる高度な頭脳が必要になってきた。
最近AIの文句を言ってる人の話を聞くと、AIに適切なインプットが出来ていない上に、AIのアウトプットまともに判断できず、利用方法の改善もできてない事が多い。
でも他人が俺を幸福にするために出来ることって金をくれることくらいしかないしなあ・・・
金だけあっても腹は膨れない、金で買うものが本当に必要なものだろう、なんて反論あるかもしれないけど
金で買うものが貰えるとして、それらの継続性は「金でそれらが買えるという約束」より保証されないから、いや、金くれよってなるんだよな
まあそれは俺が「金で買うもの」は食料や水光熱という比較的低価格で得やすいもので、今そういう「金で買うもの」に概ね困っておらず、また「金で買うもの」は保存がきかないことが多いので、俺にとって魅力的でないからではある
生活に困っていたらそうはならないだろう
コーヒーの味を決める条件は下記の通り
以下、一つずつ解説
ぶっちゃけこれでほぼ決まる
米で例えるとコシヒカリとミルキークイーンで味が全然違うようにコーヒー豆にも種類がある
ただ、どれが美味しいというのは無く、アラビカ、ブルボン、マンデリンなど、好みで選べば良い
新潟県の〇〇農場と奈良県の△△農場では水系、肥料、育て方から収穫方法まで違う可能性があるので味の違いが明白になる
我々が入手できるコーヒー豆で農場指定されているものは基本的に品質が高い
米で例えると炊飯器でどのように炊くかによって味が変わるのと同様で焙煎によって味は全く別物になる
焙煎するときはまずピッキングと呼ばれる不良豆を弾く行程が入るのだが
このときにどの程度ピッキングできているかによって焙煎度が大きく変わる
試しにその辺りの安いコーヒー屋で豆を買ってくれば分かるが、豆の中に虫食いで欠けてたり割れてる豆が混ざっている
こういった豆を弾くことが焙煎の仕上がりに大きく影響する
焙煎度合いは豆の種類や産地によっても異なるので、浅煎りが良いか深煎りが良いかは選べば良い
ここまでくれば後はどんな器具や淹れ方を工夫しても味に大差はない
米で例えればお茶碗とお箸に何を使うかというレベルの違いにしかならない
もちろん煮出した場合とドリップした場合、エスプレッソにした場合などで味は大きく変わるが
それはその抽出方法の味の違いであって、コーヒーそのものの味の違いを損ねるものではない
販売している豆がブレンドではなく「ブラジル〇〇農園」「インドネシア△△農園」など農園指定されていればアタリ、それ以外はハズレである
次に実際に豆を買って挽く前に豆をちゃんとチェックする
ピッキングがちゃんとできていたらアタリ、それ以外はハズレである
美味しければ継続だが、そうでなければ他のショップを探した方が良い
同じショップで別の豆を買った場合、アタリを引く場合もあるが大抵の場合はショップの指向する味が違うので別の店の方が良い
どうにかして美味しいショップを見つけられたらコーヒー探しの旅は終わりになる
それまで頑張って探して欲しい
人生に一発逆転はないし、一発逆転したように見えるやつは見えないところでその前から延々と努力してるか、そいつはカイジか詐欺師、現実にはいない。
だから今から始めて継続するしかない。山程失敗してその都度解決していくしかない。
マジがんばれ。
低空飛行には間違いないが、それでも戒厳令を出す前までには回復した。
大統領「選挙管理委員会が新北朝鮮の左派に乗っ取られてる。取り締まれないから戒厳令出すわ」
↓
選挙管理委員会事務局3000人のうち1200人が左派系の縁故採用。しかも100人くらいの謎の人(左派系活動家)が選挙管理委員会の建物の中に居座ってることがバレる
その上で、以下のことがあった。
左派野党「内乱罪を理由に大統領弾劾したぞ。取締機関ははやく大統領逮捕しろ」
左派野党「とっとと大統領拘束のための令状出せ国民情緒法が怖くないんか?」
権限のある裁判所「さすがに無茶やろ。法的根拠もないし令状は出せん」
左派野党「あの裁判官当てにならんから左派系裁判官のいる裁判所に令状出させるわ」
権限のない裁判所「拘束令状出すぞ。本来現職の大統領は拘束できないけど、その法律は適用されないことにしたぞ(ホントにこう書いてある)」
知らん
現代社会において、スマートフォン(以下スマホ)は私たちの日常生活と切り離せない存在になっている。多くの人が寝起きと同時に画面をチェックし、通勤通学中や食事の合間、さらには就寝前のひとときまで、何気なくスマホを手にしてしまうだろう。しかし、本来スマホは便利さをもたらしてくれるはずのツールのはずが、いつの間にか私たちの時間をむしばみ、集中力を削ぎ、あらゆる生産性を低下させる「時間の無駄」と化してはいないだろうか。本稿では、スマホがなぜ“時間の無駄”と言われるようになったのか、その背景や影響、そしてどう向き合っていくべきかについて考えてみたい。
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まず、スマホは多くの人にとって「手軽に暇を潰す手段」として機能している。SNSを眺めたり、ソーシャルゲームに没頭したり、ネット通販サイトをチェックしたり――多種多様なアプリが私たちの指先の先に存在し、数秒でアクセスできる。こうした「いつでもどこでも使える」環境が、一見便利そうに思えて実は非常に厄介だ。予定のない短い時間や、気分転換にスマホを使うだけならまだしも、いつの間にか長時間そのまま画面に没頭してしまうケースが少なくない。
たとえば電車の乗車時間が30分なら、その間ずっとSNSをチェックし続ける人がいる。あるいは自宅にいても、少し退屈に感じた瞬間に無意識のうちにスマホを取り出し、動画やマンガアプリを開いて気づけば何十分も経っていた――こうした経験を持つ人は多いだろう。日常に溶け込みやすいという特性があるため、自分の生活の中でどれだけの時間をスマホに奪われているのかを意識しづらいのだ。実際、スマホの使用時間を記録するアプリなどを使ってみると、自分が想像していたよりもはるかに長い時間、画面を見つめていることに気づかされる。こうして私たちは、積み重ねによって膨大な時間を無自覚に浪費しているのである。
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スマホの時間浪費を加速させる大きな要因として、SNSの存在は外せない。私たちはSNSを通じて友人や知人、さらには面識のない人々とゆるやかに繋がり、互いの近況や意見を手軽に共有することができる。これは確かに便利なコミュニケーション手段であるが、その一方で「ついチェックしてしまう」「誰かからの反応を待ち焦がれる」という心理を生み出しやすい特性がある。
たとえば、自分が投稿した写真やコメントに「いいね」やリプライが付くのを待つうちに、気がつけば定期的にSNSを開いていることはないだろうか。また、「あの人がどんな近況をアップしているのか気になる」といった衝動が、仕事や勉強の途中でもスマホを取り出す行為を引き起こす。SNSは承認欲求を刺激しやすく、フォロワー数や「いいね」の数といった数値が自分の評価を表すかのように扱われやすい。それゆえに、より多くの反応を得たいがために内容を工夫し、更新頻度を増やし、何度も画面を覗き込む習慣が形成されるのだ。
こうした行動は、短時間ならば人とのつながりを感じる上で有益かもしれないが、歯止めが効かなくなると貴重な時間をかなり浪費してしまう。さらにSNS上でのちょっとした言い争いや、他人の充実した投稿に対する嫉妬など、精神的なストレス要因にも発展しやすい。結果として、心身に負担をかけながら時間を費やす悪循環に陥ることが少なくない。
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スマホが引き起こす時間の浪費は、単に遊びやSNSへの没頭だけにとどまらない。スマホは常に「通知」という形で私たちを呼び戻そうとする。メールの着信、SNSのリアルタイム更新、ゲームのイベント通知、ショッピングサイトのタイムセール情報……スマホからの通知は絶え間なく押し寄せる。それらを放置しておくと不安になる、あるいは気になって仕方がなくなる人も多いだろう。
このように、私たちは常にマルチタスク状態に追い込まれる。何か作業をしている最中であっても、スマホが通知を発すれば目を向けずにはいられなくなる。すると、その都度脳は集中と切り替えを強いられ、生産性が下がるだけでなく、作業効率を大きく損ねる。「ちょっと見るだけ」と思っても、その“ちょっと”が重なれば相当な時間を持っていかれるし、再び作業に戻るには思っている以上に時間がかかるものだ。
最近はリモートワークやオンライン授業など、PCやタブレットを使う機会が増えている。そこにスマホまで加わると、目の前の作業に集中するのは至難の業だ。スマホが身近にあることで、つねに意識が分散されてしまう。結果として、仕事や勉強の質が低下し、余計に時間がかかったり、成果が得られにくくなったりする。これは「時間の浪費」と言わずして何だろうか。
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さらに、スマホによる時間浪費は私たちの「心の休まらなさ」をも生み出す。現代は情報過多の時代でもある。SNS、ニュースサイト、動画コンテンツ、ブログ……あらゆる情報がスマホを通じて簡単に手に入るのは便利だが、それらに四六時中触れていると脳が休まる暇がなくなるのだ。
デジタルデトックスという言葉が広まったのは、こうした状況に警鐘を鳴らす動きからだ。あえてスマホを触らない時間を作り、自然に触れたりアナログな趣味に没頭したりして脳をリフレッシュさせる。これによって本来の集中力や想像力を取り戻す効果が期待できる。しかし、スマホは多くの人にとって中毒性が高いデバイスであり、自分の意志だけで使用を制限するのは簡単なことではない。
また、眠る直前までSNSや動画を見ていると、脳が覚醒状態のまま寝つきにくくなると言われている。疲れているのにベッドに入ってもすぐには眠れず、スマホを見ながらうとうとしてしまい、翌朝の目覚めが悪くなる――という悪循環に陥っている人も多いのではないだろうか。心身の健康にも影響が及ぶとなれば、スマホの過度な利用がもたらす時間的な浪費はもはや軽視できない問題である。
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では、なぜこれほどまでにスマホが「時間の無駄」になりやすいのか。その背景には、ユーザー心理を巧みに利用するアプリ設計がある。多くのアプリやSNSは、「もっと見たい」「もっと遊びたい」と思わせる仕掛けが満載だ。無限スクロール機能、魅力的なサムネイルの動画一覧、SNSのタイムライン更新、ソーシャルゲームの期間限定イベント……いずれもユーザーの継続利用を促進するデザインになっている。
加えて、スマホというデバイス自体が「常に身近にある」という点も、時間浪費を助長する。自宅のパソコンであれば、わざわざ椅子に座りスイッチを入れ起動を待つというプロセスがある。しかし、スマホはポケットやカバンに入っており、ロックを解除するだけで即座にコンテンツへアクセスできる。このハードルの低さが、私たちが無意識のうちにスマホへ手を伸ばす原因だと言えるだろう。
また、人間の脳は「新しい情報」に対して強い報酬を感じる特性がある。スマホを開くたびに新着通知や新しい投稿があり、脳が刺激される。これを何度も繰り返しているうちに、スマホチェックが習慣化し、結果として時間をどんどん奪われてしまうのだ。
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スマホを使うこと自体が悪いわけではない。しかし、使い方を誤ればあっという間に大切な時間を奪われ、何も得るものがないまま一日を終えてしまうことになる。では、どうすればスマホによる時間の浪費を防げるのか。
まず一つに、「使用時間を可視化する」ことが挙げられる。スマホには、アプリごとの使用時間を計測してくれる機能が搭載されていたり、サードパーティ製のアプリでも類似の機能が提供されていたりする。まずは自分がどれだけの時間をスマホに費やしているのかを正確に把握することが重要だ。そこに驚きや危機感を覚えれば、使い方を見直すきっかけになる。
次に、通知の設定を見直す方法も効果的だ。SNSやメール、ニュースアプリなどの通知を一括でオフにしてしまうと、スマホが「呼び出し」をかけてくる機会が大幅に減る。必要なものだけを厳選し、本当に優先度の高いアプリ以外の通知は切っておくことで、集中を妨げられる回数を減らせる。
さらに、使用する場所や時間を限定する習慣を作るのも有益だ。たとえばベッドのそばにスマホを置かない、就寝前の1時間は画面を見ない、あるいは食事中や人と会っているときはバッグの奥底にしまうなど、小さなルールを作って徹底するだけでも大きな違いが生まれる。スマホそのものが視界に入らない状況を作ることが、無意識での使用を防ぐ第一歩になる。
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「スマホさえなければ、もっと色々なことができたのに」――そう後悔したことはないだろうか。仕事や勉強だけでなく、家族や友人との時間、趣味の時間、運動や読書など、自分にとって大切な活動に割くはずだった時間が、いつの間にかスマホに奪われてしまっている。
もちろん、スマホが提供する娯楽や情報は決して「完全に無駄」とは言い切れない部分もある。人との繋がりを得たり、新しい知識を手に入れたり、リラックスのために有用なコンテンツを楽しむこともあるだろう。しかし、問題はバランスである。自分にとって本当に大切なものを見極め、優先すべき時間を確保した上でスマホを活用するのと、何となく常にスマホに手を伸ばして時間を溶かすのとでは、得られるものがまったく異なる。
スマホを手放すことで、その時間を別の活動に振り分けることができれば、新しいスキルの習得や創造的なアイデアの練り上げ、あるいは人間関係の質の向上につながるかもしれない。スマホとの向き合い方を変えるだけで、時間の使い方は驚くほど充実したものへと変化していくのだ。
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とはいえ、現代社会ではスマホを完全に手放して生活することは難しい。ビジネスや学業において、連絡手段や情報収集ツールとしてスマホを使わざるを得ない状況も多い。便利な地図アプリや決済アプリなど、スマホがなければ不自由を感じる場面も日常的にあるだろう。
重要なのは、あくまで「スマホは道具」であるという原点に立ち返ることだ。自分が必要な情報や連絡手段として最低限使い、ほかの余計な時間をできるだけ削る――この意識を持つだけでも、時間を奪われる感覚を大きく減らすことができる。スマホとの付き合い方は、人によって最適なバランスが異なる。仕事で大量のメールチェックが必要な人もいれば、SNS発信がビジネスの一部になっている人もいる。だからこそ、自分に合ったルールや制限の方法を見つけることが大切だ。
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スマホは、現代のライフスタイルを大きく変えた革新的な発明であり、その恩恵を完全に否定することはできない。しかし一方で、暇つぶしやSNSのチェック、そして常に降り注ぐ通知に追われるうちに、気がつけば膨大な時間を無駄にしていることも事実である。私たちの有限な人生において、一日一日が持つ重みはとても大きい。貴重な時間を何に使うかを考えたとき、必ずしもスマホに費やす必要はないはずだ。
もし「スマホなんて時間の無駄だ」と感じる瞬間があるなら、それはスマホとの付き合い方を見直す絶好のチャンスだ。アプリの使用時間を把握し、通知設定を厳選し、ルールを決めて不要な使用を控える。こうした工夫によって、私たちの時間はより有意義な活動へと振り向けられるだろう。読書やスポーツ、友人や家族との対話、創作活動――それらはきっとスマホに依存する生活よりも豊かな体験をもたらしてくれるに違いない。
デジタル社会に生きる私たちにとって、スマホはこれからも欠かせないツールであり続けるだろう。しかし、「道具を使う」のではなく「道具に使われる」状態に陥ってしまっては、本来大切にすべき時間を失いかねない。スマホが時間の無駄になるかどうかは、結局のところ私たち自身の意識と行動次第なのだ。もし少しでも「スマホに時間を奪われているかもしれない」と思ったときは、一度立ち止まって考えてみよう――果たして、その時間は本当に自分にとって価値のある使い方だろうか、と。スマホと上手につき合い、自分の人生をより豊かにデザインするためにも、スマホに費やす時間と向き合うことは決して無駄ではない。むしろ、そこから「本当に大切な時間」のあり方が見えてくるはずである。
私がその「多頭崩壊」に関わるきっかけとなったのは、ある動物保護団体のSNSで見かけた一枚の写真でした。そこには、暗い部屋の中で多数の猫たちが身を寄せ合いながら、不安げにこちらを見つめている姿が写っていました。一言に「多頭崩壊」といっても、当事者の事情はさまざまです。飼い主自身も苦しみながら、増えすぎてしまった猫の世話を継続できず、助けを求める余裕すらないケースもあれば、元は保護のつもりが徐々に増えてしまい、最終的に身動きが取れなくなったパターンなど、理由は人それぞれです。けれども共通するのは、生活環境が極端に悪化し、猫たちも健康を損ないやすい状況に追い込まれてしまうということ。どうしても胸が痛んでしまい、当初は「何か手伝えればいいな」という軽い気持ちでその投稿を読み進めました。
ところが、具体的な保護の様子や猫たちの状態に関する記述を読むうちに、私は居ても立ってもいられなくなりました。そこには、劣悪な環境で感染症に苦しむ猫たちの存在が綴られていたのです。何匹もの猫がいる狭い部屋には空気の流れも悪く、清掃が追いついておらず、糞尿の臭いが充満しているとのことでした。猫たちの中には極端にやせ細っている子もいれば、ストレスからか脱毛している子、目やにで両目がふさがってしまっている子もいる。そんな中で、ボランティアスタッフは根気強くケアを続けているが、引き取り先が決まらないと満足な治療ができないケースも多い。とにかく人手と物資、それから新しい受け入れ先が必要だ――こうした言葉を目にした瞬間、私の胸中では「何かしなくちゃ」という思いが大きく膨らんでいきました。
私はすぐに保護団体に連絡を取り、状況を尋ねました。すると、現場には数十匹単位の猫がひしめいているらしく、飼い主である高齢の女性が限界を迎えているとのことでした。近隣からの苦情も多く、行政の介入も検討されているが、猫たちを全て一気に保護するのは物理的にも資金的にも厳しい状況。しかし一方で、いち早くケアしないと命にかかわる病気を患っている猫も少なくないという話でした。私はまだ猫を飼った経験は浅かったのですが、どうにか力になれないかと思い、「私にも里親としてできることはありますか」と尋ねました。保護団体の担当者は少し驚いたようでしたが、心強く思ってくださったようで、「健康状態に不安のある猫も多いですが、可能な範囲で預かっていただけるなら本当に助かります」とおっしゃいました。
こうして私は、最終的に三匹の猫を預かることになりました。いずれも生後1~2年ほどと見られる若い猫たちで、内訳は白黒のブチ猫、三毛猫、そして茶トラ猫。それぞれオスかメスかまだはっきりわからない状態でしたが、病院に連れて行って健康状態をチェックし、去勢・避妊がまだであれば実施する必要があるとのことでした。保護団体のスタッフからは、「栄養失調や目の感染症、皮膚病の疑いがあります。特にブチ猫は呼吸器系が弱そうなので、なるべく早く病院に行ってあげてください」とアドバイスをもらいました。預かるにあたっての注意事項や飼育方法をたくさん聞き、不安がないといえば嘘になりますが、それ以上に命を繋いであげたいという気持ちが勝っていました。
実際に三匹を迎えに行った日、私はその現場の一部始終を目にすることとなりました。かつては猫たちが自由に走り回っていたであろう部屋は、すでに掃除も追いつかず、床にはいくつものトイレ砂やゴミが散らばり、アンモニア臭が立ちこめています。窓は締め切られ、空気は淀んでいました。保護団体のスタッフが部屋に入ると、驚いた猫たちがさっと散り散りに逃げていき、段ボールの陰や押入れの奥に身を隠します。あるスタッフが、「今度里親さんが決まった子たちはいる?」と声をかけると、「こっちにいます」とほかのスタッフが三匹をキャリーに移して連れてきました。その子たちは恐る恐るケージから顔を出し、心なしかホッとしたようにも見えましたが、環境の激変に戸惑っているのか震えていました。
私が引き取る三匹は、一見すると命に直結する深刻な症状はなさそうですが、やせ細っていることが見て取れました。最初のブチ猫は痩せこけて体力が落ちており、くしゃみを繰り返していて呼吸も苦しそうです。続いて受け取った三毛猫は、被毛がパサパサしていて腰のあたりに脱毛箇所があります。皮膚病の疑いがあるので、早めに獣医師の診察を受ける必要がありました。そして最後にやってきた茶トラ猫は、目ヤニで片目がほとんど開かない状態でした。恐怖心からなのか、キャリーに入るときも必死に抵抗していて、スタッフの腕に爪を立てていました。そんな様子を見ていると、「連れて帰ってちゃんとお世話してあげなきゃ」という気持ちがさらに強くなりました。
初めて我が家に三匹を連れて帰った夜は、私にとっても、そしてきっと猫たちにとっても長い夜でした。三匹は緊張で固まっており、最初はキャリーから出てこようとしません。せめて安心して過ごせるよう、私は静かな一部屋を丸ごと「猫部屋」に整えておき、必要最低限の家具を配置していました。そこにキャリーを置き、ふかふかのタオルや、先住猫が使っていたクッションなどを用意しました。先住猫の匂いが混ざっていると不安が和らぐこともあると聞いていたからです。部屋の隅に食事と水、それから猫砂のトイレを置き、なるべく落ち着いた環境を整えたものの、彼らはそろって隅のほうでじっと様子をうかがっていました。私は部屋の中にしばらく座り込んで「大丈夫だよ」「怖くないよ」と声をかけましたが、三匹が自ら近寄ってくることはありませんでした。
翌日、まずは一番症状が重そうだったブチ猫を動物病院へ連れて行きました。診断の結果は、呼吸器の感染症の疑いが強く、体力が落ちているため免疫力が低下しているらしいとのことでした。抗生剤と免疫力を高めるサプリメントを処方してもらい、しばらくは安静に、十分な栄養補給をするようにと指示を受けました。病院から帰ってきてキャリーを開けると、ブチ猫は疲れたような表情を見せつつも、どこかほっとした様子。やはり医療の力は大きく、診察台で獣医師に静かに撫でられたのが安心できたのでしょうか。その日はゆっくり休ませ、私もできる範囲で声をかけ、必要なら毛布を替えてあげるなど細かい世話をしていました。
三毛猫と茶トラ猫についても、翌日以降に順番に診察を受けさせました。三毛猫の脱毛はやはり皮膚病の一種で、ストレスや栄養不足も原因になっているそうです。抗真菌薬の塗り薬や、被毛を補修するフードなどを獣医師から勧められました。茶トラ猫は結膜炎が進んでおり、片目が塞がりかけていたのは膿が溜まっていたからだとわかりました。洗浄と点眼薬の使用で回復の見込みがあるとのことで、そこまで深刻ではないようでしたが、嫌がる茶トラ猫に目薬を差す作業はなかなか大変です。毎回「シャーッ」と威嚇されながらも、根気強くケアを続けるしかありません。「お世話するのは大変だけれど、ここで諦めたらこの子は一生目が開かないかもしれない」と思うと、不思議な責任感が湧いてきました。
それから数週間、私は三匹を中心とした生活を送りました。正直、先住猫も含めて家の中は猫でいっぱいなので、お互いの存在に慣れるまで気を使う場面も多かったです。先住猫は多少ストレスを感じたのか、最初は「フーッ」と威嚇していましたが、時間をかけて一緒に遊べるようになると、少しずつ打ち解けてきました。新入りの三匹は最初は警戒心が強かったものの、栄養状態が改善し、薬の効果で調子が上向くにつれ、目に見えて表情が変わっていったのです。最初はご飯を出しても目が合うと固まっていたのに、徐々に「ご飯はまだかな」と言わんばかりに足元にすり寄ってくるようになりました。被毛も少しずつツヤを取り戻し、ブチ猫のくしゃみも一日に何度か程度になり、茶トラ猫の目ヤニもだいぶ落ち着いてきました。
医療的なケアが一段落すると、次は社会性の回復が課題になりました。多頭崩壊の現場で暮らしていた猫たちは、人との関わり方を知らずに成長する場合が多いので、社会化が十分にできていないことがあります。特に三匹とも体調不良で怯えていた期間が長かったため、人を怖がりやすい面が見られました。そこで私は、一緒に遊ぶ時間を積極的に作るようにしました。いきなり手を伸ばすと驚かせてしまうので、最初はじゃらしやトンネル型のおもちゃなどを使い、猫たちが楽しめる距離感を保ちつつ触れ合いを試みるのです。最初は逃げ腰だった三毛猫が、じゃらしの先につられて少しずつ近づいてきたときの喜びはひとしおでした。近づいてきた瞬間を見逃さずに、「えらいね」「かわいいね」と優しく声をかけると、その声に安心してくれたのか、遊び終わった後も少しだけ私の側にいてくれるようになったのです。
そして保護からおよそ二か月が経った頃、三匹はすっかり我が家に慣れ、ずいぶんリラックスして過ごせるようになりました。ブチ猫はもう呼吸が苦しそうな様子はなく、今ではおもちゃのネズミを追いかけて部屋の中を走り回っています。三毛猫の脱毛部分は完全に毛が生え揃い、ときどき自分のしっぽを追いかけてはくるくる回って遊んでいます。茶トラ猫は最初のうちは人をひっかくこともありましたが、目の治療で痛みがなくなったのか、今では私が部屋に入ると先に鳴いて寄ってきてくれるようになりました。自分から頭をすり寄せてくれるときなど、あの警戒心の塊だった頃を思い出し、ついじんわりと胸が温かくなります。
今振り返ってみると、三匹を引き取ることに決めた当初は、それこそ手さぐり状態でした。医療費も含めて負担は決して小さくなく、何度も「これでよかったのだろうか」と悩む夜もありました。しかし、彼らが見せてくれる少しずつの変化や成長は私にとってかけがえのない喜びをもたらしてくれました。そして何より、一度は過酷な環境の中で押しつぶされそうになった命が、こうして元気に暮らしている。その事実を見守れる幸せは、言葉で言い尽くせないほど大きいと感じています。多頭崩壊の問題は決して他人事ではなく、動物を飼うということは終生責任を伴うのだと、改めて強く考えさせられました。
もちろん、三匹を迎えたからといって多頭崩壊の問題が根本的に解決するわけではありません。一匹でも多くの猫が適正な環境で生活できるようにするには、飼い主の意識改革や行政の支援、地域での協力体制など、取り組むべき課題は山積みです。それでも、私にできる範囲で猫たちを救うことはできました。今は三匹との日々に癒やされながらも、あの現場にはまだ引き取り先を待っている猫たちがいるのだという事実を時々思い出し、「もう少し何かできないだろうか」と考えています。動物保護団体への寄付やボランティアなど、私一人の力は小さいかもしれませんが、一歩ずつ行動を積み重ねていけば、いつか大きな力になれるかもしれない。そんな希望を抱きながら、今日も三匹に声をかけるのです。「おはよう、今日も元気そうだね」――私に向かって返してくれるか細い声が、いつも以上に愛おしく響きます。
自分は、色んなイラストを探すのが好きだった。で、気に入るイラストの条件として、「自分の創作の参考になるか」、もうちょっと下品な部分だと、「自分でもある程度それっぽく再現できそうか」ってのがあった。
しかし、冷静になって思い出してしまった。今まで自分、物事を上達させられたことが無いなと。創作もできるようにならないんだろうなあと。
だから、オタ活が急にできなくなった。先述したイラスト探しをはじめ、ちょっと悪い言い方をするなら創作の素材にするつもりでやっていたからである。
最初のとっつきは寧ろ他人よりちょっと早くて、褒められる。でも、それ以降上達させる方法が分からない。詰むタイミングが早すぎる花海咲季の下位互換みたいな感じである。
怠惰で上達させるほど継続できないってのもあるし、ちょっと継続できても上達のために次なにすればいいのかが全然分からない。PDCAを回す感覚を体感したことがない。
それでいて部活の経験はない。あと、一夜漬けで上辺だけ理解するのは得意だったので、定期テストの成績で指定校推薦を取れてしまった。だから受験勉強もしていない。
そんなんで大学生になったが、大学になると上辺の勉強では対処できないような難解な内容が増えてきて、勉強が追い付かなくなってしまった。
以下にご紹介する内容は、「100倍引き寄せる思考」というスピリチュアルな発想と、心理学・脳科学・量子力学などの科学的な理論を“あくまで比喩や拡大解釈として”融合させたものです。実験的に厳密に証明されたわけではない部分も含まれていますが、実践面でヒントとなりうる要素をまとめています。
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「思考したものが現実になる(引き寄せの法則)」をさらに拡大し、**“自分の想像の100倍”**という飛躍的な結果を実現しようとする考え方です。この背景には、
1. **枠を大きく超えたビジョン**を掲げることで、
2. **より大きな可能性**を意識レベル・行動レベルで開き、
3. 結果として「あり得ない」と思われた成果を招き寄せる、
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## 2.1 ラス(RAS: Reticular Activating System)の活性化
脳幹にある「網様体賦活系(もうようたいふかつけい)」と呼ばれる領域で、私たちがどの情報に意識を向け、どの情報をフィルタリングするかに大きく関わっています。
たとえば「月に50万円欲しい」より「月に500万円欲しい」という、より大きな目標を掲げた場合、脳は「この大きな目標を達成するために必要な情報」を積極的にピックアップしようとします。これがいわゆる“カラーバス効果”のように、意識が向いたものが見えやすくなる現象を加速させます。
> **ポイント**: 100倍レベルの発想をすることでRASがより強く働き、普段なら見過ごしてしまうチャンスやアイデアを拾いやすくなると言われています。
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## 2.2 自己効力感(Self-Efficacy)と期待の心理学
心理学者アルバート・バンデューラの理論で、「自分ならできる」という確信の度合いを指します。大きなゴールを設定しながらも、それに少しずつ近づいている感覚が積み重なると自己効力感が高まり、より大きなチャレンジが“当たり前”になっていきます。
組織心理学や行動科学では、*「期待」→「動機づけ」→「行動」→「結果」*という流れが重視されます。人は「自分が本当に手に入るかもしれない(期待できる)」と思うと、行動量が増し、成功率が上がる傾向にあります。
> **ポイント**: 「こんな大きな成果は無理だ」と最初から感じてしまうと、期待値がゼロになり行動量が減る。一方、ワクワク感が伴うレベルの大きなビジョンを掲げると、脳内報酬系(ドーパミンなど)が刺激され、やる気が継続しやすくなります。
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## 2.3 プライミング効果・セルフ・フルフィリング・プロフェシー(自己成就予言)
ある刺激(単語・映像・イメージなど)にさらされると、その後の行動や判断に影響が及ぶ現象。大きな成功をイメージすることで、自分の言動が「大きな成功と矛盾しない方向」に傾きやすくなると考えられます。
「自分が信じていることが、行動や判断を通じて、最終的にその通りの結果を導く」という心理的メカニズム。ポジティブな期待を大きく持てば持つほど、結果的にそれが叶う方向に自分自身を動かしていきます。
> **ポイント**: 100倍の成果を「ありありとイメージ」し続けると、思考・言葉・行動がそのビジョンに合った選択をしやすくなる。これが「引き寄せの一端」として科学的にも説明しやすい部分です。
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## 3.1 オブザーバー効果(観測者の効果)と「手放す思考」
観測(測定)をすると電子が“粒子的”に振る舞い、観測をしなければ“波”的”に振る舞う、という有名な実験。
「意識的にコントロールしすぎる(観測しすぎる)と可能性が限定されてしまう。逆に、執着を手放すことで、より多くの可能性(波の広がり)に開かれる」という比喩としてよく用いられます。
> **ポイント**: 「100倍のビジョンを掲げながらも、どう実現するかは細部まで執着しない」。このバランスが、“波動の広がり”を保つ姿勢だとされます。
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## 3.2 量子もつれ(エンタングルメント)と「大きな流れへの委ね」
「私たちも本来、意識レベルで繋がっている」という考えの比喩として使われます。大きな結果を得るとき、周囲の人や環境が突如シンクロするような“偶然”が起こる、と語られることがあります。
> **ポイント**: “自分だけの力”ではなく、“世界全体との繋がり”を意識し始めると、大きな流れ(サポート)がやってくるかもしれないという感覚を高めます。
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# 4. 「100倍引き寄せ」を加速させる実践法(科学的要素+スピリチュアル要素)
1. **拡大ビジョンの設定**
- 目標を数段階上乗せして設定する(例: 月収10万円 → 月収100万円、もしくは自分の想像の100倍に拡大してみる)。
- スポーツ心理学でも使われる手法。実際に成功している姿・状況を“具体的な五感”を使ってイメージする。脳は「実際に体験している」かのように反応し、自己効力感を高めてくれる。
1. **行動リストを作る**
- どんなに些細なことでも、「大きな目標を達成するために役立つ行動」を毎日1つでも実行。
- 成功体験を書き留めると、自己効力感とRASが相互に高まり、チャンスを発見しやすくなる。
## 4.3 手放すワーク(観測しすぎない/執着しすぎない)
- 過剰な不安や執着を緩和するために、定期的に思考を静める時間を設ける。
- 「いつ手放せる?」「手放したらどうなる?」と問いかけ、ネガティブな感情やコントロール欲求を意識的に解放していく。
> **科学的には**、瞑想・深呼吸は自律神経を整え、ストレスホルモン(コルチゾール)の分泌を抑え、脳を“集中とリラックスが同居した状態”にしやすいと言われています。この状態がポジティブな発想や直感を受け取りやすいと考えられます。
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# 5. 注意点とまとめ
- 量子力学の話や脳科学のメカニズムは興味深いですが、「意識そのものが直接、物理現象を変える」とまで言える証拠はまだ不十分です。あくまで“比喩”や“モチベーションアップ”の要素として取り入れるのが賢明です。
- 「思考だけで何とかなる」と考えてしまうと、現実的な努力や行動をおろそかにしがちです。心理学的・行動科学的な知見を活かし、実践的にアクションを起こすことが重要です。
- あまりに“大きな結果”ばかりを追い求めて心身が疲弊してしまうと本末転倒です。必要に応じて休息やサポートを取り入れ、バランスを保ちましょう。
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## ◆ 最終的なポイント
心理学・脳科学的には“視点が大きくなり、新たな情報やチャンスを拾いやすくなる”“自己効力感が高まりやすい”といったプラス面が期待できます。
過剰な思考・不安・コントロール欲求を緩和し、創造的発想やシンクロニシティを受け入れる余地が生まれる、とスピリチュアル的にも心理学的にも説明可能です。
単なるイメージや願望だけでなく、小さな一歩を踏み出し、その成功を積み重ねることで、「夢物語」が「具体的な現実」に近づいていきます。
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### まとめ
といったスピリチュアルな発想をベースにしながら、量子力学やフラクタル理論など現代科学の要素も加味して、人間の意識と現実との関係を解き明かそうとする新しい思想体系です。
- 部分と全体が自己相似的に繰り返される。心と宇宙もまた、フラクタルに構造が通じ合う。
2. **引き寄せの法則**
- 思考・感情の状態が“波動”を発し、それと共鳴する現実が引き寄せられる。
4. **無意識の力**
- 顕在意識よりもはるかに大きい無意識(潜在意識)が、実は現実や運命を動かすカギとなる。
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### 2-1. 宇宙の95%を占めるダークマター・ダークエネルギー
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# 第3章 観測者効果・引き寄せの法則・フラクタル理論の融合
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### 4-3. シナジー効果
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### 5-3. 「イメージして手放す」の大切さ
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### 6-1. おみくじやタロットを「よい結果が出るまで」引く方法
- 願いを言語で細かく規定しすぎず、“こんな場面があったら最高!”という映像を描く。
- おみくじやタロットで自分が納得する・気分が上がる結果が出るまで試行してみる。
- 良い結果が出たら、そのイメージをさらに瞑想で深めたり、日々の生活の中で思い出したりする。
4. **行動と連動させる**
- 占いで得たヒントやキーワードをメモし、それにつながる行動を少しずつ試してみる。
1. **朝・夜の数分瞑想**
- 呼吸に意識を向け、心身を落ち着かせる。
- 1日の始まりや終わりにカードを1枚引き、そのシンボルから受け取るメッセージを簡単に振り返る。
3. **イメージワーク**
- そのカードから連想される“理想の自分”や“未来のシーン”を映像として思い浮かべる。
4. **手放しと行動**
- イメージしたあとは日常へ戻り、小さな行動を積み重ねる。執着しすぎず、流れに任せる心持ちで過ごす。
- 写真や雑誌の切り抜き、シンボル的なイラストなどをコラージュして壁に貼る。
- 宇宙に関連する画像や、自分の理想を象徴する絵を設定しておく。
- 星座のペンダントや、お守り代わりのカードなど、“言葉以前”のレベルで象徴を常に意識する。
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# 結論・まとめ
- フラクタル理論や観測者効果を応用すると、私たちの心(特に潜在意識)が宇宙や現実と相互作用していると考えられる。
2. **“見えない力”を敬意をもって活用する**
- ダークエネルギーや潜在意識といった、直接は観測できない領域ほど大きな影響力がある。そこへアプローチするには、象徴やイメージを活用するのが効果的。
- 占いで外から得る象徴的メッセージと、瞑想で内側を整える行為を組み合わせることで、望む未来を設計しやすくなる。
- 願いを強く言語化しすぎるよりも、ビジュアルやシンボルを用いて無意識へ訴えかけるほうが、潜在意識や宇宙へ強力なインパクトを与えられる。
5. **日常の行動との両立が鍵**
- スピリチュアルな実践と現実的な行動をバランスよく継続することで、シンクロニシティや偶然の一致が起きやすくなり、自然に望む現実が創造されていく。
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## 参考スタンス
占いや瞑想、イメージワークといった手法を気軽に試しながら、日々の小さなシンクロや発見を大切にしていくことで、“宇宙と心が繋がっているかもしれない”という感覚を深めていけるでしょう。それこそが、宇宙心理学がめざす「内的世界と外的世界の調和」がもたらす豊かな人生観です。